「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (412) 「国賠審第一回口頭弁論報告」 7/31/2014 

#検察なう (412) 「国賠審第一回口頭弁論報告」 7/31/2014

今週月曜日、7月28日に私の国賠審第一回口頭弁論が行われました。数多くの方々に傍聴頂き、ありがとうございました。

第一回口頭弁論のハイライトは、私と代理人チームを代表して郷原信郎弁護士の陳述でした。

以下、私の陳述の全文です。是非ご一読下さい。

「村田裁判長、関根裁判官、高田裁判官、陳述の機会を与えて頂き、ありがとうございます。

私が原告となる国家賠償請求訴訟の冒頭に当たり、次の二点を明らかにしておきたいと思います。

まず起訴対象年度の所得税に関して、過少な申告となっていたことは、争いのない事実であり、それは私が源泉徴収制度を過信していたと、今になって思えば、深く反省するものです。その過信により、「自分は給与所得者であり、会社給与に係る所得税は給与から天引きされている」と思い込んでいました。そうした思い込みをいかにすれば回避できたか、未だもって分からないところではありますが、結果に関しては謙虚に受け止め、謹んで過少申告加算税等、相応のペナルティを負担させて頂きます。これが一点目です。

二点目は、国税局査察部、検察庁特捜部が、私の無実を知りながら告発、起訴をしたと私は確信しており、それでなければこの国賠審を起こさなかったという点です。今後、私のように無実にも関わらず告発、起訴されることにより、失わなくてもよい多くのものを失うという犠牲者が二度と生まれないよう、なぜこの不当な告発、起訴がされたかの責任を明らかにして頂きたいということが、敢えてこの国家賠償請求訴訟を起こした理由です。

巨額の申告漏れという外形的な事実から嫌疑をかけられたことに関しては、何ら不服を唱えるものではありません。しかし、長期間に亘る国税局査察部、検察庁特捜部による徹底した捜査、取り調べの過程で、彼らが、私の無実という真実に達していたことは、彼らの類稀なる能力をもってすれば当然のことだと思われます。彼らの「引き返す勇気」の欠如が、彼らをして、確信犯的行為をさせたものであることは明らかです。

株式報酬の申告漏れがあった税務調査対象年3年のうち、平成17年度だけは告発・起訴対象年から理由も明らかにされずに外されたこと、及び、重加算税の賦課決定が、これもまた説明なく過少申告加算税及び無申告加算税に変更されたことが、端的に、彼らが私の無実を知っていた事実を示しています。

いかに私が無実であったとしても、査察部が告発し、特捜部が起訴をすれば、間違いなく裁判所は追認してくれると彼らが考えたという以外、彼らの告発、起訴にはロジカルな説明はつかないものです。そうした不当な国家権力の恣意的行使という事実がなければ、私はこの国家賠償請求訴訟を起こすことは全く考えなかったと思います。

私が、国税局及び検察庁の不当な国家権力の恣意的行使により失ったものには数多くのものがありますが、無罪判決確定を経ても未だ回復されないものがあります。その最たるものは、私の国際社会における信用です。

いまだに「Takashi Hatta Credit Suisse」とインターネットでGoogle検索すれば、そのトップに出てくる記事は、実名で全世界に向けて英語で報道された刑事告発の記事です。私が確認しただけでも、刑事告発の記事はフランス語及びドイツ語に翻訳され報道されましたが、無罪判決及びその確定の報道は日本語以外では一切されておりません。つまり私は、今日においても、国際社会で犯罪者として扱われているということです。

私が失った国際社会における信用は、私が21年間、高額の納税をしながら勤労したことによって築き上げたものであり、それを不可逆的に棄損させたのは、国税局のリークによるものであることは明らかです。なぜ平成21年12月にされていた告発が、それから2ヵ月も経過して確定申告シーズン真っ最中の平成22年2月にメディアに一斉報道されたのか。それは、宣伝効果を期待した意図的な国税局によるリークなくしてはありえないものです。推定無罪原則により本来保護されるべき被疑者の人権が、リークという国家権力の恣意的行使により侵害され、回復不可能な損害を被った顕著なケースだと思います。それが、私がリークをこの国賠審で一つの争点として挙げた趣旨です。

国家賠償請求訴訟は、過去の事象に関して賠償を求めるものであることは理解しています。しかし、私がこの訴訟を起こす意義として考えているのは、もっと将来に向けられたものです。国家の不法行為に関し、国家賠償という金銭的な補償制度があるということが有効に活用されるならば、それが引いては国家の不法行為に対する抑止力になると考えています。民主主義国家としてあるためには、国家賠償制度が効率的、効果的に機能することが不可欠であると考えます。人権の砦としてあるべき裁判所の公正な判断を、国民の一人として心から切にお願いするものです。」

郷原氏の陳述は、彼自身のブログにアップされています。明快かつかなり濃い内容です。玩味下さい。

ここをクリック→ 『郷原信郎が斬る』「八田隆氏の対検察国賠訴訟の意義」

民事裁判は初体験でしたが、刑事裁判の雰囲気に比べると、いささかリラックスした様子でした。刑事裁判の場合、裁判官は「私が裁く!」という雰囲気を醸しているのに対し、民事裁判官は、「ふむふむ、それでは双方の意見を聞きましょうか」という雰囲気でした(だからといって易々と国相手に勝たせてくれるとは思わない方がいいですよ、と代理人チームの一人、元判事の森炎氏から釘を刺されましたが)。

第一回目の口頭弁論で、こちらはしょっぱなから攻めに出ています。

それに対して被告である国は、(東京法務局訟務部及び東京国税局査察部査察審理課を指定代理人として)7月中旬に答弁書を裁判所宛てに提出しています。しかしそれは、「原告の請求を棄却することを求める」「請求の原因に対する認否及び被告の主張は、追って準備書面(注)において行う」という紙切れ2枚の全く内容のない形式答弁でした。時間稼ぎは明らかです。

この後の展開は、9月末に国の主張が準備書面として提出され、それに対する反論を我々がやはり準備書面として提出。それから第二回口頭弁論となります。第二回口頭弁論は、10月20日午前10時半から東京地裁第611号法廷となりました。

今後も是非ともご注目、応援の程よろしくお願いします。

(注)
準備書面 (Wikipedia) ― 日本の民事訴訟において、口頭弁論での主張の準備のために、自らの攻撃防御方法(自らの申立てを基礎づける主張)並びに相手方の請求及び攻撃防御方法に対する陳述(答弁、認否、反論等)を記載した書面である。

7/31/2014










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#検察なう (411) 「本日、第一回口頭弁論が行われます」 7/28/2014 

#検察なう (411) 「本日、第一回口頭弁論が行われます」 7/28/2014

とうとう私の国家賠償請求訴訟(国賠審)が始まります。本日7月28日午前10時より、東京地裁第611号法廷で、第一回口頭弁論が行われます。

これまで私が法廷で争ってきたのは刑事裁判でしたので、法廷での手続は「公判」と呼ばれていました。国賠審は民事ですので、それは公判ではなく「口頭弁論」と呼ばれます。

「口頭弁論」(Wikipediaより) ― 民事訴訟手続において、双方の当事者または訴訟代理人が公開法廷における裁判官の面前で、争いのある訴訟物に対して意見や主張を述べ合って攻撃防御の弁論活動をする訴訟行為をいう。

しかし、その言葉のイメージとは随分異なり、法廷では、書類のやり取りの確認や、次回期日の調整といった事務手続きに終始するというもののようです。

但し、本日の第一回口頭弁論は、幕開けということもありますので、私と代理人チームを代表して郷原信郎弁護士が陳述を行う予定です。かなり注目していいと思います。

第1回口頭弁論の様子は、次回ブログでお伝えします。乞うご期待!

