「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (79) 「江川紹子氏とランチ+『踏みにじられた未来』読了」12/29/2011 

#検察なう (79) 「江川紹子氏とランチ+『踏みにじられた未来』読了」12/29/2011

今日、江川紹子氏とランチをご一緒しました。実は昨日の昼に、今日予約したレストランから、「八田さん、江川さん来てるんですけど」と電話あり。「え~、まじ~。電話代わって..........あ、江川さーん、明日ですよー」「え?ごめんなさーい」ということで今日、仕切り直しました。全くお茶目な人です。

江川氏はオウムウォッチャーでブレイクし、教団からホスゲンガスの襲撃で殺人未遂までされながらもぶれなかったタフさもあり、またその正義感と公正な論調から人気も高く、検察問題でも造詣の深いジャーナリストです。

今回のランチは、彼女がTwitter上で「#検察なう」の記事を見つけて、私に会って話がしたいと申し込んできたことから実現したものです。

まず驚いたのが、彼女がこれまでの経過報告を全て読んでいたこと(随分なボリュームになりましたからね)。例えば、検察特捜部の初日の取調べで、検面調書の訂正を検察が頑として受けてくれず、苦労をして5ヶ所のうち4ヶ所訂正してもらったという経緯があったことを覚えていらっしゃるでしょうか。今日、私がその話をした際、「4ヶ所のうち3ヶ所の訂正しかできなかった」と言ったところ、彼女から、「あれ、5ヶ所のうち4ヶ所でしたよね」と指摘されました。さすがあ!と感心した瞬間でした。

ランチでの会話は、私の事件が中心。その興味があるからこそ、彼女も忙しい時間を割いているわけですが、どこまで自分の主張をしたものか最初は気後れしました。しかし、今回は彼女の「取材モード」に救われた感じでした。

話はなかなか尽きなかったのですが、特に印象的だったのは、私が外資系金融に勤めていたことで、自分が無実の罪に問われていると訴えても、人の共感は引きにくいのではと言った時です。彼女の言葉は、「人には譲れないものがあります。それは、その人の収入が高いとか低いとか、あるいは社会的地位が高いとか低いとか、そういったことは全く関係ないんです」でした。どうです?いいこと言いますよね。

また私が、冤罪を訴える際に、自分のことよりは社会性を前面に出した方がいいと思ってるし、それが使命だとも思ってると言った時には、「いや、素のままでいいんじゃないですか。経過報告を読ませて頂いて、例えば布川事件で自白に至る原因は絶望だと書かれていますけど、そうした考え方にはこちらも共感するものがありますよ。あまり構えないでそのままでいいんじゃないですか」とも言われました。うーん、勇気が出るなあ。

意見が食い違ったのは、私の事件も含め多くの冤罪事件で、検察・裁判所は実際は分かっているのではないか、という私に対し、「うーん、そうも言えないですよ。人は見たいものを見て、聞きたいものを聞きますから」と江川氏は考えているようです。

「今、やろうとしているお仕事はなんですか。頭は陸山会で一杯ですか」という私の問いに、「今は、いくつかの少年事件に関心を持っています。また、子供向けに冤罪事件の本を書きたいと思ってます」とのことでした。「あー、いいですね。うちの弁護士も少年事件に関心持ってますよ。損得勘定抜きで社会貢献ですよね」。学校で三権分立や国会の授業はあっても、冤罪の授業はないので、彼女が書く子供向けの「冤罪はどうして生まれるか」という本は大いに期待します。

また私が今、弁護士と企画しているものに、法科大学院生を対象とした「司法はどうあるべきか」的な討論会がありますが、「江川さんも来て話して下さいよ」には快諾して頂きました。

ということで和やかかつ盛り上がった2時間でした。

長野智子氏著の「踏みにじられた未来 御殿場事件、親と子の10年闘争」読了。当事者感情から、冤罪関係の本にはどうしても涙してしまうのですが、昨日、今日東京鎌倉間の横須賀線の電車の中で、阿呆のように涙を流していました。

まず彼女のように社会的認知度が高い人が冤罪に関心を持ち、正しい意見をパブリックにアクセスできる形で発信する勇気、熱意には「あっぱれ!」ステッカー3枚です。

この本で扱われている御殿場事件をかいつまんで説明します。事件は2001年に起こった集団強姦未遂事件。犯人とされた当時中学生・高校生の10人が逮捕。ところが、暴行されたという少女は、実は出会い系サイトで出会った他の男性とのデートで帰りが遅かったことを言い訳するために「強姦された」と嘘をついていたことが発覚。その男性も裁判で、「犯行当日に会っており少女が『親には遅れた理由を誰かのせいにする』と言っていた」と証言。これで一件落着と思いきや(否認をしていたため拘留されていた者は9カ月ぶりに保釈されたが)、その後、検察は犯行は実は別の日であったと訴因変更。自白調書が当初少女が言っていた日時を基に作られていたため、多くの矛盾点を抱えていたにも関わらず、裁判所の審理が進み、結局被告側はひっくり返せず実刑確定という痛ましい事件です。

本は、勿論事件そのものも語られていますが、犯人とされた少年と家族の絆、そしてその少年たちの成長がメインテーマと言ってもいい内容です。

鑑別所にいる息子と父との往復書簡:
「いつも迷惑ばかりかけてしまって本当にすみません。お父さん、お仕事忙しい中、面会に来てくれてありがとうございます。お父さんとは最近あまり話をしてなかったよね。自分でも分かっていたけど、なんか恥ずかしくて話せなかったよ。どうして俺はこんなにも親不幸なんだろう。一体どこまで心配をかけていくのだろう。もう今回で最後にします。もう心配はかけません 貴志」
「家族も友人も弁護士先生方も、誰もが皆、貴志のことを信じています。絶対に諦めないでがんばってください。お父さんや家族、友達のことは何も心配するな。貴志がしっかりすることだぞ。お父さんは命がけで無実を証明してみせる。貴志とお父さんは苦しいときは一緒だからな 父」

書きながらも涙、涙、涙です。

そして事件では、一生懸命息子たちの無実を証明しようとする家族の努力を裁判所は身内を助けるための口裏合わせ、証拠捏造とばっさり切って捨てます。非情。

私が感心した一節は、
「最初にウソをついた少女を批判する声もある。だが、高校生の少女が親に叱られるのが怖くてついたウソである。もちろんウソをついたのは良くないことだが、彼女の証言や、少年たちのアリバイなど、警察がしっかりと裏付け捜査をしていれば、大事には発展しなかったことだ。この事件において責められるべきは、少女や少年たちではなく、初動の捜査を怠り、証拠もないまま自白の強要を行った警察・検察。そして有罪とするにはあまりにも不可思議な矛盾があるにも拘わらず、警察調書や検面調書の作り直しもしないまま続行され、判決を導いた裁判にあると私は思っている」
です。正しい視点だと思います。

ご一読お勧めします。引き続きご支援お願いします。

12/29/2011


category: 冤罪事件に関して

2011/12/29 Thu. 02:34 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (78) 「検察の最有力証拠」12/28/2011 

#検察なう (78) 「検察の最有力証拠」12/28/2011

今日、検察の作成資料がどさっと届きました。段ボール箱に一箱。しかもこれは一部で、まだあるそうです(と、コピー代を心配する私)。

関係者の検面調書を読み出して、悲しくなりました。いかに私を弁護しようとしても、あるいは完全にニュートラルでいようとしても、結局は検察の誘導で、私が悪いという印象の調書が出来上がっています。

関係者がどう思おうと、それが事実関係の実証とは全く関係ありませんが、裁判官の心証に影響を与えようという検察の姑息な作戦です。ましてや自分も株式報酬の無申告で、脛の傷がある関係者の調書なんてのはひどいもんです。

例えば、私がかつて確定申告を依頼していた税理士。彼の懈怠により無申告が数年ありました。調書では私はそれを知りながら依頼し続けていたとのこと。ずっとそんな税理士に頼み続ける人間がいるとは到底思えないのですが、これも自分の保身と検察の誘導で利害が一致したことのなせる技ということなのでしょう。直接的な証拠が何もないため、そのような事情をとにかく山ほど集めて、なんとか悪印象を作ろうというのが検察の手口です。グレーをいくら重ねても黒くはならないんですけどね。

そして、唯一といってもいい検察のもつ私にとって不利だと思われる証拠が、以前にもご説明したoption exercise formの私の記載です。手元に資料が届きましたので、ここでより詳しく解説しようと思いますが、まずその前に私の印象をお伝えします。

3年間も国税局査察部と検察特捜部が必死になって探して、これだけしか出てこないのかよというのがそれです。人の人生を台無しにしようとするからには、誰もが「あー、それなら八田は悪いことしてたんだ」というもっとまともな証拠を出せよと思ってしまいます。もし彼らが、最後は「仕事だから」と言い逃れて、間違ってたら腹を切るくらいの覚悟がないのであれば、それを恥じて国税局や検察を潔く辞めてほしいものです。それ程の責任が彼らにはあると思っています。ここまで重箱の隅をつっつく証拠(と言えるのかどうか分からないものですが)を見つけて解釈するだけの知性があれば、そのほかの山ほどある証拠から私の無実は明明白白のはずです。これが日本の最強捜査権力の姿かと思うと、本当に情けなくなります。今日、弁護士にはもう少し語気を強めて主張したのですが、ここではこの程度に納めておきます。

以降は細かくなるので、こ難しい話が苦手な人は読み飛ばして下さい。ただ裁判ではここからの議論が一番重要になると思います。

問題のoption exercise formは英文で14ページにもなる契約書の類で、実物を添付すれば、「なんじゃこりゃ?」という感覚をシェアして頂けるような代物です。

私のほ脱額と言われている3億5000万円の大部分は会社の現物株ですが、一部ストックオプションがありました。額にして6140万円です。ストックオプションとは、会社の株を決められた価格で購入できる権利です。株の場合にはただもらうだけの話ですが、ストックオプションの場合には、権利を「行使する」という私が能動的に起こすアクションがあります。それが先に述べたoption exercise formという書類の記入です。つまり「株を買うことができるってんなら、頂戴よ」と意志表示をその書面でするわけです。

その14ページの書類を記入する際、労力を最小化するために、「餅は餅屋や」と経理部の人間に電話して、「で、どう記入すりゃええねん」と聞くことは、私の性格を知る者からすれば全く不思議はないかと思います。仕事は忙しいし、私は会社では偉かったので(普段から偉そうですが、会社では実際に偉かったんです!)、シンガポールの経理部の知り合いに指示を仰ぐことは全く躊躇しませんでした。そして彼女の指示通り「はい、はい」と記入したものです。

