「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その3 「被告人の心構え (3) 不公平感を持たずに、いつも明るく楽しく」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その3 「被告人の心構え (3) 不公平感を持たずに、いつも明るく楽しく」

阪神大震災の時でした。被災地の復興が遅れているという報道を目にして、モラルの低下を心配しました。なぜ自分たちがこういう目にあわなければならないのだろうという憤懣が伝わってきたからです。

戦後の焼け野原の状況は経験していませんが、祖母からよく聞かされました。その頃はもっと大変だったろうに、不満の質は違っていたのだろうと思います。それは、みんなが皆大変だったために不公平感を感じなかったからだろうと思います。

人として一番自分を貶める感情は、不公平感からくる妬み(ねたみ)や嫉み(そねみ)だと思います。それは、自分が他人のレベルに達することが適わない状況下で、他人を自分のレベルに引きずりおろして溜飲を下げようとする心持ちです。それは何の解決にもならないどころか、前向きに物事を対処する意欲の低下につながるものです。

普通人は、「冤罪被害にあうような者は何かの原因があってそういう目に会うのだろう。因果応報だな。だから自分は冤罪なんかとは全く関係がない」と思いがちです。残念ながらそれは正しくありません。普通に生活している人が巻き込まれるのが冤罪です。

そうすると、巻き込まれた人は必ず思ってしまいます。「なぜ自分がこういう目にあわなければならないのか」と。私は当事者だけに痛いほどその気持ちは分かりますが、当事者だからこそはっきり言います。世の中はそもそも不公平なものなのだ、と。

そして「世の中はそもそも不公平だ」と諦めるだけでは、マイナスをニュートラルなポジションに戻すだけに留まってしまいます。せっかく冤罪に巻き込まれたのであれば、もう一歩足を踏み出してみませんか。

不公平感を自分の心に侵入させることなく、「自分を苦しめるこの理不尽なことは、他人に経験させてはならない」と「正しい不満」を持つことが必要です。

冤罪との戦いを自分だけのためではなく、世のため人のためと考え、そのために自分が選ばれたと考えることはできないでしょうか。そう考えることは間違いなく冤罪と戦うあなたに勇気を与えます。そのために自分が選ばれたという、新造人間キャシャーンではありませんが「俺がやらねば誰がやる」という気持ちです。

「試練は越えられる人にしか与えられない」という言葉があります。その言葉は絶対的には正しいとは思いませんが(例えば虐待死は殺された子供にとっては到底越えられる試練ではありません)、心の持ち様、あるいは「越える」ことの意味を考えることで、試練は必ず越えられると思うことは心の支えになります。

冤罪という試練を「越えること」が、「無罪を得ること」だとすれば、それを越えるのはほぼ不可能です。しかし「越えること」が、「自分の信念を曲げず、捨て石になっても理不尽な国家権力にノーと主張すること」であれば、そう考えた瞬間にあなたは試練をほぼ越えることができています。そして人は、自分のために生きるよりは、人のために生きる方が強くいられることを忘れないで下さい。

また、冤罪という過酷な状況を乗り越えるためには、人の助けが必要になることは間違いありません。その時に、自分の悲惨さを訴え、同情を誘うことはあまり得策とは言えません。彼らには彼らの人生があり、不幸に接することを厭うのが人間の性(さが)だからです。

布川事件の冤罪被害者桜井昌司さんは、いつも自分の巻き込まれた冤罪事件のことを支援者に語る際に「明るく楽しい布川事件」と言っています。私も「明るく楽しいクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」とまでは言わなかったものの、支援してくれる方に「#検察なう Tシャツ・プロジェクト」と題して、「#検察なう」のロゴを入れたTシャツを着て写真を撮ってもらいそれをブログに掲載したり、公判を参加型イベントと称して、ツイートをしてもらったりしました。不謹慎だという声もありましたが、私は何も悪いことをしていない以上、何ら恥じる必要はないと思っていました。

冤罪に巻き込まれた方は、伴走者に精神的負担を掛けるマラソンランナーより、一緒に走りたいと思わせるマラソンランナーを是非とも目指して下さい。そしてみんなで一緒にゴールした喜びを分かち合えればいいと思います。それが勝利という結果であろうがなかろうがそんなことはどうでもいいことです。一緒にみんなで走ったという思い出が、あなたの人生にとっての宝になるはずです。

冤罪と戦うあなたを私は応援します。頑張って下さい。










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category: 無罪を勝ち得るために

2014/04/28 Mon. 00:55 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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「Autumnのこと」 4/27/2014 

「Autumnのこと」 4/27/2014


初七日を迎えました。

刻一刻と容体が悪くなって行く中、動物病院に連れて行った時には、まさか連れて帰ることができなくなるとは予想すらしていませんでした。

「医者として私は、彼女を返すわけにはいかない」と言う医者に、回復する可能性もあるのではとどうしても判断がつかず「一晩だけ一緒にいさせてくれ。彼女は生きたいと思っているのではないか」と言いました。医者は、「彼女は人間の言葉を話すことができないから、私が代弁するが、彼女はもう行かせてくれと言っている。もし連れて帰るなら、私はSPCA(動物虐待防止協会)に連絡しなくてはならない」と言われ、諦めざるを得ませんでした。

私に抱きかかえられ、薬物を注入するその瞬間まで、私は自分が取り返しのつかない恐ろしいことをしようとしているのではないかという思いに苛まれましたが、彼女が息を引き取る瞬間、医者の判断は正しかったと理解しました。彼女は全く苦しむことなく旅立つことができたからです。

彼女は19歳の天寿を全うしたと、私は思っています。

私にとっては、命の灯が消える瞬間を目の当たりにする初めての経験であり、以来、いろいろなことを思います。勿論、彼女が生きていた頃の思い出も。私は、バンクーバーにいる間はNYマーケットのオープン(バンクーバー時間で朝6時半)を見る習慣なので、早起きの勤勉な給仕係でした。それでも起きてこないとみると、ベッドに上がってきて、顔をぺしぺし叩いたり、それを無視しているとおでこに噛みついてきました。

それから、必ずや来る私の両親の死、あるいは自分の死といったことも考えました。死に目に会うことの意味や幸運さも分かった気がします。

また命を奪うことの責任も考えないわけにはいきません。私が裁判員になって、死刑を宣告しなくてはいけない時には、処刑に立ち会う覚悟をもって判断する心構えができました。存置派の方には是非考えてほしいと思います。アメリカで行われている薬物注射の処刑がいかに人道的であるかということも理解しました。

医者は若い女医でしたが、彼女の“All the living have right to die with dignity.(全ての生きとし生ける物は威厳をもって死ぬ権利を持っている)”という言葉は、最後の瞬間に私を見つめていたオータムのまなざしと共に忘れることはないと思います。

Rest in Peace, Autumn.

