「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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冤罪ファイル その16 「栃木小1女児殺害事件」 

冤罪ファイル その16 「栃木小1女児殺害事件」

この事件は2005年12月、当時7歳の吉田有希ちゃんが誘拐され、翌日胸を10回刺された全裸遺体で発見されたという痛ましい事件です。

吉田有希ちゃん

容疑者は、事件の実に8年後に(別件)逮捕され、殺害に関する取調べにおいて自白した勝又拓哉氏(逮捕当時32歳)です。彼はその後全面否認に転じましたが、2016年に行われた裁判員裁判の第一審において無期懲役の判決を受け、控訴しています。

この事件においては、自白以外に有罪を裏付ける有力な客観証拠はありません。それは判決にも書かれているところです。

「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとまではいえず、客観的事実のみから被告人の犯人性を認定することはできないというべきである」(第一審判決文より)

裁判後の報道でも、裁判員が異口同音に、判決は法廷で公開された一部の自白の録音録画の影響が大きかったことを認めています。

「決定的な証拠はなかったと思いますが、あの録音録画を観て、間違いないかな、というのがありました」

「取調べの録音録画がなかったら、判決はどうなっていたかわかりません」

「私も録音録画を観て、考えがまとまりました」

憲法第38条第3項「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」に違反しているかのような判断を裁判官も容認したからには、彼らの心証も有罪あるべしというものだったということです。

この事件の報道に接しては、早い時点から少なからず違和感を覚えていました。その時点では勝又氏が否認に転じていたということもあったのですが、報じられる内容があまりに犯人像の「文脈」(ロリコン、引きこもり等)に拘泥するものであり、その「文脈」がしっくりこなかったことがその理由です。

そもそも事件から相当長期間を経て解決という場合には、次のいずれかが考えられる理由です。
1) 犯人の自首
2) 新たな目撃者等、関係者の証言
3) 決定的な物証の出現
このいずれにも該当しない本件の急展開の解決劇には懐疑的にならざるを得ませんでした。

そして資料に当り、自分の違和感が正しかったことを確認することができました。自白以外に有罪の客観的証拠はないと言われるこの事件ですが、私は勝又氏の自白そのものが無罪とすべき証拠だと感じています。しかし、勝又氏が真犯人ではないという確証を持っているわけではありません。自白が科学的客観事実と明らかに矛盾する以上、判決の事実認定は誤りであり、無罪相当というのが私の見解です。

<事件状況>
2005年12月1日、栃木県今市市(現日光市)では朝・晩に気温が氷点下を記録する寒い日だった。市立大沢小学校に通う1年生の有希ちゃんは、学校が終わると、友だち3人と連れ立って学校をあとにした。そして途中までは一緒に下校したが、午後2時50分頃、学校から数百メートルの三叉路で友だちたちと別れて一人になり、ほどなく行方が途絶えた。有希ちゃんが自宅に帰ってこないことを心配した家族が、駐在所に捜索願を出したのは午後6時頃だった。学校職員たちが所轄の今市署の署員らと翌日未明まで夜を徹し、懸命に有希ちゃんの行方を捜した。しかし、有希ちゃんは見つからなかった。

翌2日午後2時頃、茨城県常陸大宮市の山林内に、野鳥捕獲の下見に入った男性3人が、女児の遺体を発見、すぐに茨城県警大宮署に届けた。遺体は有希ちゃんだった。発見場所の雑木林は、大沢小学校から60kmも離れた場所だった。衣類は身につけておらず、胸を刃物で何度も刺されており、体内の血液がほとんど流出している状態だった。

この事件で特異なところは、誘拐現場と遺体遺棄現場が非常に離れていることです。そして地面に無造作に遺棄された状況から、遺体が発見されることを恐れている様子は伺えません。これらのことは重要な意味を持つと思います。

<裁判ほか経緯>
2005年12月1日  女児が下校途中に行方不明。
2005年12月2日  公開捜査開始。遺体が発見される。両県警が合同捜査開始。
2007年3月9日  遺体の複数個所から同じ男のDNA型が検出されたことが報道される。

yoshida yuki
(2006年8月1日にかけられた懸賞金の告知では、「冷酷で残忍な男です」となっていることから、その時点では遺体に残されたDNAが最有力証拠であったことが伺える)

2007年9月20日  3月に報道されたDNAは栃木県警の捜査一課長のものであったことが判明。
(この後の懸賞金告知からは「男」の特定が消える)
2014年1月29日  勝又拓哉氏、偽ブランド品販売に関わり商標法違反の容疑で実母と共に逮捕。
2014年2月18日  殺人に関する取調べが検察官により開始(録音録画はこれ以降行われる。但し、2月18日午前に行った最初の取調べと何度か今市署で行った取調べは録音録画されていない)。
2014年6月3日  勝又拓哉氏、殺人容疑で逮捕。
2014年6月24日  勝又拓哉氏、殺人罪で起訴。
2014年9月10日  情報提供者2人に懸賞金計500万円が支払われることが発表された(このうち一人は、勝又氏とそりが悪かった養父とみられる。勝又氏が捜査線上に浮上したのは、この養父の「息子の車にランドセルがあった」との情報提供から)。
2016年2月29日  宇都宮地裁にて初公判。
2016年4月8日  検察の求刑通り無期懲役の判決(松原里美裁判長)  

<争点>
検察が挙げた有罪立証の客観的証拠は次のものです。
①  有希ちゃんの遺体に付着していた獣毛様のものが、勝又氏の飼い猫のものである蓋然性が相応に高い。
②  有希ちゃんの消息が不明になった日の翌日である遺体発見日の未明に、勝又氏の車両が「茨城県方面に」向かい、数時間後に自宅方向に戻るという日常とは異なる特異な経路を走行した走行記録が残っている。
③  本件拉致現場周辺で目撃された不審車両の特徴が勝又氏所有の車両と矛盾しない。
④  有希ちゃんの遺体に認められた損傷が、勝又氏所有のスタンガンにより形成されたものとして矛盾しない。
⑤  勝又氏が、本件拉致現場周辺及び本件遺棄現場方面のいずれにも土地勘を有していた。

「蓋然性が高い」「矛盾しない」という言葉が並びますが、つまり勝又氏が「犯人でない可能性もある」「犯人でないとしても矛盾しない」ということです。

① ここで用いられている「ミトコンドリアDNA型鑑定」という鑑定方法自体信用性の低いもので、サンプリングもわずか570個体、猫のミトコンドリアDNA型鑑定の研究者は自分以外にはほとんどいないと鑑定人自身が認めるかなり怪しいものです。刑事事件に一般に使われている人間のDNA型鑑定(STR法)とは精度そのものが違い、かつその獣毛がいつどのような経緯で付着したかも不明です。

② まさに捜査当局が手詰まりという状況を表す証拠です。これは「Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)」というシステムによるものですが、従来、このデータ(「Nヒット」)を裁判における証拠として使うことはプライバシー保護の観点から禁じ手とされていたものです。詳しくは前田恒彦氏のブログをご参照下さい。そして、栃木県内でのデータが確認されたのみで、遺棄現場近くは勿論のこと、茨城県内において勝俣氏の車が確認されたわけではありません。

ここをクリック→ 前田恒彦 「なぜ栃木女児殺害事件の裁判で「Nシステム」を証拠として使うことが異例中の異例の事態なのか」

ちなみに「日常とは異なる特異」な経路の走行は、その日だけではなく、その4日後にも行われています。勝又氏の証言は、朝日の写真を撮影するために出かけたが、1回目は道に迷って戻り、2回目は写真を撮ってきたというものです(カメラ及び記録メディアは当然押収されているはずですが、そうした画像がないという立証がされているかは不明)。判決では、遺体発見日の走行を遺体遺棄のためとしながら、4日後の走行の理由は不問となっています。

③ 有希ちゃんと一緒に下校していた同級生は、有希ちゃんと別れる前に「古い白色セダン車が後ろから三叉路方向に追い抜いていき、その後、同じ車が再び前方から来てすれ違った」のを目撃、「若い感じの男が運転していた」のを確認している、とされています。車のナンバーはもとより車種すら特定されていません。そもそも、小学校1年生が(あるいは大人であっても)普段道を歩いていて、通り過ぎる車やそれを運転していた人を観察しはっきり記憶しているということはあるのでしょうか(事件直後は、「白いワゴン車」も不審車両とされていましたが、いつの間にか捜査線上からは消えています)。

④ 遺体の右耳介の下にあった3.5mm幅の2対のひっかき傷を指しています。弁護側は「やけどが認められず単なる擦り傷」、検察側は「やけどが生じないこともあり、被告人所有の3.8mm幅のスタンガンによる傷(姿勢によって間隔の誤差が生じうる)」としたものです。

私が一番注目したのは、⑤の土地勘、特に遺棄現場のものです。遺棄現場は、県道から舗装された車が対向できないほどの幅の林道を約200m入り、更に未舗装の林道を45m進んだところでした。その先は行き止まりになっています。遺棄した時間は冬の未明の時間であり、道路の状況、明度を考えると知っていなくては来ることができない場所だと思われます。

死体遺棄現場
遺体遺棄現場

なぜ勝又拓哉氏がこの遺棄現場に土地勘があったとされたかというと、彼は母親が偽ブランド品を毎月茨城県那珂市で開催される骨董市で販売するのを手伝っていましたが、自宅からその会場に行く途中、この現場近くを通っていたからです。

ここをクリック→ 遺棄現場(三美)

ここをクリック→ 鹿沼市(勝又氏自宅)~一乗院(骨董市)

先に述べたように、この事件の様相で一つ特異な点は、死体の発見を恐れていないことです。もし発見されることを避けるのであれば、埋めてしまえば各段に発見は困難になります。つまりその事実は、遺体遺棄現場と容易に結びつく者(即ち、その近辺に居住しているあるいはかつて居住していた者)の犯行ではなく、しかしその場所に土地勘があるという者の犯行であることを伺わせます。勝又氏が毎月通っていた道からは一本脇にそれ、しかもそこから林道に踏み入れなければならないため、勝又氏がこの遺棄場所を実際に知っていたかどうかは不明ですが、かなり上記のプロファイリングに勝又氏は合致します。そして、この私が重要視する証拠ですら、殺人の直接的証拠になり得ないことは明らかです。

<論評>
自白による誘拐時及びその後の足取りは以下の通りです。

2015年12月1日午後2時から3時頃、車で小学校付近に行き、一人で歩いている少女を見つけ、車を近づけて声をかけ、運転席ドアを開けてその少女を抱きかかえ、無理やり運転席を通して助手席に乗せた。「騒ぐと殴るぞ」と脅かし、ジャンパーを頭から掛け、途中、道路脇に車を止めて、粘着テープで少女の両手首を手錠のようにして巻き、口にも粘着テープを貼った。あちこち走っているうちに暗くなり、当時住んでいた自宅の部屋にいた方が安全だと思って帰宅した。午後6時か7時頃、駐車場から少女を抱きかかえて自分の部屋に連れてきた。わいせつ行為をした後、少女を遠くで解放すれば自分が犯人だとばれないかもしれないと思った。足首にも粘着テープを巻き、全裸の少女にジャンパーを被せて部屋を出た。時間は、翌2日午前零時を過ぎていた。運転している最中にいろいろ考えてしまって、わけの分からない道に入ったので、とりあえず車を止められる場所を探して、殺害現場となった林道に行き着いた。車を止めて、少女をどうしようか10分程考えたが、自分の顔や車も見られているし、住んでいる場所も知られているので、もうこのまま少女を殺害するしかないと思い、助手席のダッシュボードに入っていた軍手とバタフライナイフを取り出し、軍手をはめ、ナイフを持って、運転席から外へ出た。車から降ろした少女を車の前方に立たせ、その肩を押さえてナイフで胸の辺りを10回ぐらい刺し続けた。その後、自分の指紋が付いているおそれのある粘着テープを目、口、手首、足首から外し、遺体を林道の下の斜面に投げ入れた。殺害時刻は午前4時頃だと思われ、殺害現場は初めて来た場所である。林道を離れて車を走らせたが、道に迷い、途中で、ナイフ、軍手、粘着テープを運転席から道路脇の林のような場所に投げ入れ、公衆便所で血が付着した両手を洗ってから自宅に帰った。自宅にあった少女のランドセル、服、靴は、1週間か2週間ぐらいかけてはさみで細かく切り、これらや血の付いた自分の衣服は、ゴミ捨て場に捨てた。

以上が、自白に基づき裁判において認定された勝又氏の行動ですが、客観的事実と科学的に矛盾する点がいくつかあります。その指摘の前に、まず、自白に「秘密の暴露」がないことを述べておきます。報道されていない重要な事柄(例えば、有希ちゃんのランドセルの中身)といったことは一切自白には含まれていません。また今回の事件では、凶器ほか遺留品、及び有希ちゃんの衣服、所持品は発見されていません。つまり犯人でなければ知り得ない事柄が自白には全く含まれておらず、物証で自白の信用性が担保された(例えば、それまで見つかっていなかった凶器が自白により見つかった)ということもありません。

自白と客観的事実が矛盾する点は主に次の三点です。
①  殺害時間は自白にある午前4時ではなく、それより相当早い時間であった。
②  殺害場所は遺棄場所の近辺ではなく、拉致後に連れ去られた場所(おそらく屋内)であった。
③  わいせつ行為がなされることはなかった(あるいは、わいせつ行為があった場合には被害者の体は洗われている)。

①  胃に入った食物の消化時間は概ね3-5時間程度です。有希ちゃんの胃の中には、行方不明になった当日に食べた給食の野菜片や米飯が極少量残っていました。

裁判所の認定は「給食を食べた時刻から本件自白供述において被害者を殺害したとされる翌日午前4時までの約15時間もの間、被害者の胃内部に極少量とはいえ未消化の食物が残っていた点は、一見疑問が残るものである。しかし、想定し難い極限のストレス状態に置かれていたため、消化活動がほぼ停止した状態になっていたとしても必ずしも不合理とはいえない」(一審判決文より)というものです。

確かにストレスによって消化活動が極端に鈍くなったり、一時的に止まったりすることは想像されます。即ち、消化にかかる時間が3-5時間ではなく、それよりかなり長時間となる可能性は十分に考えられます。しかし、有希ちゃんの消化活動が15時間もの間停止したとするのは、かなり無理があるように感じます。

この殺害時間の問題は、次の殺害場所の問題と大きく関係してきます。

②  自白に不自然な印象を受けるのは、これだけ物証がない犯罪にも関わらず、全く計画性がないとされているところです。それは取調べをした捜査官の印象から、勝又氏が用意周到に物事を運ぶ性格ではないと見て取ったからだと思われます。しかし、「被害者を遠くで解放」しようとする者が、全裸で被害者を連れ出すでしょうか。そして逡巡した挙句、切羽詰まってその場で殺害を決めたというのは、物証の少なさから私には不自然に感じられます。用意周到かつ計画的に殺害されたと考える方が合理的であると思われます(全裸で連れ出す場合、最初から殺害するつもりだった)。そして殺害をするには、いかに人気のない時間・場所とはいえ屋外よりは、誰に見られることもない屋内、自宅で行うことがより自然だと思われます。勝又氏の家宅捜査においては、その疑いをもって捜査が行われたものと思われます。しかし、その痕跡がなかったため、勝又氏犯人ありきで殺害場所が遺棄場所近辺とされたものと思われます。

