「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (334) 「パンドラの箱を開かなかった大坪元特捜部長の執行猶予は予定調和」 9/30/2013  

#検察なう (334) 「パンドラの箱を開かなかった大坪元特捜部長の執行猶予は予定調和」 9/30/2013

(強制捜査から1749日、控訴審まで46日)

ここをクリック→ 「元特捜部長ら二審も有罪」9/25 報道

この公判の推移において、注目していたのはただ一点。大坪元特捜部長が過去を総括して、三井環事件の内幕を明かすかどうか、ひいては(弁護団ではなく)彼自身が真摯な態度で検察の捜査の在り方そのものを問うかどうかでした。それがないという時点で、私は全く興味を失ってしまいました。

まず以下の前田恒彦元特捜検事の6月18日付フェイスブック書き込みをお読み下さい(彼の書き込みは公開設定されていますので、フェイスブックアカウントがなくても見ることができます。アカウントをお持ちの方は、是非「前田恒彦―元特捜部主任検事のつぶやき」をご購読下さい)。

<大阪地検特捜部の犯人隠避事件>
公判に出ていない事実を含め、「事案の真相」を知る張本人として、両被告人の弁解は虚偽だと断言できます。他方、両被告人が最高検のやり方、とりわけ陸山会・虚偽報告書事件で示した不公平な捜査手法や処分結果に強い憤りを覚え、なお古巣に徹底抗戦しようとする気持ちも理解できます。

因果は巡る、と言います。元特捜部長には、検察の裏金問題を内部告発しようとして検察に息の根を止められた元大阪高検公安部長に対する捜査の背景事情、特に元特捜部長が取調べを担当した贈賄被疑者の取調べ状況の真相を、また、元副部長には、東京勤務時に関与した日債銀事件など、無理に無理を重ねる検察捜査・公判の実態を、それぞれ控訴審の場などで明らかにし、少しでも「検察の闇」を示していただくことを期待しています。真の検察改革のために。

両被告人のような組織力や影響力のない私にできるのは、こうしたネット媒体を使い、志ある若手に少しでも届くように、これからも静かに語り続けることくらいだろうと思っています。
(引用以上)

大坪氏が「とかげのしっぽ」であることは火を見るより明らかであり、検察の組織防衛のため(これが彼の犯人隠避の理由とされているのは非常に皮肉です)、詰め腹を切らされたことは、彼も相当腹に据えかねたでしょう。しかも西の郵便不正事件に対し、それよりはるかに悪質な東の陸山会事件に関わる虚偽報告書問題では、実行犯の田代政弘元検事はあっさり民間に天下りし(注1)、上司の佐久間達哉元特捜部長は検事正に栄転(注2)しているわけですから、なぜ自分は有罪なんだと不公平感を抱くことは容易に想像できます。

しかし、だからといって彼が郵便不正事件において、更に検事としてそれまで行ってきたことが免罪されるわけでもなく、この期に及んで全く反省の弁、村木厚子氏に謝罪の一言もないということでは国民の共感は得られないと思います。

郵便不正事件における証拠の改竄は、末端の更に末端の議論であって(それは証拠の全面開示をしないことと五十歩百歩であり、検察の常態です)、そもそも検察のストーリーに沿って無実の者を自白強要のため長期勾留するという検察の捜査手法そのものが問題であり、現場のトップであった大坪氏の関与はどうやっても否定できないものです。

検察の最大のタブーである裏金問題隠蔽の最大の功労者(注3)である大坪氏が、過去を総括することなく、被害者意識一杯の弁明はちゃんちゃらおかしいものです。彼や検察組織が三井環事件で行ったことが、自分の身に降りかかったという事実を謙虚に受け止めるべきです。

彼が当事者の立場から、検察の実態を暴露するというパンドラの箱を開けることで、そこに「希望」が見出せたはずでした。結局、執行猶予とバーターに彼がそれを開くことはなかったのだと思わざるを得ません。

彼は勾留の体験を著書に記していますが、彼の著書は歴史的資料として是非とも保存してほしいものです。

ここをクリック→ #検察なう (118) 「大坪弘道著『勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか』を読んで」

「大坪氏vs検察上層部の戦い」は、どちらにも正義のない悪党同士の内輪もめとしか一般市民の目には映りません。そして大坪氏に同情は全くできないものの、勿論、彼より悪者であるのは、郵便不正事件を現場の暴走と矮小化して幕引きをしようとする検察上層部です。とかげのしっぽより頭の方が悪いのは説明を要しないと思います。自分たちは悪くないと嘘をつき通せば国民は騙されると思っていることが実に浅はかです。

大坪氏、佐賀氏が犯人隠避の罪状(刑法103条、2年以下の懲役または20万円以下の罰金)で有罪になったことは重大な誤りです。なぜならそれは、彼らの行為が検察の捜査手法のディフォルトを逸脱した不法行為ということを前提にしているからです。彼らが行ったことは、まさに検察捜査のプロトコルに則ったものであり、特別公務員職権濫用罪(刑法194条、10年以下の懲役又は禁固)で罰せられるべきです。

またもや検察は自浄作用を世に示す機会を逸してしまったというのがこの事件の結論です。郵便不正事件というショックを受けても、彼らは何も変わっていないということです。

長らく組織の風土に浴してきた上層部は腐っているかもしれませんが、それでも私はまだ希望を捨てているわけではありません。若くて(あるいは若くなくても)意識の高い検察官の方々には、是非ともこの逆風の中踏ん張って、検察組織を中から改革してほしいものです。検察が正しくあることが、我々国民全体の利益です。

(注1)
「天下り一覧」 p.5 田代政弘 三菱化学メディエンス 嘱託職員
ここをクリック→ 「天下り一覧」

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (311) 「佐久間元東京地検特捜部長、佐賀地検検事正に栄転」

(注3)
検察が調査活動費として架空の領収書で経費を水増しして私的流用していたことは、いかにもせこい役人が考えそうなことで全く驚きもしませんが、最大の問題はそれを隠蔽するため、逮捕権、起訴権といった公権力を恣意的に濫用したことです。検察は、内部告発しようとした三井環氏(当時大阪高検公安部長)をメディア取材の直前に逮捕して、起訴し実刑まで追い込みました。

三井氏を有罪に導いたのが山口系組員渡真利忠光の証言でした。その調書を作り上げた取調べ検事が大坪氏です。彼はこの論功報償で、通常の人事では絶対にありえない三階級特進で赤レンガの法務省保護局総務課長に昇進し、後の特捜部長への切符を手に入れることになります。

検察裏金問題については、2010年5月16日放映の『ザ・スクープ』映像をご覧下さい。

ここをクリック→ 『ザ・スクープ』 検察裏金(1/5)

ここをクリック→ 『ザ・スクープ』 検察裏金(2/5)
12分37秒から、裁判所に入る検事たちの映像がありますが、大坪氏もその中にいます。公判検事をサポートして取調べ検事も裁判に臨むところに検察の本気度が表れています。

ここをクリック→ 『ザ・スクープ』 検察裏金(3/5)

ここをクリック→ 『ザ・スクープ』 検察裏金(4/5)

ここをクリック→ 『ザ・スクープ』 検察裏金(5/5)
三井環氏お得意のフレーズ「裁判所は検察の自動販売機」炸裂です。

検察の裏金問題は過去の汚点だと思っていますが、過去の時点で認めないと、いつまでも亡霊のように出てきます。陸山会事件に関わる虚偽報告書問題もしかり。いつまで検察組織は襟を正すことなく、その場限りの保身を続けるのでしょうか。

9/30/2013
















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/09/30 Mon. 02:33 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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フィルム・レビュー 『ラッシュ』 ロン・ハワード監督 

フィルム・レビュー 『ラッシュ』 ロン・ハワード監督

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ロン・ハワード監督『ラッシュ』観賞。

作品は、ニキ・ラウダとジェームズ・ハントが競った1976年のF1シーンを描いたもの。ロン・ハワードは映画『ビューティフル・マインド』(ラッセル・クロウが天才数学者を演じたやつ)でアカデミー監督賞を受賞していますが、私的にはあまり評価が高い監督ではありませんでした。

しかし観て、ポジティブ・サプライズ。この映画は、スポーツ・ジャンルでは、私としてはマーティン・スコセッシの『レイジング・ブル』に次ぐ作品になりそうです。

機械のように正確でプロフェッショナルなニキ・ラウダと、全てに自由奔放なジェームズ・ハントを対照的に描き、彼らの対決を実にドラマチックに仕上げています。

とにかくマシンの迫力はすごいです。特にF1ファンでもなければ、車にそれほどパッションがあるわけでもないのですが、全編満載のレース・シーンは飽きるどころか興奮の連続です。カメラワークもはんぱなくイケてます。

レースを巡る展開のヤマ場はやはりニキ・ラウダがレース中の大事故(やけどと燃焼したFRPボディの有毒ガスを吸ったため体内の血液の70%を入れ替えたと言われています)から、42日目の奇跡のレース復活ですね。

