「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (340) 「私の弁護団が控訴答弁書の補充書を提出しました」 10/24/2013 

#検察なう (340) 「私の弁護団が控訴答弁書の補充書を提出しました」 10/24/2013

(強制捜査から1773日、控訴審初公判まで22日)

7月に検察により裁判所に控訴趣意書が提出されました(注1)。私の弁護団は9月に控訴答弁書を裁判所に提出しています(注2)。そして先週、弁護団は答弁書の補充書を追加提出しました。

9月提出の控訴答弁書は、法律論を骨子とした骨太な主張でした。「引っ掛け」や「詭弁」に溢れた控訴趣意書の土俵ではなく、品格を持って控訴趣意書を高みから一刀両断唐竹割りするものです。

これに対して先週提出された補充書は趣意書の「引っ掛け」や「詭弁」をピックアップして論破するNG集です。映画のNG集なら笑えるのですが、公権力が姑息な論法で人権を蹂躙し、役所のメンツを保とうとするのですから全く洒落になりません。

控訴答弁書がアウトボクシングを非常に高いレベルで行う王者のホセ・メンドーサ戦法なら、補充書はドッグファイトも望むところと華麗に相手を叩き潰すカーロス・リベラ戦法と言えます。さすが私が信頼する弁護団です(対する被告人の私は、野生の勘だけが頼りの常にノーガードの矢吹丈戦法です)。

補充書冒頭では、その趣旨を以下のように宣言しています。

「一般に検察官の控訴趣意書には、原審記録を精査しないとわからない「引っ掛け」や「詭弁」があるとの指摘がされているが、本件控訴趣意書にもそのような記述が多々含まれている。そこで、以下、簡単にその説明を行い、答弁書を補充する。」

補充書が指摘する「引っ掛け」「詭弁」は計9点ですが、そのうちのいくつかをここで論じてみたいと思います。

「引っ掛け」の典型的なパターンは、「重要事実をあえて摘示せずに論証する」ものです。

私にとっての確定申告は、会社任せ、税理士任せで、会社からもらった源泉徴収票を税理士に渡せば給与関連確定申告は完了というものでした。

給与の一部である株式報酬の申告を私が故意にしなかったと主張したい検察としては、私の確定申告の知識・経験が豊富であり、当然「気付いたであろう」「知っていたであろう」と主張するものです。

控訴趣意書では以下のように検察は主張しています。

「被告人のこれまでの知識・経験、特に被告人が長年にわたり外資系証券会社において勤務し、高額の給与収入を得て、これらの所得に基づき、不動産を取得し、あるいは、海外口座を自ら開設するなどして資産運用を図り、長年にわたり、確定申告を行ってきたこと、その際には、医療費控除・生命保険料控除・扶養控除等の各種所得控除について詳細な資料を作成しつつ、申告を行ってきたことからすれば、被告人が、自らの実収入額及び申告額を認識していたことは明らかである。」

ここで言う「詳細な資料」とは、領収書を紙に貼ったり、会社からもらった扶養控除申請用紙に記入したことを指しています。これですら役人の感覚だと「詳細な資料」のようです。 

それを補強する事実として、鼻くそのような事実を挙げています。

「証券外務員に必須の外務員資格試験には「証券税制」が含まれていること」

「『確定申告の手引』には各所得から各種所得控除を差し引いた金額が「課税される所得金額」となることが記載されていること」

「不動産の取得原価、減価償却費、借入金利子等に関する資料も提出して、これらを家賃収入から控除される額として税理士に計算させたこと」

「各年の申告において、生命保険料・損害保険料・地震保険料に関する資料も税理士に提出し、これらについても控除の対象とさせていたこと」

税理士から「~といった資料を入手して提出して下さい」と言われてただその指示に従ったことが、なぜ「いかなるものが経費計上し得るかについてまで、熟知していたことは明白である」のか私には全く理解不能です。

そして検察は、私の確定申告に対する意識に関して、重要事実をあえて摘示せずに論証しています。
 
私は、税理士に源泉徴収票や医療費領収書、保険控除証明書を渡して私の確定申告は完了していると考えていました。実のところ依頼した税理士が6年に亘って過怠で申告を行っていませんでしたが、私は彼から告白されるまで全く気付かず、毎年その税理士に資料を送り続けていました。全くもって間抜けな話ですが、この6年間、私は還付を受けられなかったことも気にせず確定申告したつもりになっていました。これを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

補充書は指摘します。

「被告人の確定申告に対する意識は一般人以上に薄かったのである。被告人のほ脱の故意の有無を正しく判断するには、各事実を評価するにあたり、被告人の「確定申告に対する意識の薄さ」という重要な要素を勘案しなければならない。」

また私は、会社からの給与は、ただ会社が支払うものを受け取るという受動的な意識しかなく、株式報酬に関しても特別な意識を持っていたわけではありませんでした。それは給与の一部である以上、税金は払うべきであると思っており、それは給与天引きされていると思い込んでいたものです。

給与の一部である株式報酬の申告を私が故意にしなかったと主張したい検察としては、私が金の亡者であり、株式報酬に対する関心も並々ならぬものであり、当然「気付いたであろう」「知っていたであろう」と主張するものです。

控訴趣意書では以下のように検察は主張しています。

「被告人は、自らの資産を運用するため、あえて海外口座であるUBS口座を開設し、英語で担当者に指示をし、あるいは、アドバイスを求め、いわば日常的に資産運用に熱中していた。」

「ベアー・スターンズ証券転職に際し、転職条件に関する条件闘争を行うなどしていることから、自らの報酬額に金銭的利益あるいはステータスとしての強い執着を有していることもまた明らかである。」

海外口座を開設して資産を保有したり、転職時に給与の条件を交渉することをもって脱税の犯人とはそういうものだとされたのではたまったものではありません。

そして検察は、私の株式報酬に対する意識に関して、重要事実をあえて摘示せずに論証しています。

会社では年一回、株式報酬プログラムの説明会を開催していましたが、私は一度も参加したことがなく、その存在すら知りませんでした。株式報酬に関心が高ければそうした説明会は喜んで出席したものと思われます。また税務調査開始直後は、在職中に株式報酬をいくらくらい受領していたか、概算程度の記憶もなく、ストック・オプションを受領、行使したことすら忘れていました。それらは証拠上明らかです。これらを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

