「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (552) 「シリーズ「刑事司法を考える」(全7巻)の第0巻『刑事司法への問い』刊行される~私も寄稿しています」 2/23/2017 

#検察なう (552) 「シリーズ「刑事司法を考える」(全7巻)の第0巻『刑事司法への問い』刊行される~私も寄稿しています」 2/23/2017

本日2月23日、岩波書店から、シリーズ「刑事司法を考える」の第0巻『刑事司法への問い』が刊行されました。

刑事司法への問い

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「変革期にある刑事司法に大胆にメスを入れる」と銘打って刊行される、全7巻の刑事司法専門書です。

その第0巻は「冤罪被害者や犯罪被害者、法律家以外の刑事司法に関わる人たちの多様な声を広く集めて収録」とされています。そして、私も寄稿しています。題して「「勝率ゼロへの挑戦」から得たこと」。

しかもトップバッター。全7巻のオープニングを飾れるのは光栄の至りです。

DSC04901.jpg

原稿の依頼が来たのは昨年6月末のことでした。一番読書量の多かった高校時代から岩波のファンだった私はかなり舞い上がりました。以下、寄稿依頼に私が送った返信です。

「ご連絡ありがとうございます。

高校時代の愛読書が岩波国語辞典(第四版)であった者としては、ご依頼は光栄の極みです。

「被告人席に座らせられて」の中の一人ということで、イメージはできました。刑事司法のスペシャリストのほとんどの方はいかに専門的知識はあっても、被告人席に座った当事者ではないということで、彼らとは違った視点が望ましいということだと理解しました。

私が無罪判決を得た後も、ツイッターやフェイスブックで刑事司法に関する情報発信に努めているのも、刑事司法に関心の低い一般の方々(つまり、かつての私のような人々)の啓蒙と、インサイダーの方々(現時点の刑事司法の在り方が「当たり前」になっている人々)への初心を呼び戻す契機になればよいと思ってのこだわりです。その意味では、本企画の趣旨に合うものと得心しております。

拙著『勝率ゼロへの挑戦』をお読み頂ければお分かりかと思いますが、自分の持ち味は軽妙です。それを今回は、若干『世界』の雰囲気にアジャストして書いてみようと思っています。

よろしくお願いします。」

第0巻のそのほか著名寄稿者には、江川紹子氏、郷原信郎氏、八木啓代氏、前田恒彦氏、周防正行氏、落合洋司氏、市川寛氏らの名前が並んでいます。

DSC04902.jpg

冒頭、「刊行にあたって」と題して、このシリーズ全体の趣意文が掲載されています。その一部を少々長くなりますが、引用させて頂きます。

「確実に、そして予想を上回る勢いで、日本の刑事司法は変わりつつある。その変化は専門家ですら全体像を掴むことに困難を覚えるほどであり、従来の姿を前提に議論していては将来の予測を誤りかねないだろう。

とりわけ、これまでは専門家によって独占されていた刑事司法の議論の場が、多様なアクターの声を取り入れた政治的アリーナへと変貌を遂げており、刑事司法の運用面も安定しているとは言い難く、現実の制度は絶えず法改正の動きを内包している。加えて、法制審議会における議事が明らかにしているように、改革に携わっている専門家達においてそもそも改革の筋道や改革すべき実務的課題が共有されておらず、改革を望む市民との対話はすれ違いに終わっていて、改革の処方箋すらこの国では用意されていないという現状がある。

これほどのダイナミクスと混乱は、戦後の刑事司法においてかつてなかったと言ってよい。その内容についても、これまで学界や法曹界で論じられながら実現を見なかったものから、当時はまったく予想もされなかったものまで多様な事柄を含んでいる。捜査段階から公判段階、刑事司法に関係する様々なステージに広がっていて、その広がり故に、今起きている変化について刑事司法全般にわたって功罪を論ずるにはたいへんな時間を要することになるだろう。けれども、だからと言って今の時点でわれわれがなすべき務めを放棄することはできないはずだ。必要なのは、多岐にわたる刑事司法をめぐる改革論議の表層をなぞることではなく、それぞれの根底にある制度的・思想的課題に思いを寄せ、従来のアプローチの限界を見極めると同時に、国際的な動向は言うに及ばず、あるべき法制度を見通し将来の設計図にまで触れるような力強い議論をおこなうことであろう。」

誰しも裁判員になって人を裁くことが可能性としてある以上、刑事司法に無関心でいていいはずがありません。刑事司法を正しい方向へ導く責任は国民全てにあると考えるべきです。そしてまず知ること。是非、お手に取ってお読みいただければ幸いです。

2/23/2017















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2017/02/23 Thu. 22:53 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (547) 「捜査権力の取調べ能力の高さが冤罪の一因」 7/25/2016 