この映画が優れているのは、単なるアクション物ではなく、人間が描かれていること。特にジェームズ・ハントの「人間臭さ」は、シニカルなニキ・ラウダと好対照で、自分としては共感できます(男としてはかなりダメダメなんですが)。

スポーツをベースにしたシリアスかつエキサイティングな映画。お勧めです(唯一げろげろっと思ったのが、ニキ・ラウダの事故後の治療シーンの壮絶さが完全ホラーでした)。音響設備のいい映画館で観賞されることがポイントです。

ここをクリック→ 『ラッシュ』予告編

(Facebook 9/28/13より転載)


















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2013/09/29 Sun. 02:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (333) 「日米の検察制度の比較」 9/26/2013 

#検察なう (333) 「日米の検察制度の比較」 9/26/2013

(強制捜査から1745日、控訴審まで50日)

「ある国を理解するためには、それが他の国と比べてどう違うかを是非見なければならない。一つの国しか知らない者には、知っている国は一つもない。」
(シーモア・M・リプセット『アメリカの例外論』)

日本の検察制度がほかの国の検察制度とどこが違っているか興味があり、『アメリカ人のみた日本の検察制度』という本を読んでみました。著者のD・T・ジョンソンは本書を著した当時ハワイ大学準教授。彼がバークレー大在学時代に、フルブライト奨学金を得て日本に3年間滞在した際の調査・研究を基に書かれた非常に密度の高い日本の検察制度の研究です。

著書の主題は、アメリカの検察制度改善を主眼とし、日本の検察制度をその鏡として高く評価するものです。しかし、高く評価しているといっても手放しで褒め称えているわけではありません。以下のような指摘をしています。

「日本の刑事司法には様々な問題がある。捜査は非常に強引に行われ、時には強制的ですらある。真実は捏造され、汚され、そして隠蔽される。間違いが起こり、偏見も存在する。検察官は説明責任を負わず、弁護士はほとんど無力だ。被害者は有罪判決率という祭壇に生け贄として捧げられている。最も根本的なことは、外部の監視を制度上徹底的に排除しているため、問題の多くが何なのか、見ることも話すこともいまだにできないままなのである。」

「一般に学者は、アメリカの検察官は世界に比類なき独立性と裁量の特権を享受していると主張するが、そうした従来の知識は間違っている。アメリカは、検察官にとって地獄ではないにしても、日本と比べれば天国からははるかに遠い。検察官にとっての天国は、被疑者と犯罪者にとっては地獄になる可能性がある。」

著者のこうした指摘は、問題意識を正しく持った上での認識であることをうかがわせるものです。

以下、本書からの抜粋を引用します。

日米の検察制度の相違点に関して。
「第1に、日本の検察官は起訴前の捜査や取調べを、自発的に自らの手で行い、警察と協力しても行う。これに対して、アメリカの検察官は、捜査や取調べをすることはほとんどない。

第2に、日本の検察官は起訴の決定による事件の処理につき独占的な権力を有しており、事件がいかに重大で、あるいは、証拠がいかに強力なものであろうと、不起訴とすることができる。対象的にアメリカの検察官は、起訴の決定を、他の関係者、つまり警察官、裁判官、大陪審などと一緒に行う。

第3に、日本の検察官は、裁判において国側の主張を行い、裁判所に対して適切な判断を求め、無罪判決や量刑の決定について上訴する。一方、アメリカの検察官は、無罪判決に対して上訴することができず、量刑に関する上訴も、一部の裁判管轄において限定された状況においてしか行うことができない。

最後に、日本の検察官は刑罰の執行を監督し、罰金の支払いを確保するとともに矯正担当官をして死刑判決を含め、裁判所によって下されたその他のすべての処罰を確実に執行させる役割を果たしている。アメリカの検察官には刑罰の執行の監督に相当する権限はほとんどない。」

更に特筆すべき相違点として、検察官の選任方法が挙げられます。

「アメリカではほとんどの検事正が選挙で任命される。日本の検察官は選挙で選ばれるわけではないキャリア官僚として、一般市民の圧力や政治的な緊急性といった、アメリカの検察官の行動を左右するような多くの要因から隔離されている。」

著者が、日本を「検察官の楽園」と呼ぶ理由を読み解くと、検察制度改革の糸口が見えます。

「日本では自白が証拠の王様である。捜査官は自白を引き出すための道具を、法律でたくさん与えられている。例えば時間(これこそ彼らの武器庫に入っている最も便利な道具である)、自分たちに都合のよい場所(警察の留置場)、被疑者と弁護士の接見を取り仕切れること等々。検察官には被疑者の供述を逐語的に記録する義務がない。自白を被疑者自身の言葉ではなく、自分の言葉で作成することができるという権限は、検察官にとって極めて有利である。彼らがそれを手放したがらないのは、残念ながら、当然である。」

「アメリカでは証拠を被告人側に開示しなければならない義務があることが、検察官には不満である。実際、アメリカ最高裁の『ブレイディ原則』は、『被告人に有利な証拠を検察官が隠蔽することは適正な手続きに違反する』ことを宣言している。資料の引き渡しを怠った場合、自動的に審理無効になる。」

非常に興味深かったのは日米の検察官(日本235人、アメリカ57人)に行った「検察官の目標」というアンケート結果です。日本の検察官が重要だと挙げている順に並べて、日米の結果を比較してみます。

日米両国における検察官の目標 (全17項目)
日本 (アメリカ シアトル州) 
1-99.6% 真相の究明         (2-96.5%)
2-97.9% 「適切な」起訴の判断    (4-94.7%)
3-92.7% 犯罪者を反省させること   (16-8.8%)
4-91.5% 犯罪者の更生及び社会復帰  (12-28.1%)
5-91.1% 市民の保護         (1-98.2%)
6-90.7% 同種の事案を同等に扱うこと (6-78.9%)
7-83.9% 被疑者の権利の擁護     (2-96.5%)

実際には日本の検察の最終的な判断(起訴・不起訴)が真相を反映しているとは言えないにも関わらず、個々の検察官レベルでは、「真相の究明」を第一目標に挙げているということが私の興味を引きました。起訴・不起訴の判断は個々の検察官がするものではなく、組織の決裁により決定されるものですが、その決定構造に問題がありそうです。

日米の結果で著しい差があるものが、「犯罪者の反省」や「更生及び社会復帰」といった項目です。日本においては、アメリカと比較してより「修復的司法」のイメージに近いものだと言えるものです。

対象的に、アメリカでは高い目標とされている「市民の保護」や「被疑者の権利の擁護」といった要素が日本の検察官には軽視されていることがよく分かります。

続けて引用します。
「アメリカの検察官が更生をあまり重視していないことは、他方で被疑者の権利を尊重していることと対比すると特に興味深い。彼らが適正手続を尊重するのは、アメリカの裁判官は日本の裁判官に比べ、法的な許容範囲を越えて取得した証拠を排除することが多いという事実を反映しているのであろう。ある意味では、アメリカの検察官は被疑者の権利に注意を払わざるを得ないのだ。注意しなければ有罪にすることができない。しかし、日本の検察官から見ると、被疑者の権利は重要だが、更生は重要ではないというのは変な目標の組み合わせである。アメリカの検察官は自分たちの役割を、日本の検察官よりも狭く考えているようだ。日本の検察官は、犯罪者の更生と、加害者と被害者の間の関係の修復に努める過程で、当事者たちやその共同体の中へ、アメリカであれば不当あるいは不要とされるような形で深く踏み込んでしまっている。」

起訴・不起訴の決定のプロセスにも日米で大きな違いがあります。ここに日本の刑事裁判で異常とも言える高い有罪率の理由があります。少し長くなりますが引用します。

「検察官は、事件の起訴・不起訴の決定に際して、2種類のリスクに遭遇する。つまり、ある犯罪者を不起訴にしたところ、その者が再犯を犯す可能性(分類Iのリスク)、及びある者を起訴したが、後になってその者が刑事罰に相当しないことが判明する可能性(分類IIのリスク)である。

文化というものはすべて、一部のリスクに偏向し、他のリスクを軽視するものだ。いかなる人もグループも、あらゆる危険に等しく対応することができない以上、危険の種類によって優先順位をつけざるを得ない。日本の検察官は分類Iのリスクを取る方に偏っている。犯罪者を有罪にし、処罰するのに十分な証拠があるにもかかわらず、起訴猶予にするのである。アメリカの検察官は分類IIのリスクの方に傾斜している。有罪にできるかどうか疑問があっても、有罪判決と処罰を追求する。なぜこのような相違が生ずるのであろうか。

まず、アメリカの場合を考察してみよう。アメリカの検察官にもまた、起訴猶予権限がある。しかしながら、彼らはそれを行使することをいやがる。その理由は、検察官には政治的浸透性があるため、釈放した被疑者が再犯を犯した場合、一般市民の批判にされるという弱味があることが一つにはある。主任検察官は選挙で選ばれ、選挙民は犯罪者の厳罰を要求する傾向が強い。一般的に、再犯発生の代価、つまり、分類Iのリスクで失敗した場合の代価は、検察官の計算では、アメリカの方が日本より高い。

