「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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経過報告 (69) 「本日、検察により起訴されました」  12/08/2011 

経過報告 (69) 「本日、検察により起訴されました」 12/08/2011

ニュースで既に報道されていますので、ご存知の方も多いとは思いますが、本日、検察により起訴されました。

先週末以降、覚悟はしていましたが、やはり残念です。一番、残念なのは、なぜ検察が検察改革の成果を示すこの好機を生かせなかったのかということです。我々が検察批判をすることは簡単です。しかし、それは自分で自分の首を絞めることだと思います。彼らが正しくなければ、我々国民の全てが不幸になるからです。

私の事件は、郵便不正事件という検察組織史上最大のスキャンダル以前に告発され、以後に取調べが行われています。告発の段階で検察が全て了承済みであるのは周知の事実ですが、それは検察改革を推進する以前の「制度疲労した検察」であり、今この時は検察官記章の表象するところの「検察たる検察」となろうとしていると期待していました。検察の理念でも「あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは、事案の真相に見合った、国民の良識にかなう、相応の処分、相応の科刑の実現である。」と謳っています。それを自ら否定するかのような私の起訴は、本当に残念としかいいようがありません。

「証拠があれば起訴をする。証拠がなければ起訴をしない」と検察は明言していますが、それは正しいことなのでしょうか。いかにも「法と証拠に基づく」客観的な判断であるかのように聞こえますが、私は、それは間違っていると思います。検察は、その強大な権力と優秀な能力をもってして、真実に一番近い存在です。私の事件に関しても、私本人が認めるのは、私よりも事件のことを理解しています。つまり彼らは私の無実を誰よりも深く理解しています。その彼らが、「テクニカルに起訴できるから起訴をする」といった、起訴をするのが我々の仕事といった姿勢は、日本の司法制度の崩壊を招くものだと思います。検察は、真実を追求し、断罪すべき行為があったかどうかを斟酌すべきです。彼らはそれができます。それは取調べを受けた私は真に実感しています。その強大な権力と優秀な能力が誤った方向に使われていることが残念でなりません。

日本人は勤勉であり、優秀な民族だと、海外の経験を通して感じています。しかし、その能力が活用されていないのは悲しいことです。つまらん面子や体面にこだわっている場合ではないだろ、と思うことが頻繁にあります。今回の一件はその最たるものではないかと思います。私は、「などてすめらぎは人となりたまいし」と唱える程の国粋主義者でもなければ、日本という国家に幻想は抱いていませんが、彼が割腹自殺を遂げた当時よりさらに有識者は憂国論を論ずるタイミングなのかもしれません。少なくとも検察という法治国家の基幹組織が変わるチャンスは最初で最後だと思います。

今日は、3時過ぎに検察から連絡を受けた弁護士から電話をもらい、起訴されたことを知りました。思ったほど動揺はありませんでした。その後、実家に電話し、電話に出たお袋に「起訴されたよ。報道されるだろうから、驚かないで」と伝えました。

お袋「そうなん。ほんでいつ入らないかんがや」 私「入らんでいいわいや」 お袋 「ほうなんか。なんやほやったら一安心やな。よかった。あんまり喜んで浮かれんように」 私「............」。

その電話の時には外出していた親父から後ほど電話があり、親父「おー、聞いたわ。しゃーないんかな。在宅にはならんもんなんかな」 私「何ゆうとれんて。在宅やて」 親父「ほんなんか。そりゃよかったな。裁判っちゅうことになったら忙しいやろうけど、こっちにも顔出してくれな」。全く和ませてくれる二人です。よほど逮捕が怖かったんでしょう。人質司法というのは本当に卑劣な行為だと改めて感じました。

今回は、国税局の告発から100%起訴という常識は崩せませんでしたが、否認すれば逮捕という常識を崩したことは自分なりに喜んでいます。そして残るは、裁判所は検察特捜部の起訴は全て丸飲みし有罪という常識に挑戦です。