そして問題の部分は、設問の項目に(only applicable if there is a tax withholding obligation on the exercise options)という括弧で括った但し書きがあります。私はその但し書きのついた設問自体を斜線で消しました。それはその経理部の人間の指示でしたものですが、これが私の脱税の意図ありという証拠だというのが検察の主張だと思われます。

え?何のことか全く分からない?分からないですよね。例えば、メールで私が「やべーっ!ばれちまったよ」とか、税務調査が入った段階で「うへーっ、延滞税まじやばいし」と税理士に早く税金納めるよう泣きつくとか、もっとそれらしい証拠があればいいんでしょうけれど、そんなものは初めからないわけです。で、3年間、国税局と検察は山ほどある資料をひっくり返して、先の部分を見つけたわけです。直訳すると(このオプションの行使に伴って、税金の源泉の義務が生じる場合のみは)というものです。主語がないので、今読んでもピンと来るものではありませんが、これは「会社の」ということなんだそうです。それで、「会社が源泉の義務がある場合」という条件を斜線で消した=会社に源泉の義務がないことを知っていた=自分で別途申告義務があることを知っていた、という超ウルトラCのこじつけです。

もし私が、彼女に相談せずに自分で理解して記入したのであれば、特に指示のない「斜線で設問自体を消去する」ということは全く必要のない行動です。彼女は電話口で指示をしていたため、誤記入を防ぐためにそう私に指示したのだと思います。

また彼女は、私と「話したという記憶はない」が、もし話したとすれば「必ず会社は株式報酬の源泉徴収はしていないと説明したはずだ」と主張しているとされています。それは私の記憶とは異なるものですが、「説明した」「いや、聞いてない」では埒が明きません。こんなくだらない議論が3億5000万円の脱税の故意の立証だとする検察に少し付き合ってみましょう。私が、裁判官であれば、まず彼女に聞きたいのは「なぜ、あなたはそれを説明する必要があるのですか」ということです。解説しましょう。

例の「会社は税務指導を職員に対し徹底周知していた」というやつです。彼女は、自分が会社は源泉徴収の義務がないということを知っていて、かつ職員にもその指導を徹底してやっていたのであれば、職員も彼女と同じように、「そんなことは知っている」と思う方が当然なのではないでしょうか。そうであれば、その説明を敢えて忙しい私に電話口で説明する必要もないでしょう。彼女が、その説明を必要と思うのは、「誰もそんなこと知らない」という場合です。それは自己矛盾です。

調書を読んで、私と話したことを全く思い出せないという人間が、源泉徴収をしていないという説明に関しては「絶対に」「必ず」したと明確に言ってのけるのは違和感があります。これが「検察の作文」というものです。文章を読むセンスがあれば、「あー、検察頑張っちゃったな」というのが透けて見える部分です。

さて、これを裁判所がどう評価するのかなかなか楽しみなところではあります。これまでは検察の厳しいキラーパスを受け止めてきた裁判所ですが、さすがに彼らも世の中の流れを感じとっているのではないかと期待しています。

明日は江川紹子氏とランチです。検察の在り方検討会議のメンバーでもあった論客との対話は楽しみです。

P.S.
先日、金沢に帰省した際、高校時代の同級生と会う機会がありましたが、来年で高校卒業以来30年となります。私の高校では毎5年ごとに学年の同窓会をやるので、来年はその年に当たります。振り返ってみるとこの30年はあっという間だったように思います。するとこれから30年間生きられるかどうか分かりませんが、それもあっという間なのかもしれません。そう考えると人生は本当に短いものだなと思います。その人生を自分に恥じることなく、良心に従って生きてこれたことは本当によかったと思います。

と、思っていたら、先日突然大量の下血をしました。拭く紙が真っ赤、トイレボールも赤くなるほどです。2日ほどそれが続き、「えー、まじかよ。もしや大腸がん?」なんてことも考えました。しかし、自分には余り思い残すところはないことに気付きました。突っ走ったかな、と。もし今死んだら、有罪であろうが無罪であろうが、結果を知らずにいることになるこの裁判だけが心残りだと思ったくらいなものです。複数の医療関係者の友人に相談したところ、彼らの意見は全て「痔でしょ」でした。どうもそのようです。ま、誰しも死をリアルに感じることはいいシュミレーションです。是非お試し下さい。

12/28/2011


category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2011/12/28 Wed. 10:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (77) 「田舎の友人との会話+『#検察なう』Tシャツ作りました」12/26/2011 

#検察なう (77) 「田舎の友人との会話+『#検察なう』Tシャツ作りました」12/26/2011

故郷の金沢に帰省中、田舎の友人や後輩と会う機会がありました。以下は彼らとの会話です。

後輩「八田さんのことは、経過報告もらって読んどるけど、なーん分からんわ。外資系の給与プログラムとかって言われても、複雑なんかなあって感じで」
私「いや、肝心のところは何も難しないよ。お前も会社員やから、年末に会社から源泉徴収票もろとるやろ」
後輩「もろとるよ」
私「その源泉徴収票には会社からもろた給料が書いてあるわけやけど、そこに書いてある以外に会社から給料もろとるって想像したことある?」
後輩「そんなんないわー」
私「ほやろ。わしも同じやったっちゅうことや。わしは会社からもろた源泉徴収票を税理士に渡して、ほんで会社からもろたもんはそれで全て申告しとると思とった。そんだけ。なーんも難しいことなんてないげえて」
後輩「ほんなんか。でも、もし私やったら、源泉徴収票を確認して、金額違とったらおかしい思うんないかな」
私「そこがポイントや。自分で源泉徴収票を確認しとる奴はそう思うかもしれんな。でも何で源泉徴収票を確認する必要があるん?わしにはその必要が全く感じられんかったし、わしは実際確認せずにそのまま税理士に渡しとった。国税局は『源泉徴収票をもらってそれを確認しない人など世の中に存在しません』っていう責め方や。それを裁判所がどう判断するかやな」
後輩「ふーん」

また別の友人との会話では
友人「なんか裁判ってことになったら大変そうやね」
私「ほおや。とにかく資料の量ががんこに多いげえて。しかも英文のもんが多いしな。裁判官も大変やと思うわ」
友人「なんでそんな資料が多いが。だって会社の給料やろ」
私「ほーやなあ。例えば『アイルランドに蛇はいる』『いない』って証明をしようとしたら、『いる』っちゅう方は簡単や。一匹見つければいいげえからな。でも『いない』っちゅう方は大変。いっくら探しても見つからんちゅうたかて、それがたまたまかもしれん。だからアイルランドじゅうを徹底的に探しても、それがダイレクトに『いない』っていう証明にならんわけや。わしの場合でも、国税局・検察は『いる』と思ってそこら中探し回りに回ったってこと。だから資料が膨大なんやて。本来わしがわざとやっとったんやったら簡単に見つかるはずなんや。結局、彼らは蛇は見つけられなんだ。でも蛇の巣の跡らしきもんを見つけて、結局『蛇はいるはずだ』って起訴したってこと」
友人「あー、それってあるわ。例えば医者で、所見で水虫だと思って(注:友人は皮膚科医)、顕微鏡でいくら探してもその菌が見つからんのに最初の判断のままって医者もおるわ。ほんとはかぶれが原因ながに水虫の薬出して、さらにかぶれの症状悪くしてしもう医者」
私「そう、そのやぶ医者が国税局や検察ってわけやけど、更にたちが悪いんわ、彼らもそれが『水虫でない』って途中から気付いてるのに水虫の薬を出し続けとるっちゅうこっちゃな。こっちはかぶれまくりや」

「#検察なう」のTシャツを作りました。ご希望の方に1枚1000円(送料込)でお分けします。サイズは3種類で、それぞれ字の色が異なっています。サイズSは形がガールズしてます(着丈が短く、袖口は細め)。Mはぴったり着る雰囲気で、Lはゆったり着る雰囲気で素材を選びました。

ここをクリック→「#検察なう」Tシャツ

まだまだ先は長いのですがのんびりお付き合い下さい。よろしくお願いします。

12/26/2011


P.S.
昨日、両親と一緒に帰省先の映画館で、三谷幸喜監督「ステキな金縛り」を観賞しました。今まで彼が監督をした作品「ラヂオの時間」「みんなのいえ」「THE有頂天ホテル」「ザ・マジックアワー」はなぜか全て観てきたのですが、いつも期待はさせるものの観た後はちょっとがっかりということばかりで、余り評価していない監督でした。作品はどれもとっちらかった感じで、「で、何なの?」みたいな。ところが「ステキな金縛り」はポジティブ・サプライズ。とてもよかったです。早くに父親を失った娘の思慕の心情が基調となって、その上に法廷というタクティカルな展開が乗っかるという、よくできた脚本だと思います。出演陣も相変わらず豪華でしたが、特に検察官役の中井貴一の演技が出色。「我々(検察と弁護士)は敵同士ではない。我々の敵は真実を隠す者である」。よく言った!本物の検察官に聞かせてやりたいわ、ほんまに。私の個人的特殊事情は置いても、彼の説得力のある演技は評価できるものでした。機会があれば観て損はない映画だと思います。


category: 支援者の方へ、支援者の方から

2011/12/25 Sun. 18:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (76) 「O.J.シンプソンはなぜ無罪になったか」 12/21/2011 

#検察なう (76) 「O.J.シンプソンはなぜ無罪になったか」12/21/2011

ご報告があります。私の弁護団は、潮見坂綜合法律事務所の弁護士3人、小松正和弁護士、佐藤安紘弁護士、村松頼信弁護士ですが、この度東京西法律事務所の佐野綾子弁護士にも加わって頂くこととなりました。佐野弁護士とはツイッターを通して知り合ったのですが、お会いして話したところ、私たちが抱いている司法改革の気概に賛同して頂き、快く参加を承諾いただいたものです。佐野弁護士は元ゴールドマンサックス社のリサーチにいたこともあり、業界に精通していることも強みだと思っています。外資系証券のカルチャーは一種独特なところもありますので。私は自動的に5番目の弁護士に降格です。