逆に、無罪にすることの代償、つまり分類IIのリスクは、日本の検察官の計算でははるかに高い。というのは、無罪にすると、検察官は世間や自分たちの組織から厳しく批判される。分類IIのリスクで失敗した場合の批判が厳しいことが日本の「精密」な刑事裁判制度を維持させている一因であり、したがって、日本では、一旦起訴された刑事事件が結果的に無罪に終わることはほとんどない。」

日本においては、無実であっても否認をすれば「反省していない」と処罰が重くなることが恒常化していることが、虚偽自白を生む理由の一つだと思います。

ここをクリック→ #検察なう (325) 「『否認料』という冤罪の要因」

捜査権力から見た反省的な態度、批判性的な態度の差による処遇の違いでも日米の違いがあります。

「アメリカの検察官は相手が反省しているからといって起訴の判断に影響させることには消極的である。事実、反省しているところ自体を見たがらないようだ。そのくせ、アメリカの検察官は、犯罪者の『態度の悪さ』を理由に特別厳しい扱いをする。一部のカリフォルニアの検察庁では、こうしたやり方を『アスホール・エンハンスメント』と呼んでいる。

私が神戸の検察官の日常業務を観察したところ、検察官は起訴猶を是非の判断に際して常に被疑者の態度を勘案していた。多くの場合、検察官はただ型通りの反省の弁を聞くだけでは満足せず、その反省の度合い、方向そして誠実さを見極めるため、時間をかけて被疑者を綿密に調べていた。アメリカの検察官のように、犯罪者を冷たく突き放したり、その更生に懐疑的な態度をとるようなことは日本の検察官にはほとんど見られない。

さらに逆もまた真である。被疑者の態度が挑戦的で、従順さを欠き、あるいは反省が見られない場合には、日本の検察官は、少なくとも事件によってはより懲罰的になる。日本の検察官にも、アメリカの検察官のいわゆる『アスホール・エンハンスメント』の日本版というべきものがあるが、それは、もっとおとなしい言い方だが、『拒否に対する料金(否認料)』と呼ばれている。」

「認める=反省している」ということで、より寛大な処置をする傾向のある日本の刑事司法の方が、被疑者の認めるメリットは大きいということができます。

検察制度は、日本においてもアメリカにおいても、国民の信頼がそのバックボーンになければならないことに変わりはありません。その信頼の尺度となるのが有罪判決率であるとすれば、それは大きな間違いではないでしょうか。

「日本において無罪判決は検察にとって不名誉とされる。検察官自身だけでなく、マスコミや日本人の大多数もそう考えている。無罪判決が下りると、「起訴されたことで被告人はひどい汚名を着せられた」といって、マスコミと世間は必ず検察官を叩く。したがって、起訴の誤りをなくせという国民の期待に、検察官は敏感であるようにも見える。もし一般的にアメリカ人が被害と損失に対する補償を期待している、つまり『トータルな司法』を求めているとすれば、日本人は、間違いを最小限にとどめる、いわゆる『パーフェクトな司法』を求めているように思われる。

アメリカも、日本も検察官の正当性は、国民の意思に根ざしているのだが、そこには重要な違いもある。アメリカでは、正当性は、検察庁の代表者が選挙によって選ばれるということによって得られる部分が大きい。選挙運動においては、現職の検察官は自分の業績を宣伝するのに、有罪判決率を使うことがある。しかし、その他にも差別撤廃雇用措置を実施したとか、地元の犯罪問題に合わせて特別にあつらえた新しいプログラムを導入したなどと訴えて、業績を誇示する。これに対して日本の検察の正当性は業績という基準にもっと深く根ざしており、その中で最も重要なのは全体的な有罪判決率である。」

著者が指摘している日本の検察が目指すところの『パーフェクトな司法』に関しては、もう少し考察を深めて、別の機会で議論したいと思っています。

この著書の内容は、考えさせられることの多い資料的価値の高いものだと思いました。是非とも玩味頂き、刑事司法を少しでもよくするべく考察の足しにして頂ければと思います。

ここをクリック→ Amazon 『アメリカ人のみた日本の検察制度』

9/26/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/09/26 Thu. 02:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (332) 「マンガ『囚人リク』」 9/23/2013 

#検察なう (332) 「マンガ『囚人リク』」 9/23/2013

(強制捜査から1742日、控訴審まで53日)

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ある日突如として東京に落下した隕石。その隕石は東京に壊滅的なダメージをもたらします。

それから10年、東京は復興が進みつつありました。しかし、隕石クレーター内は、隕石落下後に多発する犯罪を巨大な壁で囲むことで封じ込められた掃き溜めのような場所でした。復興から取り残され、治安が極端に悪く貧困なスラム街の中で、リクはまっすぐに成長します。それも彼が「おじさん」と慕う交番の警察官のおかげでした。

リクの13歳の誕生日の翌日、彼は「おじさん」が暴行を受けている現場に遭遇します。「おじさん」はスラム街での銃器密売を捜査し、新聞社に情報を流していました。その密売業者の鬼道院は、麻薬密売や臓器売買もする超悪党。その彼が、情報が新聞社に流れていることを知り、その情報源を消しに来たのです。

リクに気付いた「おじさん」は見つからないうちに逃げろ!と心の中で願います。リクは恐怖に凍りつきながらも持ち前の正義感で「おじさん」を助けようとします。それでもおじけづいて一歩が踏み出せないリク。鬼道院がリクを見つけます。その子から離れろと銃を突き付ける「おじさん」の腹を撃ち抜く鬼道院。「おじさん」の頭に銃口を押し付ける鬼道院に、リクが奮い立ちます。

Riku2.jpg

そして銃弾を発射しますが、それは鬼道院の顔をかすめただけ。鬼道院はリクを蹴り飛ばし、こう言います。
「貴様が死ぬには1発ではもの足りんな」
「貴様にはいずれ特別な絶望を用意する。いっそあの時殺してくれていればよかったと思うほどの絶望をな」

Riku3.jpg

「おじさん」は明日を信じて生きろという言葉を残して、この世を去りました。そして「おじさん」の死はリクによる凶行とされてしまいます。なぜなら鬼道院はなんと警視総監だったのです。リクは懲役30年の冤罪で、絶海の孤島にある極楽島特急刑務所に収監されることになります。

一度は堅牢な監獄に収容され絶望の淵に立たされたリクは、そこで鬼道院が警視総監であることを知り、ぶん殴ってやらなければ気がすまなくなります。「おじさん」の思いを拳に乗せて届けるため、脱獄を決意するリク。しかし、彼の前には多くの困難が立ちはだかります。

というのが『囚人リク』の始まりです。最近のお気に入りのマンガ(週刊『少年チャンピオン』連載中)です。

13歳のリクが(なぜか)成人用刑務所に収容され、ほかの囚人たちの心を捉えていくところは、単純ではありますが、なかなか痛快です。

刑務所の舎房ごとの抗争という設定は、どおくまんの名作『暴力大将』を思い出します。

暴力大将

冤罪モノということでかなり肩入れして読んでしまいますが、同じくこのマンガを読んでいた友人から、「八田さん、リクに似てるよね」と言われました。

「お、うれしいじゃん。やっぱり熱い?」
「いや、顔が」
「じぇじぇ!」

ふうむ、リクくらい熱く生きたいものです。

そしてこのマンガの単行本を、私が支援している塀の中の友人に差し入れ本として送りました。冤罪モノ、脱獄モノということで検閲ではねられるかと思いきや、さにあらず。無事届いたようです。そして同房の人たちにも大好評らしいです。

先日伝え聞いたところ、差し入れてから随分時間がかかってから届いたことがあり、その時は、一部黒塗りされていたそうです。おー、そう来たか。どの部分が黒塗りされたか実に興味津々ですが、その友人が晴れて出てくるまでそれは謎となりそうです。

単行本では13巻まで出ています。9巻まで読んで差し入れ済みなので、日本に帰ったら残りを読んでまた差し入れしようと思っています。

ということで、機会があれば是非読んでみて下さい。『囚人リク』、お勧めです。

ここをクリック→ Amazon 『囚人リク』

9/23/2013













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2013/09/23 Mon. 02:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『グランド・マスター』 ウォン・カーウェイ監督 

フィルム・レビュー 『グランド・マスター』 ウォン・カーウェイ監督

グランドマスター

ウォン・カーウェイ最新作は、ブルース・リーの師匠イップ・マンを扱ったカンフー映画。日本では夏前に封切でしたが、カナダでは随分遅れて公開。どうも彼は、カナダより日本での方がビッグ・ネームということみたいです。私も彼の『恋する惑星』『天使の涙』『花様年華』は好きな作品です。

