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「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (405) 「『Business Journal』に私のロング・インタビューが掲載されました」 6/30/2014 

#検察なう (405) 「『Business Journal』に私のロング・インタビューが掲載されました」 6/30/2014

本日6月30日付配信の『Business Journal』(サイゾー社)に、私のロング・インタビューが掲載されました。
BJ.jpg
タイトルは「国税・検察特捜部、完全敗北の衝撃 恐ろしく異様な捜査・取り調べの手口を被害者が告発」です。

是非、ご一読下さい。

ここをクリック→ 『Business Journal』「国税・検察特捜部、完全敗北の衝撃 恐ろしく異様な捜査・取り調べの手口を被害者が告発」

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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2014/06/30 Mon. 01:16 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (404) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(1)」 6/26/2014 

#検察なう (404) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(1)」 6/26/2014


教養としての冤罪論

元判事であり私の国賠審代理人チームの一人である森炎氏の最新著書『教養としての冤罪論』には、冤罪の問題を考察するに当たって多々新しい視点がありました。その内容を何回かに分けてご紹介します。

なぜこの本が読まれるべきか、そしてタイトルの意味するところを著者自らまえがきで述べています。

「裁判員制度では、市民の自由と権利を同じ市民が守るという側面が最も重要になる。市民参加、司法の民主化の理念の求めるところは、ただ市民が犯罪者に刑罰を下すことではなく、より以上に、同じ市民の自由と権利を守り抜くことにある。市民自体が「無罪の正義」を守り抜かなければならない。」

「冤罪は言うまでもなく絶対的不正義である。この冤罪現象を裁く側から見れば、自らが絶対的不正義を生み出すことを意味する。市民が裁判で間違った場合は、この世の中に絶対的不正義-「絶対悪」-を生み出したことになってしまう。」

「絶対悪の謗りを受けないためにも、市民は、何としても「無罪の正義」を守り通さなければならないわけである。」

我々一般人の多くは、自分が冤罪に巻き込まれるということをなかなかイメージしにくいと思われます。本来は誰しもが巻き込まれるリスクがありながら。

それでは、あなたが裁判員となることはいかがでしょうか。有権者である以上、裁判員となる可能性があることはご理解頂けると思います。そしてその対象事件は軽犯罪ではなく、死刑相当の重罪の可能性が少なからずあります。冤罪に関する基礎的な理解がなければ、無辜の人をあなたが絞首台に送る可能性さえあると森氏は指摘しています。

そしてこの本の序章では、森氏は「刑事裁判はすべて冤罪である」と看破しています。この言葉の意味するところは、「冤罪リスクが有罪・無罪の判断要素である」というものです。

若干哲学的な警句のように聞こえるかもしれません。少し言葉を補足します。

もし訴追権力たる検察が100%正しければ、裁判は不要になります。しかし裁判が行われ、ごく稀ではありますが無罪判決もあります。つまりその場合、検察の有罪主張は冤罪を招くものであったということです。刑事裁判において、裁かれるのは被告人ではなく、検察の有罪主張であり、常にその中に冤罪リスクが内在する可能性を意識することが有罪・無罪を判断する基本姿勢であるということです。

森氏は更に言葉をつなぎます。

「稀にしか発生しない例外的不正義として冤罪を観念するのではなく、常に存在するそこにあるリスクとして考えることで、はじめて市民裁判が可能となる。」

そして、この書が意図することは、個別の冤罪事件を詳細に扱うことではなく、「冤罪の特徴と発生メカニズムをイメージで提示する試みである」と森氏は述べています。

「生の冤罪事象の類型化によって、理念型としての「冤罪性」が抽出される。理念型としての「冤罪性」が定まれば、現象自体の再構成が可能となる。再構成のメカニズムが作動すれば、それによって、複雑に入り組んだ諸現象が自然に秩序立てられ、意味づけられ、単純化され、明確化されていくだろう。最終的に、主体としてのわれわれは、明晰な認識に至るにちがいない。」