#検察なう (547) 「捜査権力の取調べ能力の高さが冤罪の一因」 7/25/2016

郵便不正事件における自身の経験を語る、前田恒彦氏による有料記事の連載が続いています。題して『元特捜部主任検事の被疑者ノート』。連載24回目にして、特捜部取調べが開始しました。

ここをクリック→ 前田恒彦『元特捜部主任検事の被疑者ノート』「第24回 口が重い被疑者の取調べでは、どのような話題から切り出すのか」

前田氏は、取調べ導入の「基本中の基本」として「本人にとって比較的話しやすい話題を設定し、ゆっくりと、かつ、遮らずに自由に話をさせ」ると書いています。また身上申立書を書かせ、その「記載に基づき」「身上や経歴に関する話題を出し、少しずつ話しやすい雰囲気作りをしていく」としています。

これらは、「話を聞く側と話をする側との信頼関係」を「十分に構築」するために行われるものだとのことです。

これが、「基本中の基本」であれば、私の特捜部での取調べはかなり異質なものでした。取調べは全19回、延べ100時間以上に亘りましたが、その最初から最後まで世間話は一切なし。前田氏の記事で書かれている身上申立書を書くこともなく、第―回取調べの冒頭から、いきなり事件の核心を問い質す取調べが開始されました。

それは、リングに上がった私にガードの余裕を与えず、かろうじて上げるガードの上から、ガードお構いなしにパンチを次から次へと叩きこんでくるという印象でした。初日の取調べを終えて、主任弁護人の小松正和弁護士の事務所でミーティングをしましたが、後日、「あれほど疲れた八田さんを見たのは初めてでした」と言われたほどでした。

ここをクリック→ 経過報告 (37) 「検察取調べ第一回」

前田氏の記事を「#検察なう」フェイスブック・コミュニティに紹介し、自分の取調べの状況を「叩き割り」とコメントをしたところ、前田氏からフェイスブック・コミュニティにコメントを頂きました。

「だからこそ対決姿勢になり、担当検事も取調べや調書の体裁に関するイニシアチブを八田さんに握られ、最後まで自白調書的な書面にサインさせられなかった、とも評価できます。

ただ、八田さんの著書を読む限り、あの担当検事の取調べは「理詰め」であり、「叩き割り」ではありません。特捜部の行う本当の「叩き割り」は、リクルートの江副さんの著書に出てくるとおり、もっと壮絶です。

なお、もし厚労省事件がなく、八田さんが定石通り東拘に放り込まれていたら、むしろ取調べの担当官は被疑者を抱きしめるタイプの検事に変えられ、弁護人を巻き込んだ形で相当の説得工作が行われていたことでしょう。やはり最後まで「あきらめない」という姿勢が重要ですね。」

ここをクリック→ 「#検察なう」フェイスブック・コミュニティ 前田氏コメント

前田氏が言及した、リクルートの江副浩正氏が体験した特捜部の取調べは、伝説的なものです。

事件とは直接関係のない江副氏の女性問題を執拗に問い質し、人格を否定し精神的に屈辱を与えて追い込み、続けて肉体的にも 苦痛を与えるものであったとされます。

至近距離で壁に向かって立たされ、「近づけ!近づけ!」と命令された。鼻が壁に着く寸前まで近づけさせられ、耳元で鼓膜が破れるかと思うほどの大声で「バカ野郎!」と怒鳴られた、と言われています。

「叩き割り」とはさほどまで壮絶なものかもしれません。しかし、「理詰め」にせよ「叩き割り」にせよ、取調べをする側に圧倒的に有利な状況下で作成される調書が裁判においては、最重要な証拠とされていることが、冤罪が産み出される一つの要因だと感じます。

捜査権力の高い取調べ能力、それは即ち優れた調書作成能力のことですが、それが冤罪の要因となり得ることを理解し、対策を講じることが必要です。

7/25/2016

















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2016/07/25 Mon. 04:55 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (544) 「取調べ可視化の再々々・・考 ~何のための取調べ可視化なのか」 6/27/2016 

#検察なう (544) 「取調べ可視化の再々々・・考 ~何のための取調べ可視化なのか」 6/27/2016

取調べの可視化に関しては、これまで何度も書いてきているのですが、今一度ご一緒に考えて頂ければと思います。

まず、取調べ可視化の目的は何かと問われれば、多くの方が「適正な取調べを担保するため」と答えると思います。

「自白を取れば一丁上がり」という在り方そのものを変えない以上(自白の証拠力の減殺や客観証拠重視の取調べ手法に限定)、根本的な解決にはならないと感じますが、対症療法的に取調べの可視化にも一定の効果は期待できると考えられています。

それでは、「録画の際、カメラはどのように設置され何を映すべき?」という問いにはどのように答えるでしょうか。私も自問自答するまで、どのような画像が収録されるべきかを明確に意識することはありませんでした。