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4/27/2014

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2014/04/27 Sun. 09:40 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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Autumn 

R.I.P

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2014/04/20 Sun. 21:17 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (388) 「報道被害について考える~刷り込まれる『推定有罪』(2)クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」 4/17/2014 

#検察なう (388) 「報道被害について考える~刷り込まれる『推定有罪』(2)クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」 4/17/2014

前回に続き、報道被害について考えてみたいと思います。今回のケース・スタディは、私が巻き込まれたクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件を定点観測します。刑事告発の報道から、検察上告断念=無罪確定まで朝日新聞の報道を追ってみます。

この事件に関し、全ての新聞・テレビでまず第一報を打ったのが朝日新聞のデジタル版でした。タイトルは「所得20億円申告漏れ クレディ・スイス社員100人」です。

ここをクリック→ 朝日デジタル 刑事告発報道①

タイム・スタンプは2010年2月19日未明です。国税局は、警察や検察と異なり、公式の記者会見を行いません。つまり国税局関連の報道は全て非公式のリークに基づくということになり、各社の情報量には差異が生じます。朝日新聞が第一報を打ったのも、彼らが当局に近く、より詳細にリークを受けていたためと思われます。

実際には、私の告発は前年の2009年12月にされていたことが後から分かりました。国税局は報道のアナウンスメント効果を最大限引き出すため、確定申告シーズンまでリークを押さえていたものです。

その日の朝日新聞の朝刊です。タイトルは「外資社員、甘い法意識 「海外口座ばれぬ」」です。

ここをクリック→ 朝日新聞 2/19/2010朝刊 刑事告発報道

報道各社はこの記事をもってゴー・サインが出たと判断し、テレビは昼のニュース、朝日新聞以外の新聞も夕刊で一斉報道することになります。

かぎ括弧は普通、会話を引用する際に用いますが、敢えて「海外口座ばれぬ」とかぎ括弧でくくるところは、あたかも申告漏れをした者がそう言っているかのような印象を受けます。

この報道以降、ほぼ全ての報道が「ストック・オプション」を連呼するようになりますが、実際にはストック・オプションは申告漏れとなったもののごく一部で、大部分は会社の現物株です。それは、現金の代わりに現物支給された株式報酬です。「ストック・オプション」と限定することで、何か特別な雰囲気を醸し出そうとしているような作為を感じます。

また記事の中で言及されているゴールドマン・サックス証券では、当時から株式報酬は源泉徴収されており、そうした者たちに、株式報酬が源泉徴収されていない会社の状況を聞いても全く意味がないと思われます。彼らが実体験ではなく類推で語る言葉の中で、都合のよいものだけを抽出するということが記事の構成で行われています。

ちなみに「申告漏れ」とは計上忘れや会計処理の判断が税務署の考え方と違っていた場合の事を指し、株式報酬を申告しないことは「無申告」と言います。クレディ・スイス証券の税務調査対象者は約300人でしたが、「300人のほとんど全てが「申告漏れ」により修正申告、そのうち100人が株式報酬を「無申告」で過少申告であった」とするのが正しい用語の使い方です。

報道各社に先んじるこの時点での報道は、私個人の刑事告発の報道ではありませんでした。その報道がなされるのは、やはり朝日新聞デジタル版が先んじています。タイムスタンプが同日15時2分の以下の記事です。タイトルは「クレディ・スイス元部長も脱税容疑 3.5億円所得隠し」。

ここをクリック→ 朝日デジタル 刑事告発報道②

この記事では私の過少申告が故意であったと断定しています。それが「所得隠し」という用語です。

ここをクリック→ 「申告漏れ」「所得隠し」「脱税」何が違うの?

前回のブログの「岩手17歳女性殺害事件」公開捜査のポスターで、被疑者を「犯人」とすることと全く同じことが全国紙の報道で行われています。

更に、内容に関して目を引くのは、やはり「クレディ・スイス証券元部長の脱税容疑の構図」と題されたチャート図ではないでしょうか。金融機関の名前を並べて、資金の流れを→で示しただけなのですが、「何やら怪しいことをしている」雰囲気がプンプン漂ってきます。極め付けは、爆発マークに囲まれた「約3.5憶円申告せず」という文言でしょう。多分、この爆発マークはびっくりマーク「!」10個くらいの強調ということなんでしょう。「申告せず!!!!!!!!!!」ということです。

記事の内容で明らかに事実に反し、有罪方向に印象付けようとしているのが「ナンバーアカウント」の記述です。私が資産を管理していたのは、(記事にあるCSのスイス本店のプライベートバンクではなく)シンガポールのUBS銀行のプライベートバンクです。私の知人息女がそこに就職して、口座を開けてほしいと頼まれたため、随分以前に日本の銀行から送金して開設したものです。プライベートバンクでは、確かにナンバーアカウントと呼ばれる無記名口座を開設することもできましたが、私はその必要性を感じなかったため、普通の記名口座を開設して、それを使っていました。

そのシンガポールの口座が記名口座であることは、国税局は重々承知していたため、この部分は、「スイス=プライベートバンク=ナンバーアカウント」という怪しげな方向への想像力をたくましくして朝日新聞の記者が書いたものです。実際には、そのプライベートバンクはスイスでもなければ、ナンバーアカウントでもなかったのですが。