検死時、遺体の重量は約19kg、体内に残留していた血液量は200ccないし300ccでした。人間の体内の血液量は体重の8%程度です。有希ちゃんの体重をX (kg)とすれば、
0.92 X = 19 - 0.3
X = 20.33 (kg)
体外に流出した血液量は 20.33 x 0.08 – 0.3 = 1.33 (L)

1L以上もの血液が刺殺現場に流れたことになりますが、ルミノール反応で検出されたのは滴下した少量の血痕に過ぎませんでした。裁判所の認定は「捜査報告書によれば、目視できるだけでも多数の血痕があり、単なる滴下痕としては説明できない量の血痕が残っていると考えられる」とルミノール反応鑑定を無視する解釈をし、かつ「軍手、勝又氏の衣服についた返り血及び遺体を運ぶ時に流れ出た量も無視できない」と、胸をナイフで10回も刺されながら、地面にはほとんど血が流れて落ちなかったという非科学的な解釈をしています。(注1)

給食を食べてから約4時間後前後に、室内で殺害されたとしたのでは、勝又氏を犯人にすることが難しいところから来ている、つじつま合わせの非科学的解釈です。「勝又氏自宅に殺害の痕跡がない」→「Nヒットが午前1時50分と2時20分及び午前6時12分と午前6時27分に栃木県内であり、その間に茨城県の遺棄現場と往復しかつ殺害が行われたとすると都合がいい」→「殺害時間は当日午後5時前後ではなく、翌日午前4時前後である」という論法です。

③  そして、最大の問題点はDNA型鑑定に関係しています。

この事件では、一旦は遺体の複数個所に残された同一男性のDNA型が最有力証拠とされ、そのDNA型を持つ男性の特定に捜査が注力したことは明らかです。そしてそれが栃木県警捜査一課長のものであったことが判明し、事件はふりだしに戻ります。この初動捜査の大ミスが事件解決を困難にした可能性は多分にあります。DNAの付着は捜査一課長が素手で遺体を触ったことによるものと考えられています。

また、遺体に残された遺留品として、口をふさぐために巻かれていた粘着テープの一部(幅約5cm、長さ約5.5cm)が後頭部に残っていました。その粘着テープには有希ちゃんのものでもなく勝又氏のものでもない二人のDNAが残っていましたが、一つは鑑定人の一人のものだと認定されています。そして残りの一人が誰かということが問題です。弁護側はそれを真犯人由来のものであるとし、検察側は別の鑑定人のものであるとしました。そして裁判では、検察側の主張に沿う形で「鑑定人以外の第三者の細胞組織が混入した可能性も厳密には排除できないものの、これが本件犯人に由来するものである蓋然性が高いと判断することもできない」(一審判決文より)としました。

この判断が妥当かどうかを議論する以前の問題として、そんなに簡単にDNAというのは残留するのだと少なからずの方が驚かれたと思います。私もそうでした。栃木県警捜査一課長が素手で触っただけで彼のDNAが遺体表皮に残留しています。また、DNA型鑑定人が自分のDNAを鑑定対象の物証に容易に付着させるわけがないと思われます。そのように細心の注意を払ってもDNAというのは残留するということのようです。

そして、自白に基づくわいせつ行為の様態は以下の通りです。

「被害者の陰部の外側を右手の中指で撫で回し、左胸を右手で揉み、被害者の頬にキスをし、自分の陰茎を被害者に両手で握らせ、その両手を自分の両手で握って手淫させた」「陰茎を被害者の陰部、尻の割れ目にこすり付けた」「そのうち射精した」(以上、一審判決文より)

それにも関わらず、遺体から勝又氏のDNAは検出されていません。また検死の結果「外陰部には、損傷異常を認めず、姦淫等と示唆する所見はない」(一審判決文より)とされています。

この大いなる矛盾に対し、裁判所の認定は「そのわいせつ行為の態様からすれば、被害者の遺体に痕跡が残っていないことが不自然であるとはいえないし、被告人の細胞片や体液が必ず被害者に付着しているともいい難い」(一審判決文より)というものです。これが、私が「自白が科学的客観事実と明らかに矛盾する以上、判決の事実認定は誤りであり、無罪相当」と考える理由です。

DNAを残さないため被害者の体が洗われた可能性(自白にはない)もありますが、私は、むしろ(これも自白に反して)わいせつ行為は行われていなかった可能性が高いと考えています。

私が報道に接して感じた違和感は、犯人像の「文脈」であることは述べました。「7歳の少女が誘拐され、全裸の遺体が発見されれば、ロリコンによる犯行」と考えるのは短絡的だと直観的に感じました。少女への性的嗜好よりも無抵抗なものへの残虐性を強く感じたからです。つまり自分がイメージした犯人像は、人間を殺す前に動物を殺傷している可能性が高いというものです。

初めに「勝又氏が真犯人ではないという確証を持っているわけではない」と述べましたが、逆に勝又氏が犯人であるということにも違和感を覚えます。それは彼に動物虐待をするような印象を持たなかったからです。

勝又拓哉 猫

私の妄想の中では、勝又氏が撮ったという朝日の画像を収めた記録メディアが警察資料庫に眠っています(それは無罪方向の積極証拠となるものです)。ダニエル・デイ=ルイス主演の1993年の映画『父の祈りを』で、検察がアリバイの証拠を隠蔽したように。(注2)

そのほかこの事件の捜査~裁判の経緯は、刑事司法において非常に重要な問題点をはらんでいます。それは取調べの可視化に関わる問題ですが、別件逮捕(それそのものの違法性も問題視されるべきものです)が取調べ可視化のループホールになっているという点と、本来取調べの任意性を担保するための可視化であるはずなのに、その録音録画が実質証拠として使われるという、取調べ可視化が検察の実に狡猾な戦略により逆利用されているという点です。これらについてはまた機会を改めて議論したいと思います。そもそも自白の証明力を過大評価し、「自白が取れれば事件解決」とする捜査手法の在り方が最大の問題点でもあります。

吉田有希ちゃんの冥福を祈ります。

(注1)
ここをクリック→ 産経ニュース「遺棄現場での殺害は「ありえない」 遺体解剖の法医学者が証言」

弁護側鑑定人の法医学者が「現場の地面は落ち葉に覆われていて、血がほとんど染み込まない」としたのに対し、判決では「その根拠が明らかではなく合理的とはいい難い」とされています。落ち葉に覆われていても、血が落ち葉をすり抜けるわけはなく、また地面に染み込んだにしても、そこからルミノール反応が出ないということはないように思えます。

(注2)
ここをクリック→ フィルム・レビュー  『父の祈りを』 (1993年) ジム・シェリダン監督


参考文献
『冤罪File』 No.22 2015年3月号 「今市幼女殺害事件 犯人と断定したDNAが実は捜査一課長のDNAだった!?」 片岡健
『冤罪File』 No.24 2016年3月号 「栃木吉田有希ちゃん殺害事件 被告人の実母が明かしたタブーすぎる捜査の内幕!」 片岡健
『冤罪File』 No.25 2016年7月号 「今市幼女殺害事件 全判決詳報!」 片岡健
















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category: 冤罪ファイル

2017/06/04 Sun. 15:48 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その15 「豊川市男児連れ去り殺害事件」 

冤罪ファイル その15 「豊川市男児連れ去り殺害事件」

2002年に愛知県豊川市で起こったこの事件は、深夜、ゲームセンターで父親が遊んでいる間に、駐車場の車中から当時1歳10カ月の男児が何者かに連れ去られ、その4時間後に4キロ離れた海岸から遺体で発見されたものです。

事件発生直後、現場の駐車場に止めた車の車内で寝ていた男性、田辺雅樹さん(旧姓河瀬)が犯人とされ、後日逮捕。田辺さんは、一旦は自白したものの、以後一転して無罪を主張。一審は無罪、控訴審で逆転有罪となった事件です。

世の中には虚言癖という人がいます。但し、嘘をつくといっても、必ずしも虚栄心から自分をよく見せようとする人ばかりではありません。

心理学のサイトを見てみると次のような記述がありました。

「子供のころ、周囲に受け入れられず、人格や存在を否定することばかりを受けていたり、そのために孤立したり、いじめを受けていたりという成育歴を持っていると、おのずと、孤立を回避するために周囲に迎合するという処世術が身に付いてきます。根源に、人に拒絶されることへの恐れがあります。まだ社会性の乏しい、純粋だった子供時代に、基本的な自分の気質を受け入れることができなかったのです。根底にあるのは、疎外や孤立への怖れです。その原因は、自分の性格と処世術の悪さにあると、ずっと思ってきたのです。ですから、人間関係で失敗はできない、自分が嫌いな人からも好かれたいと、無意識に脅迫的に考えているところがあります。」

その「周囲に迎合する」ということが、その場限りの嘘をつくことにつながります。この事件で犯人とされている田辺さんは、そのような人物に思えます。彼の言っていることは、警察、検察の取調べや公判のみならず、弁護士や勾留時の同房の者に対しても二転三転しています。

私が裁判員であれば、まず彼の言っていることは除外して、客観的な事実は何を物語っているかを考えます。つまり、警察、検察の取調べで自白していても、あるいは公判でそれを翻して無実を主張しても(それは冤罪の典型的パターンなのですが)、それらのいずれにも引きずられるのではなく、何が客観的な証拠から推認できるかを考えたいと思うはずです。

この事件は、一審無罪でありながら、控訴審で逆転有罪(懲役17年)というものですが、それらの判決文を精査すると、その事実認定には驚かされます。

我々は法律の専門家ではありませんが、裁判員になることがあります。なぜ我々がその責任を果たせるかといえば、刑事裁判において重要なのは、専門的な法律的知識ではなく、一般常識に依拠した事実認定が重要だからです。

是非皆さんも、この事件を裁判員になったつもりで検討してみて下さい。

<事件経緯>
ここでは、控訴審裁判体が有罪判決において認定した事件の経緯を記します。

「被告人は、2002年7月27日午後9時前頃、軽自動車(あずき色のスズキ・ワゴンR)を運転して、WAVE豊川白鳥店の駐車場に向かった。

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スズキ・ワゴンR

それ以前より妻や義母と折り合いが悪く、自宅で寝泊まりすることを拒絶されるようになり、その日もいつものように夜を車中で過ごすためであった。建物から離れた場所には既に車両が駐車してあったことから、建物西側に沿った、北側から4、5台目の位置に駐車した。

ここをクリック→ Googleマップ WAVE豊川白鳥店

エンジンを切って、運転席側の窓を10センチメートルくらい下げて開け、運転シートを倒して横になった。その日、子供に宿題の答えを教えたことで妻から文句を言われたことが頭から離れず、なかなか眠れなかったが、しばらくすると眠っていた。

その後、突然「バリバリ」という大きなエンジンの音が聞こえてきたので目を覚まし、少し上体を起こしてみたところ、2人乗りの原付が3台走っていくのが見えた。時間は午前1時過ぎだった。原付を見た視線の先に、大きなワゴン車(白のシボレー・アストロ)があり、その右前の窓が全開になっていた。そして、その車内から、「うわーん、うわーん」と、甲高い赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

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シボレー・アストロ

(駐車場の状況及び2台の車の位置関係は非常に重要です。上のGoogleマップの写真で、WAVEと同じ駐車場敷地内に、北にコンビニエンス・ストア(ミニストップ、2016年7月現在は「かつさと」)、隣接した南に夜間はクローズする店舗(ユニクロ、2016年7月現在は「ビッグエムワン」)があります。連れ去られた男児が乗っていた白のアストラはWAVE建物から2列目、ミニストップから2台目の場所に止まっていました。あずき色のワゴンRが止まっていたとされるのは、その斜め向かい、建物に沿った北から4ないし5番目の位置でした。)

被告人は、再び眠ろうと思い、運転シートに横になったが、赤ん坊はいつまでたっても静かにならず、眠ることができなかった。赤ん坊の泣き声は、だんだん大きくなって、最後には力の限り泣き叫ぶというような泣き方になった。30分くらい、赤ん坊の泣き声を聞いていたが、腹が立ち、赤ん坊をどこかに連れて行って、置いてこようと考えた。

車から外に出て、被告人が車両に近づくと、赤ん坊は助手席側窓に寄ってきて、窓の下枠に両手をついて、上半身を窓の外に乗り出してきた。赤ん坊は泣き疲れているようだった。

車内や周囲に人が見当たらなかったことから、被告人は、赤ん坊を抱いて車に戻り、助手席に座らせると、すぐにエンジンをかけて車を発進させた。そのときの状況で、コンビニの横に3人くらいの若い男が立っていたことを覚えている。

被告人は、駐車場の東側出口を出て右折した。最初の信号が赤だったので止まり(注:この信号は深夜0時以降、赤の点滅になることが弁護団の調査で判明しています。上告の際に、自白と矛盾する証拠として提出しましたが、最高裁で判決が覆ることはありませんでした)、赤ん坊の方を見ると、赤ん坊は眠りかけている様子だった。被告人は、赤ん坊が目を覚ましたときに動き回らないようにするため、助手席のシートベルトをかけた。この時、赤ん坊をどこに置いてくるかを考え、三河臨海緑地へ行くことにした。

被告人は信号が青に変わると、交差点を右折して直進し、豊橋バイパスの交差点を左折して、国道247号線を走行し、三河臨海緑地に向かう交差点を右折しようとしたところ、赤ん坊が目を覚まして泣き出した。

ここをクリック→ WAVE豊川白鳥店から三河臨海緑地へのルート

被告人が、交差点を右折してすぐの所にある三河臨海緑地の駐車場に入ると、駐車場には数台のトラックや普通乗用自動車が止まっており、奥の方にも車が止まっていた。そのため、赤ん坊を駐車場に置いておくことができなかった。被告人は、人気のない場所へ行こうと考え三河臨海緑地を出たが、その時、とっさに、赤ん坊を海に投げ捨ててしまおうと考え、岸壁に向かった。

岸壁に沿った道路に車を止め、ライトを消し、エンジンも止めた。赤ん坊は眠った様子で、静かになっていた。被告人は車から降り、助手席ドアを開け、赤ん坊を車の外に出した。

被告人は、海の方に正面を向いて、赤ん坊を持ち上げ、ガードレールを越えさせて、岸壁とガードレールの間に立たせた。赤ん坊は、完全に目が覚めていない様子だったが、自分の足で立っていた。そして、被告人もガードレールを越え、赤ん坊の頭が被告人の顔の前辺りにくるくらいまで身体を抱き上げ、一気に海の方に向かって投げた。赤ん坊は、頭から海面に落ちていき、白い水しぶきが上がったのが見えた。赤ん坊の身体は、一旦海面の下に沈んだが、すぐに頭が浮かんできたのが見えた。

その後、被告人は、赤ん坊を連れ去ったことが警察に発覚しているか気になったことから、WAVE豊川白鳥店の様子を見に行くことにした。駐車場に入ると、パトカーが3台くらい止まっているのが見えたため、赤ん坊がいなくなったことが警察に知られているのだと思い、車を駐車場に止めた。被告人は、シートを倒して横になり、「どうしよう、捕まったら死刑になる」などと考えていたが、30分から1時間くらいしてから、この場所にいることはできないと思って移動した。

