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「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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ブック・レビュー 『勇気ってなんだろう』 江川紹子著 

ブック・レビュー 『勇気ってなんだろう』 江川紹子著

勇気って何だろう

青少年向けだが、大人でも十分読めるもの。それはテーマが人間の真理だから。

ここに紹介された人の生き方や考え方を通して、勇気とは何かを問う。

私は、特に「『命』にこだわって」と題されたイラクでのボランティア活動家、高遠菜穂子さんのものが興味深かった。

「彼女に勇気について尋ねたところ、このような答えが返ってきました。『なんだろう.....結局は、自分の信じたことにこだわることではないかな。周りの同意を得られないと、自分が傷つくのが怖くて、だんだん発言しなくなったりしますよね。そんな時には自分の一番大事な価値にこだわる。私は、命にこだわると決めたので、選択に困った時には、そのベースに帰って考えるんです。』」

勇気をもって生きることは皆誰しも必要なのではないでしょうか。


ここをクリック→ブクレコ 『勇気ってなんだろう』

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category: ブック・レビュー

2012/03/31 Sat. 13:15 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (117) 「へ理屈には理屈で対抗」 3/31/2012 

#検察なう (117) 「へ理屈には理屈で対抗」 3/31/2012

検察の主張は、初公判の彼らの冒頭陳述で述べられています。

初公判の報道を見てみましょう。

ここをクリック→初公判の報道

この報道にもあるように、検察の主張は煎じつめると、「会社の指導は個人の別途申告・納税義務を知らしめるに十分であった」というものです。

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件では、約300人の税務調査対象者のほとんどが修正申告となり、そのうち約100人は私と同じく無申告です。その状況を「会社の指導は十分だった」というのは、検察のへ理屈以外の何物でもないのですが、検察はそのへ理屈を裏付けようと、会社の書類をひっくり返して、重箱の隅をつつくように、税務に関する記述を集めて証拠請求しています。

私は、「仕事が忙しく、そのような英文の書類を隅々まで読んでいなかったし、その必要すら感じなかった」と主張しています。それだけ聞くと、「読んだだろ」「読んでない」という水掛け論のように聞こえるかもしれません。

水掛け論であれば、「推定無罪の原則」がある限り、有罪に問えるはずはありませんが、それでは話が面白くないので、もう少しつぶさに検証してみます。

検察の主張はへ理屈にしか過ぎませんが、そのへ理屈に理屈で対抗してみました。

会社の文書にある、株式報酬の税務に関する文章を参照してみましょう。
“Please note that whilst there are no employer individual tax reporting or withholding requirements on the delivery of these shares.”

この英文を和訳せよという英文和訳の問題に、「あなたは個人の責任で確定申告し、納税しなければいけない」と解答して、正解とされるのでしょうか。
「会社には税務申請及び源泉徴収の義務はない」というのが本来の訳です。

これは
“It does not have to be that the weather will be fine tomorrow.”(明日が晴れるとは限らない)の訳を
「明日は傘を持って外出しなさい」とするようなものです。

検察の理解は彼らにとって都合のいい「超訳」です。

「源泉徴収の義務はない」は、「会社は源泉徴収をしていない」とも「あなたが自ら申告・納税しなくてはならない」ともイコールではないということです。

国税局の取調べでは先の文章を「読んだ」「読まない」という不毛なやり取りを、複数回に分けてたっぷり数時間費やしています。さすがに検察では、私の主張に変遷はないだろうと思ったのか、そうした問いつめはありませんでしたが、国税局でも検察でも、「読んでないとご主張なさるのは分かりました。それでは仮定で結構ですから(あるいは、『今読んだとして』という表現も使っていました)、どういう意味になるのですか」と聞かれています。そして、「その文章を理解したとしても、会社が源泉徴収したと思いましたか」と聞かれました。

読んでいないことが事実である以上、仮定の話をしても仕方ないだろうと思いつつ、先のように「会社には税務申請及び源泉徴収の義務はない」と訳し、「私は、会社が源泉徴収をして、源泉徴収票に会社の給与が全て記載されていると思い込んでいたので、この程度の文章ではその思い込みを覆すまでには至らなかったと思います」と答えています。

その際には、その理由も問われず、私も敢えて説明しませんでしたが、その理由は簡単です。それは英語で書かれているからです。

日本の税務に関する重要な注意喚起が、まさか英文で書かれているなどとは思いもしなかったということです。

そして、会社の文書全てを調べても、日本語で「株式報酬による海外給与に対する所得税は、会社が源泉徴収するものではなく、社員各個人に申告義務及び納税義務がある」と書かれているものは一つもありません。

もう一度、最初から、以上のことを振り返って下さい。

検察の主張は「会社の指導は十分であった」というものです。そしてその「指導」とは、先の英文の文章です。

もしこれらの英文が、個人の申告義務・納税義務を知らせるための「指導」であるならば、なぜ明示的に「社員各個人に申告義務及び納税義務がある」と書かないのでしょうか。

勘のいい方はもうお気付きだと思います。

これらの文章は「指導」ではないからです。これらは単なるディスクレーマーです。

ディスクレーマーをインターネットで検索してみて下さい。私が見つけたYahoo知恵袋にはこうありました。

「ディスクレーマーとはいったいなんのことですか?」

「丁度今日の仕事で出てきた。
誤解をしないための注意書きとか、言い訳みたいな物。
堅苦しく言うと免責事項。
取り説の下の方に小さな文字書いてあるヤツかな。」

この解答にはベストアンサーの花マルがついていました。

つまり、これらの文章は、社員が税務でトラブルとなっても会社は責任を負わないと言ってるにすぎないもので、社員に税務「指導」しようというものとは根本的に異なっているということです。

金融関係の方や投資をやられている方は、金商法(金融商品取引法)の施行により、それまでとはリスク開示義務に大きな変更があったことをご存知だと思います。金融投資商品販売において、その投資家のリスク許容度以上にリスクが高いと思われる商品を販売する際には、「取り説の下の方に小さな文字書いてあるヤツ」では説明したことにならないというものです。

リスクの説明は、ディスクレーマーでは不十分だということです。

税務指導は、金融投資商品の販売とは異なりますが、もしそれが本当に「指導する」という目的を伴なうものであるならば、ディスクレーマーでは不十分だというのは同じ精神です。

話を少し変えましょう。

私の過少申告を脱税と認定するには、私の故意が要件です。「わざとやったものではない」という過失であれば、検察が起訴した犯罪の要件を満たしていません。

私は、これまで「故意があったかどうか本当のところは分からない」であるとか、「知らなかったではすまないだろう」と言われることがありました。

検察関係者ですら、そのように言っています(「検察なう」の記事3ページ目参照)。
ここをクリック→産経ニュース・疑惑の濁流「検察なう」

私を擁護するには、実はそれだけで十分なのです。これらは私を非難するものではなく、むしろ私の無罪を言い表したものです。「本当のところは分からない」であれば、推定無罪により私の有罪は問えません。また「知らなかったではすまない」というのは、あくまで過失であり、その償いは本来納める税金のほかに過少申告加算税や延滞税を数千万円追徴されたことであがなっています。

今回の事件は、検察が「推定有罪」を主張する捜査権力であり、冤罪を作ろうが、彼らの論理の前では人権は問題にならないということを証明しています。そしてその「推定有罪」を裁判所が認定するか、ということが最大の焦点です。

皆さんは、「こうして冤罪は作られる」というショーの特等席にいます。是非ご注目下さい。

3/31/2012


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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2012/03/30 Fri. 16:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (55) 

「バイリンギャル in #検察なう T-shirt @梅林 (実は帰国子女のくせして英語はへた)」 (by K.W ♀)

#検察なう Tシャツ・プロジェクト (41) 「バイリンギャル in #検察なう T-shirt @梅林 (実は帰国子女のくせして英語はへた)」 (by K.W)

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category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/29 Thu. 13:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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外資系証券なるもの (3) 「就活 その2」 

外資系証券なるもの (3) 「就活 その2」

就職活動において、私の志望は第2志望以下のない電通志望だったということは前回書いたところです。

私は博報堂の面接すら受けていません。

「といっても、ほかのどこも面接しないってのもなあ。でもあまり日本のほかの会社の面接を受けてもなあ」と、私が電通のほかに面接を受けたのは外資系企業ばかりでした。

当時は、まだ日本の企業がイケイケドンドンで、外資系企業を就職先として学生が選ぶということは、非常にまれだったと思います。ましてや保守本流の東大生の選択肢としては、ほとんどありえない状況だったものです。

当時、学生をコンスタントに取っていた外資系企業の業態は、外銀とコンサルティング・ファームがメインでした。外資系証券は、依然中途採用によってその採用が占められ、学生をコンスタントに取っていたのは結局私が入社することになるソロモン・ブラザーズ証券が唯一だったのではないでしょうか。

広告会社の中で、私が訪問したのはマッキャンエリクソン博報堂でした。当時のコマーシャルでは、コカコーラの宣伝が彼ら製作によるものだったと思います。やはり親会社のリレーションでアメリカ企業関連の広告が多いのだろうと思ったものです。

企業は青田刈りの第一歩として、就職説明会を催します。説明会といっても、大概は質疑応答などを通して、めぼしい学生をチェックするというのがよくあるパターンです。そして就職説明会は、学校ごとに学生を分けて行われることが普通です。

「すいません。東大生が参加できる就職説明会はいつ行われますか」
「東大生向けの就職説明会というのはないので、いつの就職説明会でもいいのでご参加下さい」

これが先のマッキャンエリクソン博報堂の人事部との電話でのやり取りだったと思います。

そして就職説明会の当日。学生は数十人はいたでしょうか。アンケートみたいなものを書かされ、終了後、帰ろうとしてエレベーターを待っているときのことでした。

「あー、八田君っているかな。あ、君か。ちょっとこっちに来てくれない..........うちの副社長が会いたいって言ってるんだけど、時間あるかな」と言われ、突然、副社長と会うことになりました。

その副社長の方も東大の出身らしく、「いやあ、うちの会社に東大法学部の学生が来るっていうから、どんなかなと思ってさ」とのことでした。

ざっくばらんと会話し、別れ際に「そうか、電通志望か。やはり大手は強いよ、この業界では。頑張ってね」と言われました。勿論、その後、マッキャンエリクソン博報堂の面接に行くことはありませんでした。

私の就活で、常に意識したことは「自分を出す。結局は相性だから、自分を飾って自分と違う『八田隆』を採用してもらったところでいいことはない」というものと、「企業は学生を選ぶ。学生も企業を選ぶ。立場は対等」というものでした。

随分と青臭いことを考えていたと、今では思います。ただ立場が逆になって、採用する側になっても、結局同じことを考えていたものです。

就活は私にとっては、非常に大きな刺激でした。まず社会人の人たちが随分学生とは違うと感じました。それは例え1年目や2年目の新米社会人であっても、学生のぬるま湯状態とは違ってバイタリティーに溢れて見えたものです。

また外資系企業を中心に回っていたので、そこで接する学生たちもえらく自分の周りとは違うように思ったものです。彼らは、「帰国子女」というカテゴリーでした。

ある外銀の試験で、筆記試験がありました。英語の筆記試験ですが、こちらは試験はお手のもの。終了時間を待たずに完答して、退出しようかなと思った時に、さっと答案を提出して出て行った女子がいました。

「うへーっ。なんじゃ」と慌てて、後を追っかけて捕まえました。

「君、学校どこ?」「上智の比文ですが、何か」「いや、何かってことでもないんだけどさ。随分と早々と答案書き上げて出てったからさ。あー、俺の友達も試験受けてんだけど、もしよかったら喫茶店でみんなで情報交換しない」

こちらは純ジャパの日本の英語教育しか受けていない学生ですから、彼ら「帰国子女」の存在は、非常に新鮮で、素直にすげーっと思ったものです。

ちなみにこの彼女は、後日、男女雇用均等法元年の女子社員ということで、鳴り物入りで第一勧業銀行に総合職として入行しましたが、「全く旧態然」とする企業カルチャーに辟易してさっさとスチュワーデスに転身しました。

電通の面接もその間、進んでいきます。

確か第一次面接と第二次面接はグループ面接で、第三次以降個人面接だったように思います。

第一次面接は、学生4-5人に対し、一人一人の質問が一つ二つというもので、「おいおい、こんなんで学生を選別できんのかよ」と思ったものです。面接官もほかの企業に比較すると、なーんか学生の延長の雰囲気を持っていて、「何だかなあ」という違和感を感じてしまいました。

さすがに、第三次面接、第四次面接と進むにつれ、面接官も年次が進みパリッとした「電通マン」の印象でしたが。夏の時期なので、面接官がシアサッカ―のスーツだったりすると、「おー、さすが業界!」と感じたものです。ただ結局、最初の時点で感じた違和感をずっと引きずることになってしまいました。

