「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

11« 2014 / 12 »01
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (436) 「四方山話 ヤフオク!(ヤフーオークション)での出来事」 12/3/2014 

#検察なう (436) 「四方山話 ヤフオク!(ヤフーオークション)での出来事」 12/3/2014

yahoo auction

冤罪 = 「無実の罪。ぬれぎぬ。(広辞苑)」

冤罪は、身に覚えもなくても突然災厄のように降りかかってきます。それは既に体験済みの私ですが、数日前にもこのようなことがありました。

私はヤフオクのヘビー・ユーザーです。身の回りの不要品を売ったり、少しでも安く買おうと、よくヤフオクを使っています。最近では、趣味としているゴルフ・クラブや用品をヤフオクで売り買いしています。

もう10年以上ヤフオクを利用して、「良い(出品者・落札者です)」という評価が丁度400件になりました。個人間の取引ですから、相手が信用に足るかの情報として、取引をしたお互いが相手を評価することが、ヤフオクでは行われています。400件の「良い」という評価に対して、「悪い」という評価は1件もありませんでした。

先週、やはりヤフオクでゴルフ・クラブを売りました。その後、メールで評価の報告が届きました。それは「悪い」という評価でした。

メッセージは、
「商品届きましたがシャフトが差し戻し、しかもさかさまに差してありました、値段が安い品物でしたがちゃんと説明してから出品して下さい。がっかりです。」

私は驚きました。そのような事実はなかったからです。私は返答しました。
「それはないと思います。Victoriaの碑文谷店で新品を購入し、シャフトを差し替えたことはありません。何かの勘違いではないでしょうか。再度、ご確認お願いします。リシャフト品の場合は、その旨お伝えするつもりです。」

ゴルフをしない人のために少し解説すると、ゴルフ・クラブはヘッド、シャフト、グリップという3つのパーツから組み立てられます。クラブ・メーカー・オリジナルのクラブを購入した後に、自分の好みのシャフトと交換することを「リシャフト」と言います。そしてリシャフトしたクラブのシャフトを外して、もう一度、元のメーカー・オリジナルのシャフトに組み替えることを「差し戻し」と言います。

シャフトを外す際には、熱処理をするので、カーボンシャフトの場合、品質が劣化するとされています。ヘッドとシャフトの組み合わせは同じでも、メーカー・オリジナルのものと比較して、差し戻し品はいわゆる「傷物扱い」で安く取引されます。

3000円という値段でしたが、落札者はその値段は「訳アリ品」の値段で、その訳を説明しなかったのは出品者として問題ありと、「悪い」という評価を私に下したものです。

私はクラブメーカーに問い合わせ、落札者の誤解の理由をすぐに理解しました。シャフトとグリップには、メーカーのロゴが表示されています。シャフトのロゴは(邪魔にならないよう)見えないように裏側に、グリップのロゴは(どの向きで握っているか)見えるように表側に装着するのが通常の差し方です。ところが、私が出品していたクラブのロゴは、シャフトもグリップも裏側で差すのがメーカーの標準でした。

落札者の方は、グリップが裏差しであることを見て(シャフトも裏差しであるにも関わらず)、「これは逆さまに装着されている。一旦外して組み直したに違いない。リシャフトの差し戻し品だ」と判断したものです。

ヤフオクの評価は、一旦つけると、その後の修正・削除は、評価した本人も、ヤフーもできないルールになっています。つまり、この落札者の誤解であることが分かっても、私の「悪い」という評価は未来永劫記録に残ってしまいます。

私はせっかく買ってくれた落札者の誤解を解くべく返答しました。
「メーカーに確認したところ、Vシリーズは、シャフト・グリップ共にロゴ裏差しが標準とのことでした。私は、新品購入時に特に指定していないので、メーカー標準仕様です。逆さまということは、シャフトもグリップもロゴが表差しということでしょうか。」

3日待っても私を「悪い」と評価した落札者からは、何の返答も謝罪もありませんでした。

残念に思った私はメッセージを送りました。
「「悪い」という評価を付ける前に、相手方に連絡をして事の真偽や対応(返品の可否等)を確認し、それでもなお対応に不満の場合に「悪い」という評価をするのが、オークションのマナーだと思います。今回のように一方的に不当な評価をされても修正・削除できないというヤフオクのシステムには個人的に疑問を感じ、報復評価もナンセンスなので、敢えて評価は控えさせて頂きます。」

