「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (350) 「SNOWセミナー『検察から見た証拠とは〜元検察官が本音で語る』」 11/28/2013 

#検察なう (350) 「SNOWセミナー『検察から見た証拠とは〜元検察官が本音で語る』」 11/28/2013

(強制捜査から1808日、控訴審判決まで64日)

先日、「なくせ冤罪!市民評議会」主催の第2回SNOWセミナーに参加しました。

「なくせ冤罪!市民評議会」はまだ歴史が浅い組織ですが、代表を「無実のゴビンダさんを支える会」事務局長の客野喜美子氏が務めていることからも、「無実のゴビンダさんを支える会」を母体として、照準を冤罪全般に拡大した市民団体と言えると思います。

ここをクリック→ 「なくせ冤罪!市民評議会」設立表明

評議会のニックネームSNOWは、”Say No! To Wrongful Convictions”Citizens' Councilの頭文字を取ったものですが、冤罪を雪ぐ(すすぐ)意味の「雪冤」と掛けているところがなかなかしゃれています。

日々のアクティビティーとして評議会メンバー間のメールでの冤罪関連情報交換があります。実にディープな内容のメール交換が行われています(私はROMってるだけですが)。ご関心のある方は是非ご入会下さい(年会費一口1000円何口でも)。

ここをクリック→ 「なくせ冤罪!市民評議会」入会のご案内

第2回セミナーは、講師に元検察官の工藤啓介弁護士を招いて、『検察からみた証拠とは~元検察官が本音で語る』という演題で行われました。約30名ほどの参加者の顔ぶれの中には、客野喜美子氏や、雑誌『冤罪File』記者今井恭平氏、布川事件冤罪被害者桜井昌司氏といった私にとってはお馴染みの面々のほか、法制審特別部会のメンバーでもある映画監督周防正行氏の顔も見られました(ピンクのセーターが似合っていました)。

工藤啓介弁護士
写真


証拠開示に関する議論が中心で、現場にいた人間の本音トークはなかなか興味深いものでした。検察官時代に起訴した事案で、被告人の善性格を伺わせる証拠(近隣住民の供述調書で、「横断歩道を渡れなかったおばあちゃんの手を引いて?おぶって?渡っていた」とかそんな話でした)を開示したところ上司に苦言を呈されたとか。

裁判所の「ベスト・エビデンス」という考え方からすると、結論が客観的にみてあまりにも明らかな事案で枝葉を切り払うのは問題ないのですが、主要な証拠(しかも検察に不利な証拠)を隠すくらいであれば、取捨選択なく全て開示するということは当然ありだと思います。

つい先日も超ド級冤罪の袴田事件(袴田巌氏は1966年に逮捕以来、監獄に囚われの身となっています)で検察がアリバイ立証に関わる証拠を47年ぶりに開示したことが報じられていました。開示に応じた静岡地検の担当検事の勇気は評価したいものの、検察組織としてはあまりに遅きに失しているとの誹りは免れないものと思われます。(注)

検察は「ベスト・エビデンス」の意味を取り違えています。それはあくまで公判において真実の追求を効率的にするためにあるもので、真実をねじ曲げるために援用されるものでないことは明らかです。

私が工藤氏にした質問は二つ。

一つは、「検察官は本来彼らが持っている正義感との矛盾を感じた時に、どのように対処するのか。組織を変えようという発想はないのか」。

もう一つは、「冤罪に検察が関与しているとすればそれは『引く勇気の欠如』が要因だと思っているが、それを持てという外からの批判ではなく、彼らがそれを持たなければならないという自らの自覚を促す『(北風と太陽の)太陽作戦』のアイデアはないか」。

工藤氏の最初の質問に対する答えは、「割り切るか辞めるかなんでしょうね」でした。それはあまりにも予想の範囲内だったのですが、それでは検察組織が、悪い因子だけが適者生存していく「アドバース・セレクション」によって成り立つ組織であることを意味しています。そうなると、地検レベルではまともな人もいますが、彼らの中からエリートとして選ばれる特捜部は相当の悪人集団、最高検ともなると超極悪人の集まりという実に恐ろしいイメージができてしまいます。

彼が付け加えた「但し、99.9%の有罪率にあるように、ほとんどの事案が有罪なわけですから、検察官の多くがそうした矛盾を感じているとは言えないかもしれません。そういう人にとっては、『八田さん、何を言っているのですか』と分からないんじゃないですか」という言葉はなかなか興味深かったものです。勿論、日々の実務で黒を白にしたり(起訴猶予)、白を黒にするということはあまりないかもしれませんが、起訴ありき、有罪ありきの捜査方法に全く矛盾を感じていないと聞こえたからです。

例えば、日本人にあなたの信仰する宗教は何ですかと聞くと、多くの人が「無宗教」と答えると思います。元旦には神社参拝をし、結婚式は神前や教会で挙げ、葬式はお寺でやるにもかかわらずです。それらは外人からみれば立派な宗教活動ですが、それらが宗教活動であることを意識しないほど我々の生活に密着しています。それは、宗派ごちゃまぜの「日本教」とでも言うべき独特の宗教であり、ほとんどの日本人はその熱烈な信者です。

検察の外の一般人の感覚からすると異常と思われることが、内部では空気のように何の違和感もなく受け入れられているのではないかと思いました。

また、二つ目の質問に対する工藤氏の答えは「難しい質問ですが、証拠の全面開示は一助になるでしょうね」というものでした。外堀を埋めるということだと思います(それが自覚につながるかどうかは分かりませんが)。

また、そこでも彼が付け加えた「検察に期待し過ぎなんじゃないですかねえ」という言葉も示唆に富んでいると思われました。私個人が検察に期待しても何ら問題はないと思われますが(そして期待しています)、制度上彼らに期待し過ぎるというのはまさに問題だと私も思っているからです。彼らも過ちを犯すという前提で制度を構築する必要があると思っています。

その意味でも、工藤氏がセミナー中何度か繰り返した「犯人(事件解決)を求める風土が検察に無理をさせている遠因になっている」という指摘を我々は考える必要があると思います。

セミナー参加者から、「なぜ検察から内部告発が出ないのか」という鋭い質問もありました。工藤氏の答えは「利益誘導があるから」というものでしたが、少し端折り過ぎではないかと感じました。

利益誘導(具体的には組織内での昇進、退職後の天下り先斡旋、あるいはただ単に組織の中での居心地のよさといったものもあると思われます)は結果的に得られるもので、それがあるから内部告発しないということではないと思います。強大な権力を持つ検察組織に立ち向かったところで、所詮つぶされるということを彼らは身にしみて分かっているからこそ内部告発しないのだと思います。そして、汚れ役を進んでやる者を組織は重用し、結果、そうした者が利益誘導を受けるということだと思います。例えば、あまりに正義感の強い取調べ検事に村木厚子氏の取調べを彼らがさせるというのは、ありえないことだと思います。「私にはできません」と言われ、もしかしたらそれをメディアに流されでもしたら大変です。彼らも人を見て誰に任せるかということを考えたと思います。

検察組織の文化はよく知られていないため、誤解されていることも多いかもしれません。先日のセミナーは、検察文化を垣間見るになかなかいい機会だったと思います。もっと多くのインサイダーの声が聞ければ、国民の理解も得やすいだろうにと思います。

帰りに、やよい軒高田馬場店ですき焼き定食(890円)を食べて帰りました。

写真 (1)


(注)
ここをクリック→ 袴田事件最新報道

確定判決では、袴田巌氏を鎮火近くまで同僚ほかで見た者はいないとされていました。勿論、犯行(一家殺害、放火)から出火発見まで十分な時間があれば、血みどろの着衣を脱ぎ、みそ樽に放り込み、体を洗って何食わぬ顔で寝床に戻るということは理論的には可能ですが、かなり荒唐無稽な推論だと思われます。

袴田事件に関してはこちら。

ここをクリック→ 冤罪ファイル その2 「袴田事件」

11/28/2013



















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category: 刑事司法改革への道

2013/11/28 Thu. 00:47 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (349) 「控訴審初公判法廷画 by 高杉ナツメ」 11/25/2013 

#検察なう (349) 「控訴審初公判法廷画 by 高杉ナツメ」 11/25/2013

(強制捜査から1805日、控訴審判決まで67日)

皆様お待ちかね、恒例の公判法廷画です。最近は私の周りでも「画伯」で通っている高杉ナツメ。公判を傍聴に来れない方も多いので、トゥギャッタ―と共にライブ感ある公判資料として重宝している方も少なくないと思います。

ということで、さあいってみよーっ!

