「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (342) 「「人一人の命は地球より重い」~名張毒ぶどう酒事件・最高裁不当決定抗議集会に参加して」 10/31/2013 

#検察なう (342) 「「人一人の命は地球より重い」~名張毒ぶどう酒事件・最高裁不当決定抗議集会に参加して」 10/31/2013

(強制捜査から1780日、控訴審初公判まで15日)

「人一人の命は地球より重い」

この言葉の意味するところは明らかです。「人の命は尊く、何事にも代えがたい」ということは誰しもが納得するところではないでしょうか。

名張毒ぶどう酒事件では、1969年以来、奥西勝氏は死刑囚としてその自由を奪われてきました。そして今、本来は人権の擁護者である検察官、裁判官が、彼の命まで奪おうとしています。

一旦は開いた再審の門を、検察、裁判所は再び閉ざしました(注1)。奥西氏の命は風前の灯です。87歳の彼は今年に入り危篤状態となり、その時医師はあと20日の余命を宣告したそうです。それでも今なお奥西氏の命を支えているのは、無実の罪を晴らそうという強い意志です。

昨日行われた「名張毒ぶどう酒事件・最高裁不当決定抗議集会」に参加して私が思ったことは、「なぜ、検察官・裁判官に真実が分からないのか」と問うことは間違っているのだろうということです。我ら一般人のレベルで理解できることが、知性ある彼らに理解できないはずはないからです。

検察官・裁判官にとっては、本来何よりも重要な人の命と引き換えにしてでも守らなければならないものがあるのだと思います。それは彼らが人である前に、あるいは人である以上に検察官・裁判官であろうとしているのではないかと考えます。

そして裁判官である前に人である、我々一般人の感覚からすると「まともな」裁判官に当たった時、奥西氏の一審無罪や一旦は決まった再審開始決定が出されたのだと思います。しかし、結果として奥西氏の無罪が得られていない現実は、そうした「裁判官である前に人である裁判官」は少数派であることを意味しています。

検察官や裁判官に「検察官や裁判官である前に人であれ」と批判することが正しいのかどうか、私には分かりません。彼らも死ぬ時は、検察官や裁判官として死ぬのではなく、人として死ぬことは分かっているはずです。その時に「人として間違っていた」と思わないはずはなく、その十字架を彼らは背負っています。

彼らの、人命と引き換えにしてでも守らなければならないそれが何なのか、あるいはそうした彼らの「崇高な職業意識」を理解しなければ、冤罪の問題はいつまでたっても、我々一般人と、捜査当局・司法当局の間で交わることのない平行線のような気がします。

映画『約束~名張毒ぶどう酒事件・死刑囚の生涯~』に主演した仲代達也氏からもメッセ―ジが寄せられました。

ここをクリック→ 仲代達也氏「奥西勝氏に寄せるメッセージ」

弁護団報告 野嶋真人弁護士・伊藤和子弁護士

写真

「弁護団は全く諦めていない。11月5日に第8次再審請求を行う。」

会場発言 江川紹子氏

江川氏写真

「名張毒ぶどう酒事件は多くの冤罪被害者が注目する事件。彼らのためにも頑張らなければならない。」(注2)

集合写真

集合写真

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (339) 「司法の自殺~名張毒ぶどう酒事件で第7次再審請求棄却決定」

(注2)
ここをクリック→ 江川紹子氏寄稿記事「名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う」

10/31/2013



















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category: 名張毒ぶどう酒事件

2013/10/31 Thu. 08:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (341) 「法律守って法を守らず~佐藤真言氏著『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』再読」 10/28/2013 

#検察なう (341) 「法律守って法を守らず~佐藤真言氏著『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』再読」 10/28/2013

(強制捜査から1777日、控訴審初公判まで18日)

Kindle版『粉飾』を再読しました。Kindle版には、佐藤氏書き下ろしの特別章と郷原信郎氏との巻末対談が新たに収録されています。

ちなみにKindleは初体験でしたが、思いのほか快適でした。最近、老眼がとみに進み暗いところでは文字が読めなくなってきましたが、Kindleはバックライトのおかげで映画の待ち時間の薄暗い劇場でも快適です。また本に線を引くのが好きではないので、Kindleのブックマーク機能は超便利です。私はiPadアプリでKindle版を読んだのですが、Kindle端末でできる語句検索がアプリでもできるようになると最強なのにと思いました。

時間をおいて再読すると、以前読んだときと変わらぬ印象もあれば、少し違った印象もありました。

変わらぬ印象は、この事件はやはり検察特捜部によって作られた事件であり、不当に人権が蹂躙されたというものです。しかし違った印象は、この弁護活動であれば、この判決も仕方ないかなというものです。それらは矛盾するかのように感じられるかもしれませんが、少しお話しさせて頂ければと思います。

この事件の検察特捜部の筋書きは、経営コンサルタントである佐藤氏が、赤字決算の中小企業社長の朝倉氏ほかに決算を黒字化する粉飾決算をさせ、銀行から不正に融資を引き出し、結果的にその中小企業が倒産することで、銀行に実損を負わせたとされているものです。

佐藤氏や朝倉氏を擁護する声は小さくないのですが、批判もあります。特に法律関係者の評価は厳しいようです。上場企業が粉飾決算をすることは違法行為ですが、株式公開をしていない中小企業では、粉飾決算そのものは犯罪ではありません。しかし決算の数字をごまかして融資を引き出したことが欺罔行為に当たり、佐藤氏や朝倉氏は詐欺罪に問われたものです。

検察特捜部が佐藤氏や朝倉氏を罰する目的は、一義的には、粉飾決算が蔓延しているという状況を改善するというものです。その目的の前では粉飾決算が必要悪であるという主張は全く意味をなしません。そして、捜査当局が粉飾決算はよくないことだという立場を取る以上、粉飾決算をしている中小企業から悪質なケースを選んで「一罰百戒」的に誰かを罰するということは必然です。

それでは次の2つの粉飾決算のケースを比較して下さい。

「ある経営コンサルタントは、会社社長と結託し、最初から融資金を踏み倒すつもりで、実稼働していない赤字会社の決算を粉飾して融資金を引き出した。そして会社を計画倒産させた上で、その融資金を私的に流用した(例えば、3億円を着服してホテル住まい、キャバ嬢と海外旅行に行ったり、高級外車やヨットを購入したり、といったディテールを加えましょう)。」

「ある経営コンサルタントは、会社から依頼を受けた時点で、その会社は一時的に赤字になっていて以前から粉飾決算をやっていたが、ひたむきに事業を続けたいという会社社長の強い意志と会社の成長性を確認した上で、銀行融資も返金できる見込みが高いと判断した後、粉飾決算の継続を選択した。そして赤字の解消に会社社長と共に額に汗しながら働いていた。」

「一罰百戒」のターゲットとすべきはどちらかということは言うまでもないことです。

佐藤氏や朝倉氏のケースが後者であることは、検察特捜部は百も承知でした。

そして倒産したことによって銀行に実損を与えたとされた朝倉氏の会社ですが、アパレル業界という季節産業の資金繰りのタイミングにより、朝倉氏の逮捕がなければ会社も存続し、資金の回収ができたであろうことは事件後の会計士の検証で明らかになっています。これも検察特捜部は理解していたことであり、敢えて銀行に実損を与えるための逮捕のタイミングであったことが事件の経緯から伺われます。

また佐藤氏は郷原信郎氏との対談の中で、まじめに仕事をしながらも赤字決算で粉飾をしなければいけない状況に陥った会社の場合でも2パターンあると言っています。引用します。

「私のところに相談に来られる中小企業には二通りあります。

一つは、そもそも撤退すべき会社というのがある。粉飾決算をしていても、売り上げが上がらない、今後の見通しが立たない、ただただ延命したいだけという会社もありました。そういう会社の場合には、弁護士さんを紹介して破産手続きをするということも説明します。あるいはリスケジュールと言いまして、粉飾をすべて明らかにし、銀行への返済を止めるやり方をとる会社もありました。

もう一つは、エス・オーインク(注:朝倉氏の会社)のように、未来が非常に見える会社。コストを削減して、きっちり経営すれば黒字になる、債務超過が消えていくという会社の場合は、どうしても資金調達が不可欠なものですから、そこで粉飾決算を継続し、容認していく。いずれは利益をもって粉飾を消していく。これは何年かかるかわかりませんが、数年かかって粉飾の水増し分を減らしていく。決算書を正しい形に戻していくというやり方を取ります。」

佐藤氏や朝倉氏が行ったことをただ単に法律に抵触しているからといって、実刑という厳しい処罰に処すことに社会正義があるのかを私は問うています。これが表題の「法律守って法を守らず」の意味です。もし彼らが捜査の網にかかったとしても、それを実刑に処すべきかの判断ができないのであれば、何のための起訴便宜主義であり、何のための執行猶予制度かと思います。

しかし、もし私が裁判官だとした場合、かなり判断には窮するところです。

私が違和感を感じたのは、佐藤氏の弁護人であった宗像紀夫氏の「戦うのではなく、やはり謝った方がいい」「この事案自体は執行猶予が当然の事案だ」という言葉です(『粉飾』Kindle版 佐藤氏x郷原氏対談より)。

なぜ「戦う」と「謝る」の二者択一なんだろう。「謝りながら戦う」という方法もあるだろうに、と思ったものです。被告人の佐藤氏自身が「このケースで私を罰することは社会正義にもとる」と主張することは愚の骨頂です。ですから、彼が公判で全面的に非を認めたことは正しかったと思います。しかし、被告人、弁護人ともに罪を完全に認めることは、検察の主張をそのまま許容することだと裁判官は受け止めるのではないでしょうか。全面的に白旗では、裁判官が十分に証拠調べをしない可能性があり、事件の特殊性を理解しないことが考えられます。ですから、「謝りながら戦う」即ち、被告人は罪状認否で罪状を認め、反省の意を表すると共に、弁護人が「この事案で被告人を罰することは社会正義にもとる。無罪にすることこそが正しい判決である」と敢然と無罪を主張するということを選択すべきではなかったのかというのが素人の謙虚な意見です。

自分が無罪を戦った経験から言えば、「無罪であるべきだ」「執行猶予となるべきだ」という「べき論」で通用するほど、刑事司法は被告人に甘くありません。むしろ推定有罪原則が刑事司法のディフォルトであり、知力を尽くし全力で事に当たらないと望む結果は得られないと考えるべきです。(注1)

私が裁判官であれば、検察官の「粉飾決算を叩くことが社会の秩序維持につながる」という主張には一理ありと考え、それに全く被告人、弁護人が異を唱えなければ、検察官求刑に7掛けで判決を書いて実刑やむなしとするのではないかと感じました(佐藤氏に対する検察求刑は懲役4年、判決は3年の実刑)。

ここで考えて頂きたいのが、刑罰の意義です。犯罪を罰することの重要な意義は、因果応報的に犯罪者を罰することよりは、罰により社会秩序を保つことなのではないでしょうか。そしてその社会秩序保持には、捜査権力に対する国民の信頼は必要不可欠なものです。

捜査権力は悪人を罰するからこそ、その対立項として善であるとみなされるものです。いかに外形的に法律に抵触していようと、善人を厳罰に処していたのでは彼らが悪にみなされかねないのではないでしょうか。そのための起訴便宜主義であり、検察は本来そののりしろを最大限に活用しています(検察の起訴率の低さは、刑事裁判の有罪率の高さと同じく異常なほどです)。

再読して、特に朝倉氏の男気には再度感服しました。佐藤氏も犠牲者ですが、そのとばっちりを受けながらも佐藤氏を責めない朝倉氏。私が新宿で一度個人的にお会いした時も、彼自身傷つきながら、人を赦し、当然持つ怒りを社会の仕組みそのものに向けていたことを思い出しました。

佐藤氏と朝倉氏を厳罰に処したことが法律的に正しかったかどうかは論を措いても、捜査権力に対する信頼は確実にダメージを受けたことは、この事案を扱った石塚健司氏著『四〇〇万企業が哭いている 検察が会社を踏み潰した日』(注2)や佐藤氏自ら著した『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』(注3)が売れていることからも明らかです。

検察特捜部は独自捜査が看板ですが、その独自捜査で、検察全体の看板を汚すようなことをしていたのでは、まったくもって特捜部の名折れです。エリートを認ずるのであれば、小手先ではなく、もっと大きな視野で物事を考えるべきだと思います。私の事件を通しても全く同じことを考えました。 

先日10月25日に獄中で誕生日を迎えられた朝倉氏と、来たる12月27日に同じく獄中で誕生日を迎える佐藤氏に、塀の外からエールを送りたいと思います。

ここをクリック→ 『You'll Never Walk Alone』

(注1)
これに関しては、私が前回、日本の司法を正す会に招かれた際に、早川忠孝氏が「どんなにお粗末な弁護であっても、無罪になるべきものは無罪になるのが理想だが、現実はそうではない」と語られ、御大村上正邦氏に私は散々「刑事司法、裁判は甘くない」と厳しくお叱りを受けたものです。