ヤフオクでは、「悪い」という評価をされて感情的になり、報復として相手方を「悪い」と評価し返して掲示板上でなじり合うケースも度々目にします。

何年もかけて築き上げた信用に、理由なく汚点を付けられたことは残念ですが、刑事被告人を経験した私には、その相似性をむしろ滑稽に感じられました。もし刑事被告人の経験がなければ、もっと悔しがったり、憤慨したかもしれません。

しかも、自分の非を認めず、一言の謝罪もないところは、検察・国税局と全く同じです。

そして、この落札者の方は、評価をした時は完全に誤解しており、悪意はなかったと思います。一方国税局や検察は、私の無実を知りながら、告発・起訴したと私は確信しており、彼らの方が数段悪党です。

ヤフオクのマナー違反は見逃すことができても、国家権力の横暴は見逃すことはできません。刑事裁判よりも更にハードルの高い国賠審を私が戦うことを決めたことには、同じような犠牲者を出さないための願いがあります。

是非とも、私の国賠審にご注目して頂き、引き続きご支援の程をお願いします。

12/3/2014









ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: #検察なう 刑事事件一般その他

2014/12/04 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (435) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(5) ~冤罪ライン④ 「DNA鑑定は信頼できるか」」 12/1/2014  

#検察なう (435) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(5) ~冤罪ライン④ 「DNA鑑定は信頼できるか」」 12/1/2014

DNA(型)鑑定は、科学捜査の手法として今日では一般的になっています。犯罪の立証には、「誰が、いつ、どこで、誰に対して、どのような行為をしたのか」ということを証拠で裏付ける必要がありますが、DNA鑑定により、「誰が」「どこで」という「現場存在証明」が可能となります。また採取された体組織の状態から、ある程度「いつ」ということの絞り込みも可能です。

このDNA鑑定はアメリカにおいては、非営利活動機関「イノセンス・プロジェクト」(注1)によって活用され、数多くの冤罪証明に役立っています。

しかし、我が国においてDNA鑑定が「無罪立証」のためにアメリカほどダイナミックに活用されてはいないようです。それは捜査機関と弁護側の圧倒的な経済格差、証拠収集力の差によるものと思われます。

森氏は「DNA鑑定の高度専門性」と題して、DNA鑑定が「有罪立証」に用いられる危険性の一端を示しています。

(以下、抜粋引用)
「現在は、DNA鑑定はかつてのような間違いはないと言われている。しかし、実際に鑑定に当たるごく一握りの専門家以外にそれを確かめ得る者はいない。「専門家鑑定の批判的検討」の必要性が言われることがあるが、DNA鑑定ほど、その言葉がむなしく響く場面はない。

現実には、われわれは、細胞核DNAの「二重らせん構造」を追体験することもできなければ、塩基対を分離するための電気泳動法を追試することもできない。最終的には、電気泳動法による塩基配列の繰り返し回数はコンピューターで読み取られているが、そのコンピューター・プログラムを検証することもできない。ここでは、専門家システムによる高度の社会的分業を認めるしかない。現実的には、そうするほかない。

しかし、他方では、裁判史を見ればわかるように、われわれは、DNA鑑定を絶対視することなどできない。裁く者は、鑑定が間違っているリスク(抽象的可能性)を常に念頭に置きながら、それでも鑑定を前提にせざるを得ないのである。結局、証拠としてのDNA鑑定には、そのような宿命的アンビバレンツがある。」

ここで「裁判史を見れば」という例として、超ド級冤罪で有名な足利事件と、隠れた超ド級冤罪の飯塚事件(注2)を森氏は挙げています。

そして、この指摘はDNA鑑定だけではなく、全ての科学捜査に当てはまることです。その例として著名事件で思い出されるのは和歌山毒物カレー事件です。林眞須美死刑囚の有罪立証の決定的証拠とされたのは、自宅から押収されたヒ素とカレーに混入されたヒ素が同一のものであったという科学鑑定でしたが、今日ではそれが否定されています(注3)。

