「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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上申書 (4/60) 出島元  

上申書 (4/60) 出島元

裁判所に提出する目的で、私の周りの人たちに「あなたが裁判員になったとしたら」という観点で上申書を書いてもらうことを依頼しました。1ヶ月で60通が集まりました。彼らの真実を求める声は、検察不同意で阻まれ、上申書の裁判所への提出はかないませんでした。彼らの正義を希求する声を無駄にしないために、本人の了承を得た上でブログでの実名公開に踏み切ります。

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なぜ刑罰を与えるかを問うことは、重大な意味があります。個人の人権を著しく損なう刑罰を、意味もなくめったやたらに国家が科すことは避けなければいけないからです。そして、刑罰を与える理由として、刑罰には犯罪を抑止する目的があるとする考え方があります(これを「目的刑論」といいます)。

「人を罰することにより、将来、類似犯罪の再発を防ぐことができる」とする考えは、刑罰の存在意義として重要なものです。そして、刑罰の犯罪抑止力には、犯罪者本人の再犯を防ぐとする特別予防論と、世間一般が犯罪に陥らないように予防するとする一般予防論とがあります。

国税局が、悪質な脱税を取り上げて、「一罰百戒」と罰することは、この一般予防論を期待するものです。いわゆる現代のさらし首です。

外資系証券の株式報酬が、会社によっては源泉徴収されていないことに税務当局が着目したことは、彼らの内部ではお手柄とされたのだと思います。その功績を世に知らしめるためにも、さらし首が必要とされたことは想像に難くありません。

何社もある外資系証券でも、クレディ・スイス証券には一番最初に税務調査が入り、そこで私だけがそのさらし首のターゲットにされました。

もし本当に私が故意で脱税をしていたのであれば、査察部の強制捜査でただちに証拠が挙げられ、それから2-3ヶ月で告発、更に2-3ヶ月で有罪判決が下され、新聞・テレビに報道されることで、さらし首の効果が得られたのだと思います。

ところが、結局、無実の者からは何も犯罪の証拠を得ることはできず、時間だけが経っていきました。この12月で、強制捜査から4年が経過しようとしています。

ただ過ちを自ら認めることはできないというのが役所の論理で、当時の「俺がルールブックだ」という検察の奢りも後押しして、私の告発がなされた時には、ほかの株式報酬を源泉徴収していない外資系証券には全て税務調査が入り、数百件もの同様の過少申告は全て摘発された後のことでした。

私の告発は、本来の刑罰の意義から大きく逸脱した越権行為であり、捜査当局の保身のみがその目的であると考えられます。

このような国家権力の不当な行使を許すことは、正義をないがしろにするものです。

ここで紹介する私の小・中学校の同級生の上申書は、一般市民感覚に富む非常にシンプルなものですが、今回の事件でのそうした危機感が読み取れます。

「上申書

八田隆氏の脱税裁判について。

私は八田隆とは小学校、中学校の同級生で社会人になってもしばらくは付き合いがありました。昨年、久しぶりに再会し、事件の話を聞いて大変驚きました。

かなりの高額所得者になっていると人伝に聞いてはいましたが、脱税などという犯罪を犯すような人間ではありません。友人の中にはやってるよっと言う者もいましたが、詳しく話を聴けば聴くほど無実であることは間違い無いと確信しています。

そもそも、同じ会社で100名以上の人間が申告漏れまたは過少申告という状況は、適正な申告が出来る環境には無かったということであり、中には知っていて申告しなかった者も居たのかもしれないが、そうであるならば、その者が明らかに他者とは違い納税しなければならないことを知っていたことを証明しなければならいはずです。

報道では海外の口座を利用して隠蔽したようなことが言われていましたが、全くそういうことは無く、海外の口座ではあっても、本名でしかも日本の税務署が把握している口座であることは、何かを隠蔽しようという意志がないことは明らかだと思います。その他にも何らかの隠蔽工作をしたという事実は何も指摘されておらず、今はただ納税しなければならなかったことを知っていたかどうかのみが焦点になっています。しかし、年間に億を超す金を稼ぐことができる男が、納税しなければならないが、黙っていればバレないだろうと考えるか、ということです。そんなリスクを犯すと考えることに無理があります。逆にもう少し少ない収入の者の方が可能性は高いでしょう。

疑わしきは被告人の利益にというのはただの建前なのでしょうか。この事件に関わっている検察の人間は本当に彼がやったと確信しているのでしょうか。少なくとも私には確信できません。組織も人間も誠実であるべきです。

また、経済的に見てもこの事件にこれ以上税金をつぎ込むのは無駄以外の何物でもないと思います。検察のプライドのために我々の税金を無駄使いされている気がして仕方がありません。

八田隆は告発されてから既に十分なペナルティを課されています。起訴が無ければ、その間もお金を稼いで税金を収めていたでしょう。今、八田隆を無理やり有罪にすることが、今後このような事件が起きないことにつながるとも思えません。

出島元」

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2012/08/31 Fri. 07:16 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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上申書 (3/60) 梶修明 

上申書 (3/60) 梶修明


裁判所に提出する目的で、私の周りの人たちに「あなたが裁判員になったとしたら」という観点で上申書を書いてもらうことを依頼しました。1ヶ月で60通が集まりました。彼らの真実を求める声は、検察不同意で阻まれることととなりました。その声を無駄にしないために、本人の了承を得た上でブログでの実名公開に踏み切ります。

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「血は水より濃い」とはよく言われます。それを頼みとして親類縁者に、私のような状況を容易に信じてもらえるのでしょうか。場合によっては、「奴は普段からけしからん奴だった」と、日頃から全人格を知っているだけに、かえって厳しく指弾することもあるのではないでしょうか。

私の二親等以内の親族は合計10通の嘆願書・上申書を提出しています。それに加え、私の四親等以内の親族はさらに合計8通の嘆願書・上申書を提出しています。

私は彼らの支援を心から嬉しく思うと共に、こうした親類縁者の絆を誇りに思います。この絆には、他界した私の祖父と祖母の影響が強くあると感じます。「明治の頑固親父」であった祖父と「大正のハイカラ女」の祖母は、我らに起業家精神、勤勉さ、卑怯をよしとしない誠実さを教えてくれました。これが我らのバックボーンです。

犯罪者の心理分析に、器質障害といった先天的な影響や、生活環境といった後天的な影響を求めることがあります。もし人を犯罪に近付ける経緯がそうしたものにあるのであれば、逆に人を犯罪から遠ざける経緯もそうしたものに求めることができるのではないかと思います。

経済事案に造詣が深い記者に言われたことがあります。「八田さんはシロですよ。脱税犯にあるルサンチマンが全くありませんから。」(「ルサンチマン」とはニーチェの用語で、被支配者、弱者が内にため込んだ憎悪や妬みのこと)

幾多の事件に接したプロフェッショナルの嗅覚が、そうしたものを感じ取ったのだと思います。

ここで紹介する上申書は、私のいとこからのものです。父方のいとこでは年長である彼は、私たちいとこのリーダー格で、長男である私にとっては兄貴分です。親族からの上申書の代表として紹介させて頂きます。

「上申書

私は、八田隆君のいとこの梶修明です。彼が生まれたときからの知り合いです。夏休みは一緒に、鬼ごっこ、かくれんぼなど外遊びをいとこ同士遊んだ間柄です。 

今回の所得税申告漏れに関しては、約2年前本人から聞いて知りました。申告漏れなので、加算税含め修正納税すれば、すむものであると思いましたが、そうではなく、国税庁から告発されているということでした。 

八田隆君は、申告漏れは、故意ではないと主張していることを私は知っています。会社からの源泉徴収と税理士の申告ですべてが問題なく納税されていたと信じていたと聞いています。幼いころを知る人間として、そこまで詳細を彼が認識し、脱税を行っていたとは私は信じることができません。

偏差値上位の大学に入る人たちの特徴ですが、ものすごい集中力を駆使し、大きな物事を成し遂げていきます。彼も例外ではなく、大きな目標や志に向かい、集中するわけで、正直、脱税などという反社会的な物事に、集中するようなちんけな性根の持ち主ではありません。逆に、そのような反社会性を彼が微塵でも持っていたとすれば、東大へ入学するような集中的な勉強もできなかったでしょうし、抵当証券というレアな金融分野でスペシャリストになることはできなかったでしょう。 

東京大学法学部を卒業し、大多数の卒業生が中央官庁や法曹界に行く中、彼はまだ海のものとも山のものともわからない外資証券会社に職を得る選択をしました。今でこそ、花形のように思われますが、当時の外資は就職先としては、あまり人気のある企業群ではなかったと思います。それは、チャレンジ精神旺盛で競争を勝ち抜くガッツがないと渡れない欧米流の企業文化があったからだと思います。日本の大企業は終身雇用で安定しているわけで、東大卒があえてチャレンジする対象としては、周りから見るとあまり賢い選択ではなかったのではないかと思います。その中で彼は、ある金融商品分野のスペシャリストになりました。彼のその時点での職業の目的は、メイクマネーで蓄財することではなく、まさに職業的目的、プロフェッショナリズムを追求することであったと思います。
 
外資系証券会社ですから、高額の給与を支給されていたと思いますが、彼は給与明細を細かにチェックし、社会保険が高いなとか、こんなに税金を払っているのかといちいち確認することはないある種、そういった点ではズボラな人間です。そんなことより、自分の知識・経験をとぎすまし、世界で勝負できる、いや、世界一のスペシャリストにその分野でなるということに集中していたと思います。 

以上のような考えで、私は彼が故意で申告漏れをしたのではないと確信しています。 

私は、会社経営者ですが、所得税は源泉徴収されています。そして、年度末に確定申告をしていますが、正直長年同じ税理士に任せています。 内容に関してですが、恥ずかしながら詳細まで把握することはありません。これは、税理士への信頼関係の中で行われていることです。八田隆君が、税理士を信頼し申告業務を任せた以上、彼はまったく内容には関わっていなかったでしょう。そんなことをする時間的な余裕も気持ちの余裕もなかったと思います。

日本が長期デフレで国内沈滞間がある中、アジアに進出する企業が増えています。特にサービス業が今後ふるって進出するような流れになっています。その中で、人材不足、チャレンジ精神を持って、新世界に飛び込んでいく人材の不足が叫ばれ、その遠因が日本の教育制度であるという意見も多いです。大津市のいじめの問題に代表されます教育現場の状況は、とても、アジアや世界で通用する人材を輩出できるとは思えません。一方、海外留学を志す学生も、中国韓国に比べると少なく、日本人の国際化の遅れを指摘する識者も多いようです。外資系で高額の給料をもらっている人間をやっかみ、チャレンジ精神の芽を摘んでしまうような規制や行政府の価値観があるとすれば、それは、今後の日本の国力を落とすことになることに気づくべきです。

八田隆君を有罪にするのであれば、他の約100名の同じことを結果的にした人たちも告発し、裁くべきです。そうでないと、法の下での平等が成り立たなくなります。スピード違反の事例とは違うように思います。 

また、もし、八田隆君だけを有罪にするのであれば、それは罪を罰するのではなく、八田隆君がまとっている外資とか格差とか、まったく法律には関係のないものを排除しようとしていることになり、前述のように、昨今の今日本が本当に国をあげて取り組まなくてはならない、積極果敢なチャレンジ精神あふれる人材を創るという国是に反することになるでしょう。 

どうか正義の国、日本らしいご判断をお願いしたいと思います。

以上

梶 修明」

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2012/08/30 Thu. 07:50 [edit]   TB: 0 | CM: 4

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上申書 (2/60) 杉山佳津江  

上申書 (2/60) 杉山佳津江


裁判所に提出する目的で、私の周りの人たちに「あなたが裁判員になったとしたら」という観点で上申書を書いてもらうことを依頼しました。1ヶ月で60通が集まりました。彼らの真実を求める声は、検察不同意で阻まれることととなりました。その声を無駄にしないために、本人の了承を得た上でブログでの実名公開に踏み切ります。

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ここで紹介させて頂く上申書は、私が趣味の会(ワイン会)で一度だけお会いした方が書いて下さったものです。

私のブログを読んで頂き、ご自分で納得されて上申書を書いてくれたものと理解しています。

私のことを彼女以上に知っている人間でも「本当のことを言っているかどうか分からない」と嘆願書・上申書を書かない人もいる一方、彼女のように自ら進んで声を上げてくれる人もいます。

その差はなんなのだろうかと本当に悩みます。嘆願書を書いてくれなかった者の中には、仕事で何年も助け合って働いた同僚、部下、後輩もいます。

私は嘆願書を書いてくれなかった人に、「私は倫理的に間違ったことをする人間ではないから、犯罪はしない」と言った覚えはありません。

嘆願書を書いてくれなかった人たちのほとんどは、私の訴えすら聞こうとすらしなかったのですが、私が彼らに伝えたかったのは、「会社の給与を脱税しようなんて余りに馬鹿げてると思わないか。その何倍もの将来の給与をリスクにさらして、すぐばれるようなことをすることは割に合わないと思わないか。絶対ばれないと俺が思い込んだとしても、それがばれた時にこんな無様な言い訳を延々するほどかっこ悪い事を俺がすると思うか」ということでした。

私は、自分が善人であるという自信はあまりありませんが、人並み以上に理性的であり、合理的であると思っています。そして今、自分が取っている行動は、もし自分が故意に脱税をしていたとしていたら、全く理にかなわないことです。

自分の能力、生き様にプライドは並外れたものはありますが、自分を自分以上のものに見せようという虚栄心を私は微塵も持ち合わせていないと思っています。言い訳をすることは虚栄心の為せることであり、それはむしろ私のプライドが許しません。

それがなぜ分かってもらえないのか、死ぬほど残念です。

「上申書

私は八田さんとは一度しかお会いした事がありません。今年になってある会でご一緒しました。その時のお話しは、この方が脱税!? そんな事件に巻き込まれているのかと信じられない思いでした。何か隠し事がある様な暗さはまったく感じられませんでした。

それから数ヶ月、ブログやメールや、八田さんの人と成りを知るにつれ、無罪であるという思いは変わりません。八田さんは私はお金に執着する人間ではないとおっしゃっています。確かに執着する人間であるなら修正申告もすませ納税まですませてしまえば、さっさと仕事につきお金もうけをしているはずです。脱税をする様な人間はかなりお金に執着があるものと思います。

