「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

11« 2014 / 12 »01
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (441) 「美濃加茂市長事件~藤井浩人氏公判結審」 12/29/2014 

#検察なう (441) 「美濃加茂市長事件~藤井浩人氏公判結審」 12/29/2014

注目の美濃加茂市長事件、藤井浩人氏の公判が先週24日に結審しました(注)。その期日において、最終弁論と被告人最終陳述が行われました。

以下が藤井氏の最終陳述全文です。

6月24日、あの日から、奇しくも本日でちょうど半年となりました。あらためて、6カ月前と変わらず、むしろ取り調べや、この厳粛なる裁判所での公判が進むにつれ、自分自身、強く確信を得た上で、逮捕事実は一切ないことをここに断言させていただきます。

美濃加茂市長として2年目を迎え、市民の方々がどのような感触をお持ちになっているのか、市役所内の雰囲気はどう変わったのか、自分自身が掲げたマニフェストは実現に向けて進んでいるのかなど、私の市政に対する期待と同時に多くの市民の方々と築き上げてきた希望が一瞬にして打ち崩されようとしました。

政治家という概念に対しては、さまざまなお考えをお持ちの方がいらっしゃると思いますが、特に私たちの住むまちのような市町村の首長や議員は、政治というダイナミズムや価値観より、一人ひとりの住民、市民の方々と意見を交わし、ときには新たな気づきをいただき、ときには啓蒙に努め、日々少しずつ信頼を得ながら、地域の将来を信じて一歩一歩活動しています。

それは役所内でも同じことであり、組織の論理ではなく、いくらトップであろうが、一人ひとりの職員と思いをともにし、お互いを信頼してこそ、市民のための仕事ができると考えています。

逮捕当初、担当の警察官の方は「まだ若いんだから、早く認めて出直せばいいじゃないか」と軽い口調で何度も言いました。論告の中では、私が「市民の信頼を裏切った」とありました。その軽々しく使われ、彼らが踏みにじろうとしている信頼というものを得ることがいかに難しいかを、私たちは知っているからこそ、今回の嫌疑についてはまったくの無実であると心から断言できます。

今回の事件の当事者は、私一人では決してありません。

多くの市民の方々、支援者の方、そして仲間、家族が署名集めに必死になってくださいました。21154名の方が署名をしてくださいました。

あるおじいさんは、署名集めに朝から晩まで団地内や親戚関係、昔の友人を頼って、こう言いながら走り回ってくれたそうです。「何度も会って話をしたが、お金を受け取るなんて信じられない。もう一度本人と会うまでは、自分自身の納得がいかない」

市役所においては、日に何十件もの罵声に近い問い合わせの電話や、窓口では不必要な嫌みを言われながらも歯を食いしばり、職務をまっとうしてくれた職員がいました。

中には十数回も毎日のように取り調べに呼び出され、不本意な調書を取られたといまだに嘆かれる職員もいます。

若い職員はこう言いました。「私は市長を信じているし、信じるべき立場だと思います。しかし、市民の人からも市外の人からも、市長は大丈夫かと聞かれます。明確に堂々と答えられる日が早く来てほしい」

私だけでなく、この事件の影響を被ることとなってしまった多くの人が、納得できるような公正な判決をお願いしたい気持ちでいっぱいです。

また、期せずして、私たちは今回の事件の当事者となりました。

失ったものはいくつもあります。取り戻せないものがあることも知っています。

しかし、このようなことが二度と繰り返されることなく、社会が一歩でも前進するのであれば、私たちはこの一件を乗り越えることができるのではないかと思います。

もう二度とこのような事件が起こらないことを切に願います。

藤井浩人

「このようなことが二度と繰り返されることなく、社会が一歩でも前進するのであれば、私たちはこの一件を乗り越えることができるのではないかと思います」―藤井氏がこのように述べる気持ちは痛いほど分かります。

最終弁論の内容を報じた『弁護士ドットコム』の記事です。

ここをクリック→ 「作り上げられた犯罪」最終弁論であらためて「無罪」主張

そして公判後の主任弁護人郷原信郎氏のツイートです。

ここをクリック→ 郷原信郎氏ツイート

判決は来年3月5日。

そしてそれに先立ち、1月16日に贈賄供述者の贈賄罪及び詐欺罪の判決が予定されています。1月16日以前に、藤井弁護団の次の一手はあるのか、贈賄供述者の判決はいかに、注目したいと思います。