P.S.
副島隆彦氏の最新著『税金官僚に痛めつけられた有名人たち』に、副島氏と私の対談が収録されています。8月1日発売です。私は、結構好き勝手話しています。是非、お読み頂ければと思います。

副島隆彦

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7/28/2014















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2014/07/28 Mon. 00:23 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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ブック・レビュー 『無罪請負人』 弘中惇一郎著 

ブック・レビュー 『無罪請負人』 弘中惇一郎著

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刑事弁護のエース中のエース、弘中惇一郎氏初の単独著書。タイトルはダイレクトに氏のニックネームから来ている。小沢一郎氏の弁護や薬害エイズ事件、三浦和義ロス疑惑事件、それに郵便不正事件といった著名事件の弁護人を務め、表題のニックネームを得ることになった弘中氏が刑事弁護について語った書。

この書で彼の目指すところは、その序章で宣言されている。
「社会のゆがみはいかにして事件として世に噴出するかのか。あるいは事件は時の権力にどう利用されてきたか。社会が変わっても警察・検察組織の体質が変わらないのはなぜか。それらをできる限り掘り下げて、一つひとつの問題点に光を当てていけば、刑事事件が抱える問題のいくつかに対する打開策のヒントが見つかるかもしれない。これからそれを一緒に考えていきたい。」

「無罪請負人」と呼ばれることに関して強い抵抗を感じてきたと弘中氏は述べている。
「すべての事件で無罪を目標にできるわけではない。執行猶予をとることや、できるだけ量刑を軽くすることが目標の事件はたくさんある。ケースによっては、結果よりも、被告人として主張したいことを十分主張させることがまず大事なこともある。何が何でも無罪獲得というものではない。」
とはいえ、やはり刑事弁護をする者にとって、「無罪請負人」というのは最大級の賛辞であろう。

私がこの書の中で一番心に響いたのが、郵便不正事件について書かれた章の次の部分であった。

「刑事事件に巻き込まれるという事態は、ひとつの不運である。

不運にどう対処できるか。検察と対峙して取調べにきちんと対応すること、無実を信じて支援してくれる仲間がいること、囚われの身となっても家族や職場がそのまま保たれていること―それができない人間は非常に弱い存在となる。

その意味で刑事事件では、当人がそれまで送ってきた全人生、人間性のすべてが試される。」

まさにその通りであり、その真の意味は経験した者にしか分からないかもしれない(更に言えば、復職の道が確保されている公務員というのはうらやましい限りだと感じたことも正直なところである)。

私のような刑事被告人経験者でない一般の方に一番読んでもらいたい章が、薬害エイズ事件とロス疑惑事件を扱った「メディアとの攻防」という章である。

私はこれまで、日本の司法制度は三審制ではなく、その前に検察起訴前取調べという「予備審」があると思っていた。それがいわゆる第一審として機能するがゆえ、異常なほど高い不起訴率と刑事裁判の有罪率が説明できると考えていた。

ところが、日本においてはメディアが有罪を決定するということもあるということがまざまざと描かれているのがこの章である。即ち、メディアが犯罪者というレッテルを貼ることにより、起訴すらされていない被疑者であっても、世の中の認識は「有罪判決を受けた犯罪者」と同等となりうるということである。

刑事弁護をする場合には、不完全な刑事司法のシステムは如何ともし難く、しかしそれに不平不満を言うよりは、何とかその中でもベストを尽くすという刑事弁護人としての弘中氏の心意気が全編から強く伝わった。そして彼が、自分が完全にコントロールできないそして暴走する検察組織や「絶望の裁判所」以上に怖れているのが、メディアの肥大化ではないだろうか。

刑事司法に関心を持つ人には勿論、メディアの在り方に興味を持つ人には是非読んでほしいと思ったのがこの書を読んだ感想であった。

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2014/07/27 Sun. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その6 「被告人ができること 各論(2) 優秀な弁護人を選ぶこと」 7/24/2014 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その6 「被告人ができること 各論(2) 優秀な弁護人を選ぶこと」 7/24/2014

私は、村上正邦氏が主宰する「日本の司法を正す会」に三度招かれました。会のパネリストの一人、早川忠孝弁護士の言葉で心に残っているものの中に、次のものがあります。

「本来、無罪になるべきものは、いかなる弁護であっても無罪にならなければならない」

勿論、その意味するところは、いかに無罪になるべき事案であっても、弁護人が無能だと、無罪になるものも無罪にならないということであることは説明を要しないと思います。それほど日本の刑事司法では、無罪を勝ち得るのは簡単ではなく、弁護人の能力が結果を左右するほど影響力があるということです。

それでは、いかに有能な弁護人を選任するか。これは非常に難しい問題です。「ホーム・ドクター」はいても、「(特に刑事弁護のできる)ホーム・ロイヤー」はほとんどの人にはいないでしょう。そうした人が刑事事件に巻き込まれた時、多くの場合、国選弁護人ということになると思われますが、残念ながら国選弁護制度は、(確率論的に)無罪を得るには十分とは言えないと考えます。

有罪率が99.9%を越える日本の刑事司法の状況を病気に例えると、無罪を得ることは、治癒率が0.1%に満たない難病と言えます。普通の風邪や腹痛ならいざしらず、そのような難病を治療できるのは、やはり専門的技術を持ったスペシャリストということになると思います。国選弁護制度は、いかなる刑事被告人も有している、弁護を受ける権利を担保するだけのもので、強大な検察組織と対峙して無罪を勝ち得るには、不十分だと思われます(勿論、国選弁護活動を社会貢献と考えて、自分の一般業務のほかに国選弁護活動をしている優秀な弁護士に当たる可能性もありますが、確率論的にそれは著しく低いものです)(注)。

私の一審・控訴審の主任弁護人であった小松正和弁護士との出会いは、拙著『勝率ゼロへの挑戦 いかにして史上初の無罪は生まれたか』に詳しく書いていますが、一言でいえば全くの偶然と私の勘でした。

それだと余りに身も蓋もないので、いかにして弁護人を選ぶかのヒントをいくつか紹介したいと思います。

冤罪により刑事被告人とされることは、人生最大(級)の危機です。その危機を乗り越えるためのパートナーを選ぶには、信頼関係が非常に重要です。そして信頼関係を築くためには、やはり相性が大切だと思われます。

「高名な弁護士先生に全てをお任せしたい」という人もいれば、私のように「インフォームド・コンセントが重要。自分も弁護団の一員として機能したい」という人もいると思います。当然、合う合わないが出てきます。弁護士も人間ですから、やはり相性の合う依頼人と合わない依頼人では、パフォーマンスに差が出てくると思われます。弁護士の弁護方針を早い段階で確認する必要があります。そのディスカッションの中で、相性は判断できるはずです。

それでは、そもそも目ぼしい弁護士にどのように当たりをつけるか。一番確実なのはやはり口コミです。優秀な弁護士は、宣伝をすることはまずあり得ないので、「刑事弁護専門!刑事弁護は我々にお任せ下さい!!」などと銘打ったホームページを掲載している弁護士事務所は一番当てにならないと考えるべきです。

口コミで引っ掛かる弁護士がいない場合、私ならどうするか。例えば、刑事弁護士の多くが読んでいるであろう雑誌に現代人文社刊『季刊刑事弁護』があります。その記事の多くは、現場の弁護士が寄稿したものですが、バックナンバーで自分の類似事案に関し、気の利いた寄稿をしている弁護士に当たるというのはどうでしょうか。その弁護士に電話をする、手紙を書く、実際に会ってみる、というスクリーニングで相性の合う弁護人を見つけることができるかもしれません。

非常にセンシティブかつ重要な問題に、弁護士費用があります。弁護活動は一種芸術であり、秀でた技術は高く売れることを彼らは知っています。しかし、これまた医療に例えれば、「医は仁術」のような要素が弁護活動にもあり、有徳な弁護士の少なからずが、依頼人の資力に見合った弁護料を請求するはずです。どうしてもある先生に頼みたい、でも手元不如意だという場合でも、諦めずに話しをしてみるといいと思います。「そんな弁護料ではできない」と言われたら、出会いがなかったと思えばいいだけで、失うものはありません(値段があってないように思われるかもしれませんが、一応弁護士会推奨の基準値のようなものはあります。それを参考にして、イメージは持っておいた方がいいと思います。しかし、やはり値段はあってないようなものなので、全ては交渉事だと考えた方がいいかもしれません)。