で、ウォン・カーウェイは『2046』で見切りをつけたつもりだったのですが、彼がカンフー映画を撮ればどうなるのか興味があって観てみました。そしてがっかり。

アクション映画としては、ワイヤーアクションやCGといった映像技術の進歩がカンフー映画をつまらなくしたことを再確認しました。ジャッキー・チェンをあまり評価していない私としては、ブルース・リーで頂点を極めたカンフー映画は、ジェット・リーの初期の作品までで終わったと思っています。そもそもイップ・マン演じるトニー・レオンは本物の格闘家じゃないし。

ドラマとしては、主人公はイップ・マンではなく、チャン・ツィイー演じるゴン・ルオメイといっていいもの。ということで、予告編で言われるところの全国統一の最高格闘家をめぐる闘いというのはあくまでサブプロット。格闘家の娘、そしてイップ・マンに秘めた思いを寄せる女性としての彼女を描いた作品です。映像は非常にきれいなのですが、あまり彼女の悲哀が伝わってこなかったのは残念。

ウォン・カーウェイ監督の映画、あるいはカンフー映画を観るのであれば、家で昔の作品のDVDを観るのが正解ということでした。

ここをクリック→ 『グランド・マスター』予告編

(Facebook 9/21/2013より転載)
















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category: フィルム・レビュー

2013/09/22 Sun. 01:47 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (331) 「控訴審第一回公判の期日が決定&トゥギャッタ―合計ヴュー数が6万を突破」 9/19/2013 

#検察なう (331) 「控訴審第一回公判の期日が決定&トゥギャッタ―合計ヴュー数が6万を突破」 9/19/2013

(強制捜査から1738日、控訴審まで57日)

私の控訴審の第一回公判の期日が決定しました。取り急ぎお伝えします。

11月15日(金) 14:00 
東京高等裁判所 (東京都千代田区霞が関1-1-4、東京地裁との合同庁舎)720号法廷
担当裁判官: 第1刑事部(裁判長 ― 角田正紀裁判官)

「出頭してください」という公判期日召喚状を受け取りました。欄外に「注意」として「被告人は、公判期日に出頭する権利がありますから、この召喚状を発しましたが、控訴審では出頭する義務はないので出頭しなくても差し支えありません」とあるのが印象的でした。

裁判長の角田正紀裁判官は、今年6月から法制審議会「新時代の司法制度特別部会」の委員を務められている方です(彼の前任はゴビンダ氏の再審開始、刑の即時停止を決定した小川正持裁判官でした)。

私の公判は参加型イベントです。傍聴、「#検察なう」ハッシュタグ付きツイートのご参加を是非お願いできたらと思います。

ツイッターの最大の特長はその適時性です。後から回顧して書かれたものより、その140文字の中にその瞬間がまさに凝縮しています。

ツイッターでは、自分のフォローしている人のツイートが、パソコンやスマホの画面上のタイムラインに次々表示されますが、過去のツイートは画面をスクロールしなければ見られず、どんどん奥の方へ押しやられてしまいます。過去のツイートをピックアップしてまとめるアプリが「togetterトゥギャッター」で、これはまさにツイートのタイムカプセルです。

私の公判でも、毎回、傍聴や場外で見守ってくれた人たちがツイートしてくれています。そのツイートはトゥギャッターでまとめられています。地検特捜部の取調べから、11回の公判そして検察控訴まで、トゥギャッタ―は13本ありますが、その閲覧の合計数が6万ヴューを越えました(9月18日現在60,615ヴュー)。全てのトゥギャッタ―のリンクはこのブログの右脇に貼ってあります。

その中でも断トツ、ワン・ツーのアクセス数は無罪判決の第11回公判と、地検特捜部取調べのトゥギャッタ―です。

ここをクリック→ 第1位「無罪判決トゥギャッタ―」

強制捜査から4年3ヶ月を経ての無罪判決。ここまで本当に多くのドラマがありました。その集大成が一審裁判長佐藤弘規裁判官の説諭ではないでしょうか。多くの人が司法に希望を持った瞬間でした。正義とはかくあるべし。

是非周囲の熱狂ぶりを味わって頂ければと思います。

ここをクリック→ 第2位「地検特捜部取調べトゥギャッタ―」

これは2011年9月に地検特捜部の取調べが開始してから、取調終了・起訴までの3ヶ月間のツイートをまとめたものです。

この当時はフォロワーの数は100人あまりでほとんどの方が友人・知人という状況でした。検察取調べで否認をすれば逮捕されるというのが世の中の常識でしたので、取調べの度ごと、前に「最後の行ってきます」ツイートをし、後に「祝!生還!」ツイートをしていたのがこの3ヶ月間でした。

取調室での極度の緊張を短時間の休憩で一気に弛緩させようとする「ゆるゆるツイート」や、疲れのピークで思わずつぶやいた「不満ぶちまけツイート」を味わって頂ければと思います。

控訴審開始まであと2ヶ月。あまり為す術もありませんが、徐々に気分をアゲて行きたいと思います。是非、変らぬご支援のほどよろしくお願いします。

9/19/2013









法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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category: 刑事裁判公判報告

2013/09/19 Thu. 01:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (330) 「PC遠隔操作事件容疑者片山氏にはアリバイがあった!検察の悪質な証拠隠し」 9/16/2013 

#検察なう (330) 「PC遠隔操作事件容疑者片山氏にはアリバイがあった!検察の悪質な証拠隠し」 9/16/2013

(強制捜査から1735日)

PC遠隔操作事件では、これまでの検察自らの言葉が、明らかに検察は確たる証拠もなしに容疑者である片山祐輔氏を起訴していることを示しています。

「予断を排除して証拠を見てもらえば、容疑者が犯人であることは明らかである」

裏を返せば、「(無実かもしれないという)予断を排除しなければ、証拠を見ても、容疑者が犯人であることは明らかではない」ということです。これは、片山祐輔氏がもしかしたら無実かもしれないという疑念を持ちさえすれば、彼が犯人ではない合理的な疑いが入るということを意味しています。検察自ら、片山氏が犯人であるという決め付けの下に捜査を行い、世の中の人にも彼が無実かもしれないということは考えてほしくないと言っているものです。

「もし容疑者が遠隔操作されているというのであれば、弁護側はその証拠を提出して立証せよ」

間接的な情況証拠のみで立証する場合には、容疑者以外の者が犯人だとすれば矛盾が生じることを検察は立証しなくてはならないという最高裁判例があります。つまり蓋然性では論証足り得ず、いかに容疑者が犯人らしいとしても、決定的な証拠がない場合には、そのほかの者が犯人である可能性を排除する必要があるということです。無罪の立証責任を弁護側に押し付けることは、明らかに検察が「片山氏が遠隔操作されていない」という立証ができないことを意味しています。

先日、弁護側の証拠開示請求に基づいて、検察によりいくつかの新たな証拠が開示されました。その中には片山氏が犯人であるとするには、合理的な疑いを生じさせるいくつかの重要なものが含まれていました。

記者会見の中から、重要だと思われるものをピックアップします。

まず、会社同僚のパソコンから、遠隔操作マルウェア(「iesys.exeアイシス・エグゼ」というトロイの木馬)が発見されていたという事実です。弁護団の佐藤弁護士の説明をご覧下さい(2分13秒動画)。

ここをクリック→ 「同僚のPCからも遠隔操作プログラムを発見」

現時点で、検察は片山氏が単独犯であったという積極的な主張はしていませんが、片山氏の長期勾留に伴う接見禁止の理由は、片山氏が単独犯であるということを前提にしています。「家族の面会を許すと、その家族にID/パスワードを教えて、犯人を装って掲示板に投稿できるから」ということは共犯者がいればそもそも成り立つ論理ではないからです(しかし、この理由も、報道関係者がパスワードを過去の犯行予告メールにあったものと同じだと推測して掲示板にアクセスしたという時点で全く意味を失っています。それにも関わらず接見禁止が解けていないということは重要な問題です)。

会社同僚のパソコンに、過去の4人の誤認逮捕された人たちのパソコンと同様に、遠隔操作マルウェアが発見されたことは、そのパソコンも犯人のコントロール下にあったことを強く疑わせるものです。そして片山氏だけ全く同じ証拠が犯人性の根拠とされていることは論理的な矛盾があります。会社同僚が共犯であれば、その可能性も残りますが、そうした論理が取れないことは先に述べた通りです。

更に重要な証拠は、片山氏にアリバイがあったとする証拠です。これはこれまで報道されることのなかった「2ch事件」というものです。この「2ch事件」とは、2012年10月9日の犯行声明メールの中に言及されたもので、2012年8月9日に犯人が2chに書き込みをしたことを指しています。弁護団の佐藤弁護士の説明をご覧下さい(3分33秒動画)。