八田さんは、色々な事を考え、勉強し自分の言葉で自分の無罪を冤罪の罪深さを毎日の様に発信し続けています。その膨大な時間、労力努力、勇気にはいつも感心します。脱税をした人間が自分の罪を隠すために、一銭にもならないこの様な事をするでしょうか? 家族、友人、知人を巻き込んでそこまでするでしょうか?もし脱税していたとして、それがばれてしまった時、彼の人生は根底から変わってしまうでしょう。そこまでする意味はなんでしょう? 無罪だからではないでしょうか。

罪を隠し嘘を繕って、自分をさらけ出し続けていると必ずどこかに綻びがでてくるはずです。八田さんのブログを読んでいてそんな綻びは感じた事はありません。それどころか、感動や時には勇気さえ貰います。それは一点の曇もないからではないでしょうか。

人はどんなに優秀であっても時には思わぬ失敗をする事があります。今回の件はまさにそんな事件であったのではないでしょうか。もう納税はすませていると思い込んでいればまず確認する事はないと思います。どんなに優秀な人でも思い込んでいれば他から指摘されないかぎり気づく事はないでしょう。

裁判員制度が始まりました。もし私がこの裁判の裁判員になったとして、裁判員として八田隆氏にお会いしても最初の印象は変わらないでしょう。

そして、ブログやメールで知る事件の事は、裁判員として資料などで知らされるであろう情報にあたるかと思います。

そして私が裁判員としてだす判決は、八田隆氏は

無罪です。

杉山佳津江」

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2012/08/29 Wed. 07:38 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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上申書 (1/60) 倉田風河 

上申書 (1/60) 倉田風河

公開する上申書の最初として、私の息子の上申書を紹介します。彼は夏休みで一時帰国しており、先日の第四回公判にも私の両親と共に傍聴に来てくれました。

私は、父親としては色んな面で失格かもしれませんが、こと正義を追求するため、真実を貫くために諦めないという一点では彼にあるべき姿を示すことができたと自負しています。

国税局査察部、検察特捜部で私の事件に関与した人たちは、自分の生き方を自分の子供に胸を張って語ることができるのか、それを問うてみたいと思います。「告発することが仕事」「起訴をすることが仕事」だと割り切り、人の尊厳を踏みにじっていまいか。そうした生き方は、子供に規範を示すべき親として落伍しているのではないかと問うてみたいと思っています。

我々の未来は、我々の子供である彼らにかかっています。彼らが正義を信じることができる世の中にすることが、我々の責務です。我々親が自分の良心に背くことは、その実現を不可能にするものだということを是非自覚してほしいと思います。

「上申書

肉親の証言が重視されないのは承知の上ですが、やはり父が有罪というのはおかしいというのは皆一様に信じている事です。自分の良心を殺さぬ正しい判断をお願いします。

倉田風河」

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2012/08/28 Tue. 07:43 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (183) 「上申書に関して」 8/27/2012 

#検察なう (183) 「上申書に関して」 8/27/2012


以前、私の友人・知人に嘆願書を書いてもらいました。その趣旨は私の人物評を書いてもらい検察に提出することにありました。146通の嘆願書が集まり、その嘆願書を読めば私がどういう人間か、犯罪を犯してまで経済的利益を追求するほど愚かであるかどうかは容易に理解できるはずですが、国税局の告発を受理した以上、起訴という結論以外ない検察には一顧だにされなかったものです。

ここをクリック→ 嘆願書まとめ

彼らの正義を希求する声は検察には届きませんでしたが、今回は裁判所に提出するべく、また新たに、私を知る友人・知人、それからフェイスブック、ツイッタ―、ブログを通して知り合いとなった方々に、「もしあなたが裁判員であったならば、有罪・無罪、いかなる判断をしますか」という観点で、上申書を書いてもらいました。

呼びかけをしてから1ヶ月で60通の上申書が集まりました。

この上申書は、裁判所に弁護側証拠として提出予定でしたが、先日の第四回公判での弁護側証拠調請求に対し、検察が不同意し、この上申書を裁判所に提出することはかないませんでした。

有罪の結果しか求めない検察にとっては不利な情報という判断であり、その意味では上申書の意義は確認されたものです。

裁判には残念ながら提出できませんでしたが、60人もの正義を希求する声を無駄にするわけにはいかず、嘆願書同様ブログでの公開に踏み切ります(嘆願書もまた不同意とされ、証拠として裁判に提出することはできませんでした)。

今回の上申書の依頼の際は、嘆願書の時と異なり、個別にお願いすることは全くしませんでした。「一斉メールでは失礼だ。こういう頼みごとは一人一人に頭を下げて頼むものだ」という声もあったのですが、以前の嘆願書の依頼の際にあまりに疲弊してしまったので、上申書の依頼は一斉メールのみで失礼させて頂きました。

一般の方々は冤罪被害者の気持ちは理解しずらいと思いますが、冤罪被害者にとって一番辛いのは、人に信じてもらえないということです。しかも、それが全く知らない他人ならまだしも、知人・友人から、嘘を言っているに違いないとまで言われなくても、「本当のことを言っているのかどうか分からない」と言われるだけでも、非常に傷つくものです。

嘆願書を頼んだときは、なかなか書いてくれない人に5回も6回も、メールしたり電話をしたりしました。それで話せるのはまだいい方で、大概は連絡が取れなくなります。なぜ傷口に塩を塗り込むようなことをしなければいけないのだろうと、自分でも嫌になりながら、頭を下げて回ったのが嘆願書集めでした。

今回、弁護士から上記の趣旨で上申書を集めて下さいと言われたときも、本当はやめたいと思ったものです。しかし、少しでも前進するためには、嫌なことを避けていてはいけないと思ってお願いしたのがこの上申書です。しかし、今回は、一人でも個別に頼むと結局みんなにまた声をかけなければならないので、依頼を一斉メールだけにしたものです。

これまでのブログで、私なりに緻密に無実の証明をしてきたつもりです。ところが、それでも依然「信じることができない」という声もあるのですが、そういう人を説得するのは正直諦めました。これだけ膨大な時間を費やして説明しても理解されない以上、そうした人にはもう何を言っても無駄だと思っています。

近い友人の一人が、告発直後に予言していました。「八田さんの周りの少なからずの人がこれで離れていくけど、近い人はもっと近くなるよ。」その通りになっているのだと思います。

但し、怨嗟は離れていった彼らに向かうのではなく、あくまで国税局・検察に向かっています。色々なものを失った中で、友人を失うということが一番辛く、それが全くいわれのない理由だからです。こんなことがなければ、彼らも踏み絵を踏まされる必要はなかったはずです。

とにかく、今までの人生は人に頼ることなく自分で切り開いてきた自負があったのですが、嘆願書を頼む段になり、そうも言ってられないという状況でした。断られた一人に「自分が同じ状況になったら、そんな迷惑なことを頼むことはないから、自分でも書かない」という、全く理由になっていないのですが、妙に説得力のある理由で断られたときに、「本当にそう言えたらいいよ」と思ったものです。

ただ、人に助けられるというのも、悪い気分はしないということがよく分かりました。ただ「感謝の気持ちが足りない!」とお叱りを受けることもあり、反省を繰り返しています。告発以来の2年半でそれまでの一生分以上の「ありがとう」を確実に言ってきました。

嘆願書を書いて下さった146人の方々、上申書を書いて下さった60人の方々、そのほか応援して下さる方々にも再度お礼を申し上げます。

まだ正義を求める戦いは続きます。これからも引き続きご支援の程、お願いします。

8/27/2012









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category: 上申書

2012/08/27 Mon. 07:36 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『トータル・リコール』 レン・ワイズマン監督 

フィルム・レビュー 『トータル・リコール』 レン・ワイズマン監督

total recall

映画『トータル・リコール』鑑賞。

ご存知の通り、これはポール・バーホーベン監督、アーノルド・シュワルツェネッガ―主演の1990年の作品のリメイク。原作は、SF映画化のはやりだったフィリップ・K・ディック。

カナダでのレビューが散々だったので、観る機会がなかったのですが、日本に帰国して息子と暇つぶしに映画を観ようと思ったら、観るものがないので仕方なく。

観終わって息子との感想は、「悪くないよね」でした。

これはディテールを楽しむ映画。ストーリーは、火星が化学兵器により大部分居住不可能となった地球に置き換わっているけれど、ほぼオリジナルを踏襲。ところが、この富裕層連邦政府(ヨーロッパ)vs貧困層コロニ―(なぜかオーストラリアww)のレジスタンスという描写が弱い(というか余り説明されていなくて説得力に欠ける)。連邦総督のコーヘイゲンやコロニー・レジスタンスの指導者マサイアスのキャラ設定もインパクトなし。

でも近未来グッズの数々はかなり造り込まれていて観ていて楽しいものがありました。高速リニアモーター自動車とか、手に埋められた携帯電話とか。

ただ近未来のダウンタウンが『ブレードランナー』そのまんまってのはちょっとどうなの(ま、フィリップ・K・ディックつながりのオマージュなのかもしれませんが)。もうちょっと頑張ってよって感じ。

あと最後の最後はオリジナルのように、やはり「ん?これも夢か」っていう雰囲気をもっと出してほしかったような。SFオタクには楽しめるかと。

ちなみに主役コリン・ファレルの偽のかみさん役のケイ​ト・ベッキンセイル(『アンダーワールド』の主演女優)​は、監督レン・ワイズマンの本当のかみさん。レン・​ワイズマンが『アンダーワールド』を監督した時に見初め​たものらしいです。

ここをクリック→ 『トータル・リコール』予告編

Facebook 8/25/2012より転載








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category: フィルム・レビュー

2012/08/26 Sun. 07:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (182) 「第四回公判法廷画」 8/25/2012 

#検察なう (182) 「第四回公判法廷画」 8/25/2012

お待ちかね、高杉ナツメ氏による恒例の公判法廷画です。

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そんな不機嫌そうだったかなあwww

8/25/2012





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category: 刑事裁判公判報告

2012/08/25 Sat. 06:43 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (181) 「第四回公判トゥギャッタ―」 8/24/2012 

#検察なう (181) 「第四回公判トゥギャッタ―」 8/24/2012

今回も大勢の方に傍聴に来て頂きありがとうございました。恒例の公判トゥギャッタ―です。

今回は30分間の開廷でもあり、若干軽め(かなり弁号証不同意されたことだし)の内容です。

ここをクリック→ 第四回公判トゥギャッタ―

次回公判(9/14 13:15 東京地裁425号法廷)も傍聴・ツイート・拡散のご協力お願いします。

8/24/2012









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2012/08/24 Fri. 07:56 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (180) 「第四回公判報告」 8/23/2012 

#検察なう (180) 「第四回公判報告」 8/22/2012

本日、第四回公判が開廷されました。

検察から一部追加の証拠調請求がありました。思わず笑いたくなるほど、取るに足らない追加証拠です。

その一つが「外務員必携」。証券会社の営業は、必ず証券外務員の資格が必要です。私も新入社員時に取得した資格です。そのテキストが外務員必携です。

そこには証券税制という章がありますが、源泉徴収に関する記載は

「利子、配当、給与、公的年金、退職金などについては、支払者がその支払の際に、所得の税率により所得税を天引きして、これを原則として翌月10日までに国に納付することになっています。これを『源泉徴収』といいます。」
というものです。

いわゆる常識的な記述で、その例外規定であるところの「海外報酬の会社の源泉義務」などには言及があるはずもなく、これで検察が何を立証しようとしているか全く意味不明です。むしろ、我々弁護側から一般常識はこういうものであるという証拠として提出したいくらいです。かなりやけくそ感のある証拠調請求です。

また会社のメールの開封記録も証拠調請求されました。私が、シンガポールの株式受け渡し担当者(部署名は経理部だと思っていたのですが、正式には「エグゼクティブ・コンペ―セーション部」というらしいです)のメールを開封したという自動送信の通知メールです。

会社のメール機能の一つに受信者が開封せずに削除した場合、アラートが送信者に行くよう設定できるので、私はメールを削除する際にはほぼ例外なく「開封済み」にしてから削除していました。そうした事情があればなおさら、開封の自動送信メールが存在したからといって、私が実際に読んだかどうか、更に理解したかどうかは全く分からないはずです。皆さんも、電子メールなり、手紙なりを開封したからと言って全部理解しているなどと解釈されたら驚きませんか?これまた検察が完全手詰まりである状況を示す証拠といえます。

私は、検察側証拠の同意・不同意に関してはあくまで弁護士の意見を最優先するものの、検察の恣意的な作文もりもりの調書の一部を除けば(それはひどいもんです。読んでみて驚きますから。よくこれで信用性を疑われないなという検面調書を平気で作ってきます)、基本、全て同意でいいと思っています。私は、何も包み隠すところはありません。

本日公判のメインは弁号証(弁護側請求による証拠)の証拠調請求でした。検察の請求した証拠は全て同意したのに対し、弁護側請求の証拠は不同意の山でした。

私の知人・友人による私の人物評定である146通の嘆願書不同意。そして今回、裁判所に提出するために、周りの人に「もしあなたが裁判員であったとしたらどう判断するか」を書いてもらった60通の上申書不同意。検察組織の行動論理の解説書である市川寛氏著の「検事失格」不同意。そのほか検察関連の報道記事一連不同意。

ここをクリック→ #検察なう (113) 「市川寛著『検事失格』」

不同意したということは、これらが彼らにとって不利な証拠だということを意味しています。やはり検察の目的は真実追及ではなく、起訴したからには有罪にしなければ「負け」という行動論理なのだと思います。

個人的に残念であったのは、勿論、嘆願書・上申書が不同意にされたことですが、検察関連記事の一つが不同意にされたことも少なからず残念でした。その記事は佐久間元特捜部長の就任の記者会見記事です。ここにその記事を添付します。

ここをクリック→ 佐久間元特捜部長就任の記事

佐久間元特捜部長は、先頃の陸山会事件での捜査報告書捏造事件で一躍勇名(?)をはせた人物です。彼の功名心が東京特捜部全体を前のめりにして、陸山会事件の捜査報告書捏造事件が起こったことは明らかであり、実行犯である田代検事は辞職に追い込まれています。ただあれだけの事件で、一検事が自分の判断で動くと考えること自体荒唐無稽で(それが大阪特捜部の郵便不正事件との差です)、全ての絵図を描いたのが現場のトップであった佐久間元特捜部長であったことは、通常の理解力があれば分かることです。

