「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

09« 2014 / 10 »11
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (429) 「国賠審第二回口頭弁論法廷マンガ by 高杉ナツメ」 10/29/2014  

#検察なう (429) 「国賠審第二回口頭弁論法廷マンガ by 高杉ナツメ」 10/29/2014

先日行われた私の国賠審第二回口頭弁論の模様を、いつものようにマンガでお伝えします。いってみよー!

141028_001.jpg

141028_002.jpg

141028_003.jpg

141028_004.jpg

141028_005.jpg

141028_006.jpg

141028_007.jpg

141028_008.jpg

141028_009.jpg

141028_010.jpg

141028_011.jpg

前回期日の口頭弁論の模様はこちらです。

ここをクリック→ #検察なう (413) 「国賠審第一回口頭弁論法廷マンガ by 高杉ナツメ」

私の陳述の全文はこちら。

ここをクリック→ 国賠審第二回口頭弁論原告陳述

引き続きご注目、ご支援のほどよろしくお願いします。

10/29/2014










ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 国家賠償請求訴訟

2014/10/29 Wed. 16:28 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (428) 「美濃加茂市長事件藤井氏被告人質問傍聴記」 10/26/2014 

#検察なう (428) 「美濃加茂市長事件藤井氏被告人質問傍聴記」 10/26/2014

先日の私の国賠審の際、代理人チームの郷原信郎弁護士に「24日に藤井市長の被告人質問がありますが、八田さん傍聴に来ませんか」と言われたのをいいことに、スケジュールをやりくりして(と偉そうに言っても歯医者の予約だったりするのですが)、名古屋入りして藤井浩人氏の被告人質問を傍聴しました。

これまでツイッターでのつながりはありましたが、「生」藤井市長は初めてです。「被告人質問頑張って下さい」と挨拶したところ、私の本を読んでくれていた藤井氏は、「私は、八田さんほど強くないですから、緊張してます」と言いながら、相当余裕のスマイルでした。それがこれです。

藤井市長

公判開始。名古屋地裁は東京地裁に比して、かなり立派です。さすがシャチホコ絢爛豪華の文化。大理石張りの壁に、観音開きの裁判官出入口には鳳凰(ほーおー)の飾りっすよ、鳳凰!ま、そんなことはどうでもいいんですが。

被告人質問は、午前中が弁護側主質問、午後には検察側反対質問と裁判官の補充質問が行われました。

贈収賄事案では、贈賄側の言質を取った上で立件というのがパターンです。美濃加茂市長事件では、金銭授受が行われたという2度の現場には藤井市長、贈賄供述者の中林氏のほかに共通の知人が2度とも同席していました。この3人のうち、捜査当局はまず中林氏の自供を取り、残りの2人のうちどちらかを割ることができればそれで上がりと考えたと思われます。「(警察曰く)ハナタレ小僧」の藤井市長か、自分のことではない知人のどちらかは割れるだろうと考えた愛知県警の2人に対する取調べは相当過酷だったようです。しかし彼らは否認を貫きました。その時の模様が被告人質問では、当事者本人の口から語られました。

金銭授受を客観的に裏付ける証拠として考えられるのは、入手経路が不明な入金です。現金を受け取ったとされる日時と近接したタイミングで、類似金額の入金の記録があり、その入手経路の合理的な説明がなければ、その原資が賄賂であったと認定できます。

午前中の弁護側主質問のハイライトは、3人が会った2日後に入金された9万5千円の入手経路の解明でした。検察ストーリーでは、藤井市長は、贈賄供述者の中林氏と昨年4月2日にガストで会い、現金10万円を受け取ったとされます。

4月4日に9万5千円が、藤井氏の経営していた塾名義の銀行口座に入金された記録を見つけた時、捜査当局は色めき立ったと思われます。逮捕の時点では、相当有力な客観証拠であったこの入金記録ですが、押収されたパソコンのデータに、塾の月謝の入金記録が発見され、いとも簡単にその現金の入手経路が解明されると共に、捜査当局のこの証拠に対する評価は一気にトーンダウンした模様です。

もし藤井氏が、市議会議員の俸給しか収入がなければ、確かに突然の9万5千円の入金は目を引くところです。しかし、彼にほかの現金収入の手立てがなかったかどうかの捜査が、逮捕以前には十分にされていなかったものです。かなり捜査の杜撰さを感じます。

そして驚いたのは、藤井氏と中林氏が知人同席で会った後、藤井氏だけが中林氏に車で送ってもらったという事実です。賄賂を渡すのに、「ガストで、知人が席を立った際に渡した」というより、よほど「二人きりになった車中で渡した」という方が合理的に思えます。

この疑問を昼食時に弁護団にぶつけたところ、「中林はメールに書かれたこと以外、全く覚えていないんですよ」とのこと。つまり中林氏の供述は、メールに書かれたことから検察が作ったストーリーに沿っただけということが強く推認されます。

検察は、自供も取れず、有力な客観証拠もつぶれるという、『北斗の拳』で言えば「お前はすでに死んでいる」という状態に早くから陥っていたことが伺われます。その状況が、藤井弁護団の郷原・新倉弁護士によって行われた午前中の被告人質問で明らかにされました。

午後は、検察の反対質問です。傍聴していて、当初は、検察もうまくやっているように感じました。検察お得意の「寸止め」を多用し、周辺をわさわさ叩きながら、攻め込んでくるぞという不気味な感じを醸し出していました。ところが、反対質問が進むにつれ、本丸に攻め込んでくるどころか、後ずさりして、どんどん遠ざかるような印象を受けました。雄叫びだけで、実は逃げていくような感じです。

ちなみに「寸止め」とは、公判においてよく使われる戦術です。

「当時、藤井さんはとてもお忙しかったですね」
「はい」
「それでも中林氏から、『本日会いたい』とのメールをもらってその日に会っていますね」
「はい」
(「そこまでして会うのは賄賂がほしかったため?」という雰囲気を漂わせて質問を打ち切る。それを尋ねると否認する機会を与えるから敢えて聞かない)

「『忙しいので外で会えないか』というメールを出しながら、実際には店内で会っていますね」
「はい」
(「わざわざ店内で会ったのは、賄賂を受け取る時に人目を避けるため?」という雰囲気を漂わせて質問を打ち切る)

「ドリンクバーを注文したことはレシートから確認されていますが、藤井さんは取調べの時に『ドリンクバーに行ったイメージがない』とお答えになってますね」
「はい」
(「ドリンクバーに自分で行ったイメージがないということは、同席者の知人が代わりに取りに行き、中林氏と二人になった時間があった?」という雰囲気を漂わせて質問を打ち切る)

裁判官の心証を取りにいく常套手段です。

ところが、いくら質問が進んでも、現金授受を裏付ける内容に切り込んでいかない、切り込んでいけないという状況が明らかになっていきます。

極め付けは、藤井氏が中林氏に送ったメールの文言。

「本当にいつもすみません」

検察の主張は、「藤井氏の携帯メールから抽出される「すみません」という言葉に、「本当に」と「いつも」とがついているのはこの一回だけである。この深い感謝を表す「本当に」と、繰り返しを示す「いつも」というのは、複数回現金をもらったからこそ出た言葉なのではないか」でした。

どひゃー!