ここをクリック→ #検察なう (329) 「「日本の司法を正す会」『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』動画」

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (209) 「何が社会正義かを問う 『四〇〇万企業が哭いている 検察が会社を踏み潰した日』を読んで」

(注3)
ここをクリック→ #検察なう (289) 「佐藤真言氏著 『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』を読んで」

10/28/2013














ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 被告人最終陳述

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category: 佐藤真言氏 『粉飾』

2013/10/28 Mon. 02:22 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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フィルム・レビュー 『そして父になる』 是枝裕和監督 

フィルム・レビュー 『そして父になる』 是枝裕和監督

そして父になる

最初に劇場で観た是枝作品は彼の監督第2作目『ワンダフルライフ』(1999年)でした。それ以来フォローしている彼の最新作『そして父になる』観賞。

予告の「魂をゆさぶる感動作」というのは私にとってはあまりにぬるい表現でした。それほど観ていて辛かったものです。私は田舎の商店の長男として生まれました。琉晴の父(リリー・フランキー)に私の父、母(真木よう子)に私の母を見て、自分がどれだけ幸せだったかを思いました。それと共に、仕事に忙殺され息子に自分の価値観を押し付けてばかりいた自分の中の慶多の父(福山雅治)的な部分を自覚し、TOHOシネマズ渋谷を出てから昼間の渋谷の109前で号泣してしまいました。

この映画は家族とは何か、父親とは何か、子供を育てるということは何かを考えさせてくれます。是非、ご覧になってそれらを考えてみて下さい。

あまり客観的には観れなかったものですが、それでも違うなと思った部分もあります。例えば子供とどれだけの時間を使うかが愛情の尺度とされているかのような説明。仕事ばかりのサラリーマンが子供を愛していないかというと、そうではないと思います。確かに時間は作るものなので、一つの目安ではありますが。

また、リリー・フランキー演ずる子供の友達のような父が理想像とされるのも抵抗があります(是枝のメッセージはそうではないと思いますが)。外で稼いでくるのが父親の第一プライオリティーで、子育ては母親がまずは責任者という昔ながらの役割分担的な考え方もあっていいと思います。適材適所ということで。これは負け惜しみ的なところもあるので、強くは主張できませんが。多分、理想の父親像も時代と共に変化しているのだと思います。父の威厳とかってのは古いんですかね。

映画のテーマに即した点では、病院の説明にあった「子供を取り違えられた親のほぼ100%が交換を選ぶ」というのは意外でした。もし自分であれば、そのままなかったことにして(法律的には養子縁組をお互いの家族でするということになるんでしょうか)、子供が判断できるまで教えないということを第一の選択肢と考えて相手家族と相談すると思いました。

相変わらずリリー・フランキー、真木よう子の演技はさえていました。福山雅治は私の中では歌手であって役者じゃないんで、あんなもんかと。

ここをクリック→ 『そして父になる』予告編

(10/25/2013 Facebook より転載)













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ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

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category: フィルム・レビュー

2013/10/27 Sun. 07:50 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (340) 「私の弁護団が控訴答弁書の補充書を提出しました」 10/24/2013 

#検察なう (340) 「私の弁護団が控訴答弁書の補充書を提出しました」 10/24/2013

(強制捜査から1773日、控訴審初公判まで22日)

7月に検察により裁判所に控訴趣意書が提出されました(注1)。私の弁護団は9月に控訴答弁書を裁判所に提出しています(注2)。そして先週、弁護団は答弁書の補充書を追加提出しました。

9月提出の控訴答弁書は、法律論を骨子とした骨太な主張でした。「引っ掛け」や「詭弁」に溢れた控訴趣意書の土俵ではなく、品格を持って控訴趣意書を高みから一刀両断唐竹割りするものです。

これに対して先週提出された補充書は趣意書の「引っ掛け」や「詭弁」をピックアップして論破するNG集です。映画のNG集なら笑えるのですが、公権力が姑息な論法で人権を蹂躙し、役所のメンツを保とうとするのですから全く洒落になりません。

控訴答弁書がアウトボクシングを非常に高いレベルで行う王者のホセ・メンドーサ戦法なら、補充書はドッグファイトも望むところと華麗に相手を叩き潰すカーロス・リベラ戦法と言えます。さすが私が信頼する弁護団です(対する被告人の私は、野生の勘だけが頼りの常にノーガードの矢吹丈戦法です)。

補充書冒頭では、その趣旨を以下のように宣言しています。

「一般に検察官の控訴趣意書には、原審記録を精査しないとわからない「引っ掛け」や「詭弁」があるとの指摘がされているが、本件控訴趣意書にもそのような記述が多々含まれている。そこで、以下、簡単にその説明を行い、答弁書を補充する。」

補充書が指摘する「引っ掛け」「詭弁」は計9点ですが、そのうちのいくつかをここで論じてみたいと思います。

「引っ掛け」の典型的なパターンは、「重要事実をあえて摘示せずに論証する」ものです。

私にとっての確定申告は、会社任せ、税理士任せで、会社からもらった源泉徴収票を税理士に渡せば給与関連確定申告は完了というものでした。

給与の一部である株式報酬の申告を私が故意にしなかったと主張したい検察としては、私の確定申告の知識・経験が豊富であり、当然「気付いたであろう」「知っていたであろう」と主張するものです。

控訴趣意書では以下のように検察は主張しています。

「被告人のこれまでの知識・経験、特に被告人が長年にわたり外資系証券会社において勤務し、高額の給与収入を得て、これらの所得に基づき、不動産を取得し、あるいは、海外口座を自ら開設するなどして資産運用を図り、長年にわたり、確定申告を行ってきたこと、その際には、医療費控除・生命保険料控除・扶養控除等の各種所得控除について詳細な資料を作成しつつ、申告を行ってきたことからすれば、被告人が、自らの実収入額及び申告額を認識していたことは明らかである。」

ここで言う「詳細な資料」とは、領収書を紙に貼ったり、会社からもらった扶養控除申請用紙に記入したことを指しています。これですら役人の感覚だと「詳細な資料」のようです。 

それを補強する事実として、鼻くそのような事実を挙げています。

「証券外務員に必須の外務員資格試験には「証券税制」が含まれていること」

「『確定申告の手引』には各所得から各種所得控除を差し引いた金額が「課税される所得金額」となることが記載されていること」

「不動産の取得原価、減価償却費、借入金利子等に関する資料も提出して、これらを家賃収入から控除される額として税理士に計算させたこと」

「各年の申告において、生命保険料・損害保険料・地震保険料に関する資料も税理士に提出し、これらについても控除の対象とさせていたこと」

税理士から「~といった資料を入手して提出して下さい」と言われてただその指示に従ったことが、なぜ「いかなるものが経費計上し得るかについてまで、熟知していたことは明白である」のか私には全く理解不能です。

そして検察は、私の確定申告に対する意識に関して、重要事実をあえて摘示せずに論証しています。
 
私は、税理士に源泉徴収票や医療費領収書、保険控除証明書を渡して私の確定申告は完了していると考えていました。実のところ依頼した税理士が6年に亘って過怠で申告を行っていませんでしたが、私は彼から告白されるまで全く気付かず、毎年その税理士に資料を送り続けていました。全くもって間抜けな話ですが、この6年間、私は還付を受けられなかったことも気にせず確定申告したつもりになっていました。これを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

補充書は指摘します。

「被告人の確定申告に対する意識は一般人以上に薄かったのである。被告人のほ脱の故意の有無を正しく判断するには、各事実を評価するにあたり、被告人の「確定申告に対する意識の薄さ」という重要な要素を勘案しなければならない。」

また私は、会社からの給与は、ただ会社が支払うものを受け取るという受動的な意識しかなく、株式報酬に関しても特別な意識を持っていたわけではありませんでした。それは給与の一部である以上、税金は払うべきであると思っており、それは給与天引きされていると思い込んでいたものです。

給与の一部である株式報酬の申告を私が故意にしなかったと主張したい検察としては、私が金の亡者であり、株式報酬に対する関心も並々ならぬものであり、当然「気付いたであろう」「知っていたであろう」と主張するものです。

控訴趣意書では以下のように検察は主張しています。

「被告人は、自らの資産を運用するため、あえて海外口座であるUBS口座を開設し、英語で担当者に指示をし、あるいは、アドバイスを求め、いわば日常的に資産運用に熱中していた。」

「ベアー・スターンズ証券転職に際し、転職条件に関する条件闘争を行うなどしていることから、自らの報酬額に金銭的利益あるいはステータスとしての強い執着を有していることもまた明らかである。」

海外口座を開設して資産を保有したり、転職時に給与の条件を交渉することをもって脱税の犯人とはそういうものだとされたのではたまったものではありません。

そして検察は、私の株式報酬に対する意識に関して、重要事実をあえて摘示せずに論証しています。

会社では年一回、株式報酬プログラムの説明会を開催していましたが、私は一度も参加したことがなく、その存在すら知りませんでした。株式報酬に関心が高ければそうした説明会は喜んで出席したものと思われます。また税務調査開始直後は、在職中に株式報酬をいくらくらい受領していたか、概算程度の記憶もなく、ストック・オプションを受領、行使したことすら忘れていました。それらは証拠上明らかです。これらを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

補充書は指摘します。

「被告人の株式報酬に対する関心は、他のクレディ・スイス証券の従業員と比べても、著しく低かったのである。被告人のほ脱の故意の有無を正しく判断するには、各事実を評価するにあたり、被告人の「株式報酬に対する関心の低さ」という重要な要素を勘案しなければならない。」

また検察の主張の大きな柱は、会社から交付された文書には「会社には源泉徴収義務がない旨明記してあり、それを確認することにより自分で申告しなければならないことは知っていたはずだ」というものです。

特に検察が重視する文書が『メモランダム』と表題のついた紙一枚の株式報酬の支払い通知です。そこには「会社に源泉徴収義務がないこと」「個人として税の申告義務の法令遵守のためにアドバイスを受ける必要があること」が英語でディスクレーマーとして表記されています。

私もこの『メモランダム』は見覚えがあり、「見た記憶はあるが、内容まで詳しく読まなかった」と国税局査察部の取調べの最初から述べてきました。株式報酬の株式数を示した表に見覚えがあったため、「見た覚えがない」とは言わなかったものです。

取調べの際に示され、よく読むと、その通知は株式報酬支払いの後に受領したもので、実際の通知はそれより先にメールで行われたであろうことが分かる内容でした。私は株式報酬を受け取るとほぼ同時に全株そのまま売却していいたため、その紙切れの通知をもらった時には株式は既に売却済みで、内容まで詳しく読む必要がないと判断したのだと思います。

そしてこの『メモランダム』を初めとする会社の「指導」に関しても、検察は重要事実をあえて摘示せずに論証しています。

この『メモランダム』には、先に示した記述に続いて「税務当局が株式報酬について監視しており、会社は将来税務当局から尋ねられる可能性が高く、その場合、従業員に無断で株式報酬の内容を税務当局に伝える」旨の記載がなされています。これを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

株式報酬を脱税しようとするなら、関連書類は詳細に検証することは当然であり、この記述がありながら雇用=将来の給与のリスクを取ってまで経済価値を求めた犯行に及ぶことは愚の骨頂だと思われます。

補充書は指摘します。

「検察官は、被告人がメモランダムを読んだと主張するが、かかる記載を見たうえで、なお故意に脱税を行うということは、よほど目先の金に困っていた等の事情がなければ考えられない。しかしそのような事情は被告人には存在せず、検察官はこの点の論証ができないため、メモランダムに上記記載がなされているという重要な事実を摘示しないのである。」

また、クレディ・スイス証券のコンプライアンス部長は、公判において証人として証言した彼の上司である法務・コンプライアンス本部長が英語・注意力ともに業界トップクラスと認める者で、彼の妻は税理士の職にあります。その彼ですら株式報酬を申告漏れしており、夫婦共々株式報酬は源泉収されていると思っていたと取調べで答えています。これを検察は控訴趣意書であえて言及していません。

補充書は指摘します。

「検察官は、「被告人の方がコンプライアンス部長よりも注意力が高く、メモランダムを見て株式報酬が源泉徴収されていないことに気付いたはずである」との論証ができないために、同じメモランダムを受領したときのコンプライアンス部長の認識という重要事実を摘示しないのである。」

また検察は、数年間の厖大な私個人のメールの中から、税金に関する私の発言(例えば、UBSの担当営業とのやり取りで、”W8-BEN”という米国内利子配当の免除措置に関して会話したもの)を取り上げ、「被告人の税金に対する正確な理解及び執着が顕著に認められる」と主張します。

この主張が全く情けないのは、そのメールのほとんどが、株式報酬の確定申告より相当後のベア―・スターンズ証券が買収され、私がカナダに移住するタイミングでの税理士との会話であったり、税務調査開始後の税理士や友人との会話であったりで、株式報酬の確定申告時の税知識を伺わせるものではないことです。これで裁判官が引っ掛かると思っているのであれば、相当裁判官もなめられたものだと思います。