補充書は指摘します。

「被告人の株式報酬に対する関心は、他のクレディ・スイス証券の従業員と比べても、著しく低かったのである。被告人のほ脱の故意の有無を正しく判断するには、各事実を評価するにあたり、被告人の「株式報酬に対する関心の低さ」という重要な要素を勘案しなければならない。」

また検察の主張の大きな柱は、会社から交付された文書には「会社には源泉徴収義務がない旨明記してあり、それを確認することにより自分で申告しなければならないことは知っていたはずだ」というものです。

特に検察が重視する文書が『メモランダム』と表題のついた紙一枚の株式報酬の支払い通知です。そこには「会社に源泉徴収義務がないこと」「個人として税の申告義務の法令遵守のためにアドバイスを受ける必要があること」が英語でディスクレーマーとして表記されています。

私もこの『メモランダム』は見覚えがあり、「見た記憶はあるが、内容まで詳しく読まなかった」と国税局査察部の取調べの最初から述べてきました。株式報酬の株式数を示した表に見覚えがあったため、「見た覚えがない」とは言わなかったものです。

取調べの際に示され、よく読むと、その通知は株式報酬支払いの後に受領したもので、実際の通知はそれより先にメールで行われたであろうことが分かる内容でした。私は株式報酬を受け取るとほぼ同時に全株そのまま売却していいたため、その紙切れの通知をもらった時には株式は既に売却済みで、内容まで詳しく読む必要がないと判断したのだと思います。

そしてこの『メモランダム』を初めとする会社の「指導」に関しても、検察は重要事実をあえて摘示せずに論証しています。

この『メモランダム』には、先に示した記述に続いて「税務当局が株式報酬について監視しており、会社は将来税務当局から尋ねられる可能性が高く、その場合、従業員に無断で株式報酬の内容を税務当局に伝える」旨の記載がなされています。これを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

株式報酬を脱税しようとするなら、関連書類は詳細に検証することは当然であり、この記述がありながら雇用=将来の給与のリスクを取ってまで経済価値を求めた犯行に及ぶことは愚の骨頂だと思われます。

補充書は指摘します。

「検察官は、被告人がメモランダムを読んだと主張するが、かかる記載を見たうえで、なお故意に脱税を行うということは、よほど目先の金に困っていた等の事情がなければ考えられない。しかしそのような事情は被告人には存在せず、検察官はこの点の論証ができないため、メモランダムに上記記載がなされているという重要な事実を摘示しないのである。」

また、クレディ・スイス証券のコンプライアンス部長は、公判において証人として証言した彼の上司である法務・コンプライアンス本部長が英語・注意力ともに業界トップクラスと認める者で、彼の妻は税理士の職にあります。その彼ですら株式報酬を申告漏れしており、夫婦共々株式報酬は源泉収されていると思っていたと取調べで答えています。これを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

補充書は指摘します。

「検察官は、「被告人の方がコンプライアンス部長よりも注意力が高く、メモランダムを見て株式報酬が源泉徴収されていないことに気付いたはずである」との論証ができないために、同じメモランダムを受領したときのコンプライアンス部長の認識という重要事実を摘示しないのである。」

また検察は、数年間の厖大な私個人のメールの中から、税金に関する私の発言(例えば、UBSの担当営業とのやり取りで、”W8-BEN”という米国内利子配当の免除措置に関して会話したもの)を取り上げ、「被告人の税金に対する正確な理解及び執着が顕著に認められる」と主張します。

この主張が全く情けないのは、そのメールのほとんどが、株式報酬の確定申告より相当後のベア―・スターンズ証券が買収され、私がカナダに移住するタイミングでの税理士との会話であったり、税務調査開始後の税理士や友人との会話であったりで、株式報酬の確定申告時の税知識を伺わせるものではないことです。これで裁判官が引っ掛かると思っているのであれば、相当裁判官もなめられたものだと思います。

補充書は指摘します。

「本件は複雑な節税スキームの適法性が問題となっているような事案ではない。申告所得に株式報酬が漏れていたという単純な事案である。もとより被告人は株式報酬も給与である以上申告すべきものと理解していたのであり、税に関する被告人の知識の有無や程度によって故意の有無の判断に影響があるものではない。重要なのは、確定申告についての被告人の「知識」ではなく被告人の「意識」である。」

税の知識であれば税理士を妻に持ち、かつ職務がコンプライアンス部長という者の方が多分私よりはあるでしょう。その彼ですら申告漏れであった以上、税務に関する知識と故意性は関係がないと言えます。私の税申告の意識は前述した通り、6年間も税理士が確定申告を怠っていたにもかかわらず、私は税理士に資料を送付していただけで申告したつもりになっていた程度のものでした。

結局のところ、この事案での最大の争点は、サラリーマンの常識である「会社給与の所得税は天引きである」という、心理学用語で言うところの「確証バイアス」をひっくり返すだけのきっかけや機会が私にあったかどうかという点です。

人は見たい物しか見ず、聞きたい物しか聞かないということを私たちは経験上よく知っています。一審の判決は、そうした経験則を基に検察の立証は十分ではないと判じたものです。

それに対して、検察が控訴して主張していることは、「そんな経験則はない。気付いたはずであり、知っていたはずだ。」という推認です。

しかし、検察はその控訴趣意書の中で、自ら「確証バイアス」とはどういったものであるかを実証しています。

『検察官自身が、「人は思い込みがあると、実際に見ているものについて、それを別のものと間違って認識することがある」という経験則を明らかにしている』と題され、別に章建てして強調された補充書の主張を引用します。

「東京地方検察庁のXX検察官は、「How are you? I hope you are fine.」を「お元気ですか?私は元気です。」と和訳した捜査報告書を作成し、東京高等検察庁のxx検察官は、これをそのまま裁判所に証拠として申請した。しかし、「I hope you are fine.」は「お元気のことと思います。」といった意味であり、「私は元気です。」などという意味はない。誤訳である。

検察官は、刑事訴訟の知識と経験を有し、刑事裁判における証拠の重要性を十分に認識している。従って、検察官が、ある英文の和訳を証拠として作成する場合には、間違いのないよう慎重に英文を確認して和訳を作成するものであり、また証拠申請の際には再度慎重に確認するものである。