相当な無理筋の私の告発を受理したのが佐久間元特捜部長でした。私は、国税局からの覚えが高ければ出世にもよかろうという、彼の傲慢な考えの犠牲になったと感じています。検察は、私の無実を知りながら起訴をしたという、公訴権濫用の主張の裏付けとなる重要な証拠を検察は不同意にしています。

かくなる上は、第二回公判での、検察庁と国税局間の告発要否勘案協議会の議事録を弁護側が証拠開示命令申立をしたことに対し、裁判所がどういう判断をするかが注目されます。密室での姦計を白日の下に引きずり出すことができるか。そうなれば日本の司法も前進できる感じがします。

こうして考えてみると、「検察一体の原則」というのは皮肉なものです。検察組織の一部の暴走が、検察全体の名誉を汚していながら、彼らはその原則に縛られ、組織ぐるみで挽回を図らなければなりません。私が公判検事部長であれば、「ふざけんな、なんで俺たちが特捜部の尻ぬぐいをしなけりゃいけないんだ」と憤慨しているところです。それをしない彼らはやはり組織に従順なのかもしれません。

検察改革として、特捜部廃止が言われることもありますが、理想論としては彼らはやはり必要だと感じています。しかし、少なくとも特捜部から起訴権を切り離して、それを公判部に委ねるべきだと思います。特捜部のエリート意識が検察を「裸の王様」にしているのであり、日々裁判官や弁護士と接している公判部の方がよほどバランス感覚はあるであろうと想像します。

この案は、笠間元検事総長が就任直後に口にしていたと思いますが、いつの間にか立ち消えになったものです。内部改革をよしとしない勢力に押し切られたのだと想像します。

いずれにせよ公判が進むにつれ、検察の、正義を軽んじる役所の論理にはがっかりさせられます。司法が正しくあることの責任を裁判所に期待せざるをえない状況です。

第五回公判は9月14日13:15より、東京地裁第425号法廷にて開廷される予定です。

是非、「冤罪はこうして作られる」という実況中継を生でご覧になって下さい。引き続きご支援の程、よろしくお願いします。

8/22/2012










ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

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ここをクリック→ #検察なう 冤罪と戦う八田隆を支援する会





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category: 刑事裁判公判報告

2012/08/23 Thu. 01:36 [edit]   TB: 0 | CM: 3

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (82) 

#検察なう T-shirt @Palais de Justice Geneve ジュネーヴ裁判所(by Y.J ♀)

photo 4 (2)

私の第四回公判は明日13:30より、東京地裁第412号法廷で開廷されます。日本の司法にも正義があることを切に望みます。








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category: #検察なう Tシャツ・プロジェクト

2012/08/21 Tue. 10:33 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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フィルム・レビュー 『ダークナイト・ライジング』 クリストファー・ノーラン監督 

フィルム・レビュー 『ダークナイト・ライジング』 クリストファー・ノーラン監督

dark night rise

映画『ダークナイト・ライジング』鑑賞。クリストファー・ノーラン監督によるバットマン三部作完結編。

いつものように、クリストファー・ノーランの映画は「面白くない」。前2作しかり、『メメント』しかり、『インセプション』しかり。単純明快さに欠けるのである。しかし、独特の雰囲気がある。勧善懲悪的な明快さがない分、じんわりくる感じ。超極悪人の様相のベイン(トム・ハーディ)ですら、悲哀を帯びている。その人物設定がいい。

バットマンの周りにいるアルフレッド(マイケル・ケイン)、ゴードン(ゲイリー・オールドマン)、フォックス(モーガン・フリーマン)らは、ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)の父親的な存在で、彼らとの関係が常に副旋律として作品に流れている。つまり単なるスーパーヒーロー・アクション物ではないところが、クリストファー・ノーランたるゆえんだろう。

そして本作では、有名なキャラクターのキャットウーマンが登場。アン・ハサウェイ演じるこのキャットウーマンは「ミャオウ」と鳴かないのである。そしてコスチュームの猫耳も実はナイト・ヴィジョンをはね上げた時にそう見えるという凝りよう。ミシェル・ファイファーのキャットウーマンより相当セクシー。

クリストファー・ノーランの作るバットマンにはペンギンや「なぞなぞモジモジ君」のキャラクターは似合わないのである。

バットマンもスーパーヒーローというにはあまりに生身。ゴッサムシティもまんまニューヨークだし(実際、ロケはニューヨークのほかにピッツバーグとロサンジェルスで行われたが、ゴッサムシティと言わなければ、誰もがニューヨークが舞台と思ってしまう)。そうした「子供っぽさを排除したリアリティ」がクリストファー・ノーランが目指すところであろう。

クリストファー・ノーランは自分が監督する限り、若いバットマンを演出するのでロビンは出さないと言っているが、そのネタを知っているとニヤリとするシーンがあることを付け加えておきます。

ここをクリック→ 『ダークナイト・ライジング』予告編

(Facebook 8/11/2012 より転載)








ここをクリック→「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会動画ダイジェスト版」

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」 改訂版

ここをクリック→ 嘆願書まとめ






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category: フィルム・レビュー

2012/08/18 Sat. 10:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その5 「高知白バイ事件」 

冤罪ファイル その5 「高知白バイ事件」

毎年3月3日が来ると思い出します。6年前の桃の節句に、高知白バイ事件が起こりました。

高知県の県道交差点で、スクールバスと白バイが衝突し、白バイを運転していた県警交通機動隊員が死亡。バスの運転手片岡晴彦氏は業務上過失致死罪で禁固1年4ヶ月の実刑判決を受けます。

この事件は、冤罪の疑いと共に、検察側最大の証拠であるスリップ痕を警察が捏造した疑いが強く持たれています。なぜ警察がそこまでしなければならなかったのか。

恩給という制度をご存知でしょうか。それは、公務員が一定の年数以上在職して退職した場合や、 公務でけがを負ったり病気で退職した場合、また、公務のために死亡した場合において、国が公務員またはその遺族に給付する国家補償の性格を有する年金や特別給付金のことを言います。

公務中に死亡した場合は、亡くなった人の配偶者に、およそそれまでの支給額の7割がその人が死ぬまで与えられます。

警官がもし亡くなった場合、それが殉職であるかそうでないかは残された遺族にとっては経済的に非常に大きな違いとなることはお分かりになって頂けると思います。

この事件で亡くなった交通機動隊の巡査長は当時まだ26歳。しかも双子の子供が生まれたばかりでした。残された遺族が路頭に迷わないよう、警察組織が彼らのために、巡査長のミス(スピード超過及び前方不注意)による事故の責任を、片岡氏に転嫁する誘因は小さくなかったのではないでしょうか。

組織への帰属意識が強いことはあながち悪いことではないのですが、身内の過ちに甘くなる体質は排除すべきです。特に公務員の方々の責任は重大であり、国民不在で自ずからの利益を優先する姿勢は断じて許されるべきものではありません。

<事件経緯>

高知県の国道56号で、 県警交通機動隊の巡査長が運転する白バイと道路左側のレストラン駐車場から大通りを横切り右折しようとしていた中学校のスクールバスが衝突。スクールバスにはボーリング遠足帰りの中学校3年生22人と教員3人が乗っていた。

バスを運転していた片岡氏は、変型四差路交差点に面したレストランの駐車場から、車道に侵入前、歩道の境界付近で一時停止した後 、交差点内を横断する形でバスを進行させた。中央分離帯付近で右折方向車線に合流のため停止、右折のタイミングを計っていたところへ突然、何かがぶつかってきた。驚いて窓の下を見ると白バイだった。

巡査長は約1時間後に高知市内の病院で胸部大動脈破裂で死亡した。

<裁判経緯>

一審、禁固1年4ヶ月の実刑判決(2007年) → 弁護側控訴 →高裁、弁護側の証拠・証人を却下し、即日結審。第一審で十分な審議がなされたとして控訴棄却(2007年) → 弁護側上告 → 弁護側、スリップ痕についての証拠は捏造されたものと、被告訴人不詳のまま、証拠偽造罪で刑事告訴(2008年) → 最高裁、上告棄却(2008年) → 証拠偽造について、高知地検は嫌疑なしの不起訴処分。検察審査会に対して、審査の申立て(2008年) → 片岡氏、収監(2008年) → 証拠偽造に関する不起訴処分について、検察審査会が不起訴処分不当の議決(2009年) → 証拠偽造について、高知地検は再び嫌疑なしの不起訴処分(2009年) → 片岡氏、満期出所(2010年) → 高知地裁に再審申し立て(2010年)
  
<争点>

バスと白バイの挙動に関し、検察と弁護側主張は大きく食い違います(リンクで、バスと白バイの動きのシュミレーションをご覧下さい)。

【検察側主張】 バスは車道にはいる前に一旦停止したが、右方向を一瞥しただけで安全であると軽信し、時速5~10km/hで6.5メートル進んだ地点で60km/hで通常走行中の白バイを跳ね、急ブレーキを踏んだ。バスは白バイを2.9メートル引きずりながら停止した。

ここをクリック→ 検察の主張するバスと白バイの動き

【弁護側主張】バスは車道に入る前、一旦停止し十分右方向の安全を確認した。白バイは見えていなかった。ゆっくりと中央分離帯付近まで進み、対向車線の安全確認のため一旦停止中に白バイが高速で衝突してきた。

ここをクリック→ 弁護側の主張するバスと白バイの動き

特に重要な争点とされているのは、「その時バスは動いていたか」という点です。そしてその重要な検察側証拠として提出されたものが、かの有名な「スリップ痕」の写真です。バスが止まっていたと証言したのは、バスに乗っていた複数の生徒、バスの後ろに乗用車で止まっていた校長ですが、彼らの証言は関係者の証言であるとして裁判所により排除されました。

しかし、今回事件を検証して、バスが動いていようがいまいが、そんなことは関係なく、これは白バイ巡査長のスピード超過及び前方不注意であることを確信しました。

この20秒の動画をご覧下さい。

ここをクリック→ 高知白バイ事件事故現場動画

これは事故現場の手前から、検察側の主張する白バイ走行速度である時速60Kmで走行した動画です。

ビデオ最初から遠くに見える赤い看板がレストラン入口の手前に立っている看板です。動画の9秒当たりでレストラン入口奥脇に立っている白地に緑の小さな看板が見えます。この時点では、白バイからレストラン入り口をバスが出て、進行方向の道路をふさいでいたことが見えるはずです。ここから衝突するまでの時間(信号手前の停止線を越えるまでの時間)は7.61秒程度です。

私自身バイクに乗っていますが、バイクに乗っていなくてもこの7秒というのはブレーキをかけるには、余りに十分な時間だということが実感できると思います。

20秒程度のビデオなので、繰り返しご覧下さい。黄色信号の点滅している交差点(事故当時も信号は黄色点滅)が事故の起こった交差点です。その交差点に、左から片岡氏の運転するバスは進入し、走行車線をさえぎるように止まっていました。

検察が主張する時速5~10Kmというのは人間の速歩き程度のものです。全長9mのバスが止まっていようが、人の速歩きの速度でのろのろ前進していようが、7秒手前からは全く関係なく視認できます。

もう少し細かく検証します。このサイトを参考に色々計算してみました。

ここをクリック→ 「交通事故における車速と停止距離」

時速60Km(秒速16.67m)の白バイが7.61秒間に進む距離は、16.67 x 7.61 = 126.86mです。つまり巡査長が前方を注視していれば、120m以上手前でバスを認識していたはずです。そしてバスが完全に止まっていようが、のろのろ前進していようが、その時点で気付いていれば、確実に止まることはできます。

白バイの制動距離を計算します。制動距離の計算式は

制動距離=時速の二乗 ÷ (254 x 摩擦係数) です。

ここで乾いたアスファルトの摩擦係数を0.7とすると、制動距離は時速60Kmの場合、それは20.25mとなります。

実際には、バスを認識してすぐにブレーキをかける動作をしても反応時間が必要なため「空走距離」というものがあります。通常人の反応時間は約0.75秒とされています(訓練を積んだ白バイ隊員はもっと短いとしてもここでは保守的に通常人と同じとします)。

空走距離は

16.67 x 0.75 = 12.50m となります。

空走距離 + 制動距離  = 32.75m であり、120mよりはるかに短い距離で止まれることは明らかです。

しかし、これが複数の人が証言しているように、白バイが時速100Km(秒速 27.78m)で走行していたとしていたらどうでしょうか。同じ計算をすると

空走距離 + 制動距離 = 68.74m

となります。これでも十分に止まれるはずですが、時速100Kmでは1秒に27.78mも進みますから

(128.86 – 68.74) / 27.78 = 2.16

2秒やそこらわき見をしていれば衝突してしまう計算です。

これが実際に起こったことだと思います。つまりバスが完全に止まっていようが、時速5~10Kmで前進していようが関係なく、白バイ巡査長が速度超過+前方不注意でなければ事故は起こらなかったということです。
白バイの走行速度に関しては、二つの相反する証言があります。

時速60Kmと証言するのは、対向車線をたまたま走っていた同僚白バイ隊員です。彼は事故の瞬間は見ていませんが、その直前に対向車線を走る白バイの速度を目視して時速60Km程度であったと証言します。

時速100Kmと証言するのは、軽四で同じ車線を運転していて白バイに追い抜かれた第三者の目撃者です。

裁判所の判断は、前者を「目視訓練をしている白バイ隊員の証言は信用できる」と「身内証言」を支持しながら、後者は「第三者の証言だからといって信用できるわけではない」という驚くべき理由で排除しています。

バスは動いていたという証拠のスリップ痕は、警察の捏造であると弁護側が主張していることは有名です。時速5~10Kmで超徐行運転のアンチロックブレーキ付きのバスがいかに急ブレーキをかけようが、1mに及ぶスリップ痕がつくわけがありません。そしてそのスリップ痕には、タイヤの溝がなく、解析では「ハの字」になっており、また後輪のスリップ痕が全くなく前輪だけという、結構ありえないくらいお粗末な捏造証拠です。