他社の面接は、あっという間に「お引き取り願います」というところもあれば、随分と気に入ってもらって積極的に勧誘されたところもありました。しかし、内定をもらうのは電通だけ、と決めていたので、他社の面接は途中で全て断って、電通の最終面接となりました。

電通の最終面接は役員面接です。

(続く)


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category: 外資系証券なるもの

2012/03/28 Wed. 16:02 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (54) 

#検察なう T-shirt in Whistler

Whistler

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category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/27 Tue. 04:27 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (116) 「みなさんのコメント紹介」 

#検察なう (116) 「みなさんのコメント紹介」

#検察なう (114) 「可視化について」と(115) 「氷山の一角」に対して、読んで頂いた方から頂いたコメントを紹介します。

#検察なう (114) 「可視化について」

ここをクリック→#検察なう (114) 「可視化について」

「検察のあり方検討会議は私もずっとフォローし続けていましたが、ひどい終わり方でしたね。
八田さんも指摘された『1年後』の部分は、当局側は逃げる気マンマンかもしれませんが、追求し続けないといけないですね。」
(by K.T)

「検察在り方検討会議は私も興味を持って成り行きを見ていましたが、終わって『は?』という気持ちだったのを覚えてます。その後…可視化に関しても進んでいるんだかいないんだか。『一部』をつけたり『ここは削除』としてみたり。『被疑者本人は自分のことですから、何とか踏ん張れても、参考人はいとも簡単に取調べ官の誘導・誤導に屈すると思っていました。』私も同意です。」
(by Y.J)

「 前回ブログに書かれた『大阪東住吉放火事件』でも、犯人とされた母親が検察官の執拗な取調べと精神的追及に耐えかね、『やってないです、でももういいんです』と犯行を行っていない旨を明確に述べたうえ、それでもやったことにすると告げた、とあります。こういった冤罪を防ぐにためにも取り調べの可視化に対する性急な法整備が必要だと思います。
また、事件を取り巻く参考人が捜査機関によって被疑者に不利になるような発言を誘導されるような尋問を防ぐ意味でも、被疑者だけでなく参考人の取り調べも可視化すべき、という意見もありますが、私もそれに同意です。

これに加え、日本では取り調べにおいて、弁護士の立会いすら認められていないという現状に驚きました。冤罪でなく、本当に罪を犯してしまった場合でも、捜査のプロの警察や検察に被疑者が一人で臨んでいかなければならないのはフェアじゃない、と思うのは私だけでしょうか?」
(by H.P)

「公正な裁判を実現するためには、証拠の全面開示(警察・検察が持っている証拠を全て弁護側に開示すること)が必要だと思います。そして、証拠の全面開示には、取調べの可視化も含まれていると私個人としては思います。

取調べはその中で作成された”調書”が証拠となります。
何かについて意見を述べる文章を書いたことがあれば分かると思いますが、どのような”事実”を文中に取り上げるかで全く異なる結論になります。
調書も同じです。
調書を作成したとしても、重要な何かが漏れていないかチェックできるよう、取調べの全面可視化(一部だと全く意味をなしません)が必要だと思います。

また、代用監獄が当たり前に使われている日本では、取調べ中に自白を強要することも容易に想定されます。
自分がやってもいないのに、何故自白をしてしまうのか?
それは、以下の『自白と冤罪の心理学』を読んで頂ければ分かります。

ここをクリック→自白と冤罪の心理学

人間の心はそんなに強くありません。環境によってすぐに”折れて”しまうのです。
嘘の自白(やってないものをやったと言わせる)を防ぐため、もしくは後から自白が強要されていないかチェックするためにも取調べの可視化が必要だと思う理由です。

可視化に反対する理由は何でしょう?

ここをクリック→取調べ可視化の問題点

大きく分けると以下がありそうです。
・被害者を含む関係者のプライバシーが害される可能性がある
・コストが嵩む
・取調べが緩くなり真相解明が遠くなる(”取調官と被疑者の人間的信頼関係構築を阻害する”というよく言われる点も含め)

可視化には当然、メリットもデメリットもあるでしょう。
どのメリット・デメリットに重きを置くかは、視点によって異なってくると思います。
無実の人を罰する(死刑も含めて)可能性を出来るだけ排除したいか、罪を犯した人を見逃す可能性を排除したいか、のどちらに立つかによってです。

私は前者です。」
(by K.W)

#検察なう (115) 「氷山の一角」

ここをクリック→#検察なう (115) 「氷山の一角」

「―検察の無理筋で賄賂罪で起訴された(とされる)OL女性のケースが紹介されています。かくも冤罪とは多いものかと思うと同時に、それを社会に発信する力・検察と戦う力は今の所限られた人間だけが持つ物なのかもしれないと感じます。冤罪駆け込み寺となった八田さんブログ、『能力を持ったものには、それを正しく行使する責務がある(白い巨塔)』という言葉もありますね。 」
(by R.M)

「クレディ・スイス事件を知らなかった当初、『冤罪』というと、科学的捜査が発達していなかった昭和の時代の殺人事件などのことだと認識していました。ですから八田氏の状況を聞いた時も、こんなことが起こるものなのか?と耳を疑ったものです。その後いろいろと情報を得るにつれ、『冤罪』とは実はもっと身近にあるものだと知り、言いようのない恐怖を感じました。
このOLさんのケースのように、こういった事件がどんどん表に出て、日本の司法を変えられればと願いますが、実際は冤罪ということ自体が表に出ない(逮捕・拘留を恐れて無実の罪を認めてしまう)ケースと、冤罪でも、それ以上のダメージを避けるために公にしないケースも多いのだと思います。その場合は負のスパイラルというか、ますます検察の横暴を助長させることになるのかと思うと、やりきれない思いでいっぱいです。

検察が『警察が捜査した事件を受理し、その疑われている人が本当に犯人かどうか確かめて、刑罰を与えるための裁判を起こすかどうかを決める』という本来の仕事に専念し、裁判所が本来の機能を取り戻すには、私たちは何をすべきなのでしょうか。問題の根は深いです」
(by H.P)

「朝から驚き。彼の冤罪事件は『氷山の一角』なのか。確かに普通の人が突然嫌疑をかけられて、突然逮捕拘留された場合を想像すると…背筋が凍る思い。八田氏の場合、金銭的にも精神的にも逮捕の恐怖と戦いながらも、聴取の間否認を続ける力があったけれども、それは本当にレアケースだろう。」
(by Y.J)

「いったいなんでこんなことに?
仮説A) 業務上横領は10年以下、収賄は5年以下。前者ならまず実刑は免れないが、後者なら初犯で3年以下だと執行猶予の可能性も。ということで、容疑者A氏かその助言者が贈収賄ストーリーを考えた可能性がある。

その上で、
a-1.上記ストーリーを善良で人の言うことをよく信じる捜査当局者(担当の警察官と検察官)が信じ、女性社員氏とその上司を拘束した。
a-2.業務上横領より贈収賄事件の摘発のほうがポイント高いなと考えた捜査当局者が、上記ストーリーに乗った。
a-3.上記ストーリーそのものが、捜査当局側からヒントとして容疑者A氏に提供された。

さてどれでしょう。いずれにしてもめちゃくちゃな話で、全力で叩きに入らないと善良なる社会人は安心して仕事もできないわけだが。」
(by M.K)

「 CS事件の冤罪被害者は、億単位の年収を得ていた外資系証券マン、自分とは関係ない世界のことだと思う方も多いでしょう。
でも、違うんです。誰にでも起こりうることなんです。

今回のブログは、彼に届いた一通のメールから明らかになった、世の中に知られざる冤罪について触れています。
普通のOLの方からのメールだったそうです。
... 彼女は、事務機器の販売・リース会社に勤務していました。
ある時突然、逮捕され、7か月間も勾留されて取調べを受けたそうです。

事件(リース事件)の概略は簡単です。
”彼女の働く会社がパソコンをリースしている市の職員が、リースのパソコンを自分のものにした。その職員は、リース会社が何らかの便宜を図ってもらうために自分に賄賂として提供したものだと証言した。当該職員は収賄罪に問われ、リース会社の営業担当であった彼女と上司が贈賄罪に問われた”

職員の証言しか贈賄罪である証拠はないそうです。
冤罪の構図としては、業務上横領罪より軽い刑で済む収賄罪を選んだ職員と贈収賄を挙げたい検察。

私は、全ての証拠に目を通したわけでもないし、彼女に面識もありません。
だから、上に書いた冤罪の図式が本当かどうかは分かりません。

でも、彼女が無実であると信じてます。
その理由は、7か月間も勾留されて否認を続ける、というのは、”やってないものをやったとは言えない”という非常にシンプルな、シンプルだからこそ強い、自分の良心に従った行動の結果であろうと思うからです。

ごくごく普通に暮らしていた年収300万円のOLが接見禁止で7か月間も勾留される!
罪も確定していない人間を長期間勾留する日本のシステムは代用監獄や人質司法と言われます。そして、”daiyoukangoku”は恥ずかしくも世界に通じる言葉なんです。
その代用監獄や警察・検察と戦って否認を続けた彼女の姿勢には感動します。あとは裁判所が公正な判断を下してくれ、無罪を勝ち取ってくれることを祈るばかりです(無実なんだから、無罪を勝ち取るって言葉自体がおかしいのですが。)

というように、冤罪は誰にでも降りかかることなんです。

冤罪と言う理不尽に向かわなければならない冤罪の直接被害者の怒り、悔しさ、辛さは、悲しさは、想像することしかできませんが、その想像すら超えているものと思います。

そして、周りの人にも大きな影響があります。身近な人が冤罪被害にあった場合の、怒り、悔しさ、少しでも肩代わりできないことのやるせなさと悲しみ、完全には分かることができない自責の念。

そんな思いをする人がこれ以上増えてほしくありません。」
(by K.W)

そして私の紹介した冤罪被害者の友人の方からもメッセージ頂きました。

「はじめまして
この記事の彼女の友人です。
彼女からメールをもらい拝読させていただきました。
八田さんの活動が彼女の心の支えになったことに私からも感謝申し上げます。
不慮の事故みたいなものだからと謙虚に戦い続ける彼女の姿を見るたびに、『こんなことに巻き込まれる人じゃないのに』と心が痛むとともに、負けずに戦う彼女に人間的な尊敬を感じています。
罪のない方の届かない声が少しでも社会に出るように活動されることは、私には想像できない大変さもあるかと思いますが、ぜひこれからも私たちではわからない真実や大切なことを伝え続けてほしいです。」

この友人の方を始め、冤罪被害者を応援・支援されている方々に、私が僭越ながら冤罪被害者を代表して感謝の気持ちを述べさせていただきます。冤罪被害者は応援・支援の声で救われ、勇気づけられ、前向きになれるものです。ありがとうございます。

3/26/2012


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category: 支援者の方へ、支援者の方から

2012/03/26 Mon. 02:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (115) 「氷山の一角」 3/25/2012 

#検察なう (115) 「氷山の一角」 3/25/2012

いつも多くの方に励まして頂いており、ありがとうございます。最近では、直接知らない方からも応援メッセージを頂くこともあり、勇気をもらっています。

私は、基本的にはポジティブ人間なので、どんな困難でも前向きでぶつかるという姿勢なのですが、時にはネガティブ・スパイラルに囚われる時もないわけではありません。それは多分、病に見舞われている者が、その病に肉体だけではなく、精神的にもさいなまれ「どうせ俺の痛み・苦しみなんか分からないんだ」というものに似ていると思います。

罰は罪を犯した者に、その罪相応に設定されています。それは、その罪を犯していない者にとっては、非常に過酷です。同じ罰でも、むしろ罪を犯していない者に対しては一層厳しいものです。

冤罪というのはそういうものです。そしてそれはやはり被害者でなければ分からないという部分があります。

先日、ある方からメールをもらいました。

「はじめまして。
突然のお手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。
八田さんのツイッター&ブログ拝読させていただいており、私自身励みにさせていただいています。
皆さんの嘆願書にこめられた思いなどを見て、なんとなく兄貴分のように身近に感じ、私がずっと誰かに聞いて欲しかった話を、八田さんに聞いてもらいたいと思い、手紙を書いた次第です。」

長文のメールを読ませて頂いた後、メール交換をしました。その彼女は、話を聞けば普通のOLです。それが冤罪事件に巻き込まれてしまったというものです。

事件の概略をかいつまんで説明すると、
「彼女の働く会社は、事務機器の販売・リース会社。市の出資する施設にパソコンをリースする契約で、彼女がその営業担当であった。以前からのリース契約を更改延長したのだが、その納入パソコン6台(255万円)のうち4台(158万円)を市の担当職員が横領。それが発覚した際、その市職員は贈収賄のストーリーをでっち上げ、彼女とその上司が贈賄側として嫌疑を受ける。彼女は、警察による連日の長時間の取調べの中で自白調書を取られ逮捕。その後、弁護士がついて否認に転ずる。逮捕後7カ月もの間、接見禁止付きで勾留された。」
というものです。