<裁判経緯>
2002年7月28日 事件発生
2003年4月13日 この日も事件現場と同じ駐車場で寝ていた田辺雅樹を任意同行。取調べで犯行を自白したため、4月15日逮捕
2006年1月24日 一審名古屋地方裁判所は無罪判決(伊藤新一郎裁判長、伊藤裁判官は福井女子中学生殺人事件で再審開始を決定)

田辺雅樹

無罪判決後の田辺さん

2007年7月6日  控訴審名古屋高等裁判所は逆転有罪判決、懲役17年(前原捷一郎裁判長、主任坪井祐子裁判官、坪井裁判官は日野町事件一審で無期懲役を判決)

前原捷一郎

前原捷一郎裁判官

2008年9月30日 最高裁上告棄却
現在、大分刑務所に服役中

<争点>
この事件では、客観的事実を示す物証は皆無です。それゆえ事件から田辺さんの逮捕まで9ヶ月もあり、迷宮入りを危ぶまれた事件でした。それでは、なぜ警察が田辺さんを怪しいと思ったかから解き明かしていきたいと思います。

容疑者は田辺さん一人ではありませんでした。事件発生当時、駐車場は深夜営業のゲームセンターやコンビニエンス・ストアの敷地内とあって、相当数の車が駐車し、深夜にもかかわらず人の出入りもありました。

警察は男児が連れ去られたと通報があった後、現場駐車場で駐車している車のナンバーチェックをしています。しかし、その時点で田辺さんが車を止めていたのは、WAVE建物西側沿いではなく、ユニクロの前でした。これは後に非常に重要な意味を持ちます。

ユニクロ

警察は、事件発生後、ナンバーチェックに該当した車の所有者に事情聴取をしています。田辺さんが事情を聞かれたのは事件から1週間後でした。何をしていたかと聞かれた彼は、「友人とコンサートに行く予定で、待ち合わせをしていました」と答えます。彼は、その友人の勤務先と名前、コンサートの内容を告げましたが、警察の捜査で、勤務先には友人とされた人物はおらず、コンサートも存在しないものだということが分かりました。その嘘により警察は田辺さんをマークすることになります。

そして事件から2ヶ月後、田辺さんは乗っていたワゴンRを売却します(以前からのオイル漏れの修理費がかさむことを知らされたため)。それが証拠隠滅とみなされ、彼に対する嫌疑は一層強まりました。警察は、その車を押収し、徹底した鑑識を行い、車内から4人分の指紋、毛髪32本、繊維のかけらが検出されましたが、男児と結び付くものはありませんでした。

事件発生から9ヶ月が経過し、捜査が行き詰まり焦る警察は、田辺さんを任意同行し、「カマをかける」取調べをしました。事件現場と同じ駐車場に寝ている田辺さんを午前4時過ぎに警察署に連行し、その日の取調べは夜の9時まで約17時間も続きました。その後、2人の捜査員は田辺さんを近くのビジネスホテルに連れて行き、一緒に宿泊しています。翌日、午前8時から始まった取調べは、深夜まで続き、田辺さんは自白します。2日間で取調べは計32時間に及びました。

有罪判決における事件経緯の事実認定で、いくつかの疑問を感じた方もいらっしゃると思います。私が疑問に思った点を挙げます。

① これから車中で夜を過ごそうとする者が、人の往来が頻繁なコンビニエンス・ストアやゲームセンターの前に駐車するだろうか。(公判で否認後に主張しているように)夜間に閉店する店舗(ユニクロ)周辺に止める方がより自然な行動ではないだろうか。

② 狭い空間(例えば飛行機内や列車内)で赤ん坊の泣き声にいらつくことはあっても、そもそも車外にもれる赤ん坊の泣き声は、ほかの車内にいる者がいらいらするだけの音量なのだろうか。そして、いくら赤ん坊の泣き声がうるさくても、窓を閉めたり移動したりすればいいだけのこと。赤ん坊の泣き声にいらついて、赤ん坊を連れ去ったり、殺害したりするというのは余りに短絡的かつ非常識ではないだろうか。

③ 赤ん坊を連れ去ったからには、車内に何らかの痕跡が残り、DNA型鑑定でその存在は証明されるはずなのではないか。

④ もし駐車場から赤ん坊を連れ去ったとして、そしてもしその現場に戻ったとしても、パトカーがいるのを見たら、駐車場に入ったりその場に留まったりすることはあり得るだろうか。その場で踵を返すのが不審に思われると感じたなら、敷地内のコンビニエンス・ストアに寄るなどして直ちに立ち去るのが自然な行動ではないか。

私と同じ疑問を感じたからこそ、一審は、客観的事実を裏付ける物証の全くないこの事件で無罪を判じたものです。

これを逆転有罪とした控訴審判決では、これらの疑問に対してどのように述べているでしょうか(控訴審判決文より)。

① (相当広い駐車場にもかかわらず)「建物から離れた場所には既に車両が駐車してあったため」

② 「(被告人は)普段から抑圧されているので、代償として弱い者に対して攻撃的になりやすいこと、一旦、パニックになると適切な行動がとれないことがあること、近年は妻や義母との関係がうまくいっておらず、わずかな小遣い以外は全部の収入を取り上げられる一方、自宅で寝泊まりすることを拒絶されて、車中で夜間を過ごすといった不自然な生活を強いられて不満が高まっていたこと、当日は、妻から一方的に怒鳴られてイライラしていたこと、そこに被害児の泣き声が重なって激高したこと、カッとなって被害児を連れ去ってみたものの、泣き出されてパニックになってしまったこと、そこで海中に投棄することが頭に浮かび、実行してしまったこと、などが述べられており、これらの付加的な情報も併せて動機を考えれば、一応、筋の通った説明になっている。」

③ 「ワゴンRに対する実況見分及び鑑識活動では、指紋検出や車内の微物採取のほか、尿や血液反応の有無が調べられたというのであるが、被告人の自白では、被害児が本件ワゴンRに乗車していた時間はせいぜい20分間程度で、この間、被害児は少しはぐずったり泣いたりしたとはいいながらも、おおむねはうつらうつらとしていたというのであるから、この様態では、被害児の尿や血液、毛髪などが本件ワゴンRに遺留される可能性は小さかったといわざるを得ない。また、指紋については、時間の経過とともに、その成分である水分や脂質が薄れていくものであるし、被告人が、本件ワゴンRを日常的に使用していたことを考えれば、そのことで指紋、毛髪などの資料が失われていくことは十分に考えられる。そうすると事件の発生から2か月余を経て実施された鑑識活動で被害児に結びつく資料が発見される可能性はもともと極めて小さく、まさに九牛の一毛を探し出すような作業であったと考えられる。」

④ 「重大事件を起こした犯人であれば犯行現場の様子や捜査機関の動きを知りたいと考えるのが当然であるし、事後の行動とも矛盾はなく、自然な理由付けになっている。」「警察の動きを確認するために現場に戻ってきた犯人が、パトカーを見てすぐにその場から引き揚げたのでは、かえって捜査機関の注意を引くことになってしまうのであり、駐車場の車内で寝たふりをしながらほとぼりがさめるのを待ち、しかる後に立ち去るというのは誠に合理的な行為で、疑問を差し挟む余地はない。」

あなたが裁判員だとした場合、これらの裁判官の主張は納得のいくものでしょうか。

一審無罪判決文の中で、私が感じ入ったのは、裁判官が実際に犯行時間に相当する深夜に現場検証を行ったことを伺わせる次の文でした。

「裁判所の検証結果によれば、被告人が被害児を投げ込んだとされる北側岸壁沖の海上は夜間には大変暗い状態にあることが認められ、海中に投げ込まれた被害児の頭部が岸壁から視認し得たというのには疑問がある。」

これに対しても、控訴審の判決は次のように述べます。

「公知の事実として、人がしばらく暗い場所にいると視覚の暗順応が生じ、わずかな光源でもある程度の視認は可能になることが認められるところ、夜間に北側岸壁が暗い場所であったとしても、月光などの光源があれば被害児の頭が浮かぶ様子が見えることは十分に考えられる。また、実際に被害児の頭を見ることはなかったとしても、罪もない幼児を殺害した直後の異常な精神状態の下では、波の上に被害児の頭が現れた光景が目に浮かんだとしてもおかしくはなく、少なくとも被告人の目にはそのように映り、被告人がそれを「見た」と供述したということもあり得る事態である。そうすると、この点の供述が不合理、不自然であると決めつけることはできない。」

真っ暗闇の中で物が見えたことは、幻想であっても不自然ではないと片付けています。結論ありきのこじつけのように聞こえます。

また、田辺さんの供述には重大な変遷がありました。それは男児を海に放り投げる動作に関するものです。

4月14日逮捕前の警察取調べ 「岸壁に立たせた男児の背中をどんと押して海に突き落とした」
4月15日検察取調べ 「バスケットボールを投げるようにして投げた」
4月30日検察取調べ 「男児の頭が自分の顔の前辺りまでくる程度に持ち上げてから投げた」

海岸1

なぜ、このような変遷が生じたかと言えば、犯行時間は丁度干潮であったため、海に突き落としただけでは、海面上に現れた岩場によって、遺体に損傷が生じるからです。そのような傷は遺体にはありませんでした。

一審判決はこの供述変遷を重視し、次のように判じています。

「その客観的事実に矛盾が生じないよう、捜査官が被告人の供述を誘導したという弁護人の指摘を直ちに排斥することはできない。」

しかし控訴審では、検察の「捜査官が、被告人に対し犯行様態を詳細に尋ねていった結果、被告人の供述が詳細になっていった」という主張をそのまま採用しました。

このように、一般常識に図ると非合理的であると思われる事柄を、控訴審判決では、可能性の論理で処理しています。それは有罪を導き出さんがためとも感じられるものです。

海岸2

あまりに脆弱な動機に、控訴審判決では更に、以下のように自白でも語られていないことを想像で補っています。

「被告人の目には、被害児の父が我が子をも顧みずにゲームセンターに入り浸るようないい加減な親にみえたであろうし、自らの生活(妻と不仲で軽自動車で寝泊まりしている)に引き比べて高級そうな外車を乗り回している被害児の父にやっかみを感じたことも十分にあり得るところ」「そうすると、そういった被告人の被害児の父への反感が、本件各犯行の動機の一端となっている可能性が相当にあると思われる。」

このように全く自白と異なることを挙げ、控訴審判決は、自白を「真の感情を吐露していない」と評価し、更に言い訳するかのように次の通り付け加えます。

「本件が全くの理不尽な行きずりの犯行で、犯人の動機が唖然とするような類のものであったとしても、それはこの事件の性質からみるとあり得ないことともいえない。」

<論評>
刑事訴訟上の法原理では、被告人を自白のみで有罪とすることはできません。これを「補強法則」と呼び、憲法で規定されています。

憲法第38条第3項
「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」

この事件でも、田辺さんの自白が最大の有罪の積極証拠でありながら、それだけでは有罪とできないため、控訴審の裁判体はほかの証拠を挙げています。それは何でしょうか。

それは判決の「結論」に如実に書き記されています。引用します。

「犯行当日に行われたナンバーチェックの結果によれば、平成14年7月27日午後10時30分ころには本件駐車場の西側部分に被告人が自家用車及び夜間のねぐらとして使用していた本件ワゴンRが駐車しており、翌日午前零時ころまではその場に停められていたにもかかわらず、午前3時10分ころには同じ駐車場の北側部分に駐車位置が変わっていたことが認められる。」

控訴審では、検察側の新証拠として、白のアストロの斜め向かいに、事件当時「あずき色のワゴンRが止まっていた」という2人の証言が採用されました。しかし、当該車に田辺さんが乗っていたことも、あるいは田辺さんの車のナンバーまで記憶していたわけではありません。目撃証言は、ただ単に「あずき色のワゴンRが止まっていた」というだけです。弁護団の調査では、豊橋ナンバーの同車は910台もあります。

有罪判決を煎じつめると、この駐車場内で、事件をまたぐ時間帯で、「あずき色のワゴンR」が駐車位置を移動したことが、男児殺害の自白以外のほぼ唯一の証拠となっています。この「あずき色のワゴンR」は田辺さん所有のものに間違いはなく、彼がその夜は当初からユニクロ前に車を止めていたということは嘘であり、嘘をつく理由は殺害を実行したからに違いないとする論法です。

冒頭述べたように、私は田辺さんの言葉を額面通り受け取れません。悲しいかな、彼は周りに同調し、その場を取り繕う傾向があるように感じるからです。そして弁護団が、「あずき色のワゴンR」は田辺さんのものではないと強弁しても、もしかするとそれは田辺さんの車であった可能性もあると考えています。

そうすると、田辺さんは嘘をついていることになりますが、嘘をついた理由は、控訴審裁判体が認定したような、彼が殺人を犯したからという荒唐無稽のものではないと考えます。彼がもし車を移動したとすれば、その理由は「それは赤ん坊がうるさかったから」だと考えます。それではなぜ、彼はそのように言わなかったか。それは、事件に巻き込まれるのが怖かったからです。事件直後の警察のナンバーチェックでは、ユニクロ前に車を止めていたことが確認されています。白のアストロの斜め向かいに止めていながら、それを移動したことを怪しまれないよう、「愚かにも」嘘をついた可能性があると考えます。

私は、もし彼が車を移動していたとしても、そうした理由で嘘をついた方が控訴審裁判体の認定よりもはるかに蓋然性の高い可能性だと考えます。

捜査段階での自白が必ずしも正しくないと感じるのは、それが合理性に欠けるというだけではありません。そこに犯人しか知り得ようがない「秘密の暴露」がないからです。「秘密の暴露」がない自白は、証明力を著しく低く評価する必要があります。裁判官であれば、そのことを知らないはずがなく、「秘密の暴露」がない自白を重要視した判決には、意図的なバイアスを感じます。

控訴審判決「結論」は、次のように結ばれます。

「被告人の犯人性についての消極的な情況事実としては、動機の自白が全面的に信用できず、明らかといえない点を挙げ得るものの決定的な要素とはいえず、その他には被告人が犯人でないことを指し示す事情は見当たらないといってよい。

これらを総合すると、被告人が本件各犯行の犯人でる旨の捜査段階の自白は、その根幹部分において十分な信用性が認められるのみならず、かつ、この自白の真実性を担保するとともに、それ自体被告人の犯人性を指し示す補強証拠(注:駐車位置の虚偽の供述)もあり、他方、被告人が犯人であるとの認定に合理的な疑いを差し挟むべき事情はないのであって、被告人が各公訴事実の犯人であることの証明は十分である。」

「被告人が犯人でないことを指し示す事情は見当たらない」とするのは、無罪立証責任を被告人・弁護人に押しつけるもので、推定無罪原則を唾棄した職業裁判官とは思えないレベルの判決です。

高圧的な取調べを行った警察・検察も迷宮入りを避けたかったのでしょうが、それは冤罪を生んでもよいということでないことは言うまでもありません。

自白偏重の捜査、裁判を続ける限り、このような冤罪は生み出され続けると思われます。もし皆さんが有罪の根拠が自白に基づく事件に遭遇した場合、そのことを思い出して下さい。