控訴審1-1

控訴審1-2

控訴審1-3

控訴審1-4

控訴審1-5

Vancouver Space Centre

Burrard St. Bridge

イヌクシュク

JAPADOG

おろしドッグ

ペンギン

golf

控訴審13

控訴審14-1


15.jpg

控訴審16

控訴審が終わるとこの法廷画が見れなくなると寂しいと思っているのは私だけではないと思います。控訴審では何としても無罪を勝ち取って、皆さまのご支援の恩返しをしたいと思っています。そしてその時には、検察に上告してもらい、またこの公判法廷画を皆さんと楽しめればいいなと思っています。本気です。(あ、最高裁は公判ないや。うーん、残念ww)

11/25/2013
















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は「#検察なう フェイスブック・コミュニティ」のメッセージでご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: 刑事裁判公判報告

2013/11/25 Mon. 00:53 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『悪の法則』 リドリー・スコット監督 

フィルム・レビュー 『悪の法則』 リドリー・スコット監督

悪の法則

『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『グラディエーター』と私の好きな作品の監督ですから期待も大。2000年の『グラディエーター』以来ぱっとしていなかったのですが、前作『プロメテウス』では人類の起源に踏み込むSF映画を越える作品で、今回もクライム・アクションを越えた新境地に挑戦かと思ったのですが。

うーん、残念。映画ではメイン・プロットもさることながらディテールがイケてるということも「あり」です。例えばタランティーノの『パルプ・フィクション』。この映画もメイン・プロット以外に「死」や「セックス」に関して非常に哲学的な洞察が登場人物によってふんだんに語られます。最初はそれが面白かったのですが、徐々にはまるどころか鼻についてきます。いわゆるペダンディック(衒学的)過ぎるんですね。大体、ドラッグ・ディーラーらはそんなに哲学的なはずないしww

一番残念なのは、主人公のキャラ設定。原題『The Counseler』が表すように、主人公はマイケル・ファスベンダー演じる弁護士。これが悪に手を染めるのですが、その動機があまりにも弱い。かみさん(ペネロペ・クルス)もらったから贅沢したい?よー分かりません。ダーク・サイドに落ちるにはそれなりのルサンチマンがないと。これがこの映画の最大の弱点ですね。

豪華な出演者の中でよかったのはブラピ。変わらず彼の魅力を発揮しています。ただ彼の首がチョン切れるシーンでは、血染めの手を映して終わりなのですが、「何で指切れてねえんだ!」と突っ込みたくなりました(その後、海外の友人から「指は切れてる」との指摘あり。私の見間違いか、日本公開では修正ありなのか)。

予告編の緊張感は全く裏切られる退屈な映画です。それでもよければどうぞですかね。

ここをクリック→ 『悪の法則 予告編

(Facebook 11/20/2013より転載)













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category: フィルム・レビュー

2013/11/24 Sun. 01:38 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (348) 「冤罪被害者の心理」 11/21/2013 

#検察なう (348) 「冤罪被害者の心理」 11/21/2013

(強制捜査から1801日、控訴審判決まで71日)

先日の控訴審初公判直前に、たまたま新宿で映画『ショージとタカオ』の上映会があったので、エネルギーをもらうべく、3度目(4度目かな?)の鑑賞に行ってきました。布川事件の冤罪被害者桜井昌司氏と杉山卓男氏を主人公とした、井手洋子監督による傑作ロード・ムービーです。

今回観賞して映画の中で心に留まったのは、桜井昌司氏の伴侶恵子さんの言葉でした。彼女が夫のことを理解しようとして、心理学の勉強をしていると言った時のことです。

「冤罪被害者の気持ちを書いた本ってないじゃないですか。でも、冤罪被害者のことは彼らにしか分からないこともあると思うんです。」

桜井氏や杉山氏といった超ド級冤罪被害者とは言わずとも、声を出せない冤罪被害者の方々の口惜しさは、私の数百倍かと思いますが、その心理を代弁させてもらえればと思います。

前置きですが、冤罪被害者としてはパシリ程度の私が、冤罪被害者の方から「お前に冤罪被害者の何が分かる」というお叱りを受けるのであれば、それはごもっともと受入れますが、そうでない方の言葉であれば、そっくりそのままお返ししたいと思います。

人の考え方は人それぞれですから、冤罪被害者の全てが同じ感情、心理状況であるということは勿論ありえません。しかし、私の考えるところが一例として何らかのヒントになればいいと思っています。

なぜ冤罪の被害者であることが辛いのか。それは全く受ける必要のない偏見や差別の対象とされることの断腸の思いと、自分の主張を他人が受け入れてくれないという絶望感に尽きると思います。

まず、犯罪者と同一視する偏見や差別ですが、これはほかの偏見や差別(多くは劣等感の裏返しで、自分より下等の存在を作って優越感を得ようとするもの)とは異なり、する側は自分たちが正義であるという立場ですから容赦ありません。犯罪者を指弾することは、いわゆる「社会的制裁」として(その是非はともかく)社会に許容されているように思えます。

しかし、犯罪者であればその制裁も仕方ないと思えるかもしれませんが、冤罪被害者にとってみればこれほど理不尽なことはありません。

犯罪者のレッテルを貼られるということがどれほどおぞましいことであるか。あまり自分で品行方正と思っていない私ですら相当辛いので、普通は到底受け入れ難いものだと思います。そしてその目に見えないレッテルは容易にはがれることはありません。

自臭症(自己臭恐怖症)というのはご存知でしょうか。これは周りから臭いと思われていると思い込む立派な精神疾患です。犯罪者のレッテルがはがれないという強迫観念は自臭症くらい強いものです。一審無罪でも、薄れこそすれ私からその感覚は消えていません。

関わり合いになりたくないと離れていく人に「なぜ信じてもらえないのか」と言ったところで何もならないと分かりながらも納得がいきませんでした。その恐怖感は今日でもあります。

そして、必要以上に「自分を信じていないのではないか」と人を疑うことになります。私もこの5年間で、近くにいたはずの人を「どうせ信じていないんだろう」と何度も傷つけてきました。

「信じてほしい」というのは冤罪被害者の共通の欲求ですが、それを表に出すと必ず失望を覚えることを私たちは知っています。私の具体例で説明します。

いまだに、「でも税金払ってなかったんでしょ。それじゃ冤罪って言っちゃいけないでしょ」と言われます。そう言う方に、「それは、飛び出してきた子供をよけきれずに轢き殺してしまった運転手に「おまえはその子供を殺そうと思って轢き殺したんだ」ということと同じですよ。それは間違ってませんか」と言ってもなかなか理解されません。

「人が気付くところを、あなたが気付かなかったというのは、あなたの不注意でしょ。それはあなたが悪い」はどうでしょうか。それも間違っていると思います。そうおっしゃる方は、日本の刑事裁判で無罪を取ることがどれ程大変かを理解されていません。