贈賄というのは、公務員個人に何らかの便宜を図ってもらうべく利益供与する犯罪だということはご存知かと思います。贈賄の相手が公務員でない場合、この犯罪は成り立たず、こうしたものを「身分犯」といいます。内部の倫理規定が厳しく設定されているケースが多く、相手が民間の場合よりも相当厳格なのではと思いがちですが、刑法犯としては、通常の商行為の範囲を逸脱する利益供与に対しての罰則です。

そしてそれは、あくまで個人に対しての犯罪です。例えば、6台255万円のリース契約が正当な取引の場合でも、6台を60台にしようが、255万円を10万円にしようが、個人に対してではなく、市に対してという場合、贈賄とはなりません。

この事件では、リース契約はあくまで市の出資する施設との間に交わされており、パソコンの納入もその施設になされています。それでなぜ贈賄とされるのか、話を聞いただけでは全く理解できませんでした。

最初聞いた時、リース契約の更改延長の見返りとして、パソコン4台を余分に(つまり合計10台を)同料金でリースしたのかと思ったのですが、更改延長後も、契約内容はそれまでの「5台、257万円」から「6台、255万円」と微調整程度で、市職員の横領した4台のパソコンは、その6台のうちの4台です。

リース契約は、更改延長前も後も3年契約だったのですが(平成14~17→平成17~20)、市の条例で、更改延長前は見かけ上単年度契約になっていたそうです。毎年同じ内容の契約を繰り返していたということです。それが更改延長後は、条例の変更で、本来の複数年契約になりました。

警察・検察は、その単年度契約→複数年契約を会社が受ける利益として、その便宜を図ってもらうため、パソコン4台をその市職員個人に送ったと主張しているようです。

市職員は、パソコンの納入は市職員の自宅にされたとの虚偽の主張をしていたものの、実際の納入は施設にされており、市職員がその施設から自宅に送った送り状も証拠として発見されています。捜査当局の無理筋は明らかです。

市職員が虚偽の供述をするメリットは、業務上横領罪(刑法253条)が懲役10年以下であるのに対し、収賄罪(刑法197条)は懲役5年以下というものです。

そして単なる横領よりも、贈収賄を挙げることに捜査当局が色めき立つのは容易に想像できます。

普通のOLの方が、いつもの仕事をしていたところ、いきなり逮捕されて、7ヶ月も拘置所に勾留されるというのは、まさに人質司法の怖さです。

彼女のメールにもこうありました。
「逮捕後、弁護士が来て私たちは否認に転じたのですが、その後地獄のような日々を過ごしたことは、想像に難くないと思います。」

「私自身も年収300万程度の普通のOLだったので、逮捕・起訴された時のショックや家族・友人・会社へ与えた影響など、本当に死にたくなるような思いでした。」

その気持ちは察するに余りあります。

どのようにすればこうした冤罪がなくなるのか、私も答えを持ち合わせていません。そして想像に難くないのは、こうした冤罪は氷山の一角でしかないということです。想像できないくらいの数の事件で、どうせ有罪(刑事裁判の有罪率99.9%)なのだから、逮捕・勾留を避けるために、無実でも罪を認めてしまうということが起こっているのではないかと思います。

しかし、それでは、冤罪が作り出される状況は何も変わりません。ただ単に、捜査権力の暴走を許すだけです。

本来は裁判所が正しく機能すればこのようなことの大部分が避けられるはずなのですが、繰り返し述べているように、無罪は、相当に優秀でやる気がある裁判官でないと書けないのが残念ながら実情のようです。

冤罪を減らすためには、検察の「起訴をして有罪とするのが我々の仕事」という起訴至上主義を変えるしかありません。私はそのことを、検察の取調べに際し、繰り返し直接彼らに訴えました。これからも同じ訴えを続けるものです。

冤罪は国家の犯罪です。

私個人としては諦めることなく、「こうして冤罪は作られる」という情報を発信して、一人でも多くの人にこの問題を考えてほしいと思っています。また、そうすることで、同じような境遇の方々に勇気を与えることができるとすれば、こんなうれしいことはありません。

彼女の公判は、先日最終弁論が終わったところです。#検察なうTシャツを買ってくれたのですが、それをお守りに持って行ってくれたそうです。

判決は4月下旬です。無罪の朗報を待っています。無罪の時には、彼女の名誉回復のためにも、大々的にこのブログで発表させてもらいたいと思っています。

冤罪駆け込み寺となった今回のブログでした。










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category: 冤罪事件に関して

2012/03/24 Sat. 14:28 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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外資系証券なるもの (2) 「就活 その1」 

外資系証券なるもの (2) 「就活 その1」

私が就職活動をした大学4年の1986年とはどういう時代だったでしょうか。

就活に関しては、まだ就職協定があり、男女雇用均等法の施行元年、そして1990年の総量規制でバブルがはじける前のラストスパートという時期で、完全に売り手市場でした。

現在は廃止されている就職協定により、学生の就活は、夏の「解禁日」までに採用の内定を取るというものでした。就活の開始は、4年の4月頃というのが当時の常識です。

私が通っていた東大法学部では、「民間落ち」という言葉があり、民間企業に行く者は就活ヒエラルキーでも下位に位置します。

上位に位置するのは、まず官庁。その中でも外務省、大蔵省(現財務省)がワン・ツーです。そして、それに通産省(現経済産業省)、自治省(現総務省)が続きます。

学友との会話です。彼は自治省を狙っていたのですが、
「何で自治省に入りたいの」
「だって、キャリア組ってさ、出世が早いんだよ。30歳代でどっかの警察署長になれるんだぜ」
(げーっ、お前みたいな偉くなりたいだけの奴ばっかりが役人になったら、日本は終わるわ)と思ったものです。

とにかく東大は保守一辺倒で、リベラルな思想なぞ青臭いと言わんばかりです。

権力志向が全く欠如している私は、公務員になろうという気は更々ありませんでした。また、日本をよくしようという、権力志向とは真逆の高邁な思想も当時持ち合わせていませんでした(今はバリバリありますんで、そこんとこよろしく)。

そしてそれら上級国家公務員と同じ、あるいは上と見られたのが司法試験組です。現在は法科大学院なるものができて、新司法試験となってから随分様変わりしたようですが、当時の司法試験の合格者率は2%台、間違って3%台というもの。相当狭き門でした。

私も、大学合格直後は「弁護士ってかっこいいよね」と思ったのですが、大学に通いながら司法試験のために予備校に通ったり、司法試験サークルに入って勉強する学友を見て「無理っ!」と即決しました。

そして就活ヒエラルキーの最上位に位置するのは、大学に残って法律学の研究をする、できれば教授の娘をゲットして、その学派を世襲する、というものでした。

私は、早々とそれらの可能性を全てオミットしていましたので、当然、他大学の学生と共に、就職戦線に参戦です。

当時はインターネットはなく、情報の収集は、主に口コミ。学生間でネットワークを作って(といっても仲良くなるだけなんですけど)、「どこどこの会社が願書をいついつ配布するってよ」というような、今の時代からすると、実に原始的な方法をベースに就職活動を行っていました。携帯電話もありませんでしたから、とにかく会って話をするのが確実な情報伝達方法だった時代です。

環境が売り手市場ということもあり、東大の民間企業就職組も至ってのんびりしたもので、「ゴールデンウィーク明けくらいから始めればいいよね」というのがコンセンサスだったと思います。

東大法学部の学生の間の人気企業というのは、やはりガテン系よりはスマートなところが多かったものです。イメージなんですけどね。社会人になれば多かれ少なかれ、体力勝負の面はあるのですが、学生には分からないものです。具体的な会社名で言えば、日本興業銀行、日本生命、東京海上あたり、ちょっと気の利いた奴で、商事・物産といったところでしょうか。

私の志望はと言えば、電通一本でした。学生時代から下請けのプロダクションのバイトをして、こちらは朝早くから揃いのジャンパーで仕事をしているのに、昼近くになって颯爽とスーツで現れる代理店の営業マンに憧れたという、超ミーハーな志望動機でした。「電通の第9営業局に入ってSP(企業のセールスプロモーション)をやる!」というのが私の計画でした。

計画と言ったのは、私のマインドセットが、「入りたい」ではなく、「入るもの」と思っていたからです。

これは私の本来の性格なのですが、あまり「こうしたい」とか「こうなりたい」という、普通は「夢」と呼ばれる気持ちは持ち合わせていません。それより、「こうする」「こうなる」と自己規定してかかることが多いと思います。そして結果がついてくればよし、結果が伴わなければその時点で再考するというものです。

ですから、あまり非現実的な「夢」を持つことはありませんし、事前のフィージビリティー・スタディ(実現可能性の検証)は無意識のうちに、相当練り込んでると思います。当然、意思決定に至るまでの研究・検討に余念はありません。大胆かつ慎重に、がモットーです。

つまり、就活に関して言えば、当時は「電通に入るもの」と思っていました。

マスコミの募集は比較的早いのですが、大御所電通は満を持したかのように始まります。例えば、先ほどの「ゴールデンウィーク明けでいいよね」と言ってると、始めた頃には「およよ、テレビはみんな終わってんじゃん」という状況だったものです。

今でも募集願書ってのはあるんでしょうか。多分、インターネットなんでしょうね。私の時代は願書配布の日時に、築地の本社まで取りに行きました。願書をもらう順番待ちの学生の大行列です。電通の内定者数は100人程度ですが、応募は何万人という状況でした。

「うへーっ、なんじゃこりゃ。結構、大変そうじゃん」

そうして私の就活戦線の幕は切って落とされました。

(続く)


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category: 外資系証券なるもの

2012/03/23 Fri. 15:30 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (114) 「可視化について」 3/22/2012 

#検察なう (114) 「可視化について」 3/22/2012

検察・警察取調べの可視化の議論をここしばらく耳にすることが多くなりました。依然、重要な問題であるという世の中の認識です。

「可視化とは何か」については添付の日弁連作成パンフレットをご参照下さい。

ここをクリック→可視化日弁連パンフレット

私は、これまで何度か言ってきましたように、被疑者本人の取調べの可視化は、勿論反対するというものではないものの、それほど積極的に支持してきませんでした。しかし最近、その意見を改めようと思っています。なぜ以前は積極的ではなく、最近になって変節したかは後ほど述べます。

この可視化の議論について、最近で一番重要なターニング・ポイントとなりえたのが丁度一年前の検察在り方検討会議の提言でした(注1)。

検察改革のために、一昨年11月から4ヶ月かけて議論されたその会議での一つの目玉が、可視化の即時施行だったと思います。改革推進派と現状維持派との意見がせめぎ合う中で、十分に議論を尽くせず、現状維持派が面目を保ったという印象がありましたが、改革推進派にとって不幸だったのは、東北大震災でそれまでの検察改革ムードが吹っ飛んだことです。

「国家の一大事に、こんな議論をしている場合じゃないだろ」というのは分かるのですが、それならそれで期限を延長するべきだったのでしょうが、結局は拙速ともいえる結論を急いだ形に、少なくとも私の目には映りました(注2)。

それではその検討会議の提言の可視化に関する部分を見てみます。

検察における取調べの可視化の基本的な考え方
「被疑者の取調べの録音・録画は、検察の運用及び法制度の整備を通じて、今後、より一層、その範囲を拡大するべきである。」

日本語というのは実にあいまいなものです。この「べきである」というのはするんですか、しないんですか、と問えば「しない」となるのでしょうか。いわゆる先送りという雰囲気が漂っていますが、これは世論が「けしからん!」と言えば、変わっていくと思います。逆に言わなければ変わらないということなのではないでしょうか。

そして特に特捜部の捜査において踏み込んで議論しています(特捜部取調べにおける可視化が一番ハードルが高いため、まずここを変えればほかも変わるという認識です)。
「特捜部における取調べの録音・録画の試行に当たっては、できる限り広範囲の録音・録画を行うよう努め、1年後を目途として検証を実施した上、その検証結果を公表すべきである。」

1年が経過しようとする今後、近いうちにこの検証結果が出てくることを期待しています。

先にもどって、私がなぜ積極的に可視化を支持していなかったかという点に関して述べますと、それは議論の焦点が私のものとは違っていたことによります。

例えば、村木氏の郵便不正事件の取調べにおいて、村木氏の取調べを全面可視化してあの事件は防げたでしょうか。そしてなぜあの事件で一審無罪となったかについては、村木氏本人が否認を貫いたことが決定的な理由ではないと思っています。

あの事件で一審無罪となったのは、検察の取り調べ段階で彼女に不利な証言をしていた参考人が、公判でその供述を覆したことが決定的理由だったと思います。そしてあの事件を可視化によって防ぐには、村木氏本人ではなく、参考人の取調べ可視化が有効だったと思います。

