「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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冤罪ファイル その15 「豊川市男児連れ去り殺害事件」 

冤罪ファイル その15 「豊川市男児連れ去り殺害事件」

2002年に愛知県豊川市で起こったこの事件は、深夜、ゲームセンターで父親が遊んでいる間に、駐車場の車中から当時1歳10カ月の男児が何者かに連れ去られ、その4時間後に4キロ離れた海岸から遺体で発見されたものです。

事件発生直後、現場の駐車場に止めた車の車内で寝ていた男性、田辺雅樹さん(旧姓河瀬)が犯人とされ、後日逮捕。田辺さんは、一旦は自白したものの、以後一転して無罪を主張。一審は無罪、控訴審で逆転有罪となった事件です。

世の中には虚言癖という人がいます。但し、嘘をつくといっても、必ずしも虚栄心から自分をよく見せようとする人ばかりではありません。

心理学のサイトを見てみると次のような記述がありました。

「子供のころ、周囲に受け入れられず、人格や存在を否定することばかりを受けていたり、そのために孤立したり、いじめを受けていたりという成育歴を持っていると、おのずと、孤立を回避するために周囲に迎合するという処世術が身に付いてきます。根源に、人に拒絶されることへの恐れがあります。まだ社会性の乏しい、純粋だった子供時代に、基本的な自分の気質を受け入れることができなかったのです。根底にあるのは、疎外や孤立への怖れです。その原因は、自分の性格と処世術の悪さにあると、ずっと思ってきたのです。ですから、人間関係で失敗はできない、自分が嫌いな人からも好かれたいと、無意識に脅迫的に考えているところがあります。」

その「周囲に迎合する」ということが、その場限りの嘘をつくことにつながります。この事件で犯人とされている田辺さんは、そのような人物に思えます。彼の言っていることは、警察、検察の取調べや公判のみならず、弁護士や勾留時の同房の者に対しても二転三転しています。

私が裁判員であれば、まず彼の言っていることは除外して、客観的な事実は何を物語っているかを考えます。つまり、警察、検察の取調べで自白していても、あるいは公判でそれを翻して無実を主張しても(それは冤罪の典型的パターンなのですが)、それらのいずれにも引きずられるのではなく、何が客観的な証拠から推認できるかを考えたいと思うはずです。

この事件は、一審無罪でありながら、控訴審で逆転有罪(懲役17年)というものですが、それらの判決文を精査すると、その事実認定には驚かされます。

我々は法律の専門家ではありませんが、裁判員になることがあります。なぜ我々がその責任を果たせるかといえば、刑事裁判において重要なのは、専門的な法律的知識ではなく、一般常識に依拠した事実認定が重要だからです。

是非皆さんも、この事件を裁判員になったつもりで検討してみて下さい。

<事件経緯>
ここでは、控訴審裁判体が有罪判決において認定した事件の経緯を記します。

「被告人は、2002年7月27日午後9時前頃、軽自動車(あずき色のスズキ・ワゴンR)を運転して、WAVE豊川白鳥店の駐車場に向かった。

wagon r

スズキ・ワゴンR

それ以前より妻や義母と折り合いが悪く、自宅で寝泊まりすることを拒絶されるようになり、その日もいつものように夜を車中で過ごすためであった。建物から離れた場所には既に車両が駐車してあったことから、建物西側に沿った、北側から4、5台目の位置に駐車した。

ここをクリック→ Googleマップ WAVE豊川白鳥店

エンジンを切って、運転席側の窓を10センチメートルくらい下げて開け、運転シートを倒して横になった。その日、子供に宿題の答えを教えたことで妻から文句を言われたことが頭から離れず、なかなか眠れなかったが、しばらくすると眠っていた。

その後、突然「バリバリ」という大きなエンジンの音が聞こえてきたので目を覚まし、少し上体を起こしてみたところ、2人乗りの原付が3台走っていくのが見えた。時間は午前1時過ぎだった。原付を見た視線の先に、大きなワゴン車(白のシボレー・アストロ)があり、その右前の窓が全開になっていた。そして、その車内から、「うわーん、うわーん」と、甲高い赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

chevy astro

シボレー・アストロ

(駐車場の状況及び2台の車の位置関係は非常に重要です。上のGoogleマップの写真で、WAVEと同じ駐車場敷地内に、北にコンビニエンス・ストア(ミニストップ、2016年7月現在は「かつさと」)、隣接した南に夜間はクローズする店舗(ユニクロ、2016年7月現在は「ビッグエムワン」)があります。連れ去られた男児が乗っていた白のアストラはWAVE建物から2列目、ミニストップから2台目の場所に止まっていました。あずき色のワゴンRが止まっていたとされるのは、その斜め向かい、建物に沿った北から4ないし5番目の位置でした。)

被告人は、再び眠ろうと思い、運転シートに横になったが、赤ん坊はいつまでたっても静かにならず、眠ることができなかった。赤ん坊の泣き声は、だんだん大きくなって、最後には力の限り泣き叫ぶというような泣き方になった。30分くらい、赤ん坊の泣き声を聞いていたが、腹が立ち、赤ん坊をどこかに連れて行って、置いてこようと考えた。

車から外に出て、被告人が車両に近づくと、赤ん坊は助手席側窓に寄ってきて、窓の下枠に両手をついて、上半身を窓の外に乗り出してきた。赤ん坊は泣き疲れているようだった。

車内や周囲に人が見当たらなかったことから、被告人は、赤ん坊を抱いて車に戻り、助手席に座らせると、すぐにエンジンをかけて車を発進させた。そのときの状況で、コンビニの横に3人くらいの若い男が立っていたことを覚えている。

被告人は、駐車場の東側出口を出て右折した。最初の信号が赤だったので止まり(注:この信号は深夜0時以降、赤の点滅になることが弁護団の調査で判明しています。上告の際に、自白と矛盾する証拠として提出しましたが、最高裁で判決が覆ることはありませんでした)、赤ん坊の方を見ると、赤ん坊は眠りかけている様子だった。被告人は、赤ん坊が目を覚ましたときに動き回らないようにするため、助手席のシートベルトをかけた。この時、赤ん坊をどこに置いてくるかを考え、三河臨海緑地へ行くことにした。

被告人は信号が青に変わると、交差点を右折して直進し、豊橋バイパスの交差点を左折して、国道247号線を走行し、三河臨海緑地に向かう交差点を右折しようとしたところ、赤ん坊が目を覚まして泣き出した。

ここをクリック→ WAVE豊川白鳥店から三河臨海緑地へのルート

被告人が、交差点を右折してすぐの所にある三河臨海緑地の駐車場に入ると、駐車場には数台のトラックや普通乗用自動車が止まっており、奥の方にも車が止まっていた。そのため、赤ん坊を駐車場に置いておくことができなかった。被告人は、人気のない場所へ行こうと考え三河臨海緑地を出たが、その時、とっさに、赤ん坊を海に投げ捨ててしまおうと考え、岸壁に向かった。

岸壁に沿った道路に車を止め、ライトを消し、エンジンも止めた。赤ん坊は眠った様子で、静かになっていた。被告人は車から降り、助手席ドアを開け、赤ん坊を車の外に出した。

被告人は、海の方に正面を向いて、赤ん坊を持ち上げ、ガードレールを越えさせて、岸壁とガードレールの間に立たせた。赤ん坊は、完全に目が覚めていない様子だったが、自分の足で立っていた。そして、被告人もガードレールを越え、赤ん坊の頭が被告人の顔の前辺りにくるくらいまで身体を抱き上げ、一気に海の方に向かって投げた。赤ん坊は、頭から海面に落ちていき、白い水しぶきが上がったのが見えた。赤ん坊の身体は、一旦海面の下に沈んだが、すぐに頭が浮かんできたのが見えた。

その後、被告人は、赤ん坊を連れ去ったことが警察に発覚しているか気になったことから、WAVE豊川白鳥店の様子を見に行くことにした。駐車場に入ると、パトカーが3台くらい止まっているのが見えたため、赤ん坊がいなくなったことが警察に知られているのだと思い、車を駐車場に止めた。被告人は、シートを倒して横になり、「どうしよう、捕まったら死刑になる」などと考えていたが、30分から1時間くらいしてから、この場所にいることはできないと思って移動した。

<裁判経緯>
2002年7月28日 事件発生
2003年4月13日 この日も事件現場と同じ駐車場で寝ていた田辺雅樹を任意同行。取調べで犯行を自白したため、4月15日逮捕
2006年1月24日 一審名古屋地方裁判所は無罪判決(伊藤新一郎裁判長、伊藤裁判官は福井女子中学生殺人事件で再審開始を決定)

田辺雅樹

無罪判決後の田辺さん

2007年7月6日  控訴審名古屋高等裁判所は逆転有罪判決、懲役17年(前原捷一郎裁判長、主任坪井祐子裁判官、坪井裁判官は日野町事件一審で無期懲役を判決)

前原捷一郎

前原捷一郎裁判官

2008年9月30日 最高裁上告棄却
現在、大分刑務所に服役中

<争点>
この事件では、客観的事実を示す物証は皆無です。それゆえ事件から田辺さんの逮捕まで9ヶ月もあり、迷宮入りを危ぶまれた事件でした。それでは、なぜ警察が田辺さんを怪しいと思ったかから解き明かしていきたいと思います。

容疑者は田辺さん一人ではありませんでした。事件発生当時、駐車場は深夜営業のゲームセンターやコンビニエンス・ストアの敷地内とあって、相当数の車が駐車し、深夜にもかかわらず人の出入りもありました。

警察は男児が連れ去られたと通報があった後、現場駐車場で駐車している車のナンバーチェックをしています。しかし、その時点で田辺さんが車を止めていたのは、WAVE建物西側沿いではなく、ユニクロの前でした。これは後に非常に重要な意味を持ちます。

ユニクロ

警察は、事件発生後、ナンバーチェックに該当した車の所有者に事情聴取をしています。田辺さんが事情を聞かれたのは事件から1週間後でした。何をしていたかと聞かれた彼は、「友人とコンサートに行く予定で、待ち合わせをしていました」と答えます。彼は、その友人の勤務先と名前、コンサートの内容を告げましたが、警察の捜査で、勤務先には友人とされた人物はおらず、コンサートも存在しないものだということが分かりました。その嘘により警察は田辺さんをマークすることになります。

そして事件から2ヶ月後、田辺さんは乗っていたワゴンRを売却します(以前からのオイル漏れの修理費がかさむことを知らされたため)。それが証拠隠滅とみなされ、彼に対する嫌疑は一層強まりました。警察は、その車を押収し、徹底した鑑識を行い、車内から4人分の指紋、毛髪32本、繊維のかけらが検出されましたが、男児と結び付くものはありませんでした。

事件発生から9ヶ月が経過し、捜査が行き詰まり焦る警察は、田辺さんを任意同行し、「カマをかける」取調べをしました。事件現場と同じ駐車場に寝ている田辺さんを午前4時過ぎに警察署に連行し、その日の取調べは夜の9時まで約17時間も続きました。その後、2人の捜査員は田辺さんを近くのビジネスホテルに連れて行き、一緒に宿泊しています。翌日、午前8時から始まった取調べは、深夜まで続き、田辺さんは自白します。2日間で取調べは計32時間に及びました。

有罪判決における事件経緯の事実認定で、いくつかの疑問を感じた方もいらっしゃると思います。私が疑問に思った点を挙げます。

① これから車中で夜を過ごそうとする者が、人の往来が頻繁なコンビニエンス・ストアやゲームセンターの前に駐車するだろうか。(公判で否認後に主張しているように)夜間に閉店する店舗(ユニクロ)周辺に止める方がより自然な行動ではないだろうか。

② 狭い空間(例えば飛行機内や列車内)で赤ん坊の泣き声にいらつくことはあっても、そもそも車外にもれる赤ん坊の泣き声は、ほかの車内にいる者がいらいらするだけの音量なのだろうか。そして、いくら赤ん坊の泣き声がうるさくても、窓を閉めたり移動したりすればいいだけのこと。赤ん坊の泣き声にいらついて、赤ん坊を連れ去ったり、殺害したりするというのは余りに短絡的かつ非常識ではないだろうか。

③ 赤ん坊を連れ去ったからには、車内に何らかの痕跡が残り、DNA型鑑定でその存在は証明されるはずなのではないか。

④ もし駐車場から赤ん坊を連れ去ったとして、そしてもしその現場に戻ったとしても、パトカーがいるのを見たら、駐車場に入ったりその場に留まったりすることはあり得るだろうか。その場で踵を返すのが不審に思われると感じたなら、敷地内のコンビニエンス・ストアに寄るなどして直ちに立ち去るのが自然な行動ではないか。

私と同じ疑問を感じたからこそ、一審は、客観的事実を裏付ける物証の全くないこの事件で無罪を判じたものです。

これを逆転有罪とした控訴審判決では、これらの疑問に対してどのように述べているでしょうか(控訴審判決文より)。

① (相当広い駐車場にもかかわらず)「建物から離れた場所には既に車両が駐車してあったため」

② 「(被告人は)普段から抑圧されているので、代償として弱い者に対して攻撃的になりやすいこと、一旦、パニックになると適切な行動がとれないことがあること、近年は妻や義母との関係がうまくいっておらず、わずかな小遣い以外は全部の収入を取り上げられる一方、自宅で寝泊まりすることを拒絶されて、車中で夜間を過ごすといった不自然な生活を強いられて不満が高まっていたこと、当日は、妻から一方的に怒鳴られてイライラしていたこと、そこに被害児の泣き声が重なって激高したこと、カッとなって被害児を連れ去ってみたものの、泣き出されてパニックになってしまったこと、そこで海中に投棄することが頭に浮かび、実行してしまったこと、などが述べられており、これらの付加的な情報も併せて動機を考えれば、一応、筋の通った説明になっている。」

③ 「ワゴンRに対する実況見分及び鑑識活動では、指紋検出や車内の微物採取のほか、尿や血液反応の有無が調べられたというのであるが、被告人の自白では、被害児が本件ワゴンRに乗車していた時間はせいぜい20分間程度で、この間、被害児は少しはぐずったり泣いたりしたとはいいながらも、おおむねはうつらうつらとしていたというのであるから、この様態では、被害児の尿や血液、毛髪などが本件ワゴンRに遺留される可能性は小さかったといわざるを得ない。また、指紋については、時間の経過とともに、その成分である水分や脂質が薄れていくものであるし、被告人が、本件ワゴンRを日常的に使用していたことを考えれば、そのことで指紋、毛髪などの資料が失われていくことは十分に考えられる。そうすると事件の発生から2か月余を経て実施された鑑識活動で被害児に結びつく資料が発見される可能性はもともと極めて小さく、まさに九牛の一毛を探し出すような作業であったと考えられる。」

④ 「重大事件を起こした犯人であれば犯行現場の様子や捜査機関の動きを知りたいと考えるのが当然であるし、事後の行動とも矛盾はなく、自然な理由付けになっている。」「警察の動きを確認するために現場に戻ってきた犯人が、パトカーを見てすぐにその場から引き揚げたのでは、かえって捜査機関の注意を引くことになってしまうのであり、駐車場の車内で寝たふりをしながらほとぼりがさめるのを待ち、しかる後に立ち去るというのは誠に合理的な行為で、疑問を差し挟む余地はない。」

あなたが裁判員だとした場合、これらの裁判官の主張は納得のいくものでしょうか。

一審無罪判決文の中で、私が感じ入ったのは、裁判官が実際に犯行時間に相当する深夜に現場検証を行ったことを伺わせる次の文でした。

「裁判所の検証結果によれば、被告人が被害児を投げ込んだとされる北側岸壁沖の海上は夜間には大変暗い状態にあることが認められ、海中に投げ込まれた被害児の頭部が岸壁から視認し得たというのには疑問がある。」