外資系金融業界全体で数百人私と同じように申告漏れがあり、私だけが検察特捜部に起訴されましたが、もし申告漏れが私だけであれば、いかに過失が真実であったとしても、故意と認定されたと思います。弁護団が腐心したところは、「普通の注意力でも気付かなかった。ましてや仕事以外の注意力が、人一倍極端に散漫な被告人は気付くわけがなかった」というものです。

このように冤罪被害者が自分の正当性を主張すれば、常にそれを否定する声があります。これはまさにセカンド・レイプのようなものです。それを避けるには、自分が正しいと主張したいという本来の欲求を殺して沈黙を選ぶしかありません。それは自分を守るには賢明な選択です。そして世の中には、その選択をしている声を出せない冤罪被害者は本当に沢山いると思います。

私にはその賢明さはありませんでした。今振り返っても、国税局査察部や検察特捜部に立ち向かうというドンキホーテのような無謀な決断は全くもって愚かな選択だったと思います。ただ何かを変えることができるとすれば、その愚かさゆえだと思います。”Stay hungry. Stay foolish.” いい言葉だと思います。

冤罪に苦しむ人が少しでもいなくなるよう、冤罪というものが何かを是非ご理解頂ければと思います。まずは理解が第一歩です。よろしくお願いします。

11/21/2013
















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category: 冤罪事件に関して

2013/11/21 Thu. 00:09 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (347) 「控訴審初公判報告~検察官控訴で門前払いの一回結審」 11/18/2013 

#検察なう (347) 「控訴審初公判報告~検察官控訴で門前払いの一回結審」 11/18/2013

(強制捜査から1798日、控訴審判決まで74日)

ご報告します。歴史が動きました。先週金曜日、私の控訴審初公判が行われました。その模様をお伝えします。

第一審では11回の公判のうち、雨に降られたのは多分一度くらいだったのですが、当日はあいにくの雨模様。いつもは内幸町の弁護士事務所から日比谷公園を歩いて裁判所に向かうのですが、今回はタクシーで向かいました。

開廷前に法廷の外で並んでいた傍聴人の方の中には、多くの知り合いの顔がありました。「今回は何人くらいお知り合いの方が傍聴に来られるのですか」といつも小松弁護人に聞かれるのですが、連絡してくる人が少ないので「分かりません」となります。それでも毎回15人以上傍聴に来てくれます。実に勇気づけられます。先日お邪魔した早稲田大学法科大学院の学生も数人傍聴に来てくれました。

ここをクリック→ #検察なう (345) 「早稲田大学大学院法務研究科訪問記」

そして、半分以上は知らない顔で傍聴席はほぼ全席埋まります。この公判が注目されていることの表れだと思います。

控訴審の公判手続きは決まったパターンがないらしく、人定質問もないこともあるそうです(被告人は出廷義務がないためと思われます)。今回は、入廷するなり書記官の方から用紙に住所・氏名を記入するよう指示されました。これは一審ではなかったことです。

最近バンクーバーで引越したため、住所を書き間違えたり、Avenueを「街」ではなくて「町」と書いて訂正を申し出たりとあくせくしました。

そして待つこと数分。傍聴席からも私の緊張が見て取れたようです。終わってから傍聴していた人から「八田さん、いつもになく緊張していましたね」と言われました。そして裁判官3人が入廷して開廷。裁判体は東京高裁の刑事第一部、裁判長は角田正紀裁判官です。

最初に人定質問がありました。ところが裁判長の質問と私の答えが噛み合わない状況に(単に私が裁判長の質問を理解できなかっただけでしたが)傍聴されていた方の何人かは不安なものを感じたようです。

しかし、その緊張感はその後の被告人席に関してのやり取りでほぐれることになります。

映画でアメリカの法廷のシーンを見ると、被告人は弁護人と並んで座っていることがお分かりかと思います。それに対し日本の法廷では、被告人は弁護人席の前のベンチに一人でぽつんと座らされます。それでは初めから犯人であるかのように印象付けるということで、被告人を弁護人席に座らせるべきであるとする運動があります。これを「SBM運動」(SBMは、「Sit By Me」の略です)と言います。これを認めるかどうかは裁判官の裁量です。

一審では野口佳子裁判長(初公判)も佐藤弘規裁判長(第二回~第十一回公判)も、私が最初から弁護人席に着くことを認めてくれていましたが、事前に申請していた今回はそれが認められませんでした。公判が始まり、裁判長が検察による請求(検察は6件の新規の証拠調べと計45分の被告人質問を2回に分けて請求していました)を確認した後、「弁護人、何か請求は?」。小松弁護人が「特にありません」と言ったのに対して、裁判長は「書記官を通じて被告人の席に関して請求がありませんでしたか」と続けました。あれれ、何が起こってるんだ?

あくまで事案ごとの事情を勘案した上での判断という前置きがあり、「この事件の性質から言って、被告人が弁護人席に着いてもよいと考えます」。そうして私は弁護人席に移ることが許されました。両弁護人にはさまれて、それはそれは安心したものです。このことにより流れが向いてきたかのように感じましたが、傍聴されていた方の中にもそのように感じた方もいたと思います。また最初に被告人席の前にテーブルが置かれていたのは、裁判所の配慮なのではと思いました(そうした細かい点に当事者は敏感になるものです)。

その後、検察による証拠調べ請求に対しての弁護人の意見となりますが、小松弁護人が付言しました。

「第一審の弁論終結前に取調べを請求することができなかった「やむを得ない事由」はなく、取調べの「必要」もありません。

第一審の無罪判決は、10回を越える公判期日、1年以上の審理期間を経て下されたものであります。第一審では、証人や被告人を直接調べ、その一挙手一投足、証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され、それらを統合して事実認定が行われたものです。

当審において、検察官請求の事実取調べを実施することは、第一審集中主義を軽視する風潮を助長することにもなります。従って、検察官からの事実取調べ請求はいずれも却下されるべきものであります」88888。

そして注目の証拠決定です。書証あるいは人証請求が認められるということは、新たな審理が再開することを意味します。そしてそうなれば、過去のデータは圧倒的に被告人にとって不利な結果です(7割が原判決破棄の有罪)。

裁判長の声が響きます。「6つの検察請求の証拠『は』却下します」(え?それでは被告人質問は?)、「被告人質問が2回に分けて請求されていましたが、最初の請求分『は』却下します」(え?それじゃ追加分は?)、「それから追加の請求分は却下します」。

「よっしゃ!」却下三連チャンです。引っぱったなあ、もう。「いずれも却下」じゃないんだもん。控訴審裁判体は、検察申請の書証、人証(被告人質問)全てを却下し、公判一回で結審しました。

検察官控訴の控訴審において、全ての証拠請求を却下ということがどういう意味を持つのか、あるいはどれだけあり得ないことなのかは分かる人には分かって頂けると思います。そうでない方も「なんかすごいことが起こったみたい」くらいに思って頂けると幸いです。

公判開始前の弁護士ミーティングでも、「今日、結審しなかった場合、どう対処しましょうか」という私に、小松弁護人は「結審する、しないで随分と落差がありますから、しなかった場合はそれから考えましょう」と言っていました。控訴審の経験豊富な喜田村弁護人も、「検察官控訴の場合、一回結審というのは通常考えにくいけれども、今回はどうかなあ」と手応えは感じていたようです。

検察の控訴棄却、検察に二立て食らわせることに「チェック!」です。チェックメイトまであと一歩。次回期日までに新証拠を検察が提出し、弁論再開ということがなければ、天は私と弁護団(注1)と我々を応援してくれている方々に微笑むことになると思われます。

その後の角田裁判長による私への控訴審の意義の説明は、傍聴人に向けてのものでもあり、開かれた裁判を意識したとても好感度の高い訴訟指揮だと感じた方も多かったと思います。