そのメールに関し延々と繰り返し問い質したのが、検察反対質問のクライマックスでした。なんというセンスのなさ。そんな些末な証拠に拘泥すればするほど、いかにも証拠がないということを自ら暴露しているようなものです。

いくら証拠がないからといっても、名古屋地検はもう少し公判での訴訟技術を研究した方がいいのではと思いました。私の公判も似たり寄ったりではありましたが、もう少しましだったかと。

事件を俯瞰すると、やはり一番重要なのは動機です。藤井氏が中林氏提案の浄水プラント設置を積極的に働きかけていたという外形的事実はあります。そしてそれ自体は、中林氏の請託があろうがなかろうが、何ら問題がないものです。そこに現金の授受があったかどうか、贈収賄があったかどうかが問題です。

藤井氏が浄水プラントを積極的に推していたのは、彼が、本当にそれが市民のためになる、いざというときのためであると信じていたということは重要です。彼が浄水プラントの利点も理解せず、金を積まれたから推したということとは全く異質なものです。

公判後にお会いした江川紹子氏の言葉が、この美濃加茂市長事件の全てを象徴していると私は感じました。

「(名古屋地検は)特捜になりたくて、なりきれなかったんだろうね。」

桁が3つも違う融資詐欺を見逃しても「バッジを挙げたい」という幻影が検察をして狂わせてしまったというのが、この事件の背景だと思われます。

「記憶がはっきりとはしない」とする藤井氏に、同じ状況に関する質問を繰り返す検察官に対し、「記憶がないということを前提に質問して下さい。誤導になります」とさえぎったり、検察官がぐだぐだ続ける質問を「関連性がありません」と断ち切った鵜飼祐充裁判長の訴訟指揮はきびきびして好感を持ちました。

公判後に、藤井氏と主任弁護人の郷原氏がビデオニュース・ドットコムに出演していますので、その映像もどうぞ。終了間際に、この捜査機関の不祥事を問責するにはどうすべきか、ということの議論がされていますので、是非ご覧下さい。私が国賠審を戦っている意味もご理解頂ければ幸いです。

ここをクリック→ ビデオニュース・ドットコム「主張すべきことは主張できたと思う 被告人質問を終えて藤井市長が生出演」

10/26/2014














ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 美濃加茂市長事件

2014/10/26 Sun. 05:30 [edit]   TB: 1 | CM: 0

go page top

#検察なう (427) 「国賠審第二回口頭弁論報告~陳述をさせて頂きました」 10/22/2014  

#検察なう (427) 「国賠審第二回口頭弁論報告~陳述をさせて頂きました」 10/22/2014


先の月曜日の10月20日に、私の国賠審第二回口頭弁論が行われました。そのご報告をさせて頂きます。

当日は爽やかな秋晴れでした。私が裁判所に出向くのは、一審初公判から15回目を数えますが、ひどい雨に降られたことはないという晴天率の高さです。

前2回のブログで、国の主張である準備書面について述べましたが、私の国賠審では、捜査機関が消極証拠の評価をいかに行ったかが非常に重要な論点となります。

第二回口頭弁論において、我々は「消極証拠の評価にかかる証拠」の提出を被告である国に要請しました。具体的には、告発、起訴及び控訴のタイミングで、捜査機関が内部の決済を求めるにあたって作成した書面の開示を求めたものです。代理人チームから小松正和弁護士、郷原信郎弁護士がそれに関する説明を行いました。

その後、今回口頭弁論のハイライトである、私の陳述が行われました。その全文を掲載します。ここまでの集大成ともいうべき私の思うところを述べさせて頂きましたので、是非ご一読下さい。

「村田裁判長、関根裁判官、高田裁判官、陳述の機会を与えて頂き、ありがとうございます。準備書面による被告の主張を受け、原告として私の主張を述べさせて頂きます。

私は、原告ではありますが、同時に国民の一人として、準備書面には少なからず期待していました。それは、国家権力には正しくあってほしいという思いから、私に対する捜査権力の捜査が正当なものであったと、少なくとも通常の理解力のある人には納得できる主張をしてくれていればと期待したからです。しかし残念ながら、その期待は裏切られました。

準備書面における被告の主張は、検察の冒頭陳述、論告、控訴趣意書の単なる焼き直しであり、捜査権力の行為が正当になされたという説得力ある主張では何らなかったからです。

準備書面が検察主張の焼き直しであるということは、その根本的な欠陥をそのまま引き継いでいることを意味します。その根本的な欠陥とは、捜査や取調べで明らかとなった有罪の消極証拠に関し、言及すらせず、積極証拠のみの評価の問題に逃げ込もうとしている点に尽きます。
 
国税局や検察の捜査は、「告発ありき」「起訴ありき」ではなく、真実の追求であるべきことは言うまでもないと思います。そして真実の追求のためには、積極証拠、消極証拠双方の証拠を総合的に判断して結論に至らなくてはならないことも明白です。

そのことは、準備書面において、被告自身、「検察官が、法律の専門家であり、捜査対象となった案件について所得税法違反が成立するか否かを、専門家として当該案件の証拠(積極証拠と消極証拠の双方を含む。)に照らして判断しなければならない」と認めているところです。

『検察の理念』においても、「被疑者・被告人の主張に耳を傾け、積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把握に努め、冷静かつ多角的にその評価を行う」とありますが、彼らが私の主張に耳を傾けたという事実は一切なく、『検察の理念』を検察自ら唾棄したことは非常に残念なことです。

控訴審の判決の中で、捜査権力の立証において消極証拠の評価が全くなされていないという角田正紀裁判長以下裁判体の厳しい指摘まで受けていながら、私に対する告発、起訴においてなぜそれが必要でなかったかという弁解をせずして、捜査権力の行為の正当性を主張することはできないものです。

私は、国税局査察部、検察特捜部の取調べに際し、彼らの指摘する積極証拠に論駁すると共に、消極証拠の提示に努め、文書によっても再三消極証拠の示唆をさせて頂きました。具体的には、強制捜査以前のメールを一覧すれば故意がなかったことが自明であるとして査察部に宛てた陳情書、及び、もし私が脱税を意図していたならば当然取ったであろう行動を記して特捜部に宛てた陳情書といった文書です。

査察部、特捜部の類稀なる捜査能力をもってすれば、そうした消極証拠の裏取りは難なくされたであろうにも関わらず、取調べにおいて、それら消極証拠に関して問い質されることはなく、公判においても、彼らはそれらを黙殺するのみでした。

積極証拠のみを評価し、「告発ありき」「起訴ありき」として無実の者を有罪に陥れようとする捜査権力の姿勢、行為が国民の信頼を裏切るばかりか、違法なものであることは明らかだと思われます。