ここで言う理念型とはマックス・ウェーバーの論じる思考法と説明されています。社会学を学んだ人にはすんなり入るかもしれませんが、社会学に馴染みのない私にはかなり大上段に構えた論調です。

私がイメージするこの書の目論見は以下のようなものです。

競馬の予想にはいろいろな方法があります。出走馬能力の優劣を、出走馬それ自体を見極めてハンディキャッピングするのが予想法の王道です。それは、個々の出走馬の「馬柱」(過去のレース記録)から、その馬がどれだけの力量であるかを見極めるという作業です。

それは、刑事事件において、個々の証拠から事件の全体像を組み立て、事件の実相に近づこうとする努力に似ています。

これに対し、競馬の予想方法の一つに、データ馬券というものがあります。それは過去の当該レースデータを分析して勝ち馬や連対馬の共通項をあぶり出し、その共通項に一番当てはまる馬を勝ち馬や連対馬と予想する方法です。具体的には、例えば日本ダービーのステップレースの王道は皐月賞ですが、「ダービー勝ち馬は、前走皐月賞の場合、皐月賞4番人気以内かつ着差0秒5以内、ないし着差0秒2以内(この場合人気は問わない)。但し、皐月賞1番人気馬は着順、着差を問わない。それ以外の皐月賞出走馬は消し。皐月賞以外をステップレースとする場合は、勝っていることが条件」とするような予想方法です。

刑事事件では、事件の外形に過去の冤罪事件と共通するある特定のパターンが見られた場合、その有罪主張には冤罪リスクをより意識しなければならないとするものです。

刑事事件において理念型としての「冤罪性」を抽出する作業は、競馬の予想で言えばデータ馬券のようなものだということです(というのが社会学オンチの私の理解)。

森氏は序章に続く第一章でも、総論的に、真実究明がなされると考えることは欺瞞であり、その審理の行きつく先は曖昧模糊としたものであると述べています。

「犯罪のような過去の事実は、どうやっても、経験的、実証的には確かめることができない。真の意味では、論理的推論によって定められない。

そのため、結局、裁判では、本来厳格であるべき証明が「合理的な疑いを容れない証明」に変質し、かくの如き曖昧模糊とした尺度で有罪・無罪が決められ、場合によっては「死刑か無罪か」が決められてしまう。

さりながら、いや、さればこそ、われわれは、これまでの過去の限界事例(すなわち、冤罪事象)を通じて、その尺度を少しでも明確化しなければならない。どうしても、過去の冤罪実例を全般的網羅的に知る必要が出てくる。」

次回以降、森氏が「冤罪ライン」と名付ける、冤罪リスクが高いパターンを個別に検証していきたいと思います。

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category: 刑事事件一般

2014/06/26 Thu. 01:26 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (403) 「国税不服審判所への国税局答弁書の姑息さに驚きました」 6/23/2014 

#検察なう (403) 「国税不服審判所への国税局答弁書の姑息さに驚きました」 6/23/2014

先日のブログで、4年前の重加算税賦課が、何の説明もなく一方的に過少申告加算税(期限後申告の年は無申告加算税)賦課に変更されたことをお伝えしました。

ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

この処分が特に奇異に思えたのは、私は重加算税を払った後に異議申立はしたものの、その決定がついぞなされなかったため、次のステップである不服審判請求を行っていたからです。審判請求をすると、自動的に異議申立は取り下げとなるため、賦課決定の変更ではなく、不服審判所の裁決を仰ぐのが筋のはずです。

すると先週、計ったように不服審判所に対して、国税局が答弁書を提出してきました(目黒税務署長名で答弁がなされていますが、バックに国税局がいるのは明らかです)。

そしてその内容を読んであまりの姑息さに驚きました。

私の不服審判請求は、重加算税の賦課決定処分を問い質したものです。重加算税は仮装・隠蔽を伴う悪質な脱税に対して科されるペナルティーであり、私は故意の脱税も、仮装・隠蔽も全くしていない以上、重加算税賦課は不当である旨不服審判所に申し立てたものです。