他方、「I hope you are fine.」に「私は元気です。」などという意味がないことは中学生でも分かるものであり、検察官が分からないということは考えられない。そうすると、XX検察官は内容虚偽の捜査報告書を故意に作成し、xx検察官は内容虚偽の捜査報告書を認識しながら裁判所に証拠を申請したということになりかねない。しかし、「I hope you are fine.」を「私は元気です。」と和訳した捜査報告書が証拠採用されても、些かも被告人の故意を裏付けるものではなく、検察官が故意に内容虚偽の捜査報告書を作成し、申請したと考えるのは不合理である。

そうすると、XX検察官もxx検察官も、この英文を目にし、それぞれの文字を意識的に確認しながらも、「I hope you are fine.」が「私は元気です。」を意味するものと誤認したということになる。しかし、それは何ら不思議なことではない。

すなわち、人は、思い込みがあると、実際に見ているものについて、それを別のものと間違って認識することがあるという経験則が存在するからである。

日本人は、「How are you?」の次には、だいたい「I am fine.」という文章が続くという思い込みがある。そのため、検察官も、「I hope you are fine.」という文章を意識して直視していたにもかかわらず、これを「I am fine.」であると認識し、「私は元気です。」と和訳して、誤りに気付かなかったと推察されるのである。

被告人は、給与所得は全て源泉徴収されているものと思い込んでいたのである。そうした思い込みを有していた以上、仮に、株式報酬が源泉徴収されていないことにつながる情報を被告人が目にしたと仮定しても、おそらくそのことに気付くことはなかったであろうと推察されるのである。ましてや、本件では、株式報酬が源泉徴収されていないことを示す情報を被告人が意識的に見たということすらなかったのである。

はからずも、検察官自身が、本件において論ずべき経験則の存在を、身をもって立証しているのである。」

説明は必要ないかと思います。これ以上強力な「確証バイアス」の立証はないと思います。

補充書の結論です。

「以上のとおり、検察官の控訴趣意書は、無罪方向の重要事実を摘示せず、偏った些末な事実だけを裁判所に提示して誤導を図るだけのものであり、その内容には「詭弁」や「引っ掛け」が多々含まれている。理由ある控訴趣意を論証するものでは全くない。

記録を精査すれば、被告人の無実は明らかである。本件控訴は直ちに棄却されるべきである。」

控訴審初公判は11月15日です。引き続きご注目頂き、ご支援のほどよろしくお願いします。

(注1)
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ここをクリック→ #検察なう (315) 「検察控訴趣意書に見る検察主張の空疎な論理」

(注2)

ここをクリック→ #検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」

10/24/2013











法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/10/24 Thu. 00:41 [edit]   TB: 0 | CM: 3

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#検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」 9/9/2013 

#検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」 9/9/2013

(強制捜査から1728日)

先週金曜日9月6日、弁護団による控訴答弁書が裁判所に提出されました。

答弁書作成に当たり、私は新弁護団にお願いしたことがあります。ファースト・ドラフトの感想を求められたので、「先生方であれば100点の答弁書は間違いないと思います。しかし私は120点の答弁書を期待しています」とお願いしました。

ファースト・ドラフトの段階から、数回のミーティングと数回の推敲を経て先週提出された控訴答弁書は間違いなく120点の出来だと思います。検察による控訴趣意書は素人の私ですら突っ込みどころ満載でしたが、答弁書は素人の私はぐーの音も出ない位、格調高い法律論満載です。多分、その両者の違いは、法学部試験の学生の答案と教授の模範解答くらいあると思います。

検察控訴趣意書の主張の骨子は、第一審判決が事実誤認であり、それを裁判所に受認してもらうために第一審判決が論理則・経験則違背であると主張していることは以前のブログで述べたところです。

この「論理則・経験則違背」というのは、誰が考えてもおかしいという程ハードルは相当高いもので(そのため、検察は「一審裁判体は確定申告が何たるかを理解していない」という破れかぶれな論を展開しています)、それを第一審と同じ証拠を基に主張するというのはかなり困難を極めます。そのため、控訴する側の通常取る戦略は、新規な証拠を請求し、その採用をきっかけに、本来事後審(新たな事実認定をせず、原審の当否のみを問う)の控訴審において続審的に新たな事実認定を控訴審裁判体に求めるものです。

控訴答弁書の冒頭では、その大前提を確認しています。

「検察官の控訴が容れられるためには、当審において、事件の核心をなす事実(昭和34年最高裁判決)、すなわち被告人の故意の存在について、法律上の要件を満たす新証拠の取調べを行い(昭和31年最高裁判決)、これにより、第一審無罪判決の認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示す必要がある(平成24年最高裁判決)のであり、このいずれかが欠けるときには検察官の控訴は棄却され、第一審の無罪判決が維持されなければならない。」

どうです?しょぼい検察の主張を唐竹割りに一刀両断で、控訴棄却を謳っているのがお分かりかと思います。

検察が控訴趣意書で新証拠として提出してきたものは次の5点です。

1) 「確定申告の手引き」
一審裁判体をして確定申告が何かを分かっていないという主張のため。

2) 平成18年確定申告のための税務署HPのスクリーンコピー
不動産収入の申告漏れが故意であったという主張のため。

3) 私のブログ
証人予定されていたシンガポール経理部スタッフが身体的脅威を感じて出頭に応じなかったという主張のため。

4) 担当税理士の捜査報告書
私の担当税理士が税務の知識に欠け、私に騙されやすかったという主張のため。

5) シンガポールUBS担当者からの利子入金通知のメール
利子収入の申告漏れが故意であったという主張のため。

これら証拠を基にした検察の主張はそもそも全く根拠がないものですが、これらの中に、会社からの株式報酬の申告漏れが故意であったという事件の核心をなす事実が一切ないのは明らかです。そして更に、非常に重要なことは、これらの証拠が第一審で提出可能であったことです。

刑事訴訟法第382条の2第1項は、事実誤認を理由とする控訴申立ての場合に、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった証拠によって証明することのできる事実」は、控訴趣意書にこれを援用することができると規定しています。つまり、第一審の段階で、請求できたはずの証拠は控訴審では証拠調請求できないということです。後出しジャンケンはなしのルールです。