<論評>

ある時、ジャーナリストの方とこの事件の話になったことがあります。その方が言ったのは、「あー、あれはひどい事件ですね。地方の裁判官は検察ががっちり押さえてますから。転勤族の裁判官が地方に着任すると、まず歓待をするのが検察ですからね」でした。裁判というのは、なかなか一見の客(弁護側)は常連客(検察)には勝てないようにできてるようです。ただその方は「でもそれは地方の話ですね。都心部では検察はそこまで裁判官を押さえ込んでることはないですから、八田さんはその心配はないと思いますよ」と付け加えました。

この事件での最大の被害者は言うまでもなく片岡晴彦氏とその家族の方々です。しかし冤罪というものは冤罪被害者当事者だけではなく、多くの人を不幸にしてしまいます。

事故現場でバスに乗っていた22人の当時中学生の少年、少女は昨年成人式を迎えました。彼らは国家権力、警察・検察・裁判所に対してどのように感じたでしょうか。正義とは何かをどのように考えたでしょうか。世の中の薄汚い部分を知るには余りに早すぎます。彼らの精神的な痛手を考えると彼らも被害者です。

「警察職員の職務倫理及び服務に関する規則」の第5条では「信用失墜行為の禁止」として、「警察職員は、国民の信頼及び協力が警察の任務を遂行する上で不可欠であることを自覚し、その職の信用を傷つけ、又は警察の不名誉となるような行為をしてはならない」とあります。一部警察官による証拠捏造は、警察全体の信用失墜を招く最大の過ちであり、日々勤勉に職務に励む大多数の警官の自負心をずたずたにするものです。

そして私は、死亡した巡査長の遺族もこの冤罪の被害者だと思っています。スクールバスは公立中学のスクールバスであったため、遺族は市と片岡氏に対し民事訴訟を起こし1億円の和解金を得ています。それに関し遺族への嫌がらせは相当のものだと聞いています。人は信じたいものを信じます。遺族の方々は、警察から彼らのストーリーを聞かされ、この事件が冤罪だとは思っていないと思います。もしこの事件が冤罪と明らかにされたなら、遺族の方々はどのように感じるでしょうか。警察の安易な「親心」がどれほどの手ひどい仕打ちを遺族の方々に与えるかどうかの思慮が全く欠けていたと思います。

そして更に、死亡した巡査長の魂はどうでしょうか。間違っても、死んでから冤罪の加担者とされるような不名誉は望んでいなかったと思います。ご冥福をお祈りします。

この事件に関しては、テレビ朝日が「ザ・スクープ」の中でかなり踏み込んだ検証を行っています。こちらの動画も是非ご覧になって下さい。

ここをクリック→ ザ・スクープ 「警察が証拠をねつ造?白バイ隊員“事故死”の真実」

また以前に私が高知白バイ事件に関して書いたブログはこちらです。こちらもご参照下さい。

ここをクリック→ #検察なう (75) 「高知白バイ事件で思うこと」








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category: 冤罪ファイル

2012/08/17 Fri. 06:14 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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冤罪ファイル その4 「西武池袋線痴漢冤罪小林事件」 

冤罪ファイル その4 「西武池袋線痴漢冤罪小林事件」

痴漢冤罪は、痴漢被害者の言い分のみを信用し、犯人とされた人の否認を全く聞こうとしないことによって起こります。犯人だと最初から決めつけてしまうことによって起こる過ちであることは、ほかの冤罪と同じものです。

しかし、ここで紹介する痴漢冤罪事件は、その中でも特殊なものです。それは冤罪の原因に特殊な要因が関与しているからです。その特殊要因とは「判検交流」と呼ばれる制度です。

「判検交流」とは、3年程度の任期付きで、裁判官が検事になったり、検事が裁判官になる人事交流制度です。「制度」と言いましたが、法的根拠は無く、きちんとした記録も取られていない、いわば慣習です。

この事件の冤罪被害者小林卓之氏を、痴漢として1年10ヶ月の実刑に処した第一審の裁判官は、この判検交流により検事が出向で裁判官となっていたものです。

この判検交流の目的は、「互いの仕事を理解すること」とされていますが、元々は法務省に民事の専門家が不足していたその昔、民事部の裁判官を法務省に貸し出したのが始まりでした。なので刑事部の裁判官が検事になったり、検事が裁判官になるのは人員不足の解消のためではなく、そもそも法務省の人員不足は既に大方解消されているので、この判検交流という制度は惰性で続けられていたと言えるものです。

一時的に裁判官になっている元検事が、自分が本来所属しいずれ自分が帰って行く検察の肩を持つことは容易に想像されます。この事件の一審裁判官も判決の1ヶ月後には検事に戻っています。

また出向中の検事が裁判官になるケースならずとも、逆に判検交流で検察で3年間も机を並べた裁判官が、「元同僚」の検事の求める有罪を無下に否定できないという感情が起こりうるリスクもあります。

どうしてこのような異常な制度が、戦後間もない頃から続けられてきたのか理解に苦しみます。

2012年4月26日付朝日新聞によると、「誤解を生むような制度は続けるべきではない」との判断から、刑事裁判の部門における判検交流は、今年2012年度から廃止されたとされています。しかし、5月4日付産経新聞によると、民事裁判の部門における判検交流については規模を縮小するものの引き続き存続される方針であるとされています。

<事件経緯>

小学校教頭であった小林卓之氏は、膠原病全身強皮症により指に痛みを感じるようになり、チョークを持つのもままならなくなったため、36年に及ぶ教員人生に幕を下ろし、以後は教育センターの嘱託職員として、幼稚園・小学校・中学校教諭の研修業務に携わっていました。

2005年3月18日、出勤日でなかった小林氏は趣味の仏教講座を受講し、食事を取った後、帰宅の途に就きました。夜10時35分西武池袋線発の急行に乗り、次の駅の石神井公園駅までの間で事件は起こりました。

電車は満員で、肩がぎっしり詰まっている状態でした。乗り換えのため降りた石神井公園駅のホームで、小林氏は見知らぬ男性から肩をつかまれます。痴漢の疑いでした。自分には関係ないと言っても、その男性も駅員も小林氏の話を聞くことはありませんでした。

事情を説明するために小林氏は、警察官と警察署に向かいました。取調べ室で5人の捜査官に囲まれ、乗客によって私人逮捕されたと告げられます。不当逮捕だと小林氏が抗議すると、捜査官は「おやじ、ここにいるのはどういうことなのかわかっているのか!」と怒鳴りました。小林氏の髪をつかみ、羽交い絞めにして、無理やりジャンパーを開き、身体を調べました。警察は最初から小林氏が犯人だと決めつけていました。

小林氏のカバンには医者から処方された薬が入っており、毎日飲む必要がありました。小林氏の求めに「氏名と住所を言えば薬を返す」という看守。その言葉に従い、名前を名乗りましたが、薬は渡してもらえませんでした。「話が違う」。日に日に増す身体の痛み。保釈されるまで33日間勾留され、その間体重は10キロも減りました。

事件を紹介する動画はこちらです。

ここをクリック→ 西武池袋線痴漢冤罪小林事件(1)

ここをクリック→ 西武池袋線痴漢冤罪小林事件(2)


<裁判経緯>

第一審有罪(2007年)→ 弁護側控訴→ 控訴棄却(2008年)→ 弁護側上告→ 最高裁上告棄却(2010年)→ 収監(2010年10月)→ 痴漢事件で初めての再審請求(2011年)→ 仮釈放(2012年1月)

高裁での控訴棄却の判決後法廷は騒然となりました。その時の様子です。

息子「裁判長、質問です!なんで犯人が特定できないのに、犯人なんですか」

裁判長「退廷しなさい」

奥さん「カルテにはずーっと膠原病って7年前からなってるじゃないですか」

裁判長「退廷しなさい」

奥さん「もう命のない人間をどうするんですか」

裁判長「退廷させなさい」

奥さん「あなたがこの人を犯人と特定したんですよね。最初の段階からずさんなんですよ。顔を確認してないのに犯人になるんですか」

裁判長「退廷してください」

奥さん「主人が死んじゃいます。これは人権問題です」

裁判官「退廷させなさい」

奥さん「最初から見てください。最初の捜査から見てください。主人の命がなくなったら私はどうしたらいいんですか。主人が捕まるより私がつかまったほうがいいです。私が代わりに入ります。孫が生まれてその1週間後にそんなことするわけないじゃないですか。目も痛いんです、耳も痛いんです」

裁判長「退廷してください」

奥さん「お父さんと代わるわよ、私は!もう一度調べてください。捜査のはじめから。あなた達は命のことを考えないのですか!」

被告の小林氏はじっと顔を手で覆ったまま動きもしませんでした。

最高裁に上告後、小林氏は脳梗塞で倒れ、後遺症で半身まひが残りました。車いすで収監される収監当日の様子が写真雑誌に掲載されていたのを覚えています。難病を抱え、介護が必要である状態でありながら、小林氏は医療刑務所ではなく一般刑務所に収監されました。収監中は命の危険さえあり、私も昨年末の仮釈放を求める市民集会に参加しました。

<争点>

痴漢の冤罪の場合は、大概は人違いであり、わいせつ行為そのものは存在しているとされます。この事件も多分そうだとは思うのですが、私が腑に落ちない点がいくつかあります。

その一つは「なぜ被害者女性は膣内に指を入れるまで痴漢行為をそのままさせていたか」ということです。これに関して何人かの友人女性に聞いてみたのですが、「身動きが取れないほどの満員電車であれば可能性はある」とのこと。東京のラッシュ時の満員度合いは半端ないものがあります。しかし、この事件の犯行時間は夜の10時35分池袋駅を発車した急行電車が石神井公園駅に着くまでです。被害者女性の「痴漢です」という声に犯人は2Mほど車内を移動しているとされていることから、混んでいたにしろ「身動きが取れないほど」ではないことは明らかです。なぜ体を動かすとか手を払いのけるとかしなかったのでしょうか。「怖くて体が動かなくなることもあるんじゃないかな」という意見もありましたが、私の周りにそういう気の弱い女性がいないせいもあり、想像の域は出ませんでした。

また、犯人は、被害者女性の目の前に立ち、後ろ手で痴漢行為を行ったとされています。これも私の腑に落ちない点です。痴漢行為を行ったこともなければ、されたこともないので、想像でしかないのですが、通常、痴漢犯罪者は顔や姿を見られたくないため、後ろや横に立つものだと思います。身動きが取れないほど満員電車の中でならば、正面と向かってということもあると思いますが、その場合でも「後ろ手」というのはいかにも不自然な態勢です。

これらに関して、言及した資料は見つけることはできませんでした。

この事件でいくつか挙げられている争点のうち、特に重要だと思われるもの2点、小林氏が膠原病全身強皮症であり指の自由が制限されていた(指を動かすには痛みが伴う)という点と、犯人と小林氏の身長に明らかな相違があることを述べます。

判決文によれば、「被告人の手の診断をした医師は、公判供述及びその意見書において、『被告人の右中指も右示指と同様に可動域に制限があり、右中指を膣内に入れようとすると相当の痛みが出る』と説明するが、その医師の作成した診断書には右示指、左中指についての記載はあるものの、右中指についての記載はないことなどからすれば、同医師の上記記述は、右示指の診察結果から推測したことを交えて説明しているものとうかがわれ、その説明内容の正確性には疑問の余地がある」としています。

また小林氏は事件当時、指のリハビリのため、手品や尺八の講座に通っていましたが、それも「指は動いたはずだ」という不利な材料として判断されました。

これがこじつけであると感じる人は少なくないと思います。

犯人の背の高さに関して、被害者女性は、目の高さに犯人の肩があったと証言しています。被害者女性の身長は158cmであることから、犯人の身長は170cm前後と推定されます。しかし、小林氏の背の高さは161cm。小林氏と犯人の身長差は9cmもあります。これに関しての裁判所の判断は、実に滑稽です。

一審「被害者女性はかかとのある靴(かかと高約3cm)を履き、被告人もかかとのある靴(かかと高約3cm)を履いているため、被害者女性には犯人である被告人の正確な身長は分からなかったはずだ」

高裁「被害者女性はまず下着の上から軽く触れられ(第一行為)、その後下着に指を入れられ陰部を触られた(第二行為)。犯人の肩が顔の前に来たと被害者女性が証言しているのは、第一行為の時であり、第一行為と第二行為が同一人物であると限らないため、必ずしも第二行為の犯人の肩が被害者女性の目の高さであるとは言えない」

一審の理由は全く論理的ではなく、高裁の理由は荒唐無稽も甚だしいと誰しも思うところだと思います。

傍論ですが、この事件で痴漢行為が都迷惑条例違反ではなく、強制わいせつ罪に問われたことに関しては(注)を参照下さい。

<論評>

この冤罪の原因は判検交流で出向していた元検事の裁判官の誤審であることは述べました。それに加えて問題であるのは、その誤審を高裁、最高裁で、職業裁判官が安易に追認したことです。いかに刑事裁判での高裁は事後審(原判決の当否だけを審理し、新たな証拠調べをしない)、最高裁は憲法違反、判例違反であるかのみを判断するとはいえ、明らかな人権侵害があれば、踏み込んで審理すべきであったと思います。

また、痴漢の物的証拠として有力なのは繊維鑑定です。この事件でも、小林氏からサンプル採取されたものの、採取失敗により「鑑定不要」(なぜ「不能」と言えないのでしょうか)とされました。本当に鑑定不能であったのか、非常に強い疑念が残ります。

私が小林氏ならDNA鑑定もお願いしたところです。「指のにおいをかいでみろ!」くらい言ったかもしれません。

また痴漢は常習性が極めて高い性犯罪だと思います。つい出来心でというよりは、その道のプロ(?)が犯人のほとんどなのではないでしょうか。最高裁判決文に付された裁判官の補足意見でも「被告人にはこの種の犯罪性向をうかがわせる事情は見当たらない」としています。それでいながら、仏教講座帰りの小林氏が突然痴漢行為に及んだというのは納得いかないものです。

痴漢が犯罪としてあまりに一方的にそして安易に認定されるため、最近では、リストラや離婚のために痴漢犯罪者として人を陥れるアンダーグラウンド・ビジネスがあると聞いています。示談を狙った狂言痴漢もこれまで摘発されています(その事件では、娘と母親による狂言でした)。また人権運動家やジャーナリストが不自然な痴漢容疑で逮捕されるケースもあります。満員電車に乗る機会が多い男性は痴漢冤罪には十分に気をつける必要があります。冤罪は他人事ではないと理解できると思います。