これまで美濃加茂市長事件に関するブログはこちらです。

ここをクリック→ #検察なう (418) 「美濃加茂市長事件、藤井浩人氏今週初公判!」

ここをクリック→ #検察なう (422) 「美濃加茂市長事件、第2回、第3回公判で贈賄供述者の証人尋問」

ここをクリック→ #検察なう (428) 「美濃加茂市長事件藤井氏被告人質問傍聴記」

ここをクリック→ #検察なう (438)「美濃加茂市長事件アップデート~贈賄供述者の判決の重要性」

(注)
これに先立つ検察の論告求刑公判では懲役1年6ヶ月を求刑しています。

ここをクリック→ 検察側が1年6ヵ月求刑「市民の信頼を損ねた悪質な犯行」

12/29/2014













好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 美濃加茂市長事件

2014/12/29 Mon. 00:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『デヴィッド・ボウイ・イズ』 ハミッシュ・ハミルトン監督 

フィルム・レビュー 『デヴィッド・ボウイ・イズ』 ハミッシュ・ハミルトン監督

david bowie

David Bowie is Art!!

映画『David Bowie is』観賞。

これはロンドン・ケンジントンのヴィクトリア&アルバート博物館(略称「V&A」)のエキジビション『David Bowie is』が世界に展開するに当たって作られたドキュメンタリー映画(バンクーバーでは1日1回、3日だけの公開)。

V&Aのキュレーターが展示を解説する映像が中心、それにPVやデヴィッド・ボウイ出演の映画やコンサートの画像を挿入。更にV&Aでのプレヴューでの来訪者(芸術関係者ばかりのおされーな人たち)のコメントやV&Aでの展示に合わせて開催された特別ゲストのプレゼンテーション(例えば山本寛斎←かなりヤバい英語)といった内容。

デヴィッド・ボウイがいかに時代を先駆けていた総合アーティストだったかがよく分かる内容。音楽分野だけではなく、ファッションや映像の分野でもほかのアーティストからリスペクトされていたことが映像から伝わってきた。

音楽ファンとしては、彼の手書きの歌詞ノートが一番興味深かった。それを目で追いながらバックでメロディーがかぶさると、「おー、これをボウイが書いたんだな」と感動することしきり。字は汚いし(外人はみなそうだけど)、ぐじゃぐじゃ直してたりするんだけど、それが人間味を出していた。

フォトジェニックなボウイだけど、最近の映像でももう70近くなってるのに(1947年生まれ)きれいに歳とってるなあという感じ。是非ともこうありたいものだ。

日本には『David Bowie is』のエキジビションの予定はないようなので、せめてボウイ・ファンはこの映画を観てほしい。

ここをクリック→ 『デヴィッド・ボウイ・イズ』予告編

(Facebook 9/26/2014より転載)

日本でも公開が決定。
ここをクリック→ Warner Music News 『デヴィッド・ボウイ・イズ』映画館上映決定!
















好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/12/28 Sun. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (440) 「冤罪被害のPTSD (Posttraumatic Stress Disorder)」 12/25/2014  

#検察なう (440) 「冤罪被害のPTSD (Posttraumatic Stress Disorder)」 12/25/2014

今回のブログでは恥をさらし、愚痴をこぼすことをお許し下さい。

私の出身高校は、一学年120人のこじんまりした地方の国立進学校です。最近は、県下の公立校、私立校が予備校化するにつれ、「進学校」という看板を下ろさなければいけないほど地盤沈下していると聞いていますが、「学問に王道なし」という不器用な教育方針を貫いているからだと勝手に思っています。

私の高校の大先輩でもある孫崎亨先輩とツイッターでやり取りをさせて頂いた時も、「リベラルな学校だったと記憶しております」とおっしゃっていた、そういう学校です。

同級生は仲もよく、私が嘆願書を依頼した際も、恩師2人を含み数多くの友人が嘆願書を書いてくれました。しかも、恩師2人には私が直接頼んだのではなく、私の窮状を憂えて友人が声を掛けてくれたものです。

普段の同級生のコミュニケーション・ツールはフェイスブックです。フェイスブックの私の高校同級生のグループは、学年全体の4割に相当する50人近くが参加しています。

先日、このようなことがありました。私は高校では文系コースでしたが、理系コースに行く者の少なからずは医学部を志望します。そして同級生の4人に1人が医者です。

フェイスブックのグループのやり取りで、医者の同級生が、やはり医者になった同級生を「~先生」と呼んでいることに私は異議を唱えました。

「なんで高校の同級生なのに、職業が医者だと先生つけんの?そういうのが差別を生むんだよ」

普段何気なしに使っていると、呼称がもつ本来の意味を意識することはないのだと思います。そして、フラットな人間関係にヒエラルキーをコノテーションとする呼称を持ち込むことに違和感があることを説明しても(私の説明が不十分だったこともあるのでしょうが)理解しない友人を、私は半ばキレて口汚くなじってしまいました。