よい弁護士先生と出会えることを願っています。

(注)
国選弁護制度は、私選弁護士を雇えない被告人のために国がその弁護士費用を負担することで、刑事弁護を受ける権利を担保するものです。国選弁護士になることは、全ての弁護士の義務ですが、少額のペナルティを払うことでその義務を忌避することができます。以前は、「弁護士たる者、国選弁護の義務を忌避するのはけしからん」という雰囲気が業界にはあったそうですが、今は弁護士の需給バランスが崩れ、仕事にあぶれた弁護士が国選弁護で食いつなぐというケースも見られ、「私選弁護の仕事にありつけない弱小弁護士の仕事を奪ってはかわいそう」と、国選弁護の忌避には全く罪悪感がなくなったと聞きます。問題は、国選弁護士報酬が異常に低いことです。捜査当局は税金を湯水のように使い、被告人を有罪にしようとしますが、それに対抗する被告人の国選弁護士が彼らのボランティア精神に支えられているというアンバランスが実態です。

7/24/2014












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2014/07/24 Thu. 00:10 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (410) 「国税不服審判所に反論書を提出しました」 7/21/2014 

#検察なう (410) 「国税不服審判所に反論書を提出しました」 7/21/2014

私の国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論の期日は7月28日月曜日午前10時、東京地裁の第611号法廷となりました。

刑事裁判では「公判」と呼ばれますが、民事裁判では「口頭弁論」と呼ばれます。しかし、その用語のイメージとは異なり、実際の口頭弁論期日では口頭による弁論は行われず、もっぱら事前に提出された書面についての確認が中心となります。私も一度、桜井昌司氏の国賠審を傍聴したことがありますが、「あれ、これで終わり?」という感じで、事務連絡に終始した印象でした。

この国賠審と並行して、私は重加算税を不服として国税不服審判所に審査請求をしています。しかし国税局は、その重加算税の賦課決定を何の説明もなく、過少申告加算税(期限後申告の年は無申告加算税)に変更しました(注1)。そしてその直後に、国税局は、そもそもいかなる理由で重加算税をしたのか、またいかなる理由で賦課決定変更をしたのかに全く言及することなく、過少申告加算税(無申告加算税)がいかに適法かという実に姑息な答弁書を国税不服審判所に提出しました(注2)。

この答弁書に対し、担当税理士、弁護士を代理人として、先週、反論書を提出しました。抜粋します。

「請求人は、平成22年2月19日の東京国税局による告発報道により、就職も困難となり、社会的にも精神的にも辛い状況に陥った。仮に原処分庁がなんらの根拠もなく、とりあえず重加算税を賦課しておいて、納税者が争う場合あるいは法廷にて無罪が確定した場合には、重加算税の賦課を取り消して、過少申告加算税に変更すればよいという税務行政運営であれば、納税者の権利を著しく蹂躙するに等しく、まさに国税庁が目指す税務行政に対する納税者の理解と信頼は到底得られないものと考える。」

「また不服審判制度が納税者の正当な権利や利益を簡易かつ迅速に救済するための手続であるとすれば、原処分庁がした賦課決定処分や変更決定処分の理由を知り理解することも納税者の正当な権利といえる。」

「本審査請求の目的は、請求人の経済的利益の確保にあるものではなく、今後、税務当局による違法な処分により本件のような不幸な事案が生じることを予防する点にある。」

「原処分庁におかれては、請求人の潔い態度に真摯に応えていただきたい。」

気持ちがこもった実に真っ当な反論書です。今後の経過に是非ともご注目下さい。

目黒税務署

また、先日、目黒税務署に赴き、賦課決定変更についての説明を求めました。賦課決定変更に際しては、何ら説明もなく、計算書を送り付けてきただけであることは既に述べたとおりです。

事前に、書面で、以下の2点について聞きたいという旨を伝えてありました。

① 不服審判所に審査請求をした時点で、異議申し立ては自動的に取り下げられたと理解しているが、なぜ審判所の裁決ではなく、賦課決定なのか。

② 不服審判所の受付担当も税務署も、課税処分は判決に左右されないと言っていたようだが、それならなぜここまで時間がかかったのか。

対応に出てこられた方の肩書は、上席国税調査官という方でした。冒頭、「八田さんのご期待に沿えるようなお答えはできないと思います」と切り出し、やはり説明に窮した模様でした。それもそのはず。国税局査察部の暴走の尻ぬぐいを、目黒税務署の一職員がさせられているのですから、大変だったと思います。

その方の具体的な仕事は、興味深いことに、重加算税の証拠の査定(仮装・隠蔽の認定)だそうです。

私が「全く証拠がないものを告発するというやり方は、税務当局の本来のやり方ではなく、検察の起訴、裁判所の追認に依拠した査察部の無理筋ではなかったか」と指摘したところ、それに対する回答は、「自分の職務では、ブツはあるのか、それが脱税を示唆しているのかということを常に精査している」というものでした。「だから、証拠がないのに告発するのは無理筋である」とまで言ったわけではありませんが。

告発の時点からここまで、こちらの再三の問い合わせにも関わらず国税局は何をもって故意と認定したかの合理的な説明を一切していません。税金(重加算税)を払えと言い、それを払った上で、なぜそれを払わなければいけないかと尋ねても、国税局は説明してこなかったものです。彼らがなぜ説明を放棄してきたかの理由を、国賠審で明らかにしていきたいと思います。

引き続きご注目下さい。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (403) 「国税不服審判所への国税局答弁書の姑息さに驚きました」

7/21/2014









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2014/07/21 Mon. 01:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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ブック・レビュー 『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著 

ブック・レビュー 『反省させると犯罪者になります』 岡本茂樹著

反省させると

「反省させると犯罪者になります」…なんとも挑戦的なタイトルである。

まえがきから人を驚かせる。

「悪いことをした人を反省させると、その人はやがて犯罪者になります。自分自身が悪いことをして反省しても、同じ結果です。つまり犯罪者になります。」

著者の論旨はいきなり明らかにされる。「悪いことをする」→「『すみません』と言って反省する」→「終了」というパターンが問題だと。

「言いたいことは、このパターンを続けているかぎり、自分の家系のいずれかの世代で、誰かが重大な犯罪を起こす可能性があるということです。したがって、誰かがどこかの時点で、「悪いことをしたら反省させる」という育て方を止めなければならないのです。」

まえがきを読んで納得する人はそうそういないであろう。私もその一人であった。ところが、本文を読み進めるに従って、著者の主張は俄然説得力を帯びてくる。

まず著者の導入が確信犯的であるのだが、著者も反省そのものがいけないと言っているわけではない。むしろ犯した罪をあがなうには反省は勿論必要なのだが、「反省を強いること」はむしろ本物の反省から遠ざけることにしかならないというのである。

やり玉に挙げられているのが「反省文」。いくら反省文を書かせても、うまく外面を取り繕う技術だけを養うだけで、本質的な反省からはむしろ離れていくとする。上辺だけの反省は内心を見つめ直す機会を逸することになるからである。

典型的な「よくできた反省文」を掲げ、何が問題かを指摘しており、作者の主張は非常に明快である。

例えば、酒井法子氏の記者会見の言葉を引用している。
「このたびは、一社会人として、人として、決して手を出してはいけない薬物というものに、自分の弱さ故に負け、そして今、このように世間の皆さまを騒がし、多くの皆さまにご迷惑をかけました……………まずは自分の罪を悔い改め、二度とこのような事件に手を染めることのない、そういった誓いを一生の約束として、固く心に誓います………….取り返しのつかないことをしてしまった自分の弱さを戒め、反省をし、もう一度生まれ変わった気持ちで、心を入れ替え、日々、努力していきたいと思っております」