ここをクリック→「2ch事件 片山容疑者のアリバイ」

犯人は他人のパソコンにマルウェアを送信する際には、発信元を特定させないよう「トーア」(注1)と呼ばれる匿名ソフトを使っていました。

しかし、2chの書き込みはトーアを使ってはできないため、犯人が行った2chへの書き込みは、2012年8月9日の13:09から16:29の間、千葉県稲毛市のあるパソコンからであったことが特定されています。この日は平日で、片山氏は南青山の会社のオフィスに勤務していたことが確認されており、アリバイが成立します。(注2)

f-05d-top.jpg

また江の島のアイドル猫「グレー」を写真撮影したのは、片山氏所有であったスマートフォン(富士通アロウズX F05D)を用いてとされていますが、ソニーの最新型1310万画素センサー搭載のこの機種で撮影された画像としては、太陽光の下でありながら写真がぶれているのはおかしいと弁護側は主張しています。弁護団の佐藤弁護士の説明をご覧下さい(2分16秒動画)。

ここをクリック→ 「アロウズX F05Dの画像解析」

ここで非常に重要な問題は、検察が彼らに不利な証拠をこれまで隠してきたことです。弁護側が証拠の開示請求を行わなければ、それらの証拠は公開されることはなかったものです。検察のこうした悪質な証拠隠しが、これまで数多くの冤罪を作ってきたことは説明を要しないかと思います。弁護側が検察収集の証拠を公表すれば「証拠の目的外使用」だとがたがた言い、自分に不利な証拠は隠蔽するという状況は、彼らが公益の代表者であるという自覚の欠如を物語っています。これが国民の期待する正義にもとることは100万人に聞いても100万人がイエスと言うと思います。検察組織の中に、有罪至上主義という大きな病巣が巣食っています。

片山氏は今年2月10日に逮捕され、既に7ヵ月以上が経過しています。その長期勾留では接見も禁止され、弁護士以外には家族も会えない状況が続いています。注意して頂きたいのは、誤認逮捕が全て悪いわけではないということです。捜査権力も過ちを犯します。誤認逮捕そのものが悪いわけではなく、それに続く自白強要を狙う人質司法が悪いものです。

今月、トルコで日本人女子学生が殺害されるという痛ましい事件が起こりました。そこでも誤認逮捕がありましたが、トルコ捜査当局は自らの過ちを正すべく、逮捕翌日には容疑者を釈放しています。

ここをクリック→ 「トルコ女子大生殺傷事件で別の男逮捕 作業員は釈放 拙速捜査で誤認逮捕」

なぜトルコの捜査権力にできることが、日本の捜査権力はできないのでしょうか。「引く勇気」、これこそが日本の捜査権力に求められている資質だと思います。

そしてそれを捜査権力に声を上げて求めるのが、報道機関の役目だと思います。PC遠隔操作事件弁護団の記者会見には、メディア各社が勢ぞろいしていたにも関わらず、この報道をしたのはスポーツ紙一紙(『スポーツ報知』)だけという、非常にお寒い現状です。片山氏逮捕の際には、猫カフェで盗撮までしながら報道したメディアが、弁護団の記者会見で新たな証拠が見つかり、現在深刻な人権侵害が起きているにも関わらず、それを黙殺するというのは、事件を作り上げている捜査当局と全く同罪です。

これらの検察捜査の問題や、メディアの報道の在り方は片山氏が有罪であろうが無罪であろうが、そうしたこととは全く別の次元の問題として考えなくてはいけないことは言うまでもありません。事件の成行きを注視し、我々の刑事司法リテラシー、メディア・リテラシーを高める試金石とすべき事件であることは間違いないと思います。

過去のPC遠隔操作事件関連ブログ

ここをクリック→ #検察なう (299) 「PC遠隔操作事件における捜査及びメディア報道の問題点」

ここをクリック→ #検察なう (324) 「PC遠隔操作事件 検察事実上の敗北宣言 & 雑誌『週刊金曜日』に私の記事が掲載されました」

(注1)
ここをクリック→ 遠隔操作犯人が使用したソフト「Tor トーア」とは

(注2)
ブログ掲載後、江川紹子氏から「2ch事件」は真犯人が他人の書き込みを利用した可能性があるとの指摘を頂きました。

ここをクリック→ 江川紹子氏ツイート

この点に関しても、片山氏のアリバイを崩す、即ち2chの書き込みは真犯人ではないとする立証責任は検察にあるものです。つまり可能性のみで弁護側の主張を排除するのは、推定無罪原則に反するものだと考えられます(勿論、江川氏の指摘が弁護側の主張を否定するものではないことは説明を要しないと思います)。

9/16/2013










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category: 刑事事件一般

2013/09/16 Mon. 02:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『ウルヴァリン: SAMURAI』 ジェームズ・マンゴールド監督 

フィルム・レビュー 『ウルヴァリン: SAMURAI』 ジェームズ・マンゴールド監督

ウルヴァリンsamurai

マーヴェルファンには人気のあるX-メンシリーズの第6作目。そしてこれが初めて『X-MEN』がタイトルにない作品であり、ミュータントの中でも一番キャラ立ちしているウルヴァリンにフォーカスしたスピンオフの作品。その点では、4作目の『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』の流れにあるもの。

全編日本が舞台ということで、結構楽しめました。ストーリーが穴だらけなのを除けば。

アクションはなかなか。ヒュー・ジャックマンも共演が日本人モデルのTAOとあって張り切ったんじゃないかな(笑)。しかしハリウッドの描く日本女性って、いかにも外人男性の理想なんだろうなという感じです。表面しとやかで従順かつ芯は強いみたいな。
ただアクションの出来のよさに比較して、ストーリーはかなりひどいです。そもそもX-メンのよさは、ミュータントと人間が争うべきなのか(マグニートーの主義)それとも共存すべきなのか(エグゼビアの主義)の葛藤がディープな意味を持ち、黒人やユダヤ人の公民権獲得をモチーフにしていると言われています。普通の人間として生きていたいのに、特殊な能力を持ったミュータントに生まれ、差別されながらもその特殊能力を使って人間を守るというストーリーが作品のよさです。

この映画はそうした情感的な部分が全くなくなって残念。長崎の原爆シーン(かなりリアル)から始まります。ローガンに命を助けられた日本兵が戦後大金持ちになって、恩返しをする....かと思いきや「なんじゃそりゃー」の悪者ぶり。息子の真田幸広も、金のために娘を殺そうとするし(でも真田幸広は英語うまいです)、そんでもって最後は最愛の孫娘だったはずのまりこ(TAO)がそのじいさんを得意のナイフ投げで....とにかくありえん設定。あとミュータントのヴァイパーが安っぽ過ぎ。で、何がしたいわけ??という訳分からん役設定ですし。

ということで、X-メン・シリーズの流れではなく、あくまで単独のストーリーは無視した単純なSFアクション物とすると、なかなか楽しめるのではないでしょうか。最後の最後(クレジットの後)にマグニート―とエグゼビアが仲良く出てくるのは謎々々なんですが(次回作の振りか?)。

ここをクリック→ 『ウルヴァリン: SAMURAI』予告編

(Facebook 9/9/13より転載)















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2013/09/15 Sun. 03:27 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (329) 「「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』動画」 9/12/2013 

#検察なう (329) 「「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』動画」 9/12/2013

(強制捜査から1731日)

7/25に開催された「日本の司法を正す会」に招かれた際の模様です。文字で読むよりも言葉で聞いた方が分かりやすいということもあるので、是非ご覧頂ければと思います。

会に招かれたのは2回目ということもあり、青木理氏、早川忠孝氏の事件の理解も深まっており、非常に内容の濃い会になったと思います。

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (1)

導入~クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件概要 (3:43動画)

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (2)

一審判決の内容及び、国税局査察官の心証と告発、起訴の背景 (10:49動画)

早川忠孝氏 (一審無罪に関して)
「有罪の立証責任は検察側にあるわけです。「合理的な疑いが生ずる」程度の反証をすれば、推定無罪という原則でやらなければいけない。結局、この程度の立証で故意を認めるわけにはいかないという判断を裁判所がやったということです。裁判所の見方が段々厳しくなっているということは間違いないですね」

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (3)

「一罰百戒」と「否認料」 (13:35動画)

青木理氏 (否認に関して)
「簡単に言ったらお上に刃向う奴はしょっぴくって話でしょ。クレディ・スイスっていう証券会社で億単位の申告漏れがごろごろ出てきたって言うんだったら、場合によっては刑事罰を科すというのはあるかもしれない。ただ公平にやるんだったら、認める認めないに関係なく額の大きい人をやるとか、あるいは全員やるとかね、ま、全員やるというのはさすがに難しいんだろうけど。それならまだ田舎っぽい正義感としての筋が通るけれども、否認してて反抗的でけしからんからこいつをやろうっていうのは昔のお上の発想です」

青木理氏(一審無罪に関して)
「一審の特捜案件で無罪というのは非常に貴重で、国税でということになると初めてになるんですが、聞いてびっくりしたのは、弁護側の訴えを聞いて無罪だと言ったんではなくて、そもそも検察の立証が不十分だと言って無罪にしたというのは、最近の検察不信の中で、検察神話が崩壊した一つの例なのかなという気がするんです」

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (4)

検察控訴趣意書の論理的破綻 (14:23動画)