ところが答弁書では、重加算税賦課に関しての言及は一切なく、過少申告加算税(及び無申告加算税)賦課がいかに正しいかを事細かに主張しているだけでした。

結文は以下の通りです。
「以上述べたとおり、請求人の主張には理由がなく、原処分はいずれも適法に行われているから、本件審査請求はいずれも棄却されるべきである。」

ここで国税局が述べる「理由がない」対象や「原処分」はいずれも過少申告加算税(及び無申告加算税)賦課を指しています。

これはこういうことです。

例えば、あなたがお金を貸したとします。ところが借りた相手は「借りていない」と言い張ったため、あなたは貸金返還請求訴訟をしました。貸した相手は、借りたことを認めないながらも、一方的にその貸金を返還してきたため、貸金返還請求の利益はなくなり、訴訟は棄却となるという構図です。

「俺は借りてないけど、あんまりお前がうるさいから、仕方なく返してやるよ。それで文句はないだろ」と言われて納得しろという態度です。

これがお金の貸し借りであれば、百歩譲ってまあ返ってきたからいいや、となりますが、私は同じ国税局に刑事告発されています。ほとんど身内の不服審判所の裁決も期待できないほど、根拠が全くない重加算税を賦課し、かつ刑事告発までした国税局に、何ら説明もなく、重加算税を一方的に過少申告加算税(無申告加算税)に決定変更されて、黙って引っ込んでいろというのは余りにも傲慢な態度です。

しかも、メンツを保つために自分の非を認めず、かつ説明は全くしないということを実現するためのお膳立てとして、一方的に賦課決定を変更したという用意周到な狡猾さには、よくもまあ悪知恵の働くことだとあきれてしまいます。また、そこまでして逃げ回る度量の狭さに、同じ日本人として情けなく思います。「潔さ」とか「肝が据わった」といったことが微塵も感じられません。

税務は国家運営の重要事項であり、それに携わる国税局には国民の範になるようになってほしいと思い、ここまでやってきました。ところが彼らは反省が足りないどころか、全く反省していないようです。これでは素直に不服審判請求を「利益がないから」という理由だけで取り下げるわけにいかなくなったように考えています。税理士、弁護士と、国税局の反省を促す手立てがないか今後の対策を講じたいと思います。

国賠審と共にこの件に関しても引き続きご注目下さい。

6/23/2014















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2014/06/23 Mon. 00:23 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その5 「被告人ができること 各論(1) 完全に否認を貫くこと」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その5 「被告人ができること 各論(1) 完全に否認を貫くこと」

無罪を得るために被告人ができることはごくわずかです。そのごくわずかなことの中に「完全に否認を貫くこと」があります。

なぜそれが必要かを理解するには、「供述調書至上主義」がキーワードとなります。

供述調書至上主義に関して、郵便不正事件を受けて検察改革のために就任した元検事総長の笠間治雄氏の就任後のコメントをご覧下さい。

ここをクリック→ 笠間検事総長“供述調書至上主義改めよ”

この中で笠間氏が「「供述調書を取れば一丁あがり」というような供述調書至上主義という考え方があるなら絶対に改めなくてはならない」と述べていますが、それは現状が「供述調書を取れば一丁あがり」であることを如実に表しています。ここで言う「供述調書」とは、自白調書のことであり、否認調書ではありません。そして一旦、自白調書が取られると、あとはどうあがいても有罪へのベルトコンベアに乗ってしまうということです。

「いかに自白調書を取られても、公判で真実を伝えれば、裁判官は必ず公正に判断してくれるはず」と厳しい取り調べを逃れるための虚偽自白がそのまま有罪の証拠となることは、歴史が実証しています。

公判においていかに罪を犯していないと主張しても、裁判官が目の前の被告人の言葉より捜査当局の作成する調書を信用するということには二つの理由があると思われます。

一つは、「罪を犯した者は必ず保身のために嘘をつくため、否認をしていてもそれは信用できない。しかし、自分に不利益なことを敢えて告白することは真実の吐露に違いない」というものです。