これに対しても、控訴審の判決は次のように述べます。

「公知の事実として、人がしばらく暗い場所にいると視覚の暗順応が生じ、わずかな光源でもある程度の視認は可能になることが認められるところ、夜間に北側岸壁が暗い場所であったとしても、月光などの光源があれば被害児の頭が浮かぶ様子が見えることは十分に考えられる。また、実際に被害児の頭を見ることはなかったとしても、罪もない幼児を殺害した直後の異常な精神状態の下では、波の上に被害児の頭が現れた光景が目に浮かんだとしてもおかしくはなく、少なくとも被告人の目にはそのように映り、被告人がそれを「見た」と供述したということもあり得る事態である。そうすると、この点の供述が不合理、不自然であると決めつけることはできない。」

真っ暗闇の中で物が見えたことは、幻想であっても不自然ではないと片付けています。結論ありきのこじつけのように聞こえます。

また、田辺さんの供述には重大な変遷がありました。それは男児を海に放り投げる動作に関するものです。

4月14日逮捕前の警察取調べ 「岸壁に立たせた男児の背中をどんと押して海に突き落とした」
4月15日検察取調べ 「バスケットボールを投げるようにして投げた」
4月30日検察取調べ 「男児の頭が自分の顔の前辺りまでくる程度に持ち上げてから投げた」

海岸1

なぜ、このような変遷が生じたかと言えば、犯行時間は丁度干潮であったため、海に突き落としただけでは、海面上に現れた岩場によって、遺体に損傷が生じるからです。そのような傷は遺体にはありませんでした。

一審判決はこの供述変遷を重視し、次のように判じています。

「その客観的事実に矛盾が生じないよう、捜査官が被告人の供述を誘導したという弁護人の指摘を直ちに排斥することはできない。」

しかし控訴審では、検察の「捜査官が、被告人に対し犯行様態を詳細に尋ねていった結果、被告人の供述が詳細になっていった」という主張をそのまま採用しました。

このように、一般常識に図ると非合理的であると思われる事柄を、控訴審判決では、可能性の論理で処理しています。それは有罪を導き出さんがためとも感じられるものです。

海岸2

あまりに脆弱な動機に、控訴審判決では更に、以下のように自白でも語られていないことを想像で補っています。

「被告人の目には、被害児の父が我が子をも顧みずにゲームセンターに入り浸るようないい加減な親にみえたであろうし、自らの生活(妻と不仲で軽自動車で寝泊まりしている)に引き比べて高級そうな外車を乗り回している被害児の父にやっかみを感じたことも十分にあり得るところ」「そうすると、そういった被告人の被害児の父への反感が、本件各犯行の動機の一端となっている可能性が相当にあると思われる。」

このように全く自白と異なることを挙げ、控訴審判決は、自白を「真の感情を吐露していない」と評価し、更に言い訳するかのように次の通り付け加えます。

「本件が全くの理不尽な行きずりの犯行で、犯人の動機が唖然とするような類のものであったとしても、それはこの事件の性質からみるとあり得ないことともいえない。」

<論評>
刑事訴訟上の法原理では、被告人を自白のみで有罪とすることはできません。これを「補強法則」と呼び、憲法で規定されています。

憲法第38条第3項
「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」

この事件でも、田辺さんの自白が最大の有罪の積極証拠でありながら、それだけでは有罪とできないため、控訴審の裁判体はほかの証拠を挙げています。それは何でしょうか。

それは判決の「結論」に如実に書き記されています。引用します。

「犯行当日に行われたナンバーチェックの結果によれば、平成14年7月27日午後10時30分ころには本件駐車場の西側部分に被告人が自家用車及び夜間のねぐらとして使用していた本件ワゴンRが駐車しており、翌日午前零時ころまではその場に停められていたにもかかわらず、午前3時10分ころには同じ駐車場の北側部分に駐車位置が変わっていたことが認められる。」

控訴審では、検察側の新証拠として、白のアストロの斜め向かいに、事件当時「あずき色のワゴンRが止まっていた」という2人の証言が採用されました。しかし、当該車に田辺さんが乗っていたことも、あるいは田辺さんの車のナンバーまで記憶していたわけではありません。目撃証言は、ただ単に「あずき色のワゴンRが止まっていた」というだけです。弁護団の調査では、豊橋ナンバーの同車は910台もあります。

有罪判決を煎じつめると、この駐車場内で、事件をまたぐ時間帯で、「あずき色のワゴンR」が駐車位置を移動したことが、男児殺害の自白以外のほぼ唯一の証拠となっています。この「あずき色のワゴンR」は田辺さん所有のものに間違いはなく、彼がその夜は当初からユニクロ前に車を止めていたということは嘘であり、嘘をつく理由は殺害を実行したからに違いないとする論法です。

冒頭述べたように、私は田辺さんの言葉を額面通り受け取れません。悲しいかな、彼は周りに同調し、その場を取り繕う傾向があるように感じるからです。そして弁護団が、「あずき色のワゴンR」は田辺さんのものではないと強弁しても、もしかするとそれは田辺さんの車であった可能性もあると考えています。

そうすると、田辺さんは嘘をついていることになりますが、嘘をついた理由は、控訴審裁判体が認定したような、彼が殺人を犯したからという荒唐無稽のものではないと考えます。彼がもし車を移動したとすれば、その理由は「それは赤ん坊がうるさかったから」だと考えます。それではなぜ、彼はそのように言わなかったか。それは、事件に巻き込まれるのが怖かったからです。事件直後の警察のナンバーチェックでは、ユニクロ前に車を止めていたことが確認されています。白のアストロの斜め向かいに止めていながら、それを移動したことを怪しまれないよう、「愚かにも」嘘をついた可能性があると考えます。

私は、もし彼が車を移動していたとしても、そうした理由で嘘をついた方が控訴審裁判体の認定よりもはるかに蓋然性の高い可能性だと考えます。

捜査段階での自白が必ずしも正しくないと感じるのは、それが合理性に欠けるというだけではありません。そこに犯人しか知り得ようがない「秘密の暴露」がないからです。「秘密の暴露」がない自白は、証明力を著しく低く評価する必要があります。裁判官であれば、そのことを知らないはずがなく、「秘密の暴露」がない自白を重要視した判決には、意図的なバイアスを感じます。

控訴審判決「結論」は、次のように結ばれます。

「被告人の犯人性についての消極的な情況事実としては、動機の自白が全面的に信用できず、明らかといえない点を挙げ得るものの決定的な要素とはいえず、その他には被告人が犯人でないことを指し示す事情は見当たらないといってよい。

これらを総合すると、被告人が本件各犯行の犯人でる旨の捜査段階の自白は、その根幹部分において十分な信用性が認められるのみならず、かつ、この自白の真実性を担保するとともに、それ自体被告人の犯人性を指し示す補強証拠(注:駐車位置の虚偽の供述)もあり、他方、被告人が犯人であるとの認定に合理的な疑いを差し挟むべき事情はないのであって、被告人が各公訴事実の犯人であることの証明は十分である。」

「被告人が犯人でないことを指し示す事情は見当たらない」とするのは、無罪立証責任を被告人・弁護人に押しつけるもので、推定無罪原則を唾棄した職業裁判官とは思えないレベルの判決です。

高圧的な取調べを行った警察・検察も迷宮入りを避けたかったのでしょうが、それは冤罪を生んでもよいということでないことは言うまでもありません。

自白偏重の捜査、裁判を続ける限り、このような冤罪は生み出され続けると思われます。もし皆さんが有罪の根拠が自白に基づく事件に遭遇した場合、そのことを思い出して下さい。

参考資料:
雑誌『冤罪File』No.16 2012年7月号 「<逆転有罪判決のウラにはあの女性裁判官の存在が...>愛知県豊川市の幼児誘拐殺害事件」一原知之

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category: 冤罪ファイル

2016/03/21 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その14 「岩手17歳女性殺害事件」 

冤罪ファイル その14 「岩手17歳女性殺害事件」

このポスターを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

公的懸賞金

岩手17歳女性殺害事件の容疑者として指名手配をされ、捜査特別報奨金(公的懸賞金)の対象にもなっている小原勝幸容疑者のポスターです。このポスターを見れば、ほとんどの人は、彼が犯人で間違いないという印象を持つと思います。

しかし、事件をつぶさに検証すると、この事件の犯人を小原容疑者とすることには強い疑念があります。しかも、彼は犯人どころか、犠牲になった被害者女性同様に被害者であり、もうこの世にはいない可能性すらあります。

一見、(犯人が誰かということを別にすれば)単純な殺人事件のようですが、その背景は非常に複雑です。そしてその複雑な背景を探ると、恐ろしい深淵を覗きこむように感じられます。

<事件経緯> 
2008年7月1日午後4時半頃、岩手県川井村の沢で17歳女性の他殺体が道路工事作業員に発見されました。その女性の名前は佐藤梢さん。遺体発見場所から約170キロ離れた宮城県登米市に住んでいました。

死亡推定時刻は、発見前日の6月30日頃から同日7月1日頃。死因は頚部圧迫による窒息もしくは外傷性脳障害とされました。

ここをクリック→ 「遺体検案書(写し)」

容疑者として浮かび上がったのが、小原勝幸でした。佐藤さんは、6月28日夜10時過ぎに知人男性といた時に、小原容疑者から電話で呼び出され、その知人男性に「友達の彼氏から恋愛相談のために呼び出されたから行ってくる」と言い残して別れました。午後11時頃に宮城県登米市内のコンビニで、一人で立ち読みする姿が防犯カメラに映っており、それが佐藤さんの姿が見かけられた最後でした。

佐藤さんと小原容疑者は友人でした。彼らの出会いまで時間を遡ると、実に不思議なことが分かります。事件から約1年半前の彼らが出会った2007年2月まで時間を巻き戻します。

2007年2月頃、小原容疑者と後輩の男性2人がゲームセンターで、2人の女性をナンパします。その女性の一人が、岩手17歳女性殺害事件の被害者となった佐藤梢さん。その時、佐藤梢さんと一緒にいて、この後小原容疑者と付き合うことになったもう一人の女性の名前も佐藤梢さんでした。2人は同姓同名だったのです。この同姓同名の高校同級生2人が小原容疑者と出会うことで、この後2人の運命は数奇な展開をすることになります。ここでは、小原容疑者の恋人になる佐藤さんを「梢A」、殺害されることになる佐藤さんを「梢B」と呼ぶことにします。

2007年5月1日、小原容疑者と佐藤梢Aさんは、恐喝事件に巻き込まれます。小原容疑者は知人男性Z氏(当時30代)の紹介で就職先をあっせんしてもらっていましたが、彼が数日で仕事場から逃亡していたことからその知人が腹を立てていると聞き、謝罪に行きました。Z氏の家には、小原容疑者と弟(三男)、そして佐藤梢Aさんが出向きましたが、佐藤梢Aさんは外の車で待っていました。

Z氏はメンツを潰されたことを理由に迷惑料120万円(10万円x12ヵ月)を要求します。Z氏は日本刀を小原容疑者に咥えさせ、さらに迷惑料が払えないなら指を詰めろと脅かしました。借用書の連帯保証人の欄に、弟の名前を書こうとしたところ、弟が拒否したため、小原容疑者が書いた名前は「佐藤梢」でした。

その後、小原容疑者はZ氏にお金を払うことなく逃げ回ることになります。しかし翌年、Z氏が「全国指名手配」という携帯サイトに小原容疑者の実名と顔写真を添付して「金を払わず逃げ回っているとんでもないやつです。見つけたら連絡下さい」と書き込みをしていたことから、逃げ切れないと観念した小原容疑者は、恐喝の届け出を佐藤梢Aさんと共に岩手県警久慈署に出します。2008年6月3日のことでした。

その後、事態は急展開を迎えます。6月28日昼過ぎ、小原容疑者は突然、恐喝の被害届を取り下げると言い出します。しばらく前から小原容疑者と別れたいと思っていた佐藤梢Aさんはこの日、実家に逃げ帰っていました。携帯電話の小原容疑者は緊迫した声で、「一緒に行かないと取り下げできないから」と食い下がりましたが、佐藤梢Aさんは自分を連れ戻す口実だろうと応じることはありませんでした。

その夜、小原容疑者は付き合っていた佐藤梢Aさんの代わりに、佐藤梢Bさんを呼び出しました。佐藤梢Bさんから実家にいた佐藤梢Aさんに電話があったほか、メールを6回交換しています。

佐藤梢Aさん
「あのとき、彼女(佐藤梢B)の横にはカッチ(小原容疑者)がいたんじゃないかな。まるで代わりに聞いているみたいな質問ばかりだったから」

最後のメールが届いたのは29日午前0時半頃でした。

佐藤梢Bさんの遺体が発見されたのは、その2日後のことでした。

<争点>
警察は、佐藤梢Bさんの殺害を小原容疑者の犯行とし、殺害現場を「小原容疑者の車の中」と断定しています。その物証は、「佐藤さんの毛髪と履き物が見つかったこと」。しかし、それは佐藤さんが車に乗った証拠にはなっても、そこで殺されたという根拠にはならないものです。しかも不思議なことに、車内から見つかったとされるのは、佐藤さんの遺族が娘のものではないという赤いパンプスでした。遺族は、あの日佐藤さんが履いて出かけたのはキティのサンダルだったと証言しています。そして車内のDNA型鑑定をしているという報道があったものの、その結果を警察は発表していません(即ち、失禁等の扼殺の痕跡は確認されていません)。

6月28日以降の小原容疑者の足取りを追ってみます。もし佐藤梢Bさんの死亡時間が、遺体検案書通り6月30日から7月1日にかけてであれば、小原容疑者には確実なアリバイがあります。

6月29日午前2時過ぎ
岩手県盛岡市内(佐藤梢Bさんが最後に目撃された宮城県登米市からは高速で約2時間)のガソリンスタンドの防犯カメラに、右手に白い布を巻いた小原容疑者の姿が映っていました。そして朝9時頃岩手県田野畑村(盛岡市から約100キロ)の弟(次男)の家に現れます。小原容疑者の様子は普段通りでしたが、右手に大けがをしていました。けがの原因を小原容疑者は「壁とけんかした」と言っていましたが、かなりひどい状態でした。

勝幸最後の写真

弟に付き添われてその日のうちに診察を受けます。完全に握力がない状態で、そのまま放置しておけば、一生手が動かないほどの機能障害が残るほどのけがだったため、大病院で再診察を受けるよう診察されました。

ここをクリック→ 小原容疑者の右手を診察した医師のインタビュー

右手の治療をした後、小原容疑者は弟の家に2泊します。6月29日と30日です。田野畑村から遺体が発見された川井村まで車で片道2時間近くかかります。弟の家にいる間、小原容疑者が4時間以上家を空けた事実はありません。

6月30日昼頃
小原容疑者は久慈署の担当の千葉警部補に恐喝の被害届の取り下げを申し出ていますが、断られています。その夜、小原容疑者の父も、千葉警部補に電話をして、取り下げを依願しますが、立件を狙っていた警察は取り合わず、被害届が取り下げられることはありませんでした。

7月1日の朝9時頃
小原容疑者は幼なじみの男性宅を訪問しました。訪れた時、小原容疑者に特に変わった様子はなかったと言います。小原容疑者は一旦、買い物のため5時過ぎに外出をします。そして7時半頃、小原容疑者が家に戻った時の様子の変貌ぶりに幼なじみの男性は驚いたといいます。彼が家に入るように言っても、小原容疑者は車の運転席に座ったまま取り乱して、「頑張っても頑張っても誰も認めてくれない」と言って泣いていたとされます。

小原容疑者が幼なじみ男性の家から外出する少し前の4時半頃、車で2時間離れた川井村の沢で、佐藤梢Bさんの遺体が発見されました。

ここをクリック→ 小原容疑者の幼なじみ男性インタビュー

7月1日夜9時頃
小原容疑者は田野畑村近くの県道で、自動車事故を起こしました。

自動車事故

その直後通りかかった男性が、小原容疑者を実家まで送って行きました。小原容疑者は酒に酔った様子で、「もう俺はおしまいだ。死ぬしかない」と言っていました。そしてその日、小原容疑者は実家に泊っています。

