「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (325) 「『否認料』という冤罪の要因」 8/29/2013 

#検察なう (325) 「『否認料』という冤罪の要因」 8/29/2013

(強制捜査から1717日、弁護側控訴答弁書提出期限まで8日)

アメリカの司法スラングに「アスホール・エンハンスメント(asshole enhancement)」という言葉があります。権威に従順な日本人と違い、アメリカでは法廷で4レターワードの悪態をつくなど相当態度が悪い被告人がいると思われますが、そうした被告人に対して、通常よりも重い罪を科すことを指す言葉です。

日本でも、同じ意図から加重が斟酌される場合があります。それは「否認料」と呼ばれるものです。

日本の刑事司法では、捜査権力は絶対に間違いを犯さないということが前提になっているため、「否認=嘘をついている=反省をしていない」という図式から、否認する被疑者・被告人には往々にして厳しい処遇や処分が科されます。

例えば私のケースです。クレディ・スイス証券の税務調査では対象者約300人のほとんどが申告漏れ、そしてそのうち約100人が私と同じく株式報酬の無申告でした。その中で、なぜ私だけが国税局から告発されたかを、ある記者が国税局に内々に取材したところ、「彼は悪質だから」との回答だったそうです。その記者は、私に仮装・隠蔽の事実が全くないことから多分申告漏れの金額が一番多いのだろうと解釈し、私もそれを信じて「どうしてあなただけが」という質問にはそのように答えてきました。退職時に未払い分の株式が前倒しに払われたとは言え、私の給与が会社内で一番高いとは思えなかったので、若干の違和感を覚えながらも、多分私より多くの給与を受け取っていた人たちは税務に関心が高く、正しく申告していたのだろうと納得していました。

しかし無罪判決後会社上層部から、私より高額の申告漏れもいたけれど彼らは故意を認めて告発されずに済んでいたということを知らされました。それを聞いた時、国税局の「悪質」という判断基準が否認であることを理解しました。認めれば(重加算税だけで)お咎めなし、認めなければ反省していないとして告発する。まさに「否認料」の実例です。

そして注意して頂きたいのは、故意を認めた人たちも本当に故意であったかは分からないという点です。痴漢の冤罪と同じく(私は、告発後に相談したヤメ検に全く同じ言葉を言われました)、認めた方が賢明だという考え方もあります。国税局査察部、検察特捜部の長期間の取調べや公判を経験し、仕事や少なからずの友人を始め多くのものを失うことが、金で買えるのであれば言うまでもないかもしれません。私にはその発想が全くなかっただけです。

また典型的な「否認料」の例として、「人質司法」があります。

ここをクリック→ #検察なう (85) 「人質司法」

弁護士会や人権団体、挙句の果ては海外までがこの「人質司法」に表れた日本の刑事司法の後進性を批判しています。

ここをクリック→ #検察なう (303) 「国連拷問禁止委員会での日本に対する批判に関し」

ここで認識して頂きたいのは、こうした批判は捜査権力にとって痛くもかゆくもないということです。むしろ彼らにとっては、取り調べ上実に効果的であるがゆえに、世に広く広めてほしいくらいなものです。捜査権力の取調べに際して、「否認すれば損だ」ということがあまねく知られれば、有罪を作ることを至上命題としている彼らにとっては簡単に自白が取れ、これほど便利なことはないと思われます。

こうした事情が冤罪の原因となっていることは論を待たないかと思います。どうして冤罪が生まれるのかといったことを理解するには、「否認をすれば損」といった常識がまかり通ることが原因となるということを知る必要があります。

「否認料」を払うことを嫌って虚偽自白する、あるいは「人質司法」によって自白を強要される、そうしたことに対し捜査権力が是正する姿勢を見せない現状はどのようにすれば打破できるのでしょうか。

最終的にはこれは議員立法によって制度を変えていくしかないと思います。そして彼らを動かすインセンティブは、票が読めるかどうかという一点です。冤罪を減らす努力をしようというスローガンを挙げて票が読める世の中になれば、現時点では冤罪に全く関心を持たない議員族も意識が変わると思います。それまではできる限り健全な議論をして、一人でも多くの人に何が問題かを知ってもらうべく訴え続けるしかないと思います。

日本の将来に少しでも冤罪が少なくなるよう努力したいものです。

P.S.
昨日、非常に残念なニュースがありました。西武池袋線痴漢冤罪小林事件で、冤罪と戦っている小林卓之氏の再審請求が棄却されました。

なぜ司法は現実から目をそむけ続けるのでしょうか。この事件に関しては、是非こちらをお読み下さい。

ここをクリック→ 冤罪ファイル 「西武池袋線痴漢冤罪小林事件」

8/29/2013










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category: 刑事司法改革への道

2013/08/29 Thu. 00:51 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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#検察なう (324) 「PC遠隔操作事件 検察事実上の敗北宣言 & 雑誌『週刊金曜日』に私の記事が掲載されました」 8/26/2013 

#検察なう (324) 「PC遠隔操作事件 検察事実上の敗北宣言 & 雑誌『週刊金曜日』に私の記事が掲載されました」 8/26/2013

(強制捜査から1714日、弁護側控訴答弁書提出期限まで11日)

既存メディアではすっかり沈静化したかのようなPC遠隔操作事件ですが、インターネットメディアでは混沌とした捜査の状況を伝えて注目度は更にアップしています。

先日、第4回公判前整理手続が行われ、その後に恒例の弁護団による記者会見が行われました。この模様はYoutubeで見ることができます。会見全体(注1)は1時間に亘りますが、その中で特に問題視されるものが次の部分です。弁護人の佐藤博史氏がジャーナリスト神保哲生氏の質問に答えた2分間の動画をご覧下さい。

ここをクリック→ 第4回公判前整理手続き後記者会見(佐藤博史弁護士)

ここで佐藤博史弁護士が引用した最高裁判例とは、平成22年4月27日の平野母子殺害事件の最高裁判決のことを指しています。

ここをクリック→ Wikipedia 平野母子殺害事件

この事件は一審無期懲役判決、双方控訴の後、二審死刑判決、上告審で最高裁は破棄差戻しをし、差し戻された高裁で無罪判決が出たものです(現在、検察控訴中)。死刑判決を最高裁が差し戻すというケースは異例中の異例です。

刑事司法の大原則として、有罪立証には「合理的な疑いを越える」立証がなされなければならないとされていますが、この判決は、情況証拠しかない場合の犯人性に関する立証において、その抽象概念に具体的内容を盛り込んだものとして非常に重要です。犯人性を裏付ける直接的な証拠がない場合でも、情況証拠から犯人性を立証することは可能ですが、その場合のハードルを上げたものです。

判決文(注2)からその部分を引用します。
「直接証拠がないのであるから、情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係がふくまれていることを要するというべきである」

「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない」というのは仮定的否定をさらに否定する二重否定になって、多少の分かりにくさはありますが、それは即ち「他の者が犯人であるとしたならば合理的に説明できない」ということを言っています。要するに、そうした立証があって初めて「犯人は被告人以外にはありえない」、つまり「被告人こそが犯人である」ことが言えるということを意味しています。