(注)
痴漢行為が刑法上の強制わいせつ罪(6月以上7年以下の懲役)に当たるのか、都道府県の迷惑防止条例上の「卑猥な言動」(6月以下の懲役または50万円以下の罰金)に当たるのかが問題になることがあります。女性の下着を上から触れば条例上の「卑猥な言動」に当たるが、下着の中に手を入れれば刑法上の「強制わいせつ」になるというのが実務上の処理だともいわれているようですが、そんなに簡単なものではないように思われます。

まず、刑法上の強制わいせつ罪は、13歳以上の男女に暴行または脅迫を用いてわいせつな行為をし、また13歳未満の男女にわいせつな行為をすることです。ここで「わいせつな行為」とは、人の性的羞恥心を害するような行為をいい、暴行・脅迫によって強制するという点に特色があります。相手の反抗を著しく困難にする程度のものであることが必要であると解されています。暴行・脅迫を伴えば、着衣の上からのわいせつ行為であっても強制わいせつ罪に問われることもあるわけです。

一方、迷惑防止条例上の「卑猥な言動」は、公共の場所や乗物の中で人を著しく羞恥させまたは不安を覚えさせるような卑猥な言動をすることで、府県の条例の中には、女子の衣服の上からまたは直接身体に触ることや、身体を覗きまたは写真をとるなどの行為が例示されています。ここでは、公共の場所や乗物の中という限定がある一方で、反抗を困難にするという強制的要素は含まれていません。

したがって、まずは、行為の場所が公共の場所や乗物の中で分けた後、人に対する強制の有無を考慮した上で、相対的に重い刑法犯か、軽い条例違反行為かを区別するということになります。

この事件の判決文を読む限り、犯人が強制的行為を伴ったわいせつ行為であったかどうかの明示的な記載はなく、かなり恣意的に線引きされているように思います。











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category: 冤罪ファイル

2012/08/14 Tue. 05:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (179) 「否認の被疑者・被告人に対する検事の方々へ」 8/11/2012 

#検察なう (179) 「否認の被疑者・被告人に対する検事の方々へ」 8/11/2012

先日、無罪の弁護をされる弁護士の方々へメッセージを発信したところ、検事に言うべきだとのご指摘があり、それもそうだと思いました。

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そこで思うところを書き留めたいと思います。

犯罪者と向き合う異常な状況に日常的に置かれている検事の方々が、被疑者・被告人に予断をもって当たるであろうことはある程度理解できます。しかしそれでよしとしないで下さい。

特に被疑者が無実の主張をしている場合は、それを虚偽であると決めつけないで下さい。性悪説に立って人を判断しないで下さい。

勿論、犯罪者が保身のために嘘をつくということは考えられます。そのため取り調べが厳しくならざるを得ないことも理解します。

私が特捜部の取り調べを受けた感想は、その迫力ある取調べに、「誰かが嘘をつき通そうとしても、それは到底できないだろうな」と思いました。私が、捜査のプロである特捜検事と対抗できたのは真実が後ろ盾にあったからです。

しかし、それと同時に「真実があったとしても、知力、気力、体力が検事に劣る人は、やり込められて、検事の言うがままの調書を取られるんじゃないだろうか」とも思いました。真実を見極めるため以上に負荷をかければ、真実が見失われてしまうということをご理解下さい。

あなた方の仕事は、犯罪を摘発し、世の中から犯罪を減らすことであり、決して犯罪をつくることではありません。あなた方の仕事は、起訴をすることではなく、真実を追求することです。

そのさじ加減は難しくありません。初めから「結論ありき」「起訴ありき」の取り調べをしなければそれは達成できます。あくまでも真実を追求する姿勢を忘れないことです。

そしてもし見立てが間違っていた場合には、引き返す勇気を持って下さい。引き返すことはいつでもできます。過ちを正すのに、遅すぎることはありません。勿論、早いに越したことはありませんが、それでも引き返さないよりははるかによいものです。

常に正しくあるということを求められるのはプレッシャーがあると思います。そして正しくある状態を理想とすればするほど、間違った状態を受け入れられなくなり、それを否定・隠蔽するようになります。常に正しくあることは不可能です。しかし、常に正しくあるよう努力することはできます。その正しくあるための唯一の方法が、自ら過ちを正し、その原因を徹底追及して、再発を防ぐことです。それ以外にはありません。

そして被疑者・被告人を一人の人間としてリスペクトすることをお願いします。彼らには彼らの人生があります。あなた方は、その人生を左右する重要な責任を持っています。

私の息子の嘆願書を全文引用させて頂きます。

「八田隆は、国税局の方々からすれば、ただの調査対象の一人、あるいは犯罪者と見えてるかもしれませんが、僕にとっては大事な父です。そして僕も彼が犯罪者でないと確信しています。父は昔から仕事一筋で真面目にやってきました。

それをただ一回の誰にでもありうるミスで咎められるのはあんまりだと思います。父は無実故に犯罪者として扱われる事に苦しみと悲しみを感じています。応援する家族の側もみな同じ気持ちでいます。私達も国税局の方々と同じように生活し、家族、そして同じ人間であるという事をもう一度ふまえて父を犯罪者と決めつける前に人間として考えて欲しいです。」

あなた方にとっては毎日あなたの前を通り過ぎる何百人、何千人という被疑者・被告人のうちの一人かもしれません。しかしその被疑者・被告人にとっては人生がかかっていることをご理解下さい。

そして、もしあなたが被疑者の無実を知ることができた場合に、それでも起訴しなければいけない組織の要請があった場合はどのように行動するべきでしょうか。

当事者の私からすれば、組織の論理と対抗して、自分の信ずるところを突き通してほしいと思いますが、そうもいかない事情がある場合もあるでしょう。国税局査察部の捜査官は「上司が『お前は八田に騙されているのだ』といって納得してくれない」と真情を吐露してくれましたが、結局のところ私は告発されました。

私もかつては組織に属していました。上司と意見が異なった場合のベストの対処法は、彼らと対話の機会を持つことです。お互い納得いかなければ、ベストのパフォーマンスが期待できないことは、大きな組織のそれなりのポジションにつくような人物であれば、理解しているものです。何が組織にとってベストかを、長期的かつ建設的な視点でとことんディスカッションすれば、自ずと結論は出てきます。

それでも自分の正義が通せなかった場合は仕方ありません。フェアに証拠の全面開示に応ずることで、裁判所に下駄を預けるしかないのではないでしょうか。

司法の場は、検察にとって、有罪を勝ち取るゲームの場ではありません。真実を追求し、正義を追求する場です。それに異議を唱える方はいらっしゃらないと思います。そうでない場合には、ただちに公僕の職を去るべきです。そして、真実や正義の追求と証拠の全面開示が矛盾しないことは火を見るより明らかです。

司法修習生の中でも検事志望の方々は、一番正義心が強いと想像します。その初心を忘れることなく、重大な責務を全うして下さい。あなた方の秋霜烈日の気概に日本の正義はかかっています。

8/11/2012




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2012/08/11 Sat. 06:21 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (178) 「木谷明氏 『強すぎる検察(検察官司法)と裁判員制度』 (上)」 8/10/2012 

#検察なう (178) 「木谷明氏 『強すぎる検察(検察官司法)と裁判員制度』」 8/10/2012

季刊「刑事弁護」No.71の木谷明氏の記事「強すぎる検察(検察官司法)と裁判員制度(上)」を興味深く読みました。

木谷氏は元東京高等裁判所判事で、この3月まで法政大学法科大学院で教授を務めていました。その法科大学院での最終講義の原稿を掲載したものが、季刊「刑事弁護」の最新号と次号です。

興味のある方には是非手に取って頂きたいのですが、ここではそのダイジェストを紹介させて頂きます。

記事の冒頭で、木谷氏は、「検察官司法(=検察官が強大な力をもって実質的に司法を司っている状況)」を言い当てる2つのエピソードを紹介しています。

木谷氏が司法修習生の頃、実務指導の地裁裁判長に「木谷君、君は刑事(裁判官)をやるなんてもったいないよ。刑事なんか馬鹿でもできるんだ」と言われたそうです。「馬鹿でもできる」とその裁判官が言ったのは、刑事裁判では、事実認定は検察の言うがまま、量刑さえ判断していればいいということらしいのです。これが現場の現実的な感覚だとすれば非常に恐ろしいものです。

また、裁判官となって十数年経過した後、木谷氏は友人の検事からアドバイスされたそうです。そのアドバイスとは「裁判官は検事の主張とあまり違った判断をしない方がいい。検察は庁全体で相談してやっているのに対し、裁判官はたった1人かせいぜい3人じゃないか。そんな体制で検事に勝てるはずがない。仮に第一審で無罪にしても、検事が控訴すれば大抵破棄される」というものでした。これも検事の本音として、恐るべき事実です。

彼は、このエピソードが物語る日本の司法の状況をこう説明します。「刑事裁判は、検察官が事実上取り仕切っているので、形式的には裁判官が裁判しているように見えても、実質的には検察官が裁判している」というもので、これが「検察官司法」たるゆえんです。

これは極論のように聞こえますが、日本の刑事司法の状況を端的に表したものであるとも言えます。

そして木谷氏は「強すぎる検察」の実態として、以下のような刑事裁判の特徴を挙げます。

1) 有罪率が異常に高い(有罪率99.9%、無罪は1000件に1件の割合)
2) 勾留請求が滅多に却下されない(被疑者の勾留には裁判所の許可が必要だが、検察の請求を裁判所が却下するのは1~3%)
3) 保釈がなかなか認められない(逮捕された被告人の勾留を解く保釈が認められるのは10数%どまり)
4) 検察控訴の破棄率が被告人控訴の場合と比べて極めて高い(一審無罪で検察が控訴すると7割近く高裁で有罪となるのに対し、一審有罪で被告人が控訴しても1割前後しか高裁で無罪にならない)

この記事では、具体的なデータを掲載していますが、私は、3) に関係して、平均勾留日数がどれだけであるかを知りたいと思いました。

1)はまさに検察官司法の実証とも言える現実です。否認事件に限っても、その無罪率はせいぜい2-3%ですが、これは例えばアメリカのように職業裁判官ではなく、陪審員が事実認定をすれば、20-30%と一桁オーダーが違ってくるものです。

2)、3) とそれに加えて長期に亘る勾留が「人質司法」と言われるものです。人質司法に関しては以前ブログにも書いています。

ここをクリック→ #検察なう (85) 「人質司法」

4) の検察上訴はそもそも憲法違反ではないかと思っています。これに関しても「二重の危険」として以前ブログに書いています。

ここをクリック→ #検察なう (87) 「司法改革 (2) 『二重の危険』」

木谷氏は、「検察官を圧倒的優位にしている制度・慣行」として次の8つを挙げます。

1) 起訴独占主義・起訴便宜主義
2) 密室取調べと人質司法
3) 当事者主義と証拠開示制度
4) 自白の任意性・信用性の審査方法と判断基準
5) 刑訴法321条1項2号後段の特信性判断基準
6) 「捜査の違法」への切り込み不足
7) 裁判官の意識
8) 「疑わしいときは被告人の利益に」の不徹底

少なからずの考察が、彼が判事であった時の反省に基づいているものと思われます。裁判官の「有罪ボケ」に関して、次のように述べています。

「裁判官も、日常的に争いのない事件を扱っているため、いわゆる有罪ボケを生じかねません。たまに被告人が必死に事実を否認した場合でも、ときに、その主張を真剣に受け止められない裁判官が生じてしまうという現実があったのです。」

6) の「『捜査の違法』への切り込み不足」について彼の記述を引用します。やはりこれも判事の立場で考えたものです。

「村木事件では、検察官が証拠物に手を加えたということが明るみに出て、多くの人がショックを受けました。多くの人の受け取り方は、『検察官ともあろう者がそんなことまでするのか。まさか......』という驚きでした。

しかし、これまで、検察官が被告人に有利な証拠を隠匿して有罪判決を得てきた実例はいくつもあります。古くは、松川事件の諏訪メモはその一例ですし、布川事件や最近報道されている東電OL事件などでも、被告人に有利な証拠が隠されていることが明らかになりました。

被告人に有利な証拠を隠すことと被告人に不利な証拠を捏造することの差は、紙一重です。『被告人に有利な証拠を隠してでも有罪判決を得る』ということが当然のこととされている世界では、検察官が『不利な証拠に手を加えてでも有罪判決を得たい』という誘惑に駆られるのは自然の勢いでしょう。捜査官はそういう誘惑が常にあるのだということを裁判官はよく理解して、証拠物の偽造・捏造を含む捜査の違法問題に切り込むべきなのですが、どうも最高裁を含む我が国の裁判所にはそういう姿勢が足りないように思います。」

そしてこの「検察官司法」の到達点として、次のような状況を述べています。それは日本の司法の現状を示しているとも言えます。

1) 供述調書への過度の依存
2) 自白の偏重
3) 客観証拠の軽視
4) 科学的証拠の軽信
5) 警察官・検察官による証拠の改ざん

ここでも5) の「警察官・検察官による証拠の改ざん」に関して彼の記述を引用します。

「供述調書に虚偽供述を盛り込むことは、昔から堂々と行われてきました。(中略)虚偽の自白調書が作成された事案を、私自身も経験しています。こういう不当な取調べは、取調べの可視化がされていない現状では、いくらでもありうると考えるべきです。

供述を捏造するのと、証拠物を改ざん・捏造するのとの差は紙一重です。虚偽の供述調書を作成した捜査官は、それが裁判所に簡単に信じてもらえることを知ると、そういう調書を作ることに抵抗感がなくなり、次には証拠物の改ざんに手を染めることになるでしょう。

村木事件でのFD改ざんは、このような成功体験の積み重ねの結果によると考えるべきです。私は、あの事件の背後には、以上に述べたように、虚偽の供述調書を作成した事案が無数にあったものと考えています。」

季刊「刑事弁護」はかなりマニアックな雑誌で、法曹関係者以外の一般人は余り目にすることはないのかもしれません。私がこの記事に触れて思うことは、一般人の感覚からすると驚愕とも言えるこうした実情が、法曹関係者には半ば常識と受け止められているのではないかということです。こうした異常な状況に慣れてしまったことで、司法全体が硬直化しているのではないかと危惧します。