7月2日早朝
親戚宅を訪れます。車が故障したから送ってくれと依頼した小原容疑者を、親戚の方が下したのは、鵜の巣断崖へと続く一本道でした。鵜の巣断崖は、自殺の名所としても有名なところです。

ここをクリック→ 岩手県田野畑村ホームページ「鵜の巣断崖」

そこから小原容疑者は、前日に訪れた幼なじみ男性に自殺をほのめかすメールをします。彼がスクーターで駆けつけたところ、小原容疑者は誰かと携帯電話をしており、普段通り会話をしていた様子から自殺する雰囲気はないと見た幼なじみ男性は缶コーヒーを置いて去りました。そしてその幼なじみ男性は、小原容疑者の電話の相手は、会話の内容が前日話していた内容と同じであったため、前日の電話の相手だった恐喝事件担当の岩手県警久慈署千葉警部補だと思ったと言います。それが、小原容疑者が目撃された最後でした。

7月3日
小原容疑者の遺留品が鵜の巣断崖から見つかりましたが、見つけたのは警察ではなく、鵜の巣断崖の掃除に来ていた田野畑村の職員でした。前日、その場に小原容疑者がいたことは、やはり自殺をほのめかすメールを受けて心配した佐藤梢Aさんが警察に通報しています。それでありながら「(もし警察が隠していないのであれば)警察は現場に向かっていなかった」ということになります。不思議なことに残されていたサンダルは、彼が履いていた白いサンダルではなく、青地に赤い縞模様のサンダルでした。

このように小原容疑者には、もし佐藤梢Bさんの殺害が6月30日から7月1日であったとすれば、遺体発見現場の川井村から車で片道2時間離れた田野畑村に、弟あるいは幼なじみ男性と一緒にいたというアリバイがあります(その弟あるいは幼なじみ男性が共犯という可能性が残るはずですが、警察はあくまで小原容疑者の単独犯という筋立てです)。

アリバイのほかにも、小原容疑者の無実を裏付ける状況証拠があります。その最大のものは、彼には佐藤梢Bさんを殺害する動機が全くないことです。佐藤梢Bさんは、自分と別れようとしている彼女の友人です。彼女とよりを戻すための橋渡しになることはあっても、その佐藤梢Bさんを殺害するという理由は存在しようがありません。

また右手のけがは非常にシリアスなものであり、利き腕の右手の握力が全くない状態で扼殺したり、遺体を欄干越しに投下することを一人で行うのはほぼ不可能だと思われます。

警察は当初、死亡推定時刻を遺体検案書にある「6月30日から7月1日」としていましたが、29日に右手の診察が行われた事実を知った後、佐藤梢Bさんが失踪した28日以降と死亡推定時刻の範囲を拡大しています。その理由が、小原容疑者の右手のけがでは、彼の犯行が不可能であることを警察は十分理解していたためということは明らかです。

勿論、犯行時刻と死亡推定時刻の間に相当間隔があったと推定することは可能です。即ち、佐藤梢Bさんが首を絞められ、沢に落とされた時にはまだ息があり、その後1日以上時間が経ってから死亡したと仮定することで、小原容疑者のアリバイは崩れるということになります。しかし、その場合でも、小原容疑者に動機がないことには変わりなく、動機の不在は彼の無実を示す重要な意味を持っていると思います。

また犯行が行われたであろう6月30日以降、小原容疑者は、恐喝事件担当の久慈署千葉警部補と何度も電話で会話していました。殺人を犯した者が、警察と積極的に連絡を取り合うというのは、常識から考えてあり得ないことだと思われます。

小原容疑者が無実である有力な事実がいくつもあるのに対し、彼が殺害に及んだと示す証拠はほとんどないに等しいものです。小原容疑者家族のみならず、殺害された佐藤梢Bさんの家族も共に、警察には徹底した捜査を求めています。加害者(容疑者ですが)家族と被害者家族が共に警察に不信を抱いているというのは異常な事態だと言えます。

<論評>
政府広報オンラインに、指名手配、小原容疑者が指定されている警察庁指定重要指名手配被疑者及び捜査特別報奨金制度が分かりやすくまとめられています。

ここをクリック→ 政府広報オンライン「あなたの通報が検挙につながる 指名手配被疑者の捜査にご協力を」

これによれば、2014年12月時点で指名手配者は約700人に上り、そのうち「警察庁が、凶悪犯罪または広域犯罪の指名手配被疑者のうち、全国警察を挙げて捜査をする必要性の高い者」を「警察庁指定重要指名手配被疑者」としており、2014年12月時点では14人、そしてそのうち報奨金の支払い対象になっているのは3人です。小原容疑者はその3人のうちの1人です。

ここをクリック→ 警察庁指定重要指名手配被疑者

3人のほかの2人の罪状を見てみると、一人はストーカー行為の末、相手家族の3人を殺害した者(群馬一家3人殺害事件/小暮洋史容疑者)と、もう一人は、居候をさせてもらっていた知人男性の金を奪った上で殺害したとされる元暴力団関係者の男(三鷹市居酒屋副店長強盗殺人事件/上地恵栄容疑者)です。罪状も悪く、更に重要なことに、犯人性の確度が高い容疑者という共通点があります。

小原容疑者に報奨金が懸けられたのは、事件からわずか4ヵ月足らずでした。報奨金の対象となっているほかの2人は、小暮容疑者は事件発生から9年10カ月、上地容疑者が事件発生から2年経ってから報奨金が懸けられています。報奨金制度は市民からの情報提供を促すためにあるものですが、それは警察が独力で情報収集することを諦めたことを意味します。

公判で有罪にもなっていない者を「犯人です」と断定するほど警察を前のめりにしている理由はなんでしょうか。そして、警察が早々と捜査を諦め、小原容疑者をこのように大々的に犯人視していることを宣伝している理由はなんでしょうか。その背景を探ると、それが警察の失態の隠蔽工作であるとの疑いが浮上してきます。

遺体発見の翌朝5時頃という早朝に、岩手県警宮古署から身元照会の電話がかかってきました。

「お嬢さんは無事ですか?いますか?」

しかし、警察が電話をしたのは、殺害された佐藤梢Bさんではなく、佐藤梢Aさんの家でした。佐藤梢Aさんの連絡先は、恐喝事件の件で久慈署に届けてあります。つまり、警察は遺体発見後の早い段階から、殺人事件と恐喝事件の関連性を認識していたということです。但し、彼らは同姓同名の「佐藤梢」が2人いるということは理解していませんでした。

そして遺体の身元が判明するのはそれから12時間後の、7月2日の午後5時頃のことでした。

小原容疑者が鵜の巣断崖から姿を消してからの足取りは、彼が容疑者である以上、殺害事件の捜査の最重要事項だと思われます。しかし、警察は周辺道路の検問や地元住民への聞き込みといった捜査を一切していません。

鵜の巣断崖は人気も少なく、事件後は晴天の日が続いていたため、もし小原容疑者がサンダルを脱ぎ捨て、裸足でその場を去ったのであれば、警察犬での捜索は非常に効果が高かったと思われます。小原容疑者の父親が、事件直後、警察に警察犬での捜索を依頼した時の警察の返答は以下の通りでした。

「お父さん、警察犬は数十分単位でお金がかかりますよ。高いですけど、お父さん払えますか」

警察犬による捜査に、市民がお金を払わなければならないなどということはありえません。これも警察が、捜査に消極的どころか全くする気がなかったことの表れです。

これらのことから、次のようなことが推定されます。

「警察は、佐藤梢Bさん殺害の早い段階で、以前から届け出のあった恐喝事件との関連性を認識していた。しかし、その恐喝事件の着手がもう少し早ければ、佐藤梢Bさんは事件に巻き込まれなかった可能性がある。しかも、もう一人の関係者である小原勝幸まで行方不明になってしまった。もし一連の失態が表ざたになれば、警察に対する批判は避けられない。かくなる上は、行方不明の小原勝幸を容疑者として、犯人の汚名を着せれば、警察の責任は回避でき、事は丸く収まるだろうと警察は考えた。」

警察はやるべき捜査をせず、ただ税金を使って、小原容疑者が犯人だという刷り込みをするためのポスターをばらまいているだけです。そのポスターは、現在でも全国のいたるところに貼られています。

ここをクリック→ 佐藤梢Aさんインタビュー

冤罪は、無実の罪を罪のない人に着せるだけではなく、真犯人を逃がすことにもなります。しかし、この事件で真犯人を見つけるのは容易ではなさそうです(だからこそ、警察は小原勝幸を容疑者として手打ちにしたのでしょうが)。

小原容疑者が、幼なじみ男性の家から一時外出をして、帰宅後に非常に取り乱していたというのは何を意味するのでしょうか。彼は何らかの方法で佐藤梢Bさん殺害を知ったと考えるのが合理的です。その外出の時間は、遺体発見の時間とほぼ重なります。しかし、その時点ではまだ遺体発見の報道がなされていない以上、殺害の事実を小原容疑者に知らせることができるのは、ごく限られた人間になります。

それは佐藤梢Bさんを殺した犯人でしょうか。私は違うと考えます。犯人が佐藤梢Bさん殺害をもって、小原容疑者を脅かすのであれば、殺害直後にその事実を知らせればよいということになり、何も遺体発見を待つ必要はありません。とすれば、「佐藤梢」さん殺害を小原容疑者に知らせることができるのは、唯一、警察です。しかし、警察は殺害されたのは佐藤梢Aさんだと思い込んでいたと思われます。殺害現場の管轄警察署は宮古署です。恐喝事件の担当の久慈署への照会は電話であったと思われ、人相の照合まではしていなかったはずです。

殺害された佐藤梢Bさんと小原容疑者を結ぶ線は、(それこそ警察が隠したがっている)恐喝事件です。しかし、その線上にいる恐喝をしたZ氏が真犯人であるというのは、少し飛躍があるように感じます。あまりにも物証が少な過ぎ、その男性が真犯人であるという確信は持ちようがありません。

佐藤梢Bさんが単独で何らかの事件に巻き込まれ、その殺害が恐喝事件と関係があると警察は考えて小原容疑者に伝え、殺されたのは佐藤梢Aさんであり自分も次に狙われると小原容疑者が誤解したとする可能性は多分にあると考えます。

しかし、その場合、小原容疑者の身に何が起こったのか。本当に自殺してただ遺体が見つかっていないだけなのか、自殺は自分を狙う者への目をくらませるための偽装で現在も逃亡中なのか、あるいは失踪時にどこかに連れ去られて殺害されたのか。

警察の犯罪的なサボタージュにより、事件は今も闇の中です。警察には徹底した捜査を望みます。そして、小原容疑者の公開捜査という小原容疑者の家族に対する極めて深刻な人権侵害を即刻やめるべきです。佐藤梢さんのご冥福をお祈りします。

参考資料
ここをクリック→ 黒木昭雄ブログ「黒木昭雄のたった1人の捜査本部」(注)

ここをクリック→ 『週刊朝日』「少女殺人事件の陰に隠された真相」黒木昭雄 その1 (2009年7月3日号)

ここをクリック→ 『週刊朝日』「少女殺人事件の陰に隠された真相」黒木昭雄 その2 (2009年7月10日号)

ここをクリック→ 『週刊朝日』「少女殺人事件の陰に隠された真相」黒木昭雄 その3 (2009年7月24日号)

テレビ朝日『ザ・スクープ』「岩手少女殺害事件の真相」2010年5月16日放送

ここをクリック→ その1

ここをクリック→ その2 

ここをクリック→ その3

ここをクリック→ その4

ここをクリック→ その5 

(注)
この事件を追い続けたのが、元警察官のジャーナリスト黒木昭雄氏でした。彼は、小原容疑者の報奨金が100万円から300万円に上げられた日に以下のようなツイートをし、その2日後に千葉県の駐車した車中で死亡しているのが発見されました。警察の発表は自殺というものでした。

ここをクリック→ 黒木昭雄氏最後のツイート 

ここをクリック→ Wikipedia 「黒木昭雄」

ここをクリック→ テレビ朝日『ザ・スクープ』「黒木昭雄 自殺の真相」















ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1


ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

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category: 冤罪ファイル

2016/03/07 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その13 「恵庭OL殺人事件」 

冤罪ファイル その13 「恵庭OL殺人事件」

この事件は、当時29歳の普通のOLが、三角関係を動機とした殺人犯とされ、彼女が相手女性にかけた無言電話をその殺意の証拠として懲役16年の刑を受け、2000年5月の逮捕以来現在も収監中のあまりに不運な冤罪事件です。

被告人自ら、いくつかの重要な事実を公判直前まで弁護人にも隠していたことが裁判官の心証を悪くし、杜撰な事実認定を招きます(そしてその杜撰さは常識外れです)。更に由々しいことは、警察の初動ミスと検察による悪質な証拠隠しが冤罪の重大な原因となっていることです。

警察の初動ミスは、被告人を決め打ちにして捜査対象を早くに絞り過ぎたため、真犯人を探す努力を当初から放棄したことです。有罪判決となった一審において検察によって隠蔽された証拠のいくつかは、その後控訴審あるいは再審請求審で開示されたものの時すでに遅く、控訴審でも有罪が覆ることなく、再審請求審も棄却されてしまいました。それら証拠は被告人のアリバイを証明するものであるため、一審段階で開示されていれば、無罪の可能性は非常に高かったと感じます。

判決における事実認定は、次の通りです。

「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪容れずに抱えて車両外に下ろし、きわめて短時間のうちに、そしてわずか10Lの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』より)

その事実認定を評して、元裁判官の法学者瀬木比呂志氏は以下のように述べています。
「再審請求棄却決定の後、報道をみると、種々不審な点があり、学者の同僚たちからも同様の意見を聴いたので、つてを頼って決定のコピーを至急取り寄せ、関連の書物や記事等についても読んでみた。その結果は、唖然とするようなものだった。

民事系の裁判官であった私の民事訴訟における感覚からしても、検察が証明責任を果たしているとは思えない。まして、これは、民事よりも証明度のハードルが高い刑事訴訟なのである。しかし、この事件に携わってきたすべての裁判官たちは、そのような不十分な立証によって有罪を認めてきたのだ。

「本当にこの証拠で有罪にしたのか?また、再審開始もできないというのか?刑事裁判というのは、一体どういうことになっているのだろうか?」

それが私の正直な感想であった。」
(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』より)

この事件の一審からの主任弁護人である伊東秀子弁護士は、上告棄却により刑が確定後、6年を経て『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』を上梓しています。

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ここをクリック→ Amazon 『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』

<事件経緯>
2000年3月17日午前8時過ぎ、北海道恵庭市郊外の人気のない農道で、幼稚園の送迎バス運転手が、走行中に路肩に黒っぽいものがあるのを見つけた。運転手の女性は園児を出迎えた主婦に確認を依頼し、主婦が車で現場を見に行くと、それは人間の焼死体であることがわかった。

仰向けの遺体は、タオルのようなもので目隠しされており、右腕は「くの字」に曲げ背中の下にあった。全身の表面から内臓まで完全に炭化しており、特に頸部と陰部の炭化がひどかった。男女の区別も難しい無残な状態だったが、胸部周辺にブラジャーのワイヤーのような残焼物が確認され、女性だと推測された。股関節は左右に開脚した状態だった。死因は頸部圧迫による窒息死。絞殺後に焼かれたものと見られた。

まもなく遺体は、前夜に同僚と一緒に退社したまま行方がわからなくなっていた千歳市のキリンビール工場敷地内にある日本通運事業所に勤務するOL橋向香さん(当時24歳)とわかった。橋向さんは当時、自宅から勤務先まで約30分の道のりを車(三菱パジェロ・ジュニア)で通勤していたが、職場の同僚たちによると、行方が途絶えた16日は夜9時30分頃に残業を終え、事業所をあとにしていた。