PC遠隔操作事件では、殺害や爆破予告メールを送信したとされた4人の誤認逮捕が起きています。彼らのメールのIPアドレスが犯行の証拠とされましたが、彼らのパソコンからマルウェア(「iesys.exeアイシス・エグゼ」というトロイの木馬)が発見されたことから遠隔操作されていたことが逮捕後発覚したものです。

そして彼らのパソコンを遠隔操作した容疑で逮捕された片山祐輔氏ですが、その逮捕の証拠とされているのが、犯行メールに書かれた内容と彼の行動が一致しているという情況証拠と彼の勤務先パソコンからマルウェアが発見されたことです。

もし片山氏も遠隔操作されていたのであれば、彼の行動が犯人に筒抜けであったことは当然です。その犯人が彼の行動を辿るように犯行メールを作成すれば、片山氏の取った行動を、あたかも犯人が取った行動のように見せかけることはいとも簡単にできます。そして4人の誤認逮捕の際には彼らが犯人ではないとされたマルウェアの発見の状況は、片山氏の状況とは何ら変わらないにも関わらず、片や犯人ではない証拠とされ、片や犯人である証拠とされています。

片山氏が遠隔操作されていたという可能性を想定するだけで、容易にほかに犯人がいることの疑いが生じ、それは平野母子殺害事件の判例にある「他の者が犯人であるとしたならば合理的に説明できない」ということには明らかに合致しません。

そして、その「他の者が犯人であるとしたならば合理的に説明できない」ことの挙証責任は検察側にあることは当然です。しかし、検察が、無罪を立証する責任が弁護側にあるかのように言及したことは、検察の敗北宣言に等しいものです。

現時点で最大の問題は、検察が徒手空拳で起訴をしていることが推認できるにも関わらず、片山氏の接見禁止付き勾留が依然続いていることです。片山氏の逮捕以来の起訴後勾留は既に6ヶ月半にも及び、依然家族とも会えない状況です。そしてその責任は検察の勾留請求を安易に認めている裁判所にあり、それを全く批判しないメディアにあります。

彼が有罪であるか無罪であるかの結果は公判を待たなくてはなりませんが、推定無罪原則を蹂躙した明らかな人権侵害がリアルタイムで起こっていることを、我々は認識する必要があります。

PC遠隔操作事件は、警察・検察の威信を賭けた事件だけに、記者クラブに属する新聞・テレビといった既存メディアは申し合わせたように経過の詳細な報告を見送っています。この事件は、インターネットを媒体とした江川紹子氏や神保哲生氏といったフリーのジャーナリストの独断場となった事件として今後長く記憶されるものと思われます。

江川紹子氏 「PC遠隔操作事件 写真はiPhoneで撮られていた!」
ここをクリック→ 「PC遠隔操作事件 写真はiPhoneで撮られていた!」

神保哲生氏 x 宮台真司氏 ビデオニュース・ドットコム 
「遠隔操作ウィルス事件続報 弁護側が無罪性の挙証責任を負わなければならないのか」
ここをクリック→ ビデオニュース・ドットコム 「弁護側が無罪性の挙証責任を負わなければならないのか」 

私の以前のブログ「PC遠隔操作事件における捜査及びメディア報道の問題点」もご参照下さい。
ここをクリック→ #検察なう (299) 「PC遠隔操作事件における捜査及びメディア報道の問題点」

そして別件。

先週金曜日発売、現在書店に並んでいる雑誌『週刊金曜日』(8月23日第956号)に私に関する記事が掲載されています。青木理氏による『検察の無謬の砦に穿たれた貴重な判決』です。是非、ご購入、ご覧下さい。

ここをクリック→ 雑誌『週刊金曜日』(8月23日第956号)目次

(注1)第4回公判前整理手続後記者会見(ビデオニュース・ドットコムより)
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(注2) 平野母子殺害事件最高裁判決文
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8/26/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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2013/08/26 Mon. 03:13 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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ブック・レビュー 『弟を殺した彼と、僕。』 原田正治/前川ヨウ著 

ブック・レビュー 『弟を殺した彼と、僕。』 原田正治/前川ヨウ著

弟を殺した彼と、僕。

先進国で死刑を存置しているのは、アメリカと日本のみ。アメリカでは、州によっては死刑を認めていないところもある。ところが日本では、圧倒的に死刑存置支持率が高いとされている(但し、この統計はかなり恣意的に操作されている可能性が高いが)。

なぜ死刑制度の存続を望むのかという質問に対して、「説得力がある」とされる理由の一つは「被害者感情を鑑みた場合当然」というものではないだろうか。そのように考えている人は、是非この本を読んで、もう一度死刑制度に関して考えてみるべきであろう。

著者(実際には原田氏から聞き取りをした前川ヨウ氏が執筆)の原田氏の弟が、保険金殺人の被害者となってから、彼の人生は大きく暗転する。

早くに父を亡くした原田氏は一家の父代わりであった。実弟が殺され、「なぜ自分がこうした不幸に見舞われなければならないのか」という気持ちから生活は荒んでいく。

彼も最初は、殺人を犯した犯人には極刑を望んでいたのだが、それが時間の経過とともに「発酵」し、処刑されてしまうより、生きて償いの気持ちを持ち続けて欲しいと思うようになる。

「決して赦したわけではない」と自分にも言い聞かせながら、殺人犯の死刑に反対する運動を始める。結局、彼は「国家に裏切られ」犯人は処刑されてしまう。そしてその後も死刑制度に反対する姿勢を変えない中で、「死刑は望まないけれど、『赦してもいない』と話してきた。しかし、果たして僕には、彼を赦す権利があるのだろうか」「生きる、死ぬは、人間が判断する事柄ではない」と思い至るのである。

「被害者感情を考えれば、殺人の罰として死刑は当然」とする人に彼は次のように語る。是非、心して読んで欲しい。

「『被害者遺族の気持ちを考えたことがあるのか』と言いますが、彼らもまた考えたことはないのです。一方的に、『被害者遺族は、怒りに凝り固まって、死刑を望んでいる』と決めつけているのだと思います。

僕は、彼に『被害者遺族の気持ちに同情するので、死刑に賛成する』と言ってもらうより、被害者遺族の肉声に直接耳を傾け、受け止める時間を少しでも持ってほしい、と思いました。単に『被害者遺族の気持ちを考えて死刑に賛成する』という声に、僕は寂しさや怖さを感じます。

そのような人は、僕のような者を、『家族を殺された彼らは、平穏に暮らす自分より気の毒でかわいそうな人』と、一段下に見ていると感じます。その上、自分のことを偽善者よろしく、『言われなくても被害者遺族の気持ちを推し量ることができる自分は、人間らしい情のある者だ』と、心のどこかで考えている気がします。被害者のことなど真剣に考えてはいないのです。

死刑に使う税金は容認して、被害者救済のために国が税金を支出することなど、想像もしていません。これは僕のひがみでしょうか。ひがみであったとしても、僕がそのように考えてしまうことすら、多くの人は知らないのです。」

勿論、人間一人一人の生き方、考え方が異なるように、全ての被害者遺族が彼のように考えるわけではなく、憎しみに囚われ続け、死刑を求める人もいるであろう。その是非は判断できないが、少なくとも彼のような遺族もいる以上、被害者感情が死刑存置の理由であるということは欺瞞でしかないであろう。