上に挙げた検察が証拠調請求予定の新規証拠は、いずれも第一審で提出可能でした。それゆえ弁護団は、裁判官はそもそも証拠調請求を受け入れることはできないと主張しています。

上記証拠1)「確定申告の手引き」に関しての弁護側の主張を引用します。

「原審裁判所が確定申告手続を十分に理解しない」という検察官の主張は、第一審裁判所を侮辱(愚弄)するものである。東京地方裁判所刑事部第8部が財政部であり、税務に関する専門部であることは公知であり、同部の裁判体は、財政事件について、日本の地方裁判所の中で最も専門的な知見を有するものである。そのような東京地方裁判所刑事部第8部の裁判体が、最も基本的な手続である「確定申告手続」を理解していなかったなどということはありえないことである。」

検察の主張がどれだけ問題外の更に外であるかをお分かりになって頂けるかと思います。

また、検察の主張するところの「論理則・経験則違背」の根拠のなさに関しては以下の通りです。

「検察官は、「確定申告を行う者は、当該年の自らの総収入に思いを致し、これを漏らさず把握するよう努め、しかも、その把握した収入が適切に確定申告書に記載されているか否かを確認するのが正に常識であり、社会人としての通常の行動である」と述べる。ここで言われている「思いを致し」「努め」「確認する」というのは申告制度が予定しているあり方かもしれない。しかし、確定申告をする者の大部分がこれを実践しているとは言い難いのが現実であり、たとえば、平成19事務年度当時の所得税の着眼調査でも、6713件の調査中、4003件(59.6%)の申告漏れ等が発覚している(公知)。このように、検察官の主張する確定申告のあり方が「正に常識」であるとか、「社会人としての通常の行動」であるなどと言い切ることはできないのである。」

検察が主張するように、確定申告をするものはすべからく収入を把握しているというのであれば、全ての過少申告は故意による脱税ということになります。つまり世の中の納税者の6割が脱税犯というのが検察の論理です。

控訴答弁書では、更に検察の経験則論の欠陥を指摘しています。

「考慮すべき経験則は、給与所得者がある年の給与所得を申告する状況に置かれると、大部分の人は、どのような理由から、どのような行動をとるのか、という点である。この点、大部分の人は、1年間の全ての給与所得が記載された書類は源泉徴収票であると認識しているため、源泉徴収票の記載に従って自ら申告を行うか、源泉徴収票を税理士に送付して税理士に申告を委ねるかである、という経験則が存する。しかるに、検察官の経験則論は、かかる重要な経験則を論じておらず、致命的な欠陥がある。」

会社からの給与の申告のためには、源泉徴収票が全ての給与を反映したものであるという認識がサラリーマンの常識ではないでしょうか。会社勤めの方は是非考えてみて下さい。源泉徴収票を年末に会社からもらった時に、そこに記載されていない会社からの給与があるなどと普通思うでしょうか?

更に苦し紛れの検察の主張に対する攻撃が続きます。クレディ・スイス証券では税務調査対象者約300人のほとんどが株式報酬を修正申告、約100人が完全申告漏れ、そのほかの外資系証券でも同じような状況でした。検察の主張は、「被告人のほ脱の故意を認定するに当たり、およそ他の従業員の認識は関連性がない」としています。私と同じような状況にあった者を経験則としないで、世の中一般の確定申告者を経験則とする(しかもその6割に何らかの申告漏れが認められている状況)検察の論理は完全に破綻していると言えます。

「本件では、被告人の故意ないしその内容を認定するにあたって、参照しうる集団が存在する。それは、被告人と同一の会社に所属していた従業員である。本件では、従業員に支給する株式報酬について源泉徴収を行うべきクレディ・スイス証券株式会社が、これを行わず、しかも、従業員に税務申告の指導もしていなかったため、株式報酬支給対象者約300名中100人超もの従業員が株式報酬を全く申告していなかった。これらの者全員が悪質なほ脱犯であるとは、検察当局も主張していないのであり、これらの者は単に過失によって、自らの所得金額を知らなかったに過ぎない。」
「検察官は、被告人と同じ状況に置かれていたクレディ・スイス証券株式会社の他の従業員との比較を意図的に拒絶している。これは、その比較を行うならば、被告人の故意の不存在がより明確になるためであるが、最も比較に適した集団を排除して論を進める控訴趣意書に説得力がないのは当然である。」

しかし控訴審では、検察請求の証拠は「第一審でやむなき事由があって請求できなかったわけではない」ものでも裁判官の職権により採用される危険性があります。(注)

そのための防御も最高裁昭和59年9月20日の判例及び補足意見を引用し、控訴答弁書では講じられています。この辺りがかなり高度なところです。その判例、補足意見とは以下のものです。

「控訴裁判所は、第1審判決以前に存在した事実に関する限り、第1審判決の当否を判断するため必要と認めるときは、〔刑事訴訟法393条1項〕本文に基づき、裁量によってその取調をすることができる」
「職権調査といっても、控訴裁判所が記録並びに第一審裁判所が取り調べた証拠を検討し第一審判決の事実認定、刑の量定について首肯し難いところを認めた場合に限られることは当然である」

核心部分の立証に資するものでない証拠、つまり、あまりにしょぼい証拠は職権調査の対象にはならないというものです。

このように骨太で正面切っての大論断ですが、証拠の読み込み量(特に控訴審から加わった喜田村先生の)を窺わせる細かな指摘もあります。

「捜査報告書の翻訳は、「How are you? I hope you are fine.」を、「お元気ですか? 私は元気です。」と訳しているが、この英文は、普通、「こんにちは。お元気のことと思います。」といった程度に訳されるのであり、「私は元気です」などという意味はない。ここでは、この誤りは本件の争点に影響を与えるものではないが、このような初歩的誤訳の存在は、検察官の提出する他の文書の日本語訳に疑念を抱かせるものである。」

多分、裁判官も読み飛ばしてしまいそうな誤訳ですが、これはまさに人は見たい物しか見ない、聞きたい物しか聞かない「確証バイアス」の実例だと思います。そうした思い込みを検察自身露呈していながら、「会社作成の源泉徴収票や税理士作成の確定申告書を見た時に金額の齟齬に気付かないわけはない」という検察の主張はあまりに空疎なものです。