一方、事業所から約20km離れた遺体発見現場周辺の捜査では、この日の夜11時過ぎに炎が上がっていたと複数の住民が証言。つまり被害者は夜9時30分頃に会社を出た後、2時間もしないうちに殺害され、死体に火を放たれていたのである。

死体の身元判明後、橋向さんの周辺への捜査が慌ただしく進められる中、ほどなく警察の疑いの目は一人の女性に集約される。それが、同じ事業所で橋向さんと一緒に働いていた先輩OLの大越美奈子さん(当時29歳)だった。彼女が浮上したのは、同僚の証言から、橋向さんと同じ会社に勤める男性との間の三角関係が明らかにされたからだった。

4月に入って、道警は大越さんを任意聴取。否認を続ける大越さんに対する警察での取調べは過酷を極め、大越さんは取調べ中に失神し、医師の診断で入院を余儀なくされるほどだった。1ヵ月の入院の退院翌日、大越さんは殺人と死体損壊、遺棄の容疑で逮捕された。

ここをクリック→ 犯行現場(「恵庭市北島39番地(先市道南8号路上)」逮捕状より)のGoogle Mapsストリートビュー

<裁判経緯>
2000年10月  逮捕から5カ月後、札幌地方裁判所にて初公判(佐藤学裁判長)
2001年2月   接見禁止が一部解除され、約9ヶ月ぶりに家族と面会が許される 
2002年4月   第35回公判 遠藤和正裁判長に代わり、更新手続きが行われた
2002年9月   約2年4ヵ月ぶりに接見禁止が解除される
2003年3月   第46回公判において有罪判決、遠藤裁判長は懲役16年を言い渡す
2004年5月   控訴審初公判(長島孝太郎裁判長) 
2005年9月   控訴審第13回公判において、長島裁判長は控訴棄却
2006年9月   最高裁(島田仁郎裁判長)は上告を棄却
2006年10月  弁護側異議申立が棄却され、一審判決の懲役16年が確定
2012年10月  再審請求    
2014年4月   札幌地裁(加藤学裁判長)は再審請求を棄却

一審、控訴審での公判には毎回多数の支援者が傍聴し、その模様をブログで克明に報告したことに検察は相当神経質になっていたようです。被告人となった大越さんを必死で支えようとする支援者の思いが痛烈に伝わってくる毎公判の傍聴記です。検察も、仕事とはいえ冤罪製造犯とされ複雑な思いだったことだと思います。

<争点>
この事件においては、要証事実を直接立証する証拠はありませんが、間接事実を証明する間接証拠(情況証拠)は多々あるとされます。逮捕後、マスコミのリーク報道が過熱する中で、道警本部の捜査課長は「証拠は山ほどある。どの証拠も彼女の方を向いている。すべての証拠は真っ黒けのけだ」と言ってのけました。

しかし、その「真っ黒けのけ」の間接証拠は、公判がすすむにつれ、「被告人が犯人でなくても合理的に説明できるものであり、それだけでは犯人の可能性があると言えるに留まる」ものであると明らかにされていきます。しかし、偏見を持った裁判官の心証を変えることはできず、推論に推論を重ねた上での有罪判決がなされ、それが上級審で覆ることはありませんでした。

冒頭に「被告人自ら、いくつかの重要な事実を公判直前まで弁護人にも隠していた」と述べましたが、多くの間接証拠の中でも、特に重要と思われるものが、被告人が隠していたとされる、被害者に無言電話をかけていた事実と事件前日に購入した10Lの灯油を巡る経緯です。

その前に、動機とされた大越さんと被害者橋向さんそして会社同僚の男性の「三角関係」を述べると、それは以下のようなものでした。

大越さんは会社同僚の男性と1998年の9月頃から交際を始め、週末は大体二人で過ごすほどの仲でした。ところが、交際を始めて一年余り経った1999年暮れ頃から二人の気持ちに微妙なズレが出始め、デートの度に大越さんの仕事の仕方に男性が文句を言うことが多くなりました。そして2000年2月27日、大越さんの言葉に激昂した男性が、口論の末に「あんたとは結婚する妥協点が見つからないんだよね」と別れ話めいた言葉を投げつけました。そのような状況の中、男性は3月4日に橋向さんと用事があって二人で会ったことをきっかけに好意を抱き、3月11日に橋向さんに交際を申し入れ、彼女からイエスの即答を得ています。事件はその5日後に起きました。

捜査当局が、事業所の同僚に犯人を絞り込んだ理由は、被害者の携帯電話が彼女の死後の時間においても数回発信され、それが事件翌日に会社の女子休憩室の被害者ロッカー内の上着の胸ポケットから発見されたことによります。そして、道警が電話会社の被害者の通話記録を捜査した結果、着信記録に大越さんからの携帯電話から多数回着信している事実が判明しました。

その回数は、12日21回、13日128回、14日54回、15日13回、16日4回の合計220回、そして16日の事件のあった時間以降は途絶えていました。検察の主張は、この無言電話こそが大越さんの殺意を立証する証拠だというものでした。

更に大越さんは、社宅を明け渡さなければならなかったため、荷物の片づけの際の暖房用に10Lポリタンク入り灯油を事件の前日に購入していました。しかし、事件後の3月末に職場のドライバーから「警察がお前の写真を持って灯油を買ったガソリンスタンドを探し歩いている。お前が犯人なのか?」と言われ、動転して、事件の前夜に購入し車のトランクに入れっぱなしにしていた10Lの灯油をとっさに捨てようと思い立ち、会社の帰り道道路脇の草むらにタンクごと捨てました。その後冷静になってから10Lの灯油があることは自分の無実を証明することに気づき、4月1日頃、別の店で10Lの灯油を買い直し、それを社宅に置いていました。

なぜ彼女はそもそも、灯油を使っていないことが無実の証拠であると最初から思わなかったのか。また買い換えるのではなく、なぜ捨てたそのポリタンクの灯油を探そうとしなかったのか。そうした疑問に合理的に答えられないのは、最初に買った10Lの灯油が遺体の焼却に用いられたからだ、というのが検察の主張でした。

このように積極証拠だけ見ると、確かに怪しいと思えるものです。しかし、これらの事実関係ですら無実の証拠であるとさえ言えると私は考えます。

まず無言電話に関して。無言電話の220回という回数は、実際には大越さんの発信の回数であり、回線がつながった、あるいはその後橋向さんが電話を取った回数はずっと少ないものでした。着信記録を精査すると220回のうち、コールされる前に切ったのが100回、コールされたけれども相手が受話器を取る前に切ったのが82回で、橋向さんが実際に取った回数は38回でした。もし無言電話が、検察の主張するように殺意につながったという嫌がらせ目的であるならば、相手が受話器を取らなければその目的は達成できないはずです。一見異常な回数とも思えた無言電話も、恋人を失うかもしれないという女性の不安がさせたものであり相手を傷つける意図はなかったと考えることができます(大越さん本人も一審の被告人質問で「自分でも説明しようがない不安定な精神状態だった」と説明しています)。そして更に重要なことは、これだけの無言電話を受信した携帯電話を犯行後に、わざわざ女子休憩室の橋向さんの上着ポケットに戻すということは、大越さんが犯人であれば不合理極まりないと言えます。

10Lの灯油に関しては更に明快です。検察の主張は、10Lの灯油をざばざばっとかけて火をつけ、直ちにその場を立ち去ったとなっています。私は、冬の間は灯油ストーブを使っており、その灯油ストーブのタンク容量が9Lであるため、10Lがどれくらいの量かのイメージははっきりあります。その程度の量の灯油をざばざばっとかけて(相当量がこぼれると思われます)火をつけたところで、内臓まで炭化するほど遺体が燃焼するというのはあまりにも常識外れだと言えます。

豚を人体に近い状態にして灯油で燃やした燃焼実験の報告書と鑑定意見書は、再審請求の際の弁護側「新証拠」の大きな目玉でした。実験を行ったのは、弘前大学大学院理工学研究科熱工学の伊藤昭彦教授でした。再審開始決定の出た東住吉放火殺人事件が本当は火災事故だったことを実験で裏付け、再審開始に寄与した鑑定人です。その鑑定結果は、「灯油で被害者の遺体のように内臓が炭化するまで燃焼させるのに必要な灯油の量は54Lであり、しかも、その量の灯油を何度も何度もひしゃくなどでかけながら2時間かけて燃やさないと不可能」というものでした。再審請求棄却は、この科学的事実を裁判所が無視したものです。

そのほかの証拠の中で、最も重要なものは大越さんのアリバイに関するものです。大越さんにはアリバイがありましたが、その証拠が最終的に揃ったのは再審請求審での開示によるものです。一審、控訴審においては、検察はそれら重要な証拠を隠蔽していました。

大越さんの事件当時のアリバイを検証します。

事件当日、退社時からの大越さんの行動は以下の通りです。

「午後9時30分過ぎに、橋向さんと連れだって退社し、駐車場の前で別れた。車で10分の大型書店で、本の立ち読みをしたり、文房具を見たりした後、何も買わずに店を出た。11時半頃、ガソリンスタンドに寄り1000円分給油して帰宅。冷蔵庫に刺身があったのでビールが飲みたくなり、自宅向かいのローソンへ買物に行った。2時から3時の間に就寝。」

大型書店では彼女は(不運にも)何も買い物をしなかったため、彼女が犯行時間にそこにいたことを立証することはできませんでした。弁護団は目撃者を捜しましたが、数ヶ月前のある特定の日のただの買い物客を知り合いでもない他人が覚えているわけもありません。

犯行当日、遺体を焼却する炎を近隣住人が目撃していました。それが午後11時「過ぎ」。ガソリンスタンドで大越さんが給油したのは11時「半頃」。この30分内外に移動できるかどうかが大越さんのアリバイにつながります。

まず、現場からガソリンスタンドまでの道のりをNavitimeで検索してみると、距離は13.8km、時間は25分となります。この時間は弁護団による走行テスト(23~25分)と一致するものです。Navitimeは法定速度を目安にしています。3月の北海道の街灯もない農道を、しかも事故や違反に注意して慎重に走行したことを考えれば、法定速度を大幅に上回る速度で走ることは現実的ではないと考えられます。つまり、犯行時間が11時であり、大越さんがガソリンスタンドで給油したのが11時30分であれば、アリバイは成立しないことになります。

ここをクリック→ Navitime 犯行現場~ ガソリンキング恵庭店(恵庭市住吉町2-15-15)

犯行時間及び大越さんがガソリンスタンドで給油した時間を精査します。

5月21日付の逮捕状には、犯人が死体に火を放った時間は「午後11時15分頃」と明記されていました。ところが、6月13日付の起訴状では、「午後11時頃」と突然15分早まっていました。この15分の変遷の結果、大越さんにはアリバイがないと判決では認定されました。捜査段階からの犯行時間の変遷経緯を見ていきます。

道警は事件の翌日の3月17日、事件の犯行時間を特定する炎を目撃したとする証言を近隣住人の少なくとも3人から得ていました。しかし、その中の一人の供述は、検察官ストーリーに合わない事実(後述)を含んでいたため闇に葬られました。逮捕状段階では二人の証言を基に犯行時間を「午後11時15分頃」としました。

その二人の調書で一審において当初開示されたのは、証人Aに関しては4月6日付の員面調書(警察官調書)と5月4日付の検面調書(検察官調書)、証人Bに関して起訴二日前の6月11日付の検面調書のみでした。必ずあるはずの彼ら両名の事件直後の員面調書、及び証人Bの4月6日ないし5月4日頃の検面調書は、検察の強硬な反対により開示されることはありませんでした。

この3通の調書の犯行時間に関する記述を抜き出すと、4月6日付証人A調書「午後11時00分頃から午後11時15分頃までの間」、5月4日付証人A調書「午後11時か少し過ぎた午後11時15分までの間」、6月11日付証人B調書「午後11時10分ないし15分頃」です。

開示された証人Aの調書における証言では、炎の目撃時間に15分の幅を持たせてありますが、この調書は警察のガソリンスタンド捜索(後述)の後に作られたものであるため、開示されていない3月17日頃の事件直後の員面調書では、証人Bと同じくもっと幅が狭く、しかも11時15分により近いという可能性は十分にあると疑われます。

逮捕状記載の「午後11時15分頃」という犯行時間はこの二人の証言の合致している時間帯を取ったものです。

その後の捜査で明らかになったのは、大越さんのガソリンスタンドでの給油時間でした。道警は大越さんの車両を差し押さえ、その車内から「ガソリンキング恵庭店」の「午後11時36分」と刻印された伝票を見つけ、ガソリンキング恵庭店を捜査しました。その際、大越さんの車が店内に入った時の映像がビデオにあることが判り、そのビデオにより大越さんが入店した正確な時刻は「午後11時30分43秒」であることが判明しました。

しかし、現場からガソリンキングまでは25分程度かかることから、11時15分頃火をはなったとしたら、大越さんのアリバイが成立してしまいます。そこで検察は「午後11時頃」と犯行時間を早めざるを得なくなったものです。

正確な時刻の記載されたビデオテープとその押収経過及び正確な時刻の割出しを記載した捜査報告書の存在は検察官により隠され、控訴審まで開示されることはありませんでした。検察官はこうした証拠隠しをする一方で、起訴状の犯行時間を「午後11時頃」に変更し、変更後の犯行時間を立証させるために証人Aを公判に証人として出頭させ、捜査段階の供述を変えさせました。

事件直後の記憶がより鮮明な時期の「11時を少し過ぎていたが11時15分頃までの時間」という証言が、公判では「取調べ段階では流動的な幅があった方が間違いないだろうと考えて幅を持たせて供述した」という言葉に変わり、結局、「11時から11時05分まで」に変わったものです。

一審で認定された犯行時間は、この証人Aの公判での証言に基づき「午後11時頃」とされました。大越さん及び弁護団にとって不幸であったのは、ガソリンスタンド入店時間の「午後11時30分43秒」という証拠が隠蔽されたため、その15分の変遷が一審段階ではアリバイの成立に決定的だと知り得なかったことです(入店が午後11時36分であれば、午後11時15分からでも間に合う可能性はあると考えられる)。伊東秀子主任弁護人の著書においても、「今となっては証人Aに対する反対尋問でつっ込みが足りなかったことが悔やまれる」と書かれています。

そして再審請求審で開示された証拠により、犯行時間はやはり11時15分頃であったことが裏付けられました。その開示された証拠とは証人Bの事件直後(3月17日付)の調書でした。一審の段階で開示されていた調書(6月11日付)では、炎を見た時間を「午後11時10分ないし15分頃」としながらも、「時計が若干進んでいたので、定かではありません」という信用性を削ぐ言葉が挿入されていました。

3月17日付証人B調書より
「3月16日午後11時15分頃、焼死体が発見された付近で炎が上がっているのを見たわけです。この時間をなぜ覚えているかというと、私は午後11時から犬の散歩を行うのを日課としており、昨夜も午後11時頃の天気予報のテレビを見て、雪の状態を確認し、さらに、家から出る時、家の壁時計により時間を確認しているためです。」

検察の証拠隠しはこれに留まりません。近隣住人の3人目の証言があることが分かったのは、一審公判も20回を越えた頃でした。伊東弁護士の事務所に一本の電話が入りました。電話の内容は、事件現場近隣に住む女性が事件の夜、現場近くに停車していた2台の車を見ており、そのことを警察にも話して調書も取ったのに、裁判で若い女性一人が犯人にされているのはおかしいというものでした。