人の命にかかわる重要な問題であるだけに、是非考えて欲しい。

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2013/08/22 Thu. 06:05 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (323) 「英終身刑廃止の報道に際し、死刑制度に思うこと」 8/21/2013 

#検察なう (323) 「英終身刑廃止の報道に際し、死刑制度に思うこと」 8/21/2013

(強制捜査から1707日、弁護側控訴答弁書提出期限まで18日)

欧州各国では既に、死刑どころか仮釈放のない終身刑も廃止されています。イギリスがこの情勢に追随するというニュースに「同じ人間、同じ命の重さなのに、彼我の意識の違いには考えさせられる」とコメントを添えてツイートしたところ、多くの死刑存置派と思われる方からご批判のコメントを頂きました。

ここをクリック→ 8/17/2013 ツイート

センシティブなイッシュ―であり、140文字の返信では限界があるので、思うところをブログに掲載させて頂きます。

私は死刑制度を積極的に支持しているわけではありません。そして、死刑の執行は一旦凍結すべきだと考えています。

しかし私は死刑囚の人権のためを考えているわけではありません。それはどうでもいいと言ってもいいと思っています。なぜそれでも死刑制度を積極的に支持できないかをご説明します。

まずこの問いを考えてみましょう。

「小学校に凶器を持って乱入し児童8人を無差別殺人した者や、自分の利益や野心のために何十人もの人の命を何とも思わずに奪った宗教家の仮面をかぶった殺人集団のリーダーを極刑に処すべきか」

その答えは勿論「イエス」です。

なぜそれでも死刑を廃止すべきかという理由は、至ってシンプルです。それは、日本の現時点における刑事司法に全幅の信頼を置くことができないからです。

次の問いはどうでしょうか。

「無実の者が誤って有罪となっている場合、その者を絞首台に送るべきか」

この問いに「イエス」と答える方はいるのでしょうか。

そしてこの二つの命題を共に満たす制度はありえません。即ち、「極悪人を殺そうとすれば無辜の者も殺さざるをえない」「無辜の者を殺さないためには極悪人も殺すことができない」という二者択一です。

いまだ未解決のPC遠隔操作事件で、既に四人が誤認逮捕され、そのうち二人が虚偽自白をして、一人が有罪認定されているような社会に我々は生きています。

証拠を隠蔽し、捏造し、平気で嘘をつく検察が起訴をすれば、有罪率99.9%という現実を直視すべきです。

そのような社会では、私は恐ろしくて死刑あるべしという考えをもつことができません。

もっと利己的に考えてみましょう。

「自分の大切に思う人が殺されて、その殺人犯を(私怨にせよ、社会的要請があると思うにせよ)絞首台に送りたい」という可能性と、「自分あるいは自分に近い者が、冤罪にからめとられ無実の罪で絞首台に送られる」という可能性を両天秤にかけて評価する必要があります。

私は、冤罪当事者として後者のリスクは到底許容できるものではありません。ゆえに結論はおのずから導かれるものです。

「冤罪の可能性がゼロではない」というのは杞憂に過ぎないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。私はその論には首肯できません。なぜなら、この国において、冤罪を減らすために効果的である方策が明らかであるにも関わらず、全くその措置が講じられていないことから、杞憂どころか現にある危険だと思っています。

つまり抽象論で死刑不支持を唱えているつもりはなく、もしこの国の刑事司法が冤罪を減らすということに真剣に向き合うのであれば、喜んで死刑制度擁護に宗旨替えしたいと思います。

取り調べの適正化のための3点セット、即ち「取調べの全面可視化」、「証拠の全面開示義務」、「取調べに弁護士の同席を認める」、それらないし「検察上訴権の廃止」、ないし「再審審理を裁判所ではなく第三者機関が行う」ということのいずれか一つでも実現すれば、私は死刑制度擁護を考慮しようと思っています。

飯塚事件や和歌山毒物カレー事件は氷山の一角でしかありません。なぜなら冤罪は偶発的なものではなく、構造的に生まれているからです。

ここをクリック→ 冤罪ファイル 「飯塚事件」

ここをクリック→ 冤罪ファイル 「和歌山毒物カレー事件」

極悪人を心置きなく社会から永遠に排除するためにも、刑事司法改革は不可欠です。

最後に、「家族を殺されれば分かる」とツイートされた方がおられました。その方の家族が殺されたかどうかは分かりませんが、私は自分の家族が殺された経験がないので、「分からない」としか答えられません。

しかし、被害者遺族が例外なく極刑をもって犯人を処罰してほしいと思うかといえば、それは違います。信じられないという方は是非、原田正治/前川ヨウ氏著の『弟を殺した彼と、僕。』をお読み下さい。

先日、「日本の司法を正す会」で青木理氏とこの本の話題になった時、彼も死刑制度に関して考えるための最良の書だと言っておりました。

ここをクリック→ ブック・レビュー『弟を殺した彼と、僕。』

8/21/2013













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2013/08/21 Wed. 08:01 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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#検察なう (322) 「控訴審を見据えた一審弁護団の弁護方針~検察請求証拠の同意に関し」 8/19/2013  

#検察なう (322) 「控訴審を見据えた一審弁護団の弁護方針~検察請求証拠の同意に関し」 8/19/2013

(強制捜査から1707日、弁護側控訴答弁書提出期限まで18日)

一審弁護団は公判に臨んだ当初から、一審無罪を意識した弁護方針を指向していました。その最たるものが検察請求証拠の同意です。

そもそも無実である以上、私の有罪立証のために過少申告の故意を裏付ける決定的な証拠は存在することはありませんが、検察は一審で、過失でも矛盾のない間接証拠を山のように証拠調請求してきました。

弁護団は、それらの少なからずのものを「関連性なし」として不同意することもできましたが、基本的には全てを同意して公判に提出させることを選択しました。

その理由の一つには、あまりにくだらない間接証拠の多さが検察立証の弱さを物語っていることを印象付けるという意図がありました。そしてまたそれは、控訴審を見据えての戦略でもありました。

控訴審が事後審であり、基本的には新たな事実認定を行わず、あくまで原審判決の当否だけを審理するということは以前のブログで書いたところです。しかし、一審判決に事実誤認があると認められると、本来事後審の控訴審が続審のように新たな事実認定が行われることになります。その非常に大きな契機となるのが新規の証拠採用です。

一審で十分な審理が尽くされていれば、同じ証拠をいくら検討したところで同じ結論が出るであろうことは合理的に考えられます。そのため控訴する側は、何とか新規の証拠を裁判官に認めてもらう必要があります。そこで重要なことが、以前も引用したWikipedia「控訴審」にある控訴審の現状です。再度引用します。

「刑事訴訟では、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった」場合でない限り、新しい証拠を取調べないという刑事訴訟法382条の2、393条第1項を厳格に適用し、被告人の証拠申請を全て却下する一方で、検察官の証拠申請は認めるという不公平な取扱いがあるともいわれている」

ありうるとされる不公平な取扱いを封じ込めるのが、検察に全ての証拠を一審で出させてしまうという戦略です。刑事裁判では一審が非常に重要であることは間違いないのですが、私の一審では、検察の証拠を全て同意したところでさしたるダメージは考えられないという「攻め」の弁護戦略でした。

