「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (172) 「機能する刑事司法 - 死刑について考える」 7/30/2012 

#検察なう (172) 「機能する刑事司法 - 死刑について考える」 7/30/2012

雑誌「世界」(岩波書店)8月号の記事「厳罰は有効な刑罰なのか」を興味深く読みました。

これは今年6月に開催された「刑事司法を持続可能にするのは何か?」にパネリストとして出席するため来日したノルウェー元法務大臣クヌート・ストールベルゲ氏と、映画監督森達也氏とのインタビューを収録したものです。

話題として取り上げられているのは、昨年7月にノルウェーで起こった連続テロ事件。これはノルウェーの首都オスロ政府庁舎爆破事件と、その二時間後に起きたウトヤ島銃乱射事件で、合計77人が死亡しています。両事件はアンネシュ・ブレイビクの単独犯とされ、第二次世界大戦以降史上最大の短時間大量殺人事件でした。

この事件当夜に、記者会見を行ったノルウェー首相は「これほどの暴力であるからこそ、より人道的で民主主義的な回答を示さねばならない」と語りました。また事件翌日も、ウトヤ島にいながら殺戮を免れた十代少女の言葉「一人の男がこれほどまでの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」を紹介しながら、「相手をもっと思いやることが暴力に対する答えだということを示さなければなりません」とスピーチしました。

同じような事件が起こった場合に、我が国の首長が、犯人を「思いやるべきだ」という発言をするということは想像すらできないだけに、この彼我の差はなぜあるのであろうかという疑問を強く感じました。

さらに驚きなのは、遺族の反応です。ノルウェーには死刑がありません。最高刑は21年の禁固刑です。これだけの残虐な行為の後だけに、一部のメディアや市民からは刑事司法政策が寛容すぎると批判が上がったことは想像に難くありません。しかし、犠牲者の遺族はみな、そうした動きや声に対して、はっきりと「ノ―」を表明したそうです。彼らの反応は「ノルウェーが歩んできた道を変えてはならない。熾烈な体験を『愛と知恵』によって克服しなければならない」というものでした。

事件の三日後には、バラの花を掲げたオスロ人口の一割に当たる八万人の一般市民がオスロ中心部の通りに集まりました。これは犯人への怒りや報復の表明ではなく、犠牲になった人への哀悼であり、遺族の思いも含めて「愛」の表現だったものです。

結局のところ、死刑を復活させるという選択肢は、その後も俎上にすら載りませんでした。

死刑存置支持率が85%を越え、さらに最近厳罰化傾向に傾斜しつつある日本は先進国の中でも非常に特異な状況です。

先進国の中で例外的に死刑を存置しているのは日本とアメリカだけですが、アメリカは州によって対応が違い、特にここ数年は立て続けにいくつもの州が死刑廃止を宣言して、現在では十七州が死刑を廃止しています。世界における死刑大国は中国ですが、やはりここ数年は急激に執行数が減少しており、イスラム国家も国際世論に歩調を合わせています。極論すれば、世界で日本だけが、死刑を求める民意を増大させていることになります。

「人を殺してはいけないと諫めるために人を殺す」ことはナンセンスだと思う私は、明らかに日本では少数派でしょうが、死刑制度に関しては十分に理解されておらず、議論も深まっていないように感じます。

これは事件が起きる度にその経過を扇情的に伝え、加害者の残虐性や被害者遺族の悲しみを強調するメディアの報道の仕方に問題があるように思えます。その一方で、毎年のように殺人事件数が減少していることは伝えない。結果、治安が悪化しているかのように思って死刑は必要だとする意識が形成されているのではないでしょうか。

死刑に殺人の抑止効果がないことは、先日の大阪での「死刑になりたい」という理由で起きた通り魔殺人を見ても明らか。それでは死刑の意義とは何でしょうか。

それは刑罰の本来の意味を問い直すことが必要です。

私は刑罰に、(応報刑ではなく)教育刑としての意義をより大きく見出すがゆえに、「教育の対象である者を抹消する死刑は刑罰の存在意義と矛盾している」と感じます。

「人を殺すような者を社会に還元するべく教育するのは意味がない」と思われる方も少なからずいると思われます。ただ、その方々にも、その因子を社会から取り除いても、死刑相当の犯罪がなくならなければ意味がないのは理解頂けると思います。犯罪の発生原因とその抑制は、それ程単純なものではありません。

そこでのキーワードは、「機能する刑事司法」です。

死刑相当の極悪犯罪を更に減少させるために、被害者遺族の救済、加害者の更生や出所後の補助等、やるべきこと、考えることは沢山あります。

国際的な権威を集めながら全く報道されなかったシンポジウムだったようですが、そこで元米国連大使ビル・リチャードソン氏はこのように発言しました。「このままでは日本は最後の死刑存置国になりますよ」。

2007年5月国連拷問禁止委員会は、日本に対し死刑執行停止を求める勧告を行っています。国際センスの乏しいのが日本人の常ですが、やはり世界と伍するには、国際世論も考慮しなければと思います。

こうした重要なことを考えることも国民一人一人の責任だと思います。

ここをクリック→ #検察なう (164) 「映画『死刑弁護人』を観て感じること」

ここをクリック→ ブック・レビュー 「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 」

7/30/2012



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2012/07/30 Mon. 10:03 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (171) 「脱税の悪質性の尺度=仮装・隠蔽」 7/28/2012 

#検察なう (171) 「脱税の悪質性の尺度=仮装・隠蔽」 7/28/2012

犯罪を企図する者の心理として、なるべくばれたくないと思うことは至極当然だと思います。ゆえに、かっとして突然に暴行、殺人を行うというような場合を除き、普通は用意周到に準備をし、そして、犯罪行為の後は、それを隠そうとするものです。

脱税をかっとして行う者はいないので、当然、その準備及び犯罪行為後の仮装・隠蔽を伴なうのが通常です。そのことに関しては、以前もブログで「真実の前足(まえあし)後足(あとあし)」 として紹介したものです。

ここをクリック→ #検察なう (157) 「真実の前足(まえあし)後足(あとあし)」

私は、国税局の取調べに際して、「そもそもすぐにばれるようなことをするわけがないし、手口があまりにもあからさま過ぎる」と主張しましたが、査察官は「警察署の前で殺人を犯す人もいます」と全く相手にしてくれませんでした。

その論理が破綻しているのは、警察署の前で殺人を犯す人は、殺人そのものが目的であり、あとはばれても構わないと思っているのに対し、脱税そのものを目的として、あとはばれても構わないと思う者はいないということから明らかです。しかし、ある意味、その時点で国税局も私が仮装・隠蔽をしていないと認めているということは重要です。

それは、国税局は、実務的には仮装・隠蔽をもって悪質性の尺度としているからです。

また、故意のある・なしという心の内面を立証するのは困難であるため、外形的に仮装・隠蔽が認められれば、故意を直接的に立証せずとも脱税(即ち故意あり)を「みなし」で認定しているとも言えます。

勿論、全く仮装・隠蔽を伴わない(故意の)脱税というものも理論的にはありえますが、それは金額が些少であればまだしも、金額が大きくなればなる程、「どうせばれないだろう」と何も仮装・隠蔽をしないということがありえないであろうことは言うまでもないことです。

皆さんは重加算税というものをご存知でしょうか。これは故意で行った脱税に懲罰的に課される追徴課税です。

納税においては、うっかり過失の申告漏れであっても、全くおとがめなしというわけではなく、本税の10%の過少申告加算税が課されます。そして故意の脱税のうち、悪質と認められるものに関しては、35%もの割合の重加算税が課されます。

先日の日経新聞でも、相続税の調査実績で、82.5%もの申告漏れが見つかり、そのうち故意とみなされた重加算税の対象者は16.8%に上ったと報じられていました。

この重加算税を規定しているのが国税通則法第68条です。そこでは、重加算税が課される対象を以下のように定めています。

「納税者がその国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠蔽し、又は仮装し、その隠蔽し、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたときには」

つまり、「過少申告をしていて、なおかつそれを隠そうと色々な工作をした場合には、悪質な故意ありとみなして、かなり厳しいペナルティーを科すぞ」ということです。

どんな仮装・隠蔽の手段があるのか、具体的には単純なものから人智を尽くした難易度の高い巧妙なものまで色々あるのだろうと想像されますが、そこは国税局もかなりのノウハウを蓄積していると思われます。

そして彼らは実務レベルで、どのようなものが仮装・隠蔽に該当するかを通達で類型化しています。役所仕事のイケてないことは、融通が利かないことですが、逆にいいのは、恣意的な適用を防ぐため、きちんとマニュアル化していることです。

ここをクリック→ 申告所得税の重加算税の取扱いについて(事務運営指針)

ここでは8つの類型が挙げられていますが、私の事案に関し、一つ一つチェックいきましょう。

(1) いわゆる二重帳簿を作成していること。
→ 二重帳簿は自営業者の所得隠しの常套手段で、私には該当しません。

(2) 帳簿書類の隠匿、虚偽記載等 があること。
→ 同じく該当しません。

(3) 事業の経営、売買、賃貸借、消費貸借、資産の譲渡又はその他の取引について、本人以外の名義又は架空名義で行っていること。
→ 私が、株式の売却や売却金送金の取引について他人名義で行っているとすれば該当しますが、そのような事実はありません。

(4) 所得の源泉となる資産(株式、不動産等)を本人以外の名義又は架空名義により所有していること。
→ 私が、株式及び売却金を保有していた口座を他人名義のものとしたり匿名口座のものとしていれば該当しますが、私本人の名義でしか保有していませんから、明らかにこれも違います。

(5) 秘匿した売上代金等をもって本人以外の名義又は架空名義の預貯金その他の資産を取得していること。
→ 私の資産の一部でも他人名義や匿名で保有していれば該当しますが、そのような事実はありません。

(6) 居住用財産の買換えその他各種の課税の特例の適用を受けるため、所得控除若しくは税額控除を過大にするため、又は変動・臨時所得の調整課税の利益を受けるため、虚偽の証明書その他の書類を自ら作成し、又は他人をして作成させていること。
→ 全く関係ありません。