わずか6分の控訴審初公判でしたが、以上のようなドラマがあったわけです。

検察官控訴は、「裁判所は所詮検察の自動販売機」という期待があってのものだったと思います。それを検察官請求を完全にシャットアウトした形で結審というのは、そんなことはありえん!という控訴審裁判体の強いメッセージです。一審無罪だけであれば、地裁の変わり者の裁判官が気紛れで出した無罪判決と検察はうそぶくこともできますが、高裁裁判体が合議で判じたとなれば、これは裁判所の断固とした決意を表していると言っても言い過ぎではないと思います。是非、江川紹子氏の記事を再読して下さい。

ここをクリック→ 江川紹子氏記事「初心を忘れず、初心に返ろう~この無罪判決が意味するもの」

そして一審無罪判決が控訴棄却によりこのまま確定すれば、その影響は少なくないものと思われます。

まず報道が大きく変わる可能性があります。またそうあるべきだと思います。私は告発後、全国紙の記者の取材を受けた際、「申し訳ないけれども八田さんは有罪になると思います。そうでなければ、私たちは怖くて記事が書けないですから」と言われました。つまり、彼らの常識は「告発=起訴=有罪」というものです。彼らが「怖くて記事が書けない」という状況ができるわけです。

皆さんは、逮捕された被疑者が犯人であるかのように、顔も晒され実名報道されているのを目にしたことがあると思います。告発されても(起訴はされましたが)無罪になるのであれば、ましてや告発・起訴以前の逮捕の段階では、当然推定無罪原則が働くべきであり、人権にもっと配慮しなければいけなくなるのではないでしょうか。PC遠隔操作事件での片山祐輔氏を犯人視した報道の在り方が問われる時代が来ると思われます。

国税局に対する影響も小さくないと思われます。被疑者が否認する場合には、仮装・隠蔽の確たる証拠がなければ告発できないということを彼らは肝に銘じるべきです。私の事案では、仮装・隠蔽は一切立証されていません。そうすれば査察部による今回のような力ずくの告発は、今後激減すると思われます。

そして一番大きな影響は検察に対してです。結局、彼らは裁判所が動かなければ、いかに外部の批判が大きくとも、何も変わりません。その彼らが変わる契機になるかもしれません。(注2)

犯人の故意性という非常にあいまいな争点で、これまでは推定有罪がまかり通っていた刑事司法実務でしたが、一審裁判体が認定した推定無罪原則を、控訴審裁判体もきっちり確認したというのがこの一連の公判の重大な意義です。推定有罪がディフォルトのように思われていた刑事司法において、メルクマークな判決になることは間違いありません。また控訴審は、「チョコレート缶事件」判例以降の基本形を示したと言えます。(注3)

私としてはここで勝って、検察には是非上告してもらって最高裁まで行きたいと思っています。推定無罪原則を今日の刑事司法において確固としたものとするため、判例としての重みが違うからです。

この控訴審初公判のリアルタイムの雰囲気をパッケージした恒例の公判トゥギャッタ―を友人がアップしています。是非ご覧頂き、控訴審初公判を追体験して下さい。

ここをクリック→ トゥギャッタ― 「八田隆 11月15日 控訴審 〜クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」

控訴審判決が下される予定の次回期日は来年1月31日です。大注目です。

(注1)
喜田村洋一弁護人と主任弁護人の小松正和弁護人の2人の弁護団ですが、一騎当千の弁護団です。

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (279) 「時代が判決を導き、判決が実務を変える」

(注3)
ここをクリック→ #検察なう (318) 「「チョコレート缶事件」と論理則・経験則違背」

11/18/2013













法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: 刑事裁判公判報告

2013/11/18 Mon. 00:58 [edit]   TB: 0 | CM: 3

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フィルム・レビュー 『ある愛へと続く旅』 セルジオ・カステリット監督 

フィルム・レビュー 『ある愛へと続く旅』 セルジオ・カステリット監督

ある愛へと続く旅

ぺネロペ・クルス主演『ある愛へと続く旅』観賞。

ぶっ飛びました。こんな結末が待っていようとは。はっきり言ってあまり期待していなかったのですが、これはディープだわ。

終わり20分までは、「不妊の女性が愛する男のために代理妻で子供を授かり、男を愛し、子供を愛する」というまあ普通の展開です。その男との出会いからして結構安易で、常に男がフワフワしている感じで、まあいろいろ紆余曲折あるけど、だから?って感じでした。そう、終わりの20分までは。

これは男女の愛とか親子の愛とかを越えたテーマです。言うなれば「数奇な運命に翻弄されながらもそれを乗り越える人間の強さ」という感じでしょうか。

ただ余りに情況が複雑過ぎて(ストーリーが複雑ということではなくて、それぞれの感情を汲み取るのが困難ということ)、一筋縄ではいかない映画でした。

戦争が身近ではない現代日本ではこの映画のテーマは描ききれないだろうな、と思いました。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が非常に重要なテーマです。人種差別(ボシュニャク人=ムスリム人に対する偏見)のニュアンスも日本人にはよく分からないし。

今年39歳のぺネロペ。映画の中では、‐20歳から+10歳の役をこなしてます。メークも進化してるんだろうなあ。-20歳は若干「ん?」ですが、それでもそれほど違和感なし。+10歳は超ナチュラル。ペドロ・アルモドバル監督の『ボルベール<帰郷>』では、いい女優だなと思いましたが、ここでも頑張ってます。

一見の価値ありです。

ここをクリック→ 『ある愛へと続く旅』予告編

(Facebook 11/11/13より転載)













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category: フィルム・レビュー

2013/11/17 Sun. 12:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (346) 「控訴審初公判前日」 11/14/2013 

#検察なう (346) 「控訴審初公判前日」 11/14/2013

(強制捜査から1794日、控訴審初公判まで1日)

とうとう検察控訴による控訴審が明日から始まります。

一審が始まる直前のブログを読み返してみて、あの頃は全く緊張していなかったなと思い出します。その頃と比較して、今の方がナーバスになっています。一審が始まる直前のブログは、堀江貴文氏がメルマガの書評で、田中周紀著『国税記者 実録マルサの世界』(この中にクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件が詳しく書かれています)を取り上げてくれたとはしゃいでいました。

一審では公判前整理手続を行わなかったため、公判は長丁場になると思っていました。また、結果には執着しない、ただできる限りのことをやろうという思いが強かったので、かえって気楽でした。

今の心境を例えれば、菊花賞を人気薄の馬に騎乗して淀の3000メートルをあれよあれよと逃げ切ったジョッキーが、今度は中山1200メートルのスプリンターズSで本命グリグリの一番人気馬に騎乗する様な気分です(実際の秋のGI戦線では、スプリンターズSの方が菊花賞より先ですが)。長距離戦では、馬なりにゲートを出て、あとは展開次第でレースを組み立てることができるのに対し、短距離戦では、ゲートを出負けるとそれで勝負が決します。

明日の初公判の内容如何で、今後の展開が場合によっては決まってしまいます。それを解説したいと思います。

これまでの実務においては、被告人控訴(一審有罪)と検察官控訴(一審無罪)ではその取扱いが大きく異なると言われていました。被告人控訴の場合はほぼ門前払いで一回結審の控訴棄却であるのに対し、検察官控訴の場合はどんなにしょーもない証拠でも採用され、本来事後審である控訴審が続審のように新たな審理に入るというものです。

しかし、控訴審の事後審としての在り方を確認する判例が昨年2月13日に最高裁で出されました。それが「チョコレート缶事件」の判例です。(注)この判例は、被告人控訴・検察官控訴に関わらず、控訴審が続審化することに抑制的であるべきであるとすると同時に控訴のハードルを上げるものです。私の控訴審では、まだ日の浅いこの最高裁判例が下級審実務に反映するのかどうかが注目されるところです。