一審において検察が証拠調請求をして弁護団が同意、証拠採用された取るに足らない証拠の例に、私の元部下や友人からの一部メールがあります。メールは心情を如実に表す証拠として本来重要なものです。しかも私には強制捜査の1ヶ月前から税務調査が入っていました。その1ヶ月の間に、もし脱税をしていたのであれば、当然あわてふためいた状況がメールから伺えるはずです。しかし、検察はメールのほとんど全てを証拠調請求せず、以下の「はあ?」とこちらが思うようなもののみを証拠調請求してきたものです。

告発の報道を見た私の元部下が
「何でばれたんですか?」
と送ってきたメール。

「マル査がはいったらしい。税理士から連絡があって、職権で俺の口座を調査してるって」とする私に友人が
「税金逃れ失敗?めげないでね!」
と返信してきたメール。

仲のいい彼らからのメールは単なる冗談で、私は全く気に留めていませんでした。もし彼らのメールを証拠とするのであれば、彼らの取調べをした上で、事実の確認をしてから証拠とすべきです。検察は一切彼らの取調べを行っていません。

税務調査開始後の税理士との確定申告関連のおびただしい数のメールは最重要証拠と言うべきものです。それを全く無視して(結局これらのメールは弁護側から証拠調請求)、このような冗談メールを証拠としなければならないということは、故意を裏付ける証拠が全くないという検察の窮状を物語るものです。それでもこのようなメールを証拠調請求することに、今更ながら、彼らに真実追求の姿勢が全く見られないことを感じます。

また、そのほかのくだらない証拠の中には、証券外務員試験のガイドブックである『証券外務員必携』があります。証券外務員試験は銀行員・証券会社に勤務する者のほとんどが取得する資格試験です。その中の項目に証券税制の記述があることから、私が税務に精通していたと主張したものです。

金融関係者であれば『証券外務員必携』と海外給与の申告漏れが全く何の関係もないことは分かってもらえるものですが、そのほかの方には、証券外務員試験及び『証券外務員必携』に関してそれらがどういったものであるか次のブログを参考にして下さい。

証券外務員試験は1週間程度の勉強で「勉強さえすれば誰でも取れる資格」、『証券外務員必携』に関しては「入社して以後、一度も必要となったことはありません」とあります。

ここをクリック→ 証券外務員試験(難易度低し。合格率高し。)

勿論、そこに書かれた証券税制と源泉徴収とは何ら関連がなく、源泉徴収の例外規定である海外給与の申告といった特殊税務が記載されていることはありません。印象点を稼ごうとするのみの全く中身のない証拠です。

一審ですらこれほど中身のない証拠調請求をした出がらしの検察がどのように控訴審を戦うのか、是非ともご注目下さい。

8/19/2013








法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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2013/08/19 Mon. 06:30 [edit]   TB: 0 | CM: 4

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フィルム・レビュー 『少年H』 降旗康男監督 

フィルム・レビュー 『少年H』 降旗康男監督

少年H

帰省中に両親と鑑賞。映画は妹尾河童大ベストセラー作品の映画化。

この映画の正しい楽しみ方は、主人公と同じ年頃で戦争体験を持つ親と観て、彼らの思い出話を聞いてあげることです。「終戦の時、わしは小学6年生だったから、少年Aの2-3歳下やったな」「少年Hね」「私の学校の運動場は畑やったわ」「へええ」という感じです。

私の母親は水谷豊のファンであったらしく、「宣伝でしとって観たかったけど、題名覚えとらなんでえ。夫婦で出演やもんね、蘭ちゃんと」とのことでした。

原作がそこそこ面白かった記憶があり、脚本が『ALWAYS 三丁目の夕日』の脚本家古沢良太とあってちょっと期待していましたが、私の親の世代が観て面白い映画に面白い映画はなしという私の法則通り、期待は見事に裏切られました。

真面目に作っていることは評価できますが、いかにも文部省推薦作という感じで毒がなさすぎ。戦時下の共産主義やキリスト教の思想弾圧、市井の生活を軍国主義が蹂躙という重いテーマながら、あっけらかんとし過ぎ。子供の視点ということで、原作はそれがいい味を出していたのですが、映画では小説のように主人公に入りこめず客観的にならざるを得ないところが厳しいところです。是非親御さんと行かれて下さい。それ以外はお勧めできないなあ。

ここをクリック→ 『少年H』 予告編

(Facebook 8/11/2013より転載)
















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2013/08/18 Sun. 07:29 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (321) 「そもそも会社に源泉徴収義務はなかったのか」 8/15/2013  

#検察なう (321) 「そもそも会社に源泉徴収義務はなかったのか」 8/15/2013

(強制捜査から1703日、弁護側控訴答弁書提出期限まで22日)

私は、過少申告の事実を知って以来、一貫して過少申告の責任は自らにあるとして、その責任を他人に転嫁することはありませんでした。そして脱税という犯罪に関しては、故意性が要件となるため、わざと過少申告をした事実がないことから、犯罪そのものが存在しないと主張してきました。

過少申告を知った時は、なぜサラリーマンの会社給与が過少申告となるのか最初理解できなかったものの、「給与の一部が海外で支払われていたため、会社に源泉徴収義務がなかった」と言われれば、それを疑問に思うことなく素直に信じていました。この事件を聞いた皆様も、特に税務に専門知識がなければ私と同じ状況だと思います。

果たして海外で支払われた給与に関して会社に源泉徴収義務がなかったのか。調べてみると実は非常にグレーであることが判明しました。結論から言えば「法解釈次第」ということになります。

もし会社に源泉徴収義務があったのであれば、従業員の申告漏れによる脱税という結果は生ずることがなく、過少申告の責任が従業員に帰されることはありません。勿論、私が脱税の容疑を着せられることなど端からありえないということになります。

この点に関し、詳しく見ていきます。

会社の源泉徴収義務は、所得税法第138条に規定されています。

「居住者に対し国内において給与等の支払いをする者は、その支払いの際、その給与等について所得税を徴収し、これを国に納付しなければならない」

ここにある「国内において」という解釈が問題となります。国税庁のホームページから、「源泉徴収の対象となる所得の支払地の判定」を参照します。

ここをクリック→ 国税庁ホームページ 「源泉徴収の対象となる所得の支払地の判定」

国内払いの定義として、「支払い事務が国内で取り扱われたもの」とし、「支払い事務」の内容としては「支払い額の計算、支出の決定、支払資金の用意、金員の交付等の一連の手続き」を挙げています。

クレディ・スイス証券における雇用契約ほか会社文書で明らかなところは、従業員に対して株式報酬を支給するか否か、支給するとしてその支給額を決定するのは日本法人たるクレディ・スイス証券でした。株式報酬は日本法人の親会社であるクレディ・スイスグループAGから支払われていましたが、その費用は日本法人たるクレディ・スイス証券が実質的に負担しており、権利付与された株式報酬の支給に備えて引当てまで積んでいました。

即ち、先の「支払い事務」の中で、日本法人は「支払い額の計算、支出の決定、支払資金の用意」まで行い、最後の「交付の事務」だけを海外法人で行っていたものです。実質的には国内払い、形式的には海外払いというのがクレディ・スイス証券における株式報酬支払いの様態でした。