そしてもう一つが「公判でわずかな時間しか接していない裁判官より、はるかに多くの時間被告人と接している捜査当局の判断は間違いないであろう」というものです。

裁判官もいい加減な判断をしようとしているわけではなく、それとは全く逆に、綿密な審理を経て、事件の細部に亘って解明した上で事実認定しようとします。犯罪の様態や動機等の細部を検証するためには、捜査当局の作成する調書(特に検察官作成の検面調書)に頼らざるを得ません。彼らが精密に物事を見極めようとすればするほど、その結果として被告人の言葉より調書を重要視するという、一般の感覚とは異なる現象が生じているものです。

このことを十分理解しているからこそ、捜査当局も自白にこだわり、被疑者、被告人を有罪にする最有力の証拠として自白調書を作成しようとします。

取り調べにおいて否認を貫くことが、冤罪に陥ることから自らを救う最初で最重要な防波堤であることを肝に銘じて下さい。

捜査当局は取り調べにおいて、心理的な揺さぶりや、わざとあいまいな表現を用いて自白らしい言葉をあなたから引き出そうとします。「申し訳ないと思わないのか」「責任の一端はあるのではないか」といった言葉です。そうした場合にも敢然と、犯罪の事実はないと徹頭徹尾否認することが必要です。

供述調書至上主義を逆手に取って、「完全な否認調書を作るのだ」という気概で取り調べに臨んで下さい。冤罪と戦うあなたを私は応援します。














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2014/06/19 Thu. 02:42 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その4 「被告人ができること 総論」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その4 「被告人ができること 総論」

99.9%を越える刑事裁判の有罪率が示すように、無罪を得ることはたやすいことではありません。いかにあなたが無実であったとしても、一旦捜査権力のターゲットとされると有罪を覚悟しなければならないというのが残念ながら日本の刑事司法です。

私は、自分が刑事被告人となるまでは、捜査当局が勝手に調べて真実を見極め、あるいは彼らがもし間違った告発、起訴をしても裁判所が勝手に正しく判断してくれるかのような幻想を抱いていました。そして当事者となって、それが大きな間違いであることを知りました。本来必要ではない無罪の立証責任が、現実には被告人、弁護人側にあり、それには甚大な犠牲、労力が伴います。

無実の者が無罪になるという当たり前のことが、日本の刑事司法においては当たり前ではないことが実情であり、その中で私の無罪は奇跡的に生まれたと感じています。

そこでは、諦めの悪い被告人と、優秀な弁護人と、勇気のある裁判官がまさに惑星直列のような確率で並んだ結果が、査察部・特捜部という国家最強捜査権力の不敗神話の歴史を変えたのだと思います。

それでは、その被告人、弁護人、裁判官の三者が判決に寄与する割合はいかなるものでしょうか。私の感覚では、9割方裁判官で決まってしまうように感じます。裁判官の当たり外れこそが、冤罪被害者が無罪を勝ち得ることができるかどうかの分水嶺であるというのが私の実感です。そして残りの1割が弁護士の能力だと思います。つまり、被告人ができることはわずかしかありません。

それは
1) 完全に否認を貫くこと
2) 優秀な弁護人を選ぶこと
の2つです。
(私の控訴審で弁護人となった喜田村洋一弁護士と無罪確定後に話をしていた時に、私がそのように言うと、彼は「八田さん、もう一つありますよ。それは、無罪を書くことができる裁判官を引き当てること。そうした運の強さが被告人には必要なんです」と言いました。その言葉は、彼の長年の弁護士経験から出たものであり、一審で佐藤弘規裁判長、控訴審で角田正紀裁判長を引き当てた運が私にはあったという意味ですが、そうなると超常現象的世界なので、ここでは除外しておきます)

しかしタイミング的には、被告人ができることは物事の初めであるため、全ての流れを決める決定的なものであると言えます。

冤罪被害者となるリスクは誰にでもあると理解しても、もし被告人のできることが上記の2つであるなら、それは現実に被告人になってから考えればいいと思われるかもしれません。そう考える方にもそれぞれに関して、次の点を是非、現時点でご理解下さい。