そしてその積極証拠ですら、一審佐藤弘規裁判長以下裁判体に、弁護側主張の消極証拠を評価せずとも合理的な疑いを越えることはできないと判じられた脆弱なものでした。

私は、前回期日の口頭弁論でも陳述しましたように、無罪になったことをもって捜査が不当であったと主張しているつもりは毛頭ありません。外形的に過少申告という疑うべき事実があった以上、捜査を受けたことに関して何ら異議を唱えるものではありません。

しかし、その捜査で収集した証拠を予断なく精査すれば、誰しもが辿り着く客観的事実に目をつむり、規定路線を突き進んだそのあり方を批判しているものです。

昨今、刑事司法改革の必要性が国民の意識として高まっている中の一つの議論として、証拠の全面開示の問題があります。その必要性がないという主張は、捜査権力が被告人、弁護側にはない圧倒的な捜査能力によって収集した証拠を、真実の追求のために消極証拠をも開示してのみ理にかなうと言えます。もし彼らが、有罪立証に必要な積極証拠のみを抽出するならば、彼らは「ベスト・エヴィデンス」の意味を全く履き違えて理解しているとしか言いようがありません。

私は、当事者になるまで冤罪に関して知識も関心もありませんでした。しかし、なぜこのような、一般市民感覚を持って推し量れば理不尽でしかないことが起こり得るかを、数多くの冤罪事件を知り、その共通項を見出しました。その共通項とは、捜査権力の初動ミスと引き返す勇気の欠如によって導き出された誤った結論を、裁判所が見抜けないというものでした。私の無罪判決は、同じパターンで作り出されようとした冤罪を、裁判所が未然に防ぐという、裁判所が本来あるべき機能を果たした結果です。

私は、私自身が無罪になったからそれでよしとするつもりはなく、この事例を是非とも今後の刑事司法が正しくあるための試金石としてほしいと思っています。

捜査権力の初動ミスは防ぎようのないものですが、彼らが引き返す勇気を持ちさえすれば、優秀な捜査権力の捜査力と公正な裁判所の判断力により、我が国が、世界に冠たる冤罪のない法治国家だと胸を張れるものと考えます。そのためにも、誤ったことは誤っていると裁く正義が裁判官の皆さまに求められていると信じています。

何卒、未来の鑑となるご英断を是非ともお願いします。」

今回も多くの方に傍聴に来て頂きました。ありがとうございます。終わってから「拍手したかったよ」と言われたのがうれしかったです(法廷では拍手禁止)。

国賠審は長丁場が予想され、これから年単位の時間が費やされるものと思われます。但し、当面、私の出番はこれで終わりです。次回期日(12月15日)は公開の口頭弁論ですが、それ以降は非公開の場で、私の代理である代理人チームと国の代理である法務局訟務部が、プロ同士ガチンコで相まみえることになります。

刑事司法が正しくあるために、今後も誠意努力致しますので、是非とも御支援のほど、よろしくお願いします。

10/22/2014












ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 国家賠償請求訴訟

2014/10/22 Wed. 23:33 [edit]   TB: 0 | CM: 1

go page top

#検察なう (426) 「国=被告の主張を記した準備書面に関し Part2」 10/20/2014 

#検察なう (426) 「国=被告の主張を記した準備書面に関し Part2」 10/20/2014

本日10月20日、私の国賠審第二回口頭弁論が行われます。次回ブログで、そのご報告をする予定ですが、その前に、前回に引き続き、被告である国の主張を記した準備書面に関して述べたいと思います。

言うまでもないことですが、私の刑事裁判と国賠審での一番大きな違いは、原告と被告が入れ替わっていることです。刑事裁判で裁かれていたのが私であれば、国賠審で裁かれるのは私ではなく国であるはずです。

ところが、準備書面を読んで私が驚いたのは、その内容が、いかに私が怪しかったかという刑事裁判で検察が取った主張に終始していることです。裁かれる対象が国税局査察部や検察特捜部であれば、当然、彼らがどのような捜査・取調べをしたかを具体的に述べ、それがほかの事件の捜査・取調べと逸脱していないことを主張すべきです。

刑事裁判に先立って私の取調べが行われましたが、国が被告となっても、国税局査察官や特捜部検事の取調べが行われたということはないようです。素人考えなのかもしれませんが、違和感のあるところです。

既に裁判で否定されていることを繰り返し述べたところで、いかに捜査権力の捜査・取調べが適正であったかの言い訳には全くなっていないというのが私の感想です。準備書面の国の主張は「弁解の体をなしていない」というのが私の第一印象でした。

準備書面が検察の冒頭陳述、論告、控訴趣意書の焼き直しであるということは、その根本的欠陥をそのまま引き継いでいるということを意味します。その根本的欠陥とは「消極証拠の評価を全く行っていない」という点です。

証拠とは「事実・真実を明らかにする根拠になるもの」です。私の刑事裁判においては、過少申告という争いのない事実に対し、争点は、その過少申告が故意であったか、過失であったかの一点でした。故意であったのか、過失であったのかを明らかにする証拠には、「故意でなければ説明不可能」「故意である方が合理的」「過失である方が合理的」「過失でなければ説明不可能」というものがあります。前2者が有罪立証の積極証拠、後2者が消極証拠と呼ばれるものです。

検察の主張には「故意でなければ説明不可能」というものは全くなく、過失であっても矛盾のない証拠を無理やり故意であると解釈するものばかりでした。そして、「過失である方が合理的」「過失でなければ説明不可能」という証拠は言及すらしませんでした。

有罪(故意)であるか、無罪(過失)であるかを判断する際に、積極証拠と消極証拠の両方を評価しなければならないことは、司法に素人な者にとっても明らかなことです。しかし、準備書面においても、消極証拠は言及すらされず、積極証拠を列挙するのみというのが国の主張です。これが検察の論証であれば、百歩譲って有罪にするのが彼の仕事という間違った認識の下に、消極証拠には目をつむったのだと理解されます。そして我々は、そうした捜査権力のあり方を批判して国賠審で争っています。

国賠審で国が主張すべきは、なぜ国税局査察部や検察特捜部が積極証拠の評価だけでよかったかの弁解です。それが全くなされていないことが、私が「弁解の体をなしていない」と感じた理由です。

私の刑事裁判では、一審判決は、弁護側主張の消極証拠を採用せずとも、検察主張の積極証拠ですら有罪立証たり得ないとするものでした。そして控訴審は、その判決を支持すると共に、有罪立証には積極証拠の評価だけではなく、消極証拠の評価も必要であると検察の論証を批判しました。

国賠審で主張するに当たり、国(法務局訟務部)は、控訴審での判決を理解しているのだろうか、角田裁判長の言葉を分かっているのだろうか、と訝るばかりです。

そして、準備書面で主張される、いかに私が怪しかったかという有罪立証の積極証拠も、依然しょぼいものです。

いくつかの例を準備書面から拾ってみます。

膨大な証拠の中から、クロっぽいものだけを抽出して、それらしく提示するということが準備書面においてもなされています。

その一例が私のメールに関する論証です。

メールは、その時点での意図を表すものとして非常に重要な証拠です。しかし、メールで表された真意を理解するには、それまでのやり取りを踏まえる必要があることは言うまでもないことです。