また森氏は「DNA証拠限界」と題し、DNA鑑定は「閉鎖空間性や接触制限性が、その効力の前提となる」と論じます。被害者が不特定多数の人間と身体的接触を有し、現場が閉鎖空間ではなく、半開放空間である場合にはDNA鑑定が本来の効果を発揮しえない例として東電OL殺害事件を例に挙げています。

一審無罪判決を覆した控訴審での有罪の証拠とされたものの一つに、殺害現場に残されたコンドーム内に残留していた精液のDNA型が冤罪被害者のゴビンダ氏のものと一致したということがあります。これはDNA鑑定が「現場存在証明」として「誰が」「どこに」という有力な証拠となり得ながら、「いつ」という時間の絞りこみには不完全であることを示しています。

森氏は東電OL殺害事件の冤罪証明に、当時の鑑定技術では困難であった微量の体液のDNA鑑定が功を奏したと述べていますが、それは東電OL殺害事件の冤罪の原因を見誤ったものです。事件当時から、捜査当局はゴビンダ氏が犯人ではないと分かった上で、悪質な証拠隠しを行っていました。冤罪が晴れる契機となったのは「(血液型鑑定の)証拠の開示」です。ゴビンダ氏以外の犯人の存在を証明したとされるDNA鑑定はあくまでダメ押しであり、証拠隠しを隠蔽する捜査当局のメディア操作を森氏は(意図的でないのであれば)見落としています(注4)。

この章の最後では、森氏は「飛翔する市民裁判」と題し、科学捜査に対する市民による評価が、職業裁判官の常識を覆すこともあり得ることを論じています。先のDNA証拠限界により、「疑わしきは罰せず」と無罪判定となった例として、鹿児島高齢者夫婦強盗殺人事件(2009年)を挙げています。

この事件では、裁判員裁判として初の死刑求刑事件の無罪判決が出されました。その無罪判決の報道を私も驚きを持って接したことを覚えています。

この事件は高齢者夫婦が自宅で顔面をスコップで多数回(合計100回以上)殴りつけられて殺されていた事件で、犯人として起訴されたのは当時70歳の男性でした。

起訴された男性は被害者と面識がなく、一貫して犯行を否認していましたが、有罪立証の証拠とされたのは、侵入口と見られた網戸から体組織片が検出され、DNA鑑定の結果、被告人のDNA型と一致したことです。また、物色された部屋の整理ダンスの引き出しなど数か所から、被告人の指紋も検出されました。

しかし、裁判員裁判の結論は無罪。それは二重犯罪の可能性を認めたからです。殺害行為の様態から怨恨を思わせ、70歳の被告人では体力的にも無理があって、犯人像が合っていないとしました。また、殺害に用いられたスコップからは被告人の指紋や体組織片は発見されなかったことから、殺人に関する限り、被告人の関与は証明されていないと判じられました。

結局、被告人は、現に殺人が行われたのと近接した時間帯に現場に侵入し、物色行為もしていましたが、それとは異なる時刻において、別人によって殺人が行われた可能性があるということです。

森氏は述べます。
「この裁判員裁判の判断は、これまでの職業裁判官制度では、考えられない判決内容と言えるだろう。鹿児島の裁判員裁判は、まさに、これまでの治安維持の重しを突き破り、市民の新しい考え方を示したものと言える。」

元判事の森氏が、市民感覚=「疑わしきは罰せず」による無罪と、治安維持的考慮を対比していることは非常に重要な点だと私は読み解きました。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (146) 「イノセンス・プロジェクト」

(注2)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その3 「飯塚事件」

(注3)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その10 「和歌山毒物カレー事件」

(注4)
ここをクリック→ #検察なう (294) 「犯人血液型当てクイズ」

教養としての冤罪論

12/1/2014











ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: #検察なう 冤罪事件に関して

2014/12/01 Mon. 00:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『デビルズ・ノット』 アトム・エゴヤン監督 