私は海外給与に関して、「海外だから払わなくていいであるとか、株式だから払わなくていいとは思ってはいませんでした。その納税義務は当然あると思っていたし、自分では払っていたつもりでした。なぜそう思ったかというのは給与天引きだと思っていたからです」と言った時、私を知らない人は「本当にそうなのか。嘘をついているんではないか」と思うことは十分にあると思います。だからこそ、私は自らの身の潔白を証明すべく、検察にポリグラフテストを要求しています。それを「機械がないから」という全く情けない理由で拒絶することはどのように考えればいいのでしょうか。警察には必ずポリグラフ測定器はあり、検察が警察の装備を利用できないわけはないはずです。それだけをもってしても、検察は私の無実を知りながら、体面、しかもそれは検察のそれではなく、国税局の体面を保つために起訴したことは明らかだと思います。

9日金曜日10時に、霞が関の検察庁本庁に出向き、事務官の取計らいで起訴状を受け取ることになっています。

公判はまだまだ先で、さらに長時間かかることだと思いますが、突っ込みどころ満載の起訴を標的に、かなり面白い戦いができるのではないかと思っています。諦めの悪さは昔から変わっていません。しぶとく粘っていこうと思っています。皆さまには長期間に亘り援助して頂き、本当に感謝しています。また応援メッセージもとても勇気づけられます。返信しようとすると、かなりヘビーな気持ちになってしまい、なかなか個別に返事できずに申し訳ありませんが、それに懲りずまたメッセージをお願いします。今後ともよろしくお願いします。

12/08/2011


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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/07 Wed. 08:06 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (68) 「検察取調べ第十九回 (最終回)」 12/06/2011 

経過報告 (68) 「検察取調べ第十九回 (最終回)」 12/06/2011

相場の予想や勝負事で予想が当たることはうれしいのですが、今回の予想的中は残念な結果です。

どうやらやはり起訴ということになりそうです。今日は午前10時からの呼び出しでしたが、ものの10分もしないうちに終了。起訴状の送付先の確認だけで終わりました。昨日、人定質問がされたとお伝えしましたが、その際、日本での住居が鎌倉が主たるものであるものの(住所地はカナダバンクーバー)、郵便物が全て金沢の実家に転送されるため、受け取りが困難であると判断されたようです。そして、今日は「この時点では仮にですが、起訴状が発送される場合、受け取りを裁判所留めにして取りに行くことはできますか」「はい、できます」で終わりでした。ただその確認のために呼び出されたものです。そして、「これで取調べは全て終了です。これから先に関しては、弁護士の方に連絡が上の者から行くと思います」とのことでした。

起訴の論拠としては以前にご説明したストックオプション行使の指示書に関してだと思います。

ここをクリック→経過報告 (62) 「検察取調べ第十七回 ストック・オプション行使指示書」

私が身の潔白を証明しようと要求したポリグラフテストは、「機械がない」という全くナンセンスな理由で行われない模様です。最近の冤罪と思われる重大事件の再審請求での証拠開示請求に「必要なし」と切って捨てるのと同じ論理なのでしょう。これに関しては不当であると主張するつもりです。

昨日もわずか1時間半で終了したにもかかわらず、なぜ今日その確認のためだけに呼び出されなければならなかったのかと私の問いに、検事の答えは「手続き上必要だったからです」とのことでした。私はその意味を解さなかったのですが、弁護士の理解では、昨日逮捕令状を用意する必要があったのだろう、とのことでした。そして、今日私が起訴状の日本国内での受け取りを忌避するようなことがあれば(彼らは海外への送付や、弁護士といった代理人への送付はしないとのことです)、その場で逮捕ということだったのだと思います。広義の「逃亡の懼れあり」という人質司法の発現です。これに関しては、全く予期していませんでしたが、逮捕除けのお守りとして毎回持参していたお袋の座布団の効果があったのだと思っています。

まだこの段階では、「起訴する」と明言されているわけではありませんが、不起訴であれば起訴状の送付先の確認の必要があるわけもなく、起訴と考えるのが順当でしょう。非常に残念ですが。

言葉にすると軽く聞こえるかもしれませんが、本当にがっかりしています(「それくらい分かるよ」だったら申し訳ありません)。がっかりしている理由の一つは、私は本当に検察が正しくなければ日本の司法は機能しないと思っているからです。そしてそれがあっさりと否定されたということによります。正直「やっぱりそうなのか」という気持ちの反面、「検察改革が謳われる中、変わったと思ったのに」と期待を裏切られたということが大きいと言えます。彼らは本当に優秀です。そしてその優秀な組織が、強大な権力を持っているがゆえに、誤った目的意識を持った時程我々にとって恐ろしいことはありません。