それを意識したのは、「#検察なう フェイスブック・コミュニティ」の管理人の一人にも参画して頂いている市川寛氏の「被疑者取調可視化の再考」と題するブログがきっかけでした。

ここをクリック→ 市川寛氏ブログ「被疑者取調可視化の再考」

「現在行われており、そして今後も行われるであろう取調の録音・録画では、取り調べる側と被疑者の両方が撮影されている。これは当然なのだろうか。」

「ひどい取調かどうかを後にチェックするために、被疑者の様子を記録する必要はないと思っている。なぜなら取調は取り調べる側の「質問」から始まるもので、その質問が違法・不当であれば、これに対して被疑者が何を言ったかを考慮する必要はない。」

取調べ可視化の本来の目的を考えれば、必ずしも被疑者の供述の様子を録音・録画する必要はないということは、それまで想像もしていなかったことであり、至極尤もだと思われます。

市川氏の意識の中には、今市市で起こった栃木小1女児殺害事件があったと想像します。その事件の裁判員裁判では、取調べの録画が証拠とされましたが、それは勝又被告が自白に転じたまさにその時の様子を録画したものではなく(最初の自白は別件逮捕の警察の取調べでなされたため録画されておらず)、しかも検察取調べの約80時間の録画のうち7時間が検察により編集されたものでした。

勝又被告の供述の様子を映し出した取調べの録画がなければ、判決は難しかったと裁判員自ら認めていることが判決後に報道されています。このように被疑者供述の様子の録画が実質証拠として使われることは、その録画の内容にかかわらず本来おかしいということが理解できます。

取調べの録音・録画を被告人の有罪立証の実質証拠として使うことは、本来の取調べ可視化の精神にもとるものであり、謙抑的であるべきだということです。我々が裁判員になった場合には、それは肝に銘ずる必要があると思います。

先般の刑事訴訟法一部改正では、法務・検察官僚の肉を切らせて骨を断つかのような戦略が功を奏しましたが(おこぼれ程度の取調べ可視化とバーターに、捜査権力は密告型司法取引と盗聴法拡大をゲット)、これでは肉どころか皮すら切っていないとも言えるものです。狡知にたけるという点では、さすが検察。他の法曹関係者、識者の一枚も二枚も上を行っていると感じさせます。

6/27/2016

















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2016/06/27 Mon. 08:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (543) 「「査察の概要」に見る無謬性への拘泥」 6/20/2016 

#検察なう (543) 「「査察の概要」に見る無謬性への拘泥」 6/20/2016

先日、札幌のインターネット新聞『北洋新聞』の記事に、私のコメントが掲載されました。タイトルは「有罪率100%復活 国税査察が変質 小粒案件重視へ」。

記事はこちらです。
ここをクリック→ 『北洋新聞』 6.6.2016

元ネタになっている「査察の概要」とは、国税庁が毎年公表しているもので、前年度の国税局査察部の査察調査についての報告です。

今月公表された平成27年度「査察の概要」はこちらです。
ここをクリック→ 平成27年度「査察の概要」

注目すべきは、この「査察の概要」p.6の「査察事件の一審判決の状況」です。平成27年度には133件の査察事案(国税局査察部が脱税事件として告発し、地検特捜部が起訴、公判の判決が下されたもの)の判決は全て有罪になったことが高らかに謳われています。

国税局査察部は、昭和23年7月に発足しましたが、平成24年度の私の一審無罪判決(2013年3月1日)まで、実に65年間、査察事案で一度も無罪判決が下されることはありませんでした。

それが私の無罪判決以降、平成25年度、平成26年度と立て続けに無罪判決が下されたことがこの「査察の概要」から読み取ることができます。

しかし、平成25年度の「史上2番目の無罪判決」は、検察控訴により、今年2月に地裁差し戻しになっています(地裁レベルでの公判のやり直しを高裁が判断したということ)。

この異常なまでに高い有罪率(これは刑事事件一般に見られることですが、査察事案に関しては特に顕著)は、日本の捜査機関の優秀さを証明するものとして、彼らは誇示していますが、私は当事者として、彼らが自分たちの「無謬神話」に拘泥し続けることに大きな危機感を覚えます。

それは二つの点においてです。

彼らが訴追する基準としては、勿論「違法性」が重要な物差しになることは言うまでもありません。しかし、全てを犯罪行為として処罰することは必ずしも正しいとは言えません。もう一つの基準として「悪質性」が重要です。そして実際に検察は、「起訴便宜主義」の名の下に、公訴を提起するか否かに広い裁量権を持ち、犯罪行為が認められても、公訴しない「起訴猶予」処分を下すことが許されています。