私の一審無罪判決は、刑事司法どっぷりの者であればあるほど驚いたことと思います。それは刑事司法の世界では、「推定有罪」がディフォルトだからです。一番驚いたのは検察だったのではないでしょうか。

私が故意に過少申告した、つまり脱税をしたという客観証拠は存在しません(もし私が脱税をしていれば不合理な事実関係は山積みですが、過失ゆえの過少申告であったという直接的証拠も存在しようがありません)。しかし、犯行の故意性という実にあいまいなものは、客観証拠がなくても「知っていたはずだ」「気がついたはずだ」という推認で有罪にできるというのが刑事司法の世界の常識でした。有り体に言えば、「検察が有罪と言えば有罪」というものです。

しかし一審裁判体は、刑事司法の大原則である推定無罪原則に忠実であれという強い意思表示をしました。それが一審無罪判決の意義です。その判決は、正しくあるべきものが正しいことを知らしめ、多くの人に感動と希望を与えました。

一審裁判体が「検察司法」の悪弊を断ち切る勇気ある判断をしたにも関わらず、そのメッセージを受け取れない検察は控訴し、更に控訴趣意書で一審裁判体を「確定申告が何たるかも知らない」と愚弄しました。この奢った検察の目を覚まさせるために私が期待するのは、検察官控訴では例を見ない門前払いの一回結審です。それがあるかどうかが、明日の最大の見せ場です。

そうなれば歴史が動いたという感動ものですが、検察官控訴は自動的に新たな審理に入るという旧来通りの展開だとしても落胆するには早いものです。確かに過去のデータでは、検察官控訴の場合7割の確率で原判決破棄=有罪となりますが、一審で有罪率99.9%以上ということを考えると、控訴審での無罪の可能性は優に300倍以上です。その場合は控訴審でも楽しみが増えたくらいに考えたいと思っています。

一審判決直後は、自分の無罪判決を素直に喜ぶことができませんでした。その複雑な気持ちはサバイバーズ・ギルトに近いものだったと思います。自分が冤罪の当事者となって、この世には冤罪に苦しむ人が数多くいることを知り、彼らの中には自分の無実が「無罪」という形で証明されることを渇望する人も少なくないと思います。そういった方々の気持ちを思うと自分だけが無罪でいいのだろうかと考えてしまいました。

しかしその後、多くの人が私の一審無罪に、刑事司法において正義が実現したことを喜んでくれ、少しずつ無罪判決でよかったのだと思い、元気が出てきました。やはり冤罪を戦うには支援する人々の力が助けとなることを痛感したものです。そうした支援してくれた方々への恩返しのためにも心を強くして、控訴審では結果にこだわりたいと思ってきました。

明日の公判は5分ほどで終わると思いますが、その凝縮した時間に緊張感を味わいたい方は、是非傍聴をお願いします。霞が関の東京高裁第720号法廷にて1400開廷です。また例によって「#検察なう」のハッシュタグ付きツイートもお願いします。

刑事司法の歴史が変わるか。見どころ満載のクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件に今後ともご注目お願いします。

(注)
ここをクリック→ #検察なう (318) 「「チョコレート缶事件」と論理則・経験則違背」

11/14/2013











法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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category: 刑事裁判公判報告

2013/11/14 Thu. 00:53 [edit]   TB: 0 | CM: 5

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#検察なう (345) 「早稲田大学大学院法務研究科訪問記」 11/11/2013 

#検察なう (345) 「早稲田大学大学院法務研究科訪問記」 11/11/2013

(強制捜査から1791日、控訴審初公判まで4日)

先日、早稲田大学大学院法務研究科の授業に招かれ、私の弁護人の小松正和先生と一緒に行ってきました。早稲田大学のロー・スクール(いわゆる法科大学院)の授業です。

小松先生の元いた事務所の先輩が、現役弁護士のまま講師をしており、その方の授業にお邪魔したものです。

写真 (2)


総勢30名弱の学生を前に、クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件での弁護側立証構造や、無罪判決の論旨、更に一般的な刑事司法の問題点等々を、要所要所小松先生にまとめて頂きながら好き勝手しゃべってきました。

写真 (3)

自己紹介の第一声が「刑事被告人です」でドヒャ―ときたので、(よっしゃ、つかみはオッケーや)と始まったのですが、あっという間の1時間45分でした。将来の検察官、裁判官、弁護士の卵とあって、こちらも気合が入ります。

更に盛り上がったのが、その後の懇親会でした。その授業では、これまでいろいろな方を講師に招いてきたそうですが、始まって以来の好リアクションの懇親会だそうで、小松先生とテーブルを分けて、2テーブルでの談議となりました。

「八田さん、検察が事件を作るというインセンティブがよく分からないのですが。なぜ彼らはそこまでしなくちゃいけないのでしょうか」

「いい質問だね。でも、検察っていうとちょっと違うかな。特捜部って言った方がいいと思うよ。クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件は特捜案件だったんだけどね。

特捜検事ってのはすごくエリート意識が強いんだよ。彼らはプライドも高くて、「いい仕事をしたい」って常に思ってるんだよね。彼らが輝くためには、その対立項である悪が必要なわけ。で、その悪が黒ければ黒いほど彼らは輝けるってこと。月が自分では輝けないのと同じようなもんかな。だから、彼らは世の中に受ける分かりやすい事案を頑張って手掛けるんだよ。そこでは、彼らの筋道に沿った事件っていうのが往々にして作られることもあるんだな。

こういう言い方もできるかな。毎回100点を取る優等生がいたとするよね。で、ある時彼がどうしても99点しか分からなかった。で、100点をどうしても取りたいためにカンニングをするんだけど、先生は、毎回100点取ってる優等生だからカンニングしてるなんて思いもしないんだよね。特捜部が事件を作るってのはそういう感じかな」

授業及び懇親会で、私が、法曹界に進む彼らに伝えたかったメッセージはただ一つです。

私は、検察特捜部の取り調べやその後の公判の進め方では大変がっかりさせられました。結局、彼らも仕事だと割り切ってるんだろうなということを感じたからです。こちらは人生を賭けています。「起訴して間違ったならば腹をかっさばくぐらいの覚悟で臨んでるんだろうな」と、取り調べの時には毎回真剣勝負で臨んだものです。しかし、彼らからはそれだけの覚悟を残念ながらこれまで感じたことはありません。

一審裁判体が下した無罪判決を潔く受け入れることなく検察は控訴しましたが、人を有罪に陥れようとするその控訴趣意書のあまりに下卑たること。これが我が国の最強捜査権力かと思うと、国民の一人として情けなく思います。

法曹界の卵の彼らに、当事者の思いとして伝えたかったのは、「君たちが検察官、裁判官、弁護士のいずれになるにせよ、人の人生を左右する非常に崇高な職務に就くことを忘れてほしくない。それには大きな責任が伴う。その責任を背負う覚悟ができない時には、その道に進むことは即刻辞めてほしい」ということでした。

彼らから色紙を贈られました。そこに書かれた彼らからのメッセージを紹介します。

写真 (4)

「日々、法曹をめざし勉強するなかで、法曹とはどうあるべきか、何のために法曹になるかを改めて深く考えさせられました。これから控訴審が始まり大変かと思いますが、最後まで頑張ってください。本日はありがとうございました。」

「本日は貴重なお話ありがとうございました。この裁判をきっかけとして、今後の刑事司法のあり方に変化が生まれるといいなと思っています。控訴審応援しています。」

「今日まで、刑事弁護の話を聞いても、どこかうさんくさく感じたり、検察と被告人の不平等さについて考えを巡らせるということはなかったのですが、八田さんの話を聞いて、初めて刑事事件について考えようと思いました。非常に貴重な経験になりました。ありがとうございました。」