補充書は指摘します。

「本件は複雑な節税スキームの適法性が問題となっているような事案ではない。申告所得に株式報酬が漏れていたという単純な事案である。もとより被告人は株式報酬も給与である以上申告すべきものと理解していたのであり、税に関する被告人の知識の有無や程度によって故意の有無の判断に影響があるものではない。重要なのは、確定申告についての被告人の「知識」ではなく被告人の「意識」である。」

税の知識であれば税理士を妻に持ち、かつ職務がコンプライアンス部長という者の方が多分私よりはあるでしょう。その彼ですら申告漏れであった以上、税務に関する知識と故意性は関係がないと言えます。私の税申告の意識は前述した通り、6年間も税理士が確定申告を怠っていたにもかかわらず、私は税理士に資料を送付していただけで申告したつもりになっていた程度のものでした。

結局のところ、この事案での最大の争点は、サラリーマンの常識である「会社給与の所得税は天引きである」という、心理学用語で言うところの「確証バイアス」をひっくり返すだけのきっかけや機会が私にあったかどうかという点です。

人は見たい物しか見ず、聞きたい物しか聞かないということを私たちは経験上よく知っています。一審の判決は、そうした経験則を基に検察の立証は十分ではないと判じたものです。

それに対して、検察が控訴して主張していることは、「そんな経験則はない。気付いたはずであり、知っていたはずだ。」という推認です。

しかし、検察はその控訴趣意書の中で、自ら「確証バイアス」とはどういったものであるかを実証しています。

『検察官自身が、「人は思い込みがあると、実際に見ているものについて、それを別のものと間違って認識することがある」という経験則を明らかにしている』と題され、別に章建てして強調された補充書の主張を引用します。

「東京地方検察庁のXX検察官は、「How are you? I hope you are fine.」を「お元気ですか?私は元気です。」と和訳した捜査報告書を作成し、東京高等検察庁のxx検察官は、これをそのまま裁判所に証拠として申請した。しかし、「I hope you are fine.」は「お元気のことと思います。」といった意味であり、「私は元気です。」などという意味はない。誤訳である。

検察官は、刑事訴訟の知識と経験を有し、刑事裁判における証拠の重要性を十分に認識している。従って、検察官が、ある英文の和訳を証拠として作成する場合には、間違いのないよう慎重に英文を確認して和訳を作成するものであり、また証拠申請の際には再度慎重に確認するものである。

他方、「I hope you are fine.」に「私は元気です。」などという意味がないことは中学生でも分かるものであり、検察官が分からないということは考えられない。そうすると、XX検察官は内容虚偽の捜査報告書を故意に作成し、xx検察官は内容虚偽の捜査報告書を認識しながら裁判所に証拠を申請したということになりかねない。しかし、「I hope you are fine.」を「私は元気です。」と和訳した捜査報告書が証拠採用されても、些かも被告人の故意を裏付けるものではなく、検察官が故意に内容虚偽の捜査報告書を作成し、申請したと考えるのは不合理である。

そうすると、XX検察官もxx検察官も、この英文を目にし、それぞれの文字を意識的に確認しながらも、「I hope you are fine.」が「私は元気です。」を意味するものと誤認したということになる。しかし、それは何ら不思議なことではない。

すなわち、人は、思い込みがあると、実際に見ているものについて、それを別のものと間違って認識することがあるという経験則が存在するからである。

日本人は、「How are you?」の次には、だいたい「I am fine.」という文章が続くという思い込みがある。そのため、検察官も、「I hope you are fine.」という文章を意識して直視していたにもかかわらず、これを「I am fine.」であると認識し、「私は元気です。」と和訳して、誤りに気付かなかったと推察されるのである。

被告人は、給与所得は全て源泉徴収されているものと思い込んでいたのである。そうした思い込みを有していた以上、仮に、株式報酬が源泉徴収されていないことにつながる情報を被告人が目にしたと仮定しても、おそらくそのことに気付くことはなかったであろうと推察されるのである。ましてや、本件では、株式報酬が源泉徴収されていないことを示す情報を被告人が意識的に見たということすらなかったのである。

はからずも、検察官自身が、本件において論ずべき経験則の存在を、身をもって立証しているのである。」

説明は必要ないかと思います。これ以上強力な「確証バイアス」の立証はないと思います。

補充書の結論です。

「以上のとおり、検察官の控訴趣意書は、無罪方向の重要事実を摘示せず、偏った些末な事実だけを裁判所に提示して誤導を図るだけのものであり、その内容には「詭弁」や「引っ掛け」が多々含まれている。理由ある控訴趣意を論証するものでは全くない。

記録を精査すれば、被告人の無実は明らかである。本件控訴は直ちに棄却されるべきである。」

控訴審初公判は11月15日です。引き続きご注目頂き、ご支援のほどよろしくお願いします。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (312) 「私の無罪判決を不服とする検察控訴趣意書に関し」

ここをクリック→ #検察なう (315) 「検察控訴趣意書に見る検察主張の空疎な論理」

(注2)

ここをクリック→ #検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」

10/24/2013











法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: 訴訟記録等

2013/10/24 Thu. 00:41 [edit]   TB: 0 | CM: 3

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#検察なう (339) 「司法の自殺~名張毒ぶどう酒事件で第7次再審請求棄却決定」 10/21/2013 

#検察なう (339) 「司法の自殺~名張毒ぶどう酒事件で第7次再審請求棄却決定」 10/21/2013

(強制捜査から1770日、控訴審初公判まで25日)

名張毒ぶどう酒事件の冤罪被害者奥西勝氏とその弁護団が申し立てをしていた2002年以来の第7次再審請求の棄却が決定しました。微力ながらも奥西氏を支援してきた者の一人としては残念でなりません。

この事件の審理では一審無罪判決及び再審開始決定と2度まで裁判官により無罪相当の判断がされています。それにも関わらず、何としても有罪を取ることだけを考える検察と、確定判決を覆すことにより何らかの秩序が乱れると考える裁判官によってその判断は覆されてきました。

私は断言します。これが裁判員裁判であれば、100回やって100回とも無罪になる事案です。

無辜の奥西氏を検察と裁判官は死をもって葬ろうとしています。確定判決あるいは検察の主張と「矛盾がない」というだけで、「矛盾もありうる」という可能性に目をつむった判断は、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事司法の大原則をドブに捨てるようなものです。

検察と裁判官は、自らの過ちを認めなければ、それで自分たちは絶対に正しいという無謬性は維持され、いずれは忘れられるとでも思っているのでしょうか。ここにはやはり捜査権力及び司法の「引く勇気」の欠如が根本原因としてあるように思えます。

人はパーフェクトではありえません。しかし、その過ちを自ら認めることで、よりパーフェクトに近づくことはできます。捜査当局や裁判官のパーフェクトであろうとする意識が、彼らに過ちを認めることを許さず、かえって自らの首を絞めているように思えます。そして国民は愚かではないため、確実にその過ちを見抜いています。

奥西氏を獄死させることは、捜査権力及び司法が自らの過ちを正すチャンスを永遠に失うことを意味します。その瞬間に、国民の彼らに対する信頼感は崩壊します。そうした危機感を検察、裁判官はもつべきです。今回の再審請求の棄却は司法の自殺というべきできごとです。

この件に関する江川紹子氏の最新記事をお読み下さい。

ここをクリック→ 「名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う」 江川紹子氏(Yahoo!ニュース)

ここでなされた3つの提言はいずれも重要な指摘だと思われます。

1) 今日であれば裁判員制度が適用されるべき事案の再審請求審においては、公判前整理手続で求められる程度の証拠の開示はなされるべきである。

2) 再審開始決定は相当に重い判断であり、検察はその決定に対して異議申立をすべきではなく、その主張は再審においてなされるべきである。

3) 確定判決を覆すことになりうる再審は、職業裁判官によっては開始に消極的になりうるため、再審請求審には市民の参加を求めるべきである。

奥西氏に残された時間はあとわずかです。しかしその命の灯が立ち消えるその最後まで諦めるべきではありません。まだ彼は生きて、そして自らの無実の罪を晴らそうとしています。我々一人一人ができることから始め、最後までその努力を継続するべきです。彼の無念を思えばできるはずです。

「冤罪ファイル その1」を再掲します。このブログを書いた時には、地方ネットワークでしか放映されなかった『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』も全国で劇場公開されています。まだご覧になってない方は是非ご覧下さい。

ここをクリック→ 冤罪ファイル 「名張毒ぶどう酒殺人事件」

ここをクリック→ #検察なう (278) 「映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』観賞」

ここをクリック→ ブック・レビュー 『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』 東海テレビ取材班著

再審請求審において全員一致で棄却決定をした最高裁第一小法廷の裁判官は以下の4人です。

櫻井龍子裁判官(裁判長)
ここをクリック→ 櫻井龍子裁判官(裁判所HPより)

金築誠志裁判官
ここをクリック→ 金築誠志裁判官(裁判所HPより)

白木勇裁判官
ここをクリック→ 白木勇裁判官(裁判所HPより)

山浦善樹裁判官
ここをクリック→ 山浦善樹裁判官(裁判所HPより)

「人を裁くことの重さを噛みしめ、自己研鑽に努め、公平で、公正な判断ができるよう心して」(櫻井龍子裁判官)判じたのであれば、このような結果は出ないはずです。

そして、もし万万が一奥西氏が有罪であったとしても、44年間もの間死刑囚として獄につながれてきたことで償いはなされたという慈悲の心が裁判官に微塵もなかったことを悲しく思います。

FREE OKUNISHI !!

10/21/2013














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category: 名張毒ぶどう酒事件

2013/10/21 Mon. 01:37 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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ブック・レビュー 『刑務所のすべて―元刑務官が明かす』 坂本敏夫著 

ブック・レビュー 『刑務所のすべて―元刑務官が明かす』 坂本敏夫著

刑務所のすべて―元刑務官が明かす

塀の中の世界は、一般人には伺い知ることが難しい。映画のシーンを見て想像するだけである。この本は元刑務官により書かれており、非常に正確な情報から構成されている。そしてこの本が優れているのは、単なる情報だけではなく、現場を直視した者の有益な意見が盛り込まれているからである。

著者が問題視しているのは、最近の厳罰化により、無期懲役が終身刑化し、長期懲役受刑者が増え、刑務所のキャパシティーが不足したり、受刑者から前向きな気持ちが奪われているというものである。

刑務所の問題を考える時、私がいつも思い浮かべるのは、非常に不適当な連想であることを覚悟の上で言えば、ゴミ処理場のことである。ゴミをただ単に捨てていけば、いずれゴミ処理の場所が不足するし、環境にも優しくない。リサイクルがエコロジカリー・フレンドリーなのは言うまでもない。受刑者も社会に還元して、社会の発展に寄与させる視点が必要であると思う。

日本の刑務所もそうした努力をしていることが、この本を読んで理解したが、その効果は十分ではないようである。

「刑務作業製品の即売会などで売られる工芸品や家具などは、それは見事なものだが、出所後その技能を活かして家具職人になったという話はついぞ聞かない。そういった職場がないのだ」

また不況により企業が生産拠点を海外に移すことによって、刑務所作業の受注も減少している実態が語られている。社会が刑務所及び受刑者、「刑務所帰り」を自らの一部として有機的に結合していない現状がそこにある。

語るのは易く、解決のハードルは非常に高いが、まずは現状を知り、問題点を知り、前進の方策を考えることが必要である。この本はそのための一助となることは間違いない。

勿論、これから入所を予定している人の実用書としては申し分ないことを付け加えておく。

ここをクリック→ ブクレコ 『刑務所のすべて―元刑務官が明かす』
















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2013/10/20 Sun. 04:04 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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#検察なう (338) 「虚偽自白について」 10/17/2013 

#検察なう (338) 「虚偽自白について」 10/17/2013

(強制捜査から1766日、控訴審初公判まで29日)

「虚偽自白」。文字通りそれは「真実とは違うことを自ら白状する」ことを意味します。PC遠隔操作事件以来、最近の流行り言葉のようですがそれを聞いて皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。何か拷問に近い肉体的あるは精神的に苦痛を与えられて追い詰められ、捜査当局の言うがままの白状を強要されるシーンを思い浮かべるでしょうか。

虚偽自白を防ぐ手立てとして、前2回のブログで論じた取調べの可視化が有効であると思われている方も多いのではないでしょうか。あるいは「自分は真実を貫くため絶対屈しない。虚偽自白なんかしない」と思う方もいるかもしれません。

虚偽自白のはっきりとしたデータがあるわけもないのですが、私は虚偽自白の多くは自発的なものであり、何ら強要されることなくなされると考えます。虚偽自白がもし自らの意思でなされた場合、取調べをいくら可視化したところでこうした虚偽自白は防ぐことができないことはお分かりかと思います。