参考資料:
雑誌『冤罪File』No.16 2012年7月号 「<逆転有罪判決のウラにはあの女性裁判官の存在が...>愛知県豊川市の幼児誘拐殺害事件」一原知之

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表紙1


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category: 冤罪ファイル

2016/03/21 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その14 「岩手17歳女性殺害事件」 

冤罪ファイル その14 「岩手17歳女性殺害事件」

このポスターを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

公的懸賞金

岩手17歳女性殺害事件の容疑者として指名手配をされ、捜査特別報奨金(公的懸賞金)の対象にもなっている小原勝幸容疑者のポスターです。このポスターを見れば、ほとんどの人は、彼が犯人で間違いないという印象を持つと思います。

しかし、事件をつぶさに検証すると、この事件の犯人を小原容疑者とすることには強い疑念があります。しかも、彼は犯人どころか、犠牲になった被害者女性同様に被害者であり、もうこの世にはいない可能性すらあります。

一見、(犯人が誰かということを別にすれば)単純な殺人事件のようですが、その背景は非常に複雑です。そしてその複雑な背景を探ると、恐ろしい深淵を覗きこむように感じられます。

<事件経緯> 
2008年7月1日午後4時半頃、岩手県川井村の沢で17歳女性の他殺体が道路工事作業員に発見されました。その女性の名前は佐藤梢さん。遺体発見場所から約170キロ離れた宮城県登米市に住んでいました。

死亡推定時刻は、発見前日の6月30日頃から同日7月1日頃。死因は頚部圧迫による窒息もしくは外傷性脳障害とされました。

ここをクリック→ 「遺体検案書(写し)」

容疑者として浮かび上がったのが、小原勝幸でした。佐藤さんは、6月28日夜10時過ぎに知人男性といた時に、小原容疑者から電話で呼び出され、その知人男性に「友達の彼氏から恋愛相談のために呼び出されたから行ってくる」と言い残して別れました。午後11時頃に宮城県登米市内のコンビニで、一人で立ち読みする姿が防犯カメラに映っており、それが佐藤さんの姿が見かけられた最後でした。

佐藤さんと小原容疑者は友人でした。彼らの出会いまで時間を遡ると、実に不思議なことが分かります。事件から約1年半前の彼らが出会った2007年2月まで時間を巻き戻します。

2007年2月頃、小原容疑者と後輩の男性2人がゲームセンターで、2人の女性をナンパします。その女性の一人が、岩手17歳女性殺害事件の被害者となった佐藤梢さん。その時、佐藤梢さんと一緒にいて、この後小原容疑者と付き合うことになったもう一人の女性の名前も佐藤梢さんでした。2人は同姓同名だったのです。この同姓同名の高校同級生2人が小原容疑者と出会うことで、この後2人の運命は数奇な展開をすることになります。ここでは、小原容疑者の恋人になる佐藤さんを「梢A」、殺害されることになる佐藤さんを「梢B」と呼ぶことにします。

2007年5月1日、小原容疑者と佐藤梢Aさんは、恐喝事件に巻き込まれます。小原容疑者は知人男性Z氏(当時30代)の紹介で就職先をあっせんしてもらっていましたが、彼が数日で仕事場から逃亡していたことからその知人が腹を立てていると聞き、謝罪に行きました。Z氏の家には、小原容疑者と弟(三男)、そして佐藤梢Aさんが出向きましたが、佐藤梢Aさんは外の車で待っていました。

Z氏はメンツを潰されたことを理由に迷惑料120万円(10万円x12ヵ月)を要求します。Z氏は日本刀を小原容疑者に咥えさせ、さらに迷惑料が払えないなら指を詰めろと脅かしました。借用書の連帯保証人の欄に、弟の名前を書こうとしたところ、弟が拒否したため、小原容疑者が書いた名前は「佐藤梢」でした。

その後、小原容疑者はZ氏にお金を払うことなく逃げ回ることになります。しかし翌年、Z氏が「全国指名手配」という携帯サイトに小原容疑者の実名と顔写真を添付して「金を払わず逃げ回っているとんでもないやつです。見つけたら連絡下さい」と書き込みをしていたことから、逃げ切れないと観念した小原容疑者は、恐喝の届け出を佐藤梢Aさんと共に岩手県警久慈署に出します。2008年6月3日のことでした。

その後、事態は急展開を迎えます。6月28日昼過ぎ、小原容疑者は突然、恐喝の被害届を取り下げると言い出します。しばらく前から小原容疑者と別れたいと思っていた佐藤梢Aさんはこの日、実家に逃げ帰っていました。携帯電話の小原容疑者は緊迫した声で、「一緒に行かないと取り下げできないから」と食い下がりましたが、佐藤梢Aさんは自分を連れ戻す口実だろうと応じることはありませんでした。

その夜、小原容疑者は付き合っていた佐藤梢Aさんの代わりに、佐藤梢Bさんを呼び出しました。佐藤梢Bさんから実家にいた佐藤梢Aさんに電話があったほか、メールを6回交換しています。

佐藤梢Aさん
「あのとき、彼女(佐藤梢B)の横にはカッチ(小原容疑者)がいたんじゃないかな。まるで代わりに聞いているみたいな質問ばかりだったから」

最後のメールが届いたのは29日午前0時半頃でした。

佐藤梢Bさんの遺体が発見されたのは、その2日後のことでした。

<争点>
警察は、佐藤梢Bさんの殺害を小原容疑者の犯行とし、殺害現場を「小原容疑者の車の中」と断定しています。その物証は、「佐藤さんの毛髪と履き物が見つかったこと」。しかし、それは佐藤さんが車に乗った証拠にはなっても、そこで殺されたという根拠にはならないものです。しかも不思議なことに、車内から見つかったとされるのは、佐藤さんの遺族が娘のものではないという赤いパンプスでした。遺族は、あの日佐藤さんが履いて出かけたのはキティのサンダルだったと証言しています。そして車内のDNA型鑑定をしているという報道があったものの、その結果を警察は発表していません(即ち、失禁等の扼殺の痕跡は確認されていません)。

6月28日以降の小原容疑者の足取りを追ってみます。もし佐藤梢Bさんの死亡時間が、遺体検案書通り6月30日から7月1日にかけてであれば、小原容疑者には確実なアリバイがあります。

6月29日午前2時過ぎ
岩手県盛岡市内(佐藤梢Bさんが最後に目撃された宮城県登米市からは高速で約2時間)のガソリンスタンドの防犯カメラに、右手に白い布を巻いた小原容疑者の姿が映っていました。そして朝9時頃岩手県田野畑村(盛岡市から約100キロ)の弟(次男)の家に現れます。小原容疑者の様子は普段通りでしたが、右手に大けがをしていました。けがの原因を小原容疑者は「壁とけんかした」と言っていましたが、かなりひどい状態でした。

勝幸最後の写真

弟に付き添われてその日のうちに診察を受けます。完全に握力がない状態で、そのまま放置しておけば、一生手が動かないほどの機能障害が残るほどのけがだったため、大病院で再診察を受けるよう診察されました。

ここをクリック→ 小原容疑者の右手を診察した医師のインタビュー

右手の治療をした後、小原容疑者は弟の家に2泊します。6月29日と30日です。田野畑村から遺体が発見された川井村まで車で片道2時間近くかかります。弟の家にいる間、小原容疑者が4時間以上家を空けた事実はありません。

6月30日昼頃
小原容疑者は久慈署の担当の千葉警部補に恐喝の被害届の取り下げを申し出ていますが、断られています。その夜、小原容疑者の父も、千葉警部補に電話をして、取り下げを依願しますが、立件を狙っていた警察は取り合わず、被害届が取り下げられることはありませんでした。

7月1日の朝9時頃
小原容疑者は幼なじみの男性宅を訪問しました。訪れた時、小原容疑者に特に変わった様子はなかったと言います。小原容疑者は一旦、買い物のため5時過ぎに外出をします。そして7時半頃、小原容疑者が家に戻った時の様子の変貌ぶりに幼なじみの男性は驚いたといいます。彼が家に入るように言っても、小原容疑者は車の運転席に座ったまま取り乱して、「頑張っても頑張っても誰も認めてくれない」と言って泣いていたとされます。

小原容疑者が幼なじみ男性の家から外出する少し前の4時半頃、車で2時間離れた川井村の沢で、佐藤梢Bさんの遺体が発見されました。

ここをクリック→ 小原容疑者の幼なじみ男性インタビュー

7月1日夜9時頃
小原容疑者は田野畑村近くの県道で、自動車事故を起こしました。

自動車事故

その直後通りかかった男性が、小原容疑者を実家まで送って行きました。小原容疑者は酒に酔った様子で、「もう俺はおしまいだ。死ぬしかない」と言っていました。そしてその日、小原容疑者は実家に泊っています。

7月2日早朝
親戚宅を訪れます。車が故障したから送ってくれと依頼した小原容疑者を、親戚の方が下したのは、鵜の巣断崖へと続く一本道でした。鵜の巣断崖は、自殺の名所としても有名なところです。

ここをクリック→ 岩手県田野畑村ホームページ「鵜の巣断崖」

そこから小原容疑者は、前日に訪れた幼なじみ男性に自殺をほのめかすメールをします。彼がスクーターで駆けつけたところ、小原容疑者は誰かと携帯電話をしており、普段通り会話をしていた様子から自殺する雰囲気はないと見た幼なじみ男性は缶コーヒーを置いて去りました。そしてその幼なじみ男性は、小原容疑者の電話の相手は、会話の内容が前日話していた内容と同じであったため、前日の電話の相手だった恐喝事件担当の岩手県警久慈署千葉警部補だと思ったと言います。それが、小原容疑者が目撃された最後でした。

7月3日
小原容疑者の遺留品が鵜の巣断崖から見つかりましたが、見つけたのは警察ではなく、鵜の巣断崖の掃除に来ていた田野畑村の職員でした。前日、その場に小原容疑者がいたことは、やはり自殺をほのめかすメールを受けて心配した佐藤梢Aさんが警察に通報しています。それでありながら「(もし警察が隠していないのであれば)警察は現場に向かっていなかった」ということになります。不思議なことに残されていたサンダルは、彼が履いていた白いサンダルではなく、青地に赤い縞模様のサンダルでした。

このように小原容疑者には、もし佐藤梢Bさんの殺害が6月30日から7月1日であったとすれば、遺体発見現場の川井村から車で片道2時間離れた田野畑村に、弟あるいは幼なじみ男性と一緒にいたというアリバイがあります(その弟あるいは幼なじみ男性が共犯という可能性が残るはずですが、警察はあくまで小原容疑者の単独犯という筋立てです)。

アリバイのほかにも、小原容疑者の無実を裏付ける状況証拠があります。その最大のものは、彼には佐藤梢Bさんを殺害する動機が全くないことです。佐藤梢Bさんは、自分と別れようとしている彼女の友人です。彼女とよりを戻すための橋渡しになることはあっても、その佐藤梢Bさんを殺害するという理由は存在しようがありません。

また右手のけがは非常にシリアスなものであり、利き腕の右手の握力が全くない状態で扼殺したり、遺体を欄干越しに投下することを一人で行うのはほぼ不可能だと思われます。

警察は当初、死亡推定時刻を遺体検案書にある「6月30日から7月1日」としていましたが、29日に右手の診察が行われた事実を知った後、佐藤梢Bさんが失踪した28日以降と死亡推定時刻の範囲を拡大しています。その理由が、小原容疑者の右手のけがでは、彼の犯行が不可能であることを警察は十分理解していたためということは明らかです。

勿論、犯行時刻と死亡推定時刻の間に相当間隔があったと推定することは可能です。即ち、佐藤梢Bさんが首を絞められ、沢に落とされた時にはまだ息があり、その後1日以上時間が経ってから死亡したと仮定することで、小原容疑者のアリバイは崩れるということになります。しかし、その場合でも、小原容疑者に動機がないことには変わりなく、動機の不在は彼の無実を示す重要な意味を持っていると思います。

また犯行が行われたであろう6月30日以降、小原容疑者は、恐喝事件担当の久慈署千葉警部補と何度も電話で会話していました。殺人を犯した者が、警察と積極的に連絡を取り合うというのは、常識から考えてあり得ないことだと思われます。

小原容疑者が無実である有力な事実がいくつもあるのに対し、彼が殺害に及んだと示す証拠はほとんどないに等しいものです。小原容疑者家族のみならず、殺害された佐藤梢Bさんの家族も共に、警察には徹底した捜査を求めています。加害者(容疑者ですが)家族と被害者家族が共に警察に不信を抱いているというのは異常な事態だと言えます。

<論評>
政府広報オンラインに、指名手配、小原容疑者が指定されている警察庁指定重要指名手配被疑者及び捜査特別報奨金制度が分かりやすくまとめられています。

ここをクリック→ 政府広報オンライン「あなたの通報が検挙につながる 指名手配被疑者の捜査にご協力を」

これによれば、2014年12月時点で指名手配者は約700人に上り、そのうち「警察庁が、凶悪犯罪または広域犯罪の指名手配被疑者のうち、全国警察を挙げて捜査をする必要性の高い者」を「警察庁指定重要指名手配被疑者」としており、2014年12月時点では14人、そしてそのうち報奨金の支払い対象になっているのは3人です。小原容疑者はその3人のうちの1人です。

ここをクリック→ 警察庁指定重要指名手配被疑者

3人のほかの2人の罪状を見てみると、一人はストーカー行為の末、相手家族の3人を殺害した者(群馬一家3人殺害事件/小暮洋史容疑者)と、もう一人は、居候をさせてもらっていた知人男性の金を奪った上で殺害したとされる元暴力団関係者の男(三鷹市居酒屋副店長強盗殺人事件/上地恵栄容疑者)です。罪状も悪く、更に重要なことに、犯人性の確度が高い容疑者という共通点があります。

小原容疑者に報奨金が懸けられたのは、事件からわずか4ヵ月足らずでした。報奨金の対象となっているほかの2人は、小暮容疑者は事件発生から9年10カ月、上地容疑者が事件発生から2年経ってから報奨金が懸けられています。報奨金制度は市民からの情報提供を促すためにあるものですが、それは警察が独力で情報収集することを諦めたことを意味します。

公判で有罪にもなっていない者を「犯人です」と断定するほど警察を前のめりにしている理由はなんでしょうか。そして、警察が早々と捜査を諦め、小原容疑者をこのように大々的に犯人視していることを宣伝している理由はなんでしょうか。その背景を探ると、それが警察の失態の隠蔽工作であるとの疑いが浮上してきます。

遺体発見の翌朝5時頃という早朝に、岩手県警宮古署から身元照会の電話がかかってきました。

「お嬢さんは無事ですか?いますか?」

しかし、警察が電話をしたのは、殺害された佐藤梢Bさんではなく、佐藤梢Aさんの家でした。佐藤梢Aさんの連絡先は、恐喝事件の件で久慈署に届けてあります。つまり、警察は遺体発見後の早い段階から、殺人事件と恐喝事件の関連性を認識していたということです。但し、彼らは同姓同名の「佐藤梢」が2人いるということは理解していませんでした。