(7) 源泉徴収票、支払調書等の記載事項を改ざんし、 若しくは架空の源泉徴収票等を作成し、又は他人をして源泉徴収票等に虚偽の記載をさせ、若しくは源泉徴収票等を提出させていないこと。
→ 私が、源泉徴収票を改ざんしていれば該当しますが、そのような事実はありません。

(8) 調査等の際の具体的事実についての質問に対し、虚偽の答弁等を行い、又は相手先をして虚偽の答弁等を行わせていること及びその他の事実関係を総合的に判断して、申告時における隠ぺい又は仮装が合理的に推認できること。 
→ 実は、上の1~7に該当しないものを包括的にピックアップするのが、この8であり、これを恣意的に適用すれば、全ての過少申告に対して仮装・隠蔽がテクニカルに認定できます。私の場合でいえば、国税局が「八田は過失であると虚偽の答弁をしている」と判断しさえすれば、この項目が適用されかねないものです。しかし、私は虚偽の答弁を一切していませんし、国税局も私の答弁が虚偽であることの立証はできていません。

つまり、私が、例えば株式の売却金を他人名義や匿名の口座に移し替える、といった外形が認められれば、当然仮装・隠蔽を問われますが、私は全くそうしたことをしていません。そもそも私は、脱税しようなどとは思っていなかったからです。

そして、仮装・隠蔽が認められた脱税の中でも、特に悪質なものが刑事告発の対象となります。刑事告発ともなれば、社会に警鐘を鳴らすべき極悪非道の脱税犯ということになるものです。

しかし、私には刑事告発レベルそれ以前の、脱税の認定レベルで必要となる仮装・隠蔽すらありません。

私は、数千万円もの重加算税を2010年4月に支払った上で、その後、同年6月に異議申立てを納税地である目黒税務署にしています。

通常は異議申立てに対する決定は2-3ヶ月を待たずにされるものですが、2年経った今も、何ら決定もされず、放置されているという異常な状態が続いています。

そしてこの間、再三に亘って、重加算税を課した理由の開示を目黒税務署及び国税局に求めていますが、彼らは沈黙しています。税金を取り立てるだけ取り立てておいて、その根拠を示さないというのは、公平・中立・簡素の租税原則に反するものだと思います。

彼らにここまで横紙破りな行動を取らせたのも、結局は、結論ありきの「告発したら起訴してやるよ」という検察を頼みにしていたのだと思います。それは、告発してしまえば、メディアも同調し、私も諦め、裁判所は言うがままという検察の驕りです。

そもそも真実を歪めた行動には、どこかでほころびが出るものです。何ら実質的な立証なしに起訴を強行し、その結果公判で露呈している彼らの全くお粗末な論理展開がそれを物語っています。

どこまで検察がこじつけの論法を展開するのか、そして裁判所がそれに対してどのような判断を下すのか、引き続きご注目下さい。

7/28/2012



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2012/07/28 Sat. 08:20 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (80) 

#検察なう T-shirt @フレンチ・アルプス (by Y.J ♀)

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アルプスは、オーストリアを東端とし、イタリア、ドイツ、スイスにまたがり、フランスを南西端とする山脈です。

アルプスといえば「アルプスの少女ハイジ」。それにちなんだ動画をどうぞ。


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2012/07/27 Fri. 07:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (170) 「友人ブログ『検察の大嘘を暴く』~参議院森ゆうこ質疑応答」 7/26/2012 

#検察なう (170) 「友人ブログ『検察の大嘘を暴く』~参議院森ゆうこ質疑応答」 7/26/2012

友人(ワインつながり)のブログを紹介します。今回のブログのタイトルは「検察の大嘘を暴く」。

ここをクリック→ 「検察の大嘘を暴く」

このブログ内で紹介されている動画、7/24の参議院予算委員会での森ゆうこ議員と、稲田法務省刑事局長、滝実法務大臣及び野田首相との質疑応答の様子をご覧下さい。

よくもまあ、国民の前でここまでしらを切り通せるものだと感心すらします。滝法相に至っては、全く何を言ってるのか意味不明の答弁です。

この質疑応答の後の森ゆうこ議員のツイートがこれです。

ここをクリック→ 森ゆうこ氏ツイート

森ゆうこ議員頑張ってます。彼女が最近上梓した著書「検察の罠」の私のブック・レビューもご覧下さい。

ここをクリック→ ブック・レビュー「検察の罠」

7/26/2012

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2012/07/26 Thu. 08:21 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (79)  

#検察なう T-shirt @世界でもっとも美しい駅 (by H.P ♀)

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昨年、米旅行誌が「世界でもっとも美しい駅14選」を選出し、その中の一つに日本から唯一、私の故郷の金沢駅が選ばれました。

ここをクリック→ 北国新聞ニュース

ここをクリック→ World's Most Beautiful Train Stations

この駅ができた当初は、地元での評判は散々でしたが、旅行客にはよいとされたようです。今ではパリの代表的な建造物であるエッフェル塔や、ルーブル美術館のガラスのピラミッドも最初は酷評されたことと同じなのだと思います。

ここをクリック→ 世界でもっとも美しい駅 「金沢駅」

ところが、この金沢駅は依然、有人改札です。地元民としては、どっちでもよいと思うのですが、張り合う近隣県民はそうでもないようです。

ここをクリック→ 富山県に無人改札

(ちなみに石川県民は全く悔しがっていないので、そこんとこよろしく)

ただ2014年末に長野~金沢間開通予定の北陸新幹線が開業するときには自動改札となるのではないでしょうか。


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北陸新幹線が開通すると東京~金沢間がなんと2時間半を切ることになります。なんと便利な。JR西日本の広報でした。








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2012/07/25 Wed. 07:36 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (169) 「無実と無罪」 7/24/2012 

#検察なう (169) 「無実と無罪」 7/24/2012

先日高校友人からメールをもらいました。それは「無実を信じている」という内容のメールでした。

「私は八田君の無実を信じています。

私の母の実家が八田君の実家の近所なんですが、母にこの件を話すと『八田さん家は、そんなせこいことを考えるような家ではないわ』と言っていました。母娘で八田君のことを信じています」

私がそのメールに返信する前に、彼女はまた次のようなメールを送ってくれました。

「先ほどのメール、部分的に訂正します。

『無実を信じる』→『無罪を信じる』のほうが適切かな?」

無実と無罪は勿論同じではありません。私が送った返信では、「言い直す必要はないよ。無罪になってほしいという気持ちはありがたいけど、無実を信じてくれればいいよ」というものでした。

世の中の全ての人間が無罪だと思っていても、裁判官3人のうち2人が有罪だと思えば有罪になります。それだけ無罪・有罪というのはテクニカルなものです。

私も、刑事裁判の有罪率99.9%という現実の前には、いかに無実であっても、無罪が必ず証明されるとは思っていません。検察もそれを十分理解した上で、無実と分かっていながら、有罪にできると思って起訴をしているものです。また、刑事告発の時点でメディアが一斉に実名報道をしたのも、国税局の告発は全て起訴され、地検特捜部が起訴をしたものは全て有罪になるという前提で、犯罪者のレッテルを貼っているものです。とはいえ、彼らが全て、私が無実でないと信じているとは思っていません。

なぜ無罪の証明がそれ程までに困難なのでしょうか。無罪の証明自体は、本来それ程困難ではないはずです。「検察は合理的な疑いが入らない程度には立証していない」と言えば済むはずです。

ところが、現実には、そうした推定無罪の原則がうまく機能していないのが、日本の刑事裁判の現状です。

そして無実の証明は無罪のそれに比較すると更に困難です。なぜか分かりますか?

私は、私の弁護をしている3人の弁護士に尋ねました。「先生、無罪の対義語は有罪ですが、無実の対義語は何ですか?」

彼らのいずれも答えに窮していました。このことから、次のことが言えます。

無罪の証明は、有罪でないことを言えばできます。ところが、無実の対義語が定義できない以上、無実の反対の概念を打ち消すことによっては無実の証明ができないということを意味しています。

ゆえに無実の証明は、無罪の証明よりもはるかに困難なものです。

しかし、無実は真実である以上、それが法廷という現実とは全く別の世界でテクニカルに有罪とされようと、それが揺らぐものではありません。

その意味で、私は友人に「無実だけ信じてくれればいい」と言ったものです。

自分でコントロールできるものは、最後の最後までとことんこだわるけれども、自分でコントロールできないものにはこだわらない、というのが私の信条です。

無実こそが私のこだわる部分で、無罪は私のこだわるところではありません。いかに検察が有罪だと主張して、裁判所がそれを認定しようとも、私の無実は揺るぎません。

そして、確実に私の無実を真実として知っている者がいます。それは神様と私です。

7/24/2012



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2012/07/24 Tue. 06:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (78)  

#検察なう T-shirt in パラオ共和国 (by M.K ♂)

仕事でパラオってうらやまし過ぎ―。

パラオ

パラオってどこよ?

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調べるとパラオはとても親日的なようです。

パラオはドイツの植民地でしたが、第一次大戦下、この地域の戦争でドイツに勝った日本は、戦後、国際連盟からパラオを含む、ミクロネシア地域を委任統治することを求められました。日本は沢山の移民をこの地に送り、産業・教育・文化の発展に大きな功績を残しました。

第二次世界大戦後はアメリカの統治となりましたが、1994年、パラオはアメリカから独立しました。
 
独立にあたり国旗を制定することになり、国民の間から一般公募した結果「日の丸」を元にしたデザインに決まったそうです。ただし、パラオ国旗の真ん中の黄色い円は、中心からやや左にズレています。それは、日本に対して敬意を表すと同時に「日の丸」と同じ位置では失礼だからという理由から、わざと中心を外したのだそうです。


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なんかむちゃ行きたいぞ、パラオ!