この反省のコメントのどこに問題があるか、是非本書を読んで理解してほしい。

また、犯罪があった場合、犯人に反省を求める際、被害者のことを考えよともよく言われることであろう。「被害者のことに思い至れば、自分の罪の深さに気付かないわけはない」という発想であるが、これも間違っていると著者は指摘する。そして被害者のことを考える前に自分のことを考えよと主張する。自己理解なくして他者理解はないとするものである。

そうしたプロセスを経ずに反省をさせることで、自分の不満や不安や様々な行為の引き金になった感情に蓋をして、内に閉じ込めてしまうことになる。結局それは上辺だけの反省につながり、本当の反省からはむしろ遠ざかるものである。

著者は大学社会学部教授でありながら、刑務所の篤志面接委員も務めている。この本は受刑者の更生を主眼に書かれたものであるが、勿論、その主張するところは教育の現場や、親子のしつけにおいても十二分に活用できるものであり、するべきものである。それを意識した説明も著者は忘れていない(最終章の表題は「我が子と自分を犯罪者にしないため」)。

面白くかつためになる本であることは請け負ってもいい。

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2014/07/20 Sun. 09:22 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (409) 「周防正行氏ロングインタビュー 法制審議会特別部会の最終答申案を受けて」 7/17/2014 

#検察なう (409) 「周防正行氏ロングインタビュー 法制審議会特別部会の最終答申案を受けて」 7/17/2014

これまで法制審議会の最終答申案に関しての議論をしてきました(注)。非常に重要なこの事案を理解するための資料として、周防正行映画監督によるロングインタビュー(by ビデオニュース・ドットコム)は、法制審議会特別部会の雰囲気や経緯、そしてその問題点を明確に指摘しています。

刑事司法改革の行く末を見据える上で、非常に重要だと思われますので、是非(約1時間と長尺ですが)添付の動画をご覧頂ければと思います。

ここをクリック→ ビデオニュース・ドットコム「周防正行氏: 小さな一歩でも警察にとっては絶望的な恐怖だと思う」

興味深いと思われたポイントを、ハイライトとして書き起こしましたので参考にして下さい。

周防  「(法制審議会では、法務・検察関係委員に)言葉が届かないとか、素通りしてるんじゃないかとか、あと完璧にはね返されるとか、そういうことが多かったんですね。それをふり返って流れを考えると、前提としていることが違う。例えば、この審議会は村木さんの事件がきっかけとなった検察の在り方検討会議、それから受けてそういった誤判・冤罪を防止するという目的で開かれた会議にも関わらず、タイトルが「新時代の刑事司法制度特別部会」というように「冤罪を防ぐ」が「新時代」に置き換わっているんです。

実は取り調べの録音・録画とか証拠の全面開示以外に、司法取引であるとか、通信傍受の拡大ということを話し合うことを前提として用意してたんだなということが、話し合いの中でよく分かりました。出発点というか目的を微妙にずらされて出発してるんだなということを途中で気が付いて、これは浅はかだったなと思いました」

周防  「可視化の範囲が狭いからといってほったらかしちゃうと、実は警察も検察も自分たちの好きな録音・録画ができるんですよ。何の法制度も、つまりこういうものが録音・録画なんだというものがない中で、警察と検察が自分たちのやりたいような録音・録画を使って、法廷で裁判所の承認を受けて、警察・検察・裁判所による彼らの録音・録画制度が作られてしまうというのが一番嫌だったんです。だから、録音・録画はどういうものであるべきか、範囲は狭くても、そのひな形は法律として作ってしまえば、このやり方をあからさまには無視できなくなるはずなんです」

神保  「もう部分可視化で行くのは難しくなりますよね」

周防  「そこなんですよ、僕らが言っていた方向性という意味は。録音・録画をするっていうことは、全過程、取調べ室に入った瞬間から出て行くまで全てを録音・録画するのだ、それが取り調べの適正化につながり、調書の任意性・信用性の判断にもつながるんだというところをとにかく決めたかったんです」

神保  「(刑事司法改革の流れを前提とすれば)周防さんや村木さんが全面可視化を主張するのは当然なのに、それを、法曹関係者といえば今回26人中19人がそちら側の利害当事者だったということなんですけど、その地位もあって頭もいい方々が、どういう論理で「いやいやそんな可視化は必要ないんだ、やったらいけなんだ、できないんだ」と真顔で主張されたんでしょうか」

周防  「ものすごく象徴的だったのは、警察関係者の方だったんですけど、「取り調べの録音・録画をしたら、今までのような取り調べができなくなる、だからだめだ」って言われた時に、「この人は一体何を言っているんだろう」とその時はすぐ手を挙げて、「そういう今までの取り調べをできなくするために、新たな制度を考えましょうって言っているのにそれはとんでもない話だ」ということを言ったんですけど、それで終わるんですよね」

神保  「彼らのメンタリティ、論理というものを、周防さんどう思いましたか。つまり、都合が悪いから、本当は周防さんの言っていることは十分分かっているし理解もしている、そもそもこの会議がそういう(冤罪・誤判を防ぐための刑事司法改革をめざすという)趣旨でできたということも本音では知っている、でもそれを認めてしまったら、自分たちの既得権益とか、今までの仕事の仕方がしにくくなるとか、そういうことで無視をしているのか、それとも本当に全く頭が堅くなっていて、別にその振りをしているんじゃなくて、本当に周防さんの言ってることが分からない、そういうことを考えるマインド自体がないからそういう風になっているのか。そこはどう思われますか」

周防  「ずっと考えてきたんですよ。最初はこの人たちは、本当にとぼけてるだけだと思ってたんですよ。全部分かってんだけど、そんなことやっちゃったら、警察も検察も維持できないって思ってんじゃないかと思ってたんですけど、ある時に、警察関係者なんですけど、「取調べ室でマイクを突き付け、カメラを突き付けられたら、誰が本当のこと言いますか」って言った人がいたんですよね。もしかしたら本当に彼らは録音・録画ってものがされた瞬間に誰も何もしゃべらなくなるとか、いいことしか言わなくなるって本当に信じてるかもしれないってのはあったんです。

ただ、警察にも検察にも、これをきっかけに改革したいって思ってた人はいたんじゃないかと。逆に改革させたくないっていう人も確かにいるんですよね。あの組織の中でもそういうせめぎ合いはあるんじゃないかな。で、実は、録音・録画の範囲の問題なんですけど、裁判員裁判って言うのは全刑事事件の2%程度。僕らにとっては、すごく少ないと思ってるんですよね。ところが警察関係者にとっては、すごい恐怖じゃないかと。要するに死刑や無期求刑がある事件、それを全部録音・録画しなければいけないっていうそういう取り調べが明日から始まるとした時に、どうしたらいいんだろうっていう思いは絶望的なんじゃないですか」

周防  「日本の民主主義って言われるものは、まだまだ未成熟どころか本当の子供で、「個」っていうものがどういうものなのか、例えば人権侵害なんて口にしますけど、あれって本当に自分の人権が侵害されているって肌で感じて、どれだけの人が気が付くんだろう。僕らはまだまだ人権侵害なんてのは言葉として理解しているだけで、肌で感じてないんじゃないかな。それを肌で感じて学んでいかないと、いつまで経ってもこのままで。

このままでいいじゃないかという考え方も確かにあるんでしょうけど、少なくとも僕は、そんな子供ではいたくないっていう。もっと成熟した大人になっていきたいと思うので、今回の会議も、もっと高いレベルの会議ができるようにならないと恥ずかしいなっていうかね。やはり人間としてどうあるべきかとか、すごく大きなところで僕は我慢できない自分の未熟さと言うんですか。

それが日本のこの平和でのんびりした環境を変えることになったら、そんなことは余計なお世話だっていうけど、よく言う「寝た子を起こすな」っていう、でも僕は寝た子のままではいたくないっていうのがあるので。僕はまだまだ日本人は、民主主義とか人権とか(理解していない)。裁判所は人権の最後の砦と思ってたけど、彼ら自体が人権を分かってない。それは人質司法に対しての批判に、彼らは全く耳を貸さないどころか、そんな実態はないって言い切るわけですよね。私たちは適切に判断してきましたって。あの傲慢さはちょっとね。もしかしたら日本の裁判所は治安を守るためにあると思ってんじゃないかな。僕は恐ろしくなりましたけど」