先日読んだ本が思いのほか面白いものでした。弁護士四宮啓氏の書いた「O.J.シンプソンはなぜ無罪になったか」という本です。

O.J.シンプソンの事件は日本でも大々的に報道され、知っている方も多いと思いますが、多分多くの方が「O.J.シンプソンが無罪となったのは人種問題にすりかえた弁護側の戦略の勝利」という印象を持たれていると思います。私もそう思っていました。ところが、実際は必ずしもそうではないようです。この裁判は陪審員裁判ですが、陪審員の一人の言葉にそれは表れています。「私たちが何をしてきたかも知らずに人種の影響を云々にする人たちこそ人種差別主義者だ」。

この本によると、彼ら陪審員がシンプソンは無罪であるという結論に達したのは、単に「合理的な疑問が残った」ためだったと書かれています。

皆さんは、「推定無罪」という言葉をお聞きになったことがあると思います。「疑わしきは被告人の利益に」というやつです。この推定無罪の原則は日本やアメリカだけではなく、現在では国際的な基準ともなっています。

世界人権宣言十一条一項
「犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保証を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。」

国際人権B規約十四条二項
「刑事上の罪に問われているすべてのものは、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。」

損害賠償などを扱う民事事件では、裁判を起こした原告と、起こされた被告とは原則として対等であり、裁判の天秤は釣り合った状態から始まります。しかし刑事事件では、裁判の天秤は完全に被告に傾いた状態から始まります。被告が勝っている状態から刑事裁判が始まる―これが推定無罪ということの実質的な意味です。検察はその、被告側に完全に傾いている天秤に、証拠という分銅を載せていき、この天秤を逆に完全に検察側に傾け直さなければならない―これが、検察が合理的な立証責任を100%負っているということの意味です。このようなシステムにすることによって、強大な権力をもつ検察となんの権力も持たない被告という当事者が、初めて実質的に裁判という場で対等になれるのです。

このように推定無罪と検察の合理的疑問を越えた立証責任を原則とすると、刑事裁判の結論は二つです。検察の立証に「合理的な疑問はない」か「合理的な疑問が残る」かです。前者が有罪、後者は無罪です。英語の「ギルティー(有罪)」と「ノット・ギルティー(有罪とはいえない)」という表現は、この点を正確に表しています。真っ黒でないと有罪とはできない、ということです。「どうなんだろう。そうじゃない可能性もあるかも」は全て無罪です。

それほど刑事事件においては、有罪のハードルは高いものです。実際、刑事裁判で無罪となったシンプソンも、民事裁判では約10億円もの損害賠償を遺族に払う結果となっています。

日本においても、検察が起訴をする際のハードルは「合理的な疑いが容れない程度に証明」される水準であるべきとされています。検察は、そのハードルを越えたものだけを起訴していると言うことでしょう。ところが、実際にはそのハードルの設定が恣意的で、場合によっては引き下げられるということがあると考えられます。そこでの彼らの言い分は「証拠があれば起訴するし、証拠がなければ起訴をしない」ということになります。聞こえはいいのですが、その意味するところは、無実であろうがテクニカルに起訴ができるものは自分たちの都合で起訴をすると言っているに過ぎないということです。

私は検察の取調べに際し、再三彼らに主張したのは、圧倒的な捜査能力を持って一番真実に近いところにいるはずの検察が、真実の見極めをしないで、起訴をすることだけを目標とする捜査を続けていたのでは日本の司法は崩壊するということでした。刑事事件の有罪率が99.9%の現状の日本の司法制度において、彼らが正しい判断をしなければ冤罪が生み出されてしまうのは火を見るより明らかです。

「おたくが起訴するっていうから、こっちは告発してんだ。それを今更、起訴しないなんてのはこっちのメンツがつぶれるんだ」という国税局に押し切られて起訴をした検察。そんな彼らに私が負けるわけにはいきません。日本の未来のためにも。

田中周紀氏の「国税記者 実録マルサの世界」今日発売です。今、アマゾンを見てみると、早くも品切れで、出だし好調のようです。

12/21/2011

category: 刑事司法改革への道

2011/12/21 Wed. 09:58 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (75) 「高知白バイ事件で思うこと」 12/18/2011 

#検察なう (75) 「高知白バイ事件で思うこと」12/18/2011

本題に入る前に。

Twitterで私をフォローされている方から、以下のようなコメントを頂きました。

「ブログ読ませていただきました。黒地白文字の頃から思ってましたが、CSに明らかな落ち度が有ると思います。源泉徴収か確定申告の指導を、コンプライアンスの観点だけではなく、社に功績が有った社員への報酬が真の意味で感謝のリワードになるように徹底しないと本末転倒。」

「ただ、八田さんが、CSと同じ認識の誤りをしていると感じる点があります。今回『個人の脱税という余り社会的に意義も高くない事案』と書かれていますが、それは金額の多寡で一般的な受け止め方が違ってきます。このケースは、所得の低い方の生涯賃金を上回っています。」

「そのレベルの額を社会的に意義が無いと言ってしまっては、八田さんの行為に犯罪性は無いと思う方も、眉を顰めてしまう。CSの行動の根底には、いわゆる金銭感覚の麻痺の様な遵法意識の低さが有ったはずです。 長くなりましたが、これからも注視させていただきます。」

これは多分、私を直接知らない方の最大公約数的な感想なのではないでしょうか。私は以上のコメントをリツイートして公開した上で、以下のように返信しました。

「全くおっしゃる通りです。税務に関しては完全に会社任せ、税理士任せでした。当時は給与天引きという『効率的な徴税システム』を過信し、節税にも全く興味がありませんでした。そうした態度が今回の原因の一つであるというご指摘は当を得ています。」

「『社会的意義がない』という表現に関しては、自分を卑下したものだとご理解下さい。私の人生です。私にとっては死ぬほど重要です。ただ『冤罪だ。苦しい。助けてくれ』と言ったところで皆さんの関心は得られないと思ったものです。」

「犯罪性に関して1億円の過失過少申告と1千万円の故意脱税とでは、どちらの方が断罪されるべきでしょうか。捜査権力の論理は、金額のみで前者を罰しようとするものです。そしてこれは私の後も繰り返されるものです。ご批判本当にうれしく思います。」

やはり友人・知人以外の方から忌憚ない意見が聞けるというのがソーシャル・ネットワークの強みの一つです。身の引き締まる思いでした。

高知白バイ事件に関して、香川県・岡山県をサービスエリアとするTV局記者(なぜ高知県の報道関係者ではないのかというのも事件を理解する一つの鍵なのですが)山下洋平氏の著書「あの時、バスは止まっていた」を読了しました。あまりに有名な冤罪事件ですので知っている方も多いと思いますが、もしご存知でなければアマゾンでこの本を検索して頂ければ、本の紹介欄に事件及びこの本の紹介の2分程度の動画があり、非常によくまとまっています。

ここをクリック→ Amazon 「あの時、バスは止まっていた」

私はこの本を読みながら、大げさではなく何度も涙を流しました。そして気付いたことがあります。

冤罪の本は売れないと言われます。その理由がよく分かりました。普通の人にとっては、冤罪という問題は感情移入しにくい問題なんだということです。

高知白バイ事件の冤罪被害者片岡さんは車を運転していただけ、西武池袋線痴漢冤罪事件の冤罪被害者小林さんは電車に乗っていただけという普通の生活をしていながら、冤罪が身に降りかかっています。つまり冤罪は誰の身にも起こりうることであるのに、そうした実感が非常に希薄です。勿論、冤罪は特殊な事象であり、また事前に避けることができる性格のものではないという考え方もできます。それは、東北大震災を目の当たりにしながら、地震・津波への対策を講じず毎日生活していることと似ているのかもしれません。

また読みながら、私の脱税と片岡さんの業務上過失致死という全く性格の異なる冤罪でも冤罪被害者当事者の考えることは全く同じなんだということです。本の中に、高裁で控訴審の始まる前の片岡さんの言葉が記されています。「不安はもう全然ありません。真実のみです。真実は一つですから、それを分かってくれたら、それでいいです」。私が経緯説明として書いた文書のタイトルを覚えていらっしゃる方には、私の言っていることの意味が分かって頂けると思います。

高知白バイ事件の事件及び裁判経緯に関して言うと、弁護側にとって決定的な敗因は言うまでもなく、スリップ痕の鑑定(一審有罪後、プロの鑑定により、検察側の最重要証拠「時速10KmのABS付バスが停止してできた1m以上のスリップ痕」が捏造の可能性が高いことを示す検証結果)という証拠を高裁に提出できなかったことだと思います。

高裁では、その決定的な証拠を検察側は「不同意」(裁判では検察側、弁護側双方が「同意」したもののみが証拠提出されます)、これは弁護側も想定内だったと思いますが、続いて証人喚問(物証を提出できなくても、その証拠に関係する人を証人として裁判で証言させることで同等の効果があります)も検察側は「不同意」。そして証拠採用は裁判官の裁量に任されたわけですが、裁判官は「必要がないので却下します」。証拠を提出しようとしているのに、その審理すらされないというのは本当に悔しかったことだろうと思います。

なぜ、こうしたことが起こるのかということを調べてみると、刑事事件においては、高裁でなされる控訴審は「事後審」といって下級審での原判決の当否を審査するだけなのだそうです。最高裁は憲法違反や判例違反のみを審議する「法律審」であり、地裁・高裁は事実を審議する「事実審」であることは知っていましたが、高裁が新たな証拠の評価をすることは裁判所の裁量であり、多くが認められない「事後審」であるとは知りませんでした(民事事件では、控訴審も事件の審理を続行する「続審」なのだそうです)。世の中知らないことが一杯あります。

現在、片岡さんは服役出所後、再審請求活動をしています。私も署名させて頂きました。フェイスブックにネット署名のリンクも貼り、何人かの友人も署名してくれました。再審請求は「針の穴にラクダを通す」ほど厳しいものと言われていますが、私はこの事件では大きな可能性があると思っています。それは、先日、西武池袋線痴漢冤罪小林事件の集会に出席した際、担当弁護士の一人の方が言っていたことが「再審請求が通るには、あるパターンがある。それは科学的証拠の存在だ」ということです。

高知白バイ事件では、片岡さんに有利な証言は、バスに乗っていた20人以上の中学生、バスの後ろに車で止まっていた校長、白バイの後ろを走っていた第三者という30人近いの証言がありますが、それはたった一人、対向車線を走っていた死亡した白バイ警官の同僚の証言でひっくり返されています。裁判では、前者を「不自然不合理な点もあり、正確性は低い」とし、後者を「単に被害者と同じ白バイ隊員というだけで、その供述の信用性がないと断じることは相当ではない」としました。世の中不合理なこともまかり通るものです。そして、そうした証言よりも、証拠の証明力は、科学的証拠の方が圧倒的に強いのが裁判というものらしいです。