税務の取扱いは実質に基づくことが税務制度の本来の姿であるべきだということは、国税局も理解しているはずです。

形式的に給与を海外払いとすることで会社に源泉徴収義務がなくなるのであれば、会社は給与払いの事務を海外子会社に委任することにより、会社は源泉徴収義務を免れ、給与の見かけ額を増やすことができます。過失ないし故意の過少申告により所得税の取りっぱぐれすら頻発するリスクがあります。

そもそも源泉徴収という給与所得者に一律適用されるべき制度に例外規定を設けることは、税務の基本理念である「公平・中立・簡素の原則」にもとるものです。

それでもなぜ国税局が特殊な税務を認めたがるかという理由は、より多くの過少申告加算税を取りたいからという役所の都合だと思われます。現在ではクレディ・スイス証券を含む外資系金融機関の多くが株式報酬の源泉徴収を行っていますが、依然源泉徴収をしていない外資系金融機関には株式報酬の支払状況の報告義務を課しています。本来あるべき源泉徴収義務を会社に課すことなく、税務署はその報告と個人の申告をチェックして申告漏れを見つけ、過少申告加算税を徴収しようとするものです。その発想は、スピード違反のネズミ取りと同じく、エラーを起こしやすい状況を狡猾に利用するものです。

実質的な支払者である会社に源泉徴収義務があるとする議論は十分に有効なもので、弁護団もこの論点には早くから注目していました。法務・コンプライアンス本部長の証人尋問前には、一審裁判体にこの論点の報告書を提出し、尋問における重要ポイントとして注意喚起を行っています。

しかし、弁護団は敢えてこの論点を法律上の争点として公判で主張することはしませんでした。それはなぜか。それは、法律上の解釈で無罪を主張する姿勢は、故意があるとされた場合の防御壁のようにも映り、弱腰の印象を与えかねないと判断したためです。私の故意性の有無という最重要事項に論点を絞り込み、真正面から中央突破を狙った弁護方針でした。

私に無罪判決を下す場合には不要な論点ですが、私を有罪にするためにはこの会社の源泉徴収義務に関する法的判断は避けられないものです。脱税事案を多く手掛けた一審裁判体は、賢明にもこの法的判断について判決文で一切言及していません。傍論として安易に法解釈を示せば、大きな影響があることを十分理解しているためです。そうした背景も理解せず、控訴趣意書にて一審裁判体を「確定申告制度すら理解していない」という暴論を吐く検察のセンスのなさは驚く限りです。検察は彼らの控訴趣意書でも、有罪を求めるのであれば不可欠な、会社に源泉徴収義務がなかったことの論証を一切していません。検察こそが確定申告制度を理解していないものです。

役所のご都合主義の恣意的な法解釈を許すことなく、正しい税務制度のために、私の公判での結果を越えても、議論を尽くすべき論点かもしれません。

8/15/2013













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2013/08/15 Thu. 06:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (320) 「『記憶の混同』という嘘」 8/12/2013  

#検察なう (320) 「『記憶の混同』という嘘」 8/12/2013

(強制捜査から1700日、弁護側控訴答弁書提出期限まで25日)

検察審査会の「不起訴不当」を受けながら、検察は田代政弘元検事を再度不起訴処分としました。これにより検察は、自らの非を認めることなく陸山会事件に係る虚偽報告書問題の幕引きを図ろうとしていることは明らかです。

既存メディアの報道の多くは、あくまで処分の結論だけに触れ、その意味するところ、即ち検察特捜部の犯罪行為における組織的隠蔽工作ということの言及はありません。

しかし、一部気を吐くメディアもあります。『田代氏不起訴、国民は納得できるか』と題する8月2日付け東京新聞の社説から引用します。

「検察は自ら起訴し、裁判所の判断を仰ぐべきだった。その方が公正で、国民の納得を得られたはずだ。

検察が検察審を誤導して、小沢氏を強制起訴に持ち込んだ疑いさえ出ていた。田代氏が起訴されれば、特捜部長ら検察幹部の関わりもあぶり出される可能性があった。そうした視点に立つと、今回の判断には組織防衛の意図さえうかがえよう。

検察の暴走をどう止めるか。法務大臣の指揮権発動の在り方や参考人の録音・録画も含め、検察捜査を監視するシステムの再検討が必要である。」

至極真っ当な議論ですが、この社説に関しては惜しいところが一点。

それは「最高検が田代元検事の言い分を鵜呑みにした」という点です。今回の件で「ミステークでいこう」と最高検が言ったかどうかは分かりませんが、『記憶の混同』こそが、組織防衛を図る最高検の苦肉のストーリーであることは明らかです。

この『記憶の混同』という確信犯的な組織防衛のための言い逃れには二重の嘘があります。

まずその一つは、報告書の内容が意図的に書かれたものであるのに、あたかもうっかり間違ってしまったという、故意→過失の嘘です。

その内容が似ても似つかないものであることから、そもそもこの主張が全く根拠のないものであることは、報告書と石川知裕氏の隠し録音の反訳を比較すれば、普通の理性で理解できるものです。

その点に関しては私の以前のブログをご参照下さい。

#検察なう (134) 「郵便不正事件よりも重大な検察の犯罪 田代検事報告書の検証」

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そしてもう一つの嘘とは「2日前と3ヶ月前の取調べ内容を取り違えた」という『記憶の混同』の内容に関するものです。

そのヒントは、ブログで紹介させてもらった、先日の私と喜田村先生との対話の中にあります。引用します。

喜田村 「僕がやってた小沢さんの事件で石川さんがテープを取ってたでしょ。検察官の取調べを。身柄拘束中と保釈になってたからの取調べの調書があるんだけど、テープ取ってたやつは保釈になってからのね。検察としてはそれら調書で石川さんが同じことを言っているというものが欲しかったわけ。保釈になってからも同じことを言っていれば、身柄拘束中の調書も任意性と信用性を問われることがないから。でもああいう不適切が取調べがあって、それが分かったのはなぜか。『音』があったからですよ。それがなければ水掛け論になっちゃって、それだと裁判官が認定できない」

#検察なう (313) 「レペタ裁判&刑事司法を喜田村洋一弁護士に聞く」より

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解説します。

私も特捜検事の取調べを受けた経験があるため、確信を持って言えますが、彼らの取調べは実に緻密に準備されています。取調べに際し、証拠を読み込み、事件全体を理解した上で、取調べで聞く内容を前もって用意し、かつそれに対して予想される被疑者の答えも想定した上で取調べに臨みます。被疑者がするであろう弁明を想定し、そこから自分に有利な供述内容に誘導するように幾重もの罠を仕掛けて取調べの問いを考えます。

特捜検事の取調べは、雑談の中から彼らに有利なものを拾い出すなどというものとは全く違い、被疑者を問答の中でからめとろうとする非常に高度な技術が用いられています。

例えば、棋士でも有段者ともなると、対局後、棋譜がなくてもその対局を最初から再現できることはご存知かと思います。それは一手一手が行き当たりばったりではなく、何手も先を読んで対局に臨み、一手ごとに相手の出方を窺いながら、自分の罠にはまれば「よっしゃ!」と思い、その罠にはまらなければその時点で戦局を立て直すべく知恵を凝らしているからです。特捜検事の取調べはまさにそのようなものです。