 









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2012/07/23 Mon. 07:55 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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ブック・レビュー 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川 惠子著 

ブック・レビュー 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川 惠子著

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

死刑囚から彼を取り調べた検事に届いた一通の感謝の手紙。彼はなぜ自分を死刑に追い込んだ検事に感謝の意を表したのか。そこから事実を追い求めることが始まる。

事実は小説より奇なりということはあるが、この本に書かれた一人の死刑囚の人生を垣間見ると、「なぜ彼が殺人に至ったのか」という基本的な疑問から立ち止まってしまう。

そして彼を取り巻く人々との関連の中で描かれる人間模様が実に興味深い。

まず、最初に登場する検事の死刑に関する言葉。彼は本来、積極的な死刑存置論者である。

「死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。それなら単なる謝罪を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」

その彼が唯一手掛けた死刑事件がここで描かれている死刑囚の事件であった。事件は昭和41年の強盗殺人。一人の主婦を殺した当時22歳の青年が犯人であった。

昭和58年のいわゆる「永山基準」の前であり、当時は死刑確定事件の約半数が被害者は一人だった。また当時22歳以下で死刑に問われるケースも20%と少なくはなかった。そしてここで描かれている死刑囚の青年には前科がない。つまり今の基準で言えば、死刑となるべきではないケースでこの青年は死刑に処せられている。

人の命を奪うことはいつの時代でも、地球上のどこにおいても「罪」であるはずだが、それを合法的に国に許す基準が、時代によって変化するというのは死刑の存在意義を考えさせるものである。

検事に続いて、話の中心をなすのが、一審死刑判決の後の控訴審で弁護を担当した弁護士。

この青年は控訴趣意書を提出しているが、弁護士はその趣意書に驚かされることとなる。

「今の私は控訴している自分が恥ずかしく後悔しています。本当に被害者に済まないことをした、被害者の家族の皆さんに申し訳ないと思ったら控訴を取り下げてもらって此のまま服役するのが本当と思って取り下げの手続きをしようと思いました。そして自分の考えを私のお袋宛に手紙に差し出しました。『母さん、僕のことはあきらめてくれ』とそんな内容の手紙でした。すると私が控訴しないと母は生きていないと言われ、私が一度に目が覚めたようで控訴を取下げる気力と言うものを失しなってしまい今日に至っているのです。

お願いがあるのですが聞いて下さい。私はもう裁判なんか開かなくても充分納得しています。ですが母に望みと言うのではなく徐々に私をあきらめさせるようにしてもらえないでしょうか。裁判を形だけでいいのです。開いてみて最後まで行けばお袋もあきらめられると思うのです。私の母には何の罪もないのです。虫のいいことをと御叱りを受けるかもしれませんが最後のお願いを聞いてもらえませんでしょうか」

そして懸命の弁護活動の中で、弁護士が提出した上告趣意書はこのようなものであった。

「被告人の情緒感情すなわち情性に大きな変化が起こつた、自己を見つめた反省が本物になりつつある、人間として成長しかけておる、この姿に弁護人は喜びを感ずる。ここで死を与えることではなく生を与へ、被告人をして、一個の人間として更生の途を歩ませるのが、国家刑事政策の取るべきところではないだらうかと思う」

そして、最初は自暴自棄であった青年も徐々に生に対する執着、生きる希望を持ち始めるのだが、結果は死刑確定。そして確定死刑囚としての残りわずかな人生を過ごすことになる。

彼が処刑の直前に弁護士に送った手紙。

「先生、ぼくはこういった最後の手紙は一切書かない積りでいたのですが、
世話になった方々へ何だかんだと30通ばかり
一睡もせず書かせて頂いたのですが
母への手紙だけは涙無く書くことができませんでした。
涙が出て、出て、止まらないのです。
こうやって“母”と言う字を書いただけで、涙が出て来るのです。
そんな訳で最後のご挨拶も満足に出来ませんが、ご勘弁の程を。
それにペン持つ指が疲れました。
先程、一番電車も通りました。そして今、一番鶏も鳴きました。
それでは先生お元気で」

一人の青年の人生を辿り、ひとつの家族や周りの人々の姿が浮かぶ。死刑囚となった者の家族や周りの人々の生き様には、やはり運命に翻弄される人生の厳しさを感じる。

著者は末尾でこう書き加えている。

「罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、人生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。私たちはいつ被害者になるか分からないし、それと同じようにいつ加害者になるかもしれません。被害者や加害者の家族にもなりえます。たとえ人の命を奪わないまでも、相手の心に生涯消えない傷を負わせることもあるでしょうし、たとえ自ら手を下さなくても、傍観や無知を通して加害の側に立っていることも少なくありません。

死刑という問題に向き合うとき、いったいどれほどの人間が、同じ人間に対してその命を奪う宣告をすることが出来るほどに正しく、間違いなく生きているのかと思うことがあります。そして、その執行の現場に立ち会う人間の苦しみも想像を超えるものがあります。

もし裁判が単なる制裁の場ではなく、不幸にも生み出された犠牲の上により良き社会を生み出していくための険しい道を目指すのであるならば、過ちを犯した人間を裁く法廷は、一方的に敗者を裁く場であってはならないと感じています」

この本を読んで死刑について考える機会をもつことは、積極派、消極派を問わず必要であろう。先進国の中では、圧倒的に少数派の死刑存置国であり、なおかつその支持が85%とも言われる状況であるからこそ、より建設的、健全な議論のために、こうした作品を通して考えることが求められる。

ここをクリック→ ブクレコ 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 










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2012/07/20 Fri. 08:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (168) 「無実のゴビンダさんを支える会『7・16再審開始決定報告集会』・おまけ」 7/19/2012 

#検察なう (168) 「無実のゴビンダさんを支える会『7・16再審開始決定報告集会』・おまけ」 7/19/2012

先日の無実のゴビンダさんを支える会主催の「7・16再審開始決定報告集会」には、出席できない方からのお祝いメッセージも届けられていました。

仙台北稜クリニックえん罪事件の守大助さんのご両親、大崎事件・原口アヤ子さんの再審をかちとる首都圏の会や名張事件東京守る会の方や東住吉事件の朴龍晧氏からのメッセージが配布資料に紹介されていました。

そして、東電OL殺人事件といえばこの方、佐野眞一氏からのメッセージもありました。ここで紹介します。

佐野眞一

東電OL殺人事件の再審がついに決まった。同時に「刑の執行停止」も決まり、ゴビンダ氏は妻のラダさんや、娘のメティラさん、エリサさんとともに十八年ぶりに懐かしい故郷のネパールに戻ることができた。まず、おめでとうと言いたい。

これは、足利事件、布川事件、そして厚労省の村木厚子元局長に対する大阪地検特捜部の証拠改竄事件など、不祥事続きで信頼性が完全に地に堕ちた司法の世界に大きな希望の風穴を開ける第一歩だったといえる。勇気ある決定だったと率直に評価したい。

この決定を導き出したのは、十五年も異国の獄舎に閉じ込められながら、無実の主張を一度も曲げなかったゴビンダ氏の強靭な生命力である。もし、ゴビンダ氏の精神力が途中で折れていたら、再審決定が出ることは絶対になかった。

だから私はこう言いたい。日本の司法への信頼性を土壇場でどうにかつなぎとめることができたのは、ゴビンダ氏のおかげである。日本の司法関係者は全員頭を丸めてネパールに謝罪に行くべきだと。

ところがこの決定に対して検察庁の幹部は「到底承服できぬ決定」とコメントした上、再審決定に異議申し立てをした。この期に及んでの悪あがきは笑止千万というほかない。検察はこれ以上恥をかきたくなかったら、組織防衛と自己保身だけが目的のこのみっともない異議申し立てを即刻取り下げるべきである。

ゴビンダ氏無罪の決定的な証拠が出た昨年は、日本が大津波と原発事故とという未曽有の大災害に見舞われた年だった。そこの司法の動きをからませると、歴史的暗合を感じる。

福島第一原発事故を一言で言えば、私たちが信じ込んできた「安全神話」の崩壊だったといえる。では、司法の世界はどうか。数々の不祥事を見てもわかるように、本当はとっくに信頼性は揺らいでいるのに、いまだに「無謬神話」にしがみついていないか。それはあまりに子どもっぽいふるまいである。

人間は時として誤りを犯す。そのとき素直にそのことを認めて謝罪できるかどうかで、その人間の価値と信頼性は決まる。私たちはそのことを昨年の「三・一一」で骨身にしみてわかったはずである。

そうであるなら、検察はこの事件の再審では同じことを蒸し返すのではなく、どこでどう誤ったかを率直に検証する場にすべきである。

それが、「三・一一」から私たちが汲み取るべき最大の教訓であり、冤罪を根絶することにもつながる最良の道でもある。

(以上)

先日の報告集会の模様はこちらです。

ここをクリック→ 無実のゴビンダさんを支える会「7・16再審開始決定報告集会」

また17日付朝日新聞朝刊の記者有論では「東電社員殺害事件 再審でも証拠開示を」と題して、このような記事が掲載されていました。

 「『有罪が確定した事件なのに、なぜ今さら証拠を出さなければならないのか』。消極的な対応からは、検察のそんな意識がうかがわれる。しかし、税金と強制捜査権を使って集めた証拠は本来、正義を実現するために使われるべき『公共の財産』だ。検察が独占できるものではない。

 検察に『有利な証拠だけを出し、裁判で勝てばいい』。そんなゲーム感覚はないだろうか。検察は今も有罪を主張している。メンツや組織防衛ばかりにこだわるのは、最近の検察不祥事に通じると私は感じる。 」

注目に値する記事だと思います。

ここをクリック→ 朝日新聞「記者有論」

7/19/2012



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category: 東電OL殺人事件

2012/07/19 Thu. 08:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (167) 「政界往来8月号 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件~真実は一つ、最後まで冤罪と闘う」 7/18/2012 

#検察なう (167) 「政界往来8月号 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件~真実は一つ、最後まで冤罪と闘う」 7/18/2012

「政界往来」は1922年創刊以来の歴史を持つ由緒正しい月刊誌です(昨年より店頭小売と共にウェブでの発信を開始ししました)。

ここをクリック→ 「政界往来」

その8月号に私の記事が掲載されました。

政界往来表紙

記事のタイトルは「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件~八田隆氏『真実は一つ、最後まで冤罪と闘う』国税局の強引な一罰百戒に蟷螂の斧」というものです。