こうした実情は是正すべきことは言うまでもありません。より多くの一般的な感覚をもった一般人が実情を知り、批判し続けることを期待します。

8/10/2012




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2012/08/10 Fri. 07:25 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その3 「飯塚事件」 

冤罪ファイル その3 「飯塚事件」

冤罪ファイルと題して、過去の冤罪を紹介するべく書き始めましたが、今回紹介する事件は、冤罪かどうかは、私には分からないものです(冤罪の疑いは強く持っていますが)。

その真実は闇に葬られることとなりました。それはこの事件で死刑宣告を受けた受刑者の久間三千年(くまみちとし)氏が処刑されてしまったからです。この事件の再審手続きは今後取られるようですが、今回はこの事件が教える捜査の問題点と教訓を中心に論じてみたいと思います。

無罪確定の冤罪として、足利事件は皆さんご存知だと思います。精度の低いDNA鑑定と強要された自白によって無期懲役とされた菅家利和氏が逮捕以来17年半の服役後、DNA鑑定の誤りが分かり、再審で無罪が認められたものです。

この飯塚事件でも、足利事件と同時期に同じ科学警察研究所(科警研)の鑑定チームが行ったDNA型鑑定が証拠として提出され、被告人の久間氏は死刑を宣告されました。

足利事件の再審請求に基づきDNA型検査の再鑑定が行われるという報道があったため、飯塚事件の弁護団も再審の準備を始めようとしたところ突然死刑が執行されたものです。

死刑受刑者の執行の順番は公開されていません。久間氏が死刑執行された時、判決確定順だけで言えば、彼は100人の死刑囚中61番目でした。2008年には彼を含め15人の死刑が執行されましたが、彼と、同日に執行された者を除く13人の死刑確定から死刑執行までの平均期間は4年6ヶ月です。彼は確定後から2年1ヶ月で死刑が執行されました。

宮台真司氏の番組に収録された足利事件主任弁護士の佐藤博史氏のコメントをお聞き下さい。

ここをクリック→ 足利事件DNA再鑑定と飯塚事件死刑執行の接点

<事件経緯>

1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学校1年生だった女児2人が登校中に行方不明になった。翌21日、山中で両児童が性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。両児童の死因は頸部圧迫による窒息。

数日後、福岡県警察は久間氏(当時54歳)を事情聴取した。事件から2年後、本件で久間氏逮捕、同年11月5日に殺人・略取誘拐・死体遺棄で起訴。

<裁判経緯>

一審死刑判決(1999年)→ 弁護側控訴→ 控訴棄却(2001年)→ 弁護側上告 → 上告棄却(2006年)→ 死刑執行(2008年)

取調べ当初から、久間氏は一貫して犯行を否認していました。

<争点>

足利事件との大きな相違は、足利事件の場合、自供のほかにはDNA型鑑定がほぼ唯一の証拠であり、その証拠能力が最大の争点となったのに対し、本事件では、複数の状況証拠が存在している点です(詳しくは論評に)。

ここでは、足利事件及び飯塚事件で用いられたDNA型鑑定について説明を加えます。

DNA型鑑定が何であるかはあまり面白くないので、ここでは端折ります(ネットで検索すれば山ほど出てきます)。

重要な点は、一般には「DNA鑑定」と呼ばれるものは、DNA「型」鑑定であることです。つまりDNA型が一致したから同一人物であるというものではなく、「一致した場合、同一人物である可能性が高い」というものです。そして逆に一致しない場合には、確実に他人であることが裏付けられます。

血液型で言えば分かりやすいでしょう。例えば、犯人の血液型がB型である場合、被疑者の血液型がB型だからといって、即ち犯人となるわけではありません。B型の血液型の人はほかにも大勢いるからです。しかし、被疑者の血液型がA型であれば、犯人ではないということが言えます。

現在では、足利事件・飯塚事件で用いられたDNA型鑑定より、はるかに精度の高い鑑定が行われていますが、アメリカのメリーランド州では、2007年に3万人のデータベースで、理論的には1000兆分の1の確率とされるDNA型の偶然の一致があったことが裁判で明らかになっています。

かつてのDNA型鑑定の方法(MCT118法)は、どういったものかというと、DNAの中の塩基の配列で、同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」と呼ばれる部分を検査するものです。

その部分では、同じ順序で並ぶ一まとまりの16個の塩基が繰り返す回数は人それぞれ異なっており、14回から42回の29通りなのだそうです。染色体は母親由来のものと父親由来のものを一本ずつ受け継ぎますから、それぞれの組み合わせだけパターンがあることになります。

29通り同士の組み合わせなら29x28/2=406通りかと思ったのですが、「一番染色体は1本で1組」なので406+29=435通りだそうです(ここは私の理解を越えています)。

いずれにせよかつての鑑定方法では、たかだか400人程度に一人ですから、マンモス校なら一学年に同じDNA型をもつ人間がもう一人いても不思議はないくらいなことになります。

しかも当時、その回数をカウントする技術も低いものでした。何回繰り返しているかをカウントするためには、もし16個の塩基の長さが16cmならば、16cmの物差しを持ってきて、その物差しいくつ分と数えれば何回繰り返しているかを容易かつ正確に数えることができるはずです。

ところがかつての物差しは「123塩基ラダ―マーカー」といって、16cmの塩基の長さに対し123cmもある物差しでした。16cmが何個あるかを計る物差しが1m以上であれば、それはかなり不正確にならざるをえないということになります。

その後、16cmの物差しに相当する「アレリックラダ―マーカー」が開発され、それで計ったところ、足利事件においては、菅家氏と犯人のDNA型が違っていることが分かったものです。

足利事件では、DNA型再鑑定を求めて再審請求をしていましたが、飯塚事件では、試料を全量消費して再鑑定ができないという事情があり、再審請求をしていなかったものです。

現在の法医学で一般的に行われるDNA型鑑定(STR法)は、かつての目分量だったMCT118法とは異なり、精度も各段に向上し、同じ型の別人が現れる確率は4兆7000億分の1とされています。

しかし、いかに鑑定の精度が上がっても、試料に何らかの事故で被疑者のサンプルが紛れこまないとも限らず、また最近流行りの捜査権力による証拠捏造という可能性は常に残ります。精度が上がれば、それさえあれば有無を言わさず有罪に追い込めることが分かっているからです。

また試料の全量消費で再検査ができないという場合には、その鑑定の信頼度ははるかに下がると言わざるを得ないと思います。検査結果が、ほかの状況証拠と明らかな矛盾があっても、再検査ができないのは大問題です。再検査できないDNA鑑定だけで、有罪となる可能性も出てきます。

そのためDNA型鑑定には以下のことが必要とされもので、法制化されるべきだと思います。

1) 採取から鑑定まで全面可視化

2) 検査資料の保存義務付け

3) 再鑑定を法律で保証

<論評>

飯塚事件一審の判決文を読めば、判決がDNA型鑑定のみに依拠しているものではないことが分かります。また飯塚事件では、科警研によってではありますがMCT118法以外の鑑定(HLADQα法)も行われ、久間氏を犯人とするのに矛盾のない結果も出ています。

判決文抜粋

「しかしながら、出現頻度は、そのデータ-ベースとなった資料からの統計学による確率に過ぎないのであって、データーベースが変動するにつれて出現頻度もある程度変わるのであるから、犯人絞り込みの程度の参考になるに過ぎない。のみならず、本件においては、前記のとおり犯人のHLADQα型を特定することができないのであるから、犯人が1人であると仮定した場合の犯人の血液型とDNA型を併せた出現頻度は約266人に1人の割合という程度であるに過ぎず、血液型とDNA型の出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない。」

また科警研以外の鑑定で、久間氏と犯人のDNA型が一致しないという鑑定(帝京大学鑑定)もあり、一部には検察はそれを証拠調請求していないと言われているようですが、それは間違いのようです。判決文の中にそうした鑑定の存在が言及されています。

しかし、裁判所の過ちの一つは、矛盾するDNA型鑑定を同レベルで扱っていることです。先に述べたように、一致しているからといって同一人であることは確実ではないのに、一致していない場合には他人であることは確実だからです。矛盾する二つの証拠を並べて有罪方向に積極的な証拠だけ取り上げ、裁判所お得意の「~という可能性も否定できない」という論法で消極証拠を排除するのは、DNA型鑑定においては失当です。

飯塚事件で、有罪方向の状況証拠には以下のものがあります。

(a) 犯行現場と思われる場所近辺で、被告人が所有する車両と同一と見られる車両の目撃証言

(b) 被害者の衣服にあった繊維片の一部が被告人の車両の座席シートの繊維片と同一である可能性が極めて高いと認定されたこと

(c) 被告人の車両に血痕および尿痕が残っており、これらは被害者の血液型と一致するが(DNA型鑑定はできず)、被告人はそれらの付着の原因に関してなんら合理的な説明ができなかったこと

ただいずれも殺人の証拠とするにはいかにも弱いものであり、やはりDNA型鑑定に依拠していないといいながら、相当重視していることは明らかです。

あと、私が納得いかない(有罪とも無罪とも判断できない)のは、犯行の動機です。

久間氏は事件当時、糖尿病由来の亀頭包皮炎でした。取調べでは、「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった」と答えています。

被害者の股間近辺に犯人由来のものと思われる血液が検出され、被害者の衣服や体のほかの部位にはそうした血液が付いていないため、「犯人は陰茎から出血していた」と見られました。また検察は、犯行動機を「妻と性交ができなかったため、小児にわいせつ行為をすることで性的欲求を満たそうとした」と主張しました。

公判途中で、久間氏は事件当時には亀頭包皮炎は完治していたと証言を翻します。この証言の変遷自体は有罪方向の状況証拠です。

しかし性的趣向というのは、特殊なものではないでしょうか。つまり小児性愛者(ペドフィリア)は性癖としてその傾向があるものです。ところが久間氏には小児性愛の傾向は全く認められませんでした。この点は裁判所の認定が甘いのではと、私の納得できない部分です。

死刑執行の順序を大幅に繰り上げて久間氏を死刑に処したことには、足利事件での再審請求が認められそうだということの影響があったことは想像に難くありません。冤罪の可能性をほじくられる前に、最大の証拠である死刑囚本人を抹消して、法務官僚が「臭い物にフタ」をしようとしたのではないかということが強く疑われます。

この事件が真実のところ冤罪かどうかは分かりませんが、死刑には、真実解明のチャンスを永久に奪ってしまうリスクがあることを考えるべきだと思います。

2010年11月22日に放送された、NNNドキュメント’10 「検察…もう一つの疑惑 ~封印された真犯人~」。

ここをクリック→ NNNドキュメント’10 「検察…もう一つの疑惑 ~封印された真犯人~」











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2012/08/09 Thu. 07:05 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう Tシャツ・プロジェクト (81) 

#検察なう T-shirt @レマン湖 三部作 (by Y.J ♀)

レマン湖はフランスとスイスにまたがる中央ヨーロッパで2番目に大きい湖です。

photo 1

photo 2
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2012/08/08 Wed. 08:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その2 「袴田事件」 

冤罪ファイル その2 「袴田事件」

無論、全ての冤罪は一日でも早い解決が望まれますが、その中でも「冤罪ファイル その1」で紹介した名張毒ブドウ酒殺人事件と並んで、袴田事件の再審開始決定は急務です。

1966年8月の逮捕以来、死と背中合わせの長期拘留を強いられた袴田巌氏は、現在拘禁反応で心神喪失の状態にあると言われています。

<事件経緯>

まず、2010年5月に公開された「BOX 袴田事件 命とは」の予告編をご覧下さい。これは袴田事件を基に作られた映画です。この映画の主人公は、袴田巌氏というより、合議審の裁判官の一人、熊本典道氏だと言えます。彼は無罪の心証を持ちながら、結局多数決で袴田巌氏の死刑が決定し、その後苦悩の日々を送る事となります。

ここをクリック→ 「BOX 袴田事件 命とは」予告編

静岡県清水市、1966年6月30日未明、味噌会社の専務宅から出火し、全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見されました。焼け跡のガソリン臭から、放火であることも明らかでした。

目撃者も犯行時の物音を聞いた人もいませんでしたが、被害者宅にあった多額の現金、預金通帳、有価証券がほぼそのまま残されていたため、怨恨による犯行と考えられました。

袴田巌氏は、事件当時、この味噌会社の従業員として、線路を隔てて現場と反対側にあった味噌製造工場の2階の寮に住み込みで働いていました。

袴田氏は専務にむしろかわいがられており、恨みは何もありませんでしたが、捜査に行き詰った警察は、元プロボクサーであったことなどから袴田氏を疑いを持ちました。更に、袴田氏にアリバイがなかったこと、事件後左手中指などに負傷していたこと(実際には消火活動で負傷)などから犯人と決めつけたものです。

事件発生から4日後の7月4日には、警察は工場や寮内を捜索し、袴田氏の部屋から、見た目には血が付いている事すら分からないパジャマを押収した上、マスコミには「血染めのシャツを発見」と大々的に発表しました。そして8月18日、パジャマに彼の血液型以外の微量の血や放火に使われたものと同じガソリン混合油が付着していたとの理由によって逮捕、長時間の取調べにより袴田氏は犯行を自白します。

検察は、袴田氏を起訴。冒頭陳述では、袴田氏が、子供と一緒に暮らすアパートを借りる金銭を取る目的でパジャマを着て強盗に入ったと主張しました。検察はこの時点では、パジャマの鑑定と、パジャマで犯行を行ったとする自白を中心的な根拠としていました。

第一回公判で袴田氏は起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張しています。

<裁判経緯>

地裁死刑判決(1968年) → 弁護側控訴 → 高裁控訴棄却(1976年) → 弁護側上告 → 最高裁上告棄却、死刑確定(1980年) → 弁護側、地裁に再審請求 → 地裁再審請求棄却、弁護側即時抗告(1994年) → 高裁即時抗告棄却、弁護側特別抗告(2004年) → 最高裁特別抗告棄却、弁護側第二次再審請求(2008年)