そして遺体の身元が判明するのはそれから12時間後の、7月2日の午後5時頃のことでした。

小原容疑者が鵜の巣断崖から姿を消してからの足取りは、彼が容疑者である以上、殺害事件の捜査の最重要事項だと思われます。しかし、警察は周辺道路の検問や地元住民への聞き込みといった捜査を一切していません。

鵜の巣断崖は人気も少なく、事件後は晴天の日が続いていたため、もし小原容疑者がサンダルを脱ぎ捨て、裸足でその場を去ったのであれば、警察犬での捜索は非常に効果が高かったと思われます。小原容疑者の父親が、事件直後、警察に警察犬での捜索を依頼した時の警察の返答は以下の通りでした。

「お父さん、警察犬は数十分単位でお金がかかりますよ。高いですけど、お父さん払えますか」

警察犬による捜査に、市民がお金を払わなければならないなどということはありえません。これも警察が、捜査に消極的どころか全くする気がなかったことの表れです。

これらのことから、次のようなことが推定されます。

「警察は、佐藤梢Bさん殺害の早い段階で、以前から届け出のあった恐喝事件との関連性を認識していた。しかし、その恐喝事件の着手がもう少し早ければ、佐藤梢Bさんは事件に巻き込まれなかった可能性がある。しかも、もう一人の関係者である小原勝幸まで行方不明になってしまった。もし一連の失態が表ざたになれば、警察に対する批判は避けられない。かくなる上は、行方不明の小原勝幸を容疑者として、犯人の汚名を着せれば、警察の責任は回避でき、事は丸く収まるだろうと警察は考えた。」

警察はやるべき捜査をせず、ただ税金を使って、小原容疑者が犯人だという刷り込みをするためのポスターをばらまいているだけです。そのポスターは、現在でも全国のいたるところに貼られています。

ここをクリック→ 佐藤梢Aさんインタビュー

冤罪は、無実の罪を罪のない人に着せるだけではなく、真犯人を逃がすことにもなります。しかし、この事件で真犯人を見つけるのは容易ではなさそうです(だからこそ、警察は小原勝幸を容疑者として手打ちにしたのでしょうが)。

小原容疑者が、幼なじみ男性の家から一時外出をして、帰宅後に非常に取り乱していたというのは何を意味するのでしょうか。彼は何らかの方法で佐藤梢Bさん殺害を知ったと考えるのが合理的です。その外出の時間は、遺体発見の時間とほぼ重なります。しかし、その時点ではまだ遺体発見の報道がなされていない以上、殺害の事実を小原容疑者に知らせることができるのは、ごく限られた人間になります。

それは佐藤梢Bさんを殺した犯人でしょうか。私は違うと考えます。犯人が佐藤梢Bさん殺害をもって、小原容疑者を脅かすのであれば、殺害直後にその事実を知らせればよいということになり、何も遺体発見を待つ必要はありません。とすれば、「佐藤梢」さん殺害を小原容疑者に知らせることができるのは、唯一、警察です。しかし、警察は殺害されたのは佐藤梢Aさんだと思い込んでいたと思われます。殺害現場の管轄警察署は宮古署です。恐喝事件の担当の久慈署への照会は電話であったと思われ、人相の照合まではしていなかったはずです。

殺害された佐藤梢Bさんと小原容疑者を結ぶ線は、(それこそ警察が隠したがっている)恐喝事件です。しかし、その線上にいる恐喝をしたZ氏が真犯人であるというのは、少し飛躍があるように感じます。あまりにも物証が少な過ぎ、その男性が真犯人であるという確信は持ちようがありません。

佐藤梢Bさんが単独で何らかの事件に巻き込まれ、その殺害が恐喝事件と関係があると警察は考えて小原容疑者に伝え、殺されたのは佐藤梢Aさんであり自分も次に狙われると小原容疑者が誤解したとする可能性は多分にあると考えます。

しかし、その場合、小原容疑者の身に何が起こったのか。本当に自殺してただ遺体が見つかっていないだけなのか、自殺は自分を狙う者への目をくらませるための偽装で現在も逃亡中なのか、あるいは失踪時にどこかに連れ去られて殺害されたのか。

警察の犯罪的なサボタージュにより、事件は今も闇の中です。警察には徹底した捜査を望みます。そして、小原容疑者の公開捜査という小原容疑者の家族に対する極めて深刻な人権侵害を即刻やめるべきです。佐藤梢さんのご冥福をお祈りします。

参考資料
ここをクリック→ 黒木昭雄ブログ「黒木昭雄のたった1人の捜査本部」(注)

ここをクリック→ 『週刊朝日』「少女殺人事件の陰に隠された真相」黒木昭雄 その1 (2009年7月3日号)

ここをクリック→ 『週刊朝日』「少女殺人事件の陰に隠された真相」黒木昭雄 その2 (2009年7月10日号)

ここをクリック→ 『週刊朝日』「少女殺人事件の陰に隠された真相」黒木昭雄 その3 (2009年7月24日号)

テレビ朝日『ザ・スクープ』「岩手少女殺害事件の真相」2010年5月16日放送

ここをクリック→ その1

ここをクリック→ その2 

ここをクリック→ その3

ここをクリック→ その4

ここをクリック→ その5 

(注)
この事件を追い続けたのが、元警察官のジャーナリスト黒木昭雄氏でした。彼は、小原容疑者の報奨金が100万円から300万円に上げられた日に以下のようなツイートをし、その2日後に千葉県の駐車した車中で死亡しているのが発見されました。警察の発表は自殺というものでした。

ここをクリック→ 黒木昭雄氏最後のツイート 

ここをクリック→ Wikipedia 「黒木昭雄」

ここをクリック→ テレビ朝日『ザ・スクープ』「黒木昭雄 自殺の真相」















ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1


ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

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category: 冤罪ファイル

2016/03/07 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その13 「恵庭OL殺人事件」 

冤罪ファイル その13 「恵庭OL殺人事件」

この事件は、当時29歳の普通のOLが、三角関係を動機とした殺人犯とされ、彼女が相手女性にかけた無言電話をその殺意の証拠として懲役16年の刑を受け、2000年5月の逮捕以来現在も収監中のあまりに不運な冤罪事件です。

被告人自ら、いくつかの重要な事実を公判直前まで弁護人にも隠していたことが裁判官の心証を悪くし、杜撰な事実認定を招きます(そしてその杜撰さは常識外れです)。更に由々しいことは、警察の初動ミスと検察による悪質な証拠隠しが冤罪の重大な原因となっていることです。

警察の初動ミスは、被告人を決め打ちにして捜査対象を早くに絞り過ぎたため、真犯人を探す努力を当初から放棄したことです。有罪判決となった一審において検察によって隠蔽された証拠のいくつかは、その後控訴審あるいは再審請求審で開示されたものの時すでに遅く、控訴審でも有罪が覆ることなく、再審請求審も棄却されてしまいました。それら証拠は被告人のアリバイを証明するものであるため、一審段階で開示されていれば、無罪の可能性は非常に高かったと感じます。

判決における事実認定は、次の通りです。

「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪容れずに抱えて車両外に下ろし、きわめて短時間のうちに、そしてわずか10Lの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』より)

その事実認定を評して、元裁判官の法学者瀬木比呂志氏は以下のように述べています。
「再審請求棄却決定の後、報道をみると、種々不審な点があり、学者の同僚たちからも同様の意見を聴いたので、つてを頼って決定のコピーを至急取り寄せ、関連の書物や記事等についても読んでみた。その結果は、唖然とするようなものだった。

民事系の裁判官であった私の民事訴訟における感覚からしても、検察が証明責任を果たしているとは思えない。まして、これは、民事よりも証明度のハードルが高い刑事訴訟なのである。しかし、この事件に携わってきたすべての裁判官たちは、そのような不十分な立証によって有罪を認めてきたのだ。

「本当にこの証拠で有罪にしたのか?また、再審開始もできないというのか?刑事裁判というのは、一体どういうことになっているのだろうか?」

それが私の正直な感想であった。」
(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』より)

この事件の一審からの主任弁護人である伊東秀子弁護士は、上告棄却により刑が確定後、6年を経て『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』を上梓しています。

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ここをクリック→ Amazon 『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』

<事件経緯>
2000年3月17日午前8時過ぎ、北海道恵庭市郊外の人気のない農道で、幼稚園の送迎バス運転手が、走行中に路肩に黒っぽいものがあるのを見つけた。運転手の女性は園児を出迎えた主婦に確認を依頼し、主婦が車で現場を見に行くと、それは人間の焼死体であることがわかった。

仰向けの遺体は、タオルのようなもので目隠しされており、右腕は「くの字」に曲げ背中の下にあった。全身の表面から内臓まで完全に炭化しており、特に頸部と陰部の炭化がひどかった。男女の区別も難しい無残な状態だったが、胸部周辺にブラジャーのワイヤーのような残焼物が確認され、女性だと推測された。股関節は左右に開脚した状態だった。死因は頸部圧迫による窒息死。絞殺後に焼かれたものと見られた。

まもなく遺体は、前夜に同僚と一緒に退社したまま行方がわからなくなっていた千歳市のキリンビール工場敷地内にある日本通運事業所に勤務するOL橋向香さん(当時24歳)とわかった。橋向さんは当時、自宅から勤務先まで約30分の道のりを車(三菱パジェロ・ジュニア)で通勤していたが、職場の同僚たちによると、行方が途絶えた16日は夜9時30分頃に残業を終え、事業所をあとにしていた。

一方、事業所から約20km離れた遺体発見現場周辺の捜査では、この日の夜11時過ぎに炎が上がっていたと複数の住民が証言。つまり被害者は夜9時30分頃に会社を出た後、2時間もしないうちに殺害され、死体に火を放たれていたのである。

死体の身元判明後、橋向さんの周辺への捜査が慌ただしく進められる中、ほどなく警察の疑いの目は一人の女性に集約される。それが、同じ事業所で橋向さんと一緒に働いていた先輩OLの大越美奈子さん(当時29歳)だった。彼女が浮上したのは、同僚の証言から、橋向さんと同じ会社に勤める男性との間の三角関係が明らかにされたからだった。

4月に入って、道警は大越さんを任意聴取。否認を続ける大越さんに対する警察での取調べは過酷を極め、大越さんは取調べ中に失神し、医師の診断で入院を余儀なくされるほどだった。1ヵ月の入院の退院翌日、大越さんは殺人と死体損壊、遺棄の容疑で逮捕された。

ここをクリック→ 犯行現場(「恵庭市北島39番地(先市道南8号路上)」逮捕状より)のGoogle Mapsストリートビュー

<裁判経緯>
2000年10月  逮捕から5カ月後、札幌地方裁判所にて初公判(佐藤学裁判長)
2001年2月   接見禁止が一部解除され、約9ヶ月ぶりに家族と面会が許される 
2002年4月   第35回公判 遠藤和正裁判長に代わり、更新手続きが行われた
2002年9月   約2年4ヵ月ぶりに接見禁止が解除される
2003年3月   第46回公判において有罪判決、遠藤裁判長は懲役16年を言い渡す
2004年5月   控訴審初公判(長島孝太郎裁判長) 
2005年9月   控訴審第13回公判において、長島裁判長は控訴棄却
2006年9月   最高裁(島田仁郎裁判長)は上告を棄却
2006年10月  弁護側異議申立が棄却され、一審判決の懲役16年が確定
2012年10月  再審請求    
2014年4月   札幌地裁(加藤学裁判長)は再審請求を棄却

一審、控訴審での公判には毎回多数の支援者が傍聴し、その模様をブログで克明に報告したことに検察は相当神経質になっていたようです。被告人となった大越さんを必死で支えようとする支援者の思いが痛烈に伝わってくる毎公判の傍聴記です。検察も、仕事とはいえ冤罪製造犯とされ複雑な思いだったことだと思います。

<争点>
この事件においては、要証事実を直接立証する証拠はありませんが、間接事実を証明する間接証拠(情況証拠)は多々あるとされます。逮捕後、マスコミのリーク報道が過熱する中で、道警本部の捜査課長は「証拠は山ほどある。どの証拠も彼女の方を向いている。すべての証拠は真っ黒けのけだ」と言ってのけました。

しかし、その「真っ黒けのけ」の間接証拠は、公判がすすむにつれ、「被告人が犯人でなくても合理的に説明できるものであり、それだけでは犯人の可能性があると言えるに留まる」ものであると明らかにされていきます。しかし、偏見を持った裁判官の心証を変えることはできず、推論に推論を重ねた上での有罪判決がなされ、それが上級審で覆ることはありませんでした。

冒頭に「被告人自ら、いくつかの重要な事実を公判直前まで弁護人にも隠していた」と述べましたが、多くの間接証拠の中でも、特に重要と思われるものが、被告人が隠していたとされる、被害者に無言電話をかけていた事実と事件前日に購入した10Lの灯油を巡る経緯です。

その前に、動機とされた大越さんと被害者橋向さんそして会社同僚の男性の「三角関係」を述べると、それは以下のようなものでした。

大越さんは会社同僚の男性と1998年の9月頃から交際を始め、週末は大体二人で過ごすほどの仲でした。ところが、交際を始めて一年余り経った1999年暮れ頃から二人の気持ちに微妙なズレが出始め、デートの度に大越さんの仕事の仕方に男性が文句を言うことが多くなりました。そして2000年2月27日、大越さんの言葉に激昂した男性が、口論の末に「あんたとは結婚する妥協点が見つからないんだよね」と別れ話めいた言葉を投げつけました。そのような状況の中、男性は3月4日に橋向さんと用事があって二人で会ったことをきっかけに好意を抱き、3月11日に橋向さんに交際を申し入れ、彼女からイエスの即答を得ています。事件はその5日後に起きました。

捜査当局が、事業所の同僚に犯人を絞り込んだ理由は、被害者の携帯電話が彼女の死後の時間においても数回発信され、それが事件翌日に会社の女子休憩室の被害者ロッカー内の上着の胸ポケットから発見されたことによります。そして、道警が電話会社の被害者の通話記録を捜査した結果、着信記録に大越さんからの携帯電話から多数回着信している事実が判明しました。

その回数は、12日21回、13日128回、14日54回、15日13回、16日4回の合計220回、そして16日の事件のあった時間以降は途絶えていました。検察の主張は、この無言電話こそが大越さんの殺意を立証する証拠だというものでした。

更に大越さんは、社宅を明け渡さなければならなかったため、荷物の片づけの際の暖房用に10Lポリタンク入り灯油を事件の前日に購入していました。しかし、事件後の3月末に職場のドライバーから「警察がお前の写真を持って灯油を買ったガソリンスタンドを探し歩いている。お前が犯人なのか?」と言われ、動転して、事件の前夜に購入し車のトランクに入れっぱなしにしていた10Lの灯油をとっさに捨てようと思い立ち、会社の帰り道道路脇の草むらにタンクごと捨てました。その後冷静になってから10Lの灯油があることは自分の無実を証明することに気づき、4月1日頃、別の店で10Lの灯油を買い直し、それを社宅に置いていました。

なぜ彼女はそもそも、灯油を使っていないことが無実の証拠であると最初から思わなかったのか。また買い換えるのではなく、なぜ捨てたそのポリタンクの灯油を探そうとしなかったのか。そうした疑問に合理的に答えられないのは、最初に買った10Lの灯油が遺体の焼却に用いられたからだ、というのが検察の主張でした。