記事はこちらです。

ここをクリック→ 「政界往来」8月号記事

是非ご一読下さい。

7/18/2012



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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2012/07/17 Tue. 13:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (166) 「無実のゴビンダさんを支える会『7・16再審開始決定報告集会』」 7/17/2012 

#検察なう (166) 「無実のゴビンダさんを支える会『7・16再審開始決定報告集会』」 7/17/2012

昨日、「さようなら原発10万人集会」の参加者数には及ばなかったものの、文京区民センターの会議室では、無実のゴビンダさんを支える会主催の「7・16再審開始決定報告集会」が70人近い参加者を集めて盛大に行われ、私も参加してきました。

手渡された資料の中に、ゴビンダさん手描きの絵葉書があり、「お、これで参加費500円はお得じゃん」と、おまけに弱い私は思ってしまいました。

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まずは再審開始決定とゴビンダさん帰国DVD上映。特にゴビンダさん帰国後のネパールでの様子が見ることができて興味深かったです。地元の報道でも取り上げられたらしく、複数の新聞の1面に写真入りで掲載されていました(なぜ、ネパールの新聞はくしゃくしゃなんだろう)。

その後、ゴビンダ弁護団報告として鈴木郁子弁護士から報告がありました。二審有罪認定及び再審開始決定の証拠構造と新証拠に関する報告は細かな点を再確認することができ、なかなか興味深いものでした。

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その後の質疑応答で、私が長らく疑問に感じていた点を質問する機会を得ることもできました。

私の質問は、事件から14年経過した去年行われ、再審開始決定の決定打になった、被害者女性の膣内残留精液のDNA鑑定に関してでした。

DNA鑑定の結果、2人分のDNAが確認され、一つは被害者女性のもの、もう一つが血液型O型の「証拠番号376の男」というゴビンダさんではない男性のものでした。もしこのDNA鑑定が事件当時されていたならば、ゴビンダさんの無罪には相当有力な証拠であったはずです。

なぜ、そのDNA鑑定が事件当時されなかったかということに関しては、事件当日22時15分まで一緒であった常連買春客の男性がコンドームを装着せずに性行為を行ったと証言し、彼の血液型がO型であったことから、残留精液が彼由来のものであるとの思い込みがあったというのが、警察・検察の発表です。

私の疑問は、もしその常連買春客男性がコンドームを使わずに性行為をおこなっていたのであれば、(彼以外のDNAが発見されている以上)検出されるDNAは3人由来のものであるはずで、2人分のDNAしか確認されなかったのは、その常連買春客男性の「コンドームは使わなかった」という証言は偽証ではないか、そして彼に偽証のメリットがないのであれば、それは警察・検察の捏造なのではないかということです。

鈴木弁護士の回答は、「常連買春客男性との性交渉の後に被害者女性がシャワーを使ったことは確認されており、その際に洗い流されたか、あるいは短時間の間に完全に流出した可能性があり、常連買春客男性の偽証は考えていない」というものでした。

私にはその説明は釈然としないものでした。鈴木弁護士の説明自体が釈然としないということもあったのですが(性行為の直後にシャワーで洗い流しても、妊娠が避けられないように、体表ならまだしも、膣内の残留精液をDNAの痕跡が完全に残らない程洗い出すまで、シャワーの湯水が膣内に届くはずがないのではないかと思ったものです)、それよりも、今回の捜査の問題点は、最初からゴビンダさんに有利な証拠を排除して、ゴビンダさんを犯人にしようという捜査方針が明らかであることです。

その恣意的な捜査を指摘するに足る、非常に重要な根拠が、トイレの中に捨てられたコンドーム内の精液のDNA鑑定までしていながら、一番犯人に近いはずの被害者女性の膣内残留精液の鑑定を敢えてしていないということではないかと思ったものです。少なくとも鈴木弁護士の回答からは、弁護団にそうした問題意識が感じられないということが釈然としなかった理由でした。

そこで、雑誌「冤罪File」編集局の今井恭平氏から助け舟が出されました(彼や今回の集会の連絡をくれたゴビンダさんを支える会事務局長の客野美喜子氏は、先日の布川事件の守る会解散集会の際に、映画「ショージとタカオ」監督の井手洋子氏から紹介されたため既知でした)。今井氏はハスキーボイスのダンディーな方です。

「それはそんなに重要じゃないよ。重要なのは、事件直後の捜査の段階で既に、被害者女性の口唇や乳房にO型の唾液があったことを警察・検察が知っていたことだよ。その証拠を去年の証拠開示まで検察が隠していたってことが重大なんだよ」

そりゃ、そうだ。シャワーを浴びたのであれば、口唇や乳房の唾液は洗い流されるはずで、そのO型の唾液は、常連買春客男性のものではないというのは明らかではないか!ゴビンダさんの血液型はB型なのだから、最後に性行為を行ったのは別の血液型O型の男性であることは火を見るより明らかではないか。それでも今回の再審開始決定直後に異議申立をするとは。おそるべし検察。

この後、まだ報告集会は続きましたが、集会の終了後、今井氏と話をしました。

彼曰く、「再審裁判という場は、現在の制度のもとでは誤判糾明の場になりにくいんだよね。もちろん弁護団は誤判原因究明も見据えてやってはいるんだけどね。実際、足利でも布川でも、弁護団は誤判原因究明を再審の場でもやろうと努力したんだけど、裁判所がそういう土俵を作らないんだよ。桜井さんが国賠をやるのも、誤判原因究明の場たりえない再審の限界を乗り越えようとするたたかいの一つなんだな」

「ふーん、そういうもんなんですね」

「さらには、再審制度そのもの、誤判原因究明のためのまったく新たな制度や場の設定もこれからの課題なんだよ」

さすが冤罪の達人(そんなもんあるんか)。やはり大人たるものこれくらいの見識を持ちたいですね。

その後、日本国民救援会からの挨拶に続き、ゴビンダ事務局からの報告と今後の活動方針として、客野氏と共同代表の蓮見順子氏が話されました。蓮見氏はいつもネパール語の通訳をされている方です。この会の活動中にネパール語の勉強をされたんでしょうか。

客野氏が手にしているのは、ゴビンダさんの家族やネパールの方々からの感謝状だそうです。立派!

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話をする客野氏。

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そして、集会決議を今井氏が読み上げます。

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ここをクリック→ 集会決議

最後は桜井昌司氏のビデオメッセージで締めました。彼は四国巡礼中で、ブログを読むと現在高知にいるそうです。

CIMG4636.jpg

ここをクリック→ 桜井昌司ブログ 獄外記「高知は面白い」

おみやげに「JUSTICE FOR GOVINDA」Tシャツを買いました。デザイン秀逸、プリントではなく刺繍のTシャツ1000円はお得感ありなのですが、ネパール製のTシャツは首が伸びなくて、着る時に「メリッ」としました。そしてネパールの香りがします(まず洗濯することにしました)。

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報告集会終了後、「JUSTICE FOR GOVINDA」Tシャツを着た多分支える会のメンバーの外人の方に声を掛けられ「私ノ周リデ検察なうノツイッターフォローシテル人結構イマスヨ」と言われた時はうれしかったです。

また、私が質問する際に「私も冤罪で検察特捜部と戦ってる真っ最中です」と挨拶したものですから、別の方に「今、何件くらい弁護なさってるんですか」と聞かれ、「いや、私当事者なんです」と答えたところ、「え~、そうなんですか」と驚かれました。あまりこうした場で当事者が発言するということはないようで、おかしかったです。

無実のゴビンダさんを支える会のホームページはこちらです。

ここをクリック→ 無実のゴビンダさんを支える会HP

以前、私が東電OL殺人事件について書いたものがこちらです。

ここをクリック→ #検察なう (155) 「東電OL殺人事件と証拠の評価」

一日も早く再審が開始され、再審無罪の報をネパールに届けることができればよいと思います。

7/17/2012



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category: 東電OL殺人事件

2012/07/16 Mon. 13:59 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (165) 「郷原信郎氏ブログ『「正義」を失った検察の今後』」 7/16/2012 

#検察なう (165) 「郷原信郎氏ブログ『「正義」を失った検察の今後』」 7/16/2012

元東京地検特捜部、高等検察庁検事そして検察の在り方検討会議委員でもあった郷原信郎氏は、その慧眼をもって検察批判の先鋒とされています。しかし彼の批判は常に、検察に「こうあるべきだ、こうあってほしい」という,
内情に精通した者の第三者的な視点から、長期的ヴィジョンをもって建設的に直言するもので、その批判はむしろ古巣の組織への愛情に溢れているといってもいいと思います。

もし郷原氏の著書を読んだことがなく、「なんだか小難しそうで」という方は、彼がペンネームで書いた小説「司法記者」をお読みになるといかがでしょうか。本邦初であろう本格検察小説です。

ここをクリック→ 由良秀之著「司法記者」

そしてその彼が、昨日アップされたブログで、一連の検察不祥事の総括ともいえる記事を掲載しています。

ここをクリック→ 郷原信郎氏ブログ「『正義』を失った検察の今後」

記事は「大阪地検の郵便不正事件をめぐる不祥事以降、相次いで表面化する検察不祥事、事件で失墜していた検察に対する社会の信頼は、6月27日に出された陸山会事件の捜査をめぐる問題についての処分の公表、最高検の調査報告書によって、完全に地に落ちた」と書き出されています。

検察は組織構成上、本来上部組織である法務省の法務官僚の要所が全て検事で占められ、その出世の頂点は外局であるはずの検察庁のトップ検事総長です。

制度上も彼らの行動を規制するのは法務大臣の指揮権のみで、その指揮権が、先日の小川前法相の指揮権発言では大手新聞が一斉にシャットアウトしたようにタブー視されている現状、検察組織を規範するのは事実上、彼らの良心、気概、正義心のみです(それは彼らが身に付けている記章に表された「秋霜烈日」の精神ともいうものです)。