私は、税務調査開始時には、源泉徴収票という言葉すら理解していないほどの税務オンチでしたが、持ち前の吸収力で、その後2週間足らずの間に、何が争点となっているかを理解し、それなりの対策をイメージできるようになりました。その助けとなったのが、事情通の私の会社元同僚の友人でした。そして、彼とのメールのやり取りの中で、会社の100人あまりの株式報酬無申告の者の共通認識をまとめた「悪意ある仮装隠蔽があった場合の重加算税を回避するのがまず重要」という旨のメールを取り出して、犯行動機を合理的に推認し得たと言ってのけています。情報の一部を切り取って、都合のいいように解釈する典型的な例です。

また準備書面では、国税局査察部での取調べの調書と検察特捜部の取調べの調書の間に、主張の変遷が見られるため、私の主張は信用ならないとしています。これは非常に興味深い点です。なぜなら、国税局査察部の取調べ調書は、一人称で作成され、取調べの内容を、査察官が自らの言葉で作文したものです。それに対し、検察特捜部の取調べ調書は、全て問答形式で逐語的に記載されています。そのどちらが私の主張を正しく反映しているかは言うまでもないことですが、その二者に差があると主張することは、一人称での捜査官作成の調書の信用性を自ら否定していることに他ならないものです。

また、国税局査察部のリークに関しての主張は、「各報道機関が本件告発を記事として掲載するに至ったのは、独自の取材に基づいて行われたものと思料されるが、東京国税局がかかる取材に関与した事実もない」としています。

告発された本人ですら知らなかった事実を、告発した側の情報漏洩なしに、どこから各報道機関が情報を得るというのでしょうか。そして、その言い訳が通用しないことを見透かしたように、民法第724条の「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する」という条文を引用して、リークに関する損害賠償は時効であると開き直っています。盗人猛々しいとはこのことではないでしょうか。

二度と捜査権力の暴走による犠牲者が出ないことを、この国賠審を通して目指していきたいと思っています。今後の展開に是非ご注目下さい。

10/20/2014









ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1





ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 国家賠償請求訴訟

2014/10/20 Mon. 01:48 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『リスボンに誘われて』 ビレ・アウグスト監督 

フィルム・レビュー 『リスボンに誘われて』 ビレ・アウグスト監督

risubon.jpg


ふと観に行って、思いがけずにいい作品に出会うのが映画の面白さ。この作品は、自分にとっては掘り出し物だった。

ジェレミー・アイアンズ演ずる主人公ライムントは、妻に「退屈だから」と言われ離婚して5年になるスイスの高校教師。一人でチェスをするのを楽しむ「平穏=空っぽ」な人生を送っていた彼が、ある朝橋から身投げをしようとする女性を助けたところから、彼の人生は一変する。女性は姿を消すが、彼女のコートには1冊の本が。その本に書かれた哲学的な思索に、彼は心を奪われる。そしてその本に切符がはさまれていたリスボン行きの夜行列車に衝動的に飛び乗ってしまう。リスボンは著者アマデウの生誕地であることを知り、彼に会いにいくことに。そしてアマデウは、独裁政権時代にレジスタンス運動に身を投じ、革命達成の日に病死した貴族出身の医師だったことを知る。

と、映画は最初から不思議な雰囲気を帯び、ストーリーは急展開していく。

映画は、アマデウの昔の仲間をライムントが訪ね歩く現在と、彼らの証言から描かれる過去を交叉して展開。そこから暗い時代に熱く生きた個人の姿を見事に浮き彫りにする。生き残った仲間が現在心に抱えた軋轢をライムトンが解きほぐしていくと同時に、彼自分の人生を見つめ直す様を希望と共に描いている。

リスボンという異国情緒漂う街並みを背景に、社会と個人、現在と過去を巧みに重ねて見応えある映像世界に仕上げた作品。ジェレミー・アイアンズの抑えた演技が実に好印象。

「人生を導くのは偶然だ。残酷さと思いやりと幻惑的な魅力に溢れている」(本に書かれていた言葉の一つ)
やはり色艶のある映画っていいなあ。お勧めです。

ここをクリック→ 『リスボンに誘われて』予告編













ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/10/19 Sun. 17:53 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (425) 「国賠審に当たって~国=被告の主張を記した準備書面に関し」 10/16/2014  

#検察なう (425) 「国賠審に当たって~国=被告の主張を記した準備書面に関し」 10/16/2014

前回のブログで「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」の発端からこれまでの経緯をダイジェスト版でお届けしました。

ここをクリック→ #検察なう (424) 「「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」司法手続き、税務手続きそのほかここまでの経緯と現在の状況」

これから起こることは、まず来週10月20日に開かれる、私を原告とする国賠審(国家賠償請求訴訟)の第二回口頭弁論です。

原告の我々の主張は既に、今年5月に「訴状」として書面で東京地裁に提出しています。7月に開かれた国賠審第一回口頭弁論の時点では、被告である国の主張の内容は明らかにされていませんでしたが、9月末に提出された「準備書面」でそれは明らかにされました。

今回及び次回のブログでその解説をしたいと思っていますが、その前に、国賠審に当たっての所感を述べます。

一番感じることは、なぜこれほどまでに国賠審のハードルが高くなければならないのかということです。国賠審の目的は、ざっくり言えば、個人の権利が国の行為によって侵害された場合に、その被害を補償するものです。

個人間であれば、一方に明らかな損害が生じた場合、それを法的にカバーすることは期待されていると思います。また、力が対等な個人間では、喧嘩両成敗ということもあるでしょう。しかし、国対個人の場合、その実力に圧倒的な差があることは説明するまでもないと思います。その強大な権力が個人の生活を脅かしたことが結果として明らかな場合に、その補償をすることにここまでハードルが高いことが果たしてよいことなのだろうかと感じます。権力の濫用を抑止することができなくなることを危惧します。やはりそこには、強い者の道理が通る強者の論理があるのではないでしょうか。

準備書面に関して述べたいと思います。

私の刑事裁判で、検察の主張は、冒頭陳述、論告そして控訴趣意書でなされましたが、彼らの主張の弱さをボリュームでカバーしようとする必死の様相が見て取れました。そして、今回の準備書面もその例外ではありませんでした。83ページという大部の書面ですが、全く内容の薄ーい主張を、ぐだぐだと連呼しているという類のものです。

準備書面を作成したのは、東京法務局訴訟部です。

法務局といってもあまり馴染みがなかったのですが、ググってみると、法務省の地方支分部局の一つで、我々の日常生活のいろいろな局面で関わり合いがある役所のようです。

全国に8ヶ所ある法務局の一つ、仙台法務局が作成した「法務局ってどんなところ?」をご紹介します。

ここをクリック→ 「法務局ってどんなところ?」

この11ページにある「訟務」というのが、今回登場してくる訟務部の仕事です。そこには「訟務とは、国が当事者として争わなければならない場合、法務局の職員が国の指定代理人として、弁護士のような立場で、訴訟活動を行っています。」とあります。