またそれと同じくらいがっかりしているのは、私ですら冤罪のシステムの歯止めになることができなかったということです。検察の引く勇気を喚起する努力はしてきたつもりですが、力及ばずといったところです。捨て石になる覚悟はありましたが、それでももう少し結果を出したかった。諦めずに努力すれば冤罪を防ぐことができるということが言えなくなったというのは誠に残念です。国家権力には、どんな真実も捻じ曲げられてしまうという前例を一つ増やしてしまっただけということには忸怩たる思いです。

ここまで時間がかかったというのは、やはり検察にも無辜の人間を無実の罪に陥れていいのかという逡巡があったのだと思います。そしてそれは皆さまの嘆願書が大きな力になっていると思います。それを生かし切れなかったことは本当に申し訳ありません。

郵便不正事件では、担当検事やその上司の元特捜部長・副部長の「とかげのしっぽ切り」による事件の矮小化で検察組織の保身が図られていますが、実際起こっていることはむしろ逆なのだと思います。今回事件を担当した担当検事や事務官、あるいはその上司の主任検事も、組織の論理の犠牲になったのだと思っています。良心を殺して生きていくのは辛いことです。少なくとも私は、良心に従って生きていくことができ幸せだと思っています。もし最終的に犯罪者のレッテルを貼られても顔を上げて歩いて行きます。

この後公判となり、かなり厳しい戦いですが、勿論チャンスはあります。最終的な決着が付くのはあと2年くらいなものでしょうか。今後も伴走お願いします。

12/06/2011



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2011/12/06 Tue. 07:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (67) 「検察取調べ第十八回 起訴を覚悟」 12/05/2011 

経過報告 (67) 「検察取調べ第十八回 起訴を覚悟」 12/05/2011

先週起訴を覚悟した理由には、自分の取調べが今日あることを知らされたことのほかに、依然関係者の取調べが続けられていることを知ったこともあります。伝え聞いたところでは、先週金曜に私の確定申告を担当した会計・税理士の先生が再々再度取調べを受けています。さすがに私のショックは大きく、この週末は気持ちの立て直しに努めました。結局、検察に正義があると期待した自分が甘かった、と自戒することで回復することができました。

今日の取調べは午後1時半からでしたが、久しぶりということもあり、報道陣総出の状況でした。国税局・検察によるこの3年の取調べの間に知り合いになった顔なじみの記者の顔も多く、彼らの顔を見ると一段とテンションが上がりました。検察の取調べが開始した9月にTVでインタビューが報道された際、「顔がこわい」と見ていた友人に指摘されたこともあり、なるべく戦闘モードを表情に出さないように気をつけていますが、今日は気落ちからのリカバリーで気合が乗っていたので、少し顔がこわかったかもしれません。

取調べの冒頭、起訴をするであろう検察に言いたいことは言っておこうと、用意していたコメントを調書の冒頭に記録してもらいました。以下がその文章です(記憶していたため、ほぼこの文章通り、検面調書化しています)。

「9月の取り調べ開始の際に、取り調べ完了の時点に関し、XX検事は『10月に入るくらいは覚悟して下さい』と言われました。そして既に暦は12月に入っています。これは、卓越した特捜部の捜査力をもってしても、無実の事実から有罪の証拠を造り出すことは困難な証しだと思っています。

私はこの3年と1ヶ月の間、逃げ隠れすることなく、包み隠すことなく、国税局査察部、検察特捜部の捜査に協力してまいりました。私は、これまでの捜査で十分に私の無実は実証可能だと信じています。私は、捜査の協力をお約束した以上、最後まで誠意をもって協力させていただくつもりですが、合理的な疑いを入れるに足る十二分な間接証拠が山積しているにも関わらず、依然起訴の可能性を求めて些末な事実を拾い集める取り調べは、検察の理念にもとるものと危惧しています。検察の仕事は、被疑者を起訴することではありません。