この証拠価値としては最大級の事実を公判で証言してもらうよう、弁護団はその3人目の証人を説得します。彼女は真犯人の報復を怖れるあまり、証言を相当の間拒んでいました(即ちこの証人は、ほかに真犯人がいることを確信していたことを意味します)。またこの証人が事件直後に供述した員面調書の開示に検察は猛烈に反対しましたが、裁判官の決定により証拠採用されることとなりました。

3月17日付証人C調書より
「私の娘が札幌市内の新札幌にある会社に勤務している関係で、毎日の朝夕、私は毎日北広島駅まで車で送り迎えをしています。昨日も娘が仕事を終えてから「午後11時04分の電車に乗るから」と午後10時45分頃電話が入ったのでした。新札幌駅から北広島駅までは約8分かかり、私の自宅から北広島駅までは車で10分弱で行けるので、午後11時04分頃の時計の時刻を確認し、戸締りをして、私は家から車を運転して北広島駅に向かいました。いつも、自宅を出て南八号線を直進して最初の交差点を右折して西八線通りを走るのですが、交差点を右折する時南八号線通り上に2台の車が停車していたのが目に入ったのです。こんな時間に車が停まっている場所でないので私は交通事故か何かかなと思いました。」

駅に行く時点で2台の車を目撃していますが、その時間は午後11時5分頃であり、この時点では炎は見ていません。この女性が炎を見るのは帰りの道すがらでした。

証人Cの公判供述より
「娘の乗った汽車は午後11時13分にJR北広島駅に到着したため、私は娘を車に乗せて北広島駅から自宅に向かったが、自宅の直ぐ近くの交差点を左折するため右方を確認した時、2台の車は以前の場所より200m位前に進んだ位置にまだ止まっており、普通車の方(注:証人Cが見た2台は「1台が乗用車、もう1台がワゴン車」と供述していた)の屋根越しにパトカーのような「赤い光」が見えた。時間は午後11時20分過ぎと思う。」

この「赤い光」とは炎以外の何ものでもなく、そして火が放たれた時間は11時05分頃ではなく11時15分以降でなければならないことになります。大越さんにはやはりアリバイが成立することになり、更に複数の犯人像が浮かび上がります。

もし証人Cの存在を弁護団が知らないままであったなら、事件当夜2台の車が現場近くに停車していた事実は闇に葬られたままとなり、検察官の証拠隠しは完遂したと思われます。ガソリンキングのビデオテープと同じように「2台の車を見た」という証言は、大越さんによる単独犯行説に立つ検察にとって最も邪魔な証拠でした。

検察はこの証言の信用性を否定しましたが、一審裁判体はさすがに「2台の車を見た」という証言の信用性自体を否定しなかったものの、奇妙奇天烈な理由を述べて有罪判決を下しました。それは証人Cが炎を見たのは、往路と復路を混同しており、「2台の車」に関しては「犯人が着火後、その場に留まることは不自然で、犯人は速やかに逃亡したが、その後第三者がゴミ焼き等による炎上として単に傍観していたものと推認できる」としました。どこの酔狂が3月の北海道の寒空で、ゴミが焼かれているのを20分も見ているというのでしょうか。しかも、その見物人は死体が焼かれていることを気付かずにいたというのです。そしてもし傍観者であったのなら、大々的に事件が報道される中で通報してもよさそうなものです。「どうしてここまで無理を重ねて有罪判決を下す必要があったのか、全く不可解である」と伊東弁護士は著書で書いていますが、全くその通りだと思います。

また大越さん以外の人物が真犯人であると私が考える証拠は、ほかにも存在しています。それは大越さんの任意同行の4月14日の翌日、大越さんの自宅から3.6km離れた地点で、被害者の遺品(車のキー、眼鏡ケース、財布等)の残焼物が見つかったことです。

検察の主張は、これも大越さんの証拠隠滅工作だというものでした。検察は公判で警察官4人を証人申請し、彼らに「一晩中駐車場付近に車を停車させて一時間毎に大越の車を見に行っただけで、他の出入り口を見てはいないから、住宅の出入り口は3ヶ所あって一時間毎の見張りの合間に大越が警察官のいない別の出入り口から出て遺品を焼きに行くことは可能であった」と証言させています。

事件後から昼夜を問わず警察官による尾行、張込みやマスメディアの取材陣もいる衆人環視の中で、もし彼女が真犯人だとすれば見つかれば犯人であることがばれるというリスクを冒して、どうすれば遺品を焼きに行けるというのでしょうか。3.6kmの距離を、灯油を運んでの往復を取調べで疲れ切った大越さんが夜中に成し得たとは到底思えないものです。

<論評>
伊東秀子弁護士著『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』に収録された白取祐司北海道大学教授の「いびつな証拠構造」と題する寄稿から引用します。

(以下引用)
恵庭事件判決もそうだが、情況証拠のみによる事実認定の危険性については、これまでもしばしば指摘されてきた。1973年12月13日の最高裁判決は、情況証拠による事実認定をする際の注意則として、もっぱら情況証拠による間接事実から推論して事実認定を行う場合、「反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの『犯罪の証明は十分』であるという革新的な判断に基づくものでなければならない」と判示していた。下級審判例でも、本来多面性をもつ情況証拠を、「有罪認定に都合の良い可能性を持つ一例でも、本来多面性を持つ一面を選り出して、これらを重層的に重ね合わせ、その上で、これだけ多くの事実がすべて集まるのは偶然ではない」との主張には説得力がない、なぜなら、「有罪認定をするには都合の悪い、いわば消極的可能性を持つ他の一面や、有罪認定とは矛盾する可能性が高い情況証拠をも正当に評価する視点」が十分ではないからである、とされてきた。

恵庭事件の二審有罪判決が最高裁によって棄却され確定したのは、2006年9月のことだが、その後現在までの間に、情況証拠による事実認定に関して、2007年と2010年に二つの最高裁判例がだされている。2007年の最高裁決定は、「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である。そして、このことは、直接証拠によって事実認定をすべき場合と、情況証拠によって事実認定をすべき場合とで、何ら異なるところはないというべきである。」と判示するにいたり、情況証拠による事実認定だからといって証明の程度に差異はないことを明らかにした。さらに、2010年最高裁判例は、2007年決定を引用しつつ、「情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」との注目すべき判示をした。最高裁も、証拠価値の乏しい情況証拠を束ねて安易に有罪を導くことに警鐘を鳴らしているのである。
(引用以上)

つまり、「情況証拠からすれば、被告人が犯人であることは合理的である」だけでは立証たりえず、「情況証拠からすれば、被告人が犯人でなければ不合理である」ことが言えないといけないということです。被告人以外の犯行(あるいは、このケースではありませんが、事件そのものが事故であり犯人はいない)という可能性があれば、合理的な疑いを入れる余地があり、無罪を言い渡さなければならないと最高裁は判じています。

この事件で弁護側の取った訴訟戦略は、アナザ―ストーリーの提示でした。「犯行時間の犯行現場における2台の車の目撃証言」「開脚した状態で陰部の焼失が激しい遺体の状況」などの情況証拠から、犯人は複数の男性による性犯罪だと公判で主張しました。

検察の主張する大越さん単独犯説と弁護側の主張する男性複数犯説は二者択一的関係にはなく、後者が否定されたからといって前者が認定されることにはなりません。弁護側の主張の目的は、ほかの可能性もありうるというグレーの領域に持ち込むことであり、それは有効だと言えます。

この事件を俯瞰して、一番ひっかかるのは「なぜ死体を焼かなければならなかったか」ということです。しかも、人気のない広大な農地の真っただ中とはいえ、民家から数百メートルの場所で実際に(少なくとも)3人の目撃者がいたような場所です。

当然、一番高い可能性は「証拠の隠滅」ですが、顔の損傷は比較的ひどくなかったことから、いわゆる被害者の身元を隠すわけでもなく、犯罪そのものを隠蔽するならもっと人が踏み込まない場所に遺棄する方がはるかに簡単です。それは何か特定の事柄を隠蔽しようとしたと考えられ、やはり弁護側の主張する性犯罪という説はかなり説得力がある主張と私は感じました。精液及び酸性フォスファターゼが検出されなかったことをもって、科捜研は姦淫の形跡はなかったと結論づけていますが、なぜコンドームの使用の可能性を排除しているのか、非常に恣意的な鑑定だと感じます。

この事件においては、あるべき証拠が全く存在していません。それらは、犯行現場における大越さんの足跡、大越さんの車のタイヤ痕、殺害が行われたとされた大越さんの車の中から橋向さんの指紋、血痕、尿、毛髪といった残留物、橋向さんの携帯電話に残された大越さんの指紋といったものです。まさに証拠は「ないない尽くし」と言えます。

そしてそうした物証が著しく乏しい事件において、警察の後日の家宅捜査で重要と思われる物証が突如見つかることはこれまでも繰り返されてきました。袴田事件のズボンの端切れしかり、狭山事件の鴨居の万年筆しかり。

この事件においても、4月14日の大越さんの任意同行時に彼女の車(日産マーチ)が押収されていますが、そのグローブボックスの中から、橋向さんの会社ロッカーキーが見つかっています。検察の主張は、大越さんが橋向さんを殺害前ないし殺害後にグローブボックスの中に橋向さんのバッグをグローブボックスに入れ、その中からなぜかロッカーキーだけが落ちた(残りの物は自宅近くで焼いた)というものです。

弁護団はこれを警察の捏造であると主張しました。捜査当局の捏造を立証するのはハードルが高いので、敢えてここではそれを評価しませんが、このロッカーキーもむしろ大越さんが犯人でない証拠と考えられると思っています。

まず検察の主張は、橋向さんのバッグが大越さんの車のグローブボックスに入りきるサイズではなかったという時点で既に破綻しています。そして会社の女子職員は(また一部の男性職員も)、みんな誰もロッカーに鍵をかけないことを知っていました。橋向さんのロッカーキーは、彼女のロッカーの中の扉の受け皿に置かれていたことも証言されています。

三角関係にあったとされる会社同僚男性の控訴審公判における証言です。
弁護人 「橋向さんのロッカーには鍵がかかっていましたか」
男性  「いや、掛っていません」
検察官 「異議。これは正式な異議です。要はロッカーの関係のことを正に弁護人はお尋ねしようとしているわけでしょう、質問は」
裁判長 「もうロッカーの点はやめてください。いずれにしてもロッカーはやめてください。どうぞ」
弁護人 「残業時間をカレンダーに書いて貼ってあると、それをあなたは残業手当を付けるのに参考までに見に行ったとういことですか」
男性  「はい、そうです。係長から依頼されて見に行って、開けてということですね」
弁護人 「他人のロッカーをそういうふうに開けられたということですね」
男性  「私は開けました」
弁護人 「そのときに、何か見ましたか、ほかに」
男性  「開けて鏡の下にカレンダーがついていたんですね。その鏡の受け皿のところにロッカーの鍵とかがありましたけど」
弁護人 「ロッカーの鍵があったんですか」
男性  「はい」
検察官 「異議。もう明らかに、あまりにもひどいですよ」
裁判長 「最後のロッカーの鍵の点は削除します」

そのロッカーキーには、前任者のお守りの鈴がついていました。私も実家に帰って家の車を運転するのですが、その鍵に鈴がついていて、いつも持ち歩く時に鬱陶しいなと思っているので、女性が他人のつけたお守りの鈴をそのままつけたまま持ち歩くというのは、私には到底考えられません。つまりこのロッカーキーは、女子職員がロッカーに鍵をかけないことを知らない外部の人間が大越さんに罪を着せようと、ロッカーの中から取り出して、大越さんの車のグローブボックスに入れたと考えた方がより合理的に思えます(それを難なくできるのが警察であるというのが弁護側の主張です)。

さらにアナザ―ストーリーを補強する事実を提示します。そして、それは警察の捜査の杜撰さを表すものです。

警察は、被害者の携帯電話が会社のロッカーから発見されたことから、会社内部の犯行だと見込みました。その端緒は無理のないものですが、更に無言電話の事実から大越さんに犯人を絞り込むという事件二日後に組み立てたストーリーに固執したところが大きなミスだったと言えます。

会社内部の人間で大越さん以外に犯人の可能性がないかというアリバイ調査を実施したのは、事件から80日以上経過した、大越さんが起訴される直前の6月9日のことでした。

警察が捜査対象にした従業員は51人。検察官はこの取ってつけたようなアリバイ捜査の結果、「51人全員にアリバイがあった」と証明されたと主張しますが、4人は本人の証言だけでアリバイを認めており、刑事訴訟法上アリバイが成立するとは見なされない家族の証言だけの者が24人もいました。事業所の所長に至っては当時重病により入院中の妻が「夫は事件当日、自宅にいた」と証言していました。検察はそれを「単純ミス」だと弁明しますが、その弁明のために公判に呼んだs所長本人は、アリバイ捜査が捏造であるとするに等しい証言をしました。

「私は事件の日、午後7時半頃に退社し、家に帰って11時頃に就寝しました。妻は入院中で家にいませんでしたが、警察の事情聴取では、事件の夜のことは聞かれませんでした」

このようにして「犯人」は作られたというのがこの事件の全容です。無実の罪を着せられ、現在も監獄に閉じ込められた大越さんや彼女のご家族の方は勿論、真犯人が捕まらずに野放しにされていることで、被害者の橋向さんやそのご家族の方も冤罪の被害者です。

橋向香さんのご冥福をお祈りします。

参考文献
『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』 伊東秀子

『ニッポンの裁判』 瀬木比呂志

雑誌『冤罪File』No.20 「恵庭OL殺人事件 隠された「アリバイ」と「真犯人」が明るみに!」 片岡健

ここをクリック→ 『ビジネス・ジャーナル』「恵庭OL殺人事件に冤罪疑惑 有罪ありきのずさんな捜査と裁判に、元裁判官も唖然」 瀬木比呂志












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category: 冤罪ファイル

2015/04/16 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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冤罪ファイル その12 「鶴見事件」 

冤罪ファイル その12 「鶴見事件」

もしあなたが殺されている人を発見したら、どのような行動に出るでしょうか。勿論、ほとんどの人が警察にただちに通報すると思います。しかし、人によっては、巻き添えになることが怖くなって立ち去ることもあるかもしれません。そのタイミングが、被害者が殺害されたとされる時間に近接していた場合、もし後になってあなたがその場に居合わせたことが分かったとしたら、あなたが犯人と疑われることは間違いなく、身の潔白を示すことは容易ではないかもしれません。

その場合でも「巻き添えになることが怖くなって立ち去った」ということはある程度、納得できる言い分だと思われます。しかし、もし現場にあった相当額の現金を持ち去っていたことが分かったならば、「殺人に関して自分は関与していない。お金は自分が盗ったが、殺したのはほかの者だ」という言い分が通ることは絶望的だと思われます。

これは森炎氏の『教養としての冤罪論』の中で、冤罪ラインの一つの類型として挙げられているものです。

ここをクリック→ #検察なう (421) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (2) ~冤罪ライン① 「犯人と第一発見者はどうやって区別するか」」

それが実際に起こったのが、ここで紹介する鶴見事件です。被告人の高橋和利氏の死刑判決は確定し、現在収監され再審請求中です。

この事件で特徴的なのは、高橋和利氏と主任弁護人の大河内秀明氏がいずれもこの事件に関する本を出版し、高橋氏の無実を訴えていることです。

高橋和利氏著『「鶴見事件」抹殺された真実 私は冤罪で死刑判決を受けた』

高橋和利

大河内秀明氏著『無実でも死刑、真犯人はどこに』

大河内秀明

<事件経緯>
1988年6月20日午後2時半頃、神奈川県横浜市鶴見区で、金融業と不動産業を営む朴氏(仮名、当時65歳)と妻(当時60歳)が、事務所奥の和室で頭から血を流して殺害されているのを、訪ねてきた知人のタクシー運転手が発見し警察に通報した。