1) なぜ「完全に否認を貫くこと」が重要かを知ることは、将来、もしかしたらあなたが巻き込まれるかもしれない冤罪を予防することにつながります。それは、「供述調書至上主義」を理解することです。

2) 優秀な弁護人と巡り合うことは、全ての出会いがそうであるように、運が支配する部分が少なからずあります。しかし、少しでも早いタイミングで弁護人をつけるという判断は被告人が能動的にできることです。

これらの点について、次回以降のブログで各論として論じてみたいと思います。










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2014/06/16 Mon. 00:06 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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#検察なう (402) 「税務官僚の本音」 6/12/2014 

#検察なう (402) 「税務官僚の本音」 6/12/2014

私は、私の取調べを行った国税局査察部の査察官が、私の無実を知っていたと確信しています。そうでなければ、私は、わざわざ国賠審まで戦おうなどとは思わなかったと思います。

このようなことが二度と起こらないように、一人でも多くの人に拙著『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』を読んでもらい、問題意識をシェアしてほしいと思っています。そして、特に税務官僚や検察官の方々には是非読んでほしいものです。

先日、税務官僚の友人に、どのようにすれば彼らに読んでもらえるかアイデアはないか尋ねました。「然るべくところに献本して回覧してもらうとか、機会をもらって勉強会をするとか、そういうことはできないだろうか」というのが私のイメージしたところでした。

彼からの返信は次のようなものでした。

「昨年、確定申告受付の手伝いに行ったのですが、多くは医療費控除ですが、なかには、個人事業主の方で、税理士も雇えず、少ない利益から税金を真面目に払おうとしている方にも、何人も出会いました。そうした真面目な納税者の方々を念頭に、過失とはいえ、(一般庶民から見て)多額の過少申告してしまった、道義的な責任について認め反省し、そのことも、発信すべきだと思うのですが、いかがでしょうか?」

友人という気軽さもあったのだと思いますが、この期に及んでこうしたコメントを言われたことには少なからず驚きました。しかも彼は税務のプロであり、過失の「申告漏れ」と故意の「所得隠し/脱税」との違いは十分承知しています。「税金払ってなかったんだから、脱税は脱税でしょ」という「交通事故で人を引き殺した奴は殺人罪だ」と同じ低レベルの議論でないことは明らかです。

しかし、じっくり考えるとこの税務官僚の本音とも言えるコメントに、クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件の背景の本質が見えるように思えます。

少し考察してみたいと思います。

まず、過失であれば謝罪する必要がないとは全く思いません。それは被害者感情があるからです(但し、この被害者感情をいたずらに強調することは、社会の厳罰化要請を招き、「犯人を見つけ出して厳罰に処さなければならない」という捜査当局、司法当局の自ら感じるプレッシャーが冤罪の一要因となる危険性は、十分考慮しなくてはいけない問題です。特にメディアの在り方や裁判員裁判の問題との関連は議論に値するものですが、それは別の機会にということで)。

例えば先の交通事故の例を取ります。過失の事故で愛する家族を失った人が求めるものは経済的賠償もさることながら、まずは加害者による謝罪ではないでしょうか。なぜなら失ったものをお金では取り戻せないからです。

ここで、加害者が奇跡を起こせる人間で、事故死した人を生き返らせ、更にお詫びとしてその人が癌であれば、それまで完治してあげたとすればどうでしょうか。被害者感情に大きな差が生じるのは言うまでもありません。

そして失われたものを取り返しかつ、それ以上に補償できるというのが経済犯罪におけるペナルティの大きな特徴です。つまり経済犯罪と人に危害を与えるような犯罪とは、ペナルティの科し方にも大きな違いがあるべきです。経済事件においては、必要以上に謝罪を求めるかのような断罪の仕方には抑制的であるべきだと思われます。