フィルム・レビュー 『デビルズ・ノット』 アトム・エゴヤン監督

devils knot

映画『デビルズ・ノット』鑑賞。これはアメリカで有名な「ウェスト・メンフィス3事件」を扱ったもの。

「ウェスト・メンフィス3(ウェスト・メンフィス・スリー)」とは、1993年にアメリカ合衆国アーカンソー州ウェスト・メンフィスで起きた殺人事件について、3人の男児を殺害したとして有罪判決を受けた3人の少年の呼び名である。

実際の事件は、猟奇殺人と犯行の動機が悪魔崇拝の儀式であるとされたことから全米の注目を浴びた。また、地域の大衆がメディアの報道や普段からの偏見によって煽動されモラル・パニックを起こし、少年達を犯人に仕立て上げた冤罪ではなかったかとの批判も根強いもの。

私は、事件報道で違和感を感じることがある。それは、殺人事件で被告人が無罪となった場合に、遺族の怒りが往々にして間違った者を犯人にしようとした捜査当局ではなく、被告人を無罪とした裁判官に向けられることである。それはあたかも真犯人が誰であろうが、誰かに責任を押し付けることができればいいかのようである。

この映画での重要な登場人物である、殺された息子の母(リース・ウィザースプーン)はその逆。犯人とされた少年たちは有罪になるが、彼女の、判決に完全には納得せず、真実を求めようとする態度が印象的だった。

実際の事件を扱った映画ではあるが、冤罪であるというバイアスが強すぎる点が残念。その割には、なぜ冤罪と考えられるかという証拠の提示が少なすぎる。特に、真犯人と考えられている人物の動機の描写がほとんどないことが、もやもや感だけを残してしまった。

と、実際の裁判を経験した者だけに厳しい見方になってしまうが、一緒に観た息子は「結構、面白かったんじゃない」という(意外な)リアクションだったので、一般人が観れば十分に面白いのかもしれない。

ここをクリック→ 『デビルズ・ノット』予告編

(Facebook 11/23/14より転載)













ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/11/30 Sun. 00:35 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その11 「早稲田大学大学院法務研究科授業より 『嘆願書を集める』」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その11 「早稲田大学大学院法務研究科授業より 『嘆願書を集める』」

このシリーズ前2回のブログでは、調書について論じました。調書の重要性は強調して強調し過ぎることはありません。是非とも肝に銘じておいて下さい。

ここをクリック→ 『調書を問答形式で逐語的に作成させる』

ここをクリック→ 『調書の署名を拒否する』

今回のお題は「嘆願書」に関してです。プロフェッショナルの児島先生が興味を持った嘆願書とはどういうものであったのでしょうか。

嘆願書と言えば、情状酌量を依願するイメージがありますが、私は無実を訴えていたため、それは何かを嘆願するためのものではありませんでした。

主任弁護人の小松弁護士は、署名は「百害あって一利なし」という考えを持っていますが、彼のアイデアで、私の人となりを直接の知り合いに書いてもらったものが嘆願書です。

犯罪の契機は、結局のところ動機と人品によるところが大きいと思います。私が、将来のキャリアを棒に振るリスクを取ってまで、経済的利益を追求する人間なのかどうかを、私の知り合いが描く人物像から判断してもらおうというものが嘆願書を依願した目的です。

児島先生の「効果があったと思いますか」の質問には、簡単な答えではありませんでした。

嘆願書の宛先は東京地検特捜部だったため、その直接的な目的である不起訴は達成できませんでした。しかし、嘆願書はそれだけではなかったと思っています。

裁判官が、嘆願書の一部が掲載された私のブログを読んでいたかどうかは知るべくもありませんが、その可能性はあります(注)。

裁判という物理的制約の大きい状況で、真実が明らかにされるというのは楽観的過ぎると思われます。結局のところ、無罪らしさ、有罪らしさを裁判官が判定するのみです。そして微妙な裁きの最後の最後には、被告人の人間性が問われると考えます。

嘆願書が私の無罪判決に直接的に効果がなかったとしても、146通の嘆願書は私の心の支えでした。孤独と絶望でくじけそうになる時に、嘆願書を読み返すことで前向きになることができました。しかし、それを集める過程は決して楽なものではありませんでした。