ところが、先の検討会議提言において、参考人取調べの可視化については、注記に留まり、その内容も「今後、更なる検討が行われることが望ましい」というものでした。

こっちを先にやらんといかんだろー、と私は思いました。被疑者本人は自分のことですから、何とか踏ん張れても、参考人はいとも簡単に取調べ官の誘導・誤導に屈すると思っていました。

ところが、その「被疑者本人は否認できるはずだ」との認識を覆すことになった契機は、先日、北稜クリニック筋弛緩剤点滴混入事件の犯人とされた守大助氏の手記「僕はやってない!」を読んだことによります。

この事件は、仙台のクリニックで容体の急変する患者が相次ぎ、看護士であった守氏が筋弛緩剤を点滴に投与して彼らの殺害を企てたとして、1件の殺人、4件の殺人未遂の計5件で逮捕・起訴された事件です。無期懲役が確定し、守氏は現在収監中ですが、この事件も冤罪である可能性があるそうです。

私には、色々な資料を見ても、はっきり言って、この事件が冤罪であるかどうかの判断は付きかねました。私には、それが医療過誤によるものか、筋弛緩剤投与による呼吸停止が原因によるものかを峻別する医学的知識が全くないからです。それを裁いた裁判官は随分と勉強したんだろうなと思いました。但し、冤罪かどうかは分かりませんが、検察は20人もの急変患者リストを作って取調べで自白を迫ったにも関わらず、その凶器であるところの点滴の試料を科学検査で全量消費し、再検査が不可能であるというのは、警察・検察の捜査に大きな不信感をもってしまいます。

そして「被疑者本人は否認できる」ということが必ずしも言えないと思ったのは、逮捕当初自白をする被疑者・被告の守氏がマインドコントロールされていたことが読めて取れたからです。

私の検察との取調べでは、相手がプロのトレーニングを受けた力石徹なら、こちらは野生の勘だけが武器という、気分は矢吹丈でした。階級差もあり(少年院時代はウェルター級とバンタム級で6階級差)、かなり苦戦したものの、終了のゴングが鳴った時には立っていることはできたと思っています。そして「推定無罪」の原則があれば、ダウンさえせず終了のゴングを迎えることができれば判定では勝ちのはずです。

ところが、守氏の場合、やはりボクシングの例を取れば、プロと子供くらいの差がある感じで、格闘ではなく、完全にリンチ状態でぼこぼこにされていました。
「お前はウソをついている!」「ふざけるなよ!けんか売ってんのか!」「間違いなく裁判で有罪!」「証拠は一杯ある!」「お前だ、お前だ、お前なんだ!」「お前が殺したんだよ。死刑なんだ、お前は!」「否認しても死刑だ!」「ここから出られると思ってるのか!」「反省しろ!クズ!」「やってるんだ、人殺し、死刑だ!」「人殺し!殺人者!」「お前なんか人間以下、死んでしまえ!」

彼は、取調べ当初に自白調書を取られるのですが、その後弁護士との接見で、マインドコントロールを解かれます。そして弁護士の指示で、調書に全く署名せずに否認に転じます。一律、調書に署名しないことは得策ではないはずですが、マインドコントロールからぎりぎり抜けだすのが精一杯の守氏に取りうる唯一の策だったと想像します。

取調べというのは圧倒的に被疑者・被告にとって不利な条件の元でなされます。

私の取調べで言えば、検事の質問は私に不利だと思われることの真偽を問うてきてるわけです。つまりこちらは防戦一方。その状況から、取調べの調書に何とかこちらに有利な供述を盛り込もうととにかく知力・気力・体力を総動員して闘わなければなりません。「相手を怒らせる」「相手を調子に乗らせて深追いさせる」といった技巧を使って、何とか取調べのペースをこちらに少しでも有利な状況に持ってくるというのは、さすがに大変なことでした。

守氏の手記を読んで、「僕はやってない」「何で信じてくれないんだ」「死にたい」「もうイヤだ」では、検察の取調べは到底乗り切れないことが分かりました。

その状況を鑑みて、完全宗旨替えです。私は被疑者・被告本人の取調べも完全可視化すべきだと思います。ただ単に私に関して言えばそれが必要なかったというだけの話です。

検察は取調べ可視化に相当抵抗しているようですが、その理由として聞こえてくるのが、「録音・録画されると被疑者・被告が真実をしゃべらない」というものです。密室だからこそ真実は語られるという主張ですが、それであれば公開の場である裁判では、被告は真実を話せないことになります。これは司法を完全に馬鹿にした論理だと思います。

そもそも取調べとは取調官個人と被疑者・被告個人の関係ではありません。国家権力と個人の関係です。その圧倒的弱者の権利を擁護するために取調べの状況が録音・録画されないというのは全くナンセンスです。

そして可視化は当然として、取調べに必要とされているのは弁護士の同席だと私は思っています。

皆さんはアメリカ映画で、被疑者が逮捕される際に、警官が被疑者の権利を読みあげるシーンをご覧になったことがあると思います。あれは「ミランダ警告」(注3)と呼ばれるものです。

以下の4つのことが守られなければ、その供述は証拠として採用されないというものです。

1.  あなたには黙秘権がある。
2.  供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられる事がある。
3.  あなたは弁護士の立会いを求める権利がある。
4.  もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護士を付けてもらう権利がある。

相手は取調べのプロです。そのプロに取り調べられるアマチュアの権利を守るために、取調べにプロの同席を認めるというのは至極当然だと思います。

ここで、添付の日弁連作成パンフレットの10ページ目をご覧下さい。そこには世界諸国の状況が表になっています。それをご覧になって皆さんは驚かれることだと思います。日本がこれ程司法後進国だという認識はありましたでしょうか。

ちなみにドイツで可視化がされていないのは、ドイツにおいては日本のような検面調書至上主義ではなく、公判での証言が調書に優越するという制度だからだということを付言しておきます。

3/22/2012

(注1)
検察の在り方検討会議の議事録と提言は以下の法務省リンクをご参照下さい。
ここをクリック→法務省HP検察の在り方検討会議

(注2) 
検察の在り方検討会議は15回開かれ、最後の3/31の回はシャンシャンでしたが、第14回(3/28/2011)の議事録にある、提言案に対しての江川氏や郷原氏のコメントにその雰囲気が出ています。

千葉座長(元法務大臣)「(提言案について)私なりに精一杯まとめさせていただいてというつもりですので、御了解をいただければと思います。」
江川委員「これで決めるということですか。」

郷原委員「最高検の検証に対する評価は、むしろこの会議全体としては相当厳しい評価だったと思うのですが、改めて議事録を見直してみてもいいんですが。少なくとも、その模様をマスコミも聞いていて、厳しい批判が相次いだというふうにも書いているわけですし、その一般的な認識と、基本的に評価されたという認識はちょっと違うのではないかという気がします。ですから、もう少し、あの時の議論をそのまま忠実に反映したような表現にした方がいいのではないか。決して一方的に評価できるものではなくて、最高検の検証結果はまだまだ不十分であって客観性を欠いているという意見も強く出されたということをこの『はじめに』の中でも書いていただきたいと思います。
それから『おわりに』も含めての話なんですけれども、あたかも全体が非常にうまく意見が一致して、この在り方検討会議の成果が取りまとめられたような雰囲気で書かれているのですが、決してそうではなくて、まだ意見が対立している点も非常に多かったけれども、まあ最低限のところで、こういった成果をまとめたというのが実情だと思いますので、そういう実情を表現していただきたいと思います。決してここに書いていることだけで、ここで議論したことが言い尽くせるわけではないということを表現していただきたいと思います。」

検察在り方検討会議に関しては、郷原氏の以下のコメントもご参照下さい。
ここをクリック→郷原氏コメント

(注3)
1963年に起きた「ミランダ対アリゾナ州事件」の被告の名前をとって名付けられた。その事件は、メキシコ移民のアーネスト・ミランダが18歳の少女を強姦した容疑で逮捕され、弁護人を同席させる権利があることを知らされないまま強要された自白内容を根拠にアリゾナ州裁判所で有罪を言い渡されたもの。そののち上告審において訴訟手続に問題があったとして無罪判決。


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category: 刑事司法改革への道

2012/03/21 Wed. 16:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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ブック・レビュー 『美談の男 ― 冤罪袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』 尾形誠規著 

ブック・レビュー 『美談の男 ― 冤罪袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』 尾形誠規著

美談の男

「冤罪袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密」合議制ゆえ自分の意志とは異なる死刑判決を書かなければいけなかった熊本元裁判官。「僕の話を美談にしないでくださいね」と語る彼の人生の苦悩はいかなるものだったか。年収1億を稼ぐ弁護士への華麗なる転身から、一家離散、ほとんどホームレスになるまでに至る彼の心の内を垣間見る。非常に重いテーマが軽妙な語り口で語られ思わず引きずり込まれた。





category: ブック・レビュー

2012/03/20 Tue. 15:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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外資系証券なるもの (1) 「所信表明」 3/20/2012 

外資系証券なるもの (1) 「所信表明」 3/20/2012

いつもご支援ありがとうございます。

これまで経過報告をブログに「#検察なう」として掲載してきましたが、どうも内容がヘビーになってきたので、閑話として新しいコーナーを作ります。題して「外資系証券なるもの」。

ブログの注目度もアップしてきましたが、このどさくさに紛れて私の外資系証券での半生記なぞを書いてみたいと思います。

と、軽目にスタートしましたが、実は腹には据えかねるものがあります。

皆さん、小沢氏の一件どう思います?まあ4/26の判決を待つということなのですが、これが小沢氏の主張するように検察の妄想であるなら、これはもう国家の損失ですよ。

「バッジを挙げたい(政治家を逮捕したい)」というくだらん特捜部のエゴで政治生命が絶たれようとしているわけですから。余り日本の政治には詳しくないのでここで「小沢ドクトリンは....」とか言い出すと墓穴を掘りそうなので言いませんが。

腹に据えかねると言ったのは、小沢氏のこともありますが、勿論、自分のことです。

これで3年以上冷や飯を食わされて、マーケットから撤退ですからね。日本の金融市場がどれだけグローバル化から遅れているかというこのご時世に、優秀な人材を役所のメンツだけで戦力外通告というのも本当にセンスのなさにあきれてしまいます。

ということで、直接マーケットに影響を与えることはできなくなったものですが、せっかくのノウハウを私の頭の中で朽ち果てさせるのも何かと思い、ブログにでも書いてみようかなと思ったものです。

金融のみならず、全ての日本人に何らかのヒントを与えることができればと思っています。

せっかくの初回ですので、エピソードを一つ。

私の告発は、おととし2010年の2月でした。強制捜査が更にそれに先立つこと1年と2カ月前。その間、私は雌伏の時を過ごしていました。ただその頃は国家権力がこれ程腐ってるとは思っていなかったので、まさか無実の者を告発するなどとは思っていませんでした。

告発前の最後の取調べが2009年の10月です。例の国税局査察部統括官の方の「証拠はありません」という言葉に、「これで国税局も諦めただろう」と思い、私はバンクーバーで就職活動を再開したものです。

たまたまタイミングよく声がかかったのは、クレディ・スイス証券で同じトレーディングをしていたアメリカ人から、一緒に仕事しないかと誘われました。彼が働いていたのは、ある日本の銀行系証券。

20数年外資系証券一筋でしたが、最後に骨をうずめる場所として日本の会社も悪くないかなと思ったものです。

彼らのNYのオフィスで、一通り面接を終え、私が理解したのは、日本の本社営業スタッフとNYのトレーディング・デスクのコミュニケーションが全く取れていないという典型的な悲惨なパターンでした。

そのアメリカ人の友人のトレーダーからは、「日本に営業がいないから、日本に行って一人でトレーディングから、マーケティング、営業まで全てやってくれ」と言われました。しかし、NYオフィスに駐在している日本人スタッフに聞くと、東京オフィスに営業はいるとのこと。まさに日本のスタッフはNYからはinvisibleだったということです。

NYのトレーディング・デスク及びマネージメントからは、彼らの「共通言語」を話す日本人として歓待され、是非一緒に働いてくれと言われました。

私は、直前のベアー・スターンズ証券では、債券営業部長という完全にマネージメントでしたが、その銀行系証券では一プレイヤーとしての雇用です。しかし、それには全くこだわることはありませんでした。但し、採用はアメリカ人採用という条件でしたが。完全に一兵卒からの再スタートですが、またトレーダーとしてひと暴れできるかと思うとわくわくしたものです。

NYオフィスのマネージメントから言われたのは、「NYサイドは大歓迎だし、雇用はあくまでNYのトレーディング・デスクでということなのだが、なにぶん政治的なこともあるんで、一応東京オフィスに行って、彼らと面通しをしてほしい」というものでした。