税務官僚は、仕事に真面目な人が多いのだと思われます(私の友人も実に真面目な奴です)。そして同じレベルの真面目さを、(特に税務に関して)人にも求めるのだと思います。

「税金を払うのは国民の義務だ」→「そんな当たり前のこともできない奴は過失であろうが「道義的に」責任がある」→「ましてやそれに対する糾問に否認するなど言語道断だ」という思考回路が、私の無実を知りながら、それでも敢えて刑事告発して、それをよしとした査察官の腹の底にあったのではないかと想像します。それが否認に対する「否認料」につながったのではないでしょうか(注)。

査察部取調べのさ中の統括官との面談の中での「証拠はありません。ただ、私たちの仕事はあなたを告発することです」という言葉の背景もそういうところにあるのではないでしょうか。

税務官僚が「正しい納税をしている者もいるのに」と考え、過失であろうが正しく納税しない者に嫌悪感を持つことは肝に銘じておこうと思います。その嫌悪感が使命感につながり、彼らが仕事をする原動力になっているであろうと思います。

過少申告は自分の税務に関する知識の足りなさによって起こったと当初から認め、反省し、相応のペナルティを科されることには全く依存はありませんでした。私がファイティングポーズを取ったのは、事実と異なる脱税の濡れ衣を国税局、検察に着せられたからです。しかし、それをもって「反省していない」と感じる方がいることを理解しなければいけないということだと思います。

私は、一旦刑事被告人とされた以上、そうした無理解による非難という十字架を一生背負うことは覚悟しています。しかし、国賠審では、私と同じような犠牲者を出さないためにも、経済事件における処罰行為の在り方も問うていきたいと思っています。

(注)
ここをクリック→ #検察なう (325) 「『否認料』という冤罪の要因」









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2014/06/12 Thu. 00:37 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」 6/9/2014 

#検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」 6/9/2014

5年に亘る刑事裁判と並行し、脱税行為の罰則である重加算税を不服として国税局を相手取る戦いを粛々と行っていました。この2月の検察の上告断念にも関わらず、国税局はここまで自らの非を認めていませんでしたが、ようやく先週彼らも白旗を揚げることになったことをご報告します。

ここまでの経過を振り返ります。

重加算税とは、仮装・隠蔽を伴う悪質な脱税行為に対して科せられるペナルティーであり、本税の35%(私の場合、期限後申告となっている年もあり、その場合40%)が課せられます。

私はそれを一旦支払った上で、異議申立を納税地である目黒税務署長宛てにしていました。それは2010年6月のことです。通常、それに対する決定は2ヵ月程度で下されますが(そして通常、それは却下)、待てど暮らせどその決定がなされることはありませんでした。

異議申立後3ヵ月が経過すると、異議申立の決定を待たずして次のステップである国税不服審判所に審査請求をすることができます。しかし、我々はこれを最後のカードとして切るタイミングを伺っていました。そしてその不服審判請求を切り札として切ったのは、検察控訴却下後、彼らに上告をさせようとしたためです(注)。

そして、国税局(テクニカルには目黒税務署ですが)は4年間黙殺してきた異議申立に、突然先週、「賦課決定」として変更決定通知書なるものを送付してきました。

計算書に添えられた文言は次の一文のみ。

「平成18年分所得税の平成22年4月30日の賦課決定により納付すべき加算税について、次のとおり変更決定します。」
(2年分あるので、もう一方は「平成18年」が「平成19年」になっているだけです)

重加算税を取り消して過少申告加算税=本税の15%(期限後申告となっている年は無申告加算税=本税の20%)を徴税するという通知です。

全く何なのでしょうか。将棋で言えば、こちらが「あ、間違えました」と言っても「待ったなし!」としておきながら、自分が間違えた場合には、駒を戻してしゃあしゃあとしているようなものです。

これが最初から過少申告加算税を課されていたのであれば、全く申し訳ないと支払っていたものです(私は、当初の税務調査の段階であまりに素直に過少申告を認め、反省していたことをもって、査察部の取調べでは故意があったと責められたほどです)。しかし、この5年間の苦痛の後で、計算書だけを送り付けてきて、自分の非に対する何ら説明もなく、ペナルティーを払えという役所の人権感覚には今更ながら驚かされます。