更に私が悪質だと感じるのは、最後に顧問税理士の言葉を引用している点です。「守秘義務があるので個別の話は答えられない」という実に当たり前のことをさも仰々しく引用していることで、「怪しいから隠しているのでは」という懐疑心を煽ろうとしている意図があからさまです。

朝日新聞の当日夕刊ではタイトルこそ微妙に違え、内容は全く同じ記事が掲載されました。

ここをクリック→ 朝日新聞 2/19/2010夕刊 刑事告発報道

私は当事者として、これまであまり匿名報道の重要性を感じていませんでした。それはいかに匿名報道であっても、この朝日新聞の記事のように悪意を持って犯人視された記事の方がよほど報道被害としては甚大だと思っていたからです。この刑事告発の時点では、顕名・匿名が入り混じっていましたが、1社でも顕名とすれば、ネット検索ですぐに誰か特定できるので、「我が社の報道は匿名だから人権に配慮している」などとは(少なくともこの朝日新聞の記事を読んで)当事者の私は同意することができなかったものです。そこには、顕名の記事を書くからには内容に関してもより慎重に扱い、報道後もきちんとフォローアップする責任が生ずるという期待もありました。

しかし、その考えが揺らいでいるのが現状です。それは英語で「Takashi Hatta Credit Suisse」とググって頂ければ分かります。一番上にヒットするのは、共同通信社が刑事告発の際に、顕名報道したもので、彼らはその後、私の無罪判決、無罪確定といった一連の記事を英語で発信していないため、日本語以外の報道(先の英語の記事は私が確認しただけでも、フランス語、ドイツ語に翻訳されて配信されています)では、私はいまだに刑事告発された脱税犯扱いという状況です。

このように、「顕名報道→その後、無罪となっても報道されない」という事件報道の状況は、著しい人権侵害をもたらすということは言えると思います。

ある事件報道を見て、その事件報道が「推定有罪」に基づくものでないことをどのように判断すべきでしょうか。それは簡単です。被疑者・被告人の言い分が書かれているかどうかです。

この一連の朝日新聞の記事の中に、私が「無実を主張している」と一言でもあったでしょうか。そしてそれがあれば、少なくとも当局と私の言い分が違っていると人は知ることができると思います。捜査当局の一方的な情報に基づいて書かれた記事は、相当「推定有罪」を織り込んでいると考えていいと思います。

ここでは朝日新聞を取り上げていますが、そのほかのメディアも似たり寄ったりの状況でした。私が、刑事告発後、記事を書いたある全国紙の記者の方と話をした際には、「八田さんは起訴され、有罪になります。そうじゃなければ、私たちは怖くて記事が書けないですから」と言われました。

また、ある記者の方がこの事件は無罪になる可能性があると後輩記者に注目するようにと言った際に、「~さん、どっちの味方してんですか!」と言われたと嘆いていました。番記者が捜査当局にべったりということがよく分かる事象です。

その後の、朝日新聞の報道を見て行きます。まず一審無罪判決報道。タイトルは「脱税事件で無罪判決」。

ここをクリック→ 朝日新聞 3/1/2013朝刊 一審無罪判決報道

「脱税事件」というタイトルは頂けないとしても、内容は過不足ない感じです。この記事はそのほかの社の記事と比較するとかなりいい方でした。ただ刑事告発時の、思い入れたっぷりの記事のトーンではないことは確かです。やはり査察・特捜事案で史上初の無罪判決なのですから、歴史が変わったくらいに書いてほしいものです。また私のコメント以外に、捜査の問題点を指摘する言葉は一切ありません。

これが、控訴審の検察控訴棄却、あるいは検察上告断念で無罪判決確定の報道となると、探すのも大変なくらい小さな扱いです。

控訴審の検察控訴棄却 「証券会社元部長 二審も無罪判決」

ここをクリック→ 朝日新聞 2/1/2014朝刊 控訴審無罪判決維持報道

検察上告断念で無罪判決確定 「脱税訴訟、高検が上告断念」

ここをクリック→ 朝日新聞 2/15/2014朝刊 無罪確定報道

これらの記事は、社会面(いわゆる三面記事)ではなく、更にページをめくった第3社会面と掲載される場所も相当格下げされています。それでも掲載されるだけよしとしなければならないということなのでしょうか。これらを報じないメディアもあったくらいなので。

最後に、無罪確定後の報道の姿勢に言及した江川紹子氏の記事を添付します。

ここをクリック→ 江川紹子氏『無罪確定。されど・・・』

この具体例を通して、報道被害の問題を一緒に考えて頂ければと思います。

4/17/2014

















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2014/04/17 Thu. 01:28 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (387) 「報道被害について考える~刷り込まれる『推定有罪』(1)」 4/14/2014 

#検察なう (387) 「報道被害について考える~刷り込まれる『推定有罪』(1)」 4/14/2014

今回、次回と2回に分けて、報道被害について考えてみたいと思います。

先日、気になるニュースがありました。タイトルは「公開捜査の中止請求棄却 少女殺害事件で盛岡地裁」。ニュースはこちら。’

ここをクリック→ 「公開捜査の中止請求棄却 少女殺害事件で盛岡地裁」(日経新聞)

これはメディアによる報道被害よりも更に激烈な、捜査機関による直接的な人権侵害の事例です。問題点は、メディアによる報道被害と同様、知らず知らずのうちに『推定有罪』が刷り込まれ、我々の意識が「汚染」されていることにあります。

普段何気に目にしている公開捜査のポスターですが、彼らは裁判で有罪となったわけではありません。ニュースになった裁判では、殺人犯として指名手配されている容疑者の父親が公開捜査は推定無罪原則に反するとして中止を求めていたものです。

小原勝幸

懸賞金を懸けての公開捜査のポスターには「17歳(当時)の少女を殺害した犯人です」とあります。このポスターを見て、彼が犯人ではない可能性があると思う人はどれくらいいるでしょうか。裁判を経ていない容疑者を「犯人です」とすることが、本人や家族に対する人権侵害であることは言うまでもないと思います。そしてそれは、我々の想像をはるかに超えた苛烈なものだと思います。そして重要なことは、それはこの事件が冤罪であるかどうかとは全く次元が違う議論だということです(注1)。