周防  「今回は本当に小さな前進かもしれないって言ったのはそうなんですけど、僕は、裁判所がきちんと運用してくれたら、ものすごく大きな一歩だと思いますよ。これは裁判所次第だと思っています。裁判官にプレッシャーかけたいですね。例えば例外規定だって、録音・録画しなかった時になぜ録音・録画しなかったかの立証を警察・検察がどこまでできるんだっていう。裁判所次第ですよ、それは。「それは認められません」って裁判所が言えるかどうか。そこで決まっちゃうんじゃないですか。もう例外だらけの録音・録画になるのか、厳しい運用をして、本当に取り調べの適正化につながるのか、裁判所次第」

周防  「僕だって会議に参加してなくて外部にいたら、ものすごく批判してますよ、この答申は。むちゃくちゃ批判してると思う。僕は開き直っているわけじゃなくて、本当に批判してほしいんですよ。そうすることで裁判所にも検察にもきちんと声が届くと思うんですね。僕自身が批判されても全然応えない。なぜかというと多分僕も批判していると思うんですよね。だけど会議に出てた人間として、ここで選択する中の「ベター」を選んだと理解して頂ければ、ま、そこまででいいです。だからその「ベター」が違う結果を生んじゃったら、それこそ僕は皆さんに合わす顔ないんですけど」

神保  「席を蹴って立てばかっこいいけど、収穫はゼロになるということですよね。検察は一番それが望ましかった」

周防  「だと思いますよ。僕が席立ったら、ほれ見たことかで、検察は喜んだと思いますよ。分かんないですけどね」

(注)
ここをクリック→ #検察なう (406) 「司法取引導入の是非を問う」

ここをクリック→ #検察なう (407) 「『原点はなぜ見失われたか』 徹底検証「新時代の刑事司法制度特別部会」」
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category: 刑事司法改革への道

2014/07/17 Thu. 07:14 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (408) 「佐藤真言氏からの手紙」 7/14/2014  

#検察なう (408) 「佐藤真言氏からの手紙」 7/14/2014

私の応援する佐藤真言さんが収監されて一年が経過しました。

丁度一年前のブログです。

ここをクリック→ #検察なう (310) 「佐藤真言氏、本日収監!」

佐藤さんの巻き込まれた事件を知るには、是非彼の著書をお読みください。

粉飾1

ここをクリック→ Amazon 『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』 

その佐藤さんから手紙が届きました。彼のポジティブさが表れた文面には多くの人が勇気をもらえると思い、ここに公開させて頂きます。彼が復帰するはずの来春が待ち遠しいものです。

八田さんへ

梅雨のまっただ中、外界がどれほどの暑さなのか想像がつきませんが、窓から入る風や天気予報などから、蒸し暑い日が続いているのだろうと思っています。お元気ですか?

さてとまずは無罪判決、いや完全無罪判決おめでとうございます!歴史を変えた判決でしたね。私も新聞でその情報を知り、一人心の中で拍手喝采をしていました 笑。そして次なる戦いは国賠訴訟ですね。これは世の中にもクローズアップされるべき裁判。どのような戦いをされるのか、興味をもってみています。頑張って下さい。

私のほうはおかげ様元気にやっております。入った当初は大きな不安もあり、刑務作業においてもミスを連発しておりましたが、今ではすっかり慣れ、不自由な中でもささやかなことに幸せを見出して、日々楽しみながら一日一日を過ごしています。そして出所後という、真の勝負処を見すえて、所内で色々とチャレンジをしています。そして何より多くの方々に応援をしていただいているというのが、何とも心強いです。逮捕されて収監されている私のような人間に、本や温かい言葉を毎日のようにいただき、生きていく支えになっています。これは本当にオーバーではなく。囚人リク15巻、ありがとうございます。いつも楽しみに読ませていただいています。忙しいのに気にかけていただいて、ありがたく思っています。

衛生係の仕事は、一日がとても早く感じられる仕事です。一日が早い、というのはとても良いことで、又、仲間や刑務官の先生にも恵まれ、ほとんどストレスを感じることなく過ごしています。

八田さんと最後に会ったのは、赤坂のランチでしたか?早いものでもう一年が経ちましたね。あれは楽しい時間でした。あの時に食べた麦飯を今は毎日食べています 汗。収監までにゴールデン街で店を出すつもりだったのですが、収監日の延期が認められなかったので断念せざるをえなかったんですよ。出所したら記念イベント(お手紙や本を差入れをいただいた方への感謝を込めて)をゴールデン街で行いたいと思っていますので、よろしければ遊びにきて下さい!

あと、本の出版もおめでとうございます!読み始めたら止まらずに一気に読了しました。NHK(ハゲタカの枠)などでドラマ化されると良いですね。

バンクーバーと日本との行き来、大変かと思います。又、猫ちゃんのことも聞きました。何と申し上げてよいか。でも八田さんの裁判をちゃんと見届けて守護神の役目を果たしてくれたのではないでしょうか。

お会いできる日を楽しみにしております。紹子さんからもお手紙やすてきな写真をいただき、とても癒されています。

不自由な世界におりますが、けっして不幸ではありません。折り合わない人からは、自分の足らない点を教えてもらえますし(←これは無料の人生勉強!)。多くの仲間とは笑顔で語らっています。

規則正しい生活で、健康状態は良好です。そのあたりのことはどうぞご心配なく 笑。

ではでは、再会を祈って!八田さんのますますのご活躍を獄壁の中から願っています。マザーテレサの言葉(注)、いつも励みにさせていただいております。

ありがとうございます。乱筆失礼いたしました。

二〇一四年七月三日

佐藤真言

(注)
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category: 佐藤真言氏 『粉飾』

2014/07/14 Mon. 06:09 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『私の男』 熊切和嘉監督 

フィルム・レビュー 『私の男』 熊切和嘉監督

私の男

映画『私の男』鑑賞。

基本女性作家ものの小説は読まないので直木賞作品『私の男』は未読でした。また監督の熊切和嘉は、大学卒業制作の『鬼畜大宴会』が「ぴあフィルムフェスティバル」で準グランプリを取って話題になった時(1998年)、その映画を観てあまりの悪趣味さに、以来敬遠していた監督でした。

その映画を観ようと思ったのは、とにもかくにも二階堂ふみの映画だから。この映画は彼女でなくては演じられなかったのではないかと思います。

映画では始まりからセリフが極端に少なく、状況の多くも明示的には説明されないため、観ている者の想像力をかきたてます。

奥尻島の津波で家族を失った幼少の花を、遠縁であり女性に放蕩な海上保安官の淳悟が引き取るところから映画は始まります。レモン・インセスト物だということは知っていたので、「なんかヤバいなあ」と感じた後の淳悟のセリフに引き込まれました「これから俺はお前のもんだ」。

その後、養女・養父でありながら、そして実は本当の親子であることが分かってながら関係を持つ二人。これだけだと単なるインモラルなのですが、淳悟が度々涙を流しながら言う「自分は家族がほしいんだ」という言葉に、肉欲を伴った恋愛と親子の愛の境界の融解を感じさせられます。

殺人と近親相姦という最大のタブーを越える愛。それは淳悟にとっては「全てを与える」であり、花にとっては「相手は自分の一部」。そのピュアな愛情のあり方に、愛とは何かを考えさせられます。

結局、花は淳悟から離れます。「子供の頃は相手の全てが分かると思ったのに。お互い子供だったってこと」という言葉に、女性としての成長が見て取れますが、婚約者と3人で食事をするラスト・シーンは実に意味深。