しかも今年2月の不服審判請求に対する裁決ならまだしも、4年前の異議申立を今更持ち出して何もなかったことにしてくれというのは、納得しろという方が難しいと言わざるを得ません。

そもそも重加算税を課す根拠すらないのであれば、刑事告発は何を根拠にしたのだということになります。

この国家権力の恣意的な行使による不利益は、私一人が我慢すればいいという問題ではありません。それをジャーナリストの今西憲之氏が正しく憤っています。

ここをクリック→ 今西憲之氏ツイート (1)

ここをクリック→ 今西憲之氏ツイート (2)

今西氏が指摘しているように、私の捜査・公判では数億円という税金が費やされています。経済事件でありながら、役所のメンツのために税金が無駄使いされるというあまりに理不尽な行動を、私は今後、国賠審を通して正しく糾弾していきたいと思っています。

刑事裁判では、捜査当局の不当な告発・起訴を裁判所が一刀両断しました。私の国賠審でも、捜査当局の不正義を裁判所の正義が裁くのか注目されるところです。国賠審で国に不利益な判決を出すと出世が覚束ないと、元判事の瀬木比呂志氏が著書『絶望の裁判所』で指摘することが現実なのかどうかを国民が知る、いいケース・スタディだと思います。引き続きご支援のほどよろしくお願いします。

(注)
ここをクリック→ #検察なう (370) 「検察上告を促すべく、不服審判請求をしました」

6/9/2014









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2014/06/09 Mon. 00:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (400) 「重罪における虚偽自白の問題」 6/5/2014 

#検察なう (400) 「重罪における虚偽自白の問題」 6/5/2014

やってもいない罪を認める虚偽自白は、一般の感覚であれば「なぜ?」と思われるかもしれません。ところが、公判での証言よりも調書の方が重視される日本の司法制度においては、「自白は証拠の女王(“Confessio est regina probationum.”)」とされ、捜査当局が真に罪を犯した者にその罪を認めさせる取調べと、虚偽でもいいからとにかく罪を認めさせる取調べは全く同じ行為となってしまいます。

半ばそれが確信犯的に行われていることは、フィクションであれば、現在放映中のWOWOWドラマ『トクソウ』(注1)にビビッドに描かれ、ノンフィクションであれば、郵便不正事件を扱った村木厚子氏著『私は負けない』(注2)を読んで頂ければ明らかです。

虚偽自白を生む要因として「人質司法」(注3)が挙げられます。罪を認めない限り、拘束を解かれることがない「人質司法」が虚偽自白を生んでいることは間違いありませんが、もし問われている罪が死刑相当のような重罪であり、認めたところで身柄拘束が解かれることがない場合はどうでしょうか。

認めれば死刑にもなりうるような状況で、なぜやってない者が虚偽自白をしうるのか。

雑誌『冤罪File』最新号(リニューアルして大判化しました。以前のように女性グラビアの表紙でなくなったのは実に残念ですが)の記事を読んで「はっ」と思うことがあったので、ここで紹介したいと思います。

冤罪File21

記事は、元判事の森炎弁護士(私の国賠審代理人チームの一員です)と作家今野敏氏の対談です。当該部分を引用します。

(以下引用)
森 日本の刑事司法っていうのは、認めない限りは身柄を拘束するという「人質司法」の仕組みを取っていて、それがひとつの巨大システムとして回ってる面があります。捜査期間として認められる勾留は最大23日間と定められていますが、その期間勾留されて起訴されて裁判になってからも身柄拘束は続きます。起訴後勾留と称して、裁判を受けさせるためという名目で身柄拘束が続き、それは裁判が終わるまで半ば自動的に裁判所によって更新されていきます。保釈金を積んで保釈が認められるだけです。そして、その段階でも、罪を認めるか、検察側証拠に同意しない限りは保釈を認めないという運用をしています。ですから、99.9%有罪というのは、そういうシステムが支えている面があります。執行猶予が付きそうだとか、軽い罪で済みそうだという場合には、長期の身柄拘束に耐えかねて心ならずも罪を認めるということは大いに考えられます。