PC遠隔操作事件の報道でも、片山祐輔氏が犯人であるなしに関わらず、容疑者の段階から犯人視した報道がなされることの危険性をこれまで何度も指摘してきました(注2)。

先日再審開始が決定した(破廉恥にも検察は即時抗告しましたが)袴田事件でも、事件当時「血染めのパジャマ」「ジキルとハイド」「異常性格」といった警察のリークを垂れ流した報道がなされていたことが問題視されています(注3)。

冒頭に挙げた警察の「犯人」と断定した公開捜査ポスターは論外の更に外として、既存メディアが捜査権力のリークをそのまま垂れ流すことは、厳しく批判されるべきことです。しかし、それは同時に我々情報の受け手のメディア・リテラシーの問題でもあると思います。もし多くの人々が、既存メディアの事件関連情報の情報源は捜査当局にあることを理解し、その信憑性を疑い、より第一次情報に近い情報を求めてインターネット等で裏を取るようになれば、既存メディアも安易に大本営発表を続けるわけにはいかなくなると思われます。

事件報道に接した際、それを正しく評価するメディア・リテラシーは、良識ある者としての教養、素養であるだけではありません。もっと直接的に必要である理由は、我々は裁判員になる可能性があるからです。裁判員になった時に、捜査当局のリークにより一方的に書かれた報道に「汚染」されてしまえば、冤罪を作り出す直接の加害者になってしまうことになります。司法への一般市民の参加が求められている今日、報道の中の「冤罪リスク」を正しく評価することが求められ、それは普段からメディア・リテラシーを高める努力なしには得られるものではないと思います。

(注1)
訴えを起こした父親が日弁連に人権救済の申し立てを行った際のインタビューの動画がありますので、ご関心のある方はご覧になって下さい。

ここをクリック→ 小原勝幸父親の人権救済申し立て記者会見

この「岩手17歳女性殺害事件」を調べてみると、警察のダークサイドを垣間見、暗澹とした気持ちになります。そしてそこでは、メディアが事件を取り上げないという不作為の報道被害があります。興味のある方は、Youtubeで「黒木昭雄さんの最後の映像」と検索してみて下さい。元警察官のジャーナリスト黒木昭雄氏が、2010年11月に自殺するまで追いかけていた事件がこの「岩手17歳女性殺害事件」です。10部に分かれた全長126分の動画ですが、なぜ目撃者なし、物証なし、動機なしの殺人事件の容疑者が捜査特別報奨金制度の対象となったかのヒントがそこにあります。

(注2)
ここをクリック→  #検察なう (299) 「PC遠隔操作事件における捜査及びメディア報道の問題点」

(注3)
ここをクリック→ ビデオニュース・ドットコム「袴田事件再審決定・捜査情報を垂れ流したメディアに警察・検察を批判する資格があるか」

4/14/2014


















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: 刑事事件一般

2014/04/14 Mon. 00:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『her/世界でひとつの彼女』 スパイク・ジョーンズ監督 

フィルム・レビュー 『her/世界でひとつの彼女』 スパイク・ジョーンズ監督


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映画『her/世界でひとつの彼女』観賞。

初監督作の『マルコヴィッチの穴』で失望して以来ご無沙汰のスパイク・ジョーンズ監督。人工知能が人格を持つという設定は、特に新しいわけではなく、『2001年宇宙の旅』や最近なら『A・I』『アイ, ロボット』があります。そして、これは人工知能と人間とは恋愛をすることができるかという設定。

設定は非常に近い未来のロサンジェルス。離婚間際の主人公が、新製品として売り出された人工知能を持ったパソコンのOSをたまたま自分のパソコンに入れたことが、人工知能サマンサとの出会いでした。ウィットに富み、理解力に長けた(そりゃそうだコンピューターだもんね)サマンサと恋に落ちることはお約束ですが、その後、リアルな恋愛が山あり谷ありのように、サマンサとの恋も紆余曲折があります。

マシンに恋愛感情を抱くなんてキモいと思わずに観ると、恋愛で相手に何を求めるかという問題を扱っているような気がします。なので映画のカテゴリーとしてはラブロマンスとしたいところで、恋愛物としても結構いい感じでした。

エンディングもなかなかいい感じ。声だけの出演のスカーレット・ヨハンセンが、オスカー初の声だけの出演でノミネートかと期待されましたが、それはならず(ローマ映画祭で主演女優賞を取ってます)。総じて評価されてる映画で、今日も平日の割には人が入っていましたが途中で二人ほど席を立ったかな。人によっては退屈と思ったかも(確かに、サマンサが普通の人間だったら、ごくごく陳腐な話になってしまいます。エンディングを除けば)。悪くないと思いましたが、オスカーはないな。

ここをクリック→ 『her/世界でひとつの彼女』予告編

(Facebook 1/21/2014より転載、日本公開 6/28/2014予定)












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: フィルム・レビュー

2014/04/13 Sun. 05:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (386) 「黙秘権について」 4/10/2014 

#検察なう (386) 「黙秘権について」 4/10/2014

先日、青木理氏の最新作(2013年11月上梓)『誘蛾灯』を読みました。非常に蠱惑的な作品で興味深かったので是非読んでみて下さい。

こちらが私のレビュー。
ここをクリック→ ブック・レビュー『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件』

本の題材は鳥取連続不審死事件に関するものですが、刑事司法に造詣が深い青木氏の作品だけあって、ところどころに刑事司法の在り方や問題点が語られています。その中でも特に興味深かった論点が黙秘権に関してでした。

まず、こちらの音声をお聞き下さい。これは青木氏が『誘蛾灯』出版後、TBSラジオの荻上チキ氏の番組に出演した際の黙秘権に関するコメントです。

ここをクリック→ 青木理氏「黙秘権に関して」

以下、『誘蛾灯』の中から、黙秘権に関する部分をたっぷり引用します。誰しも裁判員制度の下では、人を裁く立場になり得ますので、知っておくべきことだと思います。

(以下引用)
なぜ黙秘権が重要かつ決して侵してはならない権利として被訴追者に保証されているのか、黙秘権の存在自体は比較的知られていても、その理由については案外に知られていない。美由紀の公判をめぐっても、裁判員として判決言い渡しにかかわった人々の中からも無知丸出しの言辞が飛び出し、それに一部メディアが無批判に同調するというみっともない出来事が発生した。従って、ここで黙秘権の意味と由来について触れておくのは、決して無駄なことではないと思う。