映画『それでもボクはやっていない』の一シーンをそのシナリオ原稿から拾ってみます。

警察署内の留置所、いわゆる「代用監獄」の接見室で主人公の徹平と国選弁護人の浜田が接見するシーンです。

徹平 「(刑事が)嘘をつくな。このまま裁判になっても勝ち目はないぞ。認めて罰金を払ったらすぐ出してやる。そればっかりだ。だけど本当にやってないんだ」
浜田 「・・・・・裁判は大変だよ」
徹平 「・・・・・?」
浜田 「はっきり言うけど、この種の軽微な事件でも、否認してれば留置場暮らしだ。裁判にでもなれば、被害者証言が終わるまで、へたをすれば三ヶ月くらい出てこられない。僕は半年勾留されてた人を知ってる。当時、認めりゃ罰金五万円の事件だった。その上、裁判に勝てる保証は何もない。有罪率は99.9%。千件に一件しか無罪はない。示談ですむような痴漢事件で、正直、裁判を闘ってもいいことなんか何もない」
徹平 (唖然としている)
浜田 「もちろん、弁護士として、やってはいない罪を認めろと勧めることはできない。でも、これが日本の現状だ。認めて示談にすれば、誰にも知られず、明日か明後日には、ここを出られる」
徹平 (じっと弁護士を見て、言われていることの意味を理解しようとするが、頭が混乱している)
浜田 「いいかい、このまま否認してれば、三週間はここで取調べを受ける。それで起訴されれば裁判だ。無罪を争えば、まず一年はかかる。その上、本当に無実でも、無罪になる保証はない。今認めて示談にすれば、それでお終いだ」
徹平 (あまりの展開に唖然として声も出ない)
浜田 「示談するなら、すぐにお金が要る。誰か身内でお金を用意してくれる人はいるかな」
徹平 「・・・・・やってないんだ」
浜田 「(徹平の切実な言葉に)そうだね。悪かった。だけど裁判は大変だ。多分、君には想像できないくらいに」

ここをクリック→ 周防正行監督 『それでもボクはやってない』 予告編

私も、全く同じ経験をしています。刑事告発された後、人づてに紹介された弁護士と会いました。彼が私の説明を聞いた後に言った言葉は「ご存知かどうか分かりませんが、刑事裁判では無罪を取ることは非常に困難だというのが現実です。積極的に勧めるわけではありませんが、納得することも必要です。痴漢の冤罪と同じですよ」というものでした。

私は、その瞬間に「こうして冤罪というものは作られるのだな」と冤罪製造のシステムを見切ったと直観しました。社会そのものが冤罪を作るマッチポンプとなっています。弁護士のような「物が分かった人」に言われれば、仕方ないと不本意ながらも虚偽の自白をする人は少なくないのではないでしょうか。

「自分は絶対真実を曲げて自白はしない」と思っている人も、もし否認をすることで数ヶ月間逮捕勾留され、仕事を失い、その後も裁判で多大な時間とお金を失うことになり、しかも無罪を得ることは絶望的に低い確率であることを知れば、気が変わる人もいるのではないしょうか。

それが「人質司法」と言われるものです。

その具体例です。PC遠隔操作事件の公判前整理手続後の弁護団による記者会見の一幕です(1分動画、9/24/2013収録)。

ここをクリック→ PC遠隔操作事件に見る人質司法

また郵便不正事件でフロッピー・ディスクのデータ改ざんをした前田元検事を犯人隠避した罪により一審、二審ともに有罪、上告を断念して有罪が確定した大坪弘道元大阪特捜部長の著書『勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか』には、検察が自白を得る手段として「人質司法」を活用している様が現場にいた人間の言葉で生々しく書かれています。

「否認する被疑者の保釈を阻み、長く拘置所に閉じ込めておくのは、検察の常套手段である。これを人質司法という。否認を続けると保釈が容易に認められず長く勾留されてしまうのでは......という被疑者の不安・恐怖心理を利用し、自供を迫る。それをほのめかすか、暗黙のうちにやるかは人それぞれだが、これは検察官の大きな武器である。弁護士接見の拡大、被疑者国選弁護人制度の導入など、検察に対して種々の掣肘(せいちゅう)が加えられる中にあって、ある意味で検察に残された唯一のカードがこの人質司法である」

「人質司法」は否認をしている被疑者の自白強要の手段として捜査当局に使われていますが、その実態を知った被疑者がそれを怖れて避けるため、自発的に虚偽自白をする要因にもなっています。

「人質司法」を是正するには、この誤った刑事司法手続きに数多くの被疑者が累々と身を投じ、その犠牲者が声を出し続けて、社会が「人質司法」を許さないという沸点に達するまで我慢し続けるしかないと分かっています。また、それを怖れて虚偽自白をすることは「人質司法」を許すことに等しいとも思います。しかし、現状の刑事司法で無実の者が否認をすることのダメージは、その期待リターンに比してはるかに大き過ぎます。

逮捕されずに、そして無罪判決を得た私ですら、いや敢えて言うならそうした私だからこそ、逮捕され、しかも無念の有罪判決となった人たちの苦難が分かります。それを考えると、「無実ならそれを貫くのがあるべき道だ」と安易に言えない自分がいます。

私が否認をすることを決意したきっかけは、虚偽自白を勧めてくれた友人のおかげです。告発の報道の後、「やってないんだ」と言う私に、友人の多くが「それなら認めちゃだめだよね」と言ってくれました。その中で一人だけ、彼の知り合いの弁護士に話をして、私に連絡をくれました。

「おっさん(彼にかかると仲のいい年長者はみんな「おっさん」呼ばわりです)否認してたら逮捕されるよ。風河(私の息子の名前です)のこと考えたら、絶対逮捕は避けた方がいいって。また報道されるし。慎重になった方がいいよ」

私もそうした事情は知っており、彼の言葉までは逮捕に正直ビビってました。でも「息子のことを考えたら」という言葉でむしろふっ切れました。しかし、いまだにその決断が正しかったかどうか迷いが全くないわけではありません。もう5年も正義を求めて戦っていますが、さっさと諦めて仕事をしていればよかったのではないか、と考えることもあります。やってないことはやってないとしか言えない選択以外自分ではできないことは百も承知しているのですが。

自分にそうした迷いがあることが、人にも「無実なら否認を貫くべき」だと強く言えないことにつながっているのだと思います。

「人質司法」を怖れて無実でありながら自発的に虚偽自白をすることが、冤罪の温床になっていることの決定的な打開策を私はこの時点では持ち合わせていません。是非、皆さんもこの問題をご理解頂き、一緒に考えて頂ければと思います。

10/17/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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2013/10/17 Thu. 04:02 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (337) 「取調べの可視化を巡る再考察 Part2 ~ NHKクローズアップ現代『可視化はどうあるべきか』 」10/14/2013 

#検察なう (337) 「取調べの可視化を巡る再考察 Part2 ~ NHKクローズアップ現代『可視化はどうあるべきか』」 10/14/2013

(強制捜査から1763日、控訴審初公判まで32日)

前回に引き続き取調べ可視化を議論します。前回の内容が応用編なら、今回は基本編です。

ここをクリック→ 応用編

取調べ可視化の現状や問題点をよく捉えた資料として、NHK制作番組、クローズアップ現代『可視化はどうあるべきか~取り調べ改革の課題~』を取り上げます。

9月24日放送のこの番組は、放送された内容のほぼ全てがテキストでご覧頂けます。

ここをクリック→ NHKクロ現『可視化はどうあるべきか~取り調べ改革の課題~』テキスト

動画で見る方がインパクトは強いということもありますが、テキストですとじっくり読めるという利点もあります。

番組は冒頭、村木厚子氏のインタビューで始まります。

「いきなり連れていかれてリングの上に上がってみたら、向こうにプロのボクサーが立っている。レフェリーもいないし、セコンドもいない。そこで逃げられない、ここで戦えと言われる感じ」

取調べの状況を実によく表したコメントです。「つかみはオッケー」で番組は始まります。

番組の目玉は、「可視化が無罪の決め手に」と題した、取調べ可視化によるDVD映像が実際に検面調書の信用性を疑わせる結果となり無罪につながったという取材に基づく部分です。特にこの番組は、NHKの「自主規制」により一旦は番組放送が見送られる経緯があり、相当すったもんだした挙句の放送でしたので、問題となった部分をそのまま放送するのかどうか注目されたものです。

ここをクリック→ #検察なう (300) 「『クローズアップ現代』「取調べ可視化」番組放送延期問題について」

問題の部分をそのまま放送したNHKの英断に「あっぱれ!」です。

番組の中で、私が一番「おーっ!」と思ったのは、「取調べ可視化 効果は」と題した部分での、社会部記者とやり取りする女性アナウンサーの次のコメントです。先の番組内容のテキストは、番組内容をほぼ逐語的に全部分文章に落されていますが、女性アナウンサーのコメントだけは端折られています。

「パソコンの遠隔操作で脅迫メールが送られた事件では、捜査当局によって虚偽の自白に基づいた調書が作られ、村木さんの事件では誤認逮捕された上に証拠が改竄され、検察に対する信頼が失墜していると言っても過言ではないという状況ですけれども、刑事司法の信頼を取り戻す上でも鍵とされるこの可視化の議論がなぜまとまらないんですか?」

天下のNHKが「検察に対する信頼が失墜している」と言ってのけるのは歴史が動き始めている証しだと一人感動していました。さすが(N)日本が(H)誇る(K)公共放送です。

それに対する社会部記者のコメントは取調べの可視化の現状及び問題点をよくまとめています。引用します。

「これまで日本では、捜査ではこの取り調べ、そして裁判では、取り調べの結果に基づいた調書によって判決を出すというやり方が長く続いてきましたので、これを変えるのに時間がかかっているという面はあります。

国の審議会で今、議論をしているわけなんですけれども、弁護士の側は、取り調べの全過程を可視化するべきだと、それを義務づけるべきだと主張しています。一方の捜査機関側は、可視化を導入するということは受け入れているんですけれども、どの部分を録画するかというのは、取調官の裁量に任せてほしいと主張しているわけです。

特に警察は、暴力団、あるいは振り込め詐欺といった犯罪では、組織からの報復を恐れて、録音・録画されていると真実を話せなくなると、捜査に支障が出るということを主張しています。

そして、また海外に比べて、通信傍受が限定されているということですとか、捜査手法が制約されているので、可視化を全面的にされると、これは治安を維持できないと、こういうことを理由にしているわけです。

(しかし、村木さんの無罪判決が出てから、すでに3年たっていますよね?)
これは、議論を急ぐべきです。村木さんの事件ですとか、パソコンの遠隔操作の誤認逮捕といったことで分かったのは、取り調べによって真相を解明するというよりも、かえって真相からかけ離れていってしまうと、こういうケースがあるということなんですね。この改革を迫られている捜査機関の側が、どこまで録画するかは裁量に任せてほしいと言っても、それは説得力がないと、こういう批判もあります。一刻も早く議論を進めて、可視化をどうやって導入するのか、形にしていく必要があります」

ここでも取調べの現状が、「真実を解明するというよりも、かえって真相からかけ離れていってしまう」と言い切っているのもNHK番組制作サイドの矜持を示しています。

ここでの内容については、前回のブログで取り上げた部分可視化の動きとその危険性を指摘しています。また取調べ可視化とバーターに捜査当局は通信傍受の拡大(いわゆる「盗聴」(注))を狙おうとしていることにも言及されています。窃盗犯が盗んだものを返す代わりに金を出せと言っているように聞こえるのは私だけでしょうか。「治安の維持が損なわれる」というのが捜査当局のお題目ですが、ただでさえ治安のいいこの国で重大な人権侵害を犯しているのは捜査当局であるという自覚が足りないように感じます。

そして番組が取り扱った内容で、非常に重要なのが「“映像で有罪に”検察の新たな動き」と題する部分です。これまでは既得権を失いたくないと取調べ可視化に抵抗してきた検察ですが、世の中のこの問題に関する認知度上昇から、イメージダウンにつながり得策ではないと考え、それならむしろ可視化を自分たちに利するよう活用しようとする動きを取り上げています。

社会部記者の言う「海外では、取り調べに弁護士が立ち会うという制度がある国も多くあります。日本でも、こういう制度を検討すべきだという主張もあります」というコメントは若干遠慮がちです。先進国の中で取調べに弁護士立ち会いがディフォルトでないのは日本だけで、アマチュアボクサーがプロボクサーとリングで戦うためにはプロのセコンドが絶対に必要だと言うべきです。

前回ブログでも紹介した日弁連パンフレットのp.8を是非ご覧下さい。昨今の日本相撲界で出身力士の活躍が目立つモンゴルですが、取調べの全面可視化は施行されていないものの、弁護人の立会いは認められています。モンゴルには相撲の熱意のほかにも学ぶところはありそうです。