現在、第二次再審請求がなされていますが、証拠となった衣類の新たなDNA鑑定の結果が大きな影響を与えるものと思われています。

<争点>

検察の主張、裁判所の判断はつっこみどころ満載ですが、一番は、証拠となった「犯行時の5点の着衣」です。

事件の経緯で、私が、繰り返しパジャマ、パジャマと書きましたが、これが非常に重要なものです。

映画「BOX 袴田事件 命とは」でも、検察ストーリーに基づく再現ビデオのような映像があります。そこで犯人とされた袴田巌氏が次々と4人を刺していくシーンがあります。一人刺していくごとに大量の返り血を浴びていく状況が非常に印象的です。ところが、実際に発見されたパジャマは、肉眼ではほとんど見分けが付かないくらい「ちょぼ」っと血が付いた程度でした。

自白でもパジャマを着て犯行に及んだとされていましたが、状況からすると、これはむしろ袴田氏の無実の証拠になるものです。すると都合よく、事件から1年2ヶ月後に、味噌樽の中から大量の血が付いた5点の衣類が発見されました。そこで検察は、パジャマが犯行時の着衣である主張を引っ込め、この5点の衣類が犯行時の着衣であると訴因変更しました。

数々の冤罪事件で、警察・検察の捏造疑惑のある物的証拠がありますが、私は個人的に「袴田事件の5点の着衣」、「狭山事件の鴨居の万年筆」、「高知白バイ事件のスリップ痕」は三大捏造証拠だと思っています。

その5点の着衣の一つのズボンの装着実験の写真は有名です。到底履けないにもかからず、検察は味噌につかっている間に縮んだと主張します。弁護側の実験では、履けなくなるほど縮むことは確認できませんでした。

imagesCAQJIZGO.jpg

この写真を見るといつも思い出すのはO.J.シンプソンの手袋です。”They don’t fit. See? They don’t fit.”と言いながら、犯行時にしていたとされる手袋が小さすぎると主張します。それでも袴田氏のズボンに比べると、手袋は一応手にはまっています。

無題


発見された5点の着衣の中には緑色のブリーフもありました。袴田氏が緑色のブリーフを持っていたことは皆が知っていました。そして彼は緑色のブリーフを1枚しか持っていませんでした。しかし、袴田氏のたった一つしかない緑色のブリーフは、事件後袴田氏の兄が保管していました。裁判所は兄が嘘をついていると決めつけました。

更に、麻袋に入って1年2ヶ月も味噌の中に漬け込まれていたにもかかわらず、シャツやステテコは元の色が白とはっきり分かる程度にうっすらと味噌の色に染まっている程度で、大量についた血痕も見るからに赤みを保っていました。弁護側の味噌漬け実験では、発見された着衣の染色状況はわずか数日のものでした。そして1年2ヶ月も漬け込んだ後には、元の色や血痕の判別が付かない程変色してしまいました。

ほかにもつじつまが合わないことは山ほどあります。

逃走経路とされる裏木戸の疑惑に関してはこちらの動画をご覧下さい。

ここをクリック→ 裏木戸の疑惑

凶器とされるくり小刀(木工用の刃渡り12cmのちゃちな刃物)も人体に40ヶ所以上の深い刺し傷を作るには、丈夫ではなく、傷の深さや刃の幅も合わない傷があることが弁護側により示されています。

<論評>

これまでの状況証拠でも冤罪は明らかだと思われる袴田事件ですが、現在まで再審の扉は開かれていません。

再審開始決定にはこれまで二つのパターンがあります。一つは検察が隠していた手持ちの証拠の開示(布川事件等)で、もう一つはDNA鑑定(東電OL殺人事件です。

後者に関しては、アメリカでのイノセンス・プロジェクトにもあるように、冤罪解決の大きなトレンドです。

ここをクリック→ #検察なう (146) 「イノセンス・プロジェクト & FREE GOVINDA !」

裁判経緯のところでも述べたように、袴田事件においてもDNA鑑定が重要になりそうです。警察の捏造と疑われている5点の着衣の返り血及び、犯行時にけがをしたとされる袴田氏の血液のDNA鑑定が昨年夏に行われています。

そしてその結果が昨年末に発表されています。結果は?

静岡地裁は、弁護団と検察双方に鑑定人の推薦を依頼し、両者推薦の各1名ずつの民間DNA専門家に鑑定を依嘱しました。

結果は、弁護団推薦の鑑定人の鑑定は着衣の血液と被害者の血液のDNAは「同一人由来であるものを認めることは困難である」としました。それに対し、検察推薦の鑑定人は、弁護団推薦の鑑定人が行った高精度の鑑定(STR法)に失敗した上で、精度の低い鑑定(ミトコンドリアDNA法)を行い「一部試料については同一人物に由来する可能性を排除できない」としました。

これだけ明らかな結果が出ていながら、報道では「見解が分かれた」「両鑑定の結論が真っ向から対立」とされました。

第二次再審請求に対しての裁判所の判断が待たれます。

最後に、袴田巌氏の獄中日記から彼の言葉を引用します。

「息子よ、どうか直ぐ清く勇気ある人間に育つように。
 
すべて恐れることはない、そして、お前の友だちからお前のお父さんはどうしているのだと聞かれたら、こう答えるが良い。
 
僕の父は不当な鉄鎖と対決しているのだ。古く野蛮な思惑を押し通そうとする、この時代を象徴する古ぼけた鉄鎖と対決しながら、たくさんの悪魔が死んでいった、その場所で(正義の偉大さを具現しながら)不当の鉄鎖を打ち砕く時まで闘うのだ。
 
息子よ、お前が正しい事に力を注ぎ、苦労の多く冷たい社会を反面教師として生きていれば、遠くない将来にきっとチャンは、懐かしいお前の所に健康な姿で帰っていくであろう。
 
そして必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。
 
チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。」

同じく息子を持つ父として、また同じく冤罪と戦う者として袴田巌氏を応援したいと思います。

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2012/08/07 Tue. 06:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (177) 「刑事裁判の足枷 = 謄写費用」 8/6/2012 

#検察なう (177) 「刑事裁判の足枷 = 謄写費用」 8/6/2012

先日、弁護士から電話がありました。若干歯切れが悪い言い方に悪い予感がしましたが、その予感は的中しました。

「八田さん、お伝えしなくちゃいけないことがあるのですが」

「はいはい、何でしょうか」

「実は、検察が公判に提出する資料の謄写費用を立て替えていまして」

「はあ、それをお支払いすればいいんですね」

「それが、現在の時点で20万円を越えていまして」

「えっ!な、何でそんな金額になるんですか!?」

たかがコピー代です。確かに資料の量は膨大ですが、なぜそんな金額になるのか、理由を聞いて驚きました。

公判に検察が公判に提出する資料は、弁護側は自分でコピーしなくてはいけない上に、改竄・紛失を防ぐため持ち出しができず、コピーを依頼する場合は、「東京謄写センター」という一社にしか依頼できないらしいのです。

そしてそのコピー代が1枚なんと30円。Kinko’sならコピーを依頼しても1枚7.35円ですから、民間企業の4倍の値段ということになります。独占禁止法違反すれすれの状況です。

しかも「東京謄写センター」は、旧名称を「検察更生会」といい、検察の天下り企業のようです。どうせそんなことだろうとはすぐに思いましたが。

以前、ブログで、捜査権力は湯水のように税金を使って有罪にすべく捜査を行うのに対し、弁護士費用が賄えない被告人の弁護をする国選の弁護人の報酬は数万円という実態を書かせてもらいました。

ここをクリック→ #検察なう (161) 「国選弁護人の弁護報酬について考えること」

「もし、被告人が謄写費用を負担できないような場合、国選の弁護人はどうやって数万円の報酬からコピー代をカバーするんですか」

「確かに国選の弁護人の場合、謄写費用を被告人に請求するということはあまりないですね。大概は自腹です。閲覧室で自分で手間暇かけてコピーして少しでも節約しようとしたり、デジカメを持ち込んで撮る方もいますよ」

これが民事裁判であれば、原告であれ、被告であれ、裁判に提出する資料は自前でコピーして、相手に渡すことが規則で定められています。それが刑事裁判になると、検察側が裁判所に提出する資料は被告人に渡さずとも閲覧の機会を与えれば足りるという規則になっています。

検察は、税金を使い放題で捜査しながら、国を相手に戦うけしからん被告人にはコピーしたければ自分でしろ、そして法外な料金を請求するぞと、証拠を見せたがらないかのような態度です。

証拠の全面開示はしない、逮捕して身柄を拘束しながら弁護士の立会を認めず可視化されない強硬な取調べをする、取り調べた結果検察に不利な事実は調書に記載しない、調書を作成する場合は検察ストーリーに合致するよう作文する、それだけでも十分ひどいと思っていましたが、その上、被告人が証拠資料をコピーするには検察の天下り団体が法外な値段を吹っ掛けます。そして、被告人がこんなに大きなハンディを背負っているにも関わらず、裁判でも無罪推定の原則は形骸化し、DNA鑑定などで明らかな無罪が立証されない限りは検察を信頼して有罪判決を下します。

どんな国なんですか、日本は。

私は、会社関係の書類のうち、個人宛てのものは大概保存していました。後で見返すことはないだろうと思いながら、重要性の判断、取捨選択が面倒だったこともあり、一通りは保存していたものです。そのほかにも「とりあえず取っておく」とした文書は結構あります。その場できちんと確認すれば保存する必要もないのでしょうが、保存しておけば何となく確認した気にもなったものです(本の「積ん読」と似たようなものでしょうか)。

検察が裁判の証拠資料として提出する膨大な資料の大方が、書類を保存するのが基本パターンの私ですら保存する価値もないと思う書類や、仕事をしていれば絶対読むはずもない大部の会社の給与プログラム等の資料です。つまり、ゴミをコピーするのに20万円以上も払わされてしまったということです。

雪冤はプライスレスではありますが、検察の天下り団体のためにコストを強いられることに怒りが生じると共に、謄写費用が支払えずに記録を入手できない被告人や弁護人もいただろうと思うと怒りは倍増します。

それが正義のためなら仕方ないということもあるでしょうが、私のケースでは役所のメンツを保つだけの国家権力の恣意的行使ということが分かっているだけに、本当に残念な気持ちになります。

民事裁判並みに、証拠調請求する側が、相手方に資料を謄写して渡すという当たり前のルールに変更するだけでも、司法がフェアに近づくような気がします。結局のところ、公僕は国民の公益を守るのがプライオリティーだということは夢にも思わないということなんでしょう。残念なことです。

8/6/2012



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2012/08/06 Mon. 09:06 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (176) 「死刑再々考」 8/5/2012 

#検察なう (176) 「死刑再々考」 8/5/2012

引き続き死刑について考えてみたいと思います。

ここ数日死刑に関し、ツイッターやフェイスブックでご意見を頂いたり、議論をしたりしています。

難しい問題です。特に、死刑相当の重罪といえば複数人の殺人に限られるので、「人を殺した者を罰するためにどうすればいいか」というのは命の尊厳に関わり、感情もからんで一筋縄ではいきません。

ツイッターで、「制度としてある以上、死刑執行はするべきだ。法務大臣が死刑執行を命令しないのは職務怠慢である。死刑をしないのであれば法律を変えるべきだ」というご意見を頂きました。私の答えは以下の通りです。

制度は人が作る以上絶対ではなく、いつでも変更できるはずです。変更される前提があれば、現在有効な制度であっても、それを執行しないことはありえます。死刑に関して言えば、諸外国の中には、(例えば1998年以来執行がない韓国のように)廃止はしていないものの長期間執行がなく、事実上廃止状態の国もあります。ですから、「制度があるから」というのは死刑執行せねばならないという理由にはならないと思います。

法務大臣が死刑執行を命令しないことに関しては、私も死刑廃止の立場でありながら、個人の主義主張で法務大臣が命令を忌避するのは違うと思います。死刑廃止が国民のコンセンサスでない以上、法務大臣には公人としての責任があるからです。私が法務大臣に任命されたら(そんなことはありえないのですが)、その職責は受けられないと言うと思います。

小川前法相の更迭後のインタビューで、着任直後に法務官僚に言われたことが2つあると言っていました。それは死刑執行命令書に黙って署名するということと、指揮権発動は考えないということだったそうです。法務官僚にしてみれば、法相は自分たちの邪魔をしなければいいというくらいにしか思ってないのでしょう。結局彼はその両方とも守ったことになります(後者に関しては、「指揮権発動しようと考えた」と更迭後に発言したことは記憶に新しいところです)。彼は3人の死刑を執行しています。

法務大臣に任命されるような議員であれば、相当に発言力はあると思いますので、議員の立場で議員立法を働きかけて死刑廃止の主張をするべきです。

議員のような権限を持たない者が、法改正以外の方法で死刑執行の停止を訴えるのもありだと思います。先日のブログで紹介した日弁連の要請書のように、「一旦停止して議論を尽くそう」というものがそれです。

そして、死刑の存置・廃止を考える際に重要なことは、「あなたは死刑宣告ができますか」ということではないかと思っています。

日本では有権者である以上、裁判員となる権利(義務と考える向きが多いかと思いますが、私は権利と考えたいと思っています)があります。裁判員は有罪・無罪という事実認定に加え、量刑も決定します。裁判員裁判は重大事件に限定されているため、死刑相当の重罪を判ずる裁判員となる可能性もあります。

現行の裁判員制度は欠点も数多くあり、その一つが「裁判員が量刑決定に参加する」ということだと思います(アメリカの場合、陪審員は有罪・無罪の判断だけで、量刑は職業裁判官が決定)。しかし、裁判員制度の最大のメリットは、国民が当事者意識をもって司法を考えることができることだと思います。

私が死刑に反対する最大の理由は、自分で死刑宣告ができないからです。「あなたの引導は私が渡すから成仏してくれ」という責任を一生負うだけの覚悟も根性もないからです。そして自分でできないものを人に押し付けることがどうしてもできないため、死刑反対の立場を取るものです。理想に燃えて死刑に反対しているわけではなく、むしろ卑怯なのかもしれません。単なるヘタレです。

裁判員を選ぶ際、「不公平な判断をする恐れのある候補者を外す」ための質問例に「絶対に死刑を選択しないと決めていますか」という質問案を最高裁は地裁に示していますが、それが聞かれない事もあることが報じられています(10/19/2010 毎日新聞 「裁判員裁判: 東京・西新橋の2女性刺殺 選任の裁判員に死刑への考え質問なく」)。