「客観的に有罪と認定できそうな証拠が極めて限られている中でも、有罪判決の心証を無罪ではないかとの疑いを抱かせることの難しさを強く感じました。座学で習得した知識と実際との違いに驚きました。有罪への恐怖心や取調べに長時間さらされる被告人をいかにサポートし、無罪を導くロジックをくみ立てていくか、弁護士を目指す者として、非常に考えさせられました。ありがとうございました。」

「本日は貴重なお話しありがとうございました。「検察なう」のブログを拝見させて頂いたのですが、八田さんの刑事司法に対する真摯な意見を感じました。これからも、この事件の行方を見守らせて頂きたいと思います。健闘を祈ります。」

「本日は貴重なお話をお忙しい中、本当にありがとうございます。実は自分は、本講義以前から、八田さんの事件について知っていて、ブログ、ツイッター等で追っかけさせていただいてました。ブログのタイトルやプロフィールの画像でも使われている「カマキリ」を「私です」と書かれていたのを初めて見た時、「こんな人が刑事被告人・・・?」と思ったのを今でも覚えています。自分も昔、バンクーバーに住んでいたこともあって、非常に親近感を感じながら応援させていただいています!」

彼らがこの意気を持って法曹界に進むのであれば、日本も捨てたものではないと思います。

全国の法科大学院や法学部の講師や学生の方にお伝えします。私と小松先生はいつでもどこでも刑事司法が正しくあらんことを訴えるため馳せ参じます。是非お呼び下さい。

私の控訴審まであと4日。11月15日が控訴審初公判です。引き続きご注目下さい。

11/11/2013















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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category: 刑事司法改革への道

2013/11/11 Mon. 01:17 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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ブック・レビュー 『ゼロ』 堀江貴文著 

ブック・レビュー 『ゼロ』 堀江貴文著

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私はビジネス書や(スポーツ技術書を除く)ハウツー本を読むことがない。ましてや人生の指南本などは、人にどう生きろと言われることはナンセンスだと思っているためむしろ忌み嫌っている。

成功者の自叙伝や立身出世物語にも興味がない。それは、他人の人生を模倣することをよしとしないからだと思う。

しかし成功者が権力のターゲットにされ「ゼロ」になるという体験を何人の人が共有しているだろうか。しかも政治家でない一般人で。そうであれば、堀江貴文という人間に興味を持たないわけにはいかない。

そして私が齢50歳にして初めて自叙伝的なものを手にしたのが堀江貴文氏の『ゼロ』であった。それは、ビジネス書を読まない私にとって初めての堀江体験だった。

まず彼が東大駒場寮北寮にいたと知って、私の関心は俄然高まった。「かなりハードコアなんだな」と思った。私の仲良かった友人が駒場寮の中寮に住んでいたため、何度となく軟式野球部の部室と化していた彼の部屋に遊びに行ったが、「こんなところによく住めるな」と思ったものである。その当時、電気・ガス・水道代込の寮費は月2千円だったと記憶しているが、堀江氏の時代はいくらだったのだろう。

(自分と堀江氏を比較することはいささか不遜だが)この本を読んで少なからず自分との共通点を知った。重要なそれは「清々しさ」と「前向きさ」である。それらは「すべてを失う状況になっても恨まず、悔やまずという度量」と「マイナスをプラスに転化する胆力」と言い換えてもいいだろう。

『ゼロ』というタイトルは彼の今の心境を実に端的に表している。引用する。

「僕は失ったものを悔やむつもりはない。ライブドアという会社にも、六本木ヒルズでの生活にも、愛着はあっても未練はない。
なぜなら、僕はマイナスになったわけではなく、人生にマイナスなんて存在しないのだ。失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ。メディアを騒がせた「ホリエモン」から、ひとりの「堀江貴文」に戻るだけだ。むしろ、ここからのスタートアップが楽しみでさえある。
ゼロになることは、みんなが思っているほど怖いものではない。
失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。これは経験者として、強く訴えておきたい。」

全く同感である。

そして彼とは、人生のルートは違っていても、到達点である考え方にはシンクロするものを感じた。

例えば、「父と母のいない風景」という章以降に描かれた、サラリーマン家庭の一人っ子の状況は、自営業の4人兄弟長男の私とはかなりかけ離れた印象である。私は総勢8人の大家族に囲まれ、私が東京に一人上京するまでは常に家族がそばに一緒にいた。地理的に離れた今でも私は彼らを非常に近くに感じている。

しかし、「常識を疑い、自分の頭で物事を考えていくため」には親から自立することが絶対必要条件であるという彼の指摘は、今まで意識していなかったが、全くその通りだと思う。

私が、進学先を決めた時も、就職先の電通を1日で辞めた時も、外資系証券に就職した時も、2回の離職の時も一度たりとして親に相談することはなかった。人生の転機においての決定は、自己責任であると当然のように考えていた。

しかし、私を含めた一般人と彼には決定的な違いもある。

資質に関していえば、彼の驚くべき瞬発力や集中力は私にはないものである。一例を挙げると、高校3年の東大模試がF判定でありながら、合格というゴールを達成するためには、まず東大の入学試験では何が要求されているかという本質を見抜く力が必要である。そして結果をデリバリーするため、どのようなステップを踏めば効率的、効果的であるかを考え、それを実行に移すことが必要となる。同じような状況下で、彼と同じパフォーマンスを出せる自信は残念ながら私にはない。

またゼロにイチを足す能力もハンパないものである。これはやはり起業家資質の高さによるものではないだろうか。私は、実家が自営業だったこともあり、サラリーマン志向が強かった。そしてサラリーマンとして働くインセンティブの大きなものは「上司をハッピーにする」というものである。これは一国一城の主を志向する起業家とはベクトルが違うものではないだろうか。野球チームで、若くして監督になることができたとして、また年齢的な衰えがなくいつまでも選手としてプレーできたとして、監督を志向する人もいれば選手を志向する人もいるであろう。私は、間違いなく選手として一線でプレーをしたい方である。

そしてこの本を読んで一番考えさせられたのは、彼のストイックなまでの勤労意欲である。私は現在、刑事被告人として働くことができない。早晩、そうした状況が解消された時に、彼のようなモチベーションを持っているかどうか、全くの未知数である。5年のブランクの後では、もう私の天職である外資系証券の世界には戻れない。その時にほかの仕事に就くことになるのか私には分からない。働くとすればその目的はお金のためでないのは、かつてもこれからも変わることはないが、自分のやりたいことができなければ、働かないという選択もあるのではないかと思っている。

そうした自分にとって、彼の最後のメッセージは応えた。貴重な呼び掛けであり、考えさせられるものである。

彼自身は「一巡してゼロに戻っただけ」と言っているが、彼が収監前と変わったのかどうか、定点観測をしていない私の知るところではない。しかし、刑事司法の矛盾を目の当たりにした彼に以前とは違う社会意識が芽生えていても不思議はないであろう。私がそうであるし、彼にもそれを期待したい。

この書を世に送り出した堀江氏には、読者の一人として感謝したいと思っている。もしあなたが人生で方向性を見失っているとしたら、この書が何らかのヒントを与えるかもしれない。もしあなたが一歩を踏み出すことができずに躊躇しているのであれば、この書がもしかしたら背中を押してくれるかもしれない。その時には、私と同じく、この書と出会えたことに感謝することになるだろう。ともあれ、是非手に取ってみることをお勧めする。

ここをクリック→ ブクレコ『ゼロ』




























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category: ブック・レビュー

2013/11/10 Sun. 02:12 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (344) 「郵便不正事件の真相は今も隠されたまま~村木厚子氏著『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』を読んで」 11/7/2013 

#検察なう (344) 「郵便不正事件の真相は今も隠されたまま~村木厚子氏著『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』を読んで」 11/7/2013