勿論、私の言葉が、全くの言い掛かりだと感じる人も多いと思います。私自身そう思わないでもありません。その友人はほかの者に、「医者は先生付けで呼ばなければならない」と強要したわけではないからです。それでも、そうした呼称が差別・被差別の萌芽になる論理(少なくとも差別されていると感じる人がいるということ)を、仲のよい友人だからこそ理解してほしかったものです。

難癖をつけられた友人もさぞや困ったことだと思います。何も悪いことをしたつもりはないのに、勝手に気分を害されても、と思ったに違いありません。理解されなくても仕方ないかとも思います。私も自分が冤罪被害にあわなければ気付かなかったことです。

普通に生活していれば、自分の名前が新聞やテレビに掲載されることはないと思います。私も普通のサラリーマンでした。報道に自分の名前が出るなどとは想像すらしていませんでした。それがある日突然、新聞、テレビに犯罪者扱いされ、長らく私についた呼称は「被告」でした。

再就職も刑事告発を理由に取り消され、金融業界で刑事被告人を雇うところは勿論ありませんでした。自分で天職と思っていた外資系証券の世界から強制退去させられた自分と、「先生」と呼び合う彼らに格差を嗅ぎとって、感情のままにフェイスブックにコメントしたものです。

実はこうしたことは、初めてのことではありません。この6年間、身近で支援してくれた何人かに、「どうせ俺の気持ちなんて分からないんだよ」といった言葉を投げつけ傷つけたことも一度や二度ではありません。

裁判に勝ったといっても、やはり一旦貼られたレッテルは、べっとりと自分に張り付いているような気がします。それは自臭症のようなものだと頭では理解しているのですが、やはりいまだ拭い去ることはできません。

結局次の日、私はけじめをつけるため、次のメッセージを送り、フェイスブックの同級生のグループを抜けることにしました。

「俺が悪かった。「医者には先生を付けなきゃ」って言われたわけじゃないのにな。リアクションのなさから、結構ドン引かれたっぽいし。

ただ、bullshitしたわけじゃなくて、気になっちゃったわけよ。このビデオ観て考えてもらえればいいんだけど、俺は国税局と検察に無理やり最後列に座らされた。そうしたら見えた景色が違ってたんだな。それで自分は最前列に座ってたって初めて気付いたわけ。裁判に勝っても、まだ一番後ろの席に座らされるようないやな気持ちは残ってて、そうした社会の格差みたいなもんに敏感になってるんだよ。被害妄想以外の何物でもないんだけど。

世の中の多くの人が冤罪に関心がないのも、自分より後ろの列の奴のことは気にしないからなんじゃないかと思ってる。犯罪者って最後列も最後列だからな。

そうしたフラストレーションをぶつけたことを恥じて、けじめをつけるべく、やはりこのグループから身を引くわ。すまんかった、嫌な思いをさせて。」

そして私が添付したビデオのリンクがこれです。

ここをクリック→ 「格差を生み出す「特権」とは何か」

多分、同じ経験をした者でないと、分からないことはあると思います。検察が上告を断念したことを発表した文面に怒りを示したのが堀江貴文氏でした。

ここをクリック→ HORIEMON.COM 『検察が世の中舐めきってることを証明する一つの文書。』

自分が冤罪被害にあったことを忘れようと思ったことはありません。私は、いやなことを忘れようとすることは、結局解決にならないと思っています。一旦は忘れても、思い出せば嫌な気分になるからです。考えても嫌な気分にならなくなるまでとことん考え抜くしかないと思っています。傷がかさぶたになって、それを自分ではがしても、いずれは傷つく前より強くなればいいと思っています。

冤罪被害にあった辛さを忘れることなく、それを昇華して、一人でも同じような境遇に苦しむ人が少なくなればいいといつも考えています。ブログは私にとって浄化作用をもたらす直接療法です。かさぶたがなくなるまで是非お付き合い頂ければ幸いです。

12/25/2014










好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事事件一般

2014/12/25 Thu. 01:22 [edit]   TB: 0 | CM: 2

go page top

#検察なう (439) 「国税局、重加算税の賦課理由の説明を拒否」 12/22/2014 

#検察なう (439) 「国税局、重加算税の賦課理由の説明を拒否」 12/22/2014

2008年12月16日の国税局査察部による強制捜査から6年が経過しました。

ここまで、検察と対峙した刑事裁判と並行して、国税不服申立手続を取り国税局を相手取って戦ってきました。

<刑事裁判の経緯>
国税局査察部による強制捜査・取調べ→ 国税局が刑事告発 → 東京地検特捜部による取調べ → 起訴 → 東京地裁一審無罪 → 検察控訴 → 東京高裁控訴審無罪 → (「上告理由が見当たらない」という全く理由にならない理由で)検察上告断念で無罪確定 → 原告・被告が入れ替わって(原告=私、被告=国)国家賠償訴訟(国賠審)