NYトレーディング・デスク直属といっても働く場所は東京オフィスという条件でしたので、一緒に働く彼らと早いうちに打ち解けるのはむしろ望むところと、その「面通し」に臨んだものです。

ミーティングを何回かした後に、その東京オフィスのマネージャーから電話をもらって「今回の採用は見合わせたい」と言われた時は「何を言ってるんだろう」と思ったものです。その理由が「外資系のスーパースターを迎えるには、我々はまだまだ力不足で、内部で『時期尚早』の声が上がった」と聞いた時は、驚いて開いた口がふさがりませんでした。

その後、NYの私の友人からひた謝りされましたが、彼が言っていたのは「一事が万事これなんだよ。何で日本人ってああなんだろう」って、俺も日本人なんですけどと思いながら、それでも彼の言うことはよく理解できました。

そして、そのことをその銀行系証券出身のベア―・スターンズ証券の元部下に「こんなことがあったんだよ」と言ったところ、その元部下にはあきられてしまいました。

「八田さん、何考えてるんですか。その東京のマネージャー達って八田さんとほとんど同じ歳の人たちですよ。その年代で、外資に転身しないでやってるってことはよほどセンスがない人たちですよ。そんな田舎球団にメジャーリーグ帰りが入団しようとして歓迎されるわけないじゃないですか。全く分かってないなあ」

全く情けない。私が田舎球団のプレイヤーでもイチローが来てくれるんだったら、そこから何かを得ようと努力すると思うんだけどな。4番バッターの座を奪われるとか、自分のポジションが脅かされるとか、そんなもん下らんと思わんのかな。

ところが、万事塞翁が馬ということなのでしょうか。その後、刑事告発されましたから、その会社に入っていたら、あっという間に解雇だったでしょうね。

その会社の後に、今度はソロモン・ブラザーズ証券時代の元ボスに誘われて、香港をベースにやはりトレーディングで働くことになっていましたが、それも告発で一旦保留。いくら待てど暮らせど検察の動きがない中で、それでも8ヵ月は待ってくれたのですが、結局、向こうから断られてしまいました。

ということで、「外資系証券なるもの」連載が開始しますので、よろしくお願いします。

あ、別に暇なわけじゃないですからね。弁護士からも「ブログ書いてる暇があったら、証拠の読み込みお願いしますよ」とプレッシャー掛けられてますから。

3/20/2012

category: 外資系証券なるもの

2012/03/19 Mon. 21:21 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (53) 

「#検察なう T-shirt @ベジタブルマラソン in 夢の島 ハーフマラソン (完走!走破タイム1時間59分24秒。二回目のチャレンジで立派、立派....多分)」 (by H.N ♂)

ベジタブルマラソン 完走

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/17 Sat. 22:28 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (52) 

「#検察なう T-shirt @ベジタブルマラソン in 夢の島 ハーフマラソン (三周目。撮影班二周目の撮影に失敗。周りは随分ばててるけど、カメラを意識して笑顔キープ。)」 (by H.N ♂)

ベジタブルマラソン 三周目

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/17 Sat. 21:40 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (51) 

「#検察なう T-shirt @ベジタブルマラソン in 夢の島 ハーフマラソン (一周目。全部で四周するらしい。ずいぶん余裕ぶっこいてんな。この後の変化が楽しみ)」 (by H.N ♂)

ベジタブルマラソン 一周目

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/17 Sat. 20:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (50) 

「#検察なう T-shirt @ベジタブルマラソン in 夢の島 ハーフマラソン (スタート前、まだ余裕の表情)」 (by H.N ♂)

ベジタブルマラソン―スタート

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/17 Sat. 20:28 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (49) 

「リラックマ&スティッチ in #検察なう T-shirt (って、ほとんどホラーのキャラにしか見えないんですけど)」 (by F.Y ♀)

リラックマ&スティッチ

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2012/03/17 Sat. 07:47 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (113) 「市川寛氏著『検事失格』」 3/15/2012 

#検察なう (113) 「市川寛氏著『検事失格』」 3/15/2012

市川寛氏の著による「検事失格」が2月下旬に上梓されました。

検事失格

彼の名前を知らない方のために一言紹介しておきますと、彼は元検事。1996年の佐賀市農協背任事件(検察が捏造した不正融資事件)で、彼は事件の捜査を担当するチームの主任でした。そして農協組合長の取調べで、「ふざけんな、この野郎!ぶっ殺すぞ、お前!」と暴言を吐き、自白を強要。その言葉の暴力で作られた自白調書を元に起訴しますが、その調書が公判で任意性を否定され、彼は検察から「厳重注意」を受けて引責辞任します。ここまでは検察の実状を少しでも知れば、それほど驚くことでもないのですが、その10年後、彼はテレビ朝日「ザ・スクープ」の取材で、その組合長の自宅を訪れ、既に鬼籍に入っていた組合長の遺影と彼の息子に土下座謝罪しました。現在、弁護士として活動中で、彼の検事時代を記したものが「検事失格」です。

『検事失格』から印象的な部分を引用してみます。

彼は、司法試験合格後の司法修習生の実務修習から、早くも衝撃を受けます。

― 「検察修習が始まってすぐに、ベテラン副検事による取調べの要領についての講義が行われた。

この講義で、講師の副検事が『被疑者を取り調べるときは、被疑者が有罪だと確信して取り調べるように』と断言したので、僕は頭を殴られるくらいに驚いた。

『取り調べる前からどうして有罪だと確信できるんだ?それに、そもそも被疑者はあくまで無罪だと推定されるはずじゃないか。何を言ってるんだ、この人は』」

検事用語で「自白させる」ことを「割る」と言います。

― 「僕は『割れ!割れ!』という言葉のほかに、もう一つ大きな抵抗を感じた言葉があった。『立てろ!立てろ!(『起訴しろ』)』だ。」

― 「『否認でも起訴できる証拠があるなら自白させろ』『起訴の選択肢があるからには絶対に起訴しろ』

検事が判断に迷った分岐点では、必ず被疑者にとって厳しい方向に舵を切れという指示だった。」

― 「僕は被疑者がどうなろうとどうでもよかった。これこそ『検事』、それも異常な部類の『検事』の発想だ。

今振り返ると、この事件の応援に入っていたときに僕が背負っていた責任感は、検察庁が求める責任感だったのかもしれない。

『(被疑者がどうなろうが)割れ!(被疑者がどうなろうが)立てろ!』

あれほど嫌悪した副部長が連呼していたことを、自らすすんで実行しようとしていたのだ。このときの僕は完全に『検事』になり切っていた。」

市川氏は良心との軋轢で体をこわし、一旦静養しますが、仕事に復活後の一時期、自分の良心に従い、起訴できないと思ったり、起訴する必要がないと思った事件を全て不起訴にします。その当時、後輩検事と飲みに行った時の場面です。

― 「後日二人の後輩検事と飲みに行ったとき、二人がかりでこの事件のことでさんざんつるし上げられた。

二人の『割れ!立てろ!』検事たちと一人の『割らない(もはや『割れない』ではない)。立てない』検事の衝突だ。

この衝突は僕の方が初めから圧倒的に分が悪かった。なにしろ後輩たちは検察庁の掟を忠実に守っていたのだから。

『市川さん、なんであの事件をつぶしたんですか。しかも支部長から起訴の決裁をもらっていたんでしょう?』

後輩がこう詰め寄ってきたのは今でも覚えている。僕は酔っ払っていたので、どう答えたか覚えていない。だが、最後に二年生の後輩検事から言われた言葉は忘れられない。

『市川さん、検事辞めたらどうですか』」

本では明らかには書かれていませんが、羽賀研二氏の事件に関すると思われる記述もあります。

― 「近時、弁護人が請求した証人がささいな点で真実と違う証言をしたことで、検察庁がその証人を偽証罪で起訴したことが問題になっている。

裁判制度が始まるにあたり、検察庁は『今後は積極的に偽証罪による摘発を進める』と宣言もした。実状は、偽証しているのは検察官が請求した証人が圧倒的多数だ。」

実はこのことは法曹の世界ではあまり驚くことではないようです。しかしなぜか弁護側が、検察側証人を偽証罪に問うことは全くないそうです。

― 「ひとたび事件に手をつけたが最後、『立てろ、立てろ』が至上命題の検察庁は撤退がへたな組織だから、内偵調査の段階で将来引っ込みがつかなくなるかもしれないリスクを感じた事件を無理してやってはいけないと僕は思っていたし、今もそう思ってる。

無罪判決が出たときもそうだが、検察庁はとにかくメンツにこだわる。」

― 「事件の見通しは、捜査が進むにつれて修正されるべきものは修正されなければならない。見通しを越えた『見込み』だけで突っ走る捜査はもはや捜査ではない。事件のでっちあげだ。」

これはもはや驚くべきことではありません。私の事案が雄弁に物語っています。

私が市川氏を初めて見たのは、この本にも紹介されている「ザ・スクープ」でした。それは収録の映像を通しても緊迫感の伝わる番組でした。

そして更に衝撃的だったのは、その「ザ・スクープ」放映のまさに翌日に、「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」の協力するシンポジウムに彼が出席し、その模様がインターネット配信でライブ中継されたのを見たときでした。やはり画像を通してであっても生中継は臨場感があります。市川氏の緊張がこちらまで伝わるかのように感じたものです。

先日、友人と会話する中で、「なぜ検察はそもそも犯罪を裁く立場なのに、なんでもかんでも起訴して犯罪を作り出しているんだろう。彼らには、それが冤罪だとしても良心の呵責はないんだろうか」と聞かれました。私は、「もし人間がいかなる状況下においても理性的に行動できたなら、アウシュヴィッツは存在しなかっただろうね」と答えました。

勿論、ヒトラーがいなければアウシュヴィッツはなかったのかもしれませんが、彼がガス室のレバーを引いたわけではありません。そしてそのレバーを引いたナチス党員は、それが正しいことだと信じていたに違いないのです。戦時中とはいえ、別に殺さなければ殺されるというシチュエーションではありません。人間としての良心を失わせる。それが組織の論理の恐ろしさです。

市川氏は結びとして、検事及び検事を目指す人にメッセージをしたためています。

―「僕は検事失格だ。

それでも僕は検事諸君とこれから検事を目指す人たちに声を大にして言いたい。絶対に自分の良心を裏切る処分をしてはいけない。ほんの少しの妥協がじわじわと良心をむしばみ、冤罪を生み出し、やがては自らの心身を引き裂くことになる。そうなってからでは遅すぎる。

検察庁は『犯罪者製造機』ではない。まして『冤罪製造機』であってはならない。これは良心のある検事諸君なら、当然にわかっているはずだ。

では、そんな良心のあるプロの集団が、なぜいつまでもいつまでも同じ過ちを繰り返しているのか?みじめな無罪判決を見ると、決まって無理な自白、無罪に傾く証拠の無視または見落としといった、同じミスばかりが原因だ。

そして、そのたびに誰かが責任を問われて処分されたり、あるいは僕のように検察庁から追放されて、そもそもいなかったことにされる。

僕は良心を捨てた検事だから「いなかった検事」にされて当然だが、僕のような罪人が駆除されてもなお、検察庁で同じ過ちが繰り返されるのは異常だ。

検察庁は、なぜ、検事の良心をすり減らせ、あるいは奪い取っていくのだろうか。検事は、なぜ、バッジを初めてつけたときに抱いていた良心をすり減らし、あるいは検察庁に売り渡すのだろうか。」

Twitterで「検事失格」と検索してみるとお分かりになりますが、相当な注目度です。

そして時代を変革しようとする者の例にもれず、彼に石を投じる批判も少なからずあります。検事として罪を犯した者が、同じ法曹の世界で身を立てようとするのはけしからん、というものです。

私はこうした意見には同調しかねます。

私は、概ね、ヤメ検の天下り的構造には否定的なのですが、彼はそうした検察機構にパラサイトするヤメ検とは一線を画しています。また、検察庁を「愛しい母校」と呼びながらも、その体質を批判し、そしてその批判したことに対する一部世間の反発を気に病む心優しい(むしろ弱虫な)男なのです。

もし彼の弁護士としての資格が問われるのであれば、それは弁護士会や日弁連が判断することであり、そのほかの者がとやかく言うことではないと思います。また彼が弁護士として看板を掲げて営業している以上、結局は彼に弁護活動を依頼するかどうか、それはクライアントが決めることであり、世間からパージされるというのであれば、そのリスクは彼が自ら選択して背負ったものだというだけのことです。

そして、私の、冤罪に巻き込まれた当事者という稀な立場から意見させてもらえば「よくぞ言ってくれた!ありがとう!」と、彼の勇気を称える賛辞の言葉を贈りたいと思います。

本の中に、組合長の息子の言葉として「私はあなたのことを殺してやろうとずっと思っていました。でもそんなことをしても何も意味がないとわかったんです。もう前を向いていかないといけないと思ったんです。冤罪というものが家族にまでどんな思いをさせるか、よくおわかりになったでしょう。これからは、ぜひ弁護士として冤罪と闘って下さい」とありました。