それが先ほど述べたように、「悪質性」(被疑者の性格や年齢、犯罪の軽重や情状を考慮)が物差しである以上は、起訴便宜主義もメリットがあると考えられます(注1)。しかし、彼らが高い有罪率を維持することを彼らの金科玉条とする限り、「確実に有罪にできなければ公訴しない」という、いわゆる「逆冤罪」のような状況が生じえます。彼らの事情で、正義がねじ曲げられる状況は、公訴権濫用と言える深刻な問題です。

また、私の公判でも見られたことですが、一旦、公訴した上は、何が何でも有罪にすることが彼らの至上使命になります。彼らは立件を「テイクオフ」と呼んでいますが、それはまさに飛行機がテイクオフ(離陸)したら、何が起ころうと引き返すことは許されず、乗客の安全などクソ食らえで着陸地にただひたすら飛び続ける状況に似ています。

そして彼らが誤っていたと判断された(それが無罪判決です)としても、自分たちの非を認めることなく、あくまで裁判所の判断が間違っているという態度を取り続けます。「反省なきところに更生なし」とは彼らの決まり文句ですが、彼ら捜査権力が一番反省していないというのは皮肉なものです。

私の控訴審に関して、最高裁の判例があっても「それは裁判所の判断の尺度であって、我々検察の判断の尺度ではない」という暴論を吐いている私の国賠審の状況(注2)を見ても、彼らが「無謬性の神話」に拘泥する状況は非常に危険なものです。

彼ら捜査権力が、高い有罪率の維持などという誤ったインセンティブに基づき業務遂行を行っていることの是正は、彼らの意識を変える以外にはありません。そして、それは一朝一夕にできるものではありません。その前にまず、我々国民が正しい認識を持って、彼らを監視することが必要だと思われます。

(注1)
起訴便宜主義のメリット
被疑者が刑事手続きから早期に解放され、公訴的によって受ける可能性のあるダメージを受けずに済むことで社会復帰への障害を最小化するということが考えられます。また刑事司法の効率化、資本の有効利用といったメリットも大きいと思われます。
`
(注2)
ここをクリック→ #検察なう (534) 「私の国賠審は、国民全体の利益のためにあると考えています」

6/20/2016













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2016/06/20 Mon. 04:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (541) 「冤罪が確実に増える刑訴法改正をどう捉えるか Part2~前田恒彦氏による論説」 6/6/2016 

#検察なう (541) 「冤罪が確実に増える刑訴法改正をどう捉えるか Part2~前田恒彦氏による論説」 6/6/2016

前回のブログでは、今までフォローしてきた刑事司法制度改革について私なりに総括し、方向性を示させて頂きました。

ここをクリック→ #検察なう (540) 「冤罪が確実に増える刑訴法改正をどう捉えるか」

先週、この問題に関して語らせれば間違いなく適任者の一人であり、私も講演でご一緒させて頂いた(注1)前田恒彦氏の論説が掲載されました。彼が適任であることについては、それもそのはず、彼こそが全ての出発点の中心にいた人物であり、インサイダーの論理で語れるからです。

その中で、私が個人的に注目したい一文は、

「特に裁判所の意識が変わることが重要だ。」

そこに、不完全な(即ち訴追側に圧倒的有利な)刑事司法制度の下で、特捜部にとってみればあり得ないはずの私の無罪判決が生まれた鍵があるからです。(注2)

そして締めがいい。引用させて頂きます。

「刑事司法制度の「あるべき姿」とは何か―

証拠開示や取調べの可視化、司法取引など、あくまで方法論にしかすぎない。

制度改革にあたっては、各制度のメリットやデメリットを踏まえ、わが国におけるこれからの刑事司法制度の「あるべき姿」まで見据えた議論を行う必要がある。

結局のところ、その方向性を決めるのは、熱心に活動する一部の法曹関係者や学者、ジャーナリストではなく、読者を含めた国民一人ひとりにほかならない。

刑事司法制度は、地味だが国民の生活に重大な影響を与えるものだし、何よりも国民のためにあるものだから。」

全くもってその通りだと思います。皆さんも同じ気持ちを共有して頂ければ幸いです。

是非ともリンクの論説を熟読下さい。これまでも少なからずの識者の方々が指摘してきた点に関し、彼の経験に基づいて議論を深め、過不足なく丹念にまとめています。

ここをクリック→ 前田恒彦氏「中途半端な形で終わった刑事司法制度改革議論の発端となった張本人として思うこと」

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (460) 「愛知弁護士会主催「3・7取調べの可視化市民集会」講演全文」

(注2)
この点に関しては、何度もブログに書いてきました。その一つを是非お読み下さい。
ここをクリック→ #検察なう (279) 「時代が判決を導き、判決が実務を変える」

6/6/2016













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2016/06/06 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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