組織上、制度上彼らを抑制する効果的な措置が取られることがないにもかかわらず、彼らに強制捜査権、逮捕権そして起訴権といった強大な権力を付託しているのは、ひとえに国民・社会の信頼があるからです。

ところが大阪地検の郵便不正事件以降、表面化した不祥事に彼らは正義をもって対するのではなく、組織防衛というもっとも取るべきではない方法をもって対処するに及んで、郷原氏は「検察に対する社会の信頼は、完全に地に落ちた」と言っているわけです。

陸山会事件に関する虚偽不正報告書の問題の処分は、個人の問題に帰するものではなく、組織全体の文化、精神に帰することであることは明らかです。それを「この問題だけ、直接関与した個人だけ」と問題を矮小化し、そしてそれにおいても厳罰ではない処分というのは、まさに検察の信頼を損ないこそすれ、回復の端緒になるものではありませんでした。

ここをクリック→ [陸山会事件] 虚偽捜査報告書問題における検察処分関連のツイート+メディア報道

郷原氏は、早くから病巣を指摘していたにもかかわらず、適切な処置を取らずに病巣が全身に及んで取り返しがつかなくなった患者を見る医師のような気分でいるのだと思います。彼の記事はこう結ばれています。

「『正義』を失った検察の今後に、いったい何が期待できるのであろうか。」

検察が正しくあることは我々国民の共通の利益です。検察は我々の肉体の一部でもあると思うべきです。国家の正義の根幹ともいえる検察組織が信頼回復の道を辿るよう、我々は彼らの行動を関心をもって見守る必要があります。

7/16/2012




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category: 刑事司法改革への道

2012/07/15 Sun. 14:04 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (164) 「映画『死刑弁護人』を観て感じること」 7/15/2012 

#検察なう (164) 「映画『死刑弁護人』を観て感じること」 7/15/2012

先頃、映画「死刑弁護人」観賞。これは、多分日本で最も毀誉褒貶の落差の大きい弁護士安田好弘氏を主人公としたドキュメンタリー映画です。

ここをクリック→ 「死刑弁護人」予告編

彼の徹底した依頼人の利益を優先した弁護の姿勢に、強烈なプロフェッショナリズムを感じると共に、私が法曹関係者でないからこそであろう感じる疑問もありました。

私は、司法の場は真実の追求を一義として、有罪・無罪が勝ち負けのゲームであるべきではないと思っています。それは例えば弁護人の立場からすれば、「依頼人の利益」と「真実の追求」のどちらを優先すべきかという問いにも、自ずと私なりの答えを導き出すものです。

弁護士法第一条には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあり、依頼人の基本的人権でさえ社会正義に優先するものではなく、あくまで並列であるように読めます。

また弁護士職務基本規定第一章第五条には「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」とあり、真実追究の理念が必要とされているように読めます。

これらは私の考えるところと矛盾はありません。

映画の1シーン、名古屋女子大生誘拐殺人事件についての述懐で、恩赦を請求するものの死刑に処された依頼人について、安田氏は次のように語ります。

「はっきり言って、僕のミスでしたからね、執行されたのも。執行を止めようと思ったら止めれたんですよ。例えば再審でもね、事実をでっち上げてやり続ければ、今でも、彼生きていると思いますよ」

この徹底した弁護人の利益優先の精神が安田氏の真骨頂だと理解します。そして、それがやはり弁護人としてのプロフェッショナリズムなのだろうとも思います。

これは、真実の追求を二の次として、被告人を罪に問うことがプライオリティーの検察と対峙するためには、その対極である「真実の追求を二の次として、被告人を守る」という姿勢が必要なのだろうとも考えられます。

しかし、それは反則プレイに反則プレイで対抗するようなものだと感じます。私は、検察特捜部の取調べでも、繰り返し何度も「検察の仕事は起訴をすることではない。検察は真実を追求すべきだ」と訴えてきました。そして、それが裏切られる結果となっても、私はその姿勢を捨てることはできません。ましてや、相手の反則プレイに対して、反則プレイで対抗しようなどとは思わないものです。

それは私が弁護士ではないからこうした青臭い精神論的な議論ができるのであって、弁護士としてはもっと実利的なプロフェッショナリズムが必要だということなのかもしれません。

映画で扱われた事件の一つ一つを見ても、複雑な思いです。

和歌山毒カレー事件の林真須美死刑囚の弁護は、安田氏自身、冤罪だと信じているので、その弁護には何ら違和感はありません。

しかし、全ての被疑者・被告人が有効・効果的な弁護を受ける権利があることは憲法で守られているとは理解しても、私がもし弁護士だとして、私が麻原彰晃死刑囚の効果的な弁護をできるとは思えません。私は、最近、坂本弁護士一家に関する本を読んだばかりです。

ここをクリック→ ブック・レビュー 「全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件 」 

以前の私のブログで、「虚偽の無罪の弁護」に関して書いたところ、非常に大きな反響を頂きました。

ここをクリック→ #検察なう (158) 「無罪の弁護をされる弁護士、将来の弁護士の方々へ」

それを書かせた私の気持ちを思うに「心が動かされた」「涙が止まらなかった」という大きな賛同の声もありましたが、複数の法曹・法学関係者の方から、よりテクニカルな側面にフォーカスして「分かっちゃいない」「余計な御世話だ」「冤罪被害者のエゴだ」とのご批判も頂きました。

もし依頼人から、「先生、実は私は罪を犯してるんですが、証拠も少ないですし、無罪という主張で弁護して下さい」と言われた場合、「依頼人の利益最優先」で、虚偽の無罪の弁護をするべきだ、という意見には依然首肯できないものがあります。それほど明らかでない場合でも、もしつじつまが合わない供述から、無罪の主張にほころびが見えた場合には、まず弁護人がそれを解明すべきだと思います。

私は、罪を犯した者は相応の罰を受けることでその罪をあがなうことができると思っていますし、そうすべきだと思っています。そして、日本人の多くは自分の罪を潔く認める一種の美意識を持っていると信じています。

だからこそ私は、名張事件の冤罪被害者奥西勝氏が死刑廃絶の署名運動に異を唱えたということに心を動かされるのです。

この映画の中で取り扱われた事件の一つでも、6人が死亡、14人が全身やけどなどの重軽傷を負った新宿西口バス放火事件で、犯人が心神喪失状態であると弁護することで、検察の死刑求刑に対し、無期懲役を勝ち取りますが、その受刑囚は刑務所内で首を吊って自殺します。その真意は計り知れないものの、自殺の原因に良心の呵責があったことは想像に難くありません。

まず嘘はばれるということを説明し、虚偽の主張が明らかになった時のダメージを理解してもらうことが結局は依頼人の利益につながると思います。また「嘘をついてまで保身を図ることが依頼人の人生にとって有益かどうか」という問題提起をして、依頼人により深く考えてもらうことも必要なのではないかと思います。

所詮は「冤罪被害者のエゴ」ではあるんですが。

また、私は、刑罰の教育刑的な側面を重んじるため、その教育対象を抹消する死刑には反対の立場です(そのほかの理由には、死刑には殺人の抑止力は小さいということと、死刑という極刑の公判にはコストがかかりすぎる、ということがあります。勿論、冤罪の可能性がゼロでないということもあります。日本の現行制度にはない、絶対的無期刑の終身刑を創設すべきだと思っています)。

安田氏も死刑反対論者で、犯罪者の更生を信じています。映画の中で、「どんな人でも更生できるか?」と問われ、こう答えています。

「更生しないということが、想像できないですね。それはあの.....ヒットラーもそうだろうと思うんですよ。どんな独裁者でもそうだろうと思うんです。しかし僕らみたいな市民、庶民はもっともっと単純。簡単に右から左へ、塀の外から中へ、中から外へと変わりうる」

安田氏が受けている実際の弁護活動を死刑反対運動に利用しているという批判が妥当だとは思いませんが、やはり死刑存置論者が死刑に反する弁護をするよりも理解は得難いのだろうと思います。なかなか難しいものです。

司法の在り方を考えるためのfood for thoughtとして秀逸の作品だと思います。地域限定単館ロードショーの作品ですが、機会がありましたら是非ご覧になって下さい。

ここをクリック→ 映画「死刑弁護人」公式HP

7/15/2012


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category: 刑事事件一般

2012/07/14 Sat. 14:38 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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ブック・レビュー 『全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件 』 江川紹子著 

ブック・レビュー 『全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件』 江川紹子著

全真相 坂本弁護士一家拉致

6月初旬に日本の別宅から一駅の北鎌倉の駅に降り立ったのは、梅雨の前の花を見るための散策のつもりだった。円覚寺に立ち寄った際、目に留まったのが坂本一家の墓所を示す案内版。なにげに立ち寄った墓は、きれいにされていて、凛として清々しさすら感じた。

事実としては知っていた坂本弁護士一家拉致・殺害事件。この本はその事件を扱ったものである。わずか一月足らず前に坂本一家の墓を訪れたことが偶然なら、この本を手に取ったのも偶然だった。この6月で、私の住むバンクーバーのダウンタウンにあるブックオフが閉店となり、その閉店セールに出向いた時に目に留まったのがこの本であった。

1989年11月の事件当時、あるいはその後の1995年3月の地下鉄サリン事件当時も、オウムへの関心はさほど強いものではなかった。自分の仕事があまりにも忙しかったためである。

しかし自分の中にもオウムの影響を見ることがある。私があまりにも頻繁に使うものだから、「それって多くの人が分かるけど、誰も使わないよね」と言われたのが、「ポア」という言葉である。その言葉も今では擦り切れて、初めて聞いた時の間延びした音と、人を物のように処理する意味のギャップに感じた戦慄は今ではない。「ポイっとしといて」と同じように「ポアして」と使っているのである。

理由のいかんを問わず、人が人を殺めることは理不尽で残酷なものである。しかし、この本を読んですぐに、これほどまでに理不尽なことがあるのだろうかと、殺害された坂本一家のことを考え、感じてしまった。