私も、冤罪を生む国税局や検察という組織(あるいは「組織の論理」)には憎しみを感じないわけにはいきませんが、取調べを担当した捜査官、検事には全くと言っていいほどそうした気持ちはありません。冤罪は国家の犯罪ですが、「罪を憎んで、人を憎まず」、あるいは「組織を憎んで、人を憎まず」と思っています。

私は、私の取調べを強制捜査から最後の取調べまで担当した国税局査察部の捜査官にこの本を贈りました。その際に沿えた手紙が以下のものです。

「xxさん、ご無沙汰しております。

報道等でご存知かと思われますが、私の冤罪との闘いは依然継続しています。昨年12月の起訴後、初公判がこの2月にあり、これからも相当期間出口は見えないものと思われます。

数多くの方々にご支援頂き、メディア各社にもフォローして頂いております。クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件を扱った、田中周紀氏の『国税局 実録マルサの世界』は既にお読みになったことだと思います。

同封した本は、ヤメ検の市川寛氏が検察の体質を自らの経験を基に書き、この2月に上梓されたものです。

この本を読んで、取調べの際のxxさんの『上司が納得してくれないのです』という言葉を思い出しました。多分、xxさんも市川氏同様に苦しまれたのではないかと思います。

市川氏は著書の中で『自己の良心に反する処分は、絶対してはならない』と自戒の念をこめて言っています。xxさんも、人の人生を左右する重大な責務に就かれていることを常に心に置かれて、正義を遂行して下さい。

この本をxxさんに読んで欲しくて贈らせて頂くものです。

趣味の野球頑張って下さい。」

是非、この本を手にして下さい。裏表紙折り返しの市川氏の笑顔だけでも見る価値があります。

3/15/2012

category: 刑事事件一般

2012/03/14 Wed. 22:52 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (48) 

「マダム・ゴルファー in #検察なう T-shirt (in マニラ)その2」 (by Y.J)

マダム・ゴルファー in #検察なう T-shirt (in マニラ)その2 (by Y.J)

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/13 Tue. 22:02 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (112) 「東住吉放火殺人事件に思うこと」 3/12/2012 

#検察なう (112) 「東住吉放火殺人事件に思うこと」 3/12/2012

ここ数日メディアをにぎわせている東住吉放火殺人事件について思うことを書きます。

この事件は1995年7月に起こりました。当時は随分と騒がれたようですが、私は事件のことを全く知りませんでした。ちなみに私は1997年3月に起こった東電OL事件も当時は知らず、自分が冤罪に巻き込まれほかの冤罪に関心を持って知ったものです。私はテレビを持っておらず、新聞も仕事の役に立つわけではないので、ほとんど読んでいませんでした。毎日、仕事に没頭してアメリカのマーケットのニュースばかりを追いかけていました。

東住吉放火殺人事件の再審決定の報道で、気にかかることがありました。それは犯人とされた2人の扱いに明らかな差を感じたことです。それに関しては2チャンネルのスレッドを覗き見てすぐに納得しました。それは犯人の一人とされた内縁の夫朴龍ひろさんに対して、再審開始決定後ですら「在日」「性的虐待者」といった罵詈雑言に溢れていたからです。なるほど、これはお上品なメディアは声高には擁護しずらいだろうな、と思ったのと同時に、直観的に冤罪の可能性を強く感じました。そうした予断はまさに捜査権力が当初から持ったものだろうからです。

最近、日本に帰って道を歩いていて「これはひどいな」と思ったことがあります。それは街角に貼られた警察庁の「空き巣に注意しましょう」のポスターでした。それは日本語と共に中国語で書かれていたからです。もし、一般市民への注意であれば、日本語と共に書かれるべきは英語です。警察庁は、多くの中国人がそのポスターを見て何とも感じないと思っているのでしょうか。私が海外で「日本人はみんな泥棒だ」と言われたら嫌な気分になると思います。全く国際感覚のかけらも感じさせない所作です。「人の嫌がることはしてはいけない」と親に教わらなかったのでしょうか。

私はアジア史に関しては門外漢ですが、関東大震災の時の暴虐な振る舞いは知っています。まさか、1年前の東北震災の時はそのようなことはなかったと信じたいのですが、この東住吉放火殺人事件の再審開始決定の後の2チャンネルの書き込みを見て、日本人が向き合わなければいけない問題がいまだここにあると思ったものです。

刑事裁判においては、「悪性格証拠排除法則」というものがあります。

「あの人は普段から悪いことばかりしてるから、今度の事件もあの人がやったに違いない」と推認することは許されていません。被告人の悪性格を立証して、これから推論して犯人性を立証する方法は原則として許されません。一般の感覚からすると?かもしれませんが、例えばいかに類似犯罪の前科があったとしてもそれをもってして犯人だと類推してはいけないということです。

すかしっぺの常習犯であっても、していないにも関わらず「くっさー!またお前?!」と言われたら、「冤罪!悪性格証拠排除法則!」と言ってあげましょう。

そのことを分かっていない検事はいませんが、それでも主張してくる意識の低い検事はいます。弁護士が「異議あり!」としてもその時には既に裁判官や裁判員の耳に入っていますから、言ったもん勝ちというところです。レフリーの見ていないところで、タイツから栓抜きを出して殴って、観客から「反則!」と言われても何食わぬ顔してその栓抜きをタイツに隠すようなものです。

東住吉放火殺人事件は保険金殺人というのが警察・検察のスト―リ―ですが、子供に1500万円の生命保険をかけたことが殺人の証拠と言われたら、たまったもんじゃないです。私は、自分の息子が生まれた時に、彼の誕生記念に彼を被保険人として1000万円の終身生命保険に入ってます。年齢が低いうちはまだ保険金が安く、いずれ彼に渡すつもりで入ったものです。彼が結婚したら彼の嫁さんを受取人に変更して渡そうと思っています。

犯人の一人とされた母・青木惠子さんが、なぜ実子を殺したなどという自供をしたのだろうといぶかしがる人も少なくないと思います。取調べの状況が再審・えん罪事件全国連絡会のHPに掲載されていますので、それを引用します。

「刑事は『A(娘)が可哀想やろ。なんで助けに行けへんかったんや』などと述べ、更に惠子さんを追い詰めました。惠子さんは、刑事から、『なんで助けに行けへんかったんや』と言われた時、娘を火の中から助けられなかった自責の念に苦しみ続けていたことも相俟って、冷静に物事を考えて判断できない状態に陥り、このような取調べが続くことは到底耐えられない、Aちゃんの所に行きたい、いっそ死んだ方がましだと考え、刑事の言葉に頷き、再び自供書を作成してしまったのです。

取調べが終了し自供書の作成が終了したのは午後11時30分を過ぎていました。その後、ようやく10分間という著しく短い接見が認められ(それまでは接見が拒否されていました)、惠子さんは、待っていた弁護人に対し、『やってないです。でも、もういいんです』と犯行を行っていない旨を明確に述べたうえ、それでもやったことにすると告げました。更に取調べが過酷であり、このような調べが続くと精神異常になってしまう旨を訴えたのです。

そして、約10分の接見が終わり、留置場へ帰ると、覚せい剤犯で留置されていた同房の女性が起きて惠子さんを待っていました。その女性は、虚偽自白をしてしまった旨述べる惠子さんに対し『本当に犯人やったら仕方ないけど、犯人じゃないんだったら、子どもがそんな汚名を着たままじゃかわいそうや。もっと、頑張り』などと励ましてくれました。

ここに至って、改めて惠子さんは、嘘の自白をしたらBくん(弟)や更にAちゃんも悲しむと考え、子どもらの為にも虚偽の自白はしないでおこうと決意したのです。」

ここをクリック→再審・えん罪事件全国連絡会HP

またこの事件は、警察・検察の立証が全く科学的根拠がないことが言われています。放火の凶器となったガソリンが気化するということが全く分かっていない内容の自白調書が取られています。密閉したガレージで、ガソリンに火をつけたら、犯人は火に飲まれて大やけどを負います。再審決定に「意外な結果で驚いている」と言うのであれば、検事自ら体を張って燃焼検証実験をやってみるべきです。

また、この再審決定がほかの冤罪と比較すると、素直に下りたなという感じもあります。「開かずの扉」「針の穴にラクダを通す(何でラクダなんですかね)」と言われた再審(注)ですが、東電OL事件や袴田事件が再審請求すら通っていないことからすると、若干の差異を感じます。これは再審決定を下した水島和男裁判官のやる気と能力に負うところが多いのではないでしょうか(彼をググってみるとこれまでに無罪を数多く書いていることに驚きます。刑事裁判で無罪を書くのは本当にやる気と能力が必要な大変なことなのです)。

東住吉放火殺人事件の再現実験に関しては、テレビ朝日「ザ・スクープ」が過去に取り上げていますので、ご覧になって下さい。長野智子氏がキャスターを務めていますが、抑えた言葉の選び方が好印象です(爆発時のあわてぶりがかわいいです)。やはり映像は「百聞は一見に如かず」で非常にパワフルなものです。同様の燃焼検証実験を今回の弁護団も行い、それが再審開始決定の決め手になりました。またこの「ザ・スクープ」映像では可視化に関しても、現役裁判官を迎えて彼らの意見を紹介しています。

ここをクリック→「ザ・スクープ」

現時点の状況は、先週水曜日の再審開始決定に対し、検察は破廉恥にも本日即時抗告(注)してきました。高裁で審理され、即時抗告が棄却されて再審が確定すれば再審公判が始まりますが、認められれば再審開始決定は取り消されます(過去には名張毒ぶどう酒事件、日産サニー事件、大崎事件のように、再審開始決定するも検察の異議申立で再審開始が取り消された例もあります)。

3/12/2012

(注)再審
「裁判が最終的に確定すると既判力が生じ、もはやこれを争うことはできなくなるのが一般原則であるが、万一裁判に誤りがあった場合には、それを是正して正義の回復を図る必要がある。そこで、法は法的安定性の要請と具体的な判決の適正の要請を調和させるため、裁判が終わったあとでも、例外的に特別の是正方法を用意している。これは、非常救済手続きと呼ばれるが、再審はその一手段である」

間違いがないようにと三審制をとる裁判制度で、過去の決定を覆すのはそれを決める裁判官にとっても相当心理的なハードルが高いというのは容易に想像できます。死刑確定後、再審により無罪になった例は日本史上4例(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件)しかありません。その最初の免田事件が起こったのが1948年。1948年以来、これまで日本では638人が死刑執行で処刑されています。

(注)即時抗告
抗告とは不服申立の一種で、決定または命令に対して、その決定または命令をした裁判所の上級裁判所になされる不服申立の手続きをいいます。即時抗告は抗告でも期限内にしなければならないとされるものです(刑事訴訟では3日以内)。

これに対し、同じ裁判所に対してなされる不服申立を異議申立といいます。

最近の再審開始決定の例では、福井女子中学生殺人事件が記憶に新しいところですが、検察は異議申立をしています。同じ最高裁まで審理されたケースで、検察のとったアクションが即時抗告と異議申立と異なるのはなぜでしょうか。調べてみました。

今回の東住吉放火殺人事件では、地裁の無期懲役の判決を、被告は控訴し、高裁はその控訴を棄却しました。被告は最高裁に上告するも、最高裁はこの上告を棄却しています。このため、地裁の判決が有効な状況で、その判決に対し再審開始決定が地裁でなされ、検察は即時抗告をその上級審である高裁に行っています。
地裁:  有罪 → 再審開始決定 → 検察は高裁に即時抗告  
高裁:  棄却
最高裁: 棄却

福井女子中学生殺人事件では、地裁では無罪とされましたが、検察が控訴、高裁で逆転有罪となっています(以前に、「二重の危険」の議論で私が「喝!」としたところです)。そして、被告の上告を最高裁は棄却しています。そのため、高裁の判決に対して、再審決定が高裁でなされました。刑事訴訟法では、最高裁への即時抗告が認められておらず、同じ高裁への異議申立のみが可能であるため、異議申立がされたものです。
地裁:  無罪
高裁:  有罪 → 再審開始決定 → 検察は高裁に異議申立
最高裁: 棄却

但し、いずれも実質的な差異はないようです。

昨年11月に再審開始決定された福井女子中学生殺人事件も、検察の異議申立により現在審理中で、まだ確定はしていない状況です。

category: 冤罪事件に関して

2012/03/12 Mon. 08:18 [edit]   TB: 0 | CM: 15

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (47) 

「#検察なう on セント・パトリックス・デー Go Green!」 (by H.P ♀)

セントパトリックスデー

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/12 Mon. 02:39 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (46)  

「寒さにふるえる山ガール(でも笑顔) x 2 in #検察なう T-shirt」 (by K.W ♀)