検察による控訴趣意書は、骨粗鬆症のような空疎な骨子にぶよぶよの箸にも棒にもかからない贅肉の主張をごてごてと付け加えて、80ページ以上に及ぶものでした。対して、弁護団控訴答弁書は骨太で筋肉質の22ページです。

細かな事実認定の主張は一切なく、法律論による門前払いを狙う戦略ですが、事実認定の土俵であれば、望むところと一審最終弁論が待ち構えています。

端から勝負ありと言いたいところですが、そうも言えないのが刑事裁判の恐ろしさです。贔屓目に見てもらう必要は全くありません。控訴審裁判体には、一審裁判体同様、ただ公平に判断してもらえればよいと思っています。

引き続きご注目頂き、ご支援のほどよろしくお願いします。

(注)
これまで何度かブログでも引用したWikipedia「控訴」の「実態」です。

「刑事訴訟では、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった」場合でない限り、新しい証拠を取調べないという刑事訴訟法382条の2、393条第1項を厳格に適用し、被告人の証拠申請を全て却下する一方で、検察官の証拠申請は認めるという不公平な取り扱いがあるともいわれている。」

ここをクリック→ Wikipedia 「控訴」

9/9/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会ダイジェスト版」(動画)


ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

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category: 訴訟記録等

2013/09/09 Mon. 05:20 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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#検察なう (315) 「検察控訴趣意書に見る検察主張の空疎な論理」 7/25/2013 

#検察なう (315) 「検察控訴趣意書に見る検察主張の空疎な論理」 7/25/2013

(強制捜査から1682日、弁護側控訴答弁書提出期限まで43日)

7月1日検察により、私の無罪判決を不服とする控訴趣意書が裁判所に提出されました。

一審の判決を不服とした理由は、一審判決が「論理則・経験則に違背している」というものです。「論理や経験に則れば間違っている」という言葉は難しいですが、それは言うなれば「一審判決は誰が見ても間違っている」ということです。

その主張の骨子は、「確定申告をするためには、自分の収入の把握がなければ申告ができない以上、確定申告をする人は例外なく自分の収入を理解しているものである」というものです。

一審裁判体が確定申告制度を理解していないとして、検察は「そんなことも知らないのか」と控訴趣意書で揶揄していることは以前のブログで紹介したところです。

ここをクリック→ #検察なう (312) 「私の無罪判決を不服とする検察控訴趣意書に関し」

検察の主張を高速道路の通行料支払いに例えてみます。

「高速道路の通行料を支払うためには料金がいくらであるかの認識が必要となるのは当たり前である以上、高速道路を利用する者は全て自分が通過した区間の高速道路料金を理解している」というのが検察の主張です。

至極もっとものようにも聞こえます。控訴趣意書の主張部分は以下の通りです。

「適切な総収入の把握なくして適切な税額を計算することは不可能であることを考えれば、確定申告を行う者は、当該年の自らの総収入に思いを致し、これを漏らさず把握するよう努め、しかも、その把握した収入が適切に確定申告書に記載されているか否かを確認するのが正に常識であり、社会人としての通常の行動である」

それに続く控訴趣意書の文言は以下の通りです。

「だからこそ、一般の納税者は、負担を負いつつも、自らの収入等に関する資料を集めた上で、適正に確定申告を行っているのであり、このことは自ら資料を提供する以上、税理士に申告を依頼した場合でも異ならない」

自分が運転する場合だけではなく、誰かに運転を代わってもらって料金所を通過する者も、その料金を知っていることが「社会常識」だというのが検察の主張です。果たしてそうでしょうか。

更に、検察は確定申告制度の仕組みや実態を滔々と述べ立てて「そもそも」論を展開しているにも関わらず、源泉徴収制度の仕組みや実態に関しては全く言及していません。

サラリーマンにとっての給与の源泉徴収に関していつも思い浮かべるのが、ETCシステムです。料金所での渋滞緩和のために自動収受システムが高速道路料金所に設置されたのはこの10年のことで、利用されている方も多いと思います。料金を確認して、財布から取り出す作業がないだけでも、随分便利なものだと思います。

サラリーマンの給与天引きはまさにETCゲートを通過して高速道路料金を払うようなものです。勝手に取っていってくれるのだから、こちらの手間も省け、徴収する側としても取りっぱぐれがないものです。

ETCを利用している人の中には、通行料を意識している人もあれば、あまり何も考えずに通過している人もいるかと思います。私は、ETCで払う高速料金が間違っていると考えたことがないため、確認する必要を感じたことはありません。私にとっての確定申告は、収入のほとんどに係る所得税は源泉徴収されている以上、ETCゲートを通過しても料金を敢えて確認する必要はないという感覚と全く同じものでした。

検察の控訴趣意書の主張は、一般ゲートを通過して料金を支払う場合の認識に関するものだけで、ETCゲートを通過して料金を支払う場合の認識を敢えて言及していないものです。

確定申告をする全ての人がこうだからと言いながら、クレディ・スイス証券ほかの外資系証券で株式報酬の申告漏れと私と同じ状況にあった者においては、「被告人のほ脱の故意を認定するに当たり、およそ他の従業員の認識は関連性がない」とする検察の主張は論理的に破綻しています。

クレディ・スイス証券の税務調査対象者は約300人。そのほとんどが修正申告を必要とした申告漏れとなり、全体の1/3に相当する約100人が、私と同じく株式報酬の無申告でした。クレディ・スイス証券だけではなく、そのほかの外資系証券でも、株式報酬を源泉徴収していなかった会社では、百人単位で株式報酬の無申告による申告漏れが指摘されています。そうした状況を全く無視して、確定申告制度の在り方だけを主張して、一審裁判体の判断を「論理則・経験則違背」ということは暴論以外の何物でもないことはお分かりになって頂けると思います。

そうした骨粗鬆症であるかのような主張の骨子に、過失でも矛盾のない間接証拠という水増しのためのぶよぶよした贅肉を付け加え、ただ単に「論理則・経験則違背」「健全な社会常識に反する」という言葉だけを連呼したものが検察の控訴趣意書の実態です。