言うまでもないことだが、国家権力は強大である。その権力の所在が政治家にあるのか行政官僚にあるのかといった議論はともかく、国家権力は途轍もなく強大であり、刑事司法の捜査段階に検察や警察がその権力を代行する。

したがって検察や警察には強力な捜査権限が付与され、膨大な人員とカネを投じて証拠等を収集し、関係先の捜索や関係者の取調べを行い、被疑者の身柄を拘束して刑事裁判にかけることができる。それと比べた時、一個人にすぎない被疑者、被告人=被訴追者の立場はあまりに弱く、その力の差は圧倒的である。

だからこそ刑事裁判においては、被訴追者が有罪であることを証明する責任は全面的に訴追機関の側が負い、合理的な疑いを超える確証を得られるところまで立証することが求められる。それができなければ無罪。あらためて記すまでもない。「疑わしきは被告人の利益に」の原則である。

黙秘権とは、そうした強大な権限を持つ訴追機関と対峙する一個人=被訴追者が自らを防衛するために付与された数少ない権利であり、自らに不利なことはもちろん、一切の供述を拒むことが保証されている。証拠によって有罪であることを立証するのはあくまで訴追機関の側であり、訴追される側にそのような責はまったくないからである。

つまり、刑事司法手続きの中で黙秘権を行使したことが不利に扱われるようなことがあってはならないし、それが非難されるようなことを許してしまえば、近代刑事司法の大原則が根幹から覆ってしまう。さらに言うなら、黙秘権を行使すると表明した被告人に対し、検察官が次々と質問を浴びせかけること自体、予断を与えかねないものとして避けるべきだという声も根強い。

従って、「犯罪を犯した者がダンマリを決め込み、真実を語ろうとしないのは卑怯だ」などという俗耳に入りやすい戯言は、飲み屋で酔客が撒き散らす放談としてもレベルが低いが、刑事司法に関わる者やメディア関係者ならば決して口にしてはならない類の禁句である。

ここで法律の素人である私が偉そうに長々と講釈をたれるよりむしろ、刑事司法のプロフェッショナルによる解説を紹介しておきたいと思う。

1998年7月に和歌山市で発生した、いわゆる毒物カレー事件はご記憶だろう。(中略)一審・和歌山地裁(裁判長・小川育央)の公判で眞須美は黙秘権を行使し、被告人質問で検察側が執拗に浴びせかけた問いにも一切口を開こうとしなかった。これに被害者遺族が強く反発し、一部メディアも遺族感情に共鳴する報道を繰り広げ、法廷で眞須美が黙秘したことに猛批判が浴びせられる事態が現出したのである。

近代刑事司法が被訴追者の重要な権利として保証した黙秘権の行使が批判の俎上に載るという異様な状況には裁判所もさすがに危機感を覚えたのであろう。一審・和歌山地裁の判決は黙秘権について相当な分量を割いて異例の言及をし、その意味と重要性を諄々と説いた。(中略)一審判決が提示した黙秘権に関する言及は極めて明快で、その重要性を的確にまとめたものといえる。やや長くなるが、該当部分を以下に紹介したい。

≪刑事手続きは、国家権力が個人に強制力を使ってまで事案を解明することを求めており、訴追機関と被訴追者である個人が真っ向から対立することを予定している。しかし、訴追機関と被訴追者の力のアンバランスは明白であり、それが種々のえん罪を生んできたことは歴史上明らかである。

そこで、法は、力のアンバランスが悲劇を生まないよう双方の力のバランスを保つため、被訴追者たる個人は国家権力の行使者である訴追機関に対して自ら弁解を主張する必要はなく、訴追機関側が考えられるあらゆる弁解をその責任において排斥すべきこととしたのである。そのために設けられた制度が黙秘権である。

ところで、事実上黙秘することは、特に権利とされるまでもなく、誰にでもできることである。したがって、黙秘することを「黙秘権」という権利まで高めた眼目は、まさに、黙秘したことを一切被訴追者(被告人、被疑者)に不利益に扱ってはならないという点にあるといわねばならない。(中略)

社会的には、不利な事実に対して黙秘することは、それが真実であって反論出来ないからであるという感覚の方が相当なのかもしれない。したがって黙秘したことを被告人に不利に扱ってはならないという黙秘権の制度が、一般世人にとって、納得のいかない印象を与えるのはむしろ当然なのかもしれない。

しかし、刑事裁判においては、被告人が黙秘したことを不利に扱えば、被告人は弁解せざるを得ない立場になり、結果的には弁解するだけではなく、弁解を根拠づけられることまで求められ、ひいては、国家権力対個人という力のアンバランスが生む悲劇を防ぐべく、攻撃力と防御力の実質的対等を図ろうとしている刑事訴訟の基本的理念自体を揺るがすことに結び付きかねないのである。

したがって、黙秘権という制度は、むしろ黙秘に関する社会的な感覚を排斥し、それ以外の証拠関係から冷静な理性に従って判断することを要求していると解すべきであり、もし黙秘するのはそれが真実であるからという一般的な経験則があるとするなら、むしろそのような経験則に基づく心証形勢に一種の制約を設けたもの(自由心証主義の例外)ととらえるべきものである≫

専門的で分かりにくい部分があるかもしれないが、言わんとするところは明快であろう。

つまり黙秘権とは、圧倒的な力を持つ国家権力=訴追機関と対峙させられる被訴追者にとって最重要の権利の一つであり、近代刑事司法の根幹を成すものの一つである。一般的な感情から納得しにくい部分があっても、そうした俗情的な反発はむしろ徹底して斥けられ、冷静な理性に依って原則を守りぬかねばならない。だから「無実ならきちんと弁明せよ」とか「後ろめたいところがあるから喋れないに違いない」などという低劣な批判は、近代刑事司法の根幹を腐食させてしまいかねない妄言として排斥される必要がある。
(引用以上)