次の文章を読めば、私の意味するところが少しは理解頂けるかと思う。これは坂本堤氏が司法修習生の時に、自己紹介文集に寄せた文章である。

「僕には車イスに乗った障害者(脳性マヒ)の友達がいる。はじめ彼らとつき合った時、心のおののきを感じた。彼らの激しい障害の姿を見た時、何といっていいか......自分が健常者であること、それだけで彼らを差別しているような、そんな心のやましさを感じたからだ。つきあってみればそんな危惧は消えるが、それでもある種の『しんどさ』はある。その『しんどさ』とは何か?彼らの生きることの厳しさが、僕に自分の生活の安易さ、怠惰さを無言で糾弾するからである。

本当に彼らの『生』は厳しい。しんどい。しかしその中で、彼らは人に全面的に世話をされることを拒否して、できる限りその範囲で主体性を確立しようと頑張る。

『何故だろう?』『何故自分の寿命をけずるようなことまでして、そうまで頑張るのだろう?』

僕のもの問いたげなまなざしに対し、彼らはゆっくりと答える。

『だって外は、家の外は、車イスで出られる外は、こんなにも素晴らしいからさ』

僕は思う。心に希望を、外へ拡がりゆく世界を持つ者は強いと。小さく、からを閉ざして自分を守ることしか考えられなくなった人間は弱いと。僕が彼らの前で感じたおののきは、そんな弱い自分が、強い人間の前に出た時のおそれだった。

彼らは外へ出たがっている。外へ出してくれる人々の"手"を持っている。僕も外へ出ようと頑張っている。心に希望をもって、外へ拡がりゆく世界を獲得したいと思っている」

この本を読んでいる間中、去来するのが「なぜ?」という疑問である。「なぜこのような善良な人たちが殺されなければならないのか」「なぜこんな非人道的な行為ができるのか」。しかし残念ながら、この本はその疑問には答えてくれない。この本では書き切れない、闇の奥底をのぞく必要があるだろう。

しかし、もしかしたら、奥深く足を踏み入れても、何も見つからないかもしれない。上九一色村のオウム本拠地への強制捜査の際に、隠れ部屋で金を抱えて隠れていたという行動一つに、麻原彰晃の底の浅さを垣間見るからである。

いずれにせよこの本はあくまで序章であり、江川氏のその他の書に答えを期待する。江川氏自身もこの本の終章で叫んでいる。

「私はこの男を絶対に許さない。麻原が行ってきた悪業の真相を後世に伝えるため、そして坂本さんが目指したような形でオウム問題を全面的に解決させるために、事実を記録し続けるつもりだ」

この本と一緒に買った「『オウム真理教』追跡2200日」を読むのが楽しみである。

そして、私は今後、「ポア」と口にする度ごとに、坂本一家の無念の1兆分の1くらいを思い出すことになるのだろうと思う。

ここをクリック→ ブクレコ 『全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件』










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2012/07/13 Fri. 18:27 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『ムーンライズ・キングダム』 ウェス・アンダーソン監督 

フィルム・レビュー 『ムーンライズ・キングダム』 ウェス・アンダーソン監督

moonlight kingdom

ウェス・アンダーソン監督の最新作『ムーンライズ・キングダム』鑑賞。この作品は(アニメ、短編作品を除く)長編作品としては、2007年の『ダージリン急行』以来。

『天才マックスの世界』(1998年)以来追っかけている監督だが、前作の『ダージリン急行』がこれまでの最高作と思ったら、それを越えてきた。前作『ダージリン急行』はウェス・アンダーソンらしからぬ洗練さがあったが、この作品はのっけからまさに「The」ウェス・アンダーソン。

家族や友人に馴染めない変わり者の男の子と女の子の家出が題材になってるんだけど、彼らのキャラクター作りが実にヴィヴィッドでいい雰囲気。『小さな恋のメロディー』変わり者版って感じかな。

あと脇を固める俳優・女優が豪華なんだけど、みんなウェス・アンダーソンの世界にはまってる。特によかったのはブルース・ウィルス。エドワード・ノートンが芸達者なのは分かってるけど、ブルース・ウィルスもこんな演技できるんだな、って感じでした。

ウェス・アンダーソンの作品を観てない方は是非。勿論、ウェス・アンダーソンの作品をこれまで観た方も是非。

ここをクリック→ 『ムーンライズ・キングダム』予告編

(Facebook 7/4/2012より転載)









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2012/07/11 Wed. 19:07 [edit]   TB: 1 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (77) 

#検察なう Tシャツ・プロジェクト 「かつての高額納税者」


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2012/07/09 Mon. 12:40 [edit]   TB: 1 | CM: 0

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外資系証券なるもの (13) 「80年代=米金融市場の変革期」 

外資系証券なるもの (13) 「80年代=米金融市場の変革期」

私が大学卒業後、最初の会社勤めとなるソロモン・ブラザーズ証券に入社したのは1987年でした。この時の時代背景を少し語ってみたいと思います。

金融に従事していない一般の方々は、証券会社というと「株屋さん」のイメージが強いと思います。1929年の大恐慌でも、株価が暴落して世の中がてんやわんやであったことを知識として知っているように、株が昔から証券会社の扱う商品であることはよく知られているところです。そして証券会社=株屋というのは、80年台以前では、あながち間違った認識ではなかったものです。

証券会社の扱うもう一つの主軸商品が債券です。アメリカにおいて債券市場が急拡大したことは、80年台の一つの重要な現象でした。その背景には金融自由化があります。

80年代初頭より、アメリカの金融市場では、金融自由化の動きがあり、いろいろな規制が撤廃・緩和されました。特に重要なものとしては、業際間規制の自由化(銀行と証券の垣根を設けていたグラス・スティーガル法の大幅緩和)のほかに、ここの議論で重要となる預金金利規制の自由化が挙げられます。

「金利」という言葉をお聞きになったことがあるかと思います。お金を借りた時、あるいは貸した時に払う、受け取る利率のことです。

そして金利の前に「規制金利」と「市場金利」という言葉が付くと、それぞれ特別な意味を持ちます。「規制金利」とは政府が決める金利のことです。中央銀行(日本では日銀)が決める金利を限定して「政策金利」ということもあります。それに対し、マーケットが自由競争で決める金利を「市場金利」(あるいは「自由金利」)といいます。

アメリカにおいては長らく、預金金利を上げて預金の取り込み競争が激化することを防ぐため、その上限が決められていました。預金金利は、個人・法人から預金を預かる金融機関にとっては、資金の調達コストを意味します。その調達コストの上限が決められているということは、市場金利が上方硬直性をもって上がらないことになります。

例えば、住宅ローン金利を考えてみます。住宅ローンは、それを貸し出す金融機関にとっては、大きな収益源です。アメリカにおいて、80年代以前は住宅ローン貸出の大部分は、今のように商業銀行ではなく、住宅ローン専門の貯蓄貸付機関(Saving & Loan)が担っていました。

彼らの経営は「3、6、3経営」と呼ばれていました。「3%の金利で借り入れをして(預金金利3%で預金を預かり)、6%の金利で住宅ローンを貸し出し、3時になるとゴルフに行く」というものです。金利が動かないという状況下では、金融機関の運営もそれだけ単純なものだったということです。

ところが、80年代初頭にインフレが急進行する中で、規制金利を大幅に上げることが起こります。ここでは小難しい経済理論は端折りますが、景気がよくなり過ぎると物の価値が上がる(相対的に貨幣価値が下がる)「インフレ―ション(インフレ)」という現象が起こり、景気が悪くなり過ぎると物の価値が下がって(相対的に貨幣価値が上がって)「デフレーション(デフレ)」という現象が起こると思って下さい。そして景気の調整を「金利」というブレーキで調整すると考えて下さい。

景気がよくなると物が売れ、みんながそれを欲しがれば物の価値が上昇します。そのままいくとコントロール不能になると判断した政府は、ブレーキを踏み込むわけですが、そのブレーキの役割が「金利」になります。もし企業の調達コストが高ければ、物を作りにくくなり、自然と景気に抑制の効果があると期待するものです。

人間というのは、常に進化を求める生き物ですので、その活力によって景気は普通の状況であれば、ゆるやかに上昇するものです。そしてその状況下では、軽くブレーキに足を乗せた状態である適当な水準の金利があるものです。

現在、日本で異常に金利が低いのは、景気が無茶苦茶悪くて、色々景気刺激のアクセルを踏む(公共投資等)と同時に、ブレーキを全く効かせていない状況に相当します。

80年代初頭のアメリカでは、長期間の好景気の代償としてインフレ率が高騰しましたが、規制金利をいくら上げても、預金金利の上限のおかげで、その効果が見られないということがあり、その金利を撤廃することになりました(預金金利の完全自由化は1983年)。

それは、市場参加者にとって突然に、金利とは動くものだという大きな転換をもたらします。債券とは、発行体の借金を「債券」と呼んで証券とみなしたものです。例えば、国債とは国が借金をしているわけですが、借金である以上は、支払い期限があり(=満期)、利息もあります(=金利)。

そして金利が上がると債券の価格は下がります。3%の金利のついた債券を持っている人は、もし金利が上がって5%で運用できる状況ではうれしくないですね。それが価格下落になります。逆に、3%の債券は、金利が1%の状況ではその価値が増すこととなり、価格も上昇します。

預金金利の上限撤廃により、金利が上昇するようになると、債券の価格は下がります。下がったものはいずれは上がります(金利が上昇しつづけることはないため)。ここに投資家は収益機会を見出すわけです。それまでつまらない投資対象商品だった債券が、俄然面白くなったのが80年代というわけです。

また80年代の金融市場の変革には、「間接金融から直接金融」及び「証券化市場の拡大」といった事象も挙げられます。

企業が資金を調達する際、銀行から借り入れることを間接金融、市場から(=投資家から)直接調達することを直接金融といいます。直接金融では、証券会社(企業の資金調達の橋渡し業務を投資銀行業務と呼び、アメリカでは証券の売買と投資銀行業務を収益の両輪とする金融機関を投資銀行 Investment Bank と呼んでいます)を仲介として、株や債券を発行し、それを投資家に買ってもらうことで資金を調達します。