(強制捜査から1787日、控訴審初公判まで8日)

郵便不正事件は、私にとっても個人的につながりの深い事件です。2010年9月の村木厚子氏無罪判決を報道で知ったバンクーバーにいる私に、私の弁護人である小松先生が電話口で「八田さん、神風ですよ!」と言ったことを覚えています。

その時はどのような影響があるかピンと来ていなかったのですが、振り返って考えると、もしこの事件が1年早ければ、私は刑事告発されることはなかったでしょうし、もし1年遅ければ私は逮捕され、「#検察なう」も生まれず、全く違った公判の戦い方になったと思われます。(注1)

この10月25日に上梓されたばかりの、江川紹子氏が構成を手掛けた村木厚子氏著『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』を手に取り、ページをぱらぱら繰って驚いたのは、村木氏の部下で公文書偽造の罪で有罪判決を受けた上村勉氏の写真が目に入った時です。この本には、江川氏が進行を務める村木氏と上村氏の対談が第二部に収録されています。

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郵便不正事件においては、公文書偽造が上村氏の単独の犯行であることは知られていますが、村木氏の無実ばかりがフォーカスされるあまり、彼が事件にどのように関与していたのか、あまり知られていないのではないでしょうか。少なくとも私は、この対談を読むまでは理解していませんでした。私の上村氏のイメージは、偽の障害者団体と結託した悪い奴というものでした。

その彼が、村木氏と対談をするということに驚きました。そしてその対談を読んで、私の認識が完全に間違いであったと理解しました。彼は何ら利益を得ていたわけでもなく、ただ単に偽の障害者団体に騙されて証明書を発行しただけでした。その際に、あまりの業務の忙しさに、適正な手続きを端折って、証明書を発行してしまったものです。そこには悪意はありませんでした。

あれだけ世間を騒がした大事件の郵便不正事件ですから、さぞかし凶悪犯罪があり、その犯罪に無実の村木氏が巻き込まれそうになったと思っている人は多いのではないでしょうか。しかし、その事件そのものは、偽の障害者団体が郵便料金の優遇を得ようと虚偽の申請をし、それに騙された厚労省職員が証明書を発行したというものです。

その証明書発行の際、ただ単に適正な手続きを踏まなかった単純な事件を、彼の上司である村木氏を巻き込み、更にその証明書発行の背景が政治家の便宜を図ったという凶悪犯罪の構図に仕立て上げたのは、検察特捜部の壮大な幻想であったというのが事実です。火のないところに煙を立てたのが検察特捜部です。上村氏も検察のストーリーに沿う虚偽の自白を強要された被害者と言うべきだと思います。

対談の一部を引用します。

上村 「逮捕から数日して、村木さんの名前が出てきました。僕は単なる駒で、本当のターゲットは村木さんや石井議員なんだな、と分かってきて、事件が実際よりはるかに大きなものになって、自分に迫ってきました。でも、どうしてこんな大ごとになっているのか、自分ではさっぱり分からない。」

江川 「そもそも上司からの指示があるなら、こっそり証明書を作る必要もなかったわけですよね。」

上村 「そうです。課長(注:村木氏のこと)が了解している話なら、僕だって自分でやらないで、部下に任せますよ。けれども部下の係員が二人とも異動したばかりで、彼らに任せるのは酷かなと思って自分で抱え込んでしまったのです。僕が自分で証明書を作ったのは、前任者からの引き継ぎもないし、凛の会(注:偽の障害者団体)側の態度からして、前任の対応に不満があるようだったので、僕がやらないとまずいなと思ったからなんです。ただ予算の仕事もあって先送りしているうちに、催促もあり・・・・。障害者団体がまさか悪いことをするとは思っていなかったし、障定協(注:障害者団体定期刊行物協会)から「営利目的には使わないという念書を取ってあるので、証明書を出してください」という紙も来ていたので、課長が出すのも、僕が作って出すのも同じだろう、少しでも負担を減らせるならば、障害者のためになるだろうと、安易な気持ちになって、作ってしまった。それが真相です。」

江川 「ですから、書類は一応整っていたんですよね。なのに、決裁などの手間を惜しんで、必要な手続きを省略してしまったという、単純な事件です。」

上村氏の言葉に表れているように、偽の証明書発行をした彼に悪意がないのは明らかです。上村氏は、検察の取り調べで村木氏が関与していたという虚偽の供述調書を取られますが、それを公判での証言で自らの過ちを訂正しました。

「どうしても、自分が一刻も早く拘置所から出たいという、他人を犠牲にしてでも、自分のことばっかり考えるようになっていく、そういう卑しい自分になりました」と証言する上村氏を傍聴していた村木氏の次女が、「上村さんに、『もう怒ってないよ』って言ってあげたい」と言ったというエピソードもこの本には書かれています。

郵便不正事件では、証拠の中にあったフロッピーディスクのプロパティの日付が、検察の描いたストーリーと矛盾するため、主任検事であった前田恒彦元検事がその改竄をしたということが大きく取り扱われ、前田元検事は逮捕、実刑に処せられました。しかし、そもそも事件のないところに事件を作り出した検察特捜部の捜査のやり方や、無理矢理そのストーリーに合わせた自白を強要して供述調書を作った取調べの是非は全く不問に付されています。

郵便不正事件後の調査には第三者を入れることなく最高検自ら行っていますが、その調査は事件を矮小化して、責任逃れをしている以外の何物でもありません。

検察組織に、郵便不正事件を総括する自浄作用がなく、メディアもそれを報じないという事実は、我々国民にとって悲劇としか言いようがありません。そして事件の実態を知るには、当事者と意識の高いジャーナリストによる検証を待つしかないというのが現状です。

付録として上村氏の被疑者ノート(注2)もあります。
「だんだん外堀からうめられている感じ。逮捕された私から村木の関与の供述が得られれば検察のパズルは完成か。」
「検事のいいところどり作文→こういう作文こそ偽造ではないか。」
「夜一人になると動悸がして絶望感におそわれる。」
「罪のない人をおとし入れることになりはしないか、そのことを私が一生背負って生きていかなくてはならないと訴えたが全々まともにとりあってくれない。」
「眠い。けど眠れない。一人になると心臓がドキドキしてパニックになる。」

非常に生々しい告白です。私も検察の取り調べの過酷さはよく理解しています。

「おわりに」で、村木氏はマスコミ、メディアに関して、「「制度改革」ではなく、まさしく、自らの努力に期待するほかありません」と述べていますが、私は若干異なる意見です。私は捜査当局のリークを厳しく取り締まるべきだと思います。

国家公務員法の第100条1項に「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない」とされ、それに違反する者は一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金(第109条12号)とされている以上、捜査当局のメディアへの捜査情報のリークは明らかに違法です。

秘密保護法などという得体の知れないものを作る前に、既存のルールの枠組みの中で人権を守ることを国民に約束するのが筋というものだと思います。

この本は是非、全ての刑事裁判官の方々に読んでほしいものです。そうすれば、検面調書の特信性(注3)などは危なかっしくて容易に認められるものでないことが分かってもらえると思います。

江川氏は「<解説>真相は今も隠されたまま」と題する論考の最後を以下の文で結んでいます。

「密室での取り調べがもたらした、村木氏の冤罪事件。その真相は今なお、検察の密室の中にしまわれたままだ。」

それでもなおこの書はその密室の中の真相に迫る良書だと思います。是非お手に取って下さい。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (327) 「「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」とはどういうものであったか」