4/10/2014













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category: 刑事事件一般

2014/04/10 Thu. 00:16 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その2 「被告人の心構え (2) セカンドレイプに耐える強さを持つこと」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その2 「被告人の心構え (2) セカンドレイプに耐える強さを持つこと」

セカンドレイプという言葉があります。それはレイプ被害者がその後の経過において更なる心理的ダメージを受ける二次被害のことを指します。

冤罪におけるレイプ犯は捜査当局や司法当局ですが、冤罪にもセカンドレイプ相当の二次被害があります。捜査当局の一方的なリークによる犯人視する報道、SNSやブログへの書き込みといった顔の見えない非難や中傷、そして友人・知人の無視・無理解などです。

冤罪被害者の心からの欲求は、自分の無実を一人でも多くの人に信じてほしいというものです。そしてセカンドレイプの度合いは、冤罪被害者が無実を訴えれば訴えるほど、作用・反作用の原理のごとく大きくなります。

私はツイッターやブログを通して最大限の情報の拡散に努めたため、やはり非難・中傷にさらされ、消耗することもありました。行き当たりばったりのそれならまだしも、同じ人から幾度も粘着質の書き込みをされるとやはり気分は滅入るものです。

そうした顔の見えない非難・中傷よりも更に応えるのが、友人・知人の冷ややかな態度です。私は、自分の人物評定を嘆願書として友人・知人に依頼したため、拒否反応を示す人のリアクションは明らかでした。最初依頼した時は「書くよ」と言いながら、その後、メールをしても返信がなく、電話も取ってくれなくなるなどはざらにありました。「人は関わり合いになりたくないと思うものだ。むしろ書いてくれる人の方が、勇気のいる特別なことなんだ」ということは頭では理解できても、当初はなかなか納得できない自分がいました。

嘆願書を書かない理由に関しては(そしてそれは、私にとっては、言ってくれるだけましでした)、「八田さんのことだから謝ってないでしょ。役人なんて人を謝らせて溜飲を下げているような人種なんだから、まともなこと言ってもだめですよ。自分が悪くなくても謝り倒すんです。そんな常識もない人を助ける気にはならないですね」と言われたことや、「私がもし同じ目にあっても、こんな人に迷惑をかけて巻き込むようなことはしないから協力はできない」とか、果ては「嘆願書を書く書かないで、人を分け隔てるのはけしからんから書かない」と言われたこともあります。結局、嘆願書は146通集まりましたが、それを集める過程は常に自分の傷口に塩を塗り込むようなものでした(嘆願書の一部はブログにリンクを貼ってありますので、是非ご覧下さい)。

できる限り自分が巻き込まれた事件に関して蓋をしようとしたところで、大なり小なりこうしたセカンドレイプは起こります。そしてそれに耐える強さを持つことが、冤罪被害と戦うためには必要になります。

どうすればその耐性を持つことができるでしょうか。人それぞれ解消法はあるでしょうが、私の例が参考になるかもしれません。それは感情を抑えずに怒ることです。怒りはかなり強い感情なので、滅入る気持ちを吹き飛ばしてくれます。そしてここで重要なのは、怒る対象を決して非難・中傷・無視・無理解を示す人に向けてはいけないということです。怒る対象はあくまで冤罪そのもの、あるいは冤罪を生み出すシステムです。いわゆる「罪を憎んで人を憎まず」ということです。彼らも踏みたくもない踏み絵を踏まされているのです。そう考えることができれば、自分を非難する人も自分と同じく冤罪に囚われた被害者だと思って赦すことができます。私は、自分に向けられた非難は、自分が冤罪と戦う「燃料」だと思っていました。

怒りの矛先を捜査当局や司法当局に向けることはどうでしょうか。私は、やはりそれをもう一段昇華して冤罪そのものを憎んでほしいと思います。彼らはハンナ・アーレント言うところの思考停止した「凡庸な悪」であり、所詮、現代のアイヒマンでしかありません。彼らを憎んでも怒りのパワーを建設的には活用できません。正しく怒ることが前進の秘訣です。

これも前回に続き「言うは易く、行うは難し」ですが、是非、転んでもただでは起きないしたたかさを身につけて冤罪と戦ってほしいと思います。ポジティブ・シンキングです。私は冤罪と戦うあなたを応援しています。頑張って下さい。

4/7/2014















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category: 無罪を勝ち得るために

2014/04/07 Mon. 00:07 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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フィルム・レビュー 『ノア 約束の舟』 ダーレン・アロノフスキー監督 

フィルム・レビュー 『ノア 約束の舟』 ダーレン・アロノフスキー監督


ノア

ダーレン・アロノフスキー監督『ノア 約束の舟』観賞。

彼の作品は98年の『π(パイ)』から観ていますが、これまでよかったのは『レクイエム・フォー・ドリーム』と『レスラー』。比較的毀誉褒貶の多い監督ですね。で、この作品、むちゃくちゃ一般人のレビューが悪いので覚悟してというか、期待しないで観ました。

私は、というか私もというか好きになれなかったですね。観てていやーな気分になりました。一番の欠陥は「創造主の意向は人類を滅亡させ、人間のいない新世界を作る」というストーリー。それって監督の創作ですよね。オリジナルはそんな話じゃなかったような(旧約聖書は高校時代に読んだきりなので、記憶は確かじゃありませんが)。最後の展開をドラマチックにしようとする意図なのでしょうが、失敗に終わっていると思います。

旧約聖書の『創世記』でも、人間の悪行を洗浄するための洪水というモチーフでしたが、映画でその人間の悪行を描くシーンがあまりにも滑稽に「悪」です。そして「善」や「希望」といったシーンが、健康食品のCMやTVエヴァンジェリストの番組のように安っぽい感じ。邪悪の象徴の蛇もなんかピクサーのアニメみたいだし。