喜田村先生のコメントにあるように、石川氏の取調べには明確な目標がありました。それは3ヶ月前の取調べの内容と同じ供述を得たいというものです。そうした取調べの報告書で、『記憶の混同』なるものがあろうはずがありません。つまり「3ヶ月前の供述内容」と「(同じことを言ってほしいのに言ってくれなかった)2日前の供述内容」を混同するということは、最高レベルの取調べ技術をもった特捜検事においては起こり得ないものです。

その嘘をさらに嘘で固めようとした最高検松井部長の「2日前のことを全て正確に記憶しているか、私でも自信はない」というコメントは、完全な勇み足です。

ここをクリック→ 産経ニュース 『田代元検事不起訴』

嘘もここまでいくと真っ赤も真っ赤、極彩色級の赤です。なぜここまで検察は意固地に自らの過ちを認めようとしないのか、理解することができません。それは「過ちを認めれば直さざるを得ない、そして直すつもりが全くない」という嘘をつく人の典型例としか考えられません。

サラリーマンが職責でもない税務で「会社給与は天引きされていると思い込んでいた」と言えば「そんなことはありえない」と過失を故意として人を刑事被告人にする起訴をしていながら、検察官の職責である取調べで大嘘をついても故意を過失として起訴をしない組織の二枚舌には怒りを通り越してあきれてしまいます。人を裁く者は、より自らに厳しくあるべきです。検察組織はそうした裁く者の最重要事項である基本的倫理観すら失ってしまったというのが、彼らの現実です。

こうした組織が日本の正義の番人であるかと思うと、国民の一人として残念でなりません。依然多数派であろう高い理念の検察官が、こうした検察上層部の低俗な論理に毒されることなく検察の将来を背負っていけるような誇り高い組織であることを切に望みます。

最後に、この問題を読み解く最重要記事である前田恒彦元特捜検事による『マスコミが報じない陸山会・虚偽報告書事件』(連載中)をシェアします。

『事件の背景とは』(7月7日掲載)

ここをクリック→ 『マスコミが報じない陸山会・虚偽報告書事件の背景とは』

『事件に対する隠ぺい捜査の実態とは』(8月10日掲載)

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P.S.
田代元検事ほかを告発した市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表:八木啓代氏)が追撃の告発をします。その具体的な内容に関し今日、記者会見を行うようです。注目したいと思います。

ここをクリック→ 産経ニュース 『陸山会事件めぐり元特捜検事らを新たに告発へ』

8/12/2013












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2013/08/12 Mon. 07:00 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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ブック・レビュー 『中国でたい焼屋を始めたら・・・「彼ら」とビジネスで戦うための27の極意 』 浜田玄冬著 

ブック・レビュー 『中国でたい焼屋を始めたら・・・「彼ら」とビジネスで戦うための27の極意 』 浜田玄冬著

たい焼き

会社後輩・友人の著書である。結構な売行きらしい。

外資系金融に長らく勤めた彼の脱サラ・起業奮闘記。彼から「上海でスイーツの店をフランチャイズ展開する」との事業計画を最初に聞いた時は少なからず驚いたが、北京大学に留学経験もあり、ビジネス・センスも交渉力も長けた彼のことだから、勝算ありなのだろうと思った。

タイトルには「たい焼き屋」とあるが、たい焼きはタイの形をしているから「たい焼き」なのであって、彼が商品とした花をかたどったものは「花形大判焼き」と言うべきであろう。それと抹茶パフェが主力商品であったスイーツ店は、短期間の間に3店まで事業は拡大したが、結局数多くの労働争議を抱えて頓挫することになる。その苦労話を実にウィットに富んだ語り口で書いたものが本書である。

彼の戦略はそうした「日本的なもの」を前面に押し出してマーケティングしたことであり、失敗の最大の原因は尖閣諸島問題に端を発した反日感情の盛り上がりで、日本的なものがパージされたというタイミングの問題であった。しかし本書では、そうした外的要因の叙述は極力抑えられ、経営者である彼と日本人・中国人の雇用者との人間関係の軋轢、特に中国人との文化的衝突がメインに書かれている。

中国でビジネスを起こすことは少なからず難しいとイメージできるものの、ここまですさまじいとは。各章の終わりに「学んだこと」として、彼がビジネスの失敗を通して得たノウハウを記していることから、中国で起業する者のハウツー本として、即戦力となることは間違いないが、そうでない読者にも中国文化や中国人の物の考え方を紹介する読み物として十分に楽しめるものである。

批判的な表現も少なくないが、いまだに現地に残ってビジネス(語学学校経営)をしていることから、中国人や中国文化に愛想を尽かしたわけではないようである。彼には是非この本を中国語に翻訳して出版して、文化の差異に起因する交流の敷居を下げてもらいたいものである。

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2013/08/11 Sun. 17:27 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (319) 「江川紹子氏 Yahoo!ニュース『あれやこれや』」 8/08/13 

#検察なう (319) 「江川紹子氏 Yahoo!ニュース『あれやこれや』」 8/08/13

(強制捜査から1696日、弁護側控訴答弁書提出期限まで29日)

ダルビッシュの三振並みに良記事を量産しているジャーナリストが江川紹子氏です。刑事司法、特に検察関連に関しては、既存メディアがジャーナリズムを放棄して、翼賛的な通信社に堕していることから、実状を知るためには彼女のようなジャーナリストによる記事は非常に貴重です。

例えば江川氏の 一連のPC遠隔操作事件に関する記事を読めば、人質司法と呼ばれる捜査の実状が明らかであり、被疑者片山祐輔氏が有罪であろうがなかろうが、推定無罪原則の下では甚大な人権侵害が起こっていることが分かります。既存メディアが、彼の逮捕の時には大騒ぎをして、その後完全に沈黙していることから、新聞・テレビのみを情報源としている人の中にはこの事件がもう解決済みだと思っている人も少なくないと思います。

江川紹子氏が、最新記事を積極的に掲載している媒体にYahoo!ニュースがあります。

その一覧がこちらです。

ここをクリック→ 江川紹子氏 Yahoo!ニュース

あれやこれや

8/7/2013時点で35本の記事が掲載されています。ツイッターのリツイート+フェイスブックの「いいね!」の数を調べたところ、好評の記事ベスト3は以下の記事です。

2/19/2013掲載 『[PC遠隔操作事件] 被疑者の素顔を弁護人に聞く』

ここをクリック→ 『[PC遠隔操作事件] 被疑者の素顔を弁護人に聞く』

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5/3/2013掲載 『改憲バスに乗る前に』

ここをクリック→ 『改憲バスに乗る前に』

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5/25/2013掲載 『日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために』

ここをクリック→ 『日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために』

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私の無罪判決について書かれた『初心を忘れず、初心に返ろう~この無罪判決が意味するもの』も35本の記事のなかで16位と大健闘しています。ご注目ありがとうございます。

ここをクリック→ 『初心を忘れず、初心に返ろう~この無罪判決が意味するもの』

無罪判決
未読の方は是非お読み下さい。

8/8/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/08/08 Thu. 00:16 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (318) 「「チョコレート缶事件」と論理則・経験則違背」 8/5/2013 