但し、このように私の目には全く空疎な論理であっても、高裁裁判体が騙されると言う可能性も依然あります。

元東京高裁判事木谷明氏と映画監督周防正行氏の対談の中から、検察控訴趣意書に関する部分を拾ってみます。

木谷 (一審無罪が控訴審で有罪となる)破棄率が高すぎるというのは事実でしょう。結局、これは高裁の裁判官の意識の問題でもあるんですが、やっぱり検察官はアラを見つけるのがうまいですよ。原判決のアラ、審理のアラ。そういうものを拡大鏡で拡大して見せますから。「こんな杜撰な審理で無罪にしたのか」「こんな杜撰な論理で無罪にしたのか」と、検察官が主張しますと、それはある意味で非常に説得力があるんですよ。最初に控訴趣意書を読みますと、「ああこれはひどいもんだ」と思うし、「この原裁判官は、一体何をやってたんだ」と思う事件はかなりありましたね。しかし、一方で、弁護人の答弁書を参照しながら記録をよくよく読んでみると「やっぱり原判決が言ってることはもっともだ」ということになって、控訴棄却で終わる事件もかなりあるんです。ただ、最初に検察官の控訴趣意書に影響されてしまうと、被告人の言い分に十分耳を傾けないまま破棄という方向にいってしまう可能性はありますね。だから検察官控訴の場合には控訴趣意書から読むということ自体に問題があるかとも思っています。検察官の控訴趣意書の書き方はやっぱりうまいですよ。もう全庁あげてやってますからね。

周防 やっぱり検察の威信をかけて、みんなで考えてるんですかね。

木谷 よくよく記録を読んでみると、引っ掛けとか詭弁もあるとわかるんですが、最初に控訴趣意書をさらっと読んだ段階では本当に引き込まれますよ。そういう技術は大したもんです(笑)。

(『それでもボクはやってない 日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』より)

こうした引っ掛けや詭弁満載の控訴趣意書を作成してまで、有罪を作り上げようという検察の姑息な戦術が通用しないということを分からせる社会的責務が、私の控訴審にあると思っています。

国税局の告発を受けて控訴し、一審無罪判決に無謀な控訴をした検察特捜部には、真実を追求し正義を守るという姿勢が全く見られません。本件での検察控訴は、全国の多くの真摯に活動する検察官の方々の顔に泥を塗るものだと思います。この検察控訴趣意書は特捜部暴走の証左として、是非、全国の検察官の方々に読んでほしいものです。

7/25/2013















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2013/07/25 Thu. 06:30 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (312) 「私の無罪判決を不服とする検察控訴趣意書に関し」 7/15/2013 

#検察なう (312) 「私の無罪判決を不服とする検察控訴趣意書に関し」 7/15/2013

(強制捜査から1672日、弁護側控訴答弁書提出期限まで53日)

7月1日、私の無罪判決を不服とする検察により、控訴趣意書が裁判所に提出されました。控訴趣意書とは、原審の判決を不服とする理由を書いたものです。

検察の文書による主張は、これまで一審の初めに冒頭陳述、一審最後に論告がなされ、今回が3回目となります。検察の主張は、一審の審理でなされた証人尋問の結果や無罪方向の重要証拠、重要事実を完全に無視し、故意であっても過失であっても矛盾しない些末な事実を基に「知っていただろう」「気付いたはずだ」という推認・推論を繰り返して強調するだけのものだということはこれまで繰り返し述べてきたところです。

冒頭陳述要旨が24ページ、論告要旨が44ページであったのに対し、控訴趣意書は81ページにも達しています。国家権力に刃向かう者は絶対許さんとする、憎悪に近い負のエネルギーが増大していることが見て取れます。しかし、今回検察により提出された控訴趣意書は、これまでのものの中でも最も出来が悪いと言わざるを得ない内容でした。今回の控訴趣意書でも、彼らの主張は全く変わり映えなく、ただ無意味な論点が加わって水増しされただけのものだったからです。

刑事裁判における控訴趣意書は、原審判決文の可否を問うもので、「原審判決のここが間違っている」というものが主張の骨子となります。一審で十分な審理がなされているわけですから、本来は一審で審理されることのなかった新証拠を出して、新たな判断材料とすべきものです。

しかし、控訴趣意書においては、事実上新しい証拠は何ら提出されていません。そして、検察の主張する原審判決が間違っているとの理由は、一審無罪判決が論理則・経験則に照らして不合理だというものです。つまり「合理的な疑いを越える立証がされていない」とする一審判決に対し、何ら新証拠を提示することなく「それは誰が聞いてもおかしいだろう」と一般論に寄りかかった反論をしているのみです。

控訴趣意書の中で、一審裁判体の判断は「論理則・経験則違背」であるとか「健全な社会常識に反している」という言葉が連呼されています。そして、検察の主張する「健全な社会常識」とは、「確定申告をする者は、すべからく収入の認識がある。なぜなら確定申告は、収入の認識をした上で、納税額を確定するものだから」という木で鼻をくくったようなものです。

検察は、「給与所得及びそれ以外の全ての収入を意識し、合算した上で、自ら税額を計算するなどして申告する義務を有するのであり、このような高額所得者が、自らの収入に思いを致さないまま申告を行うことなどは、あり得ないと言って差し支えない」と主張し、しかも説明もなく「自ら資料を提供する以上、税理士に申告を依頼した場合でも異ならない」としています。そしてその結論は、「これらのことは公知の事実あるいは社会常識といって差し支えないことである」です。

私は読んでいて思わず「はあ?」でした。

その論理は、「運転免許保持者には安全運転義務がある。だから交通事故はありえ得ない。事故があるとすればそれは故意によるもので、それは公知の事実あるいは社会常識といって差し支えない」と言うことと同じです。

あるいは、全ての確定申告者に収入の認識があるとするならば、世の中の過少申告は自動的に全て脱税となってしまいますが、それこそ論理則・経験則に反していることは明らかです。

また、控訴趣意書においてされた「原審においては、確定申告手続は公知の事実である、として立証しなかったが、原審裁判所が同手続を十分に理解しないままに被告人のほ脱の故意に関する判断をしたことが判明したことから、控訴審において立証するものである」という主張には驚きを隠せませんでした。

一審の裁判体は経済犯を集中的に判ずる部であり、脱税事案を数多く手掛けている裁判体です。その裁判体を素人扱いして、「確定申告手続を十分に理解していない」という暴論を吐くことは、検察がまさに「裸の王様」であることを如実に表しています。必要もなく裁判所の権威を冒涜する検察主張を高裁裁判体がどう受けとめるのか、要注目です。