極端な厳罰論者を排除しない以上、死刑廃止論者だけを排除するのは不公平だとも言えるので、死刑廃止論者を裁判員に選ぶことには問題はないはずですが、先の法務大臣の議論と同様、死刑廃止論者であっても、その主義主張に左右されずに、死刑相当の場合はその宣告をすべきだと思います。それも難しい選択ですが。

そして死刑の廃止が加害者擁護のためであるというのも私は違っていると思います。加害者はそれだけの罪を犯したのであれば、相応の罰を受けるべきです。極論すれば、加害者はどうでもいいのです。そして重要なことは、いかに社会のベネフィットとなるかという観点で刑罰を考えるべきだと思っています。つまり殺人を減らすにはどうすればいいかということです。その答えは死刑ではありません。死刑に殺人の抑止力がないことは明らかです。罰金を30万円にすればしなくなる飲酒運転とは犯罪の性格が全く異なるからです。殺人を犯す者が「死刑になるかもしれない」と躊躇するとは思えません。極端なケースでは、「死刑になりたいから」という殺人まで起こっているくらいです。

死刑廃止の法改正の際には、終身刑の設定を考えるべきだと思います。現在、最高刑の死刑の次に重い刑は無期懲役ですが、日本の場合仮釈放があるため、死ぬまで刑務所に禁固されることはなく、期限を取り合えず定めない不定期刑のようになっています。死刑との罰の軽重でギャップがあり過ぎるというのが問題です。

そして労働基準法関係なしの超低賃金(受刑者の作業報奨金は月平均4,700円)で働いてもらい、死ぬまで罪と向かい合ってもらう、そしてなぜそういう犯罪が行われたかのケーススタディとして社会に還元してもらえばいいと思います。刑務所は、作業収入年約47億円という、労働コストが安い故の優良企業です。

ここをクリック→ 法務省HP 刑務作業のあらまし

そして強調したいのは、冤罪の可能性はゼロではありえないことも死刑に反対する理由です。過去に4人の死刑囚が再審で無罪になり、名張毒ぶどう酒事件、袴田事件のような未解決の明らかな冤罪もあり、飯塚事件のように既に処刑されたケースもあります。そしてこれらが氷山の一角であることは間違いありません。

人間が間違いを起こさない事はありえないのに加え、捜査権力が恣意的に権力行使をしている実情から、冤罪のリスクは看過すべきではありません。無辜の人を死刑台に送るのは、最大の犯罪です。そのリスクを完全になくすのは死刑廃止しかないことは考慮するに値します。

最後に、死刑に関して考える人にお勧めの映画をご紹介します。鬼才ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」です。デンマークの監督ラース・フォン・トリアーは常に人間の心の奥底を切り取る映画を作り、観た後はどうしても気持ちがざらつくのですが、圧倒的な説得力があり、見逃せない監督の一人です。主演のビヨークの音楽も非常に高い水準の映画です。是非ご覧下さい。

ここをクリック→ 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」予告編

8/5/2012



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2012/08/05 Sun. 12:17 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (175) 「死刑執行の報道」 8/4/2012 

#検察なう (175) 「死刑執行の報道」 8/4/2012

先日来、死刑に関してブログに書いてきましたが、昨日、死刑執行の報道がありました。

この死刑執行に関し、日本弁護士連合会やアムネスティなどの団体が抗議を行っています。

日弁連の会長名で出された抗議文は以下の通りです。
「本日、東京、大阪の各拘置所において、それぞれ1名に対する死刑の執行が行われた。極めて遺憾な事態であり、死刑執行に強く抗議する。

当連合会は、本年6月18日、滝実法務大臣に対し、『死刑制度の廃止について全社会的議論を開始し、死刑の執行を停止するとともに、死刑えん罪事件を未然に防ぐ措置を直ちに講じることを求める要請書』を提出して、国に対し、直ちに死刑の廃止について全社会的な議論を開始し、その議論の間、死刑の執行を停止することを改めて求めたところである。

死刑の廃止は国際的な趨勢であり、日本政府は、国連関係機関からも繰り返し、死刑の執行を停止し、死刑制度の廃止に向けた措置をとるよう勧告を受けてきた。しかし、本年3月、小川敏夫法務大臣(当時)は、『死刑制度の在り方についての勉強会』を終了させたのに続き、同月29日には、1年8か月ぶりとなる死刑の執行を3名に対して行った。その後、政務三役による絞首刑の在り方に関する検討が開始されたと報道されたものの、その議論状況は一切公開されないままであり、本年6月4日に滝法務大臣が就任した後もその状況は変わっていない。その一方で滝法務大臣からは『一つ一つの案件をどう判断するか考えて、職責を果たす』との死刑執行に前向きな発言がなされていた。

しかし、死刑をめぐる議論と切り離して死刑執行がなされるべきではなく、ましてや死刑に関する議論を明らかにしないまま執行すべきではない。今こそ、死刑の執行を停止した上で、政府が中心となって、死刑に関する情報を広く国民に公開し、国会に死刑問題調査会を設置し、法務省に有識者会議を設置する等の方策をとることによって広く国民的な議論を行うべきである。

よって、当連合会は、死刑執行に対し強く抗議するとともに、死刑執行を停止し、死刑制度の廃止について全社会的議論を直ちに開始することを求めるものである。」

文中にある要請書を添付します。大体、法律家の書く文章は要点が見えない悪文が多いのですが、これは一般の人の目に触れることを意識したのか、比較的読みやすい文章になっています。

ここをクリック→ 日弁連要請書

また、国際的な人権擁護団体であるアムネスティも抗議を行っています。

ここをクリック→ アムネスティ抗議文

よく知らない人は連鎖販売取引の化粧品・日用品販売会社と間違えているかもしれませんが、アムネスティは国際連合と協議資格を持つ、相当に国際影響力の大きいNGOです。

死刑の存置に関しては、感情的に賛成・反対という気持ちが起きやすいものですが、是非アムネスティの「なぜ死刑に反対するのか」と「死刑に関するQ&A」をご一読下さい。その上でご自分の意見を考えてもいいと思います。情報が限定されている中で、誤解も多いのがこの問題だと思います。

ここをクリック→ 「なぜ、アムネスティは死刑に反対するのか?」

ここをクリック→ 死刑に関するQ&A

ただこの死刑の議論には遺族感情という非常にセンシティブな問題があります。更に言えば、「遺族感情を思い図る」当事者以外の感情という問題もあります。

例えばこのアムネスティの「被害者の遺族の気持ち」という部分に書かれた、「寛容は復讐に勝る」とする被害者の方や、娘を殺害された遺族の「自分の娘の名において、もう一つの殺人が行われることを、娘が望んでいるとは思えない」というのは非常に崇高な考えだと思いますが、さがない人からは「自分の子供がかわいくないのか」という中傷があることを心配してしまいます。

逆に、今の日本には、「極刑を望みます」という言葉を遺族が語った時に、無批判で受け入れる雰囲気があるような気がします。先日も、これまでの死刑の基準とされていた永山基準や「死刑適用は例外的」を大幅に引き下げる最高裁の判断が光市母子殺人事件でなされましたが、「よかったね」という友人に「そうかなあ」と言ったところドン引きされてしまいました。

私は、仇討ちが非合法である以上、余り過度に被害者感情によった議論は避けるべきだと思っています。ただ、「罪を憎んで人を憎まず」という論調より、「罪を憎んで人も憎む」という論調の方が一般に受け入れられやすいのは事実です。報道も、彼らのビジネスセンスでそうしたところに依拠している所が少なからずあると思われます。

いかに死刑相当の重罪を罰するかの議論には、いかにそうした犯罪を少なくするかという観点が必要で、死刑はその解決ではないとするところから議論が始まると思います。

それでも難しい問題なんですが。

8/4/2012





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2012/08/04 Sat. 07:31 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (174) 「死刑に関する国際世論」 8/2/2012 

#検察なう (174) 「死刑に関する国際世論」 8/2/2012

1989年12月に死刑廃止議定書が国連総会で採択されて以後、世界の多くの国々が死刑制度を廃止ないし死刑執行を停止しています。

ここ20年(1991-2010)で死刑執行を行った国は、1995年の41ヵ国をピークに漸減し、現在20ヶ国前後で推移しています。

それに対し、死刑制度を全面廃止した国の数は、1991年の48ヵ国から2010年の96ヵ国まで一度も減少せず推移しています。即ち、それらの国では、ひとたび廃止された死刑制度が再導入されることはほとんどないと言えます。

こうした世界的趨勢の中、2007年5月国連拷問禁止委員会は日本に対し死刑執行停止を求める勧告を行っています。国際人権規約を批准し、国連人権理事会理事国をつとめる国として、日本は死刑制度のあり方を再考すべきであると思います。

また2007年12月18日には、国連総会で、死刑執行停止決議がなされました。

「総会は、国連憲章に盛り込まれた目的と原則に導かれ、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約、及び子どもの権利条約を想起し、また、人権委員会において、いまだ死刑を存置している国々に対し、死刑の完全廃止及び廃止するまでの間の死刑執行の停止を求め、
(中略)
死刑の使用が人間の尊厳を損なうことを考慮し、及び、死刑の使用の停止が人権の強化及び進展に貢献し、死刑の抑止力としての価値にはなんら確証がなく、及び死刑執行における司法の誤りや欠陥は、撤回できず回復不可能であることを確信し、ますます多くの国々が死刑執行の停止を行い、多くの場合、その後死刑を廃止していることを歓迎し、
(中略)
いまだ死刑を存置している全ての国々に対し、死刑の使用を徐々に制限し、死刑を科すことのできる犯罪の数を減らし、死刑の廃止を視野に入れた死刑執行停止を確立することを求める。 」

この決議では、賛成104カ国、反対54カ国(棄権及び投票せず34カ国)でした。

日本は、アメリカ、中国、北朝鮮と共に反対票を投じています。

国連総会・死刑執行停止決議賛否一覧
ここをクリック→ 国連総会・死刑執行停止決議賛否一覧

日本は、先進国の中では突出して死刑存置の支持が高く、2009年内閣府世論調査では85.6%の人々が死刑を支持しているとされました。

捕鯨に関して、日本が国際的にバッシングされることがありますが、捕鯨は日本の文化だと主張できても、死刑を日本の文化であるとは主張し難いものです。国際的に発言力を増すためにも、我々は国際世論に敏感であるべきだと思います。

救援連絡センターの機関誌「救援」にこの数字に関する記述があった(2012年4月10日号)ので引用します。

「死刑執行の口実として、世論調査が使われている。

09年12月に実施された世論調査では死刑存続が85%、死刑廃止が5.7%と報道されているが、ここには問題がある。

世論調査は死刑存置か、廃止かを質問していない。『どんな場合でも死刑は廃止すべきである』が5.7%、『場合によっては死刑もやむを得ない』が85.6%。明らかに死刑をやむなしとする誘導する質問である。実際に『場合によっては死刑もやむなし』と回答した人のうち、『将来も死刑を廃止しない』が60.8%。『状況が変われば将来的には死刑を廃止してもよい』が34.2%である。

従って、『将来も死刑を存続すべき』は52.6%。『現在はやむを得ないが、将来は廃止してもよい』が29.3%となる。『死刑廃止』と『将来は廃止も』を合わせると39.9%になる。国民の圧倒的多数が死刑を支持しているという意図的な世論操作だ。しかも若い世代ほど、死刑を廃止すべきが多いという結果が出ている。

また設問の仕方にも問題がある。たとえば『世界の国の70%は死刑を廃止(10年以上死刑を執行していない事実上の廃止国を含む)していることを知っているか』とか『日本において年々殺人事件が減少していることを知っているか』という質問をしてから、死刑についてどう思うかと質問すれば結果は変わると思う。つまり死刑の実態やその背景事情についての情報は知らせずに死刑存置が多数派だという世論操作をし、それを口実に死刑執行をすること自体が問題なのだ。」

先進国でも、死刑を廃止した背景は様々ですが、イギリスでは死刑を執行した後で真犯人が見つかった事件をきっかけに政府が先頭になって死刑を廃止しました。

日本においては、過去4人もの死刑囚が再審無罪となっても死刑廃止にはつながっていません(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件)。取調べの全面可視化ですら行われていない司法後進国の日本で、合法的な殺人である死刑が制度として認められていることはとてつもなく恐ろしいことだと思います。

冤罪被害者の立場からすると、国家権力の恣意的な行使を知っているだけに、その恐ろしさは本当に身に沁みて感じます。

8/2/2012




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2012/08/02 Thu. 09:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (173) 「過去のお勧めブログ記事 Part2」 8/1/2012  

#検察なう (173) 「過去のお勧めブログ記事 Part2」 8/1/2012

これまでのブログ「蟷螂の斧となろうとも」の記事からお勧めをピックアップしました。

#検察なう (132) 「税務調査のタイミング」 5/14/2012
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#検察なう (135) 「因果応報」 5/19/2012
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#検察なう (136) 「自白の心理学」 5/20/2012
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#検察なう (142) 「『明るく楽しい布川事件』 桜井・杉山さんを守る会解散集会」 5/27/2012
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#検察なう (143) 「『蟷螂の斧となろうとも』解題」 5/29/2012
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#検察なう (151) 「第三回公判まとめ」 6/13/2012
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#検察なう (157) 「真実の前足(まえあし)後足(あとあし)」 6/22/2012
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#検察なう (158) 「無罪の弁護をされる弁護士、将来の弁護士の方々へ」 6/23/2012
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#検察なう (159) 「疑わしきは被告の利益に」 6/27/2012
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#検察なう (167) 「政界往来8月号 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件~真実は一つ、最後まで冤罪と闘う」 7/18/2012
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#検察なう (169) 「無実と無罪」 7/24/2012
ここをクリック→ #検察なう (169) 「無実と無罪」

#検察なう (171) 「脱税の悪質性の尺度=仮装・隠蔽」 7/28/2012
ここをクリック→ #検察なう (171) 「脱税の悪質性の尺度=仮装・隠蔽」

8/1/2012




ここをクリック→「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会動画ダイジェスト版」

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」 改訂版

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事


ここをクリック→ 嘆願書まとめ






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category: 刑事事件一般

2012/08/01 Wed. 06:48 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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