片岡さんが繰り返し悲しい、辛いと言っていることが「それでも人が死んでるんですよ。あなたはその責任を逃れようとしているのですか」と言われることだと書かれています。原状回復できない人の死と、原状回復以上を償っている過少申告を同じレベルで語ることは適当ではありませんが、私も「でも払ってなかったんでしょ」と言われているので、痛いほど分かります。

片岡さんには、機会があれば私のメッセージを伝えたいと思っています。それは、「『もし真実を分かってくれる』ということがあなたの勝利であるなら、あなたは既に勝っています。再審請求の成否はあなたの人生にとって重要ではなく、既におさめている勝利の味を十分に味わって下さい」というものです。

なんか冤罪ブロガーとなりつつあるような今日この頃でした。

12/18/2011

category: 冤罪事件に関して

2011/12/17 Sat. 20:20 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告改め #検察なう (74) 「クレディ・スイスへの差別」12/16/2011 

経過報告改め #検察なう (74) 「クレディ・スイスへの差別」12/16/2011


多くの方にツイッターをフォローして頂きありがとうございます。一人一人の方々にお礼を言いたいところですが、ブログでお礼を言わせて頂きます。

今回の件で、私が残念だと思うことは多々ありますが、その一つが、もし私がクレディ・スイスの人間でなければ、こうしたことにはならなかったということです。これは金融関係者であれば納得できることですが、一般の方には若干説明が必要かと思います。

私がクレディ・スイスに入社したのは2001年ですが、クレディ・スイスはそれに先立つ1998年に損失先送りを目的とした不正取引で業務停止処分を科せられています。当時、不正取引をした会社はクレディ・スイスだけではなかったのですが、金融庁の逆鱗に触れたのは検査忌避の行為でした。私が入社した時に、当時の事を知る者の中に、面白おかしく「あの頃、事件に関係した書類を隠す小部屋があって、みんなは『サティアン』と呼んでいた(オウムのあれです)。強制捜査という段になり、その書類を全てシュレッダーにかけた」とその頃の状況を語る者もいました。これは業務改善命令どころではなく、業務停止処分を食らうべき処分相応の犯罪行為であったことは明らかです。私は、看板で商売ができたソロモン・ブラザースから、東京においては前科者扱いのクレディ・スイスに入社し、お客様の信頼を得るため随分苦労したものです。そしてその当時のクレディ・スイスは、「あつものに懲りてなますを吹く」状態で、コンプライアンスに関しては異常に神経質でした。そうした会社ですら、税務指導が行き届かなかったというのは、会社を弁護するならば、やはり税制に不備があると言わざるを得ないと思います。会社の名誉のために言っておきますと、クレディ・スイスのそうした汚名は全く東京マーケットにおけるものだけで、日本を除く全世界においてはむしろ高い評価を得ている会社だと言えます(私が入社した一番の理由がそれです)。

外資系証券会社各社に一斉に税務調査が入った際、複数の会社から多数の海外給与申告漏れが発覚することとなり、一罰百戒を意図して誰かをつるし首にする必要がありました。そして、当局の覚えが極端に悪いクレディ・スイスがターゲットにされたことは、過去の経緯を知る者にとっては何ら違和感がないものだと思います。そして、過少申告であった者の中で、単純に過少申告の金額が一番多かったのが私ということです。

私は国税局査察部の強制捜査を受けた後、15ヶ月も無実を主張し彼らと戦いましたが、結局昨年2月に刑事告発されました。私が納得できなかったのは、個人の脱税という余り社会的に意義も高くない事案で、国税局自ら「証拠はない」と認めながら、なぜ冤罪を作ってまで意固地に私を刑事告発しなければならなかったのかということでした。日刊ゲンダイの記事を書いた、当時テレ朝の記者であった田中周紀氏と告発直後に会うことになった際、私の言葉を聞いて、彼には私の無実を理解して頂いたと思いましたが、氏の言葉は「八田さん、残念ですが、いかに無実であったとしても、この後起訴、そして有罪は動かないと思いますよ。それが既定路線ですから」というものでした。その既定路線というのは、「外資系証券から多数海外給与の申告漏れが出ているが、これは全くけしからんので、誰か見せしめにしなければならない。それは品行がよくないクレディ・スイスからいけにえを出すべきで、故意・過失に関わらず金額が一番多い者が世間が納得する標的だ」というものです。

こうした論理は、部落差別のようなもので、全く下等かつ劣悪なものです。それに凝り固まった結果、強制捜査から14ヶ月もかけて告発、それから22ヶ月もかけて起訴というのが国家権力の出した答えです。誰も被害者がいない事件にかける労力としては異常なものです。もし、「税金徴収は国民の生活を支える基盤であり、それを脅かす行為は、国民全体が被害者といえるものだ」という議論があれば、私は前半部分は納得しますが、後半は全く首肯できないものです。なぜなら、ここまで国税局・検察が捜査にかけてきたコストは膨大なものであり、彼らこそが血税を浪費しているからです。

私はクレディ・スイスに在籍した当時の経験から、会社が今回の一件でいかに怯えているかが手に取るように分かります。誰の目にも彼らのコンプライアンス違反であるのは明らかなのに、それをネタに国税局に脅され、私を悪人にするために汲々として「捜査協力」しているのは本当に哀れです。私は告発後に、既にクレディ・スイスを退職した者と「会社は、在籍組に私には一切協力するなと言っている。彼らはどういう気持ちでいるんだろう」と尋ねたところ、「大多数の人間は迷惑に思ってますよ。八田さんのおかげでまたクレディ・スイスの汚名が繰り返されてるわけですから」と言われました。全くもってピントはずれなのは、もし私が正しく申告していたところで、次に金額が多い者がスケープゴートにされただけで、何も結果は変わらないのにということです。「俺だから会社に矛先を向けないで、そもそもの無法な行為を犯している国家権力に矛先を向けて戦ってるんだろ」という悔しい気持ちは彼らには届かないのだろうと思います。

一罰百戒が間違っているわけではありません。それは効率論から、あるべき行動でもあります。しかし、その効果を期待するには、その戒めるものがまず「一戒」であって初めて一罰百戒となるべきです。そしてその一戒が適切な法的手続きに基づかなければ、全く一罰百戒の効果は得られないものだと思います。

捜査権力のこうした恣意的な国家権力発動は公訴権の濫用というべきものです。彼らは間違った論理で無実の者を罪に陥れようとしています。これに関しては、私個人の問題という以上に、国民全ての利益を損ねるものだと強く抵抗したいと思っています。

今後ともご支援のほどよろしくお願いします。

12/16/2011

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2011/12/16 Fri. 09:06 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (73) 「起訴その後」 12/13/2011 

経過報告 (73) 「起訴その後」 12/13/2011

先日来、盛り上がりを見せているTwitterのフォロワーも500人を越え、現時点で546人となりました。

検察との取調べにおいてマスコミの関心度が高まる中で、私は再三「これは検察にとってもチャンスである。検察改革の成果を世に示すべきではないか」と彼らの引く勇気を喚起してきましたが、それも無駄に終わりました。国家権力の前では個人は無力に等しいものです。しかし、ペンは剣よりも強し。そして現代の我々にはソーシャル・ネットワークという武器があります。もし彼らが自ら変わる気がないのなら、我々で変えるしかありません。我々個人の人権は自ら守らなければならないということだと思います。「お上に任せとけば万事安泰」の平和ボケから目を覚ます時なのかもしれません。そのためにも是非、私のツイッター・フェイスブック・ブログの拡散をお願いします。行動の時です。

起訴を受けて、「なぜ逮捕されなかったのか不思議だ」と疑問を頂くことがあります。勿論、いかに否認していたとしても、あくまで「罪証隠滅、逃亡のおそれあり」ということを評価し、今回はそれに当たらなかった、これまでの否認=逮捕という人質司法の誹りを自ら正すものだとする評価もできないことではないと思います。また同時に、そしてそれ以上に可能性が高いのは、検察としては最後の最後まで不起訴の可能性を考えていたのだと思います。即ち、起訴は最終段階に決定したことであり、その時点ではさすがに逮捕するには期を逸したということだと思います。国税局との交渉に敗れたということです。私は、昨年2月の告発から長期間放置されていましたが、その間も検察は証拠を調べ、国税局と交渉をしていたと思います。それが完全ではないうちに検察が見切り発車で取調べを開始しなくてはならなかった事情があると考えています。それは、文藝春秋の笠間検事総長のインタビューを読み、数人の友人が彼は信頼できると直訴の手紙を送ったことによります。タイミング的に、一番最初の手紙は彼の目に触れた可能性があり、二番目以降のものはブロックされたのではないかと思います(経過報告33及び36)。いずれにせよ、逮捕の可能性は否認している以上、かなり高いものであり、私はその覚悟は常にしておりました。

嘆願書の内容では、多くの方が、私が脱税をしていない理由として「犯罪を犯してまで、そして親や子供を悲しませてまで経済利益を追求する奴ではない」あるいは「『ばれないと思っていた』とするのは余りに愚かに聞こえ、人物像と合わない。もっと賢明で思慮深いはず」ということを書いています。更に私は「私には合理的な動機がない」と加えさせてもらいたいと思います。

強盗や殺人といった犯罪と比して、経済犯の場合、動機というファクターは軽視される傾向があるようですが、常習犯ならいざ知らず、前科のない社会的地位のある人間が犯罪をするには、ある一定のバーを越える必要があると思っています。当然リターンは経済価値ですので、その経済価値がどれだけ重要であったかということだと思います。

「動機がない?だってお金が欲しいっていう動機あるんじゃないの?
「それでは自己申告をする人が全て脱税するのですか?」
「金額が違うよね。億だったらするかもよ」
「それは当時の私の年収相当分ですが、あなたは1年分の年収が得られるとして犯罪をしようと考えますか?私には金の卵を産むがちょうを殺してしまうような愚かな行為にしか見えませんが」
「絶対ばれないと思ってたらどうかなあ」
「脱税は所得そのものを隠して実現可能な犯罪だと思います。会社が税務当局に一言言えばばれてしまうようなことを『絶対ばれない』と思えますか?」