株式は、経営権を株数で案分したものですから(ある株式会社の株式が100株あれば、その1株をもつことは経営権の1/100を持つことに等しい)、株式の新規発行による増資というのは、既存株主の利益を損なうことはお分かりになると思います(これを「希釈化」といいます)。

80年代に入って債券が売れるようになると、投資銀行の収益構造にも大きな変化をもたらしました。投資銀行部門で、大型社債の起債がその収益源となりました。勿論、それを売買する社債部の収益も貢献します。

先に、住宅ローンの話をしましたが、住宅ローンと言うのは長期の貸出です。それに対して、預金は短期の借入ですから、市場金利の上昇により、借り入れコストが上昇すると逆ザヤ現象が起こります(既に貸し出している住宅ローンの固定金利を変えることができないため)。この逆ザヤ現象を未然に防ぐ方法として、考案されたのが「証券化」です。

金利のリスクをなくすには、貸し出したローンを売却すればよいのですが、住宅ローンの転売というのは、なかなか難しい点があります。そこで、そのローンを束ねて、それに政府の保証をつけて証券として販売したことがこの証券化です(私の外資系証券での専門分野は、この住宅ローンの証券化でした。またこれに関しては、後にもう少し詳しく説明する機会があるかと思いますが、ここではこの程度にしておきます)。

新しい商品が生み出されれば、その売買がまた投資銀行の収益源となることはお分かりになって頂けると思います。

債券の売買を強みとするソロモン・ブラザーズ証券は、80年代に急拡大した債券市場の成長と共にその地位を確立し、80年代半ばには会長のジョン・グッドフレンドが「ウォール街の帝王(King of Wall Street)」と呼ばれるまでになります。

私がソロモン・ブラザーズ証券に入社した当時、会社はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。世界最強の投資銀行の一員として私の社会人の第一歩がありました。

(続く)




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2012/07/08 Sun. 15:03 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (76)  

「少女 + トロント証券取引所 + #検察なう T-shirt」 (by H.P ♀)


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2012/07/07 Sat. 18:56 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (163) 「冤罪関連イベント案内」 7/7/2012 

#検察なう (163) 「冤罪関連イベント案内」 7/7/2012

私のツイッターでも紹介していますが、冤罪関連のイベントが控えていますので、それをご案内させて頂きます。

時系列順に、まず今日、7/7。午後1時から文京区民センターで、「7.7 袴田事件と名張事件―冤罪と死刑―再審無罪へ」という、今最も再審開始が急がれている事件の担当弁護士による報告会があります。袴田巌氏の姉、秀子さんの挨拶もあります。

ここをクリック→ 7.7 袴田事件と名張事件―冤罪と死刑―再審無罪へ

そして明日。場所は長崎県五島市で映画「BOX 袴田事件 命とは」上映会開催があります。入場料無料。

ここをクリック→ 長崎県五島市で「BOX 袴田事件 命とは」上映会開催

映画「BOX 袴田事件 命とは」はずっしり来ます。構成上、興味深いのは裁判官の熊本典道氏にフォーカスを当てている点です。彼は袴田事件の一審の合議で無罪に票を投じました。事件のみならず、死刑制度に関しても考えさせられる映画です。機会があれば是非ご覧下さい。

ここをクリック→ 「BOX 袴田事件 命とは」予告編

7/16 (祝)、午後1時半から無実のゴビンダさんを支える会の「7・16再審開始決定報告集会」があります。二部構成で、1時半からは報告集会、3時半からは祝賀会となっています。報告集会のDVDは、支える会代表の客野さんが、ご自身で撮影したものだそうです。

ここをクリック→ 7・16再審開始決定報告集会

写真にあるゴビンダさんの笑顔がいいですね。

それから、7月14日の大阪府豊中市を皮切りに、アムネスティ主催で、「逮捕から46年。『それでも負けてたまるか』」と題する袴田秀子さんの講演会が全国で行われるスピーキング・ツアーが始まります。兵庫県、広島県、滋賀県、静岡県、新潟県、神奈川県、東京都で開催予定です。詳しくはこちらを。

ここをクリック→ 袴田事件~逮捕から46年。「それでも負けてたまるか」

また刊行物になりますが、昨日の桜井昌司さんのブログ「獄外記」で、守る会記録誌完成が紹介されていました。


ここをクリック→桜井昌司「獄外記」守る会記録誌

「布川事件に集い、あらゆることをして再審に道を切り開いて下さった皆さんの、その行動の積み重ねを読んで見ると、改めて日本一の支援者に恵まれたと感じるねぇ。」という桜井さんの言葉には、彼と杉山昌司さんを支えてくれた支援者の方々への感謝が表れています。私も多くの人に支えられて冤罪と戦っている者として、是非読んでみたいと思っています。

最後に今月号の雑誌「世界」に江川紹子氏のルポ「つくられる『冤罪被害者』―名張事件・東電OL事件再審請求のゆくえ―」が掲載されています。これも興味深い内容です。

ここをクリック→ つくられる「冤罪被害者」──名張事件・東電OL事件再審請求のゆくえ──

冤罪をなくしたいと思う気持ちは皆さん同じだと思います。そして「何ができるんだろう」と思われている方も多いと思います。まず知ることがその一歩になります。是非ご関心を持って頂ければと思います。

7/7/2012



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category: 冤罪事件に関して

2012/07/06 Fri. 17:59 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (162) 「NHKクロ現 『検証・取調べの可視化』+ 検事総長赤レンガ派に禅譲か」 7/5/2012 

#検察なう (162) 「NHKクロ現 『検証・取調べの可視化』+ 検事総長赤レンガ派に禅譲か」 7/5/2012

昨日、NHKでクローズアップ現代「"密室"は開かれるのか~検証・取調べの可視化~」が放送されました。

検察機関のトップである笠間治雄検事総長自ら出演という画期的な企画ではありましたが、内容は画期的とは程遠いものでした。

インタビューが現場検事2人+笠間検事総長と検察サイドの人間だけであり、彼らに可視化の功罪を両面から話すように編集されたのでしょうが、当然、可視化を避けるようにバイアスがかかっていました。

なぜNHKが、司法改革のためには可視化も当然必要だとするコメンテイターを入れなかったのか疑問を感じます。

特に、私は、笠間検事総長が良識ある検察改革派だと期待していただけに、彼の「ベストだと思われる録音録画を、捜査側の裁量でやるというのが私の考え」という発言にはとてもがっかりしました。

可視化は全面可視化しかやる意味はなく、捜査側の都合のいい部分だけを部分可視化するのは百害あって一利なしです。

この番組関連のツイートをトゥギャりましたので、是非ご覧になって下さい。このトゥギャッタ―には、昨日最高検で行われた笠間検事総長の可視化に関する記者会見の模様も加えてあります。

ここをクリック→ NHKクロ現「検証・取調べの可視化」

可視化に関しては、以前にブログで取り上げていますので、そちらも合わせてお読み下さい。

ここをクリック→ #検察なう (114) 「可視化について」

また昨日報じられたところでは、笠間検事総長が今月にも勇退し、現在東京高検検事長の小津博司氏が後任に就くことが見込まれています。

ここをクリック→ 笠間検事総長勇退の報道

検察組織には、「赤レンガ派」と「現場派」という2つの派閥があることは広く知られています。

「赤レンガ派」とは、文字通り赤レンガで造られた法務省勤務が長いエリートで、将来の法務事務次官や検事総長の候補者です。

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普通、官僚のトップは事務次官なのですが、法務省・検察庁の場合は検事総長 > 東京高検検事長 > 大阪高検検事長 > 最高検次長検事 > 法務事務次官の順というのが実態のようです。監督機関である法務省が、国民ではなく、本来その外局である検察の方を向いて仕事をしている事情がお分かりかと思います。

従って、法務事務次官から東京高検検事長を経て検事総長になるというのが「赤レンガ派」のエリートの進む道となります。「赤レンガ派」のエリートも、キャリアの途中に捜査の現場に出ることはあるのですが、あくまでも「箔付け」として特捜部に所属したりするだけで基本的には捜査現場には長く居ません。

これに対して「現場派」は基本的にずっと捜査現場にいて、捜査のプロと言われる検事も多いものです。特捜部長などは「現場派」のエースが着くポストなのですが、基本的に彼らが法務事務次官や検事総長に着くことはありません。また「現場派」は、私学や地方国立大学の出身者が多いようです。

例えば郵便不正事件で、証拠のフロッピーディスクを改竄した前田元主任検事は広島大学卒、元大阪特捜部長の大坪弘道氏は中央大学卒で、ともに典型的な「現場派」です。

笠間検事総長は、中央大学出身、東京地検特捜部長を務めたバリバリの「現場派」です。彼が検事総長となった背景には、郵便不正事件で当時の大林検事総長が引責辞任をしたという背景がありました。法務事務次官を経ずに検事総長に就任するのは12年ぶり、法務省本省での勤務がない検事総長は27年ぶり、史上2人目という人事でした。

現場から人望がある人物をトップに据えて、急場を乗り切ろうとしたものです。

それまでの検事総長はメディアに自ら露出するということはなかったものですが、彼は着任後、文藝春秋にインタビュー記事が掲載されるなど、若干国民の理解を求める姿勢があるのかと期待したものです。

しかし、今回の陸山会事件にからむ虚偽捜査報告書問題の処理を見ていても、やはり検察組織が国民の利益を第一に考えるということはないということがよく分かりました。

責任をうやむやにしたままで、自分たちのご都合主義の人事(小津氏の定年間際滑り込みで検事総長のポストを提供する)一つ取ってもそれが表れています。

求心力では笠間氏より落ちるであろう「赤レンガ派」の小津氏が既定路線通り検事総長になって、検察改革の道のりはさらに厳しくなり、国民不在の検察暴走が今後も続くことは容易に予想されます。残念なことです。

7/5/2012




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category: 刑事司法改革への道

2012/07/04 Wed. 12:14 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (75)  

#検察なう T-shirt = Rock T-shirt (by Y.H ♀)

WE ROCK!