ここをクリック→ 日弁連パンフレット 『取調べの可視化で変えよう、刑事司法』

前回ブログでも繰り返し述べたところですが、取調べ可視化は手段であり、目的ではありません。何を最終的なゴールとすべきか。その先を見て、周りの情勢を敏感にキャッチして柔軟に方向性を修正しつつ、タフに議論を継続する必要があります。

郵便不正事件を契機に、刑事司法改革の議論が盛り上がった時には、我々の子供の時代には今よりよくなっていることを期待しましたが、現状は、我々の子供の時代の方がむしろ悪くなるかのようです。法務検察組織の知力に拮抗するだけの英知を、広く涵養する必要があります。

(注)
Wikipedia 「盗聴」より

刑事訴訟法上の「盗聴」は「公開をのぞまない人の会話をひそかに聴取または録音すること」と定義される。この定義は対象を会話に限定しており、会話そのままの盗聴と有線通信の盗聴に区分される。

盗聴が捜査方法として許容されるか、許容されるとしてもいかなる要件の下でか、ということについては争いがあるが、捜査機関による有線通信の盗聴(傍受)については、日本国内では2000年8月15日に通称通信傍受法(正式名称「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」)が施行され、電話等の盗聴を含めた通信傍受による捜査が一定の要件の下に可能となった。この法律でいう「傍受」とは、「現に行われている他人間の通信について、その内容を知るため、当該通信の当事者のいずれの同意も得ないで、これを受けることをいう(通信傍受法2条2項)」という意義である。この法律に対しては日本国憲法第21条によって保障された通信の秘密が阻害されるとして反対意見がある。

10/14/2013
















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category: 刑事司法改革への道

2013/10/14 Mon. 00:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『ゼロ・グラビティ』 アルフォンソ・キュアロン監督 

フィルム・レビュー 『ゼロ・グラビティ』 アルフォンソ・キュアロン監督

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お化け屋敷に入る人、ジェット・コースターに乗る人がその経験で何を得ようとしているか。もし映画がそれよりもちょっとだけ上質な単なるエンターテイメントでいいと思っている人には、うってつけの映画ではないだろうか。

ストーリーは全くない。予告にある映像が映画開始の5分後に起こり、後はヒロインのサンドラ・ブロックがヒーコラ苦労して地球に生還してチャンチャンという映画。

で、退屈かと言えば、全くそんなことはない。91分という短い映画だが、その8割をサンドラ・ブロック一人で演じる。それが結構ハラハラドキドキ。で、観終わった後は、ジェット・コースターから下りた感じ。それで何も人生が変わるわけではないけれど、その間は楽しかったね、ってね。

主人公は、元々ナタリー・ポートマンとロバート・ダウニーJrが予定されたらしいが、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーで「はまった」と思う。サンドラ・ブロックは暗いところではあまり見たくない顔なんだけど(マイケル?)好演技。

そしてこの映画は3Dで観なければ、多分その魅力の30%くらいしか楽しめないだろう。3Dで観れば、3回自分の顔に穴が開くから。

そして宇宙、特に地球の映像は素晴らしくきれい。こうした映像美術はすごく進化してるね。

原題は"Gravity"なのに、邦題は『ゼロ・グラビティ』。多分、監督(脚本も書いてる)の意図が分かってないんだろうな。ラスト・シーンがなければ『ゼロ・グラビティ』なんだけど。

ここをクリック→ 『ゼロ・グラビティ』 予告編

(Facebook 10/6/13より転載)

















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2013/10/13 Sun. 02:33 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (336) 「取調べの可視化を巡る再考察」 10/10/2013 

#検察なう (336) 「取調べの可視化を巡る再考察」 10/10/2013

(強制捜査から1759日、控訴審初公判まで36日)

取調べの可視化は、言うまでもなく刑事司法改革の重要なテーマの一つです。これまでの経緯と、これからの方向性に関する私見を述べたいと思います。

取調べの可視化は早くから重要視され、日弁連も長年その実施を求めて働きかけてきました。その動きが一気に加速したのは、郵便不正事件を受けて検察に対する世論の批判が厳しくなったことが契機です。

法務大臣の私的諮問機関として設置され、2010年11月に発足した検察の在り方検討会議では、当初、取調べの全面可視化法制化の提言がなされることが期待されました。しかし、江川紹子委員や郷原信郎委員らの努力にも関わらず、捜査当局側委員の抵抗は強く、東北大震災のどさくさに紛れた格好で、2011年3月末をもって会議は尻つぼみの状況で閉会されました。

その提言において、取調べの可視化に関しては、「今後、より一層、その範囲を拡大するべきである」「1年後を目途として検証を実施した上、その検証結果を公表すべきである」「(参考人の取調べ可視化に関しては)被疑者の取調べに関する録音・録画の実施・施行状況を踏まえつつ、更なる検討が行われることが望ましい」と全く迫力に欠ける内容でした。(注1)

議論の場は、法務省の諮問機関である法制審議会に移ります。「新時代の刑事司法制度特別部会」が法制審議会内に設置され、2011年6月から議論が始まりました。

2013年1月、『時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想』が取りまとめられ、以降、この基本構想に基づいて具体的な検討が進められました。

基本構想の中で、取調べの可視化に関しては、二案が提案されました。第一案は「一定の例外事由を定めつつ、原則として、被疑者取調べの全過程について録音・録画を義務付ける。対象事件は、裁判員制度対象の身柄事件を念頭に置く」、第二案は「録音・録画の対象とする範囲は、取調官の一定の裁量に委ねるものとする」というものでした。(注2)

その後、特別部会作業分科会で議論が重ねられましたが、村木厚子委員や周防正行委員の抵抗にも関わらず、取調官の裁量に委ねる部分可視化の第二案も廃案とされず、二案併記の形で、6月に素案として公表されました。

第二案は問題外としても、第一案の幅広い例外規定は、村木厚子委員をして「原則と例外がひっくり返ってしまう」と言わしめるものです。(注3)

そして今月10月中に修正案が発表される予定です。特別部会の最終案に基づく法改正案が国会に提出されるのは来年の見通しです。以上がこれまでの経緯です。

私は、取調べ可視化の行く末に関しては大きな危惧を感じています。実施は早晩なされるでしょうが、それは不完全な形であり、何よりそれでは時間が足りないと思っています。「一日も早い実施を」と思われている方も多いと思われるので、私の意見を述べさせてもらいます。

まず「取調べ可視化の制度化になぜこれほど苦労しているか」という質問に対しての答えは簡単です。それは法改正の叩き台となる提言を作成する法務省が、検察官の巣窟だからです。本来、監督機関である法務省が、外局の検察よりも下位であり、法務・検察組織のトップが法務事務次官ではなく、検事総長であることは実態として知られています。

彼らが取調べ可視化を受け入れ難い理由は、以下の二点です。

まず一点目。検察の最大の既得権の一つが、調書を逐語的に作成しなくていいというものです。日本の裁判では、公判での証言よりも検察官作成の検面調書が信頼されますが(それは「調書主義」と呼ばれます)、そうした状況においては、検察官が思いのまま調書を作れることは有罪を取るためには非常に有効なものです。

検察がこの既得権を容易に手放すわけはありません。取調べの可視化は、被疑者の証言のニュアンスを検察にとって有利に作文することの大きな障壁になります。

そして二点目。検察が公判を有利に進めるためには、被疑者に有利な無罪方向の証拠を事前に「潰す」必要があります。その準備として、取調べでは被疑者にとって有利な事実関係も詳しく調べて対策を練っておきたいものです。これは当然調書には書かれません。ところが可視化されれば、そうした被疑者に有利な証拠も、弁護側や裁判官に知られることになります。

捜査当局が取調べ可視化に抵抗していると聞くと、何か拷問のようなことが行われているのかと想像しがちですが(警察レベルの取調べではありうるかもしれませんが)、検察の取調べはそうした稚拙なものではないと思った方が、この問題をより深く理解できると思います。(注4)

それでは、取調べの可視化を急ぐべきかというと、私は必ずしもそうではないと思っています。なぜなら、取調べの可視化は目的ではなく、それは単なる手段に過ぎないからです。

「取調べの可視化をすべきか」という質問を、夕方のスーパーの買い物帰りの主婦100人に聞けば、「かしかって何?案山子?」という人以外は全て「イエス」と答えると思います。「なぜ取調べの状況を記録しちゃいけないの?何か取調べのやり方にやましいところがあるの?」というのは、自然な疑問です。そしてその取調べの可視化に徹底的に抵抗しているのが検察組織であるというのは、検察の有罪至上主義を喧伝するには実に分かりやすい議論です。世の中の人に広く、そして裁判官にも検察はそういうところであるというイメージを持ってもらうには、「誰しもが必要不可欠と思っている取調べの可視化に対し、検察が抵抗している」という状況を利用しない手はないということです。

冤罪が生まれる非常に大きな要因の一つが、裁判官が検察を盲信しているということにあります。取調べの可視化をする最大の目的は、結局のところ冤罪防止にあります。取調べの可視化をしていかに取調べが適正に近づいても、裁判官が検察を盲信していれば何も変わりません。それより、世の中の人や更に重要な裁判官の検察に対する盲信の排除に寄与するのであれば、現況下でもう少しあがくのもありなのではないかと思っています。

私が危惧するのは、検察も愚かではないため、そうしたことは重々承知であり、既にその対策を講じていると思われるからです。彼らが狙うところは、世の中的には「そうか、『取調べの可視化』ってのは実施されたんだな」というディリュージョンを撒き散らすことです。

そのためには、肉を切らせて骨を断つ必要があります。つまりある程度の譲歩をし、それを針小棒大に誇大宣伝して、世の中の人々に「取調べの可視化はなされた」という誤った考えを持たせることです。そこでは、メディアが最大限の貢献をするものと思われます。

その序章は既に始まっています。先日報道の、検察長官会同(全国の検事長と検事正を招集して一同に会する会議)で、小津博司検事総長の「取調べ可視化は実務的に定着している」というコメントを無批判に垂れ流す報道がそれです。

ここをクリック→ 共同通信「取調べ可視化実務的に定着」

いまだ取調べの可視化が法制化されていない以上、検察が自主的に行う可視化が彼らに利するようなものであることは想像に難くありません。ここで言われている取調べの可視化は、識者が全力を挙げて阻止しようとしている、法制審議会素案の第二案である部分可視化のことです。捜査当局がおいしい部分だけを切り取って公判に提出するこの部分可視化は、取調べの記録を真実に近付けるどころか、むしろ真実から遠ざけるものです。

これを認めるような素案は、さすがに法務省といえども最終的には提出できないと思います。しかし、6月発表段階でこの部分可視化の第二案も排除されなかったのは、それが「これに比べたら、こっちの方がまだましだろう」ともう一つの案に誘導するためのデコイだからです。

人間、選択肢が一つしかないと、それを選択するかしないかを考えますが、選択肢が二つあるとそのどちらかを選択するという結果になりやすいことを利用するものです。「毒と猛毒、どちらを飲んで死にたいですか」と言われているようなものです。

6月発表素案の第一案の問題は、可視化が全面的に行われたとしてもその適用範囲が極端に狭く、例外も多く設けられているからです。特にその適用範囲に関して述べてみたいと思います。

その適用範囲は原則裁判員制度の対象事件とされています。皆さんは、刑事事件のうち裁判員制度の対象となる事件がどれだけあるかご存知でしょうか。対象事件は、一定の重大な事件とされ、例えば殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪などがあります。

年間の刑事事件数は約9万件強ですが、裁判員制度の対象となる事件は、そのうち2.5%から3%に過ぎません。

ここをクリック→ 裁判員制度の対象となる事件の数(裁判所HPより)

つまりこの案を採用した場合、大部分の事件が可視化しなくてもよいということになります。それでは、その2.5%から3%の「重大な刑事事件」で全て可視化が行われることになるかというと、そうではありません。そこには更に悪質なループホールがありえます。

具体的な例を挙げると、先日、私がブック・レビューで紹介した「大阪二児置き去り死事件」を挙げます。(注5)この事件は、裁判員裁判で裁かれました。ちなみに、検察側主張の殺人、弁護側主張の保護責任者遺棄致死のいずれも裁判員制度の対象事件です。しかし、もし裁判員制度対象事件を全て全面可視化することになっても、この事件ですら可視化の対象とならない可能性があります。それは、この事件では当初母親が死体遺棄容疑で逮捕されているからです。死体遺棄は裁判員制度の対象事件ではありません。このように、より軽微な容疑で逮捕して、そこでより重い罪を自白させれば、可視化をする必要はないということになります。