刑事事件の異常に高い有罪率を鑑みるに、日本の司法制度においては、検察の取り調べそのものが第一審の白州であり、そこで公正な判断がなされなければ、それは日本の司法制度の根底を揺るがすものです。検事一人一人におかれましては、法曹の道に就かれた初心を忘ることなく、秋霜烈日の気概をもって事に当たってほしいと、国民の一人として切に願うものです。

最後に、客観証拠がない中で推定有罪を主張されることを避けるため、ポリグラフテストを要求します」

このコメントに対して、検事のリアクションが余りにもなさ過ぎたため、「もうこの事案は担当検事の手を離れて、方針は決まったな」と感じました。そしてその後の取調べも、肝心の株式取得時の故意の認定とは程遠い間接事実の確認がされ、更になんとこのタイミングで人定質問(本来は取調べの一番最初にされるものですが、私のケースでは、異例なことに第一回目の取調べから、直ちに調書作成の取調べが行われました)です。人定質問とは、「住所・本籍地は」から始まり「勲章を受けたことはありますか」とか「公務員になったことはありますか」というものもあります。

完全に肩透かしの状態で今日の取調べは3時に終了。しかし明日も取調べが継続です。朝10時からです。

ポリグラフテストを検察が受けてくれるかどうかは分かりませんが、ここまできたらやってみたい気がします。ビビりなので、機械を騙せる気は全くありませんが、今回は騙す必要がないので、やってくれるのであれば結構楽しめそうです。弁護士は研修で受けたらしく、「結構正確なもんです」と言っていましたが、一般人ではなかなかポリグラフを受けることはないので、話のタネにも是非やってほしいものです。

今日の相手方のジャブは顔をなでた程度でしたが、明日腰を入れたパンチを放ってくるであろうとガードはがっちり固めて臨みます。

P.S.
以前お伝えした、福井女子中学生殺人事件で、高裁の再審決定に対し、本日検察が異議申立をしました。全く検察というところは判断能力を喪失しているかのように、自分の誤りを認めようとしないということがまた繰り返されています。世の中に絶対正しいということはありませんが、正しくいようとすることはできます。そしてそれは自らの誤りを認めそれを修正することによって可能です。自らの誤りを認めようとしない検察が正しくあることは絶対にありえません。優秀な彼らがなぜそのことに気が付かないのか、あるいは気が付いていてもどうしようもないくらい組織が硬直化しているのか。検察がこのような状態であることは、国民全てにとって悲劇です。検察改革が進むよう、監視し、警告し続ける必要があります。

12/05/2011




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2011/12/05 Mon. 06:12 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (66) 「取調べ前日の心境」 12/4/2011 

経過報告 (66) 「取調べ前日の心境」 12/4/2011

明日は再度取調べです。

多くの人から励ましのメッセージを頂き、本当にうれしく思います。本来であれば一通一通に個別にお返事をするべきなのでしょうが、あまりにヘビーな心境で、経過報告で失礼させて頂きます。個別にメッセージを頂くのはとてもうれしいので、それに応えたいという気持ちはあるのですが、なかなか返事をすることができません。本当に申し訳ありません。

前回の経過報告で「冷静に判断」というのはこういうことです。

検察という組織は、ある特定の行動に関しては異常なほど意固地になります。それは「自らの誤りを正す」ということに関してです。福井女子中学生殺人事件で、再審開始決定が高裁でなされたことに、検察は異議申立をしようとしています。東電OL殺人事件では、検察はこの期に及んで、必要であるかどうかは彼らが判断することではないにも関わらず、情報の開示を「必要なし」と拒否しています。それらに共通する行動原理は、自らの誤りを正す気は更々ないということです。

私の事案で、国税局が告発をする際には、当然検察に告発をすれば起訴するかどうかの伺いを立てています。即ち、検察が起訴をするということが前提としてあるからこそ、国税局は告発したわけです。