―― よく代用監獄とか、密室の取調べっていうことで、それが虚偽自白を生み、だからやってなくてもほぼ100%の人がやったって言わされちゃうことがあると聞きます。

森 そうですね。今、話が出た虚偽自白の問題も、すごく妙なからくり、変な仕組みが精密に作られている面があります。たとえば、死刑も考えられるような重大な事件では、さっき言ったようなことは考えにくいかもしれません。そういう重罪では、人質司法であろうとなかろうと、罪を認めたからといって身柄が解放されることはありません。また、一般に、執行猶予が付きそうだとか、軽い罪で済みそうだと思うからこそ、無実の者であっても泣き寝入りしてしまうと思われています。ところが、重罪の場合は、人質司法とはまた違って、99.9%有罪という圧倒的事実の重みが無実の主張を折るという面があります。取調官から、「いつまでも争っているより早く罪を認めて刑を軽くしてもらった方がよい」「日本の刑事司法は、どうせ99.9%有罪だ」と告げられたら、無実であっても被疑者はもうもたないでしょうね。「99.9%有罪になる」と思ってしまったら、死刑の恐怖に耐えて0.1%の確率にかけられるとは思えない。世間一般には「死刑が予想される犯罪事実に関してやってもいないのに自白することは考えがたい」という一般通念があると思いますが、それは、日本の刑事司法に関する限り、成り立たないのです。

今野 実際、日本は司法取引がないといわれているんですけど、そこで取引が行われているんですね。毎日毎日一日何時間も責められたら、まあ自信ないですね、僕も。落ちちゃうかもしれない。やってもいないのに。あらかじめ自白内容が調書に書いてあって、拇印だけすればいいんだよって言われたら、これは押しちゃいますよね。

森 心理学では取り調べの場が特殊であるとか、その「場の力」ということが言われています。また、社会学ではスターリン時代のソ連を考えているんだと思いますけど、一種のアイデンティティの破壊というような虚偽自白の構造も言われています。それにプラスして日本の場合は起訴されたら99.9%有罪ですからね。

今野 極限状態なんで、なんとか少しでも助かりたいっていうのが人情で、先ほどおっしゃったように死ぬよりもまあいいやと、死刑になるよりもいいやと。じゃあ言いますって、なっちゃいますよね。

森 むしろ日本の場合には重罪ほどそういう構造になっている面さえあります。今野さんが言われたように痴漢冤罪だったら、まだ自分の信念を貫けるかもしれないし、実際そういう人たちはいるわけです。だけど0.1%の確率にかけて、自分の真実を通し、死刑になるかどうかにかけられるのか、ものすごく問題は深刻ですよね。それとも、早い段階で認めて減刑を期待するのか。信念を貫きたくとも貫けない状況になります。
(引用以上)

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あなたも無実の罪で囚われ、「どうあがこうが99.9%有罪。もし罪を認めなければ、死刑は確実。認めれば死刑は免れることができるかもしれない」と言われたら、どう答えるでしょうか。そして認めた結果、それでも死刑とされるということもあるということを考えてみて下さい。

あなたが冤罪の当事者となることはなかなかイメージしにくいかもしれません。その場合、裁判員裁判の裁判員となることをイメージしてみて下さい。冤罪に理解がなければ、無辜の人を死に追いやることもありえるという現実を是非認識して頂ければと思います。

(注1) 
ここをクリック→ WOWOWドラマ『トクソウ』

(注2) 
ここをクリック→ #検察なう (344) 「郵便不正事件の真相は今も隠されたまま~村木厚子氏著『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』を読んで」

(注 3) 
ここをクリック→ #検察なう (85) 「人質司法」

6/5/2014









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category: 刑事事件一般

2014/06/05 Thu. 00:11 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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