このような可視化の制度化は、なんら取調べの適正化に実効性がないものです。それが法務検察組織の狙いだと私は思っています。

こうした非常に厳しい状況下で、可視化の議論の方向性をどこに持って行くべきか。それには長期的なビジョンを持つことが必要です。

私は、ドイツ型の在り方を目指すべきだと思っています。先進国の中で、唯一取調べの可視化がなされていないのは、日本とドイツだけです。(注6)しかし、ドイツにおいては、公判での証言より調書が重要視されるような「調書主義」ではなく、公判での証言がより重い「直接主義・口頭主義」と呼ばれる在り方です。この実行をサポートするには、法制化の必要はありません。裁判官の意識の変化さえあれば事足ります。つまり裁判官が、密室の中で検察官が恣意的に作成した調書を疑わしいと思い始めれば、現状のように、公判で否認しているにも関わらず、自白調書があるからその否認が否定されることにはならないと思われます。

世の中の意識改革、裁判官の意識改革のために、取調べ可視化の議論は非常に重要です。検察リークの報道に惑わされることなく、何が起こっているかを理解し、正しい判断が求められています。

長期的ビジョンに立ち、可視化の議論によって何を獲得すべきか。最終な目的である冤罪を防ぐにはどうすればよいかを常に考える必要があると思っています。民主主義を守るのは我々国民自らの責務です。今がまさにその分水嶺です。

(注1)
ここをクリック→ 検察の在り方検討会議提言「検察の再生に向けて[概要版]」

(注2)
ここをクリック→ 新時代の刑事司法制度特別部会 「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」

(注3)
ここをクリック→ 「作業分科会における検討」(2013/6/14開催第20回会議資料)

ここをクリック→ 「村木厚子委員発言要旨」(2013/6/14開催第20回会議資料)

(注4)
ここをクリック→ #検察なう (288) 「可視化を巡る考察 ~ なぜ捜査権力は可視化を拒むのか」

(注5)
ここをクリック→ ブック・レビュー 『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』 杉山春著

(注6)
日弁連パンフレット (p.8)
ここをクリック→ 『取調べの可視化で変えよう、刑事司法!』

10/10/2013

















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2013/10/10 Thu. 04:13 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (335) 「ブログ『蟷螂の斧となろうとも』訪問者10万人突破しました」 10/7/2013 

#検察なう (335) 「ブログ『蟷螂の斧となろうとも』訪問者10万人突破しました」 10/7/2013

(強制捜査から1756日、控訴審まで39日)

『#検察なう』も今回で335回目。ブログの訪問者数が累計10万人を突破しました(10/7/2013現在10万2539人)。訪問者数のカウンターが5桁しかなかったので、10万人になったらゼロに戻るのかなと思っていたところ、10万人を越えた時点で6桁になりました。メデタシ、メデタシ。

当初このブログは、嘆願書(注)を書いて下さった支援者の方々に状況を報告するため、『経過報告』と題してメールで送っていたものです。そのため、73回まではタイトルも『経過報告』となっています。それを起訴やむなしとなった時点から、それ以前の経過報告を一気に転載し、以降ブログとして発信しています。

郵便不正事件をまたいで私の事件の告発と検察特捜部の取調べが行われたため、私も弁護団も検察特捜部の「引く勇気」に期待したものですが、そうした自浄作用は結局ありえず、起訴されました。誘拐犯と交渉決裂の結果公開捜査に乗り出すように、それまで非公開のものを公開に踏み切ったというのは、「冤罪はこのようにして作られる」という実況中継を見る特等席に一人でも多くの人に座ってもらおうと思ったためです。

そして刑事司法のことを知れば知るほど、市民感覚ではありえないことが起こっていることを目の当たりにして、どうにかしたいと思いここまで書き続けてきました。自分が冤罪に巻き込まれるまで、仕事に忙殺され全く社会の現実に目を向けていなかった自戒も込め、一人でも多くの人に刑事司法の矛盾や問題点を知ってもらいたいと思っています。それらは特殊な事柄や知識ではなく、義務教育の一部にしても何らおかしくない、一般人の素養だと思えるものです。

これまで書いてきたアーカイブを検索しやすくするため、カテゴリを分けました。是非、過去のブログも閲覧してみて下さい。ブログの右欄にリンクがありますが、ここでそのリンクを紹介します。

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ここをクリック→ #検察なう 訴訟記録等

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法改革への道

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ここをクリック→ #検察なう 支援者の方へ、支援者の方から

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ここをクリック→ #検察なう 刑事事件一般その他

多くの方々の支援の声も頂き、その都度勇気を得ています。控訴審もあと1ヶ月あまりで開始します。変わらぬご支援をお願いします。

と、アップビートで今回のブログを締めくくろうと思っていました。神保哲生氏出演のラジオ番組を聞くまでは。その番組は9月30日にTBSラジオで放送されたものです。

彼の主張するところは、検察は社会の「暴力装置」であり、彼らの腐敗は民主主義の根幹に関わる問題であるとするものです。12分の番組です。お時間のある方は全編、ない方は終わり3分だけでも是非聞いてみて下さい。

ここをクリック→ TBSラジオ 『荻上チキ Session22 神保哲生の注目ニュース』 9/30/2013

(sorano mukouさんの動画より)

彼のコメントの最後の部分を以下に引用します。
「あそこまで(検察組織の)力が集中してしまうと、捕まって自分がやったような情報がリークして流される、しかもそこで自分が抵抗しても、そのような形で証拠を押さえられて、実際、起訴されたら有罪になる可能性が99%を越える。ということは、むしろ自白をしてしまった方が罪は軽くなるわけでしょ。最後まで認めなければ、当然罪は重くなるわけですよ。で、どっちみち有罪になるんだったら、やってなくてもやったって言った方が合理的になってしまっている。よっぽどついていて、やってないって言った結果、無罪を勝ち取ることが万に一つなんだけど、それは文字通り本当に万に一つなんだけど、でもその間戦っている間、ずっと向こうは控訴してきますよ。最高裁まで行きますよ。その間ずっと被告人ですよ。社会的な地位も何にもないですよ。日本のおかしな司法、あるいは日本の民主主義を正すために、自分がそれこそ捨て石となってですね、最後まで戦って無罪を勝ち取ったとして、それが果たしてどの程度意味があるかということを絶対考えちゃうはず。」

この12月で強制捜査から5年間になります。その間、私は多くのものを失ってきました。故意を認めた同僚は告発されず、告発された後でも否認することで捜査、公判に失われた時間。その間の経済的損失だけでも少なくありません。金の亡者というのが検察の描く私の人物像ですが、否認は脱税犯としては到底合理的な行動ではないと思われます。

そして単に貨幣価値だけではなく、それ以上に重要なことは、仕事という生きがいや多くの友人を失う結果になったことです。事件の真実を知ろうとしない人からの中傷もブログのコメントに書かれることもあります。

この戦いにどれだけの意味があるのか。神保氏の言っていることは正鵠を射ています。そしてそれは私の胸も貫きました。その答えを私は残りの人生を懸けて探し求めるのだと思います。

(注)
ここをクリック→ 嘆願書まとめ

10/7/2013















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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2013/10/07 Mon. 03:13 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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ブック・レビュー 『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』 杉山春著 

ブック・レビュー 『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』 杉山春著

ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件

2010年7月に大阪で起こった二児置き去り死事件のルポ。3歳と1歳半の遺体の凄惨な状況と、母親が遺体発見後も男と遊び回っていたことから世間の耳目を集めたショッキングな事件である。

事件の真相は思いのほか複雑である。それは、彼女が最初から子供を疎んじていたわけではないからである。

彼女は、子供の頃から愛情を受けて育ったわけではなかった。小学校時代に、母親の浮気が原因で両親が離婚。父親に引き取られるもその父親からネグレクトされる。中学校時代から非行に走り、集団レイプの被害に会いその晩に自殺未遂。高校一年の時に誘拐窃盗で少年院に入る。知り合いの家に引き取られた後も家出を繰り返すが、高校三年の時に「人間が変わったようにいい子」になる。高校卒業後、地元の割烹店に就職し、アルバイトの大学生と結婚。彼は妻の妊娠を知ると、大学を辞めて働き始めた。二人の子供の父親である。

彼女は、一時的ではあるが普通の幸せな結婚生活を送っていた。布おむつと母乳で育てることにこだわり、近所や家族の評価も「絵に描いたような幸せな若い夫婦」だった。その幸せを彼女はいとも簡単に放り出してしまう。離婚は、まったく理由が分からない彼女の浮気が原因だったようである。

離婚後、子供を引き取るが、元夫や家族からの経済的援助や精神的援助も断たれ、彼女は孤立してしまう。風俗業で働き始め、男と遊び回る生活が、内面の崩壊と子供のネグレクトへとつながっていく。

公判で、彼女は一貫して殺意を否定する。しかし、もし子供を殺すつもりがなかったのであれば、道端に捨てることくらいはできたのではないだろうかと考えてしまう。そうすれば二人の幼い命は失われなかったかもしれない。ネグレクトしながらも、母親であろうとしつづけたのだろうか。

印象的な挿話は、彼女自身のものではなく、筆者が3・11直後に避難所で経験した光景である。その部分を引用する。

3・11の大地震から十日ほどたった頃、首都圏の避難所で、私は一歳半の息子を抱えて原発事故から逃げてきた若い母親から話を聞く機会があった。
大きな体育館に段ボールを敷き詰めた居住部分で、子どもは弱々しく寝てばかりだった。母親は無表情で、ほとんどわが子の相手をしなかった。シャワー担当のボランティアから、母親が子どもに熱湯を掛けたという話が伝わり、支援者たちは顔色を変えた。
母親から少しずつ話を聞いてわかったことは、この二十五歳の女性は、親族がおらず、持ち合わせの金も乏しく、貯金もなく先行きの見えない不安に耐えていた。両親は離婚。母はその後死亡。自分自身は、DVを受けて夫から逃れる身だった。
その後周囲の支援を受け、生活保護の受給と借り上げ住宅が決まり、生活の基盤ができた。
その日、彼女はわが子に頬ずりをして思いがけない優しい顔を向けた。あの彼女にこんなに穏やかな表情ができるのかと心底驚いた。子どもも急に成長を始めた。感情を出し、絵を描き、支援者の間を走り回った。
彼女は後になって「避難当時は子どもさえいなければと思っていた」と教えてくれた。
助け手がいて、安心して暮らせると分かった時、母親の表情はこれほど和らぐのか。その中で、子どもは子どもとしての大切な時間を過ごす。子どもたちが安全に、守られて暮らすためには、どれほど母親の安全と安心が必要か。
(引用以上)

公判では、弁護側は解離性障害を主張し、検察側は未必の故意を主張。最高裁まで争われたが、判決は有期刑の最大限である懲役三十年で確定。

彼女の周囲の人たちの関与や、行政の関与も本の中で触れられているが、誰が責任を取るべきかという結論を求めていない。いかに責任ある者を適切に罰したところで、世の中のネグレクトが減るわけではない。この問題では刑罰に抑止力はない。それは対症療法では根治できない病気に似ている。

ジャーナリズムの責務が司法と異なるのは、視点が将来に向けられていることである。我々の関心事も、この事件において誰が幼い命が失われたことの責任を取るべきかよりも、この事件を通して、いかに将来のネグレクトを減らすことができるかを考えることであるべきである。その問題提起に、この本は十分な役目を果たしているのではないだろうか。

失われた命を取り戻すことはできないが、彼らの死を無駄にしない努力が必要である。幼い二人の冥福を祈る。

ここをクリック→ 文月メイ 『ママ』















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2013/10/06 Sun. 01:29 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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冤罪ファイル その11 「北稜クリニック事件 / 仙台筋弛緩剤えん罪事件」 

冤罪ファイル その11 「北陵クリニック事件 / 仙台筋弛緩剤えん罪事件」

「北陵クリニック事件」と聞いても知らないと思われる方も、「筋弛緩剤点滴殺人事件」と聞けば思い出されるかもしれません。事件当初は大々的に報道された事件も、今では忘れ去られているのではないでしょうか。

結論から言います。これは結婚を目前に控えた当時29歳の青年が、無実の罪で2001年から現在に至るまで自由を奪われ、今なお無期懲役の冤罪と戦っている事件です。そして冤罪といえば真犯人が別にいるというのが通常のケースですが、この事件では真犯人はいません。事件そのものが「幻」だからです。

事件当初の報道では、
「病院で原因不明の急変患者が続出し、いずれのケースにおいても准看護師であった守大助氏が関与していた」
「病変の症状は筋弛緩剤中毒によるものと思われる」
「患者から採取された血清、尿、及び点滴液から筋弛緩剤が検出された」
「守大助氏は逮捕初日に犯行を自供した」
とされました。

これら報道の内容だけからすれば、これは明らかな犯罪で、犯人は守大助氏に違いないと思ってしまうのではないでしょうか。そして、これも捜査当局のリークに踊らされたメディアによって作られた犯罪の一つです。

私がこの事件を調べ、すぐ分ったことで疑問に感じたことは「筋弛緩剤は、外科手術の際に使用され、筋肉や内臓が動いて手術の妨げになるのを抑制する非常にポピュラーな薬品で、静脈注射によって投与される」という点です。