制服の下にジャージをはいて、メガネにクマのイヤーマフをしながら男を知っているという女子高生のエロスを演じた二階堂ふみと、女性に奔放ながら常に恋愛以上のものを求めて結局孤独に苛まれキレギレになるダメンズを演じた浅野忠信の演技は最高レベルのものでした。

あと、藤竜也のおじいちゃんがとてもよかったです。大島渚の『愛のコリーダ』ではあれだけ(文字通り)むき出しの性を演じながら、ここではすっかりまるくなっちゃって、タブーを否定する良心みたいな役。それをぶち壊す二階堂ふみのパワーがそれと対比してまたすごい。流氷の海に飛び込むシーンは鮮烈。

音楽にジム・オルークを採用した監督のセンスも秀逸。「読んでから観るか」「観てから読むか」では圧倒的に「観てから読む」派ですが、園子温バージョンの『ヒミズ』が原作を越えているように、熊切バージョンの『私の男』も原作を越えている予感。あ、あれも二階堂ふみ主演でした。

ということでインモラルな恋愛にアレルギーがなければ、愛とは何かを再考する極上の作品だと推しておきます。

ここをクリック→ 『私の男』予告編

(Facebook 7/11/2014より転載)












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category: フィルム・レビュー

2014/07/13 Sun. 08:48 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (407) 「『原点はなぜ見失われたか』 徹底検証「新時代の刑事司法制度特別部会」」 7/10/2014 

#検察なう (407) 「『原点はなぜ見失われたか』 徹底検証「新時代の刑事司法制度特別部会」」 7/10/2014

先日のブログで、法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」(以下、特別部会)の最終案に盛り込まれた司法取引の危険性について指摘しました。

ここをクリック→ #検察なう (406) 「司法取引導入の是非を問う」

どうもこの特別部会の提言内容に関して議論が盛り上がらないのは、そもそも特別部会のポジショニングや経緯、意義が理解されていないのではないかと思います。そこで、この特別部会に関する記事を先々月号の岩波書店『世界』6月号(注)から拾い、その抜粋を掲載します(抜粋は本文の1/4程度ですので、是非本文に当たって頂き、この重要なことがらの認識を深めて頂ければと思います)。

この記事は座談会の模様を記録したもので、パネリストは周防正行映画監督、指宿信成城大学法学部教授、山下幸夫弁護士、ジャーナリストの青木理氏です。この中で周防氏は特別部会のメンバーを務めています(郵便不正事件の冤罪被害者村木厚子氏も同じく特別部会のメンバーです)。

指宿  特別部会は、発足からおよそ三年にわたって、取調べの可視化や通信傍受など、多岐にわたるテーマを検討してきました。これから大詰めを迎えるという特別部会の議論を見ていく前に、非常に広範な刑事司法改革はなぜ始まったのか、その経緯をふり返っておく必要があると思います。改革の原点となったのは、厚生労働省元局長無罪事件です。

青木  大阪地検特捜部で発覚した証拠改ざんは、長きにわたって流布された「特捜神話」の欺瞞性を暴き出すものでした。ただこの件を機に設置された「検察の在り方検討会議」にしろ、その後を継ぐ形で法制審に設置された特別部会にしろ、事務方を担った法務検察官僚によって巧みに骨抜きされています。在り方検討会議にしても、致命的な大不祥事を受けて議論が始まったはずなのに、出てきた提言書は相当にやさしいものだった。特別部会にいたっては、基本構想の段階から法務検察が露骨に議論を誘導しています。

指宿  在り方検討会議がつくられた当時の、検察当局の低姿勢は、日本の刑事司法が始まって以来のものだったと思います。杜撰な捜査の実態が公的に認められ、それを取り扱う討議の場が設けられたこと自体、きわめて異例です。ところが、とりまとめの頃には議論が矮小化されて、特別部会につながっていく別の流れも出てきた。

周防  法制審議会の委員になって、警察や検察がここまで自分たちの捜査、取調べのあり方について無批判でいられるとは、にわかには信じがたい気持だった。たとえば特別部会の中間とりまとめでは、「取調べによる徹底的な事案の解明と綿密な証拠収集及び立証を追求する姿勢は、事案の真相究明と真犯人の適正な処罰を求める国民に支持され、その信頼を得るとともに、我が国の良好な治安を保つことに大きく貢献してきたとも評される」とありますが、村木さんのいる場で、よくこういうことが言えるなと思いました。

僕は委員に選ばれたとき、最低限、取調べの録音・録画、全面的な証拠開示、人質司法の解消の三点は主張したいと考えていました。でも、可視化は取調べ全過程で導入すると真相の解明が妨げられるという理由で警察が否定。証拠開示も、現行制度の設計に関わった委員が「重大明白な欠陥はなく、したがって、法改正によって修正すべき点はない」と断言した。人質司法については、警察・検察だけではなく裁判所が激しく反発して、勾留の要件にしたがい適正に判断しているというわけです。

指宿  つまり三本の柱のいずれも、当事者が自分たちは間違っていない、一体何を直せばいいのか、というところから特別部会はスタートしている。

周防  それで村木さんや他の有識者委員、日弁連委員が、この会議は何のために始まったのかと繰り返し言わざるを得なくなるんです。

僕は『それでもボクはやっていない』の冒頭に、「一〇人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という言葉を掲げたのですが、特別部会の委員の多くは、たぶん一〇人の真犯人を逃がすぐらいなら、一人ぐらい間違えて捕まえても仕方ないと思っている。犯人を逃がしたくないという責任感は結構ですが、犯人でない人が捕まったときは、速やかに間違いが正されるシステムをつくるべきなのに、その認識がないということです。裁判所も、基本的人権を守る砦であってほしいのに、裁判官の仕事は治安維持にあるとでも思っているのか、無辜の救済より、犯人を逃したくないという気持が勝っている気がします。

青木  大阪地検特捜部の証拠改ざんが発覚し、厳しい批判が巻き起こったから在り方検討会議をつくった。法務検察としてつくらざるを得ない面もあったでしょう。これに前後して再審無罪事件が相次ぎました。けれども何とか穏便に乗り切りたいと知恵を凝らした法務検察は、万全の態勢を整えた。地方に出たばかりだったのに、法務検察内でヤリ手と評される検事正をわざわざ呼び戻し、在り方検討会議の事務局担当に据えるほどだったんです。その延長線上に特別部会がある。目論見通り、在り方検討会議は穏便な形で乗り切り、衝撃の不祥事から時が過ぎて世間もそれほど騒がなくなってきたから、特別部会では反転攻勢に出ようという計算でしょう。ご本人を前に失礼ですが、周防さんや村木さんを迎えて体裁を整え、ガス抜きをさせつつ可視化などの譲歩は最小限に、果実は最大限に、というわけです。

周防  青木さんの仰った点は自覚しています。有識者の意見は、とりまとめの段階になると「・・・という意見もあった」で片付けられて、僕らの意見をそぎ落した「とりまとめ」をつくって、その後は枠からはみ出す議論はできなくなる。

指宿  通信傍受の範囲が拡大されようとしていますが、これは立法事実がないのではないかとの批判があります。

山下  基本構想では、窃盗団や振り込め詐欺を対象犯罪にすることが例示されていました。それが新たな叩き台ではさらに広がって、詐欺と窃盗だけではなく、恐喝、強盗、略取誘拐、傷害、殺人、現住建造物等放火、爆発物取締罰則違反までが含まれています。通信傍受以外の捜査手法がなぜ有効ではないのか、具体的な検証はまったくなされないまま、いつの間にか警察がやりたいものへと一つひとつ広がっています。手続き面でも通信事業者の立会いが不要になるなどの改正が検討されています。

指宿  1997~98年の通信傍受法導入時は、国民的な議論になったのに、マスコミの注目も非常に乏しいですね。むしろ、今回のほうが国民に影響する話だと思うのですが。

青木  1997年に盗聴法つまり通信傍受法が制定されたとき、当時はメディアも強く批判して、警察にとっては制約の多い形での法制化になりました。それを巻き返す機会を狙っていたのだと思います。特定秘密保護法だって、実態は警備・公安部門の警察官僚が虎視眈々と準備したものですから。