私は、借金に困っていたということも、ギャンブルや女性にお金をつぎ込んでいたということもなければ、また何か大きな買い物のためにお金が必要だったということもありません。負債といえるようなものは、毎月の目黒のマンションの家賃26万円と駐車場代くらいなものでしょうか。

当然、検察もそれらしい動機を作り上げなけらばならず、そのために証拠として提出すると思われるのが、私が作っていたエクセルのスプレッドシートです。私は、複数の銀行の口座や有価証券といった現金化可能な資産をスプレッドシートで一元管理していました。つまり彼らの意図は、いつも自分の資産状況を見てほくそえむ金に執着する人物像作りです。スプレッドシートに関する取調べでは、それをなぜ作っていたかと聞かれることはなく、「どのような頻度でアップデートしていたか」であるとか「何を契機としてアップデートしていたか」という、いわゆる証拠作りの取調べに終始しました。

私は子供の時からおばあちゃんっ子でしたが、その祖母が小渕首相が倒れた時とほぼ同時期に同じく脳梗塞で意識を失う重篤の状況となりました。そして彼女は結局意識を取り戻すことなく、完全植物人間の状態となってその3年後に死去しました。彼女が死に限りなく近づいた当時に、私も人間の死というものを強く意識するようになりました。私は持病は全くなく、健康そのものでしたが、事故死という可能性は常にあります。そして私が自分の死を意識した際、私が考えたことは「子孫に美田を残さず」でした。息子には悪いのですが、私が死ぬ際には最低限以上のものを残すことはないようにしようと思いました。遺言の書き方の本を読んだり、かかりつけの弁護士に遺言状・資産の管理の打診をしたこともありました。寿命を予期することは不可能ですが、準備はいつ始めても早すぎることはないでしょう。そのためにスプレッドシートを作り始めたものです。在職中には全く財テクには関心がなく保守的な運用しかしていなかったので、残高管理以上の大きな意味を持っていなかったスプレッドシートでした。今でも息子には、自分の道は自分で切り開き、経済的に自立した大人になるよう言い聞かせています。「俺は当てにすんな」と。どーも、まだ全然ぴんと来ていないようですが。高校生だと無理かなあ。

またツイッターで匿名に隠れて非難を受けることがあります。その一つが「外資系金融従事者は拝金主義」という主張です。その後には「だからお前の嘘は分かってるんだよ。もっとましな言い訳を考えろ」と続くのですが。私は、外資系金融に従事する者が金の亡者であるかのような議論には全く与しません。なぜならそうした人間は必ず淘汰されるからです。私は、ソロモン・ブラザース及びクレディ・スイスでは外国債券のトレーダーでしたが、クレディ・スイスでは外国債券営業部の部長を兼任し、ベア―・スターンズではトレーダーとしてではなく、その営業手腕を買われて債券営業共同部長として職に就いています。お客様も私たちが相応の給与を得ていることはご存知だと思います。そうした認識がある中で(逆差別と言ってもいいかもしれません)、信用を得るには下らない利己主義の人間は長続きはしません。イチローがメジャー・リーグで高給を得ているからといって、非難される必要はないはずです。野球の例をとるなら、日本球界に残ってそれを支えるもよし、より実力主義なメジャー・リーグで自分の実力を試すもよし、それは人生観の差です。外資系金融従事者を貶める「職業に貴賤がある」かのような下等な議論は唾棄すべきものとして、外資系金融従事者を代表して反論させて頂きます。

ということで、またまたつまんない経過報告を書いてしまいました。「漢字が多い!」「難しい言葉を使い過ぎ!」「長い!」とご批判を受けることもあるのですが、最後までお付き合いくださいありがとうございました。まだまだこんなもんじゃないですからね。覚悟しといて下さい。

P.S.
先日、西武池袋線痴漢冤罪小林事件の市民集会に参加した時の感想を加えさせて頂きます。話を聞きながら、「ふむふむ。俺も結構弁護士的な考え方ができるようになってきたかな」と思ったものです。例えば、痴漢犯罪者は被害女性の目の前に立って、後ろ手で膣に指を入れたとされています。普通、痴漢というのは(やったことがないのですが、想像するに)後ろからやるものだろうにです。そして後頭部しか見ていないので、顔からは小林さんが犯人かは分からないと被害者女性も捕まえた男性も主張しています。しかし、目の前に立っている男性が痴漢行為をしようとすれば体を密着してくるはずであり、後頭部しか見ていなくても、「髪の長さは?白髪はあったか?脂性?整髪料のにおいは?体臭は?」等々のイメージはあるはずです。つまり小林さんと誰かを取り違える可能性は低い。犯人を間違えることはない。そしてそれを(全く痴漢行為をすることが不可能である)小林さんであったと主張するのであれば、痴漢行為自体虚偽だったのではないかと思ってしまいます。女性とその捕まえた男性の関係は?女性に金銭的なトラブルや日頃から奇矯な行動はなかったか?と考えながら聞いていました。どうも痴漢行為が虚偽だという発想はあまり弁護団にはないように感じました。その可能性も検討の上、既に消去済みだったのかもしれませんが。

またその集会において布川事件の桜井昌司氏がお話しされました。彼とは「ショージとタカオ」の上映会で会って、握手をしてもらってからの再会でしたが、彼は覚えているはずはありません。彼の話の中で、「小林さんを実刑1年10ヶ月で収監される時に見送ったけれども、できるなら自分が代わりに入ってあげたいと思った」と言っておりました。いつもユーモアをもって話す彼の言葉を会場も冗談と受け取ったと思いますが、私は結構本気だろうなと思ったものです。同じ牢獄に入る場合でも、実際に犯した犯罪行為を償うために入る場合と冤罪で入る場合、そしてこの場合は、冤罪の救済者としてヒーローとして収監されるのであれば、全く心持は違うだろうということです。それだけ冤罪は辛いということを彼は知っているのだと思います。そして、今は私もその気持ちが少しは分かります。

12/13/2011


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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2011/12/13 Tue. 01:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (72) 「『検察なう』誕生の瞬間」 12/11/2011 

経過報告 (72) 「『検察なう』誕生の瞬間」 12/11/2011

異変に気付いたのは昨日腰越橋(鎌倉江の島近辺)の吉野家で昼食中にツイートした際、メールを開けると異様にフォロワーが増えていました。その後、友人から連絡をもらい、私のツイッターがネットでニュースとして取り上げられたのこと。添付のURLでその記事が見られます。タイトルは「『検察なう』取調べをツイッターで速報・元外資系証券マンの”奇計”に特捜部は苦虫」というものです。昨日からこれまでツイッターのフォロワーは一気に200人以上増えました。

ここをクリック→「検察なう」報道

加速度がついたのは江川紹子氏が記事をツイートした頃からです。彼女にはその後、ブログのリンクを送ったのですが、黒地に白字のテンプレートが見にくいと指摘され、彼女をフォローしてる私の友人からも「そうだ、そうだ」「前から見にくいと思ってた」等の非難が相次ぎ、ブログのテンプレートを変更した次第です。また「検察なう」を流行らせたいという野望を持つ複数の友人の強い勧めで、ツイッターに「検察なう」のハッシュタグを立てました。今後私のおバカなツイートを除く、本件及び司法・冤罪に関する私のツイートには「#検察なう」をつけます。

目指せエジプトとはいいませんが、社会の暗部にスポットライトを当てる、一つのムーブメントになればいいと思っています。

起訴を受けて、いくつか弁明・弁解させて下さい。

一つは「検察は結局、無実かそうでないかを決めかねて、真っ白とは言い切れない以上、起訴をして下駄を裁判所に預けた。だから起訴したといってもあなたを無実の罪に陥れようとしたのではないであろう」というコメントを頂きました。

それは絶対ありません。なぜなら検察はそうしたことができないからです。民事においては、主張の対立する二者の間で白黒の判定をすべく、確からしさのハードルは随分と低いものです(「証拠の優越」といって、判定が大差だろうが小差だろうが勝ち負けはつけるということです)。それに対し、刑事事件ではそのハードルは圧倒的に高く、「合理的な疑いを入れる余地がない」という基準に達していなければ起訴はできないません。理論的には被疑者が「真っ黒」であって初めて起訴が可能となります。「あれー、どうなのかなあ。もしかしたらやってないかもなあ」という疑いがある以上は起訴をしてはいけないというのが決まりです。

私の事件では客観的な直接証拠がなく、脱税をしていれば不合理な行動が多々あり、本来、合理的な疑いが入る余地は相当あります。だからこそ、それぞれ通常3ヶ月程度で処理されるはずの強制捜査から告発、告発から起訴において、国税局査察部は15ヶ月、検察特捜部は22ヶ月もかけて苦労して彼らの思うところの成果を達成しています。また裁判所というところは、新たな捜査はしません。証拠の評価だけです。検察の提出証拠と弁護側の証拠を並べて、どちらがもっともらしいかという判断をするのみです。そして歴史的には検察が99.9%勝ってきています。

また起訴後の報道を見て、「過失かもしれんが、少なくともその過失の部分に関しては反省すべきだ。全く反省が見られない以上同情の余地なし」とするコメントも頂きました。

私がファイティング・ポーズを取っているのは、あくまで事実とは異なる故意の部分のみです。3年前に強制捜査を受けた際、朝8時に捜査官が踏み込み、その後身柄を(私はたまたま実家の金沢にいましたので)地元の税務署に移され、最終的に家に帰れたのは夜中の2時過ぎでした。そこで取られた調書の最後に私が要求し、私の言葉で書いてもらったものが「(過少申告に関する)反省の弁」です。担当官は嫌がりましたが、私の執拗な要求に上官がいいだろうと許可してくれたものです。

過少申告に関しては、過少申告加算税及び延滞税を合わせて速やかに修正申告するべく申し出ています(実際には、なかなか修正申告が認められなかったので、予定納税という形で先に納付しています)。その後も、過少申告に関しては私の過失であることで全く争うことはありませんでした。

いわれなき故意の脱税に関しても、3年1ヶ月に亘り、のべ250時間以上の取調べに、その度カナダから帰国し、誠実に対応してきました。査察部の取調べでは、私が過少申告に関し、余りに素直に謝るものですから、「初めから知っていたのだろう」と責められたくらいです。この経過報告をこれまで読んでくれた方にはそういう風に思う人はいないでしょうが、その言葉が嘆願書を書いてくれなかった私の友人からのものであると聞いて、残念に思った次第です。