実際の担当者は、訟務部に所属する訟務検事と呼ばれる職員です。彼らの出自の多くは、人事異動で検察庁から配属された検事や判検交流によって裁判所から出向した裁判官のようですが、任期を定めて任用された弁護士といったケースも例外的にあるようです。

失職中の私が国税局査察部の取調べの途中で得た仕事の内定は、私の刑事告発により取り消されました。内定取り消しを通知したメールには、刑事告発が取り消しの原因であることが明記されています。そして信用が第一の金融業界で刑事被告人を雇うところがあるはずもなく、この5年以上に亘るブランクにより、私の業界復帰のチャンスは完全に潰えたものです。そうした被害の因果関係が明らかであるにも関わらず、準備書面においては、その評価は言及すらされていません。

そして、国賠審で原告の主張が認められるには、相当高いハードルが設定されていることが滔々と説明されています。

私のケースを交通事故に例え、私は車に轢かれて大けがをしたとします。普通の感覚であれば、運転者が安全運転をしていようが、そのけがに対する補償をする義務があるように感じます。安全運転をしていれば、運転者が刑事罰に問われることはないにしても、民事補償は生じると思われます。

ところが国賠審では、運転者が違法行為を伴わなければ(言ってみれば、わざと轢こうとしたという立証がされなければ)全くお咎めなしというもののようです。

普通に怪しいと思って、普通に取り調べて、普通に告発・起訴したんだから、それが結果無罪になって間違いであったことが分かったとしても、そんなこと知っちゃこったないというのが準備書面における国の主張のエッセンスです。

それを覆すハードルは、通常であれば相当高いものです。対して、私のケースは勿論、彼らの捜査が「普通ではなかった」「無実の人間を罪に陥れようとした」というところがポイントです。

そして、証拠を正しく評価すれば誰の目にも明らかなものを、「告発ありき」「起訴ありき」と暴走した言い訳として「我々は真実を見抜けない程無能でした」と言っているに等しい主張を認めるかどうかという問題です。私がこれまで何度も言ってきたように、日本の捜査権力は無能ではありません。彼らは誰よりも(もしかすると私以上に)事実を把握・理解しています。

クロっぽい証拠だけを裁判に提出しても裁判官がシロと判断したものを、同程度の知能・判断力を持った彼ら捜査権力が、膨大なそのほかの証拠を評価して「クロだと思ったはず」という方がどうかしています。

結局、裁判所がこの国賠審で何を得たいかということが、この国賠審で出される判決の意味するところだということを、我々は理解しなければならないと思います(ちょっと哲学的な領域ですが)。

次回のブログでは、もう少し具体的な内容に踏み込みたいと思いますが、この準備書面における主張で、一番情けないと思ったことは、検察の起訴の基準に関してです。

日本の刑事裁判における有罪率が99.9%を越えることは広く知られた事実ですが(知られてないかな?)、どうしてそうしたことが起こり得るのかの一番大きな理由は、検察の起訴の基準が裁判官の有罪の基準よりも高いためだと思われます。なぜそうするかに関して、私はその意図するところは二つあると考えています。

一つは、高い有罪率が検察の優秀さを示す一番説得力あるものとして、有罪が取れない可能性があれば、それを全て不起訴にするからだというものです。それは「起訴便宜主義」と呼ばれるもので、検察は恣意的に起訴の基準を決めることが許されています。

そしてもう一つは更に重要なものですが、「検察が起訴をする場合には、厳しいスクリーニングを経て、有罪確実なものだけを起訴している」というイメージを裁判官に与えるという効果です。そしてそれにより検察が期待するところは、有罪・無罪が微妙かつ検察がどうしても起訴したいケースで、有罪を得る可能性を高めたいというものです。

準備書面での主張を引用します。

「公訴の提起において検察官に要求される犯罪の嫌疑の程度は、裁判官が有罪と認定するために要求される合理的な疑いをいれない程度の確信よりも低いもので足りる」

実務と自分たちが言い逃れをする場合の、ダブル・スタンダードがそこにあることは明らかです。

その主張は建前としては真っ当であるとも言えますが、それは是非とも裁判官やメディア関係者に周知徹底してほしいコンセプトです。このことが世の中に正しく理解されれば、推定無罪原則も人々に浸透すると思います。国民の刑事司法リテラシーを高めるためにも、今後は法務省を挙げて、「検察が起訴をしたからといって、裁判官よりもゆるい基準で起訴をしている以上、それは必ずしも裁判で有罪になることを期待されるべきではない」と喧伝してほしいものです。

10/16/2014










ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 国家賠償請求訴訟

2014/10/16 Thu. 01:15 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (424) 「「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」司法手続き、税務手続きそのほかここまでの経緯と現在の状況」 10/13/2014 

#検察なう (424) 「「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」司法手続き、税務手続きそのほかここまでの経緯と現在の状況」 10/13/2014

「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件」は、外資系証券業界全体で数百人(クレディ・スイス証券だけでも約100人)株式報酬の無申告による申告漏れがあった中で、私一人だけが故意の脱税を問われ、告発・起訴された事件です。

外資系証券の多くは、給与・賞与及び退職金の一部を会社の株式で支払っていましたが、その株式報酬に対する所得税を源泉徴収するかどうかは会社の判断によるというのが当時の実態でした(現在では、クレディ・スイス証券を含み、私の知る限り、全ての外資系証券が株式報酬に係る所得税を源泉徴収しています)。

依然、司法手続き、税務手続きともに進行中であり、来る10月20日には国賠審の第二回口頭弁論を迎えるという現在の状況と、ここまでのおおまかな経緯を振り返ってみます。

全ての始まりである、外資系証券会社数社の株式報酬受給者への一斉税務調査は、2008年11月のことでした。そしてその一月後、国税局査察部は私に強制捜査を行いました。

私はサラリーマンの常識として、会社の給与に係る所得税は全て天引きされていると思い込み、年末会社から渡される源泉徴収票に記載されていない給与・賞与があるなどとは想像だにしなかったものです。

私に対する査察部の捜査・取調べは異例の1年以上に亘り、私は2009年12月に刑事告発されました。私がそのことを知ったのは、2010年2月、確定申告シーズン真っ盛りというタイミングでの国税局のリークによる新聞・テレビによる実名の一斉報道でした。

その後、東京地検特捜部の取調べが開始するまでに、更に1年半もの時間が経過し、2011年9月に特捜部の取調べが開始。その12月に私は起訴されました。告発から起訴まで、これも異例の2年が費やされました。

それに先立つ2010年4月に、国税局は重加算税を賦課し、私はこれを一旦支払いながら、6月に異議申立を行いました。重加算税賦課の要件は、仮装・隠蔽を伴う悪質な脱税ですが、そうした事実は一切なかったからです。これが司法手続きと並行して現在も継続中の税務手続きの始まりです。異議申立に対しては、通常2-3ヶ月のうちに決定がなされるものですが、私のそれは長らく棚上げされ、何の決定もなされないまま放置されていました。その間、幾度となく口頭及び文書で、重加算税賦課理由の説明を国税局に求めましたが、彼らは黙殺するのみでした。