私の刑事告発が報道された直後、友人の一人が、「これで八田さんに近い人はもっと近くなるし、そうでない人は離れていくよ」と言ったことが、図らずも嘆願書を集める過程で確認されることとなりました。

少なからずの人が嘆願書の依頼に応えてくれなかったことは残念なことですが、彼らにしても、踏まなくてもいい踏み絵を踏まされたようなものだと考えています。彼らも不当な捜査権力の行使の犠牲者です。

私を支援してくれた人が書いてくれた嘆願書を是非読んでみて下さい。

ここをクリック→ 嘆願書まとめ

冤罪と戦うあなたの参考にして頂ければ、彼らにとっても喜ばしいことだと思います。

(注)
ブログの存在を裁判官に知らせたのは検察でした。
ここをクリック→ #検察なう (433) 「『戦う弁護人』はいいのか Part2~我々のケース『戦う被告人』」
















ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 無罪を勝ち得るために

2014/11/27 Thu. 23:35 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (434) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(4)~冤罪ライン③ 「毒殺のアポリア」」 11/24/2014 

#検察なう (434) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(4)~冤罪ライン③ 「毒殺のアポリア」」 11/24/2014

一般に、毒殺事件は殺人事件の中でも、特に冤罪率が高いと言われています。「アポリア」(ギリシア語の「行き詰まり」「困惑」)は、哲学的難題または問題の中の一見解明できそうにない行き詰まりのことで、もっともらしいが実は矛盾している前提の結果として生じることが多いことを言います。

以下、(一部抜粋しつつ)引用します。

「一般的に毒殺事件に冤罪率が高いのは、それが特殊な証明論的構造を持っているからである。毒殺事件では、もともと、科学的には、事故と事件の区別はつけられない。

死体の司法解剖や薬学的理学的鑑定によって判明するのは、毒物を摂取したかどうか、それがどのような種類の毒物かということだけである。死亡が犯罪によるものかどうかは判別できない。その限りでは、科学的証拠も意味をなさない(なお、物理力の行使を伴う殺人の場合は、事故死か他殺か法医学鑑定で判明することも多い。たとえば、首吊り自殺かそれを装った絞殺かは法医学鑑定で判定し得る)。

次に、毒殺事件では、直接証拠が得にくい。それはなぜかと言えば、毒殺事件は、他の殺人事件と比べて、密かに秘密裏におこなわれるからである。陰に隠れて密かに毒を盛り、被害者が死亡した時には、もうその場から去っているというのが常である。そのため、犯行の直接的目撃者がいることはまずない。

物的痕跡も残りにくい。通常の殺人事件では、殺害のために物理力の行使や身体的接触を要するが、毒殺ではこれらなしで済ませることができる。それが毒殺の「利点」でもある。そのため、現場指紋や体組織DNAが残っていることも期待できない。つまりは、これらの最も重要な科学的証拠が得られない。

結局、状況証拠で判断するか、さもなくば、自白に頼ることになり、いずれにしても誤りを生みやすい。とくに後者の場合は、弊害が顕著である。」

この章で、森氏は、「状況証拠による立証」に関して、非常に重要な指摘をしています。それが「『中心証拠』及び『逆真証拠』の存在が必要とされる」というものです。

まず「中心証拠」に関して。

「状況証拠と言えば、決まり文句のように「状況証拠の積み重ねによる立証」などと言われる。どこか地道に懸命に努力したようなニュアンスの言い方であるが、その言説は、亡霊のような曖昧さと怖さを宿すアフォリズムでもある。

状況証拠は、もともと曖昧で弱い証拠であるから、いくつも積み重ねることが必要なのは、当然である。問題は、曖昧で弱い証拠の単なる寄せ集めで、いわば「塵も積もれば山となる」で有罪になるのかということである。実体があるかどうか定かでない亡霊のごとき曖昧な証拠にまとわりつかれて、いつしか有罪とされてしまうとすれば、そして、それで死刑にされることもあるとすれば、他人ごとでは済まされない。

積み重ねによる立証が出来たと言えるためには、まず核(中心)になる証拠がなければならない。この場合の積み重ねとは、単なる集積ではなく、中心証拠を起点にして他の状況証拠を有機的に積み重ね、全体立証を構成していくことを言う。