早川忠孝氏(一審無罪と控訴審に関して)
「無罪になったということはね、やっぱり国税なり検察がどうあるべきかということを投げかけているわけです。だから、そう簡単にひっくり返るとせっかくの地裁の判決の価値がなくなっちゃいますからね。今まで、反省を迫ってきたもの、要するにこんなもので立件してはいけないよ、告発してはいけないよ、やる時には平等でないといけないよというメッセージが消えちゃって、力づくでやるべきだという感覚になるとこれはよくないです」

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (5)

一審佐藤弘規裁判長の説諭 (8:07動画)

早川忠孝氏(捜査、公判が今後に与える影響に関して)
「世の中の流れとして大事なことは、国税の担当者レベルではこれを立件するのは無理ではないかと判断した人がいるということ、裁判所に行った時に、一審の裁判官にこれでは有罪にできないと判断した人がいるということ、この行政と司法の両方にそういう人がいるということを大事にしないといけないですね。それが(世の中を)変えて行くんですから」

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (6)

検察官控訴に関して (4:35動画)

青木理氏(検察官控訴に関して)
「合理的な疑いを容れないところまで立証するのが検察の責任であって、プロの裁判官がただでさえ無罪を書きにくい中で無罪を出したということは、少なくともプロフェッショナルの裁判官が合理的な疑いがあるんだと言ったわけですよ。検察は責任を果たしてないわけじゃないですか。ということは、次にもし逆転有罪だとしても、おかしいっていう判断が残っちゃうんだろうなと。そういう考えから言えば、検察官控訴はないっていう方がいい。疑わしきは被告人の利益にという精神からすれば、やっぱり検察官控訴なんていうのはあるべきではないと僕は思います」

ここをクリック→ 「日本の司法を正す会」 『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』 (7)

主宰者村上正邦氏の言葉 (3:23動画)

村上正邦氏(正義に関して)
「無罪判決を出された裁判官は、どちらかというと組織の中でははぐれ烏だよね。でも「これでいいのかよ」という者もたまにはいるんですよ。そしてまた、その判断が正しいんですよ。自分の職を賭してでも無罪にしていこうというね。そういう正義感がどこから来るかと言うと、やっぱり覚悟があるからできるんですよ。そこまで覚悟するというのは、正しいから覚悟できることなんですよ。だから私は、八田さんの事件で無罪判決されたことは正しいことだと思う。しかし司法という全体から言えば、それを無罪にしてはならない組織ですよ」

「正しいことは正しい。だから司法を正していこうじゃないかと。あなたのようなことを一つ一つ積み上げて風穴を開けて行かなくてはならないと私は思うんです」

この「日本の司法を正す会」の模様は、雑誌『週刊金曜日』にも青木理氏の記事で紹介されました。

ここをクリック→ 記事『検察と国税の無謬の砦に穿たれた貴重な判決』

9/12/2013









法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/09/12 Thu. 02:19 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」 9/9/2013 

#検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」 9/9/2013

(強制捜査から1728日)

先週金曜日9月6日、弁護団による控訴答弁書が裁判所に提出されました。

答弁書作成に当たり、私は新弁護団にお願いしたことがあります。ファースト・ドラフトの感想を求められたので、「先生方であれば100点の答弁書は間違いないと思います。しかし私は120点の答弁書を期待しています」とお願いしました。

ファースト・ドラフトの段階から、数回のミーティングと数回の推敲を経て先週提出された控訴答弁書は間違いなく120点の出来だと思います。検察による控訴趣意書は素人の私ですら突っ込みどころ満載でしたが、答弁書は素人の私はぐーの音も出ない位、格調高い法律論満載です。多分、その両者の違いは、法学部試験の学生の答案と教授の模範解答くらいあると思います。

検察控訴趣意書の主張の骨子は、第一審判決が事実誤認であり、それを裁判所に受認してもらうために第一審判決が論理則・経験則違背であると主張していることは以前のブログで述べたところです。

この「論理則・経験則違背」というのは、誰が考えてもおかしいという程ハードルは相当高いもので(そのため、検察は「一審裁判体は確定申告が何たるかを理解していない」という破れかぶれな論を展開しています)、それを第一審と同じ証拠を基に主張するというのはかなり困難を極めます。そのため、控訴する側の通常取る戦略は、新規な証拠を請求し、その採用をきっかけに、本来事後審(新たな事実認定をせず、原審の当否のみを問う)の控訴審において続審的に新たな事実認定を控訴審裁判体に求めるものです。

控訴答弁書の冒頭では、その大前提を確認しています。

「検察官の控訴が容れられるためには、当審において、事件の核心をなす事実(昭和34年最高裁判決)、すなわち被告人の故意の存在について、法律上の要件を満たす新証拠の取調べを行い(昭和31年最高裁判決)、これにより、第一審無罪判決の認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示す必要がある(平成24年最高裁判決)のであり、このいずれかが欠けるときには検察官の控訴は棄却され、第一審の無罪判決が維持されなければならない。」

どうです?しょぼい検察の主張を唐竹割りに一刀両断で、控訴棄却を謳っているのがお分かりかと思います。

検察が控訴趣意書で新証拠として提出してきたものは次の5点です。

1) 「確定申告の手引き」
一審裁判体をして確定申告が何かを分かっていないという主張のため。

2) 平成18年確定申告のための税務署HPのスクリーンコピー
不動産収入の申告漏れが故意であったという主張のため。

3) 私のブログ
証人予定されていたシンガポール経理部スタッフが身体的脅威を感じて出頭に応じなかったという主張のため。

4) 担当税理士の捜査報告書
私の担当税理士が税務の知識に欠け、私に騙されやすかったという主張のため。

5) シンガポールUBS担当者からの利子入金通知のメール
利子収入の申告漏れが故意であったという主張のため。

これら証拠を基にした検察の主張はそもそも全く根拠がないものですが、これらの中に、会社からの株式報酬の申告漏れが故意であったという事件の核心をなす事実が一切ないのは明らかです。そして更に、非常に重要なことは、これらの証拠が第一審で提出可能であったことです。

刑事訴訟法第382条の2第1項は、事実誤認を理由とする控訴申立ての場合に、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった証拠によって証明することのできる事実」は、控訴趣意書にこれを援用することができると規定しています。つまり、第一審の段階で、請求できたはずの証拠は控訴審では証拠調請求できないということです。後出しジャンケンはなしのルールです。

上に挙げた検察が証拠調請求予定の新規証拠は、いずれも第一審で提出可能でした。それゆえ弁護団は、裁判官はそもそも証拠調請求を受け入れることはできないと主張しています。

上記証拠1)「確定申告の手引き」に関しての弁護側の主張を引用します。

「原審裁判所が確定申告手続を十分に理解しない」という検察官の主張は、第一審裁判所を侮辱(愚弄)するものである。東京地方裁判所刑事部第8部が財政部であり、税務に関する専門部であることは公知であり、同部の裁判体は、財政事件について、日本の地方裁判所の中で最も専門的な知見を有するものである。そのような東京地方裁判所刑事部第8部の裁判体が、最も基本的な手続である「確定申告手続」を理解していなかったなどということはありえないことである。」

検察の主張がどれだけ問題外の更に外であるかをお分かりになって頂けるかと思います。

また、検察の主張するところの「論理則・経験則違背」の根拠のなさに関しては以下の通りです。

「検察官は、「確定申告を行う者は、当該年の自らの総収入に思いを致し、これを漏らさず把握するよう努め、しかも、その把握した収入が適切に確定申告書に記載されているか否かを確認するのが正に常識であり、社会人としての通常の行動である」と述べる。ここで言われている「思いを致し」「努め」「確認する」というのは申告制度が予定しているあり方かもしれない。しかし、確定申告をする者の大部分がこれを実践しているとは言い難いのが現実であり、たとえば、平成19事務年度当時の所得税の着眼調査でも、6713件の調査中、4003件(59.6%)の申告漏れ等が発覚している(公知)。このように、検察官の主張する確定申告のあり方が「正に常識」であるとか、「社会人としての通常の行動」であるなどと言い切ることはできないのである。」

検察が主張するように、確定申告をするものはすべからく収入を把握しているというのであれば、全ての過少申告は故意による脱税ということになります。つまり世の中の納税者の6割が脱税犯というのが検察の論理です。

控訴答弁書では、更に検察の経験則論の欠陥を指摘しています。

「考慮すべき経験則は、給与所得者がある年の給与所得を申告する状況に置かれると、大部分の人は、どのような理由から、どのような行動をとるのか、という点である。この点、大部分の人は、1年間の全ての給与所得が記載された書類は源泉徴収票であると認識しているため、源泉徴収票の記載に従って自ら申告を行うか、源泉徴収票を税理士に送付して税理士に申告を委ねるかである、という経験則が存する。しかるに、検察官の経験則論は、かかる重要な経験則を論じておらず、致命的な欠陥がある。」

会社からの給与の申告のためには、源泉徴収票が全ての給与を反映したものであるという認識がサラリーマンの常識ではないでしょうか。会社勤めの方は是非考えてみて下さい。源泉徴収票を年末に会社からもらった時に、そこに記載されていない会社からの給与があるなどと普通思うでしょうか?