例えば睡眠薬でも人は死ぬことがありますが、それはオーバードーズが前提です。筋弛緩剤では、静脈注射で投与して安全なものが、点滴でゆっくり投与して危険なんだろうかと思ったものです。この懐疑心が正しかったことは、詳しく後述させて頂きます。

<事件経緯>
2001年1月6日、宮城県警は北陵クリニックに勤務していた守大助氏を「入院中の小6(当時11歳)女児の点滴ボトルに筋弛緩剤のマスキュラックスを混入し、意識不明の重体に陥らせた」として殺人未遂容疑で逮捕します。事件を理解する上で、非常に重要なポイントは、守氏の同僚ほか病院関係者のみんながこの逮捕に驚いたことです。それまで「事件」は存在しておらず、警察による守氏の逮捕が「事件の発端」です。

守氏逮捕に至る経緯は次のようなものでした。

1)2000年12月1日、北陵クリニックの実質的経営者である半田康延氏が、同じ東北大学大学院医学系研究科の法医学教授を訪れ、クリニック内で頻発していた患者の急変について相談。

2)その法医学教授は、筋弛緩剤が患者に投与されているのではないかと疑い、宮城県警に情報を提供。

3)12月2日、北陵クリニック副院長であり半田氏の妻である郁子医師が警察からの呼び出しに応じて出頭し、その後診療録やタイムカード等を提出。

4)12月4日、警察からの強い要請により、半田氏が守氏に依願退職指示。

5)その後、警察が守氏への張り込みや尾行を開始。

そして情報提供からわずか1ヶ月余り後の2001年1月6日に守氏は逮捕され、その後、1件の殺人、4件の殺人未遂の容疑で起訴されます。

<裁判経緯>

2001年 7月11日 仙台地方裁判所第一回公判。その後156回もの公判を経る。
2004年 3月30日 無期懲役判決(畑中英明裁判長)。弁護側即日控訴。
2005年 6月15日 仙台高等裁判所第一回公判。
     7月29日 逮捕から4年6ヶ月を経て、接見禁止が解除
     10月 5日 弁護側の鑑定請求を却下し、第四回公判で結審
2006年 3月22日 控訴棄却(田中亮一裁判長)。弁護側即日控訴
2008年 2月25日 上告棄却
2012年 2月10日 再審請求
2014年 3月25日 再審請求棄却
2014年 3月28日 弁護団即時抗告

逮捕から実に4年半も保釈が認められず、家族すら会えない接見禁止であったことは、非常に悪質な「人質司法」です。

そして控訴審での訴訟指揮は、相当ひどいものだったようです。

Wikipedia「筋弛緩剤点滴事件」より
「控訴審では弁護側は有罪判決を支えた鑑定結果の証拠能力を崩すため、外国論文などを新たに提出し、裁判所による独自鑑定や、点滴混入時の薬効を調べるコンピューター解析などを請求。しかし、裁判所が必要性がないとして請求を却下。弁護側は反発し2005年10月の第4回公判で抗議の途中退席をした。これに対し裁判所は弁護を放棄したとして審理を打ち切り、弁護人不在のまま判決期日を宣告。2006年3月22日、高裁判決日に弁護側が弁論の再開を申し立てたが、裁判長は弁論する意思を放棄したとして却下して、主文を後回しにして朗読を始める。弁護団はこれに抗議し、声を荒らげたため、裁判所は不規則発言を繰り返したとして弁護人4人に退廷を命じた。また判決理由朗読に対して被告人の守も声を荒らげたため、守も退廷させられ、被告人と弁護人が退廷させられたまま控訴棄却判決が言い渡される異例な事態となった。」

<争点>
最大の争点は、科捜研(科学捜査研究所)の科学鑑定の真偽にあります。例え筋弛緩剤を点滴に投与して人が死ぬことはないとしても、もし筋弛緩剤があるはずもないところから見つかったということになれば、「誰が?」となるからです。

ある試料の中の物質を検出する鑑定では、その存在そのものと量とが計測されることになります。筋弛緩剤が試料(血清、尿、点滴液)から見つかったとするこの事件の科学鑑定は、その両方から信用性が疑われます。

まず量の鑑定から検証します。

5人の被害者とされる方々それぞれに関係した鑑定試料があります。11歳女児からも血清(急変が起こった当日の10月31日採取)と尿(11月7日採取)の試料があります。それら試料から、筋弛緩剤(商品名マスキュラックス)の主成分であるベクロニウムが血清から25.9ng/ml、尿から20.8ng/ml検出されたとされています(地裁判決文より)。

医学的知識が全くない私は最初この数字を見てもそれがおかしいかどうかは分かりかねました。(注1)しかし、筋弛緩剤の薬理作用を知ることで大きな疑問が起こりました。

筋弛緩剤の効能は、外科手術の際に随意筋の活動を止めるものです。随意筋の活動が止まると、肺を動かす横隔膜も止まるので、人工呼吸器が必要となります。そのため、筋弛緩剤は静脈注射によってぱっと効いて、手術が終わった後は体内から早く排出されるようになっています。マスキュラックスの体内血中濃度の半減期は約11分です。

11分という短時間の半減期の薬品の濃度に関して、急変当日の血中濃度と1週間後の尿中の濃度がほとんど同じというのはなぜか。いかに私に医学的知識がなくてもおかしいと思いました。(注2)

この点に関し、専門家の意見をご覧下さい(『ザ・スクープ』より1分56秒動画)。
ここをクリック→ 「鑑定結果の疑惑」

判決文では、「投与されたマスキュラックスの量を1アンプル(4mg)又はその半分程度と仮定すると、その一、二%程度の量に相当するが、その程度の量が7日後に尿から排泄されても不自然とは言えない」としていますが、何をもって「不自然と言えない」としているのかの理由は明記されていません。

また科学鑑定及び裁判官の判断は、筋弛緩剤の存在そのものに関しても、全く科学的根拠を無視したものです。

鑑定では試料と標品を比較してなされます。つまり実際の筋弛緩剤を対照のサンプルとして、試料と共に鑑定を行い、同じ物質が検出されたことをもってしてその二つの物質が同じであるというものです。

科捜研の科学鑑定を餅菓子に適用すると次のようになります。

「この試料とここにある「おはぎ」を鑑定した結果、両方からきな粉が検出されたため、この試料は「おはぎ」と認められる」

弁護団は当然反論します。
「「おはぎ」からはあんこが検出されるべきであって、きな粉が検出された試料は「おはぎ」ではない」

それに対する裁判官の判決は
「装置が変われば結果も変わるので弁護側実験結果をもって警察鑑定が否定される根拠にならない」
というものでした。

ここでいうきな粉は「m/z258」というイオンで、あんこは「m/z279」というイオンです。筋弛緩剤(マスキュラックス)の主成分であるベクロニウムから、「m/z258」というイオンが検出されることがないことは複数の海外の文献でも確認されています。それを、「二つのものを比べて同じものが出たのだから、それは同じものだ。だからこの鑑定はこの場限りで正しく、標品がベクロニウムである以上、試料もベクロニウムである」と裁判官は判断しました。

裁判官が科学を何たるか全く理解していないことは明らかです。
「科学が、それ以外の文化と区別される基本的な条件としては、実証性、再現性、客観性などが考えられる。
実証性とは、考えられた仮説が観察、実験などによって検討できるという条件である。再現性とは、仮説を観察、実験などを通して実証するとき、時間や場所を変えて複数回行っても同一の実験条件下では同一の結果が得られるという条件である。客観性とは、実証性や再現性という条件を満足することにより、多くの人々によって承認され、公認されるという条件である。」
これは小学校学習指導要領解説理科編(注3)からの引用です。先の例を小学生100人に尋ねれば、100人が「それはきな粉餅だ!」と答えます。

更に、鑑定の信用性が強く疑われる事情に、「全量消費」の問題があります。弁護団は、この鑑定の信用性を問い、再鑑定を請求しますが、鑑定を行った科捜研は全ての試料は鑑定のために使い切って再鑑定は不可能だと主張してきました。

ちなみに7種類の試料は、3人の血清(1ml、2ml、4ml)と1人の尿(7ml)及び3人の点滴液(7ml、37ml、53ml)です。「1回の鑑定に必要な試料は0.02ml程度」(上告趣意書より)ですから、この7つの試料の合計111mlの試料を使い切るには5,550回も鑑定をしなければいけないことになります。(注4)

そして全量消費の理由として、鑑定を行った大阪府警科捜研の土橋均技術吏員は「ほかの毒物の鑑定を行ったため」としています。頼まれてもいない毒物の鑑定を行い、なおかつその鑑定結果を全く公開していません。

土橋吏員の公判での証言は意味深いものです。

土橋証人 「平成12年の12月の頃というのは、私どもの科学捜査研究所の毒物の鑑定というのは、非常に忙しかったわけです。それで、そういう忙しい時期に宮城県の科捜研から筋弛緩薬の鑑定嘱託がきました。」

そんなに忙しいのに頼まれてもいない鑑定を5,000回以上もやるとは考えにくく、むしろそんなに忙しかったのであれば、かなり杜撰な鑑定をして、データも既存の資料からコピペしたんじゃないのと考えるのはそれほど不自然ではないと思われます。

そしてこの「全量消費」の問題は更に重要な意味を持ってきます。弁護団は昨年2月に再審請求をしましたが、その後検察はなんと「実は試料は全量消費していなかった。そして試料からは「あんこ」も見つかっていたが、それは被告に不利な鑑定結果だから、敢えて言う必要がないと考えた」という、とんでもないことを言い出しています。

弁護団によるこの件に関する説明をご覧下さい。
ここをクリック→ 「禁じ手を使った検察」

この科学鑑定に関する地裁判決文の抜粋をブログの最後に添付していますのでご覧下さい。(注5)

次に、守氏の自白に関して考察します。私は彼の自白こそが無実の証拠だと思っています。それは、自白内容が典型的な「無知の暴露」だからです。

まず「無知の暴露」に関して、浜田寿美男教授著の『自白の心理学』から引用します(岩波新書p.45)。

「無実の人は、取調べ以前に入手していた情報と取調べにおいてあらたに知った情報に自分の体験記憶を織り交ぜて、想像で自白を組み立てる以外にない。しかし想像はしばしば現実からはみでる。真犯人なら知っているはずのことを、尋問されるままに想像で語って、それが現実と食い違えば、取調官からその場でチェックされる。そうなればそのことが調書に記録されないまま、矛盾のない自白のみが残るのだが、被疑者が想像で語ったことのなかには、取調官もその場でチェックできないことがある。そのために調書に記録したのちに裏づけ調査をしてはじめて、現実と合わないことが判明することがある。それが真偽の微妙なことであれば、真犯人の単なる見まちがい、憶えまちがい、あるいは言いまちがいとも考えられるのだが、およそまちがいようのない供述要素をまちがえたとなれば、それは無実の人間が想像で語ったことを強く示唆することになる。」

「真犯人が捜査を撹乱し、自白にうそを交えることで、将来裁判で自白の信用性が否定されるかもしれないから、あえてこうしたうそをつくのだと、したり顔で言う論者がときにいる。しかし、それだけしたたかな被疑者なら、むしろ否認して有罪の危険性を避けるのがまっとうな心理というべきであろう。大小こもごものうそを交えることで取調べをもてあそぶ真犯人がありうることを全面否定はしないが、たとえそうした人がいるとしても、それはよほどそうした場に手馴れた累犯者に限られる。」

守大助氏の自白の核心部分は次のようなものです。
「A子ちゃんの点滴にマスキュラックスを入れました。マスキュラックスという筋弛緩剤をA子ちゃんの点滴に混注し、その点滴をA子ちゃんに落としました」(地裁判決文より)

この自白には大きな間違いが二点あります。

一つは、犯行様態である筋弛緩剤の投与方法です。筋弛緩剤は、体内代謝が半減期11分と非常に短く、静脈注射で投与して初めて効果があるものです。この自白にあるように、点滴に混入してゆっくり投与しても、筋弛緩剤の効果はありません。つまり、点滴に筋弛緩剤を混入して投与しても呼吸が止まることはないわけです。

もう一つは凶器である筋弛緩剤の種類です。筋弛緩剤には二種類あることが調べて分かりました。脱分極性筋弛緩剤と非脱分極性筋弛緩剤に分類され、同じ目的で使われるものですが、その作用の仕方が違うようです。そして重要なことは、その一つである脱分極性筋弛緩剤の薬理作用には、一過性の細かい筋収縮(痙攣)が起こることです。そして非脱分極性筋弛緩剤では痙攣は起こりません。果たして犯行に使われたとされるマスキュラックスはどちらであったか。実はマスキュラックスは非脱分極性筋弛緩剤であり、その薬理作用では痙攣は起こりません。

北陵クリニックで急変した患者の症状に痙攣があり、これが筋弛緩剤の効き始めの薬理作用だとされましたが、それは脱分極性筋弛緩剤によって起こるもので、自白にあるマスキュラックスでは起こり得ないものです。