山ガール x 2

category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/11 Sun. 02:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (111) 「証拠開示 Part 2 『当事者主義』」 3/10/2012 

#検察なう (111) 「証拠開示 Part 2 『当事者主義』」 3/10/2012

ボブ・ディランが歌う「ハリケーン」という曲をお聴きになったことはあるでしょうか。この曲は1966年、黒人プロボクサー、ルービン”ハリケーン”カーターの冤罪を訴えたものです。

事件はデンゼル・ワシントン主演で映画化もされたため(映画「ザ・ハリケーン」)、ご存知の方も多いかもしれません。終身刑に処せられたカーター氏は無罪を訴え続け、19年目に釈放・無罪となりました。その無罪判決の判決文の一部を引用します。

「検察側は、普通の被告人であれば手に入らないような資料を持っている。それゆえ、弁護にとって核心となる情報が検察の手中にある場合、それを被告人にも利用できるようにすることは絶対に必要である。もし裁判が、真実を隠すための努力ではなく真実の探索であるというのなら、全面的かつ公正な情報開示は、訴追側の恐ろしい権力に対して、被告人の権利を保護するために欠くべからざるものとなる」

このように証拠開示は、真実の追求には欠かすことのできない重要な要件です。そしてアメリカで検察が収集した証拠開示が日本より進んでいるのは、背景として早くから被告に有利な可能性のある証拠を開示する義務が判例として確立していることがあります(注)。

片や日本においては、検察は、彼らが収集した証拠のうち、自分たちに都合のよい証拠、即ち被告にとって不利な証拠のみを裁判に提出してよしとします。その問題点をNHKが番組で指摘しています。

「NHK クローズアップ現代 『証拠は誰のものか』」。8分のダイジェスト版の映像がありますので、是非ご覧になって下さい。

ここをクリック→NHKクローズアップ現代「証拠は誰のものか」

なぜこのようなことがまかり通っているのでしょう。それは日本の刑事訴訟法の建て付けが、「当事者主義」を前提としているからです。

当事者主義とは、事案の解明や証拠の提出に関する主導権を当事者に委ねる原則をいいます。刑事裁判では、この当事者というのは、被告・弁護側と、検察ということになります。

そしてこの当事者主義においては、裁判官の役割は「立証活動はあなた方当事者でお願いします。私たちはレフリーに徹しますんで」ということになります。

「え?それって何?検察って捜査して真実を追求するところじゃないの?だから彼らは無罪は負けと思っちゃうわけ?」と思ったあなた。正解です。

そして、ご存知のように検察は強制捜査権や逮捕権といった強大な権力を持っています。中世の決闘で言えば、背中合わせに立って、1、2、3で振り向いたところ、こちらの手にしてるのは果物ナイフ、相手が手にしてるのはマシンガンくらいの差があるわけです。

ところが実は、アメリカも日本と同じく当事者主義を取っています。そして上に述べたように当事者主義と証拠開示義務とは矛盾するものではありません。それは当事者は公平であるべきだという基本原則に従っているからです。

日本のように、当事者主義を取りながらその当事者間に不公平を許している司法の在り方は正しいとは思えません。検察は、公平な正義の遂行者であることを国民が期待しているにも関わらず、そして彼ら自身もそれを装いながら、実態はそうではありません。

実際のところ、検察は、この当事者主義を笠に着て証拠開示をしようとしません。

これは、検察が「公益の代表者」(検察庁法4条)としての立場を忘れ、「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現」(刑事訴訟法1条)されることを阻んでいると言えます。

これをまとめると

(共通点)
アメリカも日本も、当事者主義をとっている。

(相違点)
アメリカは対等主義を重視し、証拠開示が判例法理により確立している。
日本では、ここまで踏み込んだ判例はまだ出されておらず、検察は、それをよいことに当事者主義を笠に着て、積極的な証拠開示に応じない。

お分かりになりましたでしょうか。

ちなみに、ドイツやフランスでは、事案の解明や証拠の提出に関する主導権を当事者に委ねない「職権主義」を取っていて、証拠は裁判所が管理するため、被告・弁護側は制限なく証拠にアクセスできます。

証拠開示が真実追究、冤罪の回避に必要だということは明白なのですが、なぜ正しい方向に物事が進まないのでしょうか。

証拠開示を法で整備する場合、企画・立案を担当するのは法務省刑事局ですが、法務省の主要ポストが検事出身者で占められているため、官僚サイドから改正の動きが有るとは思えません。

ここをクリック→法務省・検察人事

やはり当面はお上を頼むのではなく、国民一人一人が問題意識を持って、捜査権力の不当な行動にNOを言い続けるしかないのではないかと思います。そして国民が無知でないと知れば、さすがに役所も重い腰を上げるのではないでしょうか。そうあることを願っています。

そして、いずれはこうした間違ったことは正され、証拠開示の方向に進んでいくものと思います。そして未来の検事が、今の暗黒時代を振り返って「何で、昔はあんな非人道的なことがまかり通っていたんだろう」といぶかしがることだと思います。

今の時点では、まずは何が起こっているか、現状を把握することです。知らないことって一杯あるんです。そして知らないまま放置しておくと、物事は間違った方向に突き進んでいきます。自分は関係ないと思っているあなた。私もその一人でしたから理解できます。でも冤罪は他人事ではありません。それも私は今ではよく分かっています。

こうした問題点を正しく認識すること、それが世の中を変えていきます。

3/10/2012

(注)
1963年Brady v. Maryland事件最高裁判決
「検察官たちは、証拠が有罪又は懲罰の判決に影響する重要な証拠(material evidence)である場合に、被告人に有利な証拠を提出する憲法上の義務を有する」
「社会は、有罪判決が下されたときだけでなく、犯罪の審判が公正であるときに勝利する。いかなる被告人も不公正に扱われるとき、私たちの司法システムは損なわれるのだ。検察官が、被告人の要請により、それが開示されたならば、被告人の無罪を証明しているか刑罰を軽減するような重要な証拠を隠蔽することは、被告人に大きく負担を与える裁判を作り上げることを補助していることになる」


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category: 刑事司法改革への道

2012/03/10 Sat. 00:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (110) 「証拠開示」 3/6/2012 

#検察なう (110) 「証拠開示」 3/6/2012

「検察の手中にある捜査の成果は、有罪を確保するための検察の財産ではなく、正義がなされることを確保するために用いられる公共の財産(the property of the public)である」

これは1991年カナダの最高裁での判決文です。

実に正しいことを言っていると思いますが、この一般人の感覚で普通のことが、我が国日本では行われていません。

皆さん、「冤罪File」という雑誌をご存知でしょうか。

ここをクリック→雑誌「冤罪File」

冤罪ネタだけで定期刊行される雑誌ができるというのも「日本は冤罪の宝庫なんかい」と驚いてしまいます。

最新号の中の「福井女子中学生殺人事件」の再審開始決定の記事に、証拠開示について書かれていたので、少し長くなりますが引用します。

「福井女子中学生殺人事件の再審請求での闘いを一言で言えば、『証拠開示』との闘いだったと言える。

04年に弁護団は再審請求の申し立てをしたが、その後、3、4年は、ほとんど進展がなかった。検察が弁護団の開示請求に対して何も答えようとせず、膠着状態が続いていた。

ところが、08年に裁判官が替わり、検察に対して証拠開示を促す『勧告』を出すに至って、いっきに審理が動き出したのだ。この異例の『勧告』には布川事件の再審請求審の流れが大きく寄与しているもの、と筆者は考えている。

その3年前の05年に、水戸地裁土浦支部が布川事件の再審開始決定を出した。検察が隠していた100件を越える証拠が開示され、それが再審開始への大きな力となったのだ。もし、隠されていた証拠が最初の裁判で法廷に出ていたら、判決は違っていただろう。『検察は無罪の証拠を隠し続けている』それを目に見える形で示した布川事件は、多くの裁判官に強いインパクトを与えたはずだ。

冤罪の背景にはいつも検察の証拠隠しがある。しかし、もっと大きな問題は裁判官の『検察妄信』である。100件を越える布川事件の証拠開示はその『検察妄信』にひびを入れたのではないか、それが福井事件の再審請求審の『勧告』に続いている、と見ることができる。

『証拠開示』と『DNA鑑定』が冤罪と闘う弁護団の2つのエンジンになっている。後ろを見れば、足利事件がDNA鑑定、布川事件が証拠開示、前を見れば、この福井事件が証拠開示、そして東電OL殺人事件、袴田事件がDNA鑑定と続いている。

DNA鑑定は、有無を言わせぬ形で『無実』の発見につながるが、すべての事件に対して有効だというわけではない。その点で、証拠開示は、地味だが冤罪を暴く原点である。」

この記事にあるように、日本においては検察が証拠開示を行わず、被告に有利な証拠を隠匿することで冤罪が生まれています。

私の事件でも、初公判において、検察は証拠調請求を行いましたが、それは彼らの手持ちの証拠全てを裁判所に提出しようというものではありません。

例えば、クレディ・スイスの社員の相当数に検察は取調べを行っていますが、私の知らない社員にも広範囲に取調べを行っていると思われる状況から、彼らが隠している調書は相当数あると思われます。私と同じく株式報酬を得ていたという状況から、彼らの供述調書は非常に重要な情報だと思います。それを証拠として提出しないというのは、その供述調書には私に不利な情報がなかったという理由以外考えられません。

現在、弁護士はこの調書を含め、検察が持っているであろうかなりの量の証拠開示を求めています。しかし、彼らがどういう証拠を持っているか分からない中での手探りの証拠開示請求です。検察は証拠一覧といったものを公開しないからです。

先日の初公判後の記者会見でも、私はこの点について強く主張させてもらいました。

ここをクリック→江川さんツイッター

郵便不正事件を受けて、検察改革を標榜する検察理念にはこうあります。

「あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは、事案の真相に見合った、国民の良識にかなう、相応の処分、相応の科刑の実現である」

彼らが圧倒的な権力をもって収集した証拠のうち、自分たちに都合のよい、被告に不利な証拠のみを裁判に提出するという行動と、彼らの謳う検察理念が相反することは明らかなのではないでしょうか。

結局、検察理念はお題目なのでしょうか。検察は犯罪製造マシーンなのでしょうか。それを今後も問うていきたいと思っています。検察の無謬性が単なる神話に過ぎないということはもう事実なのではないでしょうか。

3/6/2012

P.S.
前回の経過報告で公開した、「検察なう」トゥゲッターのビューア―の数が、日本時間3/6 午後1時半時点で3300人を越えました。依然拡散中です。
ここをクリック→「検察なう」トゥゲッター

「初公判」トゥゲッターのビューア―も1200人を越えています。
ここをクリック→「初公判」トゥゲッター

category: 刑事司法改革への道

2012/03/05 Mon. 20:49 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (109) 「トゥギャりました & 支援する会発足!」 

#検察なう (109) 「トゥギャりました & 支援する会発足!」 3/5/2012

今回の「#検察なう」は、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の威力爆発ということで、まず私の「#検察なう」の原点である、検察取調べ中のツイッターがトゥギャられました。

ここをクリック→検察なうトゥギャッタ―

当時は経過報告(現「#検察なう」)をブログに掲載して、そのリンクをツイッターに貼る際に日付指定してなかったので、ブログのURLをクリックすると最新の書き込みに飛ぶのがちょっと残念なんですが(今は学習して日付指定でリンクを貼ってます)。

まだ暑かったんだよなー、取調べ当時は。頭のクールダウンを狙って、よく取調べ休憩中にアイス食べてました。

取材の記者の方々、お疲れ様でした。最近、お会いする機会が減って寂しいです。

そして初公判の模様もトゥギャられてます。これは一日の中で、いろんな方々のツイッターを集めたものです。かなりライブ感ありますね。

ここをクリック→初公判トゥギャッタ―

海外にいる友人たちもツイッターで成り行きをフォローしていたようで、私がツイートできなかった分、大勢の方がツイートしてくださって助かりました。

これらのトゥギャッタ―は既にビューア―が1000人を越え、現在拡散中です。

そして友人有志により、フェイスブック上に「#検察なう 冤罪と戦う八田隆を支援する会」が発足しました。ジャジャーン。

ここをクリック→#検察なう 冤罪と戦う八田隆を支援する会

「いいね!」を押すと参加できますので、以降、自分のウォールに「支援する会」の書き込みがアップされます。これはオープン・コミュニティーで、私や管理人に友達リクエストする必要はありませんので、是非拡散お願いします。

ということで、今回はSNSをやっていない方にはちょっとちんぷんかんぷんな用語が飛び交う経過報告となりました。今後も引き続き応援の程、お願いします。

3/5/2012

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2012/03/04 Sun. 19:02 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (45) 

#検察なう 桃の節句バージョン (by H.P ♀)