更に苦し紛れの検察の主張に対する攻撃が続きます。クレディ・スイス証券では税務調査対象者約300人のほとんどが株式報酬を修正申告、約100人が完全申告漏れ、そのほかの外資系証券でも同じような状況でした。検察の主張は、「被告人のほ脱の故意を認定するに当たり、およそ他の従業員の認識は関連性がない」としています。私と同じような状況にあった者を経験則としないで、世の中一般の確定申告者を経験則とする(しかもその6割に何らかの申告漏れが認められている状況)検察の論理は完全に破綻していると言えます。

「本件では、被告人の故意ないしその内容を認定するにあたって、参照しうる集団が存在する。それは、被告人と同一の会社に所属していた従業員である。本件では、従業員に支給する株式報酬について源泉徴収を行うべきクレディ・スイス証券株式会社が、これを行わず、しかも、従業員に税務申告の指導もしていなかったため、株式報酬支給対象者約300名中100人超もの従業員が株式報酬を全く申告していなかった。これらの者全員が悪質なほ脱犯であるとは、検察当局も主張していないのであり、これらの者は単に過失によって、自らの所得金額を知らなかったに過ぎない。」
「検察官は、被告人と同じ状況に置かれていたクレディ・スイス証券株式会社の他の従業員との比較を意図的に拒絶している。これは、その比較を行うならば、被告人の故意の不存在がより明確になるためであるが、最も比較に適した集団を排除して論を進める控訴趣意書に説得力がないのは当然である。」

しかし控訴審では、検察請求の証拠は「第一審でやむなき事由があって請求できなかったわけではない」ものでも裁判官の職権により採用される危険性があります。(注)

そのための防御も最高裁昭和59年9月20日の判例及び補足意見を引用し、控訴答弁書では講じられています。この辺りがかなり高度なところです。その判例、補足意見とは以下のものです。

「控訴裁判所は、第1審判決以前に存在した事実に関する限り、第1審判決の当否を判断するため必要と認めるときは、〔刑事訴訟法393条1項〕本文に基づき、裁量によってその取調をすることができる」
「職権調査といっても、控訴裁判所が記録並びに第一審裁判所が取り調べた証拠を検討し第一審判決の事実認定、刑の量定について首肯し難いところを認めた場合に限られることは当然である」

核心部分の立証に資するものでない証拠、つまり、あまりにしょぼい証拠は職権調査の対象にはならないというものです。

このように骨太で正面切っての大論断ですが、証拠の読み込み量(特に控訴審から加わった喜田村先生の)を窺わせる細かな指摘もあります。

「捜査報告書の翻訳は、「How are you? I hope you are fine.」を、「お元気ですか? 私は元気です。」と訳しているが、この英文は、普通、「こんにちは。お元気のことと思います。」といった程度に訳されるのであり、「私は元気です」などという意味はない。ここでは、この誤りは本件の争点に影響を与えるものではないが、このような初歩的誤訳の存在は、検察官の提出する他の文書の日本語訳に疑念を抱かせるものである。」

多分、裁判官も読み飛ばしてしまいそうな誤訳ですが、これはまさに人は見たい物しか見ない、聞きたい物しか聞かない「確証バイアス」の実例だと思います。そうした思い込みを検察自身露呈していながら、「会社作成の源泉徴収票や税理士作成の確定申告書を見た時に金額の齟齬に気付かないわけはない」という検察の主張はあまりに空疎なものです。

検察による控訴趣意書は、骨粗鬆症のような空疎な骨子にぶよぶよの箸にも棒にもかからない贅肉の主張をごてごてと付け加えて、80ページ以上に及ぶものでした。対して、弁護団控訴答弁書は骨太で筋肉質の22ページです。

細かな事実認定の主張は一切なく、法律論による門前払いを狙う戦略ですが、事実認定の土俵であれば、望むところと一審最終弁論が待ち構えています。

端から勝負ありと言いたいところですが、そうも言えないのが刑事裁判の恐ろしさです。贔屓目に見てもらう必要は全くありません。控訴審裁判体には、一審裁判体同様、ただ公平に判断してもらえればよいと思っています。

引き続きご注目頂き、ご支援のほどよろしくお願いします。

(注)
これまで何度かブログでも引用したWikipedia「控訴」の「実態」です。

「刑事訴訟では、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった」場合でない限り、新しい証拠を取調べないという刑事訴訟法382条の2、393条第1項を厳格に適用し、被告人の証拠申請を全て却下する一方で、検察官の証拠申請は認めるという不公平な取り扱いがあるともいわれている。」

ここをクリック→ Wikipedia 「控訴」

9/9/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: 訴訟記録等

2013/09/09 Mon. 05:20 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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フィルム・レビュー 『エリジウム』 ニール・ブロムカンプ監督 

フィルム・レビュー 『エリジウム』 ニール・ブロムカンプ監督

エリジウム

息子大期待の『エリジウム』鑑賞。

監督ニール・ブロムカンプの前作『第9地区』が絶賛され過ぎなら、本作は酷評され過ぎくらいにアメリカで酷評されています。

SF映画はまずその非日常の造形がどれだけセンスがいいかで格が決まると思っています。その点で言うならここ数年のSF映画の中では断トツの造形。アクションシーンも本物なら、武器など小物もヲタク心を刺激しまくりのこだわり度でした。

で、酷評されているストーリーですが、そんなに悪くはなかったけどなあ。2154年、人口増加と環境破壊で貧民窟となったロサンジェルスと、富裕層が移住した宇宙コロニー「エリジウム」が舞台。医療環境が最悪の地球に比して、エリジウムにはどんな病気やけがも治してしまう医療ポッドがあって、病気・けが知らずです。工場の事故で放射線を浴び、余命5日となったため、何とかエリジウムに密航しようとする主人公が、結局、自分の命と引き換えに地球のみんなを救うというところが、ストーリー的に弱いとされているところ。未来の世界で、金持ちが貧乏人を搾取する悪者になるというのが、あまりにもステレオタイプということだと思います。しかし、そうした貧富の差は今日の世界でもあって、貧しく衛生環境の悪い国の人々はまともな医療も受けられずに死んでいっているというところを考えると、現代社会を風刺しているのかなと感じました。

『第9地区』のファンは低予算映画の着想、センスを高く評価し、ハリウッドで大きなバジェットで映画を作るとつまらないというパターンにはめたいのではないかと思います。そういうパターンは多いですけどね(特に外人監督、ジョン・ウーとかリュック・ベッソンとか)。

で、『第9地区』の大ファンの息子の評価は上々。「違ったよさがある」との感想だったようです。『第9地区』は笑えるシーンが緩急をつけていましたが、この映画はシリアスモードで、私の好みはこっちですね。

ストーリー的には、『プロメテウス』のスケール感には及ばず、ただ映像は最初に言ったように、ここ数年ではトップかと。SFヲタは観て損はなしだと思います。

ここをクリック→ 『エリジウム』予告編

(Facebook 8/31/13より転載)
















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2013/09/08 Sun. 18:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (327) 「「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」とはどういうものであったか」 9/5/2013  

#検察なう (327) 「「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」とはどういうものであったか」 9/5/2013

(強制捜査から1724日、弁護側控訴答弁書提出期限まで1日)

いよいよ明日9月6日が弁護側控訴答弁書の提出期限です。準備万端、弁護団は答弁書に続くその次の一手も立案中です。

その前に、私が巻き込まれた「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」とはどういうものであったかをおさらいしたいと思います。

経緯説明をアップデートしましたので、事件の詳細については是非こちらをご覧下さい。

ここをクリック→ 経緯説明「真実は一つである」

この経緯説明のオリジナルは、2010年2月の刑事告発報道後、私の人物評を知人・友人に書いてもらった嘆願書を集める際、事件のあらましを説明するために作成したものです。それがベースになっていますので、時系列での説明のほとんどが税務調査開始~告発前に関するものです。またより多くの人に理解してもらおうと、平易な説明を心掛けて書いた当時の雰囲気をなるべく残したいと思い修正は一部に留めています。

この事件のことを振り返って考えると、当初は非常にシンプルなものであったと思います。国税局査察部の見込み違いという単なる初動ミスが全ての始まりです。

この事件に関する私のイメージを野球で言えば、サードの私とレフトの会社の間のレフト線上に上がったポップフライのようなものです。ランナーがベースに出ている場合、そのポップフライは無条件にレフトが取るという取り決めがあったとします。これを「源泉徴収ルール」と呼ぶことにします。

私はソロモン・ブラザーズ球団から、クレディ・スイス球団に移籍して、守備の基本的動作であるその「源泉徴収ルール」に従って、自分の後ろに上がったポップフライの打球の行方をレフトが取るものだと思って、見ることもせず球を追うことはありませんでした。ところが、クレディ・スイス球団では、なぜか「外人バッターの打った球だけは、サードが取る」となっていました。