つまり、これらは医学知識がない者、即ち警察が筋弛緩剤による殺人及び殺人未遂事件だと筋立てたところから来た間違いです。こうした決定的な間違いを含む自白は「無知の暴露」です。

後者に関しては、結局、裁判所お得意の「そうしたことが起こり得る可能性は否定できない」という論理でお茶を濁したようですが、前者はさすがにそうは言えなかったようです。検察は、公判論告において犯行の手口の主張を変えました。その方法は通常の医療行為では行われない奇妙な方法です。一見は百聞にしかず。ご覧下さい(1分8秒動画)。

ここをクリック→ 判決文による犯行方法

点滴チューブの途中の分岐にある器具は「三方活栓」と呼ばれるものですが、これは点滴の最中にほかの薬剤を投与するため使うもので、薬剤の注入は通常、三方活栓から患者側に向かって行われます。点滴ボトル側に筋弛緩剤を注入するこの方法は、実は、ある推理小説で使われた手口です(川田弥一朗著『白く長い廊下』)。私は、念のため、守大助氏の父上に彼がこの本を読んだ可能性があるかを確認しましたが、回答は「息子は『白く長い廊下』を把握していないし読んでもいません」とのことでした。

もし万が一、犯人が(いたとして)筋弛緩剤を投与するのであれば、こんな複雑な方法を取らなくても、注射器を隠して、さっと注射した方がよほど合理的です。そしてこの方法の最大の難点は、点滴ボトルという証拠が残ることです。注射器であれば、自分で処分が簡単にできます。(注6)

「筋弛緩剤点滴殺人」というのは、犯行方法一つとっても相当無理があることがお分かり頂けるかと思います。

次に、それでは患者の方々の急変はなぜ起こったのかについて考察を加えます。

まず忘れてはいけないのは、患者の方々は何らかの疾患があって北稜クリニックに入院していたことです。つまり健康な人が、突然容体が悪くなったわけではありません。ですから、彼らの容体急変は、当然その元々の疾患が原因だと考えることになんら不自然なことはないと思います。

殺人の被害者とされた89歳女性と、急変後回復した45歳男性の主治医の証言を『ザ・スクープ』が取材していますので、是非ご覧下さい(1分45秒動画)。

ここをクリック→ 主治医の証言

事件の発端となった11歳女児(A子)の急変後の状況を判決文から拾ってみます。

「A子は何か言葉を発して訴えようとしたものの、ろれつが回らない口調であり全く聞き取ることができなかった。そして、A子は、急にあおむけに寝ていた状態から左側を下にして横向きの状態になって何も言わなくなり、右腕だけをぴくんぴくんと小さく上下させ始めた。また、A子がベッドの上でぐったりとしていたことから呼吸が弱まっているものと思われ、A子に声をかけたものの反応はなく、痛覚反応を確かめても反応がなかったことから、A子の意識がないと考えた。
また、A子に心電図モニターが装着されたところ、A子の心拍数は50台であり、このころ、A子の全身にけいれん様のぴくつきが認められ、特に左半身に強く現れていた。」

痙攣がマスキュラックスによっては起こらないことは前述しましたが、更に注目してほしいのは呼吸数と心拍数の変化です。マスキュラックスに関して書かれた医師のブログをご覧下さい。

ここをクリック→ ブログ『医療報道を斬る マスキュラックス』

ポイントは、「筋弛緩剤は随意筋にのみ作用し、意識には影響がない」ということです。呼吸ができなくなると、意識のある人は普通どう反応するか。溺れた時のことを想像して下さい。人間のノーマルな生体反応として、少ない酸素供給量を何とか補おうとして、呼吸数が増え、血流を上げるべく心拍数が上がります。この女児の急変後の状況は、筋弛緩剤中毒の状況とは全く矛盾するものです。

この女児の急変が、検察が主張し裁判官が認めた「筋弛緩剤により呼吸が制限された」から引き起こされた低酸素性脳症ではなく、何らかの脳機能障害が先にあり、その結果として呼吸数が少なくなったということは、医学の専門知識がない私にもより高い蓋然性を持っているように思えます。

ところがこうした基本的な医学上の誤解も、公判において、検察側証人として証言した者の「こういうこともありうる」という、お得意の可能性論で弁護側の主張は排除されました。「疑わしきは検察の利益に」というのが裁判所のディフォルトのようです。

再審請求に際し、この女児の急変の理由に関して非常に詳細な意見書が池田正行教授(長崎大学医歯薬学総合研究科創薬科学)から提出されています。というのは、その11歳女児の急変の理由がこれまで特定されていなかったからです。そしてそれは池田教授により「ミトコンドリア病」と診断されました。

池田教授は彼のブログで、この事件に関して「誤診が生んだ司法事故~真犯人は人間ではなく病気だった」と書いています。

ここをクリック→ 池田正行教授『誤診が生んだ司法事故』

この当時11歳であった女児は意識不明のまま現在も生存なさっています。彼女もこの冤罪の被害者ということができます。それは司法の過ちで、筋弛緩剤投与による低酸素性脳症とされ、本来の病気であるミトコンドリア病の治療を受けていないからです。医療専門家でない司法がなぜこのような医療過誤を犯して許されることがあるのでしょうか。その責任は重大です。

「次に守氏担当の場面で急変が多かった」という点に関し付言します。

その理由は実に単純です。急変が増えていた背景は、クリニックの経営状況が悪くなり、難易度の高い患者を積極的に引き受けたこと、そして(そうした理由があったにも関わらず、とんでもないことですが)クリニックには気道確保のため挿管できる医師がいなかったこと、守氏が二人いた独身男性看護師の一人で、夜間の宿直も厭わずに積極的に引き受けていたことです。報道では、彼が「急変の守」と言われていたとされましたが、それは事実無根の捏造(「捏造」でなければ警察リークをそのまま書いた「御用」)記事です。

<論評>
私が事件のことを知って最初に思ったことは、「看護師になろうという人が、患者を傷つけるようなことをするのかなあ」ということでした。動機あるいはプロファイリングに関わる部分です。

勿論、医療関係者も人間ですから、中にはそういう人もいるかもしれません。しかし、そういう性格破綻者の周りの評判はいいはずがありません。私が参加した支援する会の学習会にかつての同僚の方が来て説明して下さいましたが、彼女の説明を聞いた限り、全くそういう印象は受けませんでした。

看護師を目指した動機を父上に確認したところ、次のような返答でした。
「中学で陸上部に所属し短距離100・200mでそこそこがんばっておりました。体育科のある高校に推薦で入学したが1年の秋に練習のしすぎと思われますが膝の半月板損傷で通院を繰り返した後、入院し手術、結果が思わしくなく短距離と大学進学も諦め看護婦さんの優しさに感動したことなどから看護士の道を選択したものです」

また、守大助氏は結婚を年内に控えていましたが、その結婚相手は同じクリニックに勤務する看護婦でした。自分たちが勤務するクリニックの評判を貶める行為は、これから一家を支えていく責任のある者の取る行動としては、余りにも常軌を逸しています。

何が起こったかを私なりに想像すれば、典型的な冤罪のパターンがここにも見て取れます。それは捜査権力の「初動ミス」→「引く勇気の欠如」です。

この事件は、科学鑑定が捏造であることを前提にすれば、実に単純明快なものです。しかし、裁判所は警察・検察が意図的に無辜の者を有罪に陥れようとしているということを認定することは、何らかの秩序維持意識が働くのか、絶対に認めようとしないものです。

そしてでたらめな科学鑑定も、私は、技術吏員の悪意があったわけではないと考えます。それは人間の「見たい物しか見ない」「聞きたい物しか聞かない」という習性に基づくものだと思います。彼は、警察から「試料に筋弛緩剤があることを証明せよ」という命題を与えられ、当然それがあるものだと思い、(きな粉をあんこと取り違える)単純な間違いを犯したのだと思います。

また、当然あるはずだという思い込みが、1週間後採取の尿を含む7つの試料全てに筋弛緩剤が見つかったという結論を導きます。本来、警察が欲しかった正解は「6つの試料に筋弛緩剤が見つかり、1週間後採取の尿には見つからなかった」というものであったにも関わらずでしたが。

そしてそれが科学的に矛盾していると指摘されても、捜査権力は間違いを認めることができず、「全量消費した」「実は全量消費していなかったけれど、違う鑑定結果は被告人に不利だから敢えて言わなかった」という、嘘を嘘で塗り固めることになったものです。

裁判官が、この捜査権力の嘘にどれだけ意識的に加担しているかは分かりません。それは司法の非常に奥深い問題です。

しかし、それがいかに司法権威の秩序維持という名目があったにせよ、無実の者が言われもない罪で10年以上に亘って自由を奪われているという事実は正当化できないことは言うまでもないことです。

この事件に関して言えば、調べれば調べるほど、医療過誤の病院内ヒエラルキーでの責任の転嫁や、東北大学医学部を頂点とする地域医療の権威主義の保身といった実に深い闇を覗き見る気がします。しかし、ここでは敢えてそれには触れないことにします。

まずは冤罪被害者の守大助氏の救済が急務です。私も水戸で開催された学習会に参加し、ご両親に挨拶させて頂きました。彼らの息子を思い救援活動をする姿勢には、人の親として心を打たれるものがあります。

ここまでお読み頂きありがとうございます。最後に是非、守大助氏のお母様の訴えをお聞き下さい。

ここをクリック→ 守大助氏母の訴え

(注1)
私の高校後輩に麻酔科医がおり、色々と骨折りで調べてくれました。血中のベクロニウム残留濃度は確立したデータがあり、ベクロニウム投与量と体重、年齢、身長などを入力項としてx分後の血中濃度を計測するiTunesでダウンロードできるソフトもあるそうです。

ここをクリック→ iTunesプレビュー「AnestAssist」

(注2)
マスキュラックスの医薬品インタビューフォーム(p.18)によると、ラットでの実験では、投与量の10.9%が尿中、84.2%が糞中で排泄(288時間後)とあり、ベクロニウム臭化物の排泄はあまり腎排泄によらないことが分かります。

ここをクリック→ マスキュラックス医薬品インタビューフォーム

(注3)
小学校学習指導要領解説 理科編p.14

ここをクリック→ 小学校学習指導要領解説 理科編

(注4)
「単に残りを捨てちゃったんじゃないの」と思われる方も少なくないと思います。しかし、公安委員会の規定する犯罪捜査規範の第186条に

「血液、精液、だ液、臓器、毛髪、薬品、爆発物等の鑑識に当たつては、なるべくその全部を用いることなく一部をもつて行い、残部は保存しておく等再鑑識のための考慮を払わなければならない」

と定められているため、残量の廃棄は再鑑定をさせないために恣意的に行われたという批判を避けるため、「捨てた」とは言えなかったものと思われます。

ここをクリック→ 犯罪捜査規範「鑑識」

そして点滴液の試料のうちの一つは、病院の医療廃棄物置き場から回収された点滴ボトルに残っていたものですが、もしその点滴ボトルに筋弛緩剤が混入されたのであれば、そうした証拠は見つからないように処分するのが合理的だと思います。そしてその点滴ボトルからは、守大助氏の指紋は検出されていません。

(注5)
仙台地方裁判所平成16年3月30日判決一部抜粋

ここをクリック→ 仙台地方裁判所平成16年3月30日判決一部抜粋

(注6)
この犯行方法のビデオを見た私の高校先輩の医者から、チャンバー(点滴ボトルの下に付けられた器具で、中で点滴液がポタポタ落ちる筒状のもの)には空気を残すから、三方活栓から筋弛緩剤を混入しても、点滴ボトルには到達しないのではないかと指摘を受けました。なるほど。そうすると、もしこの犯行方法であれば、7つの試料のうちの3つの点滴液から筋弛緩剤が検出されたというのも不合理と言えます。

この事件は「北陵クリニック事件」として知られていますが、2008年11月20日に開かれた「守大助さんを守る会」において、以降、事件名を「仙台筋弛緩剤えん罪事件」とすることを決定していますので、表題は併記させて頂きました。

支援者団体が「再審開始決定を求める要請書」の署名を集めています。是非、署名の上、郵送ないしFAXをお願いします。

ここをクリック→ 「再審開始決定を求める要請書」

参考文献

『再審請求書』 守大助さんを守る会国民救援会宮城県本部発行

『花島伸行弁護士講演 再審に向けて今何をなすべきか』 守大助さんを守る会国民救援会宮城県本部発行

『僕はやっていない! 守大助勾留日記』守大助氏(明石書店)

『仙台・北陵クリニック事件 筋弛緩剤のまぼろし』今井恭平氏(『冤罪File』2008年6月号)

『白く長い廊下』川田弥一郎氏(講談社文庫)

ブログ『北陵クリニック事件』鈴木善輝氏
ここをクリック→ 鈴木善輝氏ブログ『北稜クリニック事件』



















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―





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category: 冤罪ファイル

2013/10/03 Thu. 03:37 [edit]   TB: 0 | CM: 14

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