あと映画の出産シーンって、いきなりきれいな赤ん坊がぽろんと生まれて「あれれ」ってなりません?子供を産んだことがないエマ・ワトソンに出産シーンの演技は無理だなあ(彼女もなんか普通になっちゃいました。ハーマイオニ―はかわいかったけど)。

それでも途中まではまあまあ楽しめました。後半1/4くらいでもうダダ崩れという感じの映画でした。

ここをクリック→ 『ノア 約束の舟』予告編

(Facebook 4/3/2014より転載)
















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category: フィルム・レビュー

2014/04/06 Sun. 07:26 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (385) 「犯行着衣が捏造でないことと袴田氏が犯人であることは両立しない」 4/3/2014 

#検察なう (385) 「犯行着衣が捏造でないことと袴田氏が犯人であることは両立しない」 4/3/2014

よもや今更、袴田事件の犯行着衣の矛盾を論じる必要があるとは思っていませんでした。再審開始決定に対し、検察が即時抗告するほど愚かとは思っていなかったからです。

即時抗告の意図するところは警察・検察のメンツ保持以外の何物でもなく、捜査機関による証拠捏造、更には冤罪製造がオフィシャルとなることを回避したいというだけのものです。

私は、自分が刑事告発された時「世の中狂ってる」と思いましたが、その感覚を今思い出しています。検察も袴田氏が無実であることは百も承知です。その無実の人間を48年も獄につなぎ、ようやくその鎖を勇気ある裁判官が解いたにも関わらず、また彼を再び地獄に落とそうとしています。それは「世の中狂ってる」と言う以外、表現しようがありません。

人の命より役所のメンツがそんなに大切なのでしょうか。私には全く理解できません。同じ人間だとも思いたくないくらいです。仕事だから仕方ないとでもいうのでしょうか。ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と表現しましたが、それは戦時下の状況です。平時の今日の日本での、確信犯的な国家権力による殺人には断固として反対します。

ともかく、袴田氏の再審開始決定に検察が即時抗告したことは、この日本の歴史における汚点の一つとして(名張毒ぶどう酒事件の冤罪被害者奥西勝氏を地獄に引き戻したことと並んで)我々の心に刻むべきだと強く思っています。

袴田事件の有罪立証はわずか1通の自白調書と、訴因変更で証拠提出された5点の犯行着衣に依拠しています。その5点の犯行着衣に関し、検察は「DNA型鑑定の信用性を争う」と発表していますが、DNA型鑑定によらずともその証拠は矛盾したものであることは明らかです(それも検察は百も承知です)。

そして犯行着衣が捏造でないことと袴田氏が犯人であることは両立しません。袴田氏が犯人であるとするならば、それは犯行着衣が捏造であることを意味します。検証します。

この写真は控訴審において、犯行着衣とされたズボンの装着実験です。ズボンが小さくて履けなかった理由は長く味噌に浸かっていたため縮んだ、袴田氏が太ったためとされました(「太った」という点に関しては、逮捕以前からのほかのズボンが問題なく履けるため全く不合理なものです)。

images (1)

次の写真は、右がズボンに付けられた寸法札、左は2011年に新たに開示された証拠の中にあった同じメーカーからの寸法札の見本の写真です。第二回再審請求に際し、それまでの裁判官より積極的な裁判官が開示勧告をしたため、事件後45年を経て初めて開示されたものです。

IMG_0002.jpg

先の装着実験において警察の実況見分調書では、ズボンに付けられた寸法札の「B」の文字は「型」を表すものと記載されました。実際には左にあるように「色」を示すものです。警察は事件当時この見本を押収しており、当然「B」が色を示すことを知りながら、袴田氏が履けない理由をズボンが縮んだということにするため、「型」とでっち上げたものです。実際には、このズボンはJIS規格で、B体よりも細身のY体でした(B>AB>A>Y)。

仮に、このズボンを含む5点の犯行着衣が捏造ではなく、実際に犯人が犯行時に着ていたものとします。そうするとどういうことが言えるか。

犯人は、Y体を着ることができる細身な人間であるということになります。袴田氏は元ボクサーのがっちりした筋肉質です。つまりこの犯行着衣が捏造でなければ、自動的に袴田氏は犯人ではなくなり、逆に、もし袴田氏が犯人であると主張するためには、この犯行着衣が捏造であることになります。犯行着衣が捏造でないことと、袴田氏が犯人であることは論理的に両立しないということです。

images.jpg

この犯行着衣の鮮やかなカラー写真も新たな証拠開示で出されたものです。それまでの証拠写真は白黒やカラーでも不自然に色があせたものだけでした。元東京高裁判事・最高裁調査官の木谷明氏は先日出演したラジオ番組の中で、この写真を見てその血液の色の鮮やかさに驚き、「普通の常識があれば、1年2ヵ月経過した血液の色ではないと分かる」と言っていました。

そして5点の犯行着衣は矛盾に満ちています。その矛盾点を列挙します。被害者4人の血液型はみな異なり、A型、B型、O型、AB型でした。袴田氏の血液型はB型です。

矛盾点① 犯行着衣は相当量の返り血を浴びたことを物語っているが、検出された血液型はA型、B型、AB型のみで、一番刺し傷が多いとされる次女のO型の血液が付着していない。

矛盾点② ブリーフからB型の血液が検出されているが、その上に履いていたはずのステテコ及びズボンからはB型の血液は検出されていない。

矛盾点③ ステテコには大量の血がついているが、その上に履いていたはずのズボンの裏地にはそれよりはるかに少ない量の血しかついていない。

矛盾点③ 袴田氏は事件の際の火事の消火時に右腕上部にケガをした。犯行着衣とされる半袖シャツ、長袖スポーツシャツの右腕上部には穴が開いており、半袖シャツの穴の付近には袴田氏と同じB型の血液がついていた。しかし、パジャマの右腕上部にも同じ位置にかぎ裂きの損傷があり、そこにも血がついていた(自白時にはパジャマを着て犯行に及んだとされていたが、訴因変更後は、犯行時に5点の着衣を着ており、それをパジャマに着替えて犯行着衣を味噌樽の中に隠したと検察は主張)。