世に知られれば、それだけ非難も多くなってきますが、それはそれでよいことだと思っています。弁明のチャンスだからです。無視されるよりよっぽどましです。

嘆願書を頼む際に、元部下から「八田さんは卑怯だ」と誹りを受けたことがあります。彼の言い分は「八田さんは長く外資系に従事してきて、この税務調査対象期間前にもらって時効になっている株式があるはずだ。それを全て自ら納税し、また多くの無申告の元同僚・部下に、同じように税務調査対象期間以前の過少申告分の納付を促して、初めて自分の身の潔白を主張できるんじゃないですか」というものでした。真面目な奴です。

私がメールで返信したのは、「ごめん、お前の気持ちは分かるけど、俺もらってないし。前に14年いたソロモンは従業員に株式等海外給与を付与する給与プログラムじゃなかったし、クレディにいた6年の最後の3年間だけ株をもらったんだけど、税務調査対象期間の3年がどんぴしゃその3年だから」。彼の指摘通り外資系金融に長く従事していて、業界に一斉に調査に入ったそれ以前に海外給与を多額過少申告していた人もいるのでしょう。ただ私はそうではなかったので、むしろやましいところが全くなくよかったと思ってます。

今はマラソンのスタート前のウォーミングアップ中のような気分です。実際、走りだしたら無我夢中なんでしょうが、今は応援の声援に「おう、頑張るよ」と答えている状況です。競争相手は負け知らずのケン・サツ(なに人?)。頑張ります。

12/11/2011


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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2011/12/10 Sat. 19:37 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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経過報告 (71) 「起訴状交付送達」  12/10/2011 

経過報告 (71) 「起訴状交付送達」 12/10/2011

今朝は氷雨の中、起訴状を受け取りに東京地検に出向きました。通常、起訴状というのは住居地に送られてくるそうで、私のように裁判所に出向く「交付送達」というのは珍しいそうです。弁護士いわく「住居地が海外かつ無職で、完全否認を貫きながら、よく逮捕されませんでしたね」だそうです。「そんなもんですか」「そうですよ。日本に居住がないと、住所不定みたいなもので、簡単に『逃亡の恐れあり』と裁判所は認定しますから」「ふーん」。寒い中多くの報道陣の方が取材に来られ、地検本庁前で30分ほど話をすることができました。

先日来、私を心配する数人の方から「性善説は取らない方が精神的ダメージは少ない」とのアドバイスを頂いています。それでもできないんですね。いまだに国税局査察官や特捜部検事の彼ら個人には余り怒りや恨みといった感情は起こりません。むしろ「仕事とはいえ、良心をすり減らして大変だな」と思ってしまいます。今日も弁護士に私が言ったのは、「司法試験を受かった人の中で、弁護士志望、裁判官志望、検事志望では、検事志望が一番『正義感バロメーター』は高いんじゃないんですか?彼らだって冤罪を作りたくて作ってるわけじゃないですよね」です。前から主張していることですが、冤罪の問題は組織の問題、システムの問題です。私の気持ちは「罪を憎んで人を憎まず」と言ったところでしょうか。TVの報道のテロップで「覚悟はしていたが残念です」というものが放映されました。それは間違っているわけではないのですが「うーん、検察の正義を最後まで信じてたと言いながら、覚悟というのはいただけないな」と感じました。結局のところ、それは裏切られたので最初から全く信じてない方がよかったのかもしれませんが。裁判所には大いに期待してます。甘いんですかね。

夕方からは新宿で西武池袋線痴漢冤罪小林事件の支援集会に参加しました。そこでうれしいサプライズがありました。私が参加することを聞いて、高校の後輩が高校卒業以来30年ぶりに顔を見せに集会に立ち寄ってくれたことです。集会が終わってから声を掛けられ驚きました。その後、忘年会があるとのことでわずかの時間の立ち話でしたが、生きてるといいことあるなと思った瞬間でした。

支援集会では弁護団のうち弁護士6人が経緯説明をしてくれました。ネットで知っていたこと以上に詳しく説明がされましたが、「なぜこれが有罪?」というひどいものでした。現在、冤罪被害者の小林さんは重篤の膠原病全身強皮症を患いながら服役中です。一刻も早く仮釈放、そして再審が開始されることを願っています。

私は、国税局、検察と2ストライクを取られ、カウント的には追い込まれていますが、状況には悲観していません。それは時間を味方につけているからです。相場の格言にThe first loss is the best loss.というものがあります。日本で言えば「損切りは早く」というものです。下手な投資家ほど自分の損失を確定できず、損がどんどん膨らんでいくものです。国税局や検察を見ていると、まさにど下手な投資家を見ているようです。私の最大損失は当初から確定しています。「前科+重加算税・罰金+社会的信用の喪失+再就職の機会の損失」です。これは3年前に全て諦めて、冤罪を自ら認めても、今この時点でも全く変わりはありませんが、私の主張を聞いてくれる人は時間と共に増えています。それと符合して、逆に、国税局・検察に対する国民の信頼は時間と共に減っていきます。今後、公判でも持久戦をじっくり戦おうと思っています。

検察はそれこそ膨大な資料を隅から隅まで調べ、何とかグレーらしき証拠をようやく見つけて起訴にこぎつけた模様ですが、その膨大な資料の量からすると、根拠の証明力の脆弱さは明白だと思います。公判では、その異常さを浮き彫りにすべく公判前整理手続を取る予定です。公判前整理手続とは、裁判官、検察官、弁護人が初公判前に協議し、証拠や争点を絞り込んで審理計画を立てるというものです。普通の裁判ですと、初公判で3者が初顔合わせとなりますが、公判前整理手続では、初公判の前にみんなで予習をしようというものです。この最大のメリットは、事前に検察の証明予定事実を知ることができ、全ての証拠を開示させることができることです。検察が証拠を捏造することは間違っていると誰もが理解できますが、検察は手持ちの証拠のうち、被疑者に有利なものは裁判に提出する義務はなく、「不見当(文字通り見当たらないの意味)」と言って提出しないということが許されています。強大な権力を持って捜査し、一番真実に近い捜査機関が被疑者に不利な証拠だけを抽出すること=証拠の隠蔽は、証拠捏造と五十歩百歩のように思えるのですが、それが一応のルールなんだそうです。これは「当事者主義」というものらしいのですが、一般人の感覚からは全く理解不能です。とにかく、検察の証拠隠蔽に対抗すべく、公判前整理手続を行う予定です。これにより、初公判までは相当時間がかかると思われます。早くて来年春かなー、って感じです。

冤罪と戦うには、知力・気力・体力、それに経済力が必要です。「検察から資料開示があった場合、検察でコピーしなければなりませんが、コピー代は1枚40円ですので、数十万かかるかもしれません」「えー!?それって独禁法違反でしょ」「一応、検察の外郭団体が2社入っていますが、カルテル結んでるでしょうね」「先生、それ公取委員会に報告して下さい!」。くーっ、辛いですが使命と思って頑張ります。「俺がやらねば誰がやる」と気合入れています。

先は長いのですが、ぼちぼちお付き合いください。

12/10/2011


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category: 訴訟記録等

2011/12/09 Fri. 09:03 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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経過報告 (70) 「ポリグラフテスト要請書」 12/08/2011 

経過報告 (70) 「ポリグラフテスト要請書」 12/08/2011

多くの方にご心配をおかけしているようで心苦しく思います。

やはりTVの影響は大きいようで、報道を見た友人多数から「眉間のしわが深~い」「髪が乱れすぎちゃう?」「顔がむくんでる」「(動画の静止画像が)梅干し口ってどうなの」「老けた?」等々の指摘がありますが、容姿に関するご指摘は全てスル―させて頂きます。

添付のファイルは、検察がポリグラフテストを忌避していることへの弁護士からの抗議書(要請書)です。結局私が嘘をついていると検察は主張しているわけですから、それを科学的に実証するべきポリグラフテストを彼らがしたくないということは全く納得がいきません。私のポリグラフテストの要求は検面調書となっています。また起訴前に弁護士からも口頭でも要求していますが、その時点での返答は「機械がないから」という理由で、結局ポリグラフテストはなされることなく起訴されてしまいました。彼らの言い分は、冤罪被害者が再審請求の際に証拠開示を拒む理由同様「公判に影響しない。必要ない」というものでしょうが、もしそうであるなら正々堂々とこちらの要求を受け入れるべきだと思うのですがいかがでしょうか。

明日起訴状を受け取りに行くます。その後日以降のスケジュールは未定ですが、初公判までは相当に時間がかかるものと思っています。争点は非常にシンプルですが、重箱の隅をつく検察の証拠の評価には、弁護側も裁判所も相当に時間が必要だと思われます。

今回の起訴で分かったことは、結局検察は自浄作用がないということに尽きるのではないかと思っています。勿論、本来自浄作用があれば郵便不正事件は起こらなかったわけですが、その後も同じ過ちを繰り返していることには同情の余地はありません。鎖国状態の日本を開国させるには外圧が必要であったように、彼らに改革を求めるのは国民の監視、警告が常に必要であるということだと思います。そこで皆さんにお願いがあるのは、是非この事件の拡散をお願いします。私は、起訴をされたことに全く恥じることはありません。恥じることをしていないからです。検察が「起訴してナンボ。起訴をするのが我々の仕事」という姿勢であるのは、私個人にとってのみ忌々しき問題ではありません。これは皆さまを含めた国民全てにとって不利益、悲しむべき事柄です。アンフェアなプレイにはブーイングが絶対に必要です。私はフェイスブック、ツイッター、ブログをやっていますので、是非拡散して下さい。そしてその際には、嘆願書を頼んだ時と同じく私を弁護する必要は全くありません。当事者の主張を淡々と伝えて頂ければ結構です。是非ともよろしくお願いします。

何度も繰り返すことですが、冤罪の問題は社会のシステムの問題だと思っています。検事もその職に就いた時に、冤罪を作ろうと思ってなった人は一人もいないはずです。ですから彼ら個人を糾弾することは全くナンセンスです。彼らの良心をすり減らす組織の在りようを我々は糾弾すべきなのです。私はその先鋒に立つ気概ですが、皆さまには是非とも後ろ盾になって頂ければと思います。

明日は朝9時に内幸町の弁護士事務所に寄ってから、弁護士と共に10時に指定されている検察庁本庁での起訴状の受け取りの手続きに向かいます。9時半には現地に着く予定です(記者の方から確認がありましたが、日比谷公園側の入り口です)。そして夕方6時半からは新宿農協会館で行われる西武池袋線痴漢冤罪小林事件の市民集会に参加する予定です。