このように積極証拠だけ見ると、確かに怪しいと思えるものです。しかし、これらの事実関係ですら無実の証拠であるとさえ言えると私は考えます。

まず無言電話に関して。無言電話の220回という回数は、実際には大越さんの発信の回数であり、回線がつながった、あるいはその後橋向さんが電話を取った回数はずっと少ないものでした。着信記録を精査すると220回のうち、コールされる前に切ったのが100回、コールされたけれども相手が受話器を取る前に切ったのが82回で、橋向さんが実際に取った回数は38回でした。もし無言電話が、検察の主張するように殺意につながったという嫌がらせ目的であるならば、相手が受話器を取らなければその目的は達成できないはずです。一見異常な回数とも思えた無言電話も、恋人を失うかもしれないという女性の不安がさせたものであり相手を傷つける意図はなかったと考えることができます(大越さん本人も一審の被告人質問で「自分でも説明しようがない不安定な精神状態だった」と説明しています)。そして更に重要なことは、これだけの無言電話を受信した携帯電話を犯行後に、わざわざ女子休憩室の橋向さんの上着ポケットに戻すということは、大越さんが犯人であれば不合理極まりないと言えます。

10Lの灯油に関しては更に明快です。検察の主張は、10Lの灯油をざばざばっとかけて火をつけ、直ちにその場を立ち去ったとなっています。私は、冬の間は灯油ストーブを使っており、その灯油ストーブのタンク容量が9Lであるため、10Lがどれくらいの量かのイメージははっきりあります。その程度の量の灯油をざばざばっとかけて(相当量がこぼれると思われます)火をつけたところで、内臓まで炭化するほど遺体が燃焼するというのはあまりにも常識外れだと言えます。

豚を人体に近い状態にして灯油で燃やした燃焼実験の報告書と鑑定意見書は、再審請求の際の弁護側「新証拠」の大きな目玉でした。実験を行ったのは、弘前大学大学院理工学研究科熱工学の伊藤昭彦教授でした。再審開始決定の出た東住吉放火殺人事件が本当は火災事故だったことを実験で裏付け、再審開始に寄与した鑑定人です。その鑑定結果は、「灯油で被害者の遺体のように内臓が炭化するまで燃焼させるのに必要な灯油の量は54Lであり、しかも、その量の灯油を何度も何度もひしゃくなどでかけながら2時間かけて燃やさないと不可能」というものでした。再審請求棄却は、この科学的事実を裁判所が無視したものです。

そのほかの証拠の中で、最も重要なものは大越さんのアリバイに関するものです。大越さんにはアリバイがありましたが、その証拠が最終的に揃ったのは再審請求審での開示によるものです。一審、控訴審においては、検察はそれら重要な証拠を隠蔽していました。

大越さんの事件当時のアリバイを検証します。

事件当日、退社時からの大越さんの行動は以下の通りです。

「午後9時30分過ぎに、橋向さんと連れだって退社し、駐車場の前で別れた。車で10分の大型書店で、本の立ち読みをしたり、文房具を見たりした後、何も買わずに店を出た。11時半頃、ガソリンスタンドに寄り1000円分給油して帰宅。冷蔵庫に刺身があったのでビールが飲みたくなり、自宅向かいのローソンへ買物に行った。2時から3時の間に就寝。」

大型書店では彼女は(不運にも)何も買い物をしなかったため、彼女が犯行時間にそこにいたことを立証することはできませんでした。弁護団は目撃者を捜しましたが、数ヶ月前のある特定の日のただの買い物客を知り合いでもない他人が覚えているわけもありません。

犯行当日、遺体を焼却する炎を近隣住人が目撃していました。それが午後11時「過ぎ」。ガソリンスタンドで大越さんが給油したのは11時「半頃」。この30分内外に移動できるかどうかが大越さんのアリバイにつながります。

まず、現場からガソリンスタンドまでの道のりをNavitimeで検索してみると、距離は13.8km、時間は25分となります。この時間は弁護団による走行テスト(23~25分)と一致するものです。Navitimeは法定速度を目安にしています。3月の北海道の街灯もない農道を、しかも事故や違反に注意して慎重に走行したことを考えれば、法定速度を大幅に上回る速度で走ることは現実的ではないと考えられます。つまり、犯行時間が11時であり、大越さんがガソリンスタンドで給油したのが11時30分であれば、アリバイは成立しないことになります。

ここをクリック→ Navitime 犯行現場~ ガソリンキング恵庭店(恵庭市住吉町2-15-15)

犯行時間及び大越さんがガソリンスタンドで給油した時間を精査します。

5月21日付の逮捕状には、犯人が死体に火を放った時間は「午後11時15分頃」と明記されていました。ところが、6月13日付の起訴状では、「午後11時頃」と突然15分早まっていました。この15分の変遷の結果、大越さんにはアリバイがないと判決では認定されました。捜査段階からの犯行時間の変遷経緯を見ていきます。

道警は事件の翌日の3月17日、事件の犯行時間を特定する炎を目撃したとする証言を近隣住人の少なくとも3人から得ていました。しかし、その中の一人の供述は、検察官ストーリーに合わない事実(後述)を含んでいたため闇に葬られました。逮捕状段階では二人の証言を基に犯行時間を「午後11時15分頃」としました。

その二人の調書で一審において当初開示されたのは、証人Aに関しては4月6日付の員面調書(警察官調書)と5月4日付の検面調書(検察官調書)、証人Bに関して起訴二日前の6月11日付の検面調書のみでした。必ずあるはずの彼ら両名の事件直後の員面調書、及び証人Bの4月6日ないし5月4日頃の検面調書は、検察の強硬な反対により開示されることはありませんでした。

この3通の調書の犯行時間に関する記述を抜き出すと、4月6日付証人A調書「午後11時00分頃から午後11時15分頃までの間」、5月4日付証人A調書「午後11時か少し過ぎた午後11時15分までの間」、6月11日付証人B調書「午後11時10分ないし15分頃」です。

開示された証人Aの調書における証言では、炎の目撃時間に15分の幅を持たせてありますが、この調書は警察のガソリンスタンド捜索(後述)の後に作られたものであるため、開示されていない3月17日頃の事件直後の員面調書では、証人Bと同じくもっと幅が狭く、しかも11時15分により近いという可能性は十分にあると疑われます。

逮捕状記載の「午後11時15分頃」という犯行時間はこの二人の証言の合致している時間帯を取ったものです。

その後の捜査で明らかになったのは、大越さんのガソリンスタンドでの給油時間でした。道警は大越さんの車両を差し押さえ、その車内から「ガソリンキング恵庭店」の「午後11時36分」と刻印された伝票を見つけ、ガソリンキング恵庭店を捜査しました。その際、大越さんの車が店内に入った時の映像がビデオにあることが判り、そのビデオにより大越さんが入店した正確な時刻は「午後11時30分43秒」であることが判明しました。

しかし、現場からガソリンキングまでは25分程度かかることから、11時15分頃火をはなったとしたら、大越さんのアリバイが成立してしまいます。そこで検察は「午後11時頃」と犯行時間を早めざるを得なくなったものです。

正確な時刻の記載されたビデオテープとその押収経過及び正確な時刻の割出しを記載した捜査報告書の存在は検察官により隠され、控訴審まで開示されることはありませんでした。検察官はこうした証拠隠しをする一方で、起訴状の犯行時間を「午後11時頃」に変更し、変更後の犯行時間を立証させるために証人Aを公判に証人として出頭させ、捜査段階の供述を変えさせました。

事件直後の記憶がより鮮明な時期の「11時を少し過ぎていたが11時15分頃までの時間」という証言が、公判では「取調べ段階では流動的な幅があった方が間違いないだろうと考えて幅を持たせて供述した」という言葉に変わり、結局、「11時から11時05分まで」に変わったものです。

一審で認定された犯行時間は、この証人Aの公判での証言に基づき「午後11時頃」とされました。大越さん及び弁護団にとって不幸であったのは、ガソリンスタンド入店時間の「午後11時30分43秒」という証拠が隠蔽されたため、その15分の変遷が一審段階ではアリバイの成立に決定的だと知り得なかったことです(入店が午後11時36分であれば、午後11時15分からでも間に合う可能性はあると考えられる)。伊東秀子主任弁護人の著書においても、「今となっては証人Aに対する反対尋問でつっ込みが足りなかったことが悔やまれる」と書かれています。

そして再審請求審で開示された証拠により、犯行時間はやはり11時15分頃であったことが裏付けられました。その開示された証拠とは証人Bの事件直後(3月17日付)の調書でした。一審の段階で開示されていた調書(6月11日付)では、炎を見た時間を「午後11時10分ないし15分頃」としながらも、「時計が若干進んでいたので、定かではありません」という信用性を削ぐ言葉が挿入されていました。

3月17日付証人B調書より
「3月16日午後11時15分頃、焼死体が発見された付近で炎が上がっているのを見たわけです。この時間をなぜ覚えているかというと、私は午後11時から犬の散歩を行うのを日課としており、昨夜も午後11時頃の天気予報のテレビを見て、雪の状態を確認し、さらに、家から出る時、家の壁時計により時間を確認しているためです。」

検察の証拠隠しはこれに留まりません。近隣住人の3人目の証言があることが分かったのは、一審公判も20回を越えた頃でした。伊東弁護士の事務所に一本の電話が入りました。電話の内容は、事件現場近隣に住む女性が事件の夜、現場近くに停車していた2台の車を見ており、そのことを警察にも話して調書も取ったのに、裁判で若い女性一人が犯人にされているのはおかしいというものでした。

この証拠価値としては最大級の事実を公判で証言してもらうよう、弁護団はその3人目の証人を説得します。彼女は真犯人の報復を怖れるあまり、証言を相当の間拒んでいました(即ちこの証人は、ほかに真犯人がいることを確信していたことを意味します)。またこの証人が事件直後に供述した員面調書の開示に検察は猛烈に反対しましたが、裁判官の決定により証拠採用されることとなりました。

3月17日付証人C調書より
「私の娘が札幌市内の新札幌にある会社に勤務している関係で、毎日の朝夕、私は毎日北広島駅まで車で送り迎えをしています。昨日も娘が仕事を終えてから「午後11時04分の電車に乗るから」と午後10時45分頃電話が入ったのでした。新札幌駅から北広島駅までは約8分かかり、私の自宅から北広島駅までは車で10分弱で行けるので、午後11時04分頃の時計の時刻を確認し、戸締りをして、私は家から車を運転して北広島駅に向かいました。いつも、自宅を出て南八号線を直進して最初の交差点を右折して西八線通りを走るのですが、交差点を右折する時南八号線通り上に2台の車が停車していたのが目に入ったのです。こんな時間に車が停まっている場所でないので私は交通事故か何かかなと思いました。」

駅に行く時点で2台の車を目撃していますが、その時間は午後11時5分頃であり、この時点では炎は見ていません。この女性が炎を見るのは帰りの道すがらでした。

証人Cの公判供述より
「娘の乗った汽車は午後11時13分にJR北広島駅に到着したため、私は娘を車に乗せて北広島駅から自宅に向かったが、自宅の直ぐ近くの交差点を左折するため右方を確認した時、2台の車は以前の場所より200m位前に進んだ位置にまだ止まっており、普通車の方(注:証人Cが見た2台は「1台が乗用車、もう1台がワゴン車」と供述していた)の屋根越しにパトカーのような「赤い光」が見えた。時間は午後11時20分過ぎと思う。」

この「赤い光」とは炎以外の何ものでもなく、そして火が放たれた時間は11時05分頃ではなく11時15分以降でなければならないことになります。大越さんにはやはりアリバイが成立することになり、更に複数の犯人像が浮かび上がります。

もし証人Cの存在を弁護団が知らないままであったなら、事件当夜2台の車が現場近くに停車していた事実は闇に葬られたままとなり、検察官の証拠隠しは完遂したと思われます。ガソリンキングのビデオテープと同じように「2台の車を見た」という証言は、大越さんによる単独犯行説に立つ検察にとって最も邪魔な証拠でした。

検察はこの証言の信用性を否定しましたが、一審裁判体はさすがに「2台の車を見た」という証言の信用性自体を否定しなかったものの、奇妙奇天烈な理由を述べて有罪判決を下しました。それは証人Cが炎を見たのは、往路と復路を混同しており、「2台の車」に関しては「犯人が着火後、その場に留まることは不自然で、犯人は速やかに逃亡したが、その後第三者がゴミ焼き等による炎上として単に傍観していたものと推認できる」としました。どこの酔狂が3月の北海道の寒空で、ゴミが焼かれているのを20分も見ているというのでしょうか。しかも、その見物人は死体が焼かれていることを気付かずにいたというのです。そしてもし傍観者であったのなら、大々的に事件が報道される中で通報してもよさそうなものです。「どうしてここまで無理を重ねて有罪判決を下す必要があったのか、全く不可解である」と伊東弁護士は著書で書いていますが、全くその通りだと思います。

また大越さん以外の人物が真犯人であると私が考える証拠は、ほかにも存在しています。それは大越さんの任意同行の4月14日の翌日、大越さんの自宅から3.6km離れた地点で、被害者の遺品(車のキー、眼鏡ケース、財布等)の残焼物が見つかったことです。

検察の主張は、これも大越さんの証拠隠滅工作だというものでした。検察は公判で警察官4人を証人申請し、彼らに「一晩中駐車場付近に車を停車させて一時間毎に大越の車を見に行っただけで、他の出入り口を見てはいないから、住宅の出入り口は3ヶ所あって一時間毎の見張りの合間に大越が警察官のいない別の出入り口から出て遺品を焼きに行くことは可能であった」と証言させています。

事件後から昼夜を問わず警察官による尾行、張込みやマスメディアの取材陣もいる衆人環視の中で、もし彼女が真犯人だとすれば見つかれば犯人であることがばれるというリスクを冒して、どうすれば遺品を焼きに行けるというのでしょうか。3.6kmの距離を、灯油を運んでの往復を取調べで疲れ切った大越さんが夜中に成し得たとは到底思えないものです。

<論評>
伊東秀子弁護士著『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』に収録された白取祐司北海道大学教授の「いびつな証拠構造」と題する寄稿から引用します。

(以下引用)
恵庭事件判決もそうだが、情況証拠のみによる事実認定の危険性については、これまでもしばしば指摘されてきた。1973年12月13日の最高裁判決は、情況証拠による事実認定をする際の注意則として、もっぱら情況証拠による間接事実から推論して事実認定を行う場合、「反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの『犯罪の証明は十分』であるという革新的な判断に基づくものでなければならない」と判示していた。下級審判例でも、本来多面性をもつ情況証拠を、「有罪認定に都合の良い可能性を持つ一例でも、本来多面性を持つ一面を選り出して、これらを重層的に重ね合わせ、その上で、これだけ多くの事実がすべて集まるのは偶然ではない」との主張には説得力がない、なぜなら、「有罪認定をするには都合の悪い、いわば消極的可能性を持つ他の一面や、有罪認定とは矛盾する可能性が高い情況証拠をも正当に評価する視点」が十分ではないからである、とされてきた。