また週刊現代の記事に書かれたように、検察は「証拠があれば起訴をするし、証拠がなければ起訴をしない」と言っています。いかにも公正な判断をするというように聞こえますが、その意味するところは、「事の真実は問題ではなく、起訴ができるものは何が何でも起訴する。どうやり繰りしても起訴できないものだけが、仕方なく不起訴にする」ということです。私の担当検事は、「うちの会社はそんなケチな会社じゃない」(検事は検察のことを「会社」と呼びます)と大見得を切りましたが、それはあくまで彼個人の希望的観測であり、国税局が「告発してナンボ」であったように、組織としては検察も「起訴してナンボ」というケチな組織であるというのが私の見切りです。

状況は、郵便不正事件を境に変わりました。しかし変わったのは、検察に対する外部の見方であり、結局、彼らは検察改革の掛け声も虚しく、何も変わっていないというのが現状だと思います。

状況をそのように理解すれば、私の起訴は、結局のところ当初の既定路線通りされるであろうということが予想されます。

今、大谷昭宏氏著の「冤罪の恐怖 人生を狂わせる『でっちあげ』のカラクリ」という本を読んでいますが、その一節に以下のように書かれています。

「私は取材でたくさんの検事に会ってきたが、彼らに共通して見られる特徴は、よく言えば正義感の強さであり、悪く言えば独善的である。

(中略)検事は初めから法律家として育成される。彼らが重んじるのは、あくまで『法と証拠』であり、もちろんそれは大切なことだが、仕事を通じて『街場の論理』にふれることはあまりない。そのため、正義感が肥大しがちで、ややもすれば、自分だけが正しいという独善に陥りやすい」

全くその通りだと思います。

日本の司法制度において、検察は強大な権力を与えられています。検察が正しければそれは非常にうまく機能します。しかし権力というのはチェックアンドバランスの構造を失った時から腐敗します。人間の性(さが)です。そして検察はここで大きな反省の機会を与えられ、検察の理念を標榜しながら、それが組織全体として骨身にしみるところまで至ってないというものが現状だと思います。

私が起訴を覚悟したからといって諦めたというように思うのは間違いです。公判で「完膚なきまで」(これは「ショージとタカオ」で杉山卓男氏が使った言葉です。この映画は本当にお勧めです。映画好きの私が言うのですから間違いありません)検察を叩きのめす所存です。

また明日の取調べの後、報告させて頂きます。ありがとうございます。

12/04/2011




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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/04 Sun. 06:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (65) 「取調べ再開の悪夢」 12/02/2011 

経過報告 (65) 「取調べ再開の悪夢」 12/02/2011

信じられないことにまた取調べです。来週月曜1時半、特捜部五反田分室です。

この異常な執念は、日本の歪んだ組織構造の怨念のようなものなのでしょうか。

論点は実にシンプルです。「わざとやったかどうか」の1点だけです。それだけのことに、もう3年と1ヶ月が費やされています。

以前から述べているように、検察特捜部の捜査能力には目を見はるものがあります。彼らは、確実に私以上に事件を理解しています。そして私の無実が真実である以上、彼らはそのことを理解しています。その上で、依然起訴に向けて更なる取調べを続けようとしています。

国税局査察部、検察特捜部をもってしても、3年以上の時間がかかるというのは、虚偽の事実をもっともらしいものにすることがいかに困難かということを示しています。私が実際に脱税をしていたというのであれば、彼らの捜査を通して、もっと早くに決着が当然付いていたことでしょう。

先程、弁護士から電話をもらうまで、正直なところ「特捜部もさすがにもう納得して諦めたであろう」と思っていました。不起訴だと信じていました。しかし、状況を冷静に判断すると、起訴の可能性が高いと思っています。

明らかに冤罪だと思われる事件において、これまでも検察・裁判所によって幾度となく人権が踏みにじられてきた事実を知りました。そしてそれが自分の身にも振りかかろうとしているのだと思います。

社会的に意義が高いとも思われない、個人の脱税事件にこれだけの時間と人員と税金を投入することからうかがい知れるのは、よほど国税局は検察が起訴をしてくれないと困るのでしょう。その政治的な圧力ゆえに、本来ありえない、あってはならない起訴があるのではと思います。

非常に残念ですが、現実とはいつも厳しいものなのでしょう。

それでもこの試練には耐えて乗り越えなければいけないと思っています。

いつも応援ありがとうございます。また連絡します。

12/02/2011


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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/01 Thu. 21:10 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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