刑事裁判の公判は、2012年2月に始まりました。その後、第一審公判は11回を数えます。そして2013年3月1日に、歴史が大きく動きました。査察部告発・特捜部起訴の事案で、日本の歴史上初めての無罪判決が東京地裁(佐藤弘規裁判長)で出されました。

一審判決の骨子は、「弁護側主張による有罪立証に消極的な証拠を採用せずとも、公訴事実(=故意の脱税)を認定するには、合理的な疑いを越える立証が検察によってなされていない」とするものでした(注1)。

検察は控訴。刑事裁判は第2ラウンドである控訴審に移りました。

被告人控訴と検察控訴では、通常、裁判所の扱いは大きく異なります。被告人控訴の多くが門前払いであるのに対し、検察控訴ではどんなに些末な証拠でも「新証拠」と認められ、実質審理が行われるのが通例です。しかし、控訴審裁判体(角田正紀裁判長)は検察控訴をまさに瞬殺でした(注2)。

そして控訴審でも無罪判決維持。

控訴審判決は、一審判決から更に踏み込んで、「有罪立証のためには、消極証拠も評価しなくてはならない」と積極証拠のみを評価する検察立証の脆弱さを批判するものでした(注3)。

そして私は、検察に上告をさせるべく(注4)有言実行で、放置されていた税務手続きの次のステップに進むことになります。それが不服審判請求です(注5)。

しかし検察は、「上告の理由が見当たらない」という、それではそもそも起訴、控訴の理由はあったのかと思わず言いたくなる理由で上告を断念し、私の無罪は確定します(注6)。

その後、国税局は理由を全く告げることなく突然、重加算税を取り消します。それは、不服審判請求に対する利益を喪失させる「認諾」に等しい行為と言えます(注7)。重加算税賦課の理由を説明せずに逃げ切ろうという国税局の姑息さが表れているものです。現時点において不服審判は依然係争中です。

そして刑事裁判の決着に続いて、原告と被告を入れ替え、私が原告、国を被告として争っているのが、現在係争中の国賠審(国家賠償請求訴訟)です。

国税局、検察は私の無実を知りながら告発、起訴したものですが(彼らは真実を見抜けない程無能ではありません)、それを裁判所が認定するかどうかがポイントです。

国賠審において法廷で行われるのは「口頭弁論」と呼ばれますが、その言葉のイメージするところとは異なり、法廷でのダイナミックなやり取りというよりは、書面での審理が中心となります。

第一回口頭弁論に先立ち、私と私の代理人チームは原告として訴状を提出(注8)。そして先日、第一回口頭弁論が開かれました(注9)。

その後、国の反論として準備書面が提出されたのが9月末のことです。

次回のブログでは、この準備書面に関して取り上げたいと思います。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (307) 「一審無罪判決文解題」

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (349) 「控訴審公判法廷画 by 高杉ナツメ」

(注3)
ここをクリック→ #検察なう (368) 「控訴審第二回公判報告~検察控訴を棄却!」

(注4)
ここをクリック→ #検察なう (369) 「検察よ、遺憾というのなら正々堂々と上告せよ」

(注5 )
ここをクリック→ #検察なう (370)「検察上告を促すべく、不服審判請求をしました」

(注6)
ここをクリック→ #検察なう (372) 「無罪確定なう!」

(注7)
ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

(注8)
ここをクリック→ #検察なう (415) 「国賠審における論点を整理する」

(注9)
ここをクリック→ #検察なう (413) 「国賠審第一回口頭弁論法廷マンガ by 高杉ナツメ」

10/13/2014










ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2014/10/13 Mon. 00:18 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『イヴ・サンローラン』 ジャリル・レスペール監督 

フィルム・レビュー 『イヴ・サンローラン』 ジャリル・レスペール監督

ysl.jpg

映画『イヴ・サンローラン』観賞。

21歳でディオールの主任デザイナーとなり、26歳で自分のメゾンを持った天才イヴ・サンローラン。

この映画は彼の華麗なる成功の裏側にある苦悩を、彼の恋人ピエール・ベルジェを重要な登場人物に配して描いている。

「モードの帝王」と呼ばれるイヴ・サンローランだが、実際の彼は帝王の称号に似つかわしくないほどナイーヴで、若い頃はショーのランウェイに立つのも尻ごみするほどシャイな一面を持っていたようだ。成功と引き換えに増大するプレッシャーに対し、彼の繊細な精神のバランスは、ドラッグと奔放な(男性との)性愛によって保たれていたが、その彼を公私ともに支えていたのがピエール。

この映画を通して見たイヴ・サンローランのイメージは、デザインに常に新しいものを求めて挑戦し続け、そしてそれを人に訴求できた天才。モードには門外漢の私なので、そのイヴ・サンローランのイメージが現実のものかは分からないが、もしそうであるなら、この映画はそのイメージの体現に成功しているだろう。

サンローランを演じるピエール・ニネは、感受性ゆえに人や自分を傷つけてしまう孤高の天才デザイナーを見事に演じきっていた。

私自身モードに特段関心があるわけでもなく、自分から遠い共感しづらいキャラクターを扱っている映画ではあったが、それでもそこそこ面白かったので、この業界やファッションに興味がある人にはかなり面白いのではないだろうか。

ここをクリック→ 『イヴ・サンローラン』予告編

(Facebook 10/5/2014より転載)











ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/10/12 Sun. 08:28 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (423) 「国税不服審判所に行ってきました」 10/9/2014 

#検察なう (423) 「国税不服審判所に行ってきました」 10/9/2014

先日の台風18号襲来の折、国税不服審判所の請求人面談に行ってきました。鎌倉を出る時はまさにバケツをひっくり返す様相でしたが、東京に着く頃には台風一過の晴れ晴れとした天気で、幸先のよさを表しているようでした。

不服審判1

不服審判2

おさらいで国税不服審判所とはどういうところかは、こちらの資料が分かりやすいので是非ご覧下さい。

ここをクリック→ 税務プロフェッショナル「裁決(国税不服審判所)」

不服審判において裁判での判決に相当するものは「裁決」と呼ばれますが、その裁決に至るまで、基本的に審判官は書類を元に審理し、適宜、請求人面談や、原処分庁(私の不服審判では重加算税を賦課した目黒税務署)に質問・検査が行われます。その過程で請求人と原処分庁が直接相まみえることはないようです。

刑事裁判の公判や民事裁判(国賠審)の口頭弁論で、被告人や原告である私が陳述を行う場は法廷です。国税不服審判では法廷のようなものはなく、請求人である私との面談は、オフィスの応接室で行われます。

先日の請求人面談に、先方は3人の審判官に(担当審判官1人、参加審判官2人)調整役の審査官1人を加えた4人が出席。こちらは私と弁護士、税理士の3人で伺いました。

まずはなごやかな雰囲気の中で名刺交換。着席するとコーヒーが出てきました。雰囲気はまさしく普通のビジネス・ミーティングのようでした。

一通りの挨拶、不服審判の手続きの全般的な説明の後で、審判官は、「八田さんの主張は、提出して頂いた審査請求書、反論書に書かれてはいますが、直接お話しになりたいことがありましたら是非この場でお話し頂ければと思います」と 切り出しました。