矛盾点④ 半袖シャツの右腕には穴は2つあるのに、その上に着ていたはずのスポ―スシャツの穴は1つ。上に着ていたものに穴が2つで、下に着ていたものに穴が1つならまだしも、それが逆になっている。

矛盾点⑤ 装着実験では、袴田氏の右腕の傷と、半袖シャツ、スポーツシャツの穴の位置は、右腕の傷が一番下になり、その次がスポーツシャツの穴、一番上が半袖シャツの穴。内側に着ている半袖シャツの方がずれは少ないはずなのに、内側の半袖シャツの方がずれが多くなっている。

矛盾点⑥ 通常、着衣は上にずれ上がるもの。つまり、ずれ上がった状態でついた穴は、普通に装着すると、腕の傷よりも下になるはず。もし仮に、長袖スポーツシャツの袖を引っ張られた状態で傷がついたとしても、内側に着ていた半袖シャツの方がより引っ張られることはありえず、やはり半袖シャツとスポーツシャツの穴の順序が逆転していることになる。

矛盾点⑦ 緑色ブリーフは事件当時、袴田氏は1枚だけ持っており、犯行着衣に含まれる緑色のブリーフがそれとされた。ところが、その後緑色のブリーフは袴田氏の家族が持っていた事が判明し、緑色のブリーフは2枚になった。

矛盾点⑧ 袴田氏はクリーニングに出す衣料には「ハカマタ」と記名していた。この犯行着衣(特にズボン)にはそうした記名は一切ない。

このように数多くの矛盾点から、DNA型鑑定をせずともこの5点の犯行着衣は捏造であることが明らかだと思われます。

また、この5点の犯行着衣は事件から1年2ヵ月も経過して味噌樽の中から発見されていますが、味噌の漬け込み実験では、犯行着衣の色と同じだけ「味噌色」に染まるにはわずか20分しか要せず、1年2ヵ月漬け込んだ着衣は、血液の判別も目で識別不能なほど茶色に染まることが実証されています。

検察は味噌の成分の一部が明らかにされていないため実験は不正確だと主張していますが、わずかの成分の違いがあっても味噌は「味噌色」です。どんな成分を使えば1年2ヵ月漬けても色が付かない味噌ができるのでしょう。「可能性がある」というのは検察の典型的論法ですが、可能性だけで弁護側実験を弾劾できないのは明らかです。そのような世の中に有るかどうか分からない(そして常識ではありえない)味噌の存在の立証責任は検察にあります。

袴田氏が犯人であれば、すぐ見つかるであろう自分の職場の味噌樽の中に犯行着衣を隠すというようなことがあるでしょうか。また彼は、事件のおよそ1ヵ月半後に逮捕されていますが、もし彼が犯人であればその間なぜ味噌樽の中の犯行着衣を処分しようとしなかったのでしょうか。

この犯行着衣が袴田氏のものだとされたのは、この犯行着衣が見つかった後、袴田氏の実家を再捜索し、「たまたま」ズボンの共布を見つけたことによります。警察が逮捕時に散々捜索した実家を再捜索することも不自然なら、偶然のように共布が見つかるのも不自然です(狭山事件の鴨居の万年筆を彷彿とさせます)。

そして極め付けは犯行着衣が見つかった時には味噌樽の中には味噌が80Kgしかなかったという点です。これも新たに開示された証拠の中の捜査報告書に記載されていたものです。味噌樽の大きさは底辺が2m四方。味噌の比重は1.2g/mlですから、味噌の深さをXcmとすると、

80000 = 200 ・ 200 ・ X ・ 1.2

という簡単な数式を解いて、味噌の深さは平均約1.67cmということが分かります。事件から1年2ヵ月も経って、着衣がわずか2cm足らずの味噌の中から発見されたというのはありえないとしか言いようがありません。勿論、事件当時、警察官により味噌樽のあった味噌蔵の捜索は行われています。

これら全ての状況を勘案すると、やはり1年2ヵ月後に捏造された犯行着衣が味噌樽の中に置かれたと考える方が合理的だと思われます。

警察の捏造証拠はこの5点の犯行着衣だけではなく、逃走路とされた裏木戸の再現実験写真も強く捏造が疑われています。興味のある方はネットで検索してみて下さい。

上記の「寸法札見本の写真」「犯行着衣のカラー写真」「犯行着衣発見時の味噌樽の味噌の量の報告書」といった証拠が一審段階で提出されていれば、袴田氏は合理的に考えて無罪であった可能性が高いと思われます。

袴田事件は、このように警察捏造の証拠と検察による悪質な証拠隠しが生んだ超ド級冤罪です。検察の「DNA型鑑定の信用性を問う」というのは、あくまで言い逃れであり、DNA型鑑定の評価次第では自分たちの主張が正しいかのような印象を与えようとする卑劣な戦略です。

我々は、今後の動向を冷静に注視し、いかに捜査権力が人権を非道にも踏みにじるかを検証する必要があります。

FREE HAKAMADA!!

参考資料:
雑誌『冤罪File』 No.14 2011年11月号「「袴田事件」5点の衣類はやはりねつ造か!?」今井恭平
『はけないズボンで死刑判決 検証・袴田事件』 袴田事件弁護団編

4/3/2014

追記(4/5/14)

4/3にNHKクローズアップ現代で、『埋もれた証拠~"袴田事件"当事者たちの告白~』が放送されました。番組を紹介するサイトです(9分42秒のダイジェスト動画及び全文書き起こしあり)。

ここをクリック→ NHKクローズアップ現代『埋もれた証拠~"袴田事件"当事者たちの告白~』

事件当時、味噌樽の中を確認した捜査官の「徹底的に捜索したから、味噌樽の中に何もなかったのは間違いない」という重要な内部告発が含まれています。ダイジェスト版にない本編の部分では、アメリカ・ダラス検察局の誤判究明部CIUを紹介。また、木谷明氏が解説を務め、捜査の問題点を指摘。特に、証拠の全面開示が不可欠であることを強く主張し、裁判所による証拠開示勧告が重要であることを強調していたことが印象的でした。





















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2014/04/03 Thu. 00:39 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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