引き続きご支援のほどよろしくお願いします。

ここをクリック→ポリグラフ要請書

12/08/2011




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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2011/12/08 Thu. 07:07 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (69) 「本日、検察により起訴されました」  12/08/2011 

経過報告 (69) 「本日、検察により起訴されました」 12/08/2011

ニュースで既に報道されていますので、ご存知の方も多いとは思いますが、本日、検察により起訴されました。

先週末以降、覚悟はしていましたが、やはり残念です。一番、残念なのは、なぜ検察が検察改革の成果を示すこの好機を生かせなかったのかということです。我々が検察批判をすることは簡単です。しかし、それは自分で自分の首を絞めることだと思います。彼らが正しくなければ、我々国民の全てが不幸になるからです。

私の事件は、郵便不正事件という検察組織史上最大のスキャンダル以前に告発され、以後に取調べが行われています。告発の段階で検察が全て了承済みであるのは周知の事実ですが、それは検察改革を推進する以前の「制度疲労した検察」であり、今この時は検察官記章の表象するところの「検察たる検察」となろうとしていると期待していました。検察の理念でも「あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは、事案の真相に見合った、国民の良識にかなう、相応の処分、相応の科刑の実現である。」と謳っています。それを自ら否定するかのような私の起訴は、本当に残念としかいいようがありません。

「証拠があれば起訴をする。証拠がなければ起訴をしない」と検察は明言していますが、それは正しいことなのでしょうか。いかにも「法と証拠に基づく」客観的な判断であるかのように聞こえますが、私は、それは間違っていると思います。検察は、その強大な権力と優秀な能力をもってして、真実に一番近い存在です。私の事件に関しても、私本人が認めるのは、私よりも事件のことを理解しています。つまり彼らは私の無実を誰よりも深く理解しています。その彼らが、「テクニカルに起訴できるから起訴をする」といった、起訴をするのが我々の仕事といった姿勢は、日本の司法制度の崩壊を招くものだと思います。検察は、真実を追求し、断罪すべき行為があったかどうかを斟酌すべきです。彼らはそれができます。それは取調べを受けた私は真に実感しています。その強大な権力と優秀な能力が誤った方向に使われていることが残念でなりません。

日本人は勤勉であり、優秀な民族だと、海外の経験を通して感じています。しかし、その能力が活用されていないのは悲しいことです。つまらん面子や体面にこだわっている場合ではないだろ、と思うことが頻繁にあります。今回の一件はその最たるものではないかと思います。私は、「などてすめらぎは人となりたまいし」と唱える程の国粋主義者でもなければ、日本という国家に幻想は抱いていませんが、彼が割腹自殺を遂げた当時よりさらに有識者は憂国論を論ずるタイミングなのかもしれません。少なくとも検察という法治国家の基幹組織が変わるチャンスは最初で最後だと思います。

今日は、3時過ぎに検察から連絡を受けた弁護士から電話をもらい、起訴されたことを知りました。思ったほど動揺はありませんでした。その後、実家に電話し、電話に出たお袋に「起訴されたよ。報道されるだろうから、驚かないで」と伝えました。

お袋「そうなん。ほんでいつ入らないかんがや」 私「入らんでいいわいや」 お袋 「ほうなんか。なんやほやったら一安心やな。よかった。あんまり喜んで浮かれんように」 私「............」。

その電話の時には外出していた親父から後ほど電話があり、親父「おー、聞いたわ。しゃーないんかな。在宅にはならんもんなんかな」 私「何ゆうとれんて。在宅やて」 親父「ほんなんか。そりゃよかったな。裁判っちゅうことになったら忙しいやろうけど、こっちにも顔出してくれな」。全く和ませてくれる二人です。よほど逮捕が怖かったんでしょう。人質司法というのは本当に卑劣な行為だと改めて感じました。

今回は、国税局の告発から100%起訴という常識は崩せませんでしたが、否認すれば逮捕という常識を崩したことは自分なりに喜んでいます。そして残るは、裁判所は検察特捜部の起訴は全て丸飲みし有罪という常識に挑戦です。

私は海外給与に関して、「海外だから払わなくていいであるとか、株式だから払わなくていいとは思ってはいませんでした。その納税義務は当然あると思っていたし、自分では払っていたつもりでした。なぜそう思ったかというのは給与天引きだと思っていたからです」と言った時、私を知らない人は「本当にそうなのか。嘘をついているんではないか」と思うことは十分にあると思います。だからこそ、私は自らの身の潔白を証明すべく、検察にポリグラフテストを要求しています。それを「機械がないから」という全く情けない理由で拒絶することはどのように考えればいいのでしょうか。警察には必ずポリグラフ測定器はあり、検察が警察の装備を利用できないわけはないはずです。それだけをもってしても、検察は私の無実を知りながら、体面、しかもそれは検察のそれではなく、国税局の体面を保つために起訴したことは明らかだと思います。

9日金曜日10時に、霞が関の検察庁本庁に出向き、事務官の取計らいで起訴状を受け取ることになっています。

公判はまだまだ先で、さらに長時間かかることだと思いますが、突っ込みどころ満載の起訴を標的に、かなり面白い戦いができるのではないかと思っています。諦めの悪さは昔から変わっていません。しぶとく粘っていこうと思っています。皆さまには長期間に亘り援助して頂き、本当に感謝しています。また応援メッセージもとても勇気づけられます。返信しようとすると、かなりヘビーな気持ちになってしまい、なかなか個別に返事できずに申し訳ありませんが、それに懲りずまたメッセージをお願いします。今後ともよろしくお願いします。

12/08/2011


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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/07 Wed. 08:06 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (68) 「検察取調べ第十九回 (最終回)」 12/06/2011 

経過報告 (68) 「検察取調べ第十九回 (最終回)」 12/06/2011

相場の予想や勝負事で予想が当たることはうれしいのですが、今回の予想的中は残念な結果です。

どうやらやはり起訴ということになりそうです。今日は午前10時からの呼び出しでしたが、ものの10分もしないうちに終了。起訴状の送付先の確認だけで終わりました。昨日、人定質問がされたとお伝えしましたが、その際、日本での住居が鎌倉が主たるものであるものの(住所地はカナダバンクーバー)、郵便物が全て金沢の実家に転送されるため、受け取りが困難であると判断されたようです。そして、今日は「この時点では仮にですが、起訴状が発送される場合、受け取りを裁判所留めにして取りに行くことはできますか」「はい、できます」で終わりでした。ただその確認のために呼び出されたものです。そして、「これで取調べは全て終了です。これから先に関しては、弁護士の方に連絡が上の者から行くと思います」とのことでした。

起訴の論拠としては以前にご説明したストックオプション行使の指示書に関してだと思います。

ここをクリック→経過報告 (62) 「検察取調べ第十七回 ストック・オプション行使指示書」

私が身の潔白を証明しようと要求したポリグラフテストは、「機械がない」という全くナンセンスな理由で行われない模様です。最近の冤罪と思われる重大事件の再審請求での証拠開示請求に「必要なし」と切って捨てるのと同じ論理なのでしょう。これに関しては不当であると主張するつもりです。

昨日もわずか1時間半で終了したにもかかわらず、なぜ今日その確認のためだけに呼び出されなければならなかったのかと私の問いに、検事の答えは「手続き上必要だったからです」とのことでした。私はその意味を解さなかったのですが、弁護士の理解では、昨日逮捕令状を用意する必要があったのだろう、とのことでした。そして、今日私が起訴状の日本国内での受け取りを忌避するようなことがあれば(彼らは海外への送付や、弁護士といった代理人への送付はしないとのことです)、その場で逮捕ということだったのだと思います。広義の「逃亡の懼れあり」という人質司法の発現です。これに関しては、全く予期していませんでしたが、逮捕除けのお守りとして毎回持参していたお袋の座布団の効果があったのだと思っています。

まだこの段階では、「起訴する」と明言されているわけではありませんが、不起訴であれば起訴状の送付先の確認の必要があるわけもなく、起訴と考えるのが順当でしょう。非常に残念ですが。

言葉にすると軽く聞こえるかもしれませんが、本当にがっかりしています(「それくらい分かるよ」だったら申し訳ありません)。がっかりしている理由の一つは、私は本当に検察が正しくなければ日本の司法は機能しないと思っているからです。そしてそれがあっさりと否定されたということによります。正直「やっぱりそうなのか」という気持ちの反面、「検察改革が謳われる中、変わったと思ったのに」と期待を裏切られたということが大きいと言えます。彼らは本当に優秀です。そしてその優秀な組織が、強大な権力を持っているがゆえに、誤った目的意識を持った時程我々にとって恐ろしいことはありません。

またそれと同じくらいがっかりしているのは、私ですら冤罪のシステムの歯止めになることができなかったということです。検察の引く勇気を喚起する努力はしてきたつもりですが、力及ばずといったところです。捨て石になる覚悟はありましたが、それでももう少し結果を出したかった。諦めずに努力すれば冤罪を防ぐことができるということが言えなくなったというのは誠に残念です。国家権力には、どんな真実も捻じ曲げられてしまうという前例を一つ増やしてしまっただけということには忸怩たる思いです。

ここまで時間がかかったというのは、やはり検察にも無辜の人間を無実の罪に陥れていいのかという逡巡があったのだと思います。そしてそれは皆さまの嘆願書が大きな力になっていると思います。それを生かし切れなかったことは本当に申し訳ありません。

郵便不正事件では、担当検事やその上司の元特捜部長・副部長の「とかげのしっぽ切り」による事件の矮小化で検察組織の保身が図られていますが、実際起こっていることはむしろ逆なのだと思います。今回事件を担当した担当検事や事務官、あるいはその上司の主任検事も、組織の論理の犠牲になったのだと思っています。良心を殺して生きていくのは辛いことです。少なくとも私は、良心に従って生きていくことができ幸せだと思っています。もし最終的に犯罪者のレッテルを貼られても顔を上げて歩いて行きます。

この後公判となり、かなり厳しい戦いですが、勿論チャンスはあります。最終的な決着が付くのはあと2年くらいなものでしょうか。今後も伴走お願いします。

12/06/2011



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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/06 Tue. 07:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (67) 「検察取調べ第十八回 起訴を覚悟」 12/05/2011 