そもそも不服審判所に対する審査請求は重加算税に対してです。その重加算税を目黒税務署が取り消したこと(注)で、審判官は「八田さんの主張は通りましたよね。それでも何か?」という気持ちだったのだと思います。 

私は、一気に思うところを伝えました。

「不服審判に先立つ異議申立でも、不服審判に進んでからも、正式な手続きを経て私は同じことを問うています。そしてその回答は依然得られていません。それは、なぜそもそも重加算税を課したかという理由です。重加算税という、人よりもかなり過重な税を賦課しながら、徴税権力はその理由の説明責任を全く果たしていないとこれまで繰り返し主張してきました。もしこうしたことがまかり通るなら、過少申告をした者に何の理由も告げずに重加算税を課して、争う者だけに理由も告げずに取り消すという運用もできてしまいます。それが間違っていることは明らかです。税を課す場合には、きちんとその理由を説明するということを前例として作ってほしいと思います」

また、重加算税を何の理由も告げずに取り消した際に、目黒税務署は刑事裁判の判決とは連動しない、独自の判断である(とは言っても上級庁の判断でしょうが)と強調しています。それならば、どのような事情が判断の材料になったかを是非知りたいものです。

納税は国民の義務であることは言うまでもありません。しかし、徴税権力が「お前らは黙って払えばいいんだ」という態度は全く納得がいかないものです。

1時間ほど一生懸命訴え、ミーティングを終えると審判官がエレベーターまで見送りに来てくれました。審判官に以前の仕事を尋ねたところ、外資の大手会計事務所だとのこと。

「出向ですか」「いえ、辞めて審判官になりました」

是非、市民感覚を生かしてアンフェアな税務行政を正してほしいものだと期待します。

(注)
ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

10/9/2014














ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2014/10/09 Thu. 00:40 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (422) 「美濃加茂市長事件、第2回、第3回公判で贈賄供述者の証人尋問」 10/6/2014 

#検察なう (422) 「美濃加茂市長事件、第2回、第3回公判で贈賄供述者の証人尋問」 10/6/2014

注目の美濃加茂市長事件。先週、名古屋地裁で第2回、第3回公判が開かれました。そこで行われたのは贈賄供述者の証人尋問です(第2回公判で検察主尋問、第3回公判で弁護側反対尋問)。

贈賄の供述は、この事件では殊更重要だと思われます。なぜなら、贈賄の供述ということは、贈賄供述者自身罪を認めていることを意味し、刑事司法の世界では、罪を認めている者の言葉は常に正しく、罪を認めていない者は常に「反省していない」と捉えられるへんてこりんな取り決めがあるからです。

藤井市長の収賄を立証するほぼ唯一の証拠が、この贈賄したとする者の供述ですが、検察が行けると踏んだ事情も、そこにあったのだと推測します。

善意の第三者であれば、敢えて他人を罪に陥れるメリットがないため、その証言は全面的に信頼されることが多いと思われます。ここで問題となるのは、この贈賄供述者が藤井市長を罪に陥れることにメリットが本当にないかという点です。

それが、以前のブログ(注)でも紹介した、弁護団が注目している贈賄供述者の詐欺罪が不当に見逃されている事実です。そして第3回公判の弁護側反対尋問では、それに関する「隠し球」が披露されました。

それは贈賄供述者と同房であった者が、(主任弁護人の郷原氏曰く)「中林(注:贈賄供述者)の全く反省のない詐欺師ぶりに呆れ果て」藤井市長に宛てて送ってきた手紙でした。

そこには、贈賄供述者の担当検事による、「絶対に藤井には負けないから、中林さん一緒に戦ってくださいね」という言葉が書かれていたといいます。これが詐欺罪に問われている者に向かって検察官の言う言葉でしょうか。

更に私が関心を持ったのは、この贈賄供述者の供述の変遷です。彼は最初、現金授受は藤井市長と2人の場で行ったと供述していましたが、領収書の明細が3人であったことが後から分かり、3人と供述を変遷させています。

ここをクリック→ 毎日新聞記事「<岐阜・美濃加茂汚職>市長弁護側「贈賄被告うその自白」

賄賂を渡す場合、その場に第三者がいたかどうかは当事者の心理状況に大きな隔たりがあり、それを忘れるということは到底ありえないと思われます。この贈賄供述者の供述の変遷は、実に不合理だと思います。

また、私は常々事件を理解する上に置いて重要なのは、容疑者とされる者の動機と人品だと考えています。

藤井市長の人品に関しては、私はこれまでのところ個人的に知る機会はありませんが、1万1千票を集めて市長に当選し、この事件において逮捕された後の保釈の署名が、当選得票数の倍以上になったということから、少なくとも、約4億円もの金額を不正に金融機関からだまし取り、キャバクラで豪遊していた贈賄供述者より信頼に足る人物であると私は感じます。

動機に関しては、藤井市長の収賄の動機は敢えて不問にして(経済事件では常に「金に目がくらんで」という理由で「動機あり」とされますので)、贈賄供述者に贈賄する動機があったかどうかを問題にしたいと思います。

贈賄をする意味は、それによって便宜を図ってもらうことにありますが、問題とされる浄水プラントの導入に、藤井市長は元々積極的であったことから、「賄賂を贈らなくても積極的に支持してくれる役人(当時、藤井氏は市議会員)」に賄賂を贈る動機は全くないと思われます。

第2回、第3回公判に関する、そのほかの情報をここに掲載します。

ここをクリック→ 弁護士ドットコム: <美濃加茂市長事件>社長のゆがんだ金銭感覚~贈賄側業者の「証人尋問」詳報(上) 

ここをクリック→ 弁護士ドットコム: <美濃加茂市長事件>弁護側が出した「隠し玉」~贈賄側業者の「証人尋問」詳報(下)

ここをクリック→ 郷原氏ブログ「証人尋問で「詐欺師」の本性をあらわにした贈賄供述者」

ここをクリック→ ビデオニュース・ドットコム「市長に賄賂を渡したとする贈賄側の証言は信用できるか」

ビデオニュース・ドットコムの映像の中で、神保哲生氏が公判を傍聴した感想を語り、14分30秒過ぎからの説明の後、「この国はどうなっちゃんだと思いました、正直言って」と言っていますが、そう言わざるを得ない状況に今、我が国は陥っているのだと感じました。

そして、検察の旗色が悪くなると突然沈黙するマスメディアに代わって、この事件をフォローするための情報として、ツイッターのハンドルネーム「ぺんてるはインテルに勝るんじゃ」(@amattaparts)さんが管理する「Daily美濃加茂市長事件NEWS」を紹介します。日々更新されます。