通報を受けた鶴見署が現場検証を開始すると、現場には争った跡や物色した跡がなかった。また夫婦の遺体は、鈍器で頭部を殴打され、刺し傷も50ヶ所もあったことから、怨恨による犯行を視野に入れて捜査を始めた。

その後警察は、当日に夫が銀行から引き出した現金1200万円を入れていた黒鞄と、通帳及び印鑑を入れていつも押し入れに保管していた布袋が無くなっていることをつきとめた。そこで怨恨と強盗の両面で捜査を行うとともに、夫の仕事関係や交友関係の身辺調査を始めた。

すると、犯行当日の午前中に電気工事業の高橋和利氏(当時54歳)が夫の事務所に訪ねてくる予定だったことが判明。警察は、高橋氏に事情聴取すると、「午前11時前に、資金融資の件で事務所を訪ねたところ、夫婦が血を流して死んでいた。傍らに、現金が入っていた袋があったので出来心で奪って逃げた。当時、事業が芳しくなかったので、つい魔がさした」と供述した。このため警察は7月1日に高橋氏を逮捕。だが、高橋氏は殺害に関しては当初否認していた。

高橋氏本人の言葉で描いた当日の模様を、彼の著書から抜き出してみます。

(以下『「鶴見事件」抹殺された真実』より引用)
当日私は、被害者である梅田商事社長の朴さんから融資を受ける予定になっていました。午前10時30分頃確認の電話を入れ、約25分後に事務所を訪れた時には、社長と奥さんは既に死んでいたのです。

約30分前に電話を入れ、私が来ることは分かっている筈だし、外にも、不意に訪れる客もあろうかと思われるのに、いつも一緒にいる二人の姿が見えない。おかしいな?と思いつつ、座敷に向かって「社長。こんにちは」と声を掛けてみたが応答がありません。急用でもできて二人とも外出したのだろうか。それにしては鍵も掛けずに無用心な、と思いながらも、とにかく待たせてもらおうと思いソファーに座ろうとしたとき、奥の六畳間から、出かかった咳を途中で止めたような、何かにむせたようなくぐもった感じの音(声か)がしたのです。

誰かいるのか?そんな感じがして耳を澄まし、少しのあいだ奥の様子を窺っていたのですがそれっきり何の物音もしません。不審に思い、「社長!」と再度呼んでみたけれど応答はなく、静まりかえったままです。

私は思いきって、事務所と奥の六畳間の仕切りになっているカーテンの裾を少しだけ上げてみると、いきなり人の足の裏が目にとびこんできたのです。びっくりしてカーテンを放しました。

しかし、間もなく私が来ることが分かっていたし、ほかにも来客があるかもしれないこの時間に、まさか昼寝はないだろうと思い、今度はカーテンを上の方まで上げてみました。するとそこには、二人が仰向けの状態で横たわっていたのです。

社長は私がいる方に足を向けて大の字に、その奥に社長とは逆に頭をこちらに向けて奥さんが横たわっていました。

この時点では、異常は感じたもののまさか死んでいるとは思えず、もう一度、「社長!奥さん!」と呼んでみましたが、二人ともまったく反応がないのです。

この時、社長の足を持って揺すったような気がしているのですが定かな記憶ではありません。

とにかく、これは只事ではない!そう感じて靴を脱ぐのも忘れて、咄嗟に一段高くなっている六畳間へ膝から飛び上がり、そのまま四つん這いの格好で社長に近づき、体を揺すったり頬を叩いたりしてみましたが、いくらか体温は残っているものの呼吸は完全に停止していました。

それでも、社長の耳元に口を近づけて大きな声で呼んでみたけれど、びくりとも反応はなかったのです。ただ口の端から細く血が一筋出ているのを見ました。それを見て一瞬、服毒の二文字が頭の隅をかすめました。

これは大変な事だ!と思い奥さんの所に這っていき体を揺すったり頬を叩いたりすることを続けましたが、まったく反応がありません。それでも死んでいることが信じられなくて、更に社長の方へいき、また奥さんのところに戻り、同じことを繰り返したけれど、やはりふたりとも息はしていませんでした。

ふたりとも死んでいる!そう分かった途端、体が硬直し、パニックで頭の中が真っ白になって何がなんだか訳が分からなくなって、這った状態のままふたりを交互に見ながら、なんだか気が抜けてしまった感じでした。

人が二人も死んでいる場所に足を踏み入れてしまったのです。人生で初めての経験に驚きが大きすぎて、ふたりがなぜ一緒に死んでいるのかなどと考える気持ちの余裕などまったくありませんでした。

どうしたらいいのだ・・・・少しの間、呆然自失の状態でしたが、はっと我にかえり、とにかく110番しなければと思い立ちあがったのですが、足腰が萎えてしまった感じで力が入らず、一歩踏みだすと足がもつれて、つんのめるようにパタッと四つん這いの格好で倒れ込んだとき、シャツの胸ポケットからタバコとライターが前方へとびだしました。私は這いずるようにしてタバコを拾い、その先のライターをつかんだとき、目の前の事務机の脚下の少し奥の内側の所に、半透明のビニール袋(当時スーパーなどで使っていた手提げ式のレジ袋)に入っている札束らしき物が目にとまりました(このとき、もしも私が倒れることなく立っていたとしたら、おそらくビニール袋は目に入らず、したがって札束に気付くことはなかったと思います)。這い寄って袋の口を開いて確かめると、それはかなりの量の札束でした。それを見て、夢の中から現実に引き戻されたような感じになり、体がふるえました。その時、社長と奥さんのことは頭から消えていたのかもしれません。

資金繰りに困り、この日、融資を受けることになっていた私は、その札束に目が眩み、110番しようとしていた気持ちはどこかへ飛んでしまい、前後のことも考えずに結果として、そのお金を持ち逃げしてしまったのです。

<裁判経緯>
1988年7月 強盗殺人罪の容疑により起訴
1988年11月 横浜地裁で初公判(杉山忠雄裁判長)
1992年12月 第31回公判以降、杉山裁判長から上田誠治裁判長に交代
1995年6月 第57回公判、結審、上田裁判長の定年退官が8月に迫っていたため、論告求刑と最終弁論が同日に行われた
1995年9月 第58回公判、7年に及ぶ審理を経て判決、死刑宣告(中西武夫裁判長代読)
死刑が言い渡されるときだけは、主文は判決朗読の最後に宣告されるのがならわしだが、本件ではそれを破って主文の朗読が冒頭に行われた、弁護側控訴
1999年6月 4年を経て東京高裁で審理開始(荒木友雄裁判長)
2001年3月 第12回公判以降、裁判長は一審判決を代読した中西武夫裁判長に交代
2002年10月 第24回公判にて控訴棄却(中西武夫裁判長)、弁護側上告
2006年3月 最高裁は上告棄却 死刑判決が確定
現在再審請求中

この事件の裁判で特異なことは、弁護団は弁論で、ほかの二人の人間を名指しで真犯人とし、高橋氏の無罪主張をしていることです。ここではその内容には触れませんが、上記の高橋氏、大河内氏の2冊の著書でも、その二人の真犯人に関する記述に相当量を割いています。

夫婦殺害が高橋氏の犯行であるとすれば矛盾があるというだけではなく、ほかの者にも犯行の可能性があるとなれば、推定無罪原則により無罪が主張できることは当然です。しかしながら、真犯人と考えられる人物を名指しで主張することに、裁判官がどのように感じたかは非常に興味深いところです。

<争点>
主たる争点には2点あります。それは二人の殺害の順序(二人同時なのか、別々なのか、別々とすればその順序)と、凶器です。

高橋氏は逮捕後に、犯行の自供をしています。しかし、その自供で述べられた二人の殺害の順序と凶器は、共に公判で事実とは異なることが明らかにされました。警察の見立て通り(しかし事実とは異なる)自白が強要されたことは言うまでもありません。そして自白が事実とは異なるということを裁判所自身認めながらも、死刑判決を下したのがこの事件です。

犯行現場は、座卓、茶箪笥ほかの什器備品が所せましとあった事務所の奥の狭い六畳間でした。それらが整然としており、争った形跡がなかったため、顔見知りの犯行と推定されました。それでも、もし二人同時に部屋にいるところを襲う場合、部屋を全く荒らすことなく単独犯が二人同時に殺害することは不可能です。

つまり可能性としては、「単独犯の犯行であれば、二人が別々に殺され(これを弁護団は「異時殺」と呼んでいます)、一人が外出している時に一人が殺され、その後、戻ってきたもう一人が殺される」というケースか、「複数の犯人が夫婦それぞれを制圧しながら殺害する二人の同時殺」というケースになります。

警察の見立ては当初、複数犯であり、そのように報道もされましたが、高橋氏が捜査線上に浮かび、共犯の可能性がなかったことから、警察の見立ても単独犯に変わりました。

犯行時間の特定は以下の通りです。

単独犯による二人が別々に殺された「異時殺」となると、夫婦のどちらかが外出をしていることが必要になります。

夫は、事件当日の午前中に、事務所から自転車で10分弱の銀行に行き、1200万円を引き出しています。銀行には10時15分ないし20分頃から5分程度いました。つまり夫は10時5分頃から10時35分頃までの間事務所を空けていました。

しかし、検察はこの間に妻が殺されたという主張はしていません。なぜなら、高橋氏にはその間のアリバイがあるからです(複数の人間と電話で会話)。

夫が最後に目撃されたのは10時40分前後、事務所前の路上で隣人と顔を合わせ、挨拶をしています。

午前11時過ぎ、事務所に書留郵便を届けに郵便配達人が訪れていますが、声がなかったため不在と思い引き返しています。

この約30分前後の間に、夫婦は殺されたとみられています。検察の主張は、夫が事務所に戻った時には妻が外出しており、まず夫が殺され、その後、妻が殺されたとするものです。

この検察主張は、妻が外出していたことを前提にしていますが、妻は脚が悪く、外出も控え気味で、歩く速度も人の半分程度でした。そして近所では顔見知りが多い妻が外出していたとする目撃者はおらず、訪れる可能性のあるところに聞き込みをしても彼女の外出の事実は確認できませんでした。裏付けのない検察の主張に反して、妻は外出していなかった可能性が高いと思われます。

弁護団は、一審においては主に、妻が先に殺害された異時殺の可能性を主張していました。遺体発見時には、妻の遺体は夫と共に部屋の畳上にありましたが、部屋に隣接する便所内に多量の血だまりがあったため、「異時殺の場合、犯人は先に殺された妻を便所内に隠した」としたものです。そして妻が殺害された夫の外出時には、高橋氏のアリバイがあるため、それを無罪主張の理由としたものです。

しかし、高橋氏の説明にもあるように、1200万円は部屋の机の下にあり、夫が銀行から帰った後に居間に上がったことを物語っています。それでいながら、その居間でわずかの時間の前に妻が血みどろで殺害され、便所に隠されていたことに夫が全く気付かないというのも不自然です(弁護団は、その場合、犯人はまだ事務所にいて「奥さんは外出した」と言い繕ったと考えました)。

弁護団は、控訴審においては、異時殺の妻先行殺害説を捨て、夫婦が一緒にいるときに殺害された同時殺しか考えられないという主張に変えました。その上で、単独犯による同時殺は、現場の状況に照らして考えられない、ゆえに高橋氏は無罪であると主張しました。

一審裁判体は検察主張の夫先行殺害説を認定しましたが、控訴審裁判体は、異時殺は想定し難く、想定しうる殺害様態は同時殺であると認定しました。しかし、高橋氏の無罪を意味する複数犯の犯行ではなく、妻が便所に入った隙を狙って夫を攻撃したとしたら、「本件犯行が単独犯でも遂行不可能であるとまでは認められない」と判示して、高橋氏を犯人であると判決を下しました。この控訴審の判決は、推定有罪の論理以外の何物でもないことは論を待たないと思います。

凶器に関して、高橋氏は自白時に「バールとドライバーを用いて殺害した」としています。しかし、これは検死段階で検視医が鈍器による打撲はバールによる可能性が高いとしたため、警察はその検死結果に沿うよう自白を強要したものです。また高橋氏が電気工事業だったことから、刺し傷を業務で使うドライバーとしました。

自白の内容は、まさにそうした警察の当初の見立てに沿ったものでした。

しかし、一審が始まり、弁護団の依頼した現場法医学の権威である鑑定医は、凶器がバール及びドライバーであることを否定する鑑定をし、その鑑定が証拠採用されました。判決においても「すべての傷を明快に説明しているとは到底いえない」と、供述とは別の凶器による犯行の可能性を指摘しました。それでいながらも裁判所の判決は、高橋氏の死刑でした。

裁判所が、高橋氏を強盗殺人犯と断定した最大の根拠は、高橋氏が虚偽の融資話を持ち掛けていた点にあります。犯行当日に引き出された1200万円は、その虚偽の融資話のために用意されていたものです。

裁判所の認定は、「初めから大金を奪うつもりで虚偽の融資話をもちかけ、相手に融資金を用意させ、預金を下ろしたところを見計らって襲い、当初の目論見どおり、まんまと大金を現金で手に入れた」というものです。

高橋氏の「融資を受ける予定で訪ねたところ、夫婦が殺害されているのを発見し、融資金として用意されていた現金をとっさに取って逃げてしまった」という供述を、その融資話に虚偽が混じっていることをもって全て虚偽であると裁判所は判断しました。しかしここでの問題は、「融資話に虚偽が混じっていたことをもって、その供述全体が虚偽であり、強盗殺人犯と言えるか」という点にあります。

<論評>
あらためて事件を俯瞰すると、強盗殺人と、強盗と殺人が別々に行われたという認定の差は非常に微妙です。

妻の数多くの刺し傷は、確かに怨恨を思わせるものですが、現場から大金がなくなっている以上、事件の引き金はやはりその現金奪取にあったと考えられます。高橋氏は、当日多額の現金を被害者が持っていたことを知っており、しかもその現金は彼が虚偽の融資話をもって被害者に用意させたものです。つまり動機から言えば、当時事業に行き詰まり資金難であった高橋氏は、事件に一番近いところにいたと言えます。

そして彼が、犯行があったと思われる時間と非常に近接したタイミングで被害者と接触があったことは疑いようのない事実です。状況証拠が揃っており、高橋氏を有罪とする積極証拠だけを評価すれば有罪の可能性は高くなります。しかし私は、それは誤った事実認定だと考えます。

裁判官はいかにして誤った事実認定に陥ったか。

まず、高橋氏は自白をしていますが、その自白に「秘密の暴露」はありません。

「秘密の暴露」とは、自白に含まれる真犯人しか知り得ない事実です。そして、それを裏付ける捜査の結果、事実に間違いない確証が得られれば、自白の信憑性の証しとなる重要な要素です。

事件の犯行現場からは、夫が銀行からお金を入れて戻った黒い鞄と、重要書類や通帳を入れた布袋がなくなっていました。特に、布袋は六畳間の押し入れにいつも納められていましたが、事情に精通していなければ、その布袋の存在や置き場所は知りようがありません。高橋氏は被害者夫婦とは知り合ってわずか1ヵ月程度であり、そうした事情は知ることはなかったものです。

検察による高橋氏の取り調べでは、この黒い鞄と布袋に関して集中し尋問されました。その供述があれば、「秘密の暴露」として高橋氏が犯人であることを立証できるからです。高橋氏は、警察の強要により殺人は認めてしまったものの、この黒い鞄と布袋に関しては一貫して全く知らないと主張し続けました。

もし高橋氏が犯人であれば、核心の殺人に関しては認めているのに、瑣末な事柄である黒鞄・布袋を徹底して知らないと押し通すことは実に不自然です。

また、自白の中の殺害の順序や凶器が事実と異なると認定されたことは、「無知の暴露」に当たります。実際に現場にいなかった捜査官が想像で作ったストーリーは結局のところ現実の状況とは合わず、矛盾する部分が生じます。自白の中にこうした矛盾が含まれていれば、その自白は捜査官の誘導に基づくもので、犯行の現実を知らないという「無知」性が暴露されてしまうものです。これが「無知の暴露」です。