経過報告 (67) 「検察取調べ第十八回 起訴を覚悟」 12/05/2011

先週起訴を覚悟した理由には、自分の取調べが今日あることを知らされたことのほかに、依然関係者の取調べが続けられていることを知ったこともあります。伝え聞いたところでは、先週金曜に私の確定申告を担当した会計・税理士の先生が再々再度取調べを受けています。さすがに私のショックは大きく、この週末は気持ちの立て直しに努めました。結局、検察に正義があると期待した自分が甘かった、と自戒することで回復することができました。

今日の取調べは午後1時半からでしたが、久しぶりということもあり、報道陣総出の状況でした。国税局・検察によるこの3年の取調べの間に知り合いになった顔なじみの記者の顔も多く、彼らの顔を見ると一段とテンションが上がりました。検察の取調べが開始した9月にTVでインタビューが報道された際、「顔がこわい」と見ていた友人に指摘されたこともあり、なるべく戦闘モードを表情に出さないように気をつけていますが、今日は気落ちからのリカバリーで気合が乗っていたので、少し顔がこわかったかもしれません。

取調べの冒頭、起訴をするであろう検察に言いたいことは言っておこうと、用意していたコメントを調書の冒頭に記録してもらいました。以下がその文章です(記憶していたため、ほぼこの文章通り、検面調書化しています)。

「9月の取り調べ開始の際に、取り調べ完了の時点に関し、XX検事は『10月に入るくらいは覚悟して下さい』と言われました。そして既に暦は12月に入っています。これは、卓越した特捜部の捜査力をもってしても、無実の事実から有罪の証拠を造り出すことは困難な証しだと思っています。

私はこの3年と1ヶ月の間、逃げ隠れすることなく、包み隠すことなく、国税局査察部、検察特捜部の捜査に協力してまいりました。私は、これまでの捜査で十分に私の無実は実証可能だと信じています。私は、捜査の協力をお約束した以上、最後まで誠意をもって協力させていただくつもりですが、合理的な疑いを入れるに足る十二分な間接証拠が山積しているにも関わらず、依然起訴の可能性を求めて些末な事実を拾い集める取り調べは、検察の理念にもとるものと危惧しています。検察の仕事は、被疑者を起訴することではありません。

刑事事件の異常に高い有罪率を鑑みるに、日本の司法制度においては、検察の取り調べそのものが第一審の白州であり、そこで公正な判断がなされなければ、それは日本の司法制度の根底を揺るがすものです。検事一人一人におかれましては、法曹の道に就かれた初心を忘ることなく、秋霜烈日の気概をもって事に当たってほしいと、国民の一人として切に願うものです。

最後に、客観証拠がない中で推定有罪を主張されることを避けるため、ポリグラフテストを要求します」

このコメントに対して、検事のリアクションが余りにもなさ過ぎたため、「もうこの事案は担当検事の手を離れて、方針は決まったな」と感じました。そしてその後の取調べも、肝心の株式取得時の故意の認定とは程遠い間接事実の確認がされ、更になんとこのタイミングで人定質問(本来は取調べの一番最初にされるものですが、私のケースでは、異例なことに第一回目の取調べから、直ちに調書作成の取調べが行われました)です。人定質問とは、「住所・本籍地は」から始まり「勲章を受けたことはありますか」とか「公務員になったことはありますか」というものもあります。

完全に肩透かしの状態で今日の取調べは3時に終了。しかし明日も取調べが継続です。朝10時からです。

ポリグラフテストを検察が受けてくれるかどうかは分かりませんが、ここまできたらやってみたい気がします。ビビりなので、機械を騙せる気は全くありませんが、今回は騙す必要がないので、やってくれるのであれば結構楽しめそうです。弁護士は研修で受けたらしく、「結構正確なもんです」と言っていましたが、一般人ではなかなかポリグラフを受けることはないので、話のタネにも是非やってほしいものです。

今日の相手方のジャブは顔をなでた程度でしたが、明日腰を入れたパンチを放ってくるであろうとガードはがっちり固めて臨みます。

P.S.
以前お伝えした、福井女子中学生殺人事件で、高裁の再審決定に対し、本日検察が異議申立をしました。全く検察というところは判断能力を喪失しているかのように、自分の誤りを認めようとしないということがまた繰り返されています。世の中に絶対正しいということはありませんが、正しくいようとすることはできます。そしてそれは自らの誤りを認めそれを修正することによって可能です。自らの誤りを認めようとしない検察が正しくあることは絶対にありえません。優秀な彼らがなぜそのことに気が付かないのか、あるいは気が付いていてもどうしようもないくらい組織が硬直化しているのか。検察がこのような状態であることは、国民全てにとって悲劇です。検察改革が進むよう、監視し、警告し続ける必要があります。

12/05/2011




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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/05 Mon. 06:12 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (66) 「取調べ前日の心境」 12/4/2011 

経過報告 (66) 「取調べ前日の心境」 12/4/2011

明日は再度取調べです。

多くの人から励ましのメッセージを頂き、本当にうれしく思います。本来であれば一通一通に個別にお返事をするべきなのでしょうが、あまりにヘビーな心境で、経過報告で失礼させて頂きます。個別にメッセージを頂くのはとてもうれしいので、それに応えたいという気持ちはあるのですが、なかなか返事をすることができません。本当に申し訳ありません。

前回の経過報告で「冷静に判断」というのはこういうことです。

検察という組織は、ある特定の行動に関しては異常なほど意固地になります。それは「自らの誤りを正す」ということに関してです。福井女子中学生殺人事件で、再審開始決定が高裁でなされたことに、検察は異議申立をしようとしています。東電OL殺人事件では、検察はこの期に及んで、必要であるかどうかは彼らが判断することではないにも関わらず、情報の開示を「必要なし」と拒否しています。それらに共通する行動原理は、自らの誤りを正す気は更々ないということです。

私の事案で、国税局が告発をする際には、当然検察に告発をすれば起訴するかどうかの伺いを立てています。即ち、検察が起訴をするということが前提としてあるからこそ、国税局は告発したわけです。

また週刊現代の記事に書かれたように、検察は「証拠があれば起訴をするし、証拠がなければ起訴をしない」と言っています。いかにも公正な判断をするというように聞こえますが、その意味するところは、「事の真実は問題ではなく、起訴ができるものは何が何でも起訴する。どうやり繰りしても起訴できないものだけが、仕方なく不起訴にする」ということです。私の担当検事は、「うちの会社はそんなケチな会社じゃない」(検事は検察のことを「会社」と呼びます)と大見得を切りましたが、それはあくまで彼個人の希望的観測であり、国税局が「告発してナンボ」であったように、組織としては検察も「起訴してナンボ」というケチな組織であるというのが私の見切りです。

状況は、郵便不正事件を境に変わりました。しかし変わったのは、検察に対する外部の見方であり、結局、彼らは検察改革の掛け声も虚しく、何も変わっていないというのが現状だと思います。

状況をそのように理解すれば、私の起訴は、結局のところ当初の既定路線通りされるであろうということが予想されます。

今、大谷昭宏氏著の「冤罪の恐怖 人生を狂わせる『でっちあげ』のカラクリ」という本を読んでいますが、その一節に以下のように書かれています。

「私は取材でたくさんの検事に会ってきたが、彼らに共通して見られる特徴は、よく言えば正義感の強さであり、悪く言えば独善的である。

(中略)検事は初めから法律家として育成される。彼らが重んじるのは、あくまで『法と証拠』であり、もちろんそれは大切なことだが、仕事を通じて『街場の論理』にふれることはあまりない。そのため、正義感が肥大しがちで、ややもすれば、自分だけが正しいという独善に陥りやすい」

全くその通りだと思います。

日本の司法制度において、検察は強大な権力を与えられています。検察が正しければそれは非常にうまく機能します。しかし権力というのはチェックアンドバランスの構造を失った時から腐敗します。人間の性(さが)です。そして検察はここで大きな反省の機会を与えられ、検察の理念を標榜しながら、それが組織全体として骨身にしみるところまで至ってないというものが現状だと思います。

私が起訴を覚悟したからといって諦めたというように思うのは間違いです。公判で「完膚なきまで」(これは「ショージとタカオ」で杉山卓男氏が使った言葉です。この映画は本当にお勧めです。映画好きの私が言うのですから間違いありません)検察を叩きのめす所存です。

また明日の取調べの後、報告させて頂きます。ありがとうございます。

12/04/2011




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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/04 Sun. 06:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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経過報告 (65) 「取調べ再開の悪夢」 12/02/2011 

経過報告 (65) 「取調べ再開の悪夢」 12/02/2011

信じられないことにまた取調べです。来週月曜1時半、特捜部五反田分室です。

この異常な執念は、日本の歪んだ組織構造の怨念のようなものなのでしょうか。

論点は実にシンプルです。「わざとやったかどうか」の1点だけです。それだけのことに、もう3年と1ヶ月が費やされています。

以前から述べているように、検察特捜部の捜査能力には目を見はるものがあります。彼らは、確実に私以上に事件を理解しています。そして私の無実が真実である以上、彼らはそのことを理解しています。その上で、依然起訴に向けて更なる取調べを続けようとしています。

国税局査察部、検察特捜部をもってしても、3年以上の時間がかかるというのは、虚偽の事実をもっともらしいものにすることがいかに困難かということを示しています。私が実際に脱税をしていたというのであれば、彼らの捜査を通して、もっと早くに決着が当然付いていたことでしょう。

先程、弁護士から電話をもらうまで、正直なところ「特捜部もさすがにもう納得して諦めたであろう」と思っていました。不起訴だと信じていました。しかし、状況を冷静に判断すると、起訴の可能性が高いと思っています。

明らかに冤罪だと思われる事件において、これまでも検察・裁判所によって幾度となく人権が踏みにじられてきた事実を知りました。そしてそれが自分の身にも振りかかろうとしているのだと思います。

社会的に意義が高いとも思われない、個人の脱税事件にこれだけの時間と人員と税金を投入することからうかがい知れるのは、よほど国税局は検察が起訴をしてくれないと困るのでしょう。その政治的な圧力ゆえに、本来ありえない、あってはならない起訴があるのではと思います。

非常に残念ですが、現実とはいつも厳しいものなのでしょう。

それでもこの試練には耐えて乗り越えなければいけないと思っています。

いつも応援ありがとうございます。また連絡します。

12/02/2011


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category: 地検特捜部との死闘実況

2011/12/01 Thu. 21:10 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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