#検察なう (318) 「「チョコレート缶事件」と論理則・経験則違背」 8/5/2013

(強制捜査から1693日、弁護側控訴答弁書提出期限まで32日)

私の一審無罪を不服とする検察控訴趣意書を読んでいて、私は不思議でなりませんでした。検察は「論理則・経験則違背」という言葉を連呼していながら、その言葉が指し示す事柄は私には全く論理則・経験則に照らして不合理とは思えませんでした。検察は、一審で私の故意性に関して合理的な疑いを越える程度の立証すらできなかったのに、なぜ敢えて一審判決が「誰にでも明らかに間違っている」という主張をするのか分からなかったものです。

それは走り高跳びで、110cmのバーでさえも越えられなかったのに、敢えてバーを130cmに上げてそれを飛び越えようとしているようなものです。

調べているうちになぜ検察が「論理則・経験則違背」という文言にこだわっているかが分かりました。それは平成24年2月13日最高裁判例を受けてのものでした。

その判例が出された事件は「チョコレート缶事件」と呼ばれるものです。この事件は、裁判員裁判において、全面無罪判決が言い渡された第一号事案であるとともに、その判決が事実誤認の理由により高裁で破棄された第一号事案でもあり、これにより被告人が上告したことから、注目を浴びていた事件でした。

事件の概要をかいつまんで説明すると、海外から偽造パスポートの密輸を繰り返していた被告人が、渡航先で偽造パスポートのブローカーから、日本のバイヤーに手土産として持たされたチョコレート缶の中に覚せい剤が隠されていたことが通関手続きで発見されたというものです。その偽造パスポートの運び屋が、覚せい剤を持たされていたことまで知っていたかどうかが争点でした。

一審では、被告人が実際に偽造パスポートを所持していたこと、(偽造パスポートの入った袋はバッグの底に入れていたのに対し)チョコレート缶をバッグの最上部に無造作に収納していたこと、(偽造パスポートの入った袋の開披検査は拒否したのに対し)チョコレート缶のX線検査に躊躇なく同意していることなどから、裁判員裁判により無罪判決となりました。

それを不服として検察が控訴、控訴審では職業裁判官により原判決破棄の有罪判決となったものです。

被告人上告後、最高裁で弁論が開かれることになりました。そこでの弁護人の弁論が振るっています。引用します。

「かつて、刑訴法学者の平野龍一教授が、「我が国の刑事裁判はかなり絶望的である」と述べました。その後、時代は変わり、裁判員裁判が始まりました。一審の審理は、従来の調書に依存する審理ではなく、「見て聴いて分かる」裁判になりました。日本の刑事裁判は大きく変わったのです。しかし、変わらなかったものがあります。それは高等裁判所の裁判官です。本件の控訴審判決を見て下さい。かつて絶望的と言われた刑事裁判の姿が、相も変わらず、我々の前に立ちふさがっているのです。今こそ、「絶望的」と言われた古い時代の刑事裁判とは完全に決別しなければなりません。」

この事件を弁護した弁護人による『「チョコレート缶事件」最高裁判決と弁護活動』と題した資料を添付します。

ここをクリック→ 『「チョコレート缶事件」最高裁判決と弁護活動』

最高裁は原判決を破棄し、一審の控訴に理由がないとして棄却、それにより一審の無罪判決が確定しました。

この最高裁判決に関する解説を、元東京高裁判事原田國男氏の『事実誤認の意義』から引用します。

「最高裁は、その平成24年2月13日判決において、控訴審における事実審査に関する新たな基準を提起した。すなわち、刑訴法382条の「事実の誤認」の意義について、「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており、控訴審は、第一審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく、当事者の訴訟活動を基礎として形成された第一審判決を対象とし、これに事後的な審査を加えるべきものである。

第一審において、直接主義・口頭主義の原則が採られ、争点に関する証人を直接調べ、その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され、それらを総合して事実誤認が行われることが予定されていることに鑑みると、控訴審における事実誤認の審査は第一審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理的、経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって、刑訴法382条の事実誤認とは、第一審判決の事実誤認が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。

したがって、控訴審が第一審判決に事実誤認があるというためには、第一審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」

これにより実務がどのように変わるべきか、原田國男氏はこう述べています。

「記録により、有罪・無罪の心証を採り、その上で、その心証に照らして、第一審判決に論理則・経験則違反が指摘できるかを検討し、それができれば、心証に応じて第一審判決を破棄することになり、それが指摘できなければ、本判例が適用され、心証に反した結論でも第一審判決を維持せざるをえない。」

ここをクリック→ 原田國男氏『事実誤認の意義』

控訴審裁判体には、一審裁判体のように「予断排除の原則」は適用されず、一審裁判記録からまず自らの心証を形成するであろうことは前回のブログで述べたところです。

ここをクリック→ #検察なう (317) 「控訴審とは」

これまでの実務では、高裁裁判体の心証と一審の判決が異なる場合には、自らの心証に従って高裁裁判体は第一審判決の認定、量刑を変更する場合が多かったようです。これは本来の事後審の在り方とは違っているのですが、事後審のあるべき在り方を確認したものが「チョコレート缶事件」の最高裁判決です。もし一審判決が自分の心証と違っていたとしても、その判決が論理則・経験則違背であることが言えないのであれば、その判決を維持すべきであるというものです。

これが、私の無罪判決を不服とする検察控訴趣意書で検察が「論理則・経験則違背」をむやみやたらと連呼していた理由です。

検察控訴趣意書における彼らの根幹の主張は、「確定申告をする者はすべからく収入を把握しているのだから、自分の収入を理解していなかったという主張は論理則・経験則違背である」というものです。どうも検察は、論理則・経験則違背の意味を十分に理解していないようです。

論理則・経験則違背の実例として好適なのは、陸山会事件に関わる捜査報告書捏造問題で田代元検事を不起訴としたことでしょう。

取調べのプロである検察官の中でもエリート中のエリートの特捜部検事が、その取調べにおいて2日前の内容と3ヶ月前の内容を「記憶の混同」として取り違えたと言い訳し、それをかばう最高検部長が「2日前のことを全て正確に記憶しているか、私でも自信はない」とすることこそが、正に「そんなことありえないだろう」という論理則・経験則違背の実例です。

この言い逃れが通用するのであれば、全ての不合理な言い訳も通用するという排除すべき事例として、『検察講義案』『法曹時報』『刑事弁護』等の文献に納め、後代に残すべきものだと思われます。

私の控訴審は、新たな最高裁判例が実務に影響を与えるのかを見極める重要な意味を持っています。是非ご注目下さい。

8/5/2013














法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は 「#検察なう フェイスブック・コミュニティ」のメッセージにてご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/08/05 Mon. 06:30 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『終戦のエンペラー』 ピーター・ウェーバー監督 

フィルム・レビュー 『終戦のエンペラー』 ピーター・ウェーバー監督

終戦のエンペラー

太平洋戦争に天皇の戦争責任があったかどうか。天皇を処刑すべきであるというアメリカ世論に対し、GHQは最後の決断を10日間で決定し、本国に進言するまでのドラマ。相当面白い作品です。

主人公はマッカーサーの下士官であったボナー・フェラーズ准将という実在の人物。原作は日本人(岡本嗣郎 『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』)ながら、脚本は日本人によるものではありません。しかし、実にディープな日本人の思想をうまく捉えているように思いました。