指宿  可視化が実現すれば、取調べのかわりに通信傍受で証拠を集めようというわけですが、両者は本当に代替されるものなのでしょうか。

青木  可視化の範囲は裁判員裁判の対象事件に絞るという案が有力らしく、こうなると窃盗も詐欺も裁判員裁判の対象ではないですよね。可視化の範囲は限定しておいて、通信傍受のほうだけを大幅に広げるというのは、どう考えても理屈が合いません。

指宿  原発事故では初めて国会事故調査委員会をつくりましたが、こうした国会主導のアプローチもありえますよね。

山下  法務省や検察は捜査機関そのものですから、国会の中に有識者を集め、第三者委員会をつくって、まず冤罪の原因を究明した上で、何を改革するのか議論すべきです。いまは、それぞれの関係者が異なる前提で意見を主張して、一致できる最低限のラインに着地しようとしています。そのためにまったくまとまらないし、結局は、捜査機関側へと議論が誘導されていくことになります。

周防  一生のうちに刑事裁判にかかわる人は、何人くらいいるのでしょうか。痴漢冤罪の取材をしていたとき、有罪判決を受けた人が、弁護士に食ってかかっていたのです。「なんでこんなにひどい裁判をあんたたちは許しているんだ」と。そうすると、「あなたは自分が捕まって初めて気がついたのか。捕まる前は裁判のことなんて一回も考えたことないんでしょう」と弁護士さんが逆ギレしていた。重要な問題なのに、みんな自分の明日の生活に関係してくる問題として考えにくいんですね。特別部会の存在自体を知らない人も多ければ、映画関係者でも、僕が委員をしていることを知らない人は多い。

青木  メディアやジャーナリズムの責任は最も大きいし、その片隅にいる者として忸怩たる思いですが、僕は映画やエンターテイメント界の責任だって追及したいぐらいです。ドラマも映画も警察や刑事ものが氾濫していて、格好いい刑事が悪人を捕まえる陳腐なストーリーばかり。欧米のドラマにはよくあるような、格好いい弁護士が悪辣な検事や刑事の不正を追及するドラマや映画がほとんどないんですから(笑)。 

周防  本当に。現実の刑事裁判を知ってから、映画やテレビドラマの描く裁判に、僕自身呆れることが多いです。

指宿  たしかにテレビでも、悪人と良い警察官が闘うというドラマしか放映されていませんね。『大岡越前』以降、お上文化が日本のカルチャーにしみ込んでいるのだと思います。今日はありがとうございました。

(注)岩波書店『世界』6月号 特集
冤罪はなぜ繰り返すのか―刑事司法改革の行方

世界6月号

特集のそのほかの記事は
「司法は正義を取り戻せるか―袴田事件再審開始決定の無視は許されない」西嶋勝彦(弁護士)

「真実に近づくための「可視化」―コミュニケーションに障害をもつ人の取調べから考える」富田拓(精神科医師)

「再審請求審における「証拠開示」―「東電女性社員殺害事件」が提起した課題」石田省三郎(弁護士)

「「人質司法」問題の本質―PC遠隔操作事件にみる司法とメディアの現在」江川紹子(ジャーナリスト)

「「無知のヴェール」から日本の刑事司法を考える」マーク・A・レヴィン(ハワイ大学)

「犯罪被害者の多様な“声”―問われる司法と社会のかたち」片山徒有(「被害者と司法を考える会」代表)

「裁判官の余白録―裁判所と冤罪」原田國男(慶應義塾大学)

「「ボクサー崩れ」という偏見に抗して―袴田事件もう一つの闘い」落合博(毎日新聞)

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category: 刑事司法改革への道

2014/07/10 Thu. 00:16 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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外資系証券なるもの (14) 「ライアーズ・ポーカー」 

外資系証券なるもの (14) 「ライアーズ・ポーカー」

今年のオスカー作品賞にノミネートされたマーティン・スコセッシ監督の『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』は、1990年後半を時代背景としてウォール・ストリートの破天荒さを描いていましたが、業界全体の勢いとしてはブラックマンデーで一頓挫するまでの80年代の方がはるかにありました。

栄華を極めた80年代のウォール・ストリートを知るには、1989年に出版されたマイケル・ルイスが著した『ライアーズ・ポーカー』は必須です。

liars poker

ここをクリック→ Amazon 『ライアーズ・ポーカー ウォール街は巨大な幼稚園』

マイケル・ルイスといえば、最近、彼の著作『マネーボール』がブラッド・ピットを主演に映画化されたことで知る人も多いかもしれません。『ライアーズ・ポーカー』は、マイケル・ルイスの処女作で、私も14年間在籍したソロモン・ブラザーズ証券での彼の実体験を基に、ウォール・ストリートの内幕を実名入りで書いた作品です。

日本人の中では間違いなく私が、この本の内容を一番実感をもって楽しめる人間だと思います。なぜならマイケル・ルイスはソロモン・ブラザーズ証券在籍時には、私も所属していたモーゲージ・デスク(彼はセールス、私はトレーダー)に所属しており、登場人物の全員が、私のよく知っている人物ばかりだからです。

私が、この本の出版直後にニューヨーク出張に行った時は、ニューヨーク・オフィスのみんなが「あの本読んだか?」と話し合っていたことを覚えています。その当時、私はまだまだ駆け出しで、その本に書かれている、まだ物にならないひよっこトレーダーを指す「海底の奥底に沈むクジラのクソよりも下の存在(lower than whale shit on the bottom of the ocean)」とはまさに自分のことだと思ったものです。

この本のタイトルにもなったUSドル札を使ったゲーム(注1)は、トレーダー達がよくトレーディング・フロアでやっていたもので、当時、ウォール・ストリートで一種の流行りでした。がつがつ仕事をする傍ら、ちょっとした合間に知的なゲームを楽しむ感覚がウォール・ストリートっぽいと感じられたのでしょう。

ソロモン・ブラザーズ証券では世界中の新入社員をNYに一堂に集めて、約4ヵ月間のトレーニング・プログラムを毎年開催していますが、私も入社直後にそのトレーニング・プログラムに参加しました。私を含め、そのトレーニング・プログラムの研修生も、いっぱしのインベストメント・バンカーを気取って、授業の合間の休み時間にこのゲームをよくやったものです。

『ライアーズ・ポーカー』の書き出しの章では、ソロモン・ブラザーズ証券のジョン・グッドフレンド会長(注2)が、プロプライエタリー・トレーディング(会社の資本を投資して売買する自己勘定取引)デスクのヘッドのジョン・メリウェザー(注3)に、一手100万ドル(当時の為替レートで約1億4000万円)で勝負を挑む話が紹介されています。勝って上司の機嫌を損ねても、負けて100万ドル失っても、いずれにしても得るところのないジョン・メリウェザーは

「だめだね。どうせ差しでやるなら、本物の金額でやろう。1千万ドル、泣き言なしだ」

と答えたといいます。その後『ライアーズ・ポーカー』ではこう続きます。

「頭がおかしいぞ、きみは」グッドフレンドは勝負をおりた。とんでもない、とメリウェザーは胸の中でつぶやいた。あんたよりずっと頭がいいだけさ。

いかにも、当時のソロモン・ブラザーズ証券を象徴するかのような逸話です。

(注1)
ルールは英語版Wikipediaに詳しい。プレイヤーは各自USドル札1枚を手にし、全てのプレイヤーの通し番号の中の「数字」あるいは「個数」を「ビッドアップ(競り上げる)」していくゲーム。

英語版Wikipediaに解説されているように、勝率は確率計算されるが、勝負の駆け引きはそれよりもブラフによるところが大きく、それがトレーダー達が好んで興じた理由である。

ここをクリック→ Wikipedia “Liar’s poker”