「秘密の暴露」がないことにより、自白の信用性が著しく低下するのみならず、「無知の暴露」により、その自白は高橋氏が犯人ではないという裏付けにすらなります。

そして最大の事実誤認は、犯行様態を、一審では単独犯の異時殺、控訴審では同時殺ながら依然単独犯としたことです。この事件は複数犯の同時殺でしかありえないものでした。

控訴審では、単独犯と同時殺という本来両立しないことを認定するため、「妻が便所に入った隙を狙って夫を攻撃したとしたら」という無理やりな仮定をしなければならず、それが推定無罪原則の無視であることは明らかです。

弁護団は、「妻が便所に入った」という可能性を打ち消すため、上告の際、妻の検死解剖における残尿量を証拠として提出しました。妻の遺体に残された残尿量は50ccで、それは排尿後とすれば多過ぎ(排尿後の平均残尿量は5-10cc)、排尿前とすれば少な過ぎ(尿意を催す「最小尿意」は 100-150cc)です。しかも遺体のズボンのウェスト部のボタン、前ファスナーは完全に閉まっていました。それは、ドアのすぐ向こうで夫が殴打されている異常を感じた気配が全くないものでした。しかし、最高裁は、弁護団の上告は上告理由に当たらないとして、実質的な証拠調べをすることなく上告を棄却しました。

弁護団が主張したほかの真犯人とは、高橋氏以外に、当日現金がその場にあることを知ることができ、動機があり、アリバイはなく、現場から持ち去られたと思われる重要書類や通帳を入れた布袋の存在や置き場所を知っていた人物でした。しかし、高橋氏が現金を持ち去ったことが明らかとなり、強盗殺人犯と目されて以降、彼らに捜査が及ぶことはありませんでした。

無実の罪で死刑宣告を受けた人間の精神状態は、我々の想像を絶するものだと思われます。そして高橋氏は、今も獄中で雪冤を期して臥薪嘗胆の日々を送っています。

彼の著書の末尾に書かれた、彼の魂の叫びをお読み下さい。

(以下『「鶴見事件」抹殺された真実』より引用)
始めに有罪ありきで、裁判では地裁から最高裁までが一貫して、真実を見極めようとする機運もなかった。

権力を握る者には無類の残忍さと狡猾さがある。保身と栄達のためとあれば何人でも死刑にする。最近の死刑執行の事実がそれを証明している。その異様な自己保身への執着が、法と正義をねじ曲げるのだ。

「権力はつねに悪を生み、権力のあるところにはつねに腐敗がある」と言った人がいる。その通りだと思う。

歪んだ正義を振りかざして無辜を断罪し、自らを法の守護神と公言してはばからない司法権力者らのどこに正義があり法の精神があるのか。正義などというものは国家権力の中には存在しないのだと思う。

警察にも、検察にも、裁判所にも、そこにはそれなりの機構というものがある。そうしなければ崩壊しかねないという危惧があるからだろう。

下級審の判断がまちがっていると判っても、それを積極的に正そうとする裁判官が果たして上級審に何人いるだろうか。

検察と裁判。この一つ穴に棲息する権力者たちは、ひとりの人間の魂の叫びなどには洟もひっかけはしない。挫折を知らず、人の心の弱さがわからない裁判官は、「ウソの自白をするはずがない」と単純に考え、目の前で必死に訴える被告人よりも、取調官が、「密室」で作った自白調書を安易に信じてしまう。その方が仕事が楽だからだ。

真実は裁判官が明らかにしてくれるなどというのは幻想なんだということを、この18年間の裁判を通して思い知らされた。

最高裁が棄却し圧殺したのは、「鶴見事件」ではなく、実は司法の正義と独立であり、法曹の良心ではなかったのか。

政治の怠慢と司法の傲慢が、人間と人権を殺し続けている。それがこの国の現実なのだ。

無辜を殺して誰が責任をとるのか。死刑を止めよ!

参考文献
高橋和利氏著『「鶴見事件」抹殺された真実 私は冤罪で死刑判決を受けた』
大河内秀明氏著『無実でも死刑、真犯人はどこに』
森炎氏著『教養としての冤罪論』












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category: 冤罪ファイル

2015/01/28 Wed. 11:19 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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冤罪ファイル その11 「北稜クリニック事件 / 仙台筋弛緩剤えん罪事件」 

冤罪ファイル その11 「北陵クリニック事件 / 仙台筋弛緩剤えん罪事件」

「北陵クリニック事件」と聞いても知らないと思われる方も、「筋弛緩剤点滴殺人事件」と聞けば思い出されるかもしれません。事件当初は大々的に報道された事件も、今では忘れ去られているのではないでしょうか。

結論から言います。これは結婚を目前に控えた当時29歳の青年が、無実の罪で2001年から現在に至るまで自由を奪われ、今なお無期懲役の冤罪と戦っている事件です。そして冤罪といえば真犯人が別にいるというのが通常のケースですが、この事件では真犯人はいません。事件そのものが「幻」だからです。

事件当初の報道では、
「病院で原因不明の急変患者が続出し、いずれのケースにおいても准看護師であった守大助氏が関与していた」
「病変の症状は筋弛緩剤中毒によるものと思われる」
「患者から採取された血清、尿、及び点滴液から筋弛緩剤が検出された」
「守大助氏は逮捕初日に犯行を自供した」
とされました。

これら報道の内容だけからすれば、これは明らかな犯罪で、犯人は守大助氏に違いないと思ってしまうのではないでしょうか。そして、これも捜査当局のリークに踊らされたメディアによって作られた犯罪の一つです。

私がこの事件を調べ、すぐ分ったことで疑問に感じたことは「筋弛緩剤は、外科手術の際に使用され、筋肉や内臓が動いて手術の妨げになるのを抑制する非常にポピュラーな薬品で、静脈注射によって投与される」という点です。

例えば睡眠薬でも人は死ぬことがありますが、それはオーバードーズが前提です。筋弛緩剤では、静脈注射で投与して安全なものが、点滴でゆっくり投与して危険なんだろうかと思ったものです。この懐疑心が正しかったことは、詳しく後述させて頂きます。

<事件経緯>
2001年1月6日、宮城県警は北陵クリニックに勤務していた守大助氏を「入院中の小6(当時11歳)女児の点滴ボトルに筋弛緩剤のマスキュラックスを混入し、意識不明の重体に陥らせた」として殺人未遂容疑で逮捕します。事件を理解する上で、非常に重要なポイントは、守氏の同僚ほか病院関係者のみんながこの逮捕に驚いたことです。それまで「事件」は存在しておらず、警察による守氏の逮捕が「事件の発端」です。

守氏逮捕に至る経緯は次のようなものでした。

1)2000年12月1日、北陵クリニックの実質的経営者である半田康延氏が、同じ東北大学大学院医学系研究科の法医学教授を訪れ、クリニック内で頻発していた患者の急変について相談。

2)その法医学教授は、筋弛緩剤が患者に投与されているのではないかと疑い、宮城県警に情報を提供。

3)12月2日、北陵クリニック副院長であり半田氏の妻である郁子医師が警察からの呼び出しに応じて出頭し、その後診療録やタイムカード等を提出。

4)12月4日、警察からの強い要請により、半田氏が守氏に依願退職指示。

5)その後、警察が守氏への張り込みや尾行を開始。

そして情報提供からわずか1ヶ月余り後の2001年1月6日に守氏は逮捕され、その後、1件の殺人、4件の殺人未遂の容疑で起訴されます。

<裁判経緯>

2001年 7月11日 仙台地方裁判所第一回公判。その後156回もの公判を経る。
2004年 3月30日 無期懲役判決(畑中英明裁判長)。弁護側即日控訴。
2005年 6月15日 仙台高等裁判所第一回公判。
     7月29日 逮捕から4年6ヶ月を経て、接見禁止が解除
     10月 5日 弁護側の鑑定請求を却下し、第四回公判で結審
2006年 3月22日 控訴棄却(田中亮一裁判長)。弁護側即日控訴
2008年 2月25日 上告棄却
2012年 2月10日 再審請求
2014年 3月25日 再審請求棄却
2014年 3月28日 弁護団即時抗告

逮捕から実に4年半も保釈が認められず、家族すら会えない接見禁止であったことは、非常に悪質な「人質司法」です。

そして控訴審での訴訟指揮は、相当ひどいものだったようです。

Wikipedia「筋弛緩剤点滴事件」より
「控訴審では弁護側は有罪判決を支えた鑑定結果の証拠能力を崩すため、外国論文などを新たに提出し、裁判所による独自鑑定や、点滴混入時の薬効を調べるコンピューター解析などを請求。しかし、裁判所が必要性がないとして請求を却下。弁護側は反発し2005年10月の第4回公判で抗議の途中退席をした。これに対し裁判所は弁護を放棄したとして審理を打ち切り、弁護人不在のまま判決期日を宣告。2006年3月22日、高裁判決日に弁護側が弁論の再開を申し立てたが、裁判長は弁論する意思を放棄したとして却下して、主文を後回しにして朗読を始める。弁護団はこれに抗議し、声を荒らげたため、裁判所は不規則発言を繰り返したとして弁護人4人に退廷を命じた。また判決理由朗読に対して被告人の守も声を荒らげたため、守も退廷させられ、被告人と弁護人が退廷させられたまま控訴棄却判決が言い渡される異例な事態となった。」

<争点>
最大の争点は、科捜研(科学捜査研究所)の科学鑑定の真偽にあります。例え筋弛緩剤を点滴に投与して人が死ぬことはないとしても、もし筋弛緩剤があるはずもないところから見つかったということになれば、「誰が?」となるからです。

ある試料の中の物質を検出する鑑定では、その存在そのものと量とが計測されることになります。筋弛緩剤が試料(血清、尿、点滴液)から見つかったとするこの事件の科学鑑定は、その両方から信用性が疑われます。

まず量の鑑定から検証します。

5人の被害者とされる方々それぞれに関係した鑑定試料があります。11歳女児からも血清(急変が起こった当日の10月31日採取)と尿(11月7日採取)の試料があります。それら試料から、筋弛緩剤(商品名マスキュラックス)の主成分であるベクロニウムが血清から25.9ng/ml、尿から20.8ng/ml検出されたとされています(地裁判決文より)。

医学的知識が全くない私は最初この数字を見てもそれがおかしいかどうかは分かりかねました。(注1)しかし、筋弛緩剤の薬理作用を知ることで大きな疑問が起こりました。

筋弛緩剤の効能は、外科手術の際に随意筋の活動を止めるものです。随意筋の活動が止まると、肺を動かす横隔膜も止まるので、人工呼吸器が必要となります。そのため、筋弛緩剤は静脈注射によってぱっと効いて、手術が終わった後は体内から早く排出されるようになっています。マスキュラックスの体内血中濃度の半減期は約11分です。

11分という短時間の半減期の薬品の濃度に関して、急変当日の血中濃度と1週間後の尿中の濃度がほとんど同じというのはなぜか。いかに私に医学的知識がなくてもおかしいと思いました。(注2)

この点に関し、専門家の意見をご覧下さい(『ザ・スクープ』より1分56秒動画)。
ここをクリック→ 「鑑定結果の疑惑」

判決文では、「投与されたマスキュラックスの量を1アンプル(4mg)又はその半分程度と仮定すると、その一、二%程度の量に相当するが、その程度の量が7日後に尿から排泄されても不自然とは言えない」としていますが、何をもって「不自然と言えない」としているのかの理由は明記されていません。

また科学鑑定及び裁判官の判断は、筋弛緩剤の存在そのものに関しても、全く科学的根拠を無視したものです。

鑑定では試料と標品を比較してなされます。つまり実際の筋弛緩剤を対照のサンプルとして、試料と共に鑑定を行い、同じ物質が検出されたことをもってしてその二つの物質が同じであるというものです。

科捜研の科学鑑定を餅菓子に適用すると次のようになります。

「この試料とここにある「おはぎ」を鑑定した結果、両方からきな粉が検出されたため、この試料は「おはぎ」と認められる」

弁護団は当然反論します。
「「おはぎ」からはあんこが検出されるべきであって、きな粉が検出された試料は「おはぎ」ではない」

それに対する裁判官の判決は
「装置が変われば結果も変わるので弁護側実験結果をもって警察鑑定が否定される根拠にならない」
というものでした。

ここでいうきな粉は「m/z258」というイオンで、あんこは「m/z279」というイオンです。筋弛緩剤(マスキュラックス)の主成分であるベクロニウムから、「m/z258」というイオンが検出されることがないことは複数の海外の文献でも確認されています。それを、「二つのものを比べて同じものが出たのだから、それは同じものだ。だからこの鑑定はこの場限りで正しく、標品がベクロニウムである以上、試料もベクロニウムである」と裁判官は判断しました。

裁判官が科学を何たるか全く理解していないことは明らかです。
「科学が、それ以外の文化と区別される基本的な条件としては、実証性、再現性、客観性などが考えられる。
実証性とは、考えられた仮説が観察、実験などによって検討できるという条件である。再現性とは、仮説を観察、実験などを通して実証するとき、時間や場所を変えて複数回行っても同一の実験条件下では同一の結果が得られるという条件である。客観性とは、実証性や再現性という条件を満足することにより、多くの人々によって承認され、公認されるという条件である。」
これは小学校学習指導要領解説理科編(注3)からの引用です。先の例を小学生100人に尋ねれば、100人が「それはきな粉餅だ!」と答えます。

更に、鑑定の信用性が強く疑われる事情に、「全量消費」の問題があります。弁護団は、この鑑定の信用性を問い、再鑑定を請求しますが、鑑定を行った科捜研は全ての試料は鑑定のために使い切って再鑑定は不可能だと主張してきました。

ちなみに7種類の試料は、3人の血清(1ml、2ml、4ml)と1人の尿(7ml)及び3人の点滴液(7ml、37ml、53ml)です。「1回の鑑定に必要な試料は0.02ml程度」(上告趣意書より)ですから、この7つの試料の合計111mlの試料を使い切るには5,550回も鑑定をしなければいけないことになります。(注4)

そして全量消費の理由として、鑑定を行った大阪府警科捜研の土橋均技術吏員は「ほかの毒物の鑑定を行ったため」としています。頼まれてもいない毒物の鑑定を行い、なおかつその鑑定結果を全く公開していません。

土橋吏員の公判での証言は意味深いものです。

土橋証人 「平成12年の12月の頃というのは、私どもの科学捜査研究所の毒物の鑑定というのは、非常に忙しかったわけです。それで、そういう忙しい時期に宮城県の科捜研から筋弛緩薬の鑑定嘱託がきました。」

そんなに忙しいのに頼まれてもいない鑑定を5,000回以上もやるとは考えにくく、むしろそんなに忙しかったのであれば、かなり杜撰な鑑定をして、データも既存の資料からコピペしたんじゃないのと考えるのはそれほど不自然ではないと思われます。

そしてこの「全量消費」の問題は更に重要な意味を持ってきます。弁護団は昨年2月に再審請求をしましたが、その後検察はなんと「実は試料は全量消費していなかった。そして試料からは「あんこ」も見つかっていたが、それは被告に不利な鑑定結果だから、敢えて言う必要がないと考えた」という、とんでもないことを言い出しています。

弁護団によるこの件に関する説明をご覧下さい。
ここをクリック→ 「禁じ手を使った検察」

この科学鑑定に関する地裁判決文の抜粋をブログの最後に添付していますのでご覧下さい。(注5)