実際の史実と違うのは、主人公ボナー・フェラーズ(マシュー・フォックス)とその恋人のアヤ(初音映莉子)は、終戦時には49歳と57歳で共に結婚していたのですが、それをぐっと若返らせて彼らのラブ・ロマンスをサイド・ストーリーとしています。こうしたハリウッド的な脚色部分に好き嫌いはあるにしろ、全体としては見応えのある作品に仕上がっています。

日本の文化を称賛しつつも、万世一系二千年の歴史があっさり潰えてしまったかもという事実を知ると、やはり敗戦国なんだなあと感じました。

役者では、近衛文麿役の中村雅俊が、日本の貴族出身政治家の矜持を伝えていて「昔の政治家は品位があったんだろうなあ」と思わせました。東條英機役の火野正平もグッド。ヒロイン役の初音映莉子を見れば、外人男性は日本人女性が世界で一番素晴らしい女性だと理解するのではないでしょうか(私も個人的に同意)。

こうした日本人の気品を伝えているのは、映画『SAYURI』や『ラスト・サムライ』でもキャスティング・ディレクターであった、奈良橋陽子プロデューサーの貢献は大きいのではないでしょうか。

ということで、『SAYURI』や『ラスト・サムライ』にピピッときた方にはお勧めです。しかし、本国アメリカでは、あまりに親日的ということで、『SAYURI』や『ラスト・サムライ』と比して評判はよくないようです。


ここをクリック→ 『終戦のエンペラー』予告編

(Facebook 7/28/2013より転載)
















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category: フィルム・レビュー

2013/08/04 Sun. 08:55 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (317) 「控訴審とは」 8/1/2013 

#検察なう (317) 「控訴審とは」 8/1/2013

(強制捜査から1689日、弁護側控訴答弁書提出期限まで36日)

これから私の公判手続きは控訴審に突入します。その前に控訴審についておさらいをしておきたいと思います。

「控訴」とは第一審判決に対して行う上訴のことです(上訴には控訴のほかに、控訴審判決に対して行う「上告」と決定または命令に対して行う「抗告」があります)。

私もそうでしたが、「日本では三審制度が取られ、三回チャンスがある」と思われている人が多いのではないでしょうか。しかし、裁判所の組織はピラミッドのように上級審に行けば行くほど裁判所の数も少なくなっていき、同じ数の裁判を行うことは困難となるため、下級審の判断を覆すハードルは相当高く設定されています。

特に国を相手取る刑事裁判での控訴審は、「事後審」と呼ばれ、原則的には新たな証拠調べは行われません。そこでは、原判決の当否を原審の訴訟資料に基づいて審理します(これに対して個人対個人の民事裁判は「続審」と呼ばれ、控訴審でも新たな訴訟資料の提出を認めて事件の審理を続行します)。

そして重要なことは、控訴事由が刑事訴訟法により限定されていることです。それにより控訴審は原審での審理・判決が法令違反の有無を判断する「法律審」であり、事実認定を行う「事実審」ではないというのが控訴審の基本的な在り方です。

しかし、この事後審、法律審である控訴審が、限定的な場合に、事実認定を新たに行う事実審となり、続審的に機能します。その限定的な場合とは、控訴事由が量刑不当(刑事訴訟法381条)ないし事実誤認(刑事訴訟法382条)の場合です。

「事実誤認」とは、「原審での事実認定が間違っていた」ということを言っているので、私は何でもこれに当てはまるのではないか、即ち事実誤認を控訴事由とすれば、何でも控訴できるのではないかと思いました。しかし、実際にはそうではないようです。その範囲を限定する最高裁判例が昨年(平成24年)2月にあり、事実誤認のハードルは非常に高くなりました。この最高裁判例が出された「チョコレート缶事件」に関しては、次回以降のブログで取り上げたいと思います。

なにぶん新しい判例なので、実際の運用がその通りになっていない可能性もあります。新たな事実認定が行われるかどうかということに関しては、新証拠の採用がなされるかどうかということが非常に重要になりますが(新証拠が採用されなければ新たな事実認定がなされないというわけではありませんが、逆に新証拠が採用されれば新たな事実認定がされることになります)、それに関し従前の運用では下記のようにWikipediaに書かれている状況だったようです。

Wikipedia「控訴」

実態:
刑事訴訟では、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった」場合でない限り、新しい証拠を取調べないという刑事訴訟法382条の2、393条第1項を厳格に適用し、被告人の証拠申請を全て却下する一方で、検察官の証拠申請は認めるという不公平な取り扱いがあるともいわれている。

ここをクリック→ Wikipedia「控訴」

こここまでのところを整理すると、「三審制に関する一般人の感覚で、一審有罪判決を不満として被告人控訴しても、大概は門前払いだが、実際の運用では検察控訴に関しては証拠申請を認め、新たな事実認定を行うことが多かった。しかし、事実誤認を控訴事由とすることに関しては、新しい最高裁判例で相当ハードルが上げられた(実際の運用がそれを反映しているかどうかは不明)」というものです。

控訴審の実状に関しては、裁判所が作成した『高等裁判所における刑事訴訟事件(控訴審)の審理の状況』に詳しく書かれています。データも豊富な資料です。ここから、いくつか重要なポイントをピックアップしてみます。

ここをクリック→ 『高等裁判所における刑事訴訟事件(控訴審)の審理の状況』

「控訴審の審理の流れについてみると、控訴裁判所は、第1回公判期日前に、控訴趣意書、答弁書、第一審裁判所から送付された訴訟記録について検討を加え(起訴状一本主義、予断排除の原則は、控訴審にはその性質上妥当しない)」(p.290)とあります。一審においては、第1回公判までに裁判官が目にするものは検察による起訴状だけで、事件に関しては全く予断を持たないことが前提ですが、控訴審ではそうではなく、裁判官は自らの心証を持って臨むことが大きな差異です。

また申立人別終局結果(p.292)を見ると、被告人側控訴(一審有罪)では、控訴棄却(二審有罪)が63.5%で最も高い結果であるのに対し、検察官控訴(一審無罪)では、原判決破棄(二審有罪)が69.4%と最も高い結果となっていることが見て取れます。刑事裁判においては、非常に高い有罪率であり、一審・控訴審を共に無罪を得ることが困難であるが、この検察官控訴の破棄率からも分かります。

申立人別の審理期間を見てみると、「被告人控訴事件よりも、検察官控訴の方が、平均開廷回数が多く、かつ、開廷回数が多い事件の割合が高い」(p.298)とあり、被告人側控訴の平均審理期間が3.1月であるのに対し、検察官控訴のそれは倍の6.4月となっています。

最後に、原判決破棄により終局した事件について、その「破棄理由別の平均審理期間及び審理期間の分布」を見ると(p.314)、事実誤認の平均審理期間は9.0月であることが分かります。つまり、私の一審無罪が控訴審で覆される場合には、相当審理に時間がかかることをうかがわせています。

当然、我々弁護団は、短期決戦で控訴棄却を狙うものです。引き続き私の控訴審にもご注目下さい。

8/1/2013















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category: 刑事司法改革への道

2013/08/01 Thu. 06:30 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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