桃の節句



category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/03/04 Sun. 05:07 [edit]   TB: 1 | CM: 0

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#検察なう (108) 「検察冒頭陳述」 3/2/2012 

#検察なう (108) 「検察冒頭陳述」 3/2/2012

初公判を終え、検察の主張が彼らの冒頭陳述(冒陳)で明らかになりました。検察が用意した冒陳のコピーを読み返してみて、その出来の悪さには驚くばかりです。そして非常に怖ろしく感じるのは、このような理由になっていない理由で起訴ができてしまうことです。これは、先日の報道にもあった、検察が裁判所の「あうんの呼吸」を期待していることの表れだと思います(注1)。

まず検察冒陳を一読して、検察官が全く金融の知識がないことが読み取れます。また、更に言えば外資系金融業界のカルチャーも全く理解していないということを感じます。

例えばそれは、クレディ・スイスの社員が株式を受け取るために会社から要請され開設した個人口座を「プライベート・バンク」と呼んでいることにも表れています。

「プライベート・バンク」とは最低預入残高が1億円程度、リスク・アセットに対し4-5%の手数料が科される代わりに、手厚いサービスが提供される特殊な業態を指すテクニカル・タームです。会社の社員口座が「プライベート・バンク」であるはずがありません。「プライベート・バンク」が何たるかを知らない者が誤解している「プライベート・バンク」という響きが醸し出す雰囲気を悪用しようというつもりなのでしょう。

それは単なる言葉の問題ですが、そのほかにも冒頭陳述では、私がクレディ・スイス証券を退社する際、保有株式を「移転先の会社に補填させようと考え」というように、私が意図したかのように述べています。未払い株式の買い取りが移籍の条件というのは、外資の世界では常識で、実際ベア―・スターンズ証券の方からその申し出があったものです。

これらのことは、ただ彼らの金融に関する知識のなさを露呈したものです。

私の税務調査は当初、国税局資料調査課(隠語「リョウチョウ」)が行いました。裁判所の令状を取って問答無用で強制捜査に入れる査察部(隠語「マル査」)と違い、彼らの捜査は全て任意調査です。そのため、有名なマル査よりもむしろ優秀な人材が集められているとも言われています。マル査の私に対する強制捜査直前に、修正申告で手打ちという感じのリョウチョウの取調べの最終段階では、「私たちには外資系金融に対する知識が欠けているため、是非ともいろいろなお話しを伺って学びたいところもあるんです」と捜査官が言い、実際に外資系金融業界のことも勉強しているようで、「さすが取調べのプロというのは違うもんだな」と感じ入ったのですが、剛腕・辣腕ぶりを笠に着るマル査には、そうしたシャープさは余り感じられませんでした。検察の冒陳も同様です。強大な権力を持つと、人は考えなくなり、全て自分が正しいと感じてしまうものなのでしょう。

初公判の報道でも取り上げられているように、検察の主張の骨子は、「会社の指導が十分であった」という、私が(株式報酬に対する所得税が源泉徴収されないことを)「知っていただろう」というものです。

ここをクリック→初公判の報道

検察冒陳では、「会社は源泉徴収の義務がない旨、すなわち会社が源泉徴収を行うことはない旨が明記されていた」とあります。「源泉徴収の義務がない」と「源泉徴収を行わない」が同じであるということには論理の飛躍があります。

クレディ・スイスの文書の中には、同じく株式報酬の源泉徴収に関する記述で「会社は源泉徴収の権利がある」と記したものもあります。「義務がない」と「権利がある」とは矛盾せず、そしていずれも「行わない」とは同義ではありません。源泉徴収の義務がなくても、現に、当時から株式報酬の源泉徴収を行っている会社もあります。

源泉徴収の義務がないからといって、それは必ずしも検察が主張する「源泉徴収を行っていない」ということを意味するものでないことは明らかです。

そして、検察の主張においては、「源泉徴収の義務がない」という文言を私が読み、かつそれを「源泉徴収していない」という誤った理解をして、その上で故意に過少申告をしたという立証が全く欠けています。もしそれが経験則上、誰にでも同じ行動・思考パターンが通用するのだということであれば、300人の税務調査対象者のうち100人もの職員が私と同じく完全無申告であるという事実は、彼らが全て故意犯であるということが前提になると思います。

クレディ・スイスの関係者に対して相当数の取調べを行っていながら、その関係者の供述調書がほとんど証拠調請求されずに隠されている点を勘案すると、むしろほとんど全ての者が故意ではなく、過失であることが強く推認されます。それはむしろ一般的な感覚に近いのではないでしょうか。

検察冒陳では、会社の文書には日本語訳が付けられ、日本語のみが読まれたために、認識しやすく感じられますが、会社の文書は英文オンリーです。そしてその英文の文書を一目見て、どうして「みんながこの文書を読み」「みんなが理解し」「そしてみんなが自分で別途申告・納税しなくてはいけないと気付いた」と言えるのか、私には全く理解できません。

英語だけで書かれた文書を「読まない者もいて」「理解しない者もいて」「自分で別途申告・納税しなくてはいけないと気付かない者もいた」という合理的な疑い(注2)が入って当然だと私は思います。

会社の税務に関する注意書きを抜き書きすると(それだけでも英文全文を読むよりは、はるかに理解が容易となることに留意してみて下さい)

“Please note that whilst there are no employer individual tax reporting or withholding requirements on the delivery of threse shares”
という一文が、検察の主張する「すなわち会社が源泉徴収を行うことはない旨が明記されていた」というものです。

こんなものを理由として私は起訴されてしまったわけです。

もし、私が脱税を意図していたのであれば、こうした会社の税務に関する記述は丁寧に読んだであろうことも想像できます。この文章は以下のように続きます。
“we will in all likelihood be asked by the Japanese tax authorities for details of this delivery at some point in the future. In such an event, we provide the information contained in this memorandum to them without further communication to you on this matter.”
その意味するところは「多分税務当局から、この株式報酬のことについて会社は聞かれるだろうから、その時はあなたに連絡しないで、この情報を渡します」と言っているわけです。先の文章を読んで会社が源泉徴収をしていないことに気付いて脱税しようとしたのであれば、それに続く文章を無視して犯行に至るというのは気違い沙汰としか言いようがありません。

また彼らが最重要証拠と考えているであろうものに、ストックオプションの行使指示書の設問に私が斜線を引いたというものがあります。これが脱税の故意の証拠だというのですから本当に驚愕してしまいます。むしろそれは、検察というのは悪知恵の働くところだという証しなのではないでしょうか。

私は、物事はよく分かっている人間に聞いてアドバイスを求める方が早い、というせっかちな人間なので、ストックオプションの権利行使をする際にも、知り合いの経理部の者に電話して、その電話口で指示を仰いだものです。その指示通りに記入をすることを考えていれば、その書面を前もって読むということは全く合理的ではないと思っています。

斜線は何も深く考えることなく、その経理部の者の指示でしたものですが、検察は、私がその質問の意味を分かっていてそれが自分に該当しないからこそ斜線を引いたのだと主張しています。

それは”only applicable if there is a tax withholding obligation on the exercise of Options”という設問を斜線を引いたことによって、「会社は株式報酬を源泉徴収をする義務がある場合のみ該当」を斜線で消す=「会社には源泉徴収をする義務がないことを認識していた」=「自分で別途申告・納税しなくてはいけないということを知っていた」という超ウルトラC級の牽強付会、こじつけです。

法律の世界では、「証拠の評価」ということがよく言われます。同じものを見ていても、その解釈が全く異なるということがありえます。

例えば東電OL事件。ゴビンダさんが犯人であるとする一番有力な証拠とされているのが、殺害現場の便器に捨てられたゴビンダさんの精液が入ったコンドームです。

精子のおたまじゃくしは、時間が経過すると尾っぽの部分が切れて消失し、頭の部分だけになるそうです。被害者の遺体は殺害から10日程経って発見されましたが、殺害現場に残されたコンドーム内の精液のおたまじゃくしはほとんど頭部だけの状態でした。弁護側の科学鑑定では、コンドーム内に残留した精液は20日程度経っており(ゴビンダさんの証言で、被害者と性行為をもった時期と一致)、犯行時のものではないとされました。ところが検察側の科学鑑定は、「便器内という不衛生な状況においては」、10日という早い時期にも尾っぽが消失する可能性がないとは言い切れないとして、このコンドームは犯行時に残されたものだとされました。

私がその証拠の評価をするならば、精液が10日経過しているとか20日経過しているとかは全く問題にならないと思います。

コンドームの外袋は現場からは発見されていません。検察は「証拠の隠滅のため、犯人が持ち去った」としています。犯行現場になければ、犯人以外の誰もそれを持ち出さないことは明らかなので、それは当然のことです。そのように用意周到な犯人が、自分の精液が入ったコンドームを便器内に残しておくわけがありません。いかに犯人がDNA鑑定の知識がなかったとしても、実に不自然な行動です。

即ち、その精液が入ったコンドームの存在そのものがゴビンダさんの無実の証明なのです。

先のストックオプションの行使指示書に斜線を引いたことに関して言えば、私の主張は「経理部の者の指示に従っただけ」というもので、検察の主張は「斜線を引かせる際に、経理部の者はなぜ斜線を引かなければならないか、会社が源泉徴収をしていないことを説明したため私はその設問の意図するところを十分に理解していた」というものです。

私の証拠の評価は「説明した」「説明は聞いていない」というレベルのものではありません。もし私が理解していたのであれば、設問上にそうした指示のない斜線をわざわざ引く必要もないからです。経理部の者が私に斜線を引かせたのは、電話口で説明をする際に誤記入を防ぐために親切で指示したというものです。そうでなければ、斜線を引くという行為の合理的な説明がつかないと思います。

同じく証拠の評価で分かれることは、検察冒陳にある私のメールです。

税務調査の一番の最初は、2008年11月6日に国税局資料調査課が、私が確定申告をお願いしていた会計・税理士に連絡してきたことが発端です。そして検察の冒陳では、税務調査開始直後の11月8日に私が、「俺の場合海外のアカウントの利子収入とかに課税されると痛い」と友人にメールしたことが述べられています。そのメール全文を引用します。

「『ポルシェとBMWをお持ちのようですが使用状況を教えて下さい』とか『シンガポールの口座の運用内容を教えて下さい』とか、既にかなり調べ上げてきてる。かなり真剣モード。調査員3人が税理士のところまで乗り込んでくるってのもやりすぎちゃうかって感じだけど。俺の場合海外のアカウントの利子収入とかに課税されると痛い。過去8年分の海外口座の全ての取引内容を開示せよだってよ。まじかよ、って感じだけど。国内の口座はもう勝手に調べてるみたい。取れるところからはむしり取る作戦が露骨。」

これが脱税の故意の立証になると彼らは主張し、敢えて冒陳でも言及したのだと想像しますが、私の証拠の評価は全く逆で、このメールは私の無実の証拠となるものです。

私は、税務調査が始まると直ちに、自分の見落としや過失で申告漏れがないかを自ら調べました。最初は何もないだろうと思っていたのですが、調べるとやはり少しはあるものです。それがこのメールに書かれている海外口座の利子収入でした。私はシンガポールの口座で米国債を保有していましたが、国内の金融機関で保有している場合には分離課税で20%の税金が利子から自動的に引かれるところが、同じ商品であっても海外口座で保有している場合、その限りではない(総合課税で他の所得と合算し、自己申告の必要あり)ということが分かりました。それを受けての発言がこのメールのものです。

税務調査が入った直後に、私が億を越える株式報酬の申告もれに全く気付かず、たかだか数百万の利子収入の追徴課税に「痛い」と言っているというのは、株式報酬の申告もれを故意にしたことではない有力な証拠だと思っています。

こうした一般的な常識にかからないというのが法律の世界なのでしょうか。おかしいことがまかり通っているようで、本当に怖くなってしまいます。

引き続き応援の程(ツイッター、フェイスブックでの拡散)お願いします。

3/2/2012

(注1)
検察幹部「裁判官との『あうんの呼吸』はもうない」
ここをクリック→あうんの呼吸

(注2)
「合理的な疑い」というのは法律的なテクニカルタームで、「有罪にするには『合理的な疑い』を超えた証明が必要」という様に使われます。つまり、推定無罪の原則が働く法律の世界では、真っ黒でないと人を罰してはいけないという基本原理があります。「うーん、多分クロなんだけど、100%そうとも言えないかもしれないな」では、絶対に有罪としてはいけないというものです。検察も本来はそのハードルを起訴のハードルとするべきですが、彼らの起訴のありようを見ているとむしろ「推定有罪」ということがままあります。そして、私のケースはもっとひどい、確信犯で犯罪を捏造していると思っています。それが我々の「公訴権濫用」の訴えとなっています。

ここをクリック→合理的な疑い


category: 訴訟記録等

2012/03/01 Thu. 19:07 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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