次に、守氏の自白に関して考察します。私は彼の自白こそが無実の証拠だと思っています。それは、自白内容が典型的な「無知の暴露」だからです。

まず「無知の暴露」に関して、浜田寿美男教授著の『自白の心理学』から引用します(岩波新書p.45)。

「無実の人は、取調べ以前に入手していた情報と取調べにおいてあらたに知った情報に自分の体験記憶を織り交ぜて、想像で自白を組み立てる以外にない。しかし想像はしばしば現実からはみでる。真犯人なら知っているはずのことを、尋問されるままに想像で語って、それが現実と食い違えば、取調官からその場でチェックされる。そうなればそのことが調書に記録されないまま、矛盾のない自白のみが残るのだが、被疑者が想像で語ったことのなかには、取調官もその場でチェックできないことがある。そのために調書に記録したのちに裏づけ調査をしてはじめて、現実と合わないことが判明することがある。それが真偽の微妙なことであれば、真犯人の単なる見まちがい、憶えまちがい、あるいは言いまちがいとも考えられるのだが、およそまちがいようのない供述要素をまちがえたとなれば、それは無実の人間が想像で語ったことを強く示唆することになる。」

「真犯人が捜査を撹乱し、自白にうそを交えることで、将来裁判で自白の信用性が否定されるかもしれないから、あえてこうしたうそをつくのだと、したり顔で言う論者がときにいる。しかし、それだけしたたかな被疑者なら、むしろ否認して有罪の危険性を避けるのがまっとうな心理というべきであろう。大小こもごものうそを交えることで取調べをもてあそぶ真犯人がありうることを全面否定はしないが、たとえそうした人がいるとしても、それはよほどそうした場に手馴れた累犯者に限られる。」

守大助氏の自白の核心部分は次のようなものです。
「A子ちゃんの点滴にマスキュラックスを入れました。マスキュラックスという筋弛緩剤をA子ちゃんの点滴に混注し、その点滴をA子ちゃんに落としました」(地裁判決文より)

この自白には大きな間違いが二点あります。

一つは、犯行様態である筋弛緩剤の投与方法です。筋弛緩剤は、体内代謝が半減期11分と非常に短く、静脈注射で投与して初めて効果があるものです。この自白にあるように、点滴に混入してゆっくり投与しても、筋弛緩剤の効果はありません。つまり、点滴に筋弛緩剤を混入して投与しても呼吸が止まることはないわけです。

もう一つは凶器である筋弛緩剤の種類です。筋弛緩剤には二種類あることが調べて分かりました。脱分極性筋弛緩剤と非脱分極性筋弛緩剤に分類され、同じ目的で使われるものですが、その作用の仕方が違うようです。そして重要なことは、その一つである脱分極性筋弛緩剤の薬理作用には、一過性の細かい筋収縮(痙攣)が起こることです。そして非脱分極性筋弛緩剤では痙攣は起こりません。果たして犯行に使われたとされるマスキュラックスはどちらであったか。実はマスキュラックスは非脱分極性筋弛緩剤であり、その薬理作用では痙攣は起こりません。

北陵クリニックで急変した患者の症状に痙攣があり、これが筋弛緩剤の効き始めの薬理作用だとされましたが、それは脱分極性筋弛緩剤によって起こるもので、自白にあるマスキュラックスでは起こり得ないものです。

つまり、これらは医学知識がない者、即ち警察が筋弛緩剤による殺人及び殺人未遂事件だと筋立てたところから来た間違いです。こうした決定的な間違いを含む自白は「無知の暴露」です。

後者に関しては、結局、裁判所お得意の「そうしたことが起こり得る可能性は否定できない」という論理でお茶を濁したようですが、前者はさすがにそうは言えなかったようです。検察は、公判論告において犯行の手口の主張を変えました。その方法は通常の医療行為では行われない奇妙な方法です。一見は百聞にしかず。ご覧下さい(1分8秒動画)。

ここをクリック→ 判決文による犯行方法

点滴チューブの途中の分岐にある器具は「三方活栓」と呼ばれるものですが、これは点滴の最中にほかの薬剤を投与するため使うもので、薬剤の注入は通常、三方活栓から患者側に向かって行われます。点滴ボトル側に筋弛緩剤を注入するこの方法は、実は、ある推理小説で使われた手口です(川田弥一朗著『白く長い廊下』)。私は、念のため、守大助氏の父上に彼がこの本を読んだ可能性があるかを確認しましたが、回答は「息子は『白く長い廊下』を把握していないし読んでもいません」とのことでした。

もし万が一、犯人が(いたとして)筋弛緩剤を投与するのであれば、こんな複雑な方法を取らなくても、注射器を隠して、さっと注射した方がよほど合理的です。そしてこの方法の最大の難点は、点滴ボトルという証拠が残ることです。注射器であれば、自分で処分が簡単にできます。(注6)

「筋弛緩剤点滴殺人」というのは、犯行方法一つとっても相当無理があることがお分かり頂けるかと思います。

次に、それでは患者の方々の急変はなぜ起こったのかについて考察を加えます。

まず忘れてはいけないのは、患者の方々は何らかの疾患があって北稜クリニックに入院していたことです。つまり健康な人が、突然容体が悪くなったわけではありません。ですから、彼らの容体急変は、当然その元々の疾患が原因だと考えることになんら不自然なことはないと思います。

殺人の被害者とされた89歳女性と、急変後回復した45歳男性の主治医の証言を『ザ・スクープ』が取材していますので、是非ご覧下さい(1分45秒動画)。

ここをクリック→ 主治医の証言

事件の発端となった11歳女児(A子)の急変後の状況を判決文から拾ってみます。

「A子は何か言葉を発して訴えようとしたものの、ろれつが回らない口調であり全く聞き取ることができなかった。そして、A子は、急にあおむけに寝ていた状態から左側を下にして横向きの状態になって何も言わなくなり、右腕だけをぴくんぴくんと小さく上下させ始めた。また、A子がベッドの上でぐったりとしていたことから呼吸が弱まっているものと思われ、A子に声をかけたものの反応はなく、痛覚反応を確かめても反応がなかったことから、A子の意識がないと考えた。
また、A子に心電図モニターが装着されたところ、A子の心拍数は50台であり、このころ、A子の全身にけいれん様のぴくつきが認められ、特に左半身に強く現れていた。」

痙攣がマスキュラックスによっては起こらないことは前述しましたが、更に注目してほしいのは呼吸数と心拍数の変化です。マスキュラックスに関して書かれた医師のブログをご覧下さい。

ここをクリック→ ブログ『医療報道を斬る マスキュラックス』

ポイントは、「筋弛緩剤は随意筋にのみ作用し、意識には影響がない」ということです。呼吸ができなくなると、意識のある人は普通どう反応するか。溺れた時のことを想像して下さい。人間のノーマルな生体反応として、少ない酸素供給量を何とか補おうとして、呼吸数が増え、血流を上げるべく心拍数が上がります。この女児の急変後の状況は、筋弛緩剤中毒の状況とは全く矛盾するものです。

この女児の急変が、検察が主張し裁判官が認めた「筋弛緩剤により呼吸が制限された」から引き起こされた低酸素性脳症ではなく、何らかの脳機能障害が先にあり、その結果として呼吸数が少なくなったということは、医学の専門知識がない私にもより高い蓋然性を持っているように思えます。

ところがこうした基本的な医学上の誤解も、公判において、検察側証人として証言した者の「こういうこともありうる」という、お得意の可能性論で弁護側の主張は排除されました。「疑わしきは検察の利益に」というのが裁判所のディフォルトのようです。

再審請求に際し、この女児の急変の理由に関して非常に詳細な意見書が池田正行教授(長崎大学医歯薬学総合研究科創薬科学)から提出されています。というのは、その11歳女児の急変の理由がこれまで特定されていなかったからです。そしてそれは池田教授により「ミトコンドリア病」と診断されました。

池田教授は彼のブログで、この事件に関して「誤診が生んだ司法事故~真犯人は人間ではなく病気だった」と書いています。

ここをクリック→ 池田正行教授『誤診が生んだ司法事故』

この当時11歳であった女児は意識不明のまま現在も生存なさっています。彼女もこの冤罪の被害者ということができます。それは司法の過ちで、筋弛緩剤投与による低酸素性脳症とされ、本来の病気であるミトコンドリア病の治療を受けていないからです。医療専門家でない司法がなぜこのような医療過誤を犯して許されることがあるのでしょうか。その責任は重大です。

「次に守氏担当の場面で急変が多かった」という点に関し付言します。

その理由は実に単純です。急変が増えていた背景は、クリニックの経営状況が悪くなり、難易度の高い患者を積極的に引き受けたこと、そして(そうした理由があったにも関わらず、とんでもないことですが)クリニックには気道確保のため挿管できる医師がいなかったこと、守氏が二人いた独身男性看護師の一人で、夜間の宿直も厭わずに積極的に引き受けていたことです。報道では、彼が「急変の守」と言われていたとされましたが、それは事実無根の捏造(「捏造」でなければ警察リークをそのまま書いた「御用」)記事です。

<論評>
私が事件のことを知って最初に思ったことは、「看護師になろうという人が、患者を傷つけるようなことをするのかなあ」ということでした。動機あるいはプロファイリングに関わる部分です。

勿論、医療関係者も人間ですから、中にはそういう人もいるかもしれません。しかし、そういう性格破綻者の周りの評判はいいはずがありません。私が参加した支援する会の学習会にかつての同僚の方が来て説明して下さいましたが、彼女の説明を聞いた限り、全くそういう印象は受けませんでした。

看護師を目指した動機を父上に確認したところ、次のような返答でした。
「中学で陸上部に所属し短距離100・200mでそこそこがんばっておりました。体育科のある高校に推薦で入学したが1年の秋に練習のしすぎと思われますが膝の半月板損傷で通院を繰り返した後、入院し手術、結果が思わしくなく短距離と大学進学も諦め看護婦さんの優しさに感動したことなどから看護士の道を選択したものです」

また、守大助氏は結婚を年内に控えていましたが、その結婚相手は同じクリニックに勤務する看護婦でした。自分たちが勤務するクリニックの評判を貶める行為は、これから一家を支えていく責任のある者の取る行動としては、余りにも常軌を逸しています。

何が起こったかを私なりに想像すれば、典型的な冤罪のパターンがここにも見て取れます。それは捜査権力の「初動ミス」→「引く勇気の欠如」です。

この事件は、科学鑑定が捏造であることを前提にすれば、実に単純明快なものです。しかし、裁判所は警察・検察が意図的に無辜の者を有罪に陥れようとしているということを認定することは、何らかの秩序維持意識が働くのか、絶対に認めようとしないものです。

そしてでたらめな科学鑑定も、私は、技術吏員の悪意があったわけではないと考えます。それは人間の「見たい物しか見ない」「聞きたい物しか聞かない」という習性に基づくものだと思います。彼は、警察から「試料に筋弛緩剤があることを証明せよ」という命題を与えられ、当然それがあるものだと思い、(きな粉をあんこと取り違える)単純な間違いを犯したのだと思います。

また、当然あるはずだという思い込みが、1週間後採取の尿を含む7つの試料全てに筋弛緩剤が見つかったという結論を導きます。本来、警察が欲しかった正解は「6つの試料に筋弛緩剤が見つかり、1週間後採取の尿には見つからなかった」というものであったにも関わらずでしたが。

そしてそれが科学的に矛盾していると指摘されても、捜査権力は間違いを認めることができず、「全量消費した」「実は全量消費していなかったけれど、違う鑑定結果は被告人に不利だから敢えて言わなかった」という、嘘を嘘で塗り固めることになったものです。

裁判官が、この捜査権力の嘘にどれだけ意識的に加担しているかは分かりません。それは司法の非常に奥深い問題です。

しかし、それがいかに司法権威の秩序維持という名目があったにせよ、無実の者が言われもない罪で10年以上に亘って自由を奪われているという事実は正当化できないことは言うまでもないことです。

この事件に関して言えば、調べれば調べるほど、医療過誤の病院内ヒエラルキーでの責任の転嫁や、東北大学医学部を頂点とする地域医療の権威主義の保身といった実に深い闇を覗き見る気がします。しかし、ここでは敢えてそれには触れないことにします。

まずは冤罪被害者の守大助氏の救済が急務です。私も水戸で開催された学習会に参加し、ご両親に挨拶させて頂きました。彼らの息子を思い救援活動をする姿勢には、人の親として心を打たれるものがあります。

ここまでお読み頂きありがとうございます。最後に是非、守大助氏のお母様の訴えをお聞き下さい。

ここをクリック→ 守大助氏母の訴え

(注1)
私の高校後輩に麻酔科医がおり、色々と骨折りで調べてくれました。血中のベクロニウム残留濃度は確立したデータがあり、ベクロニウム投与量と体重、年齢、身長などを入力項としてx分後の血中濃度を計測するiTunesでダウンロードできるソフトもあるそうです。

ここをクリック→ iTunesプレビュー「AnestAssist」

(注2)
マスキュラックスの医薬品インタビューフォーム(p.18)によると、ラットでの実験では、投与量の10.9%が尿中、84.2%が糞中で排泄(288時間後)とあり、ベクロニウム臭化物の排泄はあまり腎排泄によらないことが分かります。

ここをクリック→ マスキュラックス医薬品インタビューフォーム

(注3)
小学校学習指導要領解説 理科編p.14

ここをクリック→ 小学校学習指導要領解説 理科編

(注4)
「単に残りを捨てちゃったんじゃないの」と思われる方も少なくないと思います。しかし、公安委員会の規定する犯罪捜査規範の第186条に

「血液、精液、だ液、臓器、毛髪、薬品、爆発物等の鑑識に当たつては、なるべくその全部を用いることなく一部をもつて行い、残部は保存しておく等再鑑識のための考慮を払わなければならない」

と定められているため、残量の廃棄は再鑑定をさせないために恣意的に行われたという批判を避けるため、「捨てた」とは言えなかったものと思われます。

ここをクリック→ 犯罪捜査規範「鑑識」

そして点滴液の試料のうちの一つは、病院の医療廃棄物置き場から回収された点滴ボトルに残っていたものですが、もしその点滴ボトルに筋弛緩剤が混入されたのであれば、そうした証拠は見つからないように処分するのが合理的だと思います。そしてその点滴ボトルからは、守大助氏の指紋は検出されていません。

(注5)
仙台地方裁判所平成16年3月30日判決一部抜粋

ここをクリック→ 仙台地方裁判所平成16年3月30日判決一部抜粋

(注6)
この犯行方法のビデオを見た私の高校先輩の医者から、チャンバー(点滴ボトルの下に付けられた器具で、中で点滴液がポタポタ落ちる筒状のもの)には空気を残すから、三方活栓から筋弛緩剤を混入しても、点滴ボトルには到達しないのではないかと指摘を受けました。なるほど。そうすると、もしこの犯行方法であれば、7つの試料のうちの3つの点滴液から筋弛緩剤が検出されたというのも不合理と言えます。

この事件は「北陵クリニック事件」として知られていますが、2008年11月20日に開かれた「守大助さんを守る会」において、以降、事件名を「仙台筋弛緩剤えん罪事件」とすることを決定していますので、表題は併記させて頂きました。

支援者団体が「再審開始決定を求める要請書」の署名を集めています。是非、署名の上、郵送ないしFAXをお願いします。

ここをクリック→ 「再審開始決定を求める要請書」

参考文献

『再審請求書』 守大助さんを守る会国民救援会宮城県本部発行

『花島伸行弁護士講演 再審に向けて今何をなすべきか』 守大助さんを守る会国民救援会宮城県本部発行

『僕はやっていない! 守大助勾留日記』守大助氏(明石書店)

『仙台・北陵クリニック事件 筋弛緩剤のまぼろし』今井恭平氏(『冤罪File』2008年6月号)

『白く長い廊下』川田弥一郎氏(講談社文庫)

ブログ『北陵クリニック事件』鈴木善輝氏
ここをクリック→ 鈴木善輝氏ブログ『北稜クリニック事件』



















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―





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category: 冤罪ファイル

2013/10/03 Thu. 03:37 [edit]   TB: 0 | CM: 14

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