また新たに付け加えられた論点で目を引くものとして次の2点が挙げられます。

「私が証券外務員の資格を持っており、その資格試験では証券税務も問われることから、税務に精通していた」というものと、「担当税理士は経験も浅く、税務の知識も乏しかったことから私に簡単に騙された」というものです。

水増しの論点として実に出来の悪いものです。

前者は、証券会社に勤務している者であればその荒唐無稽さがよく分かると思われます。20年前に一夜漬けで仕入れた受験の知識をもってして「詳細な知識を取得していた」というのはお笑いです。外資系証券会社の顧客は全てが機関投資家であり、彼らとの21年間の業務で個人税務が話題に上ったことは一度としてありませんでした。ましてや、その証券外務員試験の証券税務で、「一部外資系金融で、会社支給の株式報酬が源泉徴収の対象外」などという会社に個別な特殊税務が問われることはあり得ないことは言うまでもありません。

また担当税理士は無能どころか優秀な方で、検察の主張は全く根拠のないものです。公認会計士の資格を持つ彼を理由なく誹謗・中傷した内容です。

何度読み返しても、納得感の薄い控訴趣意書ですが、最初はその納得感のなさの決定的な理由が何か、はっきりとは理解できませんでした。推認・推論での主張であることは確かですが、何か大きなものが欠けているような気がしたからです。

そして、その理由に気付きました。納得感のなさの決定的な理由は、控訴趣意書の中で源泉徴収制度が全く論じられていないことでした。

私は税務調査の開始時から、「株式報酬も会社給与である以上、その所得税は給与天引きされていると思っていた。源泉徴収票に記載されていない会社給与などありうることすら想像しなかった」と主張しています。もし会社給与がそもそも源泉徴収されないのであれば、過少申告にはなりえなかったものです。

検察は、繰り返し確定申告制度の意義やその仕組みを論じていながら、源泉徴収制度の意義やその仕組みを全く無視しています。会社給与は源泉徴収されるものと思い込んでいる者のメンタリティーや、その制度の成り立ちを論ずることなくして、確定申告は全ての収入を申告するものであるという「そもそも論」に依拠して故意を推認するのは全く的外れです。

それが検察主張を全く納得感のないものにしている理由です。

また、社会常識と言いながら、同じ境遇であったそのほか申告漏れ社員の事情に関しては全く言及していません。抽象的な一般論に寄りかかる論理であることは明らかです。

そして、脱税犯だとすれば合理的ではない事実に関しても、「脱税に及ぶ者はその動機、知識、物の考え方等千差万別である」と主張しています。「確定申告をする人間には論理則・経験則があるのに、脱税犯にはそうしたものはない」とする論理が当を得ていないことは言うまでもないと思います。

「原判決の判断がおよそ健全な社会常識に基づく論理則・経験則を無視したことは他言を要しないところである」と主張する検察控訴趣意書が、健全な社会常識に基づく論理則・経験則を無視したことは他言を要しないところです。

素人にもダメ出しされるほどで、ほとんど反論の必要もないとは思われますが、それでも高裁では、一審無罪の7割が破棄されるという刑事司法の異常さから、万全を期すべく弁護団が控訴答弁書を裁判所に提出します。その期限が9月6日と決められました。

是非とも引き続きご注目下さい。

7/15/2013











法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/07/15 Mon. 08:44 [edit]   TB: 0 | CM: 4

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#検察なう (307) 「一審無罪判決文解題」 6/27/2013 

#検察なう (307) 「一審無罪判決文解題」 6/27/2013

(強制捜査から1654日、検察控訴趣意書提出期限まであと4日)

私の控訴審が近々始まります。その前に一審の判決文を振り返ってみます。

判決文は68ページに及びますが、これほど単純な事案でも、無罪判決ともなるとこれほどのボリュームになるのかと感じます。

まず、検察官の主張は「被告人がほ脱の故意を有していたことは明らかである」、弁護人の主張は「被告人は、ほ脱の故意を欠き、無罪である」とされ、その主張が真っ向から対立していることが明らかにされています。争点は、「本件の主たる争点は、過少申告のほ脱の故意の有無である」、その一点です。

過少申告は事実としてあるのですが、その過少申告の原因である株式報酬の申告漏れを、故意をもってわざとやったのかどうか、それだけということです。

ここで、過少申告をわざとやった、即ち、脱税をしたという検察官の主張を立証する責任は、検察側にあります。それは「合理的な疑いを越える程度に」確からしいことを証明する必要があります。誰が聞いても、「ははーん、なるほど、それであれば検察官が言ってることに間違いはないな」と思うように説明することが必要であり、「うーん、どっちかよく分からないな」という人がいれば、それは無罪とするというのが、刑事司法の大原則である推定無罪の原則です。

ただ、今回の事案では、「故意あり」とするには、悪意をもって脱税をしてやろうという意図まで必要ではなく、受け取った収入に比して、自分の納税額が見合わない程少ないという認識があれば足りるということにはご注意下さい。

判決文では、検察の主張に対し、弁護団の主張をぶつけ、どちらが「真実らしいか」を裁判官が判断していきます。過少申告の認識に関わる事情として、「ストック・オプションの行使状況」「メモランダム(株式報酬受取通知)、メール等の受領状況」「株式報酬の権利付与及び入庫時点の各株式数の関係」「税に関する被告人の知識」「『財産及び債務の明細書』の記載状況」「源泉徴収票の発行と株式報酬の入庫の先後関係」と細かく項目立てて、つぶさに検証しています。また、給与収入額及び申告額の差額の認識に関しても、各年の、年棒更改、株式報酬受取時、申告時といったタイミングでの私の認識を、総額、株式報酬、現金賞与と分けて検証しています。

そしてその検証の結果、検察の立証は合理的な疑いを越える程度には立証されておらず、被告人(私)、弁護側の主張が不合理とは言えないという結論の結果、無罪判決に至ったものです。

検察の主張の根拠となった同じ証拠を、弁護側も見ています。そして同じ証拠を検察側は、有罪方向に解釈し、弁護側は無罪方向に解釈しています。それは証拠の評価の問題ということです。ここで重要なことは、検察がその主張のための根拠とする証拠は全て「過失であっても矛盾のない証拠」であり、故意でなければ説明が不可能というものは一つとしてないということです。