(注2)
ソロモン・ブラザーズ証券がウォール・ストリートの覇者であった当時のCEO。1985年には雑誌『ビジネス・ウィーク』の表紙を飾り、”King of Wall Street”と称された。1991年にトレジャリー入札スキャンダルにより引責辞任。

john gutfreund

(注3)
トレーダーの職種は、商品の値決めと在庫の管理だが、それにも二種類あり、対顧客の取引を執行するカスタマー・トレーディングと、自己勘定取引をするプロプラエタリー・トレーディングがある。給与体系も全く異なり、前者はいわゆるサラリーマンだが、後者は完全歩合制。社内では、プロプラエタリ―・トレーダーは会社のいかなるリソースも活用できる不文律がある。拙著『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』に登場するアンディー・フィッシャーはプロプラエタリ―・トレーダー。

ジョン・メリウェザーはソロモン・ブラザーズ証券でも最も成功したプロプラエタリ―・トレーダーだったが、1991年のスキャンダル時に副会長でもあり、ジョン・グッドフレンドと共に引責辞任。その後、マイロン・ショールズ、ロバート・マートンという2人のノーベル経済学賞学者を擁するヘッジファンド「LTCM(Long Term Capital Management)」を設立。設立当初は年率40%を越える驚異的なリターンを叩きだしたが、1998年のロシア危機により破綻。

ジョン・メリウェザー














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フィルム・レビュー 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 ダグ・リーマン監督 

フィルム・レビュー 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 ダグ・リーマン監督

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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』観賞。

日本のラノベを原作としたSFXアクション(原題は"Edge of Tomorrow"だが、邦題は桜坂洋著の原作と同じタイトル)。いわゆるループ物。プレイヤーが死ぬ(ゲームオーバー)と、リセット(リプレイ)するゲーム感覚はいかにもおタクな日本人の得意とするところではないだろうか。

これが最近のSFXアクションとしては出色の出来。ループすることで、同じシーンを繰り返し経験し経験値を上げていく主人公に対し、周囲の人間はそれを知らないことでコミカルな雰囲気も醸し出される。そうしたストーリーもよくできてるし、映像としてアクションも切れがいい。トム・クルーズの演技も相変わらず安定感がある。

エミリー・ブラント演じるヒロインは、女性戦士ということで『ターミネーター』のサラ・コナーを彷彿とさせるが、こちらはぐっと女性としての魅力もあり、ストーリーにもちょびっとだけラブ・ロマンスがある。そしてそれが邪魔になってない。

ラスト・シーンもすかっと終わって、観ていてにやり。ということでSFXアクション好きにはお勧めの映画です。

ここをクリック→ 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』予告編

(Facebook 7/6/2014より転載)












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category: フィルム・レビュー

2014/07/06 Sun. 06:05 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (406) 「司法取引導入の是非を問う」 7/3/2014 

#検察なう (406) 「司法取引導入の是非を問う」 7/3/2014

法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」が先月30日に開かれ、法務省が最終案を提示しました。これにより日本においても司法取引が導入されることとなります。

冤罪が確実に増える司法取引導入が決定的となっても、全く議論の起こらない日本は、やはり冤罪には関心が低いのだとがっかりせざるを得ません。

司法取引そのものの是非よりも、捜査当局が引き返す勇気を持たず、彼らのストーリーに沿った有罪立証がそのまま公判で追認されている日本の刑事司法制度の下で、捜査権力の意向に沿った虚偽自白を招きやすい司法取引が導入されることが問題であることをまず明確にしておきたいと思います。

司法取引は有罪立証、特に端緒となる小さな悪から巨悪の訴追をするには非常に有効な手段であり、捜査当局としてはのどから手がでるほどほしかったものだと思います(私が彼らであればそう考えます)

そもそも法制審議会の特別部会で様々な刑事司法改革が議論されることになったのは、郵便不正事件を受けて、検察の在り方が問われ、彼らの「角を矯める」ためのものでした。それがいつのまにか、本丸の取調べの可視化は、全面可視化どころか刑事事件の約3%に過ぎない裁判員裁判と年間100件もない検察の独自捜査のみに限定され、逆に司法取引や通信傍受(いわゆる盗聴)の対象拡大という、彼らの角を更に研ぎ澄ます方策に転換されてしまったことが、実に法務・検察官僚というのは狡知に長けた人たちなんだなと感心してしまいます。

やはりテクニカルな技術論では刑事司法改革は達成できず、捜査権力の正しいインセンティブ付けから議論しないと、この問題は常に法務・検察官僚の焼け太りになるように感じます。

司法取引のディテールに入ります。

司法取引が積極的に行われているのはアメリカです(それに比して、大陸法のヨーロッパでは、そもそも罪状認否という制度がないため、司法取引そのものがそぐわないものです)。

アメリカにおける司法取引には3つの種類があります。

1)自己負罪型司法取引
2)捜査・訴追協力型司法取引
3)刑事免責制度

1)は、被疑者・被告人が自らの罪を認める代わりに、検察官から起訴の免除、より軽い犯罪事実での起訴、より軽い求刑といった利益が与えられるものです。

2)は、被疑者・被告人が共犯者等の他人の犯罪事実の捜査や訴追に協力することによって起訴の免除やより軽い犯罪事実での起訴、より軽い求刑、自らの供述を自己に不利益に用いられないことといった利益を与えられるものです。

3)は、検察官が証人尋問を請求するに際し、必要に応じて、証言あるいはそれに由来する証拠を証人の刑事事件において不利な証拠として使用しない代わりに、証人に証言を強制することの決定を裁判所に求めることができるとするものです。

今回の法制審議会案で導入が決まったのは、2)の捜査・訴追協力型司法取引(但し、経済犯罪や銃器・薬物犯罪に限定)と3)の刑事免責制度です。

アメリカにおいては、被告人が有罪答弁をした場合、証拠調べが行われることはなく直ちに量刑手続きへと移行するため、1)の自己負罪型司法取引は、刑事司法全体のコストを抑え、限られたリソースをより重要な事件に振り向けるという役割をなしていると思われます。

日本においては、自白偏重主義でありながら、「自白したからといって罪を軽くすることを認めたら、それを材料に交渉に持ち込もうとする被疑者・被告人が増えてくるのは必至でありそれは許し難い」とする捜査権力の思惑が1)を採用しなかった理由だと憶測します。捜査権力が欲しいのは、真に刑事責任を問うべき(と彼らが考える)上位者の検挙・処罰に資する2)であり3)であることは説明を要しないと思います。

横行する振り込め詐欺で、(最近は現金授受が手口として増え、現金受取りを担当する)末端の「受け子」をいくら検挙しても黒幕である「番頭」を検挙しないことには、詐欺はなくならないとか、麻薬の売人よりも背後の組織を叩かなければ麻薬犯罪には対処できないという論理はよく分かります。

しかし、自分の罪を軽くするために人を売ってもいいということになれば、無実の者の「引っ張り込み」による冤罪のリスクは格段に大きくなります。そこでは裁判官の供述の信用性を見極める力が問われることとなり、今まで以上に裁判官が冤罪の防波堤となることの重要性は増すものです。刑事裁判の有罪率が99.9%を越える日本の刑事司法で、その期待をしていいものなのかどうかを我々国民はじっくり考える必要があると思います。

私の事件では、会社同僚の取り調べで、彼らも私と同じく株式報酬の無申告だったため「お前も告発されたいのか」と恫喝されたと聞きました。それが司法取引という形で、偽証を教唆されたとしたらどのような結果になるのか想像するだけでもぞっとします。

刃物が切れるかどうかを吟味する前に、その刃物を使う人間がその刃物を使うに適性かどうかを吟味しなくてはいけないということです。司法取引の問題は、本来されるべき使う者の吟味を棚上げにして「この刃物は切れるからいいんだ」と言っているように聞こえます。

捜査権力が過ちを犯した場合に、彼らに引き返す勇気を担保するような制度がない以上、今以上に彼らの権力を拡大することは冤罪を増やしこそはすれ、減らすことは絶対ないということを是非ご理解下さい。

7/3/2014









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category: 刑事司法改革への道

2014/07/03 Thu. 01:54 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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