私としては「そんなこと聞いてないよー」でしたが、自分に過少申告というエラーの記録がつくことに関しては、まあ仕方ないかと思いました。ところが、私が問われたのは「相手に点をやるために、わざとフライを取らなかった八百長行為だ」というものでした。これは全く事実に反しています。

今ではクレディ・スイス球団でも、ランナーがベースに出ている場合、サードとレフトの間に上がったポップフライは日本人が打とうが外人が打とうが無条件にレフトの会社が取るようになりました(つまり、私が申告漏れとなった株式報酬も会社は源泉徴収しています)。

雰囲気としてはそんな感じです。

当初「2~3ヶ月は覚悟して下さい」と言っていた査察部の捜査が長期化する中で、査察部は当然自らの過ちを知ることになったと思います。しかし、初動ミスを理解しながら、後に引けないというのは捜査権力の陥り易い過ちであることは残念ながら歴史上繰り返された事実です。多くの冤罪の原因が、この「初動ミスを捜査権力自ら認めることができない」という「引く勇気の欠如」にあります。

ここまでは普通の冤罪なのですが、「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」の場合は更に特殊要因が加わっています。それは、この事件が特捜部事案だということです。

国税局の脱税の線引きは仮装・隠蔽です。彼らの常識では、脱税犯は何らかの仮装・隠蔽をするということから、それのあるなしが悪質性の見極めです。例えば茂木健一郎氏の巨額の申告漏れは、明らかな故意がありながら、なぜ脱税に問われていないかと言えば、(その是非は置くとして)仮装・隠蔽がないからだと言えます。

私の場合、そもそも脱税しようなどとは思っていなかったため、そうした故意の証拠である仮装・隠蔽があるはずもありません。国税局としては到底告発はできないと考えたものと思われます。それではなぜこの無理筋の事案が告発されることになったのか。

そこで登場するのが「告発要否勘案協議会」なるものです。(注)

簡単に言えば、告発の前には検察と国税局の間で話し合いが持たれ、検察が起訴をするといった場合のみ国税局は告発をするということです。私の第二回公判では、弁護団はこの告発要否勘案協議会の議事録の証拠開示命令申立を行いましたが、結局それは開示されることなく闇の中でした。

その当時、東京地検特捜部長は一連の小沢一郎氏の事件の黒幕とも言える佐久間達哉氏でした。彼の就任記者会見で、「いい事件をやりたい」と功名心を隠すことなく発言した彼が演出したのがこの「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」です。国税局に恩を売っておけば後々覚えも高かろうという読みだったと思います。その背景には、特捜部が起訴をすれば100%有罪に持ち込める、裁判所は検察の自動販売機だという奢りがあったものです。

この段階で、「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」は特捜部によるゴリ押し捏造事件に昇格(?)したものです。そして更にこの事件の経緯のツイストには、大阪の郵便不正事件による影響があります。

郵便不正事件の検察に与えた影響は小さいものではありませんでした。マグニチュード9クラスの激震です。私の告発はこの郵便不正事件の前にされ、検察の取調べが開始したのは郵便不正事件後のことでした。批判にさらされる検察は、告発を受理した時点には持ち得なかった危機意識を取調べ開始時には持ったものだと思われます。全ての捜査を最初からやり直したことは、1年以上に亘る国税局査察部の調査ですら十分でなかったということを彼ら自身認識していたということを表しています。

一般的な常識で言えば、否認即ち逮捕ですが、私が結局最後まで逮捕されなかったことは検察も最後まで不起訴の可能性を探ったのだと思われます。当然、はしごを外されたくない国税局とのメンツをめぐってのつばぜり合いがあったことでしょう。不起訴にして、引く勇気が讃えられるのは検察だけです。告発=100%起訴にこだわった国税局としては、「何としても起訴をしてもらわないと困る。そっちが起訴をすると言うから、こっちも無理を承知で告発したんだ」と押し込んだことは容易に想像できます。激震によっても結局何ら検察は変わるところはなかったということは、陸山会事件に係る虚偽報告書問題でも如実に表れています。

この事件の捜査には億単位の莫大な経費が費やされています。正義のためであれば我々の税金が使われることは勿論必要なことですが、こうした役所のメンツを保つための責任のなすり合いに費やされるのは全くもってナンセンスだと思われます。彼ら捜査権力には公益の代表者だという自覚が全く存在していないと言わざるを得ません。そもそもの捜査が、適正な納税のためという経済的な動機であるのに、この非経済性は役所仕事の情けないまでのセンスのなさを物語っています。

そして一審裁判体は、阿吽の呼吸を期待する検察に対し、そんなものはないと厳しい答えを突き付けました。一審無罪判決に対する検察控訴は、その裁判体を文字通り愚弄したものです。税務事案を集中的に扱う地裁刑事部をもってして、「確定申告が何たるかも分かっていない」と控訴趣意書で主張したのですから、検察の傲慢さもここに極まれりというものです。

そしてこれから控訴審を迎えます。以上が「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」の全貌です。是非ともご注目頂き、事の成行きを見届けて頂きたいと思います。皆様の正義を希求する声は必ず高裁裁判体に届くものと信じています。自浄作用のない検察には「喝!」です。

(注)告発要否勘案協議会が何であるかは、詳しくは私の無罪判決後の落合洋司氏のブログをご参照下さい。

ここをクリック→ 『弁護士落合洋司の「日々是好日」』

9/5/2013












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2013/09/05 Thu. 04:10 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (326) 「『週刊金曜日』記事「検察と国税の無謬の砦に穿たれた貴重な判決」青木理氏」 9/2/2013 

#検察なう (326) 「『週刊金曜日』記事「検察と国税の無謬の砦に穿たれた貴重な判決」青木理氏」 9/2/2013

(強制捜査から1721日、弁護側控訴答弁書提出期限まで4日)

雑誌『週刊金曜日』の先週号(2013.8.23 第956号)に掲載された私に関する記事を、青木氏及び週刊金曜日編集部の許可を得て、ブログに掲載させて頂きます。

ここをクリック→ 「検察と国税の無謬の砦に穿たれた貴重な判決」

この記事は7月25日に行われた「日本の司法を正す会」ワークショップの内容を受けて書かれたものです。ワークショップの模様はIWJにより同時中継されました。そのアーカイブはIWJのサイトで見ることができます(完全版は会員のみ)。

ここをクリック→ 第56回日本の司法を正す会 IWJアーカイブ

約1年前の公判のさなかに同じ雑誌『週刊金曜日』に掲載された記事「税金天引きの会社員が意図的に脱税するのか」も合わせてご覧下さい。

ここをクリック→ 「税金天引きの会社員が意図的に脱税するのか」

『週刊金曜日』はこんな雑誌です。

ここをクリック→ 『週刊金曜日」はこんな雑誌です

9月6日が弁護団による控訴答弁書の提出期限です。その後、控訴審の日程が決まり第2ラウンドのゴングが鳴ります。是非、ご注目頂ければ幸いです。

9/2/2013
















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2013/09/02 Mon. 00:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『パシフィック・リム』 ギレルモ・デル・トロ監督 

フィルム・レビュー 『パシフィック・リム』 ギレルモ・デル・トロ監督

pacific rim

息子と『パシフィック・リム』観賞。

ギレルモ・デル・トロ監督。彼の『パンズ・ラビリンス』は本当に素晴らしい作品でした。ということで期待大。

ところが、観終わってから息子と「普通の怪獣アクション映画だったね」。

巨大ロボット対怪獣といえばアニメの世界。案外、実写版での作品はないことに気付きました。系統としては『トランスフォーマー』なのかな。CGの出来はトランスフォーマーのがちゃがちゃ感がなく、アクションは上質。ところが、『マン・オブ・スティール』では、「純粋にアクションを楽しめないとはパパも老けたね」と言ってた息子も、「うーん、普通」の評価でした。

やはり情感が描けけてないと。例えば金子修介監督による平成ガメラは実にしっとりしています。それに比べて大味であることこの上なし。(おまけじゃなくての)ラストシーンは「おいおい、それって007かよ」という噴飯物のハッピーエンド。

息子と共感した一番納得できない点が、「裂け目を通るには怪獣のDNAが検知されなくちゃじゃなかったの?なんで脱出ポットが通れんねん」という点。「細かな考証にも気を遣ってほしいよねー」でした。

ただ怪獣の造形は美しかったです。ブラックライトに浮かぶかのようなネオンライトのブルーやグリーンを配した怪獣はよかったなあ。

あと、かなり日本のアニメヲタ文化を意識して、日本色を配していましたが、菊池凛子は『バベル』の時の存在感はなく残念な感じ。それに比して愛菜ちゃんは頑張ってましたよー。素直に育ってほしいなあ。でも難しいんだろうなあ、といらぬ心配をしていました。

ということで、あまり観る価値を認めることのできない作品でした、残念ながら。

ここをクリック→ 『パシフィック・リム』予告編

(Facebook 8/20/2013より転載)















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2013/09/01 Sun. 12:23 [edit]   TB: 1 | CM: 0

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