公判中のブログ、特に検察論告及び弁護団最終弁論の解説でも述べたところですが、検察は、公判で明らかにされた私が脱税をしたとすると不合理な事実には全く言及していません。つまり、「この事実を元にすればむしろ故意ではなく過失だろう」ということには目をつむり、自分の主張に有利な事実のみを抽出して「これらの事実を解釈すると故意である」と一方的な決め付けをしているものです。

裁判官は、判決の中で検察提出の証拠の評価において「後記のとおり、被告人が過少申告の認識を有していなかったと解する方が自然と思われる事実関係が存在することなどに照らすと」と述べ、無罪方向の証拠も勘案していることを伺わせます。その部分を抜粋引用します。

「本件では、被告人が過少申告の認識を有していなかったと解する方が自然と思われる事実関係が複数存在する。

(1)確定申告の経緯

被告人は、依頼していた税理士から無申告の状態を告げられると、弁護士を通じて申告に必要な書類を取り戻し、平成14年から平成17年分までの分を別の税理士に依頼して過年度申告をしているが、この依頼の後に平成18年度分の申告を自ら行い、しかも、この平成18年分については申告期限後に確定申告書を提出している。被告人は、過年度申告による影響等を特に税理士に確認していなかった。

以上を前提に検討する。被告人は、平成17年には既に申告すべき株式報酬を得ていたものであり、この時点から過少申告の認識があったとすると、平成14年から平成17年までの巨額の無申告収入を過年度申告すると同時に平成17年の株式報酬について過少申告を行ったことになる上、概ね同じ頃、上記過年度申告と共に、平成18年分についても過少な期限後申告を行ったことになるのであって、被告人は税務署の関心を引きやすいと考えてもおかしくない行動をあえて取りながら平成18年分について過少申告をしていることになる。しかも平成18年分については、被告人が自ら確定申告書を作成しており、申告額を認識していなかったと弁明することがほとんど不可能な手段を選択していることになる。以上に加え①被告人が過年度申告に対する影響等について特段自ら確認していないこと、②過年度申告をせずに放置したままで税理士が懈怠したと弁明する方が過失による申告漏れを主張するには無難な手法であったともいえることなどにも照らすと、このような確定申告の経緯は、被告人に過少申告の認識がなかったと解する方が自然な事情といえる。

(2) 税務調査開始後の被告人と税理士のやり取りの状況

被告人は、平成20年11月5日、国税局による税務調査が開始したことを税理士からメールで知らされると「ストック・オプションは支給されていなかった」「全ての報酬は税務署に提出した給与明細で明らかなはずである」(なお、ここでいう「給与明細」とは、源泉徴収票の意味と解される)「付与されたファントム・ストックという株式に対する経理への指示は退職時(退職後)にメール又は電話で売却を指示した一度だったと思う」といった趣旨のメールを税理士に送っていることが認められる。

そこで当該メールの真意が問題となるが、①知人や税理士のメールには、被告人にとって一見不利益と思われるような内容もそのまま記載されていること、②被告人は、その後も税理士との間で長期間にわたって極めて多数のメールのやり取りをしていることが認められるが、被告人の過少申告の認識を窺わせる内容がほぼ皆無であり、むしろ被告人が供述する認識に沿った内容となっていること、③被告人がメールでの連絡にこだわっている様子も窺われないことなどの諸事情が認められる。これらに照らすと、被告人があえて虚偽の内容を証拠として残すためにメールに上記内容を記載したとは解し難く、基本的にはその時々の真意に基づいて記載したものと解するのが相当である。

そうすると、被告人は、税務調査の開始段階において、株式報酬の内容やその売却回数について失念していたことが認められることになる。被告人が海外口座に支給される株式報酬については発覚しないであろうという甘い考えを持っていたために、申告時に過少申告の認識を持ちつつ、その内容を忘れてしまったということを想定することも不可能とはいえないが、上記事情は、申告時において、過少申告の認識を有していなかったために印象に残らず失念してしまったと解する方が自然というべきである。」

以上が判決文からの引用ですが、これらの「過少申告の認識を有していなかったと解する方が自然と思われる事実」が無罪判決の根拠ではありません。

この判決文で一番注目すべき点は、弁護側が被告人質問や最終弁論の中で指摘してきた「過少申告が過失でなければ説明が困難あるいは説明不可能な事実」を敢えて排除していることです。

この事件がもし犯罪であるならば、その犯罪行為の様態は、「社内において海外口座に支給される株式報酬については税務署の調査が及ばないといった雰囲気があり、被告人が発覚しないであろうと甘い考えを持っていた」「他の従業員の無申告を知っていた等の事情から、せいぜい発覚した場合には他の者と同様に修正申告すれば足りる」という間抜けなものです。犯罪自体が間抜けなものなので、例え「脱税をしていたのであれば間抜けな行動」もそれほど不合理とは言えない、というのが排除の直接的な理由です。

しかし、その排除の真意は、判決の結論の「弁護人のその余の主張を検討するまでもなく」とあるように、弁護側に無罪立証の責任はなく、検察の有罪立証が足りていない、だから推定無罪の原則により無罪の言い渡しをするというものです。検察の採用した証拠の解釈そのものが必ずしも正しいとは言えないとするのが、無罪判決の根拠です。

判決文の結論を引用します。

「結論
以上の通り、過少申告の認識がなかったとする被告人の供述を否定することができず、その他全証拠を検討しても、被告人に所得税のほ脱の故意があったと認めるには合理的な疑いを入れる余地があるといわざるを得ない。

したがって、弁護人のその余の主張を検討するまでもなく、本件公訴事実について犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。」

弁護側に無罪立証の責任はないことを確認した上で、検察の有罪立証は十分ではなく、その有罪には合理的な疑いが入る余地があるゆえ無罪である、とする推定無罪の原則に非常に忠実な味わい深い判決文です。

検察は、この判決文の完成を待つことなく、結果のみを不服として控訴しています。それは控訴すれば高裁裁判体は必ず検察の主張を受け入れてくれるという見込みに基づくものです。そうした阿吽の呼吸を地裁で否定された上での検察控訴を、高裁の裁判体がどう判断するか、是非ご注目下さい。

6/27/2013

















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2013/06/27 Thu. 05:07 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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