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2012/07/03 Tue. 12:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (161) 「国選弁護人の弁護報酬について考えること」 7/3/2012 

#検察なう (161) 「国選弁護人の弁護報酬について考えること」 7/3/2012

まず一番先に確認しておくことは、「全ての被疑者・被告人は、常時、弁護人から有効・効果的な弁護を受ける権利を認められている」ことです(憲法第37条第3項及び刑事訴訟法第30条)。それはどんな残虐な犯罪者であっても例外ではありません。

(先日のブログで言及した「虚偽の無罪弁護」の是非に関しては反響が大きかったので、更に議論を深めたいと思っていますが、そこでも私の意見は何びともの弁護を放棄すべきだというものではありません。)

資力に乏しい被疑者・被告人のために備えられた制度が国選弁護人制度です。国が弁護士費用を負担することで、被疑者・被告人の権利を守ろうとするものです。

6月22日発売の週刊金曜日に「刑事弁護人が抱える困難」と題した記事が掲載されていました。そこで挙げられたものの一つに、国選弁護人の弁護報酬の問題がありました。刑事弁護でも重大事件のしかも否認事件ともなれば、弁護士の時間的・経済的負担は大きくなり、時には持ち出しとなるケースも珍しくないようです。こうした弁護士が「手弁当」でも弁護に当たるという制度は、弁護士の使命感や良心に大きく依存するものです。

片や、捜査権力は湯水のように税金を使って彼らの意図する目的を達成しようとします。私が、これは「当事者対等の原則」に反するのではないかとツイッターでツイートしたところ、フォロワーの方から新聞記事のリンクを頂きました。

ここをクリック→ 西日本新聞 「罪と更生」

この記事によれば刑事事件の捜査・裁判には1人当たり2千万円の税金がかかるとされます。私も担当の弁護士に確認したところ、「そうでしょうね。警察・検察の捜査、調書の量を考えれば、それくらいになるのではないでしょうか。八田さんの事案では、億は軽く行ってると思いますよ」とのことでした。

国選弁護人の報酬は起訴後の一回結審で6万円以上、大体7万~8万円というのが相場のようです。

捜査権力の経費と弁護士報酬をダイレクトに比べるわけにはいきませんが、圧倒的な格差です。また、私選弁護人の弁護報酬と比較しても、国選弁護人の報酬は極端に低いような気がします。

弁護士には公益活動義務というものがあります。それは弁護士職務基本規定の第1章第1条及び弁護士法第1条に定められた彼らの使命が、「基本的人権の擁護」と「社会正義の実現」であり、それを現実に達成しようとするものです。

弁護士は、国選弁護をもってこの公益活動とすることができ、国選弁護制度はこうした弁護士の使命感・良心に支えられているものです。しかし、もし彼らが崇高な理念を持っていたとしても、彼らに過重な負担なく維持できる制度は重要です。彼らにプロフェッショナルとしての精一杯のパフォーマンスを期待するためには、彼らに時間的、経済的、そして精神的な余裕を与えることが必要です。

まずこの国選弁護の報酬がどのようにして決められているかを調べて驚きました。

報酬を実際に決めているのは「法テラス(日本司法支援センター)」という公的法人だということで彼らに電話をしてみました。

「すいません。国選弁護人の報酬はどのように決められているのでしょう」

「業務方法書に従って算定されています」

「その業務方法書というのはどこが作成したものでしょうか」

「法務省です」

「法テラスの監督はどこがしているのでしょうか」

「法務省の管轄になります」

検事の出向先のような法務省が国選弁護料を決めているとは、私の常識では全く理解できないものです。これで何も文句が出ないというのは、やはり弁護士というのはいい人たちなんだなと納得した次第です。

先の公益活動義務は年間に10時間以上とされていますが、負担金5万円を払えば公益活動義務に代替できるとされています。私選で十分ビジネスが成り立つ優秀な弁護士の中には、その負担金を払って国選弁護をしない人も当然いると思われます。

それに関しては人それぞれの考え方があると思いますが、私は能力の高い弁護士が私選でこそその能力を発揮できるとすることに異議を唱えるものではありません。それは歯科医の自由診療のようなものだと思っています。

私は仕事をしている頃のストレス発散方法の一つに歯科医通いがありました。私のかかりつけの歯科医は自由診療しかしない方でした。そのテンピュールの枕付きフルリクライニングの診療台に横になり、「キュイーン、チーン、ガガガガ」というドリルの振動が脳に心地よく響くと、短時間でも深い眠りにつけたものです。歯科医も最初は「八田さん、頑張って起きていて下さい」と言っていたのですが、そのうち向こうも分かったもので、私の診療の時は眠っても口が開いたままの状態にできるマウスピースをつけて加療してくれました。

彼との付き合いはかれこれ15年以上になりますが、その彼に「なぜ自由診療しかしないのですか」と尋ねたことがあります。彼の答えは「患者の方々ときちんと時間をとってベストの治療をしたいから」というものでした。私選弁護はまさにそういうものだと思っています。

そして制度上は、弘中惇一郎氏とまではいわなくても、未来の弘中惇一郎氏のような有能な弁護士でなおかつ国選弁護も厭わないやる気のある弁護士が弁護をしてくれる可能性があるものが日本の国選弁護人制度です。しかし、それは先程述べたように、弁護士の使命感や良心に大きく依存しています。

私の弁護人に少々意地悪な質問をしました、「先生は国選と私選両方していますが、国選であまりに労力を取られると、高いフィーを払っている私選のクライアントに不誠実だと思うことはないんですか」。彼女の解答は、「八田さんには悪いのですが、私は全く区別しません」というものでした。模範回答です。

私は資本主義の成長力を信じており、卓越した労働の対価に正当な評価を求めることになんら疑問をはさまないため、正直、なかなかそのような心持ちにはなれないなあ、と感じました。

しかし、例えば保釈の成功報酬を保釈金に対して一律のパーセンテージで徴収する弁護士事務所は論外としても、弁護士も霞を食って生きているわけではないので、もう少し国選弁護にも優秀な方たちが積極的に参加できる枠組みを作ることは国民全体の利益だと思います。

そのためには、7~8万円の報酬が10万になろうが20万になろうが、大した効果はありません。もっと大胆な改革が必要です。

国選弁護を弁護士全員に義務化する方法もありますが、私が弁護士なら、「おいおい、そりゃないだろー」と内心思うと思います。人間は強制されることを好まない動物です。

私が考えた案は、まず否認事件と自白事件を分けて報酬に大きく傾斜をつけます。そして公判で無罪判決が確定した場合には、報奨金を国から与えるというものです。死刑・無期懲役刑の事案では5000万円、それ以外では1000万円くらいが適当な水準ではないでしょうか(それだと何でもかんでも無罪を取りに行くのではないかという批判があるかと思いますが、現実は、真に無実でも有罪となっていることが多いものです。それこそ有罪を無罪にできるマジックをその弁護士がもっているのであれば、その技術には「あっぱれ!」とそれだけのものを払っても惜しくないと思います。刑事弁護はそんなに甘くないと思っています)。

無罪判決というのは、国家の司法の過ちを未然に防ぐ大殊勲です。この栄誉に対して、その金額は少ないということはあれ、決して多過ぎるものではないと思います。

現在、日本での刑事訴訟件数は、年間10~11万件くらいのものですが、その無罪率を0.1%とすると、約100~110件の無罪判決が1年に出ます(ここではそれが全て確定すると仮定)。その中の国選・私選の内訳は分かりませんが、それが大部分国選だとしても、10億円から数10億円と国家負担としては大した金額にはなりません。その原資は議員立法で予算として取ればいいものです。不祥事続きの検察の予算を少し削って賄うのであれば、国民の圧倒的支持は得られると思います。

それが日本がより正しい法治国家になれる対価であるなら、涙が出るほど安いものです。誰か気の利いた議員が、この問題を真剣に考えてくれるといいのにと思っています。肥大化した行政にストップをかけるのは、三権分立の鼎の一つである立法の存在意義であるはずです。

7/3/2012





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2012/07/02 Mon. 20:35 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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ブック・レビュー 『国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』 青木理著 

ブック・レビュー 『国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』 青木理著

国策捜査―暴走する特捜検察と

「日本の司法を考える会」ワークショップの議論の記録をベースに「週刊金曜日」誌上において連載されたリポート「国策捜査」を編集したもの。ゲストには鈴木宗男、三井環、田中森一、細野祐二、佐藤優など、国策捜査的な事件で特捜検察のターゲットとされた名前が並ぶ。

以下引用
「すべての『国策捜査』的な捜査が『時代のけじめ』をつけるために繰り広げられるわけではないだろう。ただ、象徴的な事件をつくり出して断罪する、という捜査のあり方が、近年の特捜検察の歪んだ特質の一端を表しているのは間違いない。

『日本の司法を考える会』ワークショップはここまで、検察や警察による極めて恣意的な捜査、あるいは不公正としか思えぬ捜査のターゲットとされた人々、または警察と検察がつくり上げた冤罪事件の被害者らの訴えに耳を傾け、捜査の実相や問題点を検証してきた。

結果、浮かび上がってきたのは、検察・警察の捜査はもちろん、裁判も含めた日本の司法制度全体を蝕む「劣化」の実態だった。今やこの国の司法は公正と真実の追求という理想から遠く離れているばかりか、歪んだ捜査が蔓延し、裁判もそれを追認するだけの装置に堕しつつあるように見える。」引用以上

現代社会が抱える大きな問題点を示唆する良書。ここに収録された13人の「実例」はまさにfood for thoughtであり、圧倒的なリアリティーをもって読む者に問いかける。

特に特捜検察の問題はメディアではとかくタブー視されるため、こうした情報は公平な見方を形成する上で必要とされるもの。

しかしこれら検察・司法・メディアの問題点の指摘はこれまで繰り返しされてきたのであろうが、現状何ら変化を見ないことには震撼させられる。

強大な権力が方向を見誤れば行き着く先は破滅しかなく、その権力が国家の根幹を支える捜査権力だけに、ダメージは計り知れない。それを避けるのは国民の理解度の向上と健全なディスカッション。そしてそれを権力にフィードバックし続けるしかない。

ここをクリック→ ブクレコ 『国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』








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2012/07/01 Sun. 18:25 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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