中心証拠がない事件は、所詮は、高度の冤罪性を免れない。だから状況証拠に関して重要なのは、「積み重ね」を可能にする中心証拠とは何なのか、それが明かされることである。」

状況証拠によっての立証を余儀なくされることが多い毒殺事件において、森氏が考える中心証拠の典型的なものとして、同一毒物の所持がその中心証拠となることが多いことを指摘しています。

「毒殺事件では、通常、用いられた毒物(と同じ成分のもの)を容疑者が所持していることが重要な物証になる。死体の司法解剖と薬学的理学的鑑定によって確定されたところと同じ毒物を所持しているかどうかである。もし、押収時に所持していない場合には、過去の入手歴を調べることになる。容疑者側の証拠隠滅工作によって押収できないことも考慮しなければならないが、最低限近い過去における入手の事実は確かめられることを要する。

毒物を所持していなければ、その者による犯行の現実的可能性が認められないのであるから、これは理屈上の当然のことである。

他方、毒物を所有している場合には、その毒物が特殊なものであればあるほど(水銀、鉛毒、ヒ素、青酸化合物、サリン・・・・)、犯人像との一致が明確になり、証拠としての重要性が増す。

結局、同一毒物の所持こそが、「状況証拠の積み重ね」を可能とする中心証拠となる。直接証拠や科学的証拠が期待できない毒殺事件の場合、それは必須条件と言ってもよい。」

同一毒物の所持という「中心証拠」が欠落した事件の例として、森氏は帝銀事件を挙げ、説明を加えています。

毒物の所持が確かめられたとしても、それが農薬や練炭などのありふれた物だったらどうでしょうか。その場合、森氏は、「逆真証拠」の存在が必要とされるとしています。

「名張毒ぶどう酒事件は、毒物の所有は一応確かめられていたが、対象物は農薬だった。木嶋裁判(婚活連続殺人事件)では、中毒死に用いられたとされたのは練炭だった。農家から農薬を押収し、あるいは一般家庭から練炭とコンロを押収して、「殺人の動かぬ物的証拠」と言うとすれば、それは半ば以上滑稽である。

厳密に言えば、中心証拠としての「毒物の所持」とは、容疑の範囲を「同種の毒物の所持者」という一定の人的集合に絞り込むものである。

ここではその集合の大きさが厳密にはわからないのだから(もしかしたら、それは巨大かもしれない)、逆方向の証拠が必要となる。つまり、「それ以外の者に犯行機会がない」(あるいは「その者が犯人でないとすれば説明がつかない」)ことが示される必要がある。

いわば「逆真」証拠(「逆もまた真なり」に関する証拠)が必要となる。

具体的な事件で見ていくとどうなるか。

前出の名張毒ぶどう酒事件では、毒物(農薬)の所持は、一応は確かめられていた。容疑者の元からは農薬自体は押収されなかったが、過去の近い時点において農薬を購入していた事実は明らかになっていた。しかし、他にも同一の農薬を所持していた人は地域農村には少なからずいたから、それだけでは極めて不十分だった。

そのため逆真証拠があるかどうかが問題になった。つまり、「他者に犯行動機がない」と言えるか、その証拠があるかどうかが検討されたが、無罪判決を言い渡した一審判決は、それを示す証拠はないとした(別の住人にも犯行の機会があったということ)。

他方、死刑判決を言い渡した二審は、関係者の証言から、問題のワインへの毒物混入機会は、被告人が公民館で一人になった約10分間のほかには考えがたいとした。他者の犯行機会は乏しいと判断したのである。

この事件については、これら以外にも、多々論点があった(歯で開けたとされるワインの瓶の王冠の歯型の鑑定結果、犯行時間の限定方法など)。また、再審段階では、そもそも、被告人が所持していた農薬とワインに混入された農薬がちがうのではないかとの懸念も出されている。ここで述べたのは、それらを捨象した、名張毒ぶどう酒事件の証明論的な基本構造である。」

教養としての冤罪論

11/24/2014













ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: #検察なう 冤罪事件に関して

2014/11/24 Mon. 00:21 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top