(注2)
弁護人が被疑者に取調べ内容を備忘としてつけてもらうもの。
ここをクリック→ 日弁連 「被疑者ノート」

(注3)
この本では要所要所に江川氏の解説が加えられており、読み応えのあるものになっています。

「特信性」について
「捜査段階の調書は、弁護側の同意がなければ証拠採用されないのが原則。ただし、検察官作成の調書の場合、法廷での証言より調書の方を「信用すべき特別の情況」(特信性)があると裁判所が判断した場合に限り、例外として証拠採用できることになっている。この規定が刑事訴訟法三二一条一項二号の規定に書かれていることから、法律家の間では、「二号書面」と呼ばれる。
建前上は「二号書面」の採用は例外扱いだが、実際の裁判では、検察側が請求すれば証拠採用されるのが当たり前になっている。「信用できない特別の情況」があった場合のみ不採用となるのが現実、と言っても過言ではない。」

11/7/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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category: 刑事事件一般

2013/11/07 Thu. 00:57 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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#検察なう (343) 「府中刑務所文化祭に行ってきました」 11/4/2013 

#検察なう (343) 「府中刑務所文化祭に行ってきました」 11/4/2013

(強制捜査から1784日、控訴審初公判まで11日)

毎年、文化の日には府中刑務所文化祭が開かれると聞き、さっそく行ってみました。

府中刑務所文化祭

府中刑務所は2500人の受刑者を収容する日本最大の刑務所です。外国人の受刑者も多く、住宅地に隣接しているということで話題となることも多いようです。

朝10時開門に、北府中駅を降りたのが9時過ぎ。ところが開門前から既に長蛇の列でした。早っ!

CIMG6238.jpg

そして開門。

CIMG6240.jpg

この府中刑務所文化祭の目玉は何と言っても「プリズンアドベンチャーツアー」。刑務所の中を見学できる貴重な機会です。ツアー入場に更に並び、順番を待つこと1時間半。整理券配布という事前情報だったのですが、今年は並んで入る方式でした。

刑務所内は撮影禁止なので、とりあえず入場まで。完全にテーマパーク状態です(笑)。

ここをクリック→ プリズンアドベンチャーツアー

自動で開く門を入ると、奥にも二重に門があり、後ろの門が閉った後に高く取り囲む塀に切り取られた空を見上げるとやはり緊張感が走りました。

そこからマイクロバスで所内を移動し、バスを降りてから歩いて所内を見学です。20人ずつのグループの前後に刑務官が付いて、解説をしてくれます。案内をしてくれた刑務官は前原誠司氏そっくりの方でした。「みなさん、お連れの方はいますか。それでは誰も脱獄した人はいないということで進みます」とか、子供に「はぐれると、二度と出られないからね」とか言っていました。なかなかお茶目な刑務官でした。

無題

(写真は本人ではありません)

ツアーは主に受刑者の作業場を周り、どのような活動をしているかというものが中心で、残念ながら寝食している場所を見ることはできませんでした。それでも受刑者の生活に一番近付いたのが、風呂場の見学でした。週2回、1回の入浴時間が15分と定められた入浴には色々なルールがあり、注意書きが掲げてありました。曰く、「かけ湯は2杯」「入浴中に使うお湯は12杯」等々。面白かったのが、もみあげの長さの規定でした。注意書きの看板にこのような絵が描かれており、もみあげの長さは目の位置までとされていました。尾崎紀世彦ばりのもみあげの人は「お、俺のもみあげが....」と言うところでしょうか。

ここをクリック→ もみあげの長さ

(絵は私が描きました)

ツアーを終了して外に出ると、何となくほっとしました。やはり塀の中には入りたくないものです。

ほっとするとおなかがすいたので、模擬店で腹ごしらえ。全て刑務所職員による模擬店で、職員の部活ごとの出店でした。イベントクラブ(何をするんだ?)の焼き鳥とサッカー部のホットドッグを買いました。

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山のような人出が狙っていたのは、全国の刑務所の受刑者の方が作る様々な商品の展示即売会です。それらは「ひそかにブーム」だったり、「アノ話題の」だったりのようです。

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とにかくいろんなものがあります。

府中刑務所製作革トートバッグ(「府中2号」という商品名でした)。5980円。

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こちらは甲府刑務所製作のパンダのぬいぐるみ。これも革製品。

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これは函館少年刑務所製作「イカール星人メモ」。

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そのほかにもお茶(鹿児島刑務所)、備前焼風陶器(岡山刑務所)、みこし(富山刑務所)、剣道具(熊本刑務所)、そばがら枕(長野刑務所)、文鎮(金沢刑務所)など本当に色々なものがありました。そしてこれは黒羽刑務所製作のキティだるま。

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さすがにご当地「マル獄」バージョンではありませんでした。

そして勝手に刑務所製作商品のグランプリを選ばせて頂きました。それが月形刑務所製作ダイニングテーブル。14万9100円なり。モダンなデザインで非常に質感のよい、完成度の高い商品でした。月形刑務所の受刑者の皆さん、おめでとうございます。

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準グランプリは高松刑務所製作の民芸チェスト、18万8000円なり。なかなかでしょ。

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総じて木工製品の出来は水準が高いと思いました。

会場では、刑務所職員によるバンドのステージもありました。グループ名は「デビルズ」。刑務官が悪魔でいいんかい、とも思ったのですが。レパートリーは、ハードな見かけにそぐわぬいわゆるムード歌謡で、健康ランドの宴会場あたりがぴったりの感じでした。そういう雰囲気が受刑者に受けるのでしょう。

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そして最後に、府中刑務所文化祭名物コッペパンの販売に並びました。これがまた長蛇の列。午前、午後と2回の販売があり、午前800人、午後700人限定の販売です。

CIMG6279.jpg

なくなってしまわないか結構ドキドキでしたが、無事ゲットしました。2個で100円。

写真 (1)

味はちょっと塩味のある昭和な感じでした。ということで、刑務所職員や受刑者の方々のことを考えながら過ごした1日でした。なかなかない機会なので、皆さんも機会があれば是非ご参加下さい。

11/4/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


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category: 刑事事件一般

2013/11/04 Mon. 01:51 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『凶悪』 白石和彌監督  

フィルム・レビュー 『凶悪』 白石和彌監督

凶悪

映画『凶悪』鑑賞。

いつもおいしいところを持っていくリリー・フランキーが連続殺人の首謀者役をやっているということで興味をひかれ観てみました。ノンフィクションベストセラー小説『凶悪 ある死刑囚の告発』(新潮45編集部編)を原作とした社会派サスペンス・エンターテインメント映画です。

主人公のスクープ雑誌記者(山田孝之)にヤクザの死刑囚(ピエール瀧)から手紙が届きます。彼には余罪があり、営利目的で複数の老人を殺しその資産を横取りしていたとの告白。そしてその首謀者(リリー・フランキー)は野放しになっているとのこと。その告白を元に取材を続けるうち、彼は壊れていき、その首謀者を死刑にしたいと憎み始めます。

原作は未読ですが、多分事件の描写がほとんどかと。映画ではそれに加え、サブ・プロットに、壊れていく記者の私生活を絡めてます。

映画はとにかく暗いです。上映時間の大部分をなす連続殺人がとにかく陰惨。園子温監督の『冷たい熱帯魚』を思い出しました。そしてリリー・フランキーがやばいくらい冷酷な役を演じてます。自分の手を汚さないため、直接の殺害にはヤクザを使うのですが、その様子を楽し気に見て、暴行に嬉々として加わります。まさに怪演。

サブ・プロットの記者の私生活の描写がなければ単なる露悪趣味かなという感じですが、要介護の親を抱え、妻(池脇千鶴)との関係が冷えていく様子は現実的な人間ドラマ的要素があります(相当げんなりしますが)。

ということで、くらーくなりたい人に(ってそんなんいるんかい)。

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(Facebook 11/2/2013より転載)



















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category: フィルム・レビュー

2013/11/03 Sun. 16:06 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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