恵庭事件の二審有罪判決が最高裁によって棄却され確定したのは、2006年9月のことだが、その後現在までの間に、情況証拠による事実認定に関して、2007年と2010年に二つの最高裁判例がだされている。2007年の最高裁決定は、「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である。そして、このことは、直接証拠によって事実認定をすべき場合と、情況証拠によって事実認定をすべき場合とで、何ら異なるところはないというべきである。」と判示するにいたり、情況証拠による事実認定だからといって証明の程度に差異はないことを明らかにした。さらに、2010年最高裁判例は、2007年決定を引用しつつ、「情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」との注目すべき判示をした。最高裁も、証拠価値の乏しい情況証拠を束ねて安易に有罪を導くことに警鐘を鳴らしているのである。
(引用以上)

つまり、「情況証拠からすれば、被告人が犯人であることは合理的である」だけでは立証たりえず、「情況証拠からすれば、被告人が犯人でなければ不合理である」ことが言えないといけないということです。被告人以外の犯行(あるいは、このケースではありませんが、事件そのものが事故であり犯人はいない)という可能性があれば、合理的な疑いを入れる余地があり、無罪を言い渡さなければならないと最高裁は判じています。

この事件で弁護側の取った訴訟戦略は、アナザ―ストーリーの提示でした。「犯行時間の犯行現場における2台の車の目撃証言」「開脚した状態で陰部の焼失が激しい遺体の状況」などの情況証拠から、犯人は複数の男性による性犯罪だと公判で主張しました。

検察の主張する大越さん単独犯説と弁護側の主張する男性複数犯説は二者択一的関係にはなく、後者が否定されたからといって前者が認定されることにはなりません。弁護側の主張の目的は、ほかの可能性もありうるというグレーの領域に持ち込むことであり、それは有効だと言えます。

この事件を俯瞰して、一番ひっかかるのは「なぜ死体を焼かなければならなかったか」ということです。しかも、人気のない広大な農地の真っただ中とはいえ、民家から数百メートルの場所で実際に(少なくとも)3人の目撃者がいたような場所です。

当然、一番高い可能性は「証拠の隠滅」ですが、顔の損傷は比較的ひどくなかったことから、いわゆる被害者の身元を隠すわけでもなく、犯罪そのものを隠蔽するならもっと人が踏み込まない場所に遺棄する方がはるかに簡単です。それは何か特定の事柄を隠蔽しようとしたと考えられ、やはり弁護側の主張する性犯罪という説はかなり説得力がある主張と私は感じました。精液及び酸性フォスファターゼが検出されなかったことをもって、科捜研は姦淫の形跡はなかったと結論づけていますが、なぜコンドームの使用の可能性を排除しているのか、非常に恣意的な鑑定だと感じます。

この事件においては、あるべき証拠が全く存在していません。それらは、犯行現場における大越さんの足跡、大越さんの車のタイヤ痕、殺害が行われたとされた大越さんの車の中から橋向さんの指紋、血痕、尿、毛髪といった残留物、橋向さんの携帯電話に残された大越さんの指紋といったものです。まさに証拠は「ないない尽くし」と言えます。

そしてそうした物証が著しく乏しい事件において、警察の後日の家宅捜査で重要と思われる物証が突如見つかることはこれまでも繰り返されてきました。袴田事件のズボンの端切れしかり、狭山事件の鴨居の万年筆しかり。

この事件においても、4月14日の大越さんの任意同行時に彼女の車(日産マーチ)が押収されていますが、そのグローブボックスの中から、橋向さんの会社ロッカーキーが見つかっています。検察の主張は、大越さんが橋向さんを殺害前ないし殺害後にグローブボックスの中に橋向さんのバッグをグローブボックスに入れ、その中からなぜかロッカーキーだけが落ちた(残りの物は自宅近くで焼いた)というものです。

弁護団はこれを警察の捏造であると主張しました。捜査当局の捏造を立証するのはハードルが高いので、敢えてここではそれを評価しませんが、このロッカーキーもむしろ大越さんが犯人でない証拠と考えられると思っています。

まず検察の主張は、橋向さんのバッグが大越さんの車のグローブボックスに入りきるサイズではなかったという時点で既に破綻しています。そして会社の女子職員は(また一部の男性職員も)、みんな誰もロッカーに鍵をかけないことを知っていました。橋向さんのロッカーキーは、彼女のロッカーの中の扉の受け皿に置かれていたことも証言されています。

三角関係にあったとされる会社同僚男性の控訴審公判における証言です。
弁護人 「橋向さんのロッカーには鍵がかかっていましたか」
男性  「いや、掛っていません」
検察官 「異議。これは正式な異議です。要はロッカーの関係のことを正に弁護人はお尋ねしようとしているわけでしょう、質問は」
裁判長 「もうロッカーの点はやめてください。いずれにしてもロッカーはやめてください。どうぞ」
弁護人 「残業時間をカレンダーに書いて貼ってあると、それをあなたは残業手当を付けるのに参考までに見に行ったとういことですか」
男性  「はい、そうです。係長から依頼されて見に行って、開けてということですね」
弁護人 「他人のロッカーをそういうふうに開けられたということですね」
男性  「私は開けました」
弁護人 「そのときに、何か見ましたか、ほかに」
男性  「開けて鏡の下にカレンダーがついていたんですね。その鏡の受け皿のところにロッカーの鍵とかがありましたけど」
弁護人 「ロッカーの鍵があったんですか」
男性  「はい」
検察官 「異議。もう明らかに、あまりにもひどいですよ」
裁判長 「最後のロッカーの鍵の点は削除します」

そのロッカーキーには、前任者のお守りの鈴がついていました。私も実家に帰って家の車を運転するのですが、その鍵に鈴がついていて、いつも持ち歩く時に鬱陶しいなと思っているので、女性が他人のつけたお守りの鈴をそのままつけたまま持ち歩くというのは、私には到底考えられません。つまりこのロッカーキーは、女子職員がロッカーに鍵をかけないことを知らない外部の人間が大越さんに罪を着せようと、ロッカーの中から取り出して、大越さんの車のグローブボックスに入れたと考えた方がより合理的に思えます(それを難なくできるのが警察であるというのが弁護側の主張です)。

さらにアナザ―ストーリーを補強する事実を提示します。そして、それは警察の捜査の杜撰さを表すものです。

警察は、被害者の携帯電話が会社のロッカーから発見されたことから、会社内部の犯行だと見込みました。その端緒は無理のないものですが、更に無言電話の事実から大越さんに犯人を絞り込むという事件二日後に組み立てたストーリーに固執したところが大きなミスだったと言えます。

会社内部の人間で大越さん以外に犯人の可能性がないかというアリバイ調査を実施したのは、事件から80日以上経過した、大越さんが起訴される直前の6月9日のことでした。

警察が捜査対象にした従業員は51人。検察官はこの取ってつけたようなアリバイ捜査の結果、「51人全員にアリバイがあった」と証明されたと主張しますが、4人は本人の証言だけでアリバイを認めており、刑事訴訟法上アリバイが成立するとは見なされない家族の証言だけの者が24人もいました。事業所の所長に至っては当時重病により入院中の妻が「夫は事件当日、自宅にいた」と証言していました。検察はそれを「単純ミス」だと弁明しますが、その弁明のために公判に呼んだs所長本人は、アリバイ捜査が捏造であるとするに等しい証言をしました。

「私は事件の日、午後7時半頃に退社し、家に帰って11時頃に就寝しました。妻は入院中で家にいませんでしたが、警察の事情聴取では、事件の夜のことは聞かれませんでした」

このようにして「犯人」は作られたというのがこの事件の全容です。無実の罪を着せられ、現在も監獄に閉じ込められた大越さんや彼女のご家族の方は勿論、真犯人が捕まらずに野放しにされていることで、被害者の橋向さんやそのご家族の方も冤罪の被害者です。

橋向香さんのご冥福をお祈りします。

参考文献
『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』 伊東秀子

『ニッポンの裁判』 瀬木比呂志

雑誌『冤罪File』No.20 「恵庭OL殺人事件 隠された「アリバイ」と「真犯人」が明るみに!」 片岡健

ここをクリック→ 『ビジネス・ジャーナル』「恵庭OL殺人事件に冤罪疑惑 有罪ありきのずさんな捜査と裁判に、元裁判官も唖然」 瀬木比呂志












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category: 冤罪ファイル

2015/04/16 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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冤罪ファイル その12 「鶴見事件」 

冤罪ファイル その12 「鶴見事件」

もしあなたが殺されている人を発見したら、どのような行動に出るでしょうか。勿論、ほとんどの人が警察にただちに通報すると思います。しかし、人によっては、巻き添えになることが怖くなって立ち去ることもあるかもしれません。そのタイミングが、被害者が殺害されたとされる時間に近接していた場合、もし後になってあなたがその場に居合わせたことが分かったとしたら、あなたが犯人と疑われることは間違いなく、身の潔白を示すことは容易ではないかもしれません。

その場合でも「巻き添えになることが怖くなって立ち去った」ということはある程度、納得できる言い分だと思われます。しかし、もし現場にあった相当額の現金を持ち去っていたことが分かったならば、「殺人に関して自分は関与していない。お金は自分が盗ったが、殺したのはほかの者だ」という言い分が通ることは絶望的だと思われます。

これは森炎氏の『教養としての冤罪論』の中で、冤罪ラインの一つの類型として挙げられているものです。

ここをクリック→ #検察なう (421) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (2) ~冤罪ライン① 「犯人と第一発見者はどうやって区別するか」」

それが実際に起こったのが、ここで紹介する鶴見事件です。被告人の高橋和利氏の死刑判決は確定し、現在収監され再審請求中です。

この事件で特徴的なのは、高橋和利氏と主任弁護人の大河内秀明氏がいずれもこの事件に関する本を出版し、高橋氏の無実を訴えていることです。

高橋和利氏著『「鶴見事件」抹殺された真実 私は冤罪で死刑判決を受けた』

高橋和利

大河内秀明氏著『無実でも死刑、真犯人はどこに』

大河内秀明

<事件経緯>
1988年6月20日午後2時半頃、神奈川県横浜市鶴見区で、金融業と不動産業を営む朴氏(仮名、当時65歳)と妻(当時60歳)が、事務所奥の和室で頭から血を流して殺害されているのを、訪ねてきた知人のタクシー運転手が発見し警察に通報した。

通報を受けた鶴見署が現場検証を開始すると、現場には争った跡や物色した跡がなかった。また夫婦の遺体は、鈍器で頭部を殴打され、刺し傷も50ヶ所もあったことから、怨恨による犯行を視野に入れて捜査を始めた。

その後警察は、当日に夫が銀行から引き出した現金1200万円を入れていた黒鞄と、通帳及び印鑑を入れていつも押し入れに保管していた布袋が無くなっていることをつきとめた。そこで怨恨と強盗の両面で捜査を行うとともに、夫の仕事関係や交友関係の身辺調査を始めた。

すると、犯行当日の午前中に電気工事業の高橋和利氏(当時54歳)が夫の事務所に訪ねてくる予定だったことが判明。警察は、高橋氏に事情聴取すると、「午前11時前に、資金融資の件で事務所を訪ねたところ、夫婦が血を流して死んでいた。傍らに、現金が入っていた袋があったので出来心で奪って逃げた。当時、事業が芳しくなかったので、つい魔がさした」と供述した。このため警察は7月1日に高橋氏を逮捕。だが、高橋氏は殺害に関しては当初否認していた。

高橋氏本人の言葉で描いた当日の模様を、彼の著書から抜き出してみます。

(以下『「鶴見事件」抹殺された真実』より引用)
当日私は、被害者である梅田商事社長の朴さんから融資を受ける予定になっていました。午前10時30分頃確認の電話を入れ、約25分後に事務所を訪れた時には、社長と奥さんは既に死んでいたのです。

約30分前に電話を入れ、私が来ることは分かっている筈だし、外にも、不意に訪れる客もあろうかと思われるのに、いつも一緒にいる二人の姿が見えない。おかしいな?と思いつつ、座敷に向かって「社長。こんにちは」と声を掛けてみたが応答がありません。急用でもできて二人とも外出したのだろうか。それにしては鍵も掛けずに無用心な、と思いながらも、とにかく待たせてもらおうと思いソファーに座ろうとしたとき、奥の六畳間から、出かかった咳を途中で止めたような、何かにむせたようなくぐもった感じの音(声か)がしたのです。

誰かいるのか?そんな感じがして耳を澄まし、少しのあいだ奥の様子を窺っていたのですがそれっきり何の物音もしません。不審に思い、「社長!」と再度呼んでみたけれど応答はなく、静まりかえったままです。

私は思いきって、事務所と奥の六畳間の仕切りになっているカーテンの裾を少しだけ上げてみると、いきなり人の足の裏が目にとびこんできたのです。びっくりしてカーテンを放しました。

しかし、間もなく私が来ることが分かっていたし、ほかにも来客があるかもしれないこの時間に、まさか昼寝はないだろうと思い、今度はカーテンを上の方まで上げてみました。するとそこには、二人が仰向けの状態で横たわっていたのです。

社長は私がいる方に足を向けて大の字に、その奥に社長とは逆に頭をこちらに向けて奥さんが横たわっていました。

この時点では、異常は感じたもののまさか死んでいるとは思えず、もう一度、「社長!奥さん!」と呼んでみましたが、二人ともまったく反応がないのです。

この時、社長の足を持って揺すったような気がしているのですが定かな記憶ではありません。

とにかく、これは只事ではない!そう感じて靴を脱ぐのも忘れて、咄嗟に一段高くなっている六畳間へ膝から飛び上がり、そのまま四つん這いの格好で社長に近づき、体を揺すったり頬を叩いたりしてみましたが、いくらか体温は残っているものの呼吸は完全に停止していました。

それでも、社長の耳元に口を近づけて大きな声で呼んでみたけれど、びくりとも反応はなかったのです。ただ口の端から細く血が一筋出ているのを見ました。それを見て一瞬、服毒の二文字が頭の隅をかすめました。

これは大変な事だ!と思い奥さんの所に這っていき体を揺すったり頬を叩いたりすることを続けましたが、まったく反応がありません。それでも死んでいることが信じられなくて、更に社長の方へいき、また奥さんのところに戻り、同じことを繰り返したけれど、やはりふたりとも息はしていませんでした。

ふたりとも死んでいる!そう分かった途端、体が硬直し、パニックで頭の中が真っ白になって何がなんだか訳が分からなくなって、這った状態のままふたりを交互に見ながら、なんだか気が抜けてしまった感じでした。

人が二人も死んでいる場所に足を踏み入れてしまったのです。人生で初めての経験に驚きが大きすぎて、ふたりがなぜ一緒に死んでいるのかなどと考える気持ちの余裕などまったくありませんでした。