ここをクリック→ Daily美濃加茂市長事件NEWS

今後も事件の成り行きを注目したいと思います。

(注)
ここをクリック→ #検察なう (418) 「美濃加茂市長事件、藤井浩人氏今週初公判!」

10/6/2014














ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 美濃加茂市長事件

2014/10/06 Mon. 00:09 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『イコライザー』 アントワン・フークア監督 

フィルム・レビュー 『イコライザー』 アントワン・フークア監督

equalizer.jpg

秋の話題作の一つ『イコライザー』観賞。

アクション映画がアホらしいと感じるのは、主人公の脳みそが筋肉でできていて、勧善懲悪でいかにもの悪人をやっつけるという単純さ。この映画は、そうしたアクション映画のアホらしさをぶっ飛ばした感がある。

主人公が元エージェント(この映画では多分CIA)という設定で、事件に巻き込まれ悪い奴らをやっつけるというのはよくあるパターン。そのパターンを踏襲しながら、「またこれかよ」という感じがないのは、やはり主人公のキャラクター設定の妙にあると思う。

主人公は、非常にクレバー、人情味にあふれる面もあれば、人を殺すことになんら躊躇しない冷血さも持っているという、これまでのアクション映画の主人公にはないキャラクター。それをデンゼル・ワシントンが完璧に演じている。

こんなに強くていいのかよという主人公は『ダイ・ハード』で散々見たが、『ダイ・ハード』でブルース・ウィルスが演じたのは親しみやすいキャラクター。この『イコライザー』でデンゼル・ワシントンが演じるのは、潔癖で几帳面な、逆に親しみにくいかもというキャラクターが面白い。

とにかくアクション映画が好きな人は見て損はない。2時間を越える映画だが、それを感じさせない緊張感がある。アクション・シーンがかなりの分量なので、アクション映画に興味のない人は是非パスして下さい。

ここをクリック→ 『イコライザー』予告編

(Facebook 9/29/2014より転載)













ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/10/05 Sun. 01:03 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (421) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(2)~冤罪ライン① 「犯人と第一発見者はどうやって区別するか」」 10/2/2014 

#検察なう (421) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(2)~冤罪ライン① 「犯人と第一発見者はどうやって区別するか」」 10/2/2014

森炎氏著『教養としての冤罪論』解題として、その1回目は概論的な紹介をしました。

ここをクリック→ #検察なう (404) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(1)」

これから、各論として、森氏が「冤罪ライン」と名付ける、冤罪リスクが高いパターンを個別に検証していきたいと思います。

今回のお題は「犯人と第一発見者はどうやって区別するか」。

刑事裁判では「誰が、いつ、どこで、誰に対して、どのような(犯罪)行為をしたのか」が立証される必要があります。そしてこれらがすべて証拠により立証されなければならないというのが建前です。

DNA型鑑定や現場指紋は、現代の刑事裁判では最も客観的でかつ証拠価値が高いとされますが、それは「誰が、どこで」という、立証に非常に重要な意味をもつ「現場存在証明」だからです。

しかし、それらDNA型鑑定や現場指紋が全く意味を持たなくなる場合があります。それが第一発見者のケースです。

現場から容疑者の体組織DNAや指紋が見つかったとしても、容疑者が「自分は第一発見者だ」と主張する場合には、犯人との区別はつかなくなります。第一発見者であれば、その場にいたことは当然だからです。

容疑者の衣服等から返り血と思しき血痕が検出され、DNA型鑑定の結果、それが被害者のDNAの型と一致したとしても同じです。たまたま現場を訪れた第一発見者が、死亡している被害者を揺り動かしてしまったら、当然そうなるからです。

では、同じ第一発見者でも、その場から黙って立ち去ってしまった第一発見者はどうなるでしょうか。第一発見者であれば、通常は、すぐに警察に届けたり近隣の者に知らせたりするのでしょうが、かかわり合いを恐れて黙って立ち去ることもあり得ます。そのとき、簡単に警察の嫌疑を晴らすことができるかどうかは保証の限りではありません。

さらに、その場から金品を取って去ってしまった第一発見者はどうなるでしょうか。第一発見者が、その場で金品を見つけて出来心で持ち去ってしまうということもないとは言えません。その場合は、もう警察の嫌疑を晴らすのは絶望的になるにちがいありません。

『教養としての冤罪論』で森氏は、捜査側から見た事件発生から落着までの流れを次のようなシーンとして表しています。

「ある場所で他殺死体が発見され、殺人事件の発生が認知された。

臨場した警察の捜査によって、その殺害現場から現金がなくなっていることが判明した。さらに捜査を進めた結果、それを持ち去った人物が特定された。

警察では、その人物を強盗殺人犯として手配し、居場所を見つけ出して逮捕した。そうしたところ、その者は、自分は現金を持ち去った第一発見者だと申し立てた。「窃盗罪になるのはヤマヤマだが、強盗殺人など断じてやっていない」と言う。

もちろん、警察では、そんな抗弁をすぐに信用するわけにはいかない。自白を迫る厳しい取り調べをおこなった。それまで取り調べを受けた経験のない容疑者は、警察の取り調べに耐えかねて強盗殺人を自白した。

その場合、警察から見れば、ハナから強盗殺人犯にちがいなく、ホシは見込みどおり自白し、事件は一件落着したとなる。」

森氏は続けます。

「ここで考えなければならないのは、もし真実が容疑者本人の此岸にあるとしても、彼岸の警察からは、どう見ても強盗殺人犯に見えてしまうということである。

証拠の観点から言えば、容疑者が現金を持ち去ったことは、それだけでは、何ら強盗殺人の根拠にはならない。それは窃盗の証拠であり、もとより、その事実自体は容疑者も自認するところである。しかし、それが何ら証拠にはならないにもかかわらず、殺人事件の発生直後から逐次捜査してきた側からすれば、強盗殺人にしか見えない。そういう事象なのである。

つまりは、捜査側にとっての真相はそれ以外にない。

問題は、裁判所はどうかである。捜査側と何らかちがう観点を提示できるかどうかである。「ちがいのわかる」裁判所であるかどうかである。裁判の意義が問われる。そこで上塗りしかできないようでは、裁判の名が泣く。」

『教養としての冤罪論』では、具体的なケースとして3つの事件を挙げています(注)。注記すべきは、森氏はこれらの事件を冤罪としているわけではなく、森氏が「冤罪ライン」と呼ぶ冤罪リスクの高いパターンに該当するとしているものです。この『教養としての冤罪論』が通常の冤罪本(「~の事件は冤罪である」という類の書)と一線を画しているのは、個別の事件が冤罪かどうかを議論するのではなく、冤罪の可能性を内包した要素を抽出して類型化している点です。

教養としての冤罪論

(注)
鶴見事件 (神奈川鶴見の金融業夫妻強殺事件、1988年、死刑確定後再審請求中)

三崎事件 (神奈川三崎の一家三人殺害事件、1971年、死刑確定後獄死)

熊本事件 (熊本・農道の婦女暴行殺人事件、1979年、死刑確定後再審請求中)

10/2/2014














ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1

<






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事事件一般

2014/10/02 Thu. 00:02 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top