どうしたらいいのだ・・・・少しの間、呆然自失の状態でしたが、はっと我にかえり、とにかく110番しなければと思い立ちあがったのですが、足腰が萎えてしまった感じで力が入らず、一歩踏みだすと足がもつれて、つんのめるようにパタッと四つん這いの格好で倒れ込んだとき、シャツの胸ポケットからタバコとライターが前方へとびだしました。私は這いずるようにしてタバコを拾い、その先のライターをつかんだとき、目の前の事務机の脚下の少し奥の内側の所に、半透明のビニール袋(当時スーパーなどで使っていた手提げ式のレジ袋)に入っている札束らしき物が目にとまりました(このとき、もしも私が倒れることなく立っていたとしたら、おそらくビニール袋は目に入らず、したがって札束に気付くことはなかったと思います)。這い寄って袋の口を開いて確かめると、それはかなりの量の札束でした。それを見て、夢の中から現実に引き戻されたような感じになり、体がふるえました。その時、社長と奥さんのことは頭から消えていたのかもしれません。

資金繰りに困り、この日、融資を受けることになっていた私は、その札束に目が眩み、110番しようとしていた気持ちはどこかへ飛んでしまい、前後のことも考えずに結果として、そのお金を持ち逃げしてしまったのです。

<裁判経緯>
1988年7月 強盗殺人罪の容疑により起訴
1988年11月 横浜地裁で初公判(杉山忠雄裁判長)
1992年12月 第31回公判以降、杉山裁判長から上田誠治裁判長に交代
1995年6月 第57回公判、結審、上田裁判長の定年退官が8月に迫っていたため、論告求刑と最終弁論が同日に行われた
1995年9月 第58回公判、7年に及ぶ審理を経て判決、死刑宣告(中西武夫裁判長代読)
死刑が言い渡されるときだけは、主文は判決朗読の最後に宣告されるのがならわしだが、本件ではそれを破って主文の朗読が冒頭に行われた、弁護側控訴
1999年6月 4年を経て東京高裁で審理開始(荒木友雄裁判長)
2001年3月 第12回公判以降、裁判長は一審判決を代読した中西武夫裁判長に交代
2002年10月 第24回公判にて控訴棄却(中西武夫裁判長)、弁護側上告
2006年3月 最高裁は上告棄却 死刑判決が確定
現在再審請求中

この事件の裁判で特異なことは、弁護団は弁論で、ほかの二人の人間を名指しで真犯人とし、高橋氏の無罪主張をしていることです。ここではその内容には触れませんが、上記の高橋氏、大河内氏の2冊の著書でも、その二人の真犯人に関する記述に相当量を割いています。

夫婦殺害が高橋氏の犯行であるとすれば矛盾があるというだけではなく、ほかの者にも犯行の可能性があるとなれば、推定無罪原則により無罪が主張できることは当然です。しかしながら、真犯人と考えられる人物を名指しで主張することに、裁判官がどのように感じたかは非常に興味深いところです。

<争点>
主たる争点には2点あります。それは二人の殺害の順序(二人同時なのか、別々なのか、別々とすればその順序)と、凶器です。

高橋氏は逮捕後に、犯行の自供をしています。しかし、その自供で述べられた二人の殺害の順序と凶器は、共に公判で事実とは異なることが明らかにされました。警察の見立て通り(しかし事実とは異なる)自白が強要されたことは言うまでもありません。そして自白が事実とは異なるということを裁判所自身認めながらも、死刑判決を下したのがこの事件です。

犯行現場は、座卓、茶箪笥ほかの什器備品が所せましとあった事務所の奥の狭い六畳間でした。それらが整然としており、争った形跡がなかったため、顔見知りの犯行と推定されました。それでも、もし二人同時に部屋にいるところを襲う場合、部屋を全く荒らすことなく単独犯が二人同時に殺害することは不可能です。

つまり可能性としては、「単独犯の犯行であれば、二人が別々に殺され(これを弁護団は「異時殺」と呼んでいます)、一人が外出している時に一人が殺され、その後、戻ってきたもう一人が殺される」というケースか、「複数の犯人が夫婦それぞれを制圧しながら殺害する二人の同時殺」というケースになります。

警察の見立ては当初、複数犯であり、そのように報道もされましたが、高橋氏が捜査線上に浮かび、共犯の可能性がなかったことから、警察の見立ても単独犯に変わりました。

犯行時間の特定は以下の通りです。

単独犯による二人が別々に殺された「異時殺」となると、夫婦のどちらかが外出をしていることが必要になります。

夫は、事件当日の午前中に、事務所から自転車で10分弱の銀行に行き、1200万円を引き出しています。銀行には10時15分ないし20分頃から5分程度いました。つまり夫は10時5分頃から10時35分頃までの間事務所を空けていました。

しかし、検察はこの間に妻が殺されたという主張はしていません。なぜなら、高橋氏にはその間のアリバイがあるからです(複数の人間と電話で会話)。

夫が最後に目撃されたのは10時40分前後、事務所前の路上で隣人と顔を合わせ、挨拶をしています。

午前11時過ぎ、事務所に書留郵便を届けに郵便配達人が訪れていますが、声がなかったため不在と思い引き返しています。

この約30分前後の間に、夫婦は殺されたとみられています。検察の主張は、夫が事務所に戻った時には妻が外出しており、まず夫が殺され、その後、妻が殺されたとするものです。

この検察主張は、妻が外出していたことを前提にしていますが、妻は脚が悪く、外出も控え気味で、歩く速度も人の半分程度でした。そして近所では顔見知りが多い妻が外出していたとする目撃者はおらず、訪れる可能性のあるところに聞き込みをしても彼女の外出の事実は確認できませんでした。裏付けのない検察の主張に反して、妻は外出していなかった可能性が高いと思われます。

弁護団は、一審においては主に、妻が先に殺害された異時殺の可能性を主張していました。遺体発見時には、妻の遺体は夫と共に部屋の畳上にありましたが、部屋に隣接する便所内に多量の血だまりがあったため、「異時殺の場合、犯人は先に殺された妻を便所内に隠した」としたものです。そして妻が殺害された夫の外出時には、高橋氏のアリバイがあるため、それを無罪主張の理由としたものです。

しかし、高橋氏の説明にもあるように、1200万円は部屋の机の下にあり、夫が銀行から帰った後に居間に上がったことを物語っています。それでいながら、その居間でわずかの時間の前に妻が血みどろで殺害され、便所に隠されていたことに夫が全く気付かないというのも不自然です(弁護団は、その場合、犯人はまだ事務所にいて「奥さんは外出した」と言い繕ったと考えました)。

弁護団は、控訴審においては、異時殺の妻先行殺害説を捨て、夫婦が一緒にいるときに殺害された同時殺しか考えられないという主張に変えました。その上で、単独犯による同時殺は、現場の状況に照らして考えられない、ゆえに高橋氏は無罪であると主張しました。

一審裁判体は検察主張の夫先行殺害説を認定しましたが、控訴審裁判体は、異時殺は想定し難く、想定しうる殺害様態は同時殺であると認定しました。しかし、高橋氏の無罪を意味する複数犯の犯行ではなく、妻が便所に入った隙を狙って夫を攻撃したとしたら、「本件犯行が単独犯でも遂行不可能であるとまでは認められない」と判示して、高橋氏を犯人であると判決を下しました。この控訴審の判決は、推定有罪の論理以外の何物でもないことは論を待たないと思います。

凶器に関して、高橋氏は自白時に「バールとドライバーを用いて殺害した」としています。しかし、これは検死段階で検視医が鈍器による打撲はバールによる可能性が高いとしたため、警察はその検死結果に沿うよう自白を強要したものです。また高橋氏が電気工事業だったことから、刺し傷を業務で使うドライバーとしました。

自白の内容は、まさにそうした警察の当初の見立てに沿ったものでした。

しかし、一審が始まり、弁護団の依頼した現場法医学の権威である鑑定医は、凶器がバール及びドライバーであることを否定する鑑定をし、その鑑定が証拠採用されました。判決においても「すべての傷を明快に説明しているとは到底いえない」と、供述とは別の凶器による犯行の可能性を指摘しました。それでいながらも裁判所の判決は、高橋氏の死刑でした。

裁判所が、高橋氏を強盗殺人犯と断定した最大の根拠は、高橋氏が虚偽の融資話を持ち掛けていた点にあります。犯行当日に引き出された1200万円は、その虚偽の融資話のために用意されていたものです。

裁判所の認定は、「初めから大金を奪うつもりで虚偽の融資話をもちかけ、相手に融資金を用意させ、預金を下ろしたところを見計らって襲い、当初の目論見どおり、まんまと大金を現金で手に入れた」というものです。

高橋氏の「融資を受ける予定で訪ねたところ、夫婦が殺害されているのを発見し、融資金として用意されていた現金をとっさに取って逃げてしまった」という供述を、その融資話に虚偽が混じっていることをもって全て虚偽であると裁判所は判断しました。しかしここでの問題は、「融資話に虚偽が混じっていたことをもって、その供述全体が虚偽であり、強盗殺人犯と言えるか」という点にあります。

<論評>
あらためて事件を俯瞰すると、強盗殺人と、強盗と殺人が別々に行われたという認定の差は非常に微妙です。

妻の数多くの刺し傷は、確かに怨恨を思わせるものですが、現場から大金がなくなっている以上、事件の引き金はやはりその現金奪取にあったと考えられます。高橋氏は、当日多額の現金を被害者が持っていたことを知っており、しかもその現金は彼が虚偽の融資話をもって被害者に用意させたものです。つまり動機から言えば、当時事業に行き詰まり資金難であった高橋氏は、事件に一番近いところにいたと言えます。

そして彼が、犯行があったと思われる時間と非常に近接したタイミングで被害者と接触があったことは疑いようのない事実です。状況証拠が揃っており、高橋氏を有罪とする積極証拠だけを評価すれば有罪の可能性は高くなります。しかし私は、それは誤った事実認定だと考えます。

裁判官はいかにして誤った事実認定に陥ったか。

まず、高橋氏は自白をしていますが、その自白に「秘密の暴露」はありません。

「秘密の暴露」とは、自白に含まれる真犯人しか知り得ない事実です。そして、それを裏付ける捜査の結果、事実に間違いない確証が得られれば、自白の信憑性の証しとなる重要な要素です。

事件の犯行現場からは、夫が銀行からお金を入れて戻った黒い鞄と、重要書類や通帳を入れた布袋がなくなっていました。特に、布袋は六畳間の押し入れにいつも納められていましたが、事情に精通していなければ、その布袋の存在や置き場所は知りようがありません。高橋氏は被害者夫婦とは知り合ってわずか1ヵ月程度であり、そうした事情は知ることはなかったものです。

検察による高橋氏の取り調べでは、この黒い鞄と布袋に関して集中し尋問されました。その供述があれば、「秘密の暴露」として高橋氏が犯人であることを立証できるからです。高橋氏は、警察の強要により殺人は認めてしまったものの、この黒い鞄と布袋に関しては一貫して全く知らないと主張し続けました。

もし高橋氏が犯人であれば、核心の殺人に関しては認めているのに、瑣末な事柄である黒鞄・布袋を徹底して知らないと押し通すことは実に不自然です。

また、自白の中の殺害の順序や凶器が事実と異なると認定されたことは、「無知の暴露」に当たります。実際に現場にいなかった捜査官が想像で作ったストーリーは結局のところ現実の状況とは合わず、矛盾する部分が生じます。自白の中にこうした矛盾が含まれていれば、その自白は捜査官の誘導に基づくもので、犯行の現実を知らないという「無知」性が暴露されてしまうものです。これが「無知の暴露」です。

「秘密の暴露」がないことにより、自白の信用性が著しく低下するのみならず、「無知の暴露」により、その自白は高橋氏が犯人ではないという裏付けにすらなります。

そして最大の事実誤認は、犯行様態を、一審では単独犯の異時殺、控訴審では同時殺ながら依然単独犯としたことです。この事件は複数犯の同時殺でしかありえないものでした。

控訴審では、単独犯と同時殺という本来両立しないことを認定するため、「妻が便所に入った隙を狙って夫を攻撃したとしたら」という無理やりな仮定をしなければならず、それが推定無罪原則の無視であることは明らかです。

弁護団は、「妻が便所に入った」という可能性を打ち消すため、上告の際、妻の検死解剖における残尿量を証拠として提出しました。妻の遺体に残された残尿量は50ccで、それは排尿後とすれば多過ぎ(排尿後の平均残尿量は5-10cc)、排尿前とすれば少な過ぎ(尿意を催す「最小尿意」は 100-150cc)です。しかも遺体のズボンのウェスト部のボタン、前ファスナーは完全に閉まっていました。それは、ドアのすぐ向こうで夫が殴打されている異常を感じた気配が全くないものでした。しかし、最高裁は、弁護団の上告は上告理由に当たらないとして、実質的な証拠調べをすることなく上告を棄却しました。

弁護団が主張したほかの真犯人とは、高橋氏以外に、当日現金がその場にあることを知ることができ、動機があり、アリバイはなく、現場から持ち去られたと思われる重要書類や通帳を入れた布袋の存在や置き場所を知っていた人物でした。しかし、高橋氏が現金を持ち去ったことが明らかとなり、強盗殺人犯と目されて以降、彼らに捜査が及ぶことはありませんでした。

無実の罪で死刑宣告を受けた人間の精神状態は、我々の想像を絶するものだと思われます。そして高橋氏は、今も獄中で雪冤を期して臥薪嘗胆の日々を送っています。

彼の著書の末尾に書かれた、彼の魂の叫びをお読み下さい。

(以下『「鶴見事件」抹殺された真実』より引用)
始めに有罪ありきで、裁判では地裁から最高裁までが一貫して、真実を見極めようとする機運もなかった。

権力を握る者には無類の残忍さと狡猾さがある。保身と栄達のためとあれば何人でも死刑にする。最近の死刑執行の事実がそれを証明している。その異様な自己保身への執着が、法と正義をねじ曲げるのだ。

「権力はつねに悪を生み、権力のあるところにはつねに腐敗がある」と言った人がいる。その通りだと思う。

歪んだ正義を振りかざして無辜を断罪し、自らを法の守護神と公言してはばからない司法権力者らのどこに正義があり法の精神があるのか。正義などというものは国家権力の中には存在しないのだと思う。

警察にも、検察にも、裁判所にも、そこにはそれなりの機構というものがある。そうしなければ崩壊しかねないという危惧があるからだろう。

下級審の判断がまちがっていると判っても、それを積極的に正そうとする裁判官が果たして上級審に何人いるだろうか。

検察と裁判。この一つ穴に棲息する権力者たちは、ひとりの人間の魂の叫びなどには洟もひっかけはしない。挫折を知らず、人の心の弱さがわからない裁判官は、「ウソの自白をするはずがない」と単純に考え、目の前で必死に訴える被告人よりも、取調官が、「密室」で作った自白調書を安易に信じてしまう。その方が仕事が楽だからだ。

真実は裁判官が明らかにしてくれるなどというのは幻想なんだということを、この18年間の裁判を通して思い知らされた。

最高裁が棄却し圧殺したのは、「鶴見事件」ではなく、実は司法の正義と独立であり、法曹の良心ではなかったのか。

政治の怠慢と司法の傲慢が、人間と人権を殺し続けている。それがこの国の現実なのだ。

無辜を殺して誰が責任をとるのか。死刑を止めよ!

参考文献
高橋和利氏著『「鶴見事件」抹殺された真実 私は冤罪で死刑判決を受けた』
大河内秀明氏著『無実でも死刑、真犯人はどこに』
森炎氏著『教養としての冤罪論』












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category: 冤罪ファイル

2015/01/28 Wed. 11:19 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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