(国を刑事罰に問うことはできないので、国賠審は経済補償を求めるもので、正確には民事訴訟の扱いです)

<国税不服申立手続の経緯>
国税局は重加算税を賦課(重加算税の要件は故意の脱税) → 一旦、重加算税を納税するも異議申立を税務署長に対して行う → 決定がなされることなく3年8カ月放置、その間幾度となく重加算税賦課の理由を問い合わせるも国税局は黙殺 → 国税不服審判に審査請求 → 不服審判継続中にも関わらず、突然、4年前の異議申立に対して賦課決定と称して国税局は重加算税を取り消す(過少申告加算税・無申告加算税に変更) → 不服審判官と面談し、重加算税のそもそもの賦課理由と処分変更の理由開示を求める旨要請

国税不服申立手続の最近の経過については、以下のブログをご参照下さい。

ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

ここをクリック→ #検察なう(423) 「国税不服審判所に行ってきました」

そして先週、税理士のもとに不服審判官から連絡がありました。私からの要請があった重加算税の賦課理由と処分変更理由を国税局に問い合わせたところ、国税局の回答は

「回答は出せない」

とのことでした。

税金を課して、一旦はそれを払わせながら、その理由を聞いても答えられないとは一体全体どういうことでしょうか。そもそも重加算税を賦課する理由が最初からなかったということしか考えられません。それならそれで、一言謝罪するとか、そうした肝っ玉は日本の役人にはないのでしょうか。

納税は国民の義務ですが、その義務を国民に課すからには、彼ら徴税権力には説明責任があると思います。その説明責任を果たさなければ、公正な税務行政が行われる期待などできるはずがありません。

これを看過すれば、過少申告に片っ端から重加算税を課し、異議申立をした者にだけ、理由を告げずにその課税を取り消すという不当な徴税すらできてしまいます。

これが経済的な問題のみであれば、確かに棄損した利益は回復されているからよしとされるのかもしれません。しかし、私の場合、その重加算税を課した国税局に刑事告発され、この数年、臥薪嘗胆の日々でした。その理由を聞く正当な権利はあると思います。

私にしてみれば、泥棒に金を盗られた揚句、「俺は取ってないけど、あんまりうるさいから金やるよ。それで文句はないだろ。あーん?」と言われているような気分です。

今年の漢字は「税」らしいのですが、国民の関心が税に対して高まっている中、こうした不公正な徴税権力の行使は監視し続けなければならないと意を強くしています。

ここをクリック→ 朝日新聞DIGITAL 『2014年、今年の漢字は「税」』

不服審判所の裁決は年明け早々にも出されると思われます。追って報告します。

引き続きご注目、ご支援のほどよろしくお願いします。

12/22/2014
















好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2014/12/22 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『博士と彼女のセオリー』 ジェームズ・マーシュ監督 

フィルム・レビュー 『博士と彼女のセオリー』 ジェームズ・マーシュ監督

theoryofeverything.jpg

日本では来年3月に公開予定の"The Theory of Everything"(邦題の『博士と彼女のセオリー』がひどい)観賞。

これはとってもいい映画。

スティーヴン・ホーキングは言わずと知れた「車いすの天才」だが、彼が2度の結婚(と離婚)をして3人の子供をもうけていることはあまり知られていないかもしれない。

この映画の脚本は、彼の最初の妻(そして3人の子供の母親)であるジェーン・ホーキングの著作"Travelling to Infinity: My Life with Stephen" (2007年)を下敷きにしていると思われる。映画に描かれているのは、スティーヴンと彼を支えるジェーンの恋愛と苦悩といった生き様。主人公は勿論スティーヴンなのだが、ジェーンに同じ位(以上に)スポットライトを当てることで、物語が生きてくる。スティーヴンは、この映画では「理論物理学者スティーヴン・ホーキング」ではなく「人間スティーヴン・ホーキング」とも言える。

とにかくスティーヴンを演じるエディ・レッドメインの演技が素晴らしい。『レ・ミゼラブル』のマリウス役でも片鱗を見せていたが、この作品での彼の演技は来年のオスカー主演男優賞当確と(早々と)ここで宣言したい(但し、去年のオスカー主演男優賞は、演技のレベルから言えば間違いなく『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のディカプリオなのに、『ダラス・バイヤーズクラブ』のマシュー・マコノヒーにやった審査員なので趣味は違うかも)。

スティーヴン・ホーキングの著作は恥ずかしながら『ホーキング、宇宙を語る』しか読んでいないという彼の理解者としては半端者だが、映画での彼の神に対する立ち位置の扱いには若干の違和感を感じた。

『ホーキング、宇宙を語る』が全世界的に大ベストセラーになった後での講演で、観客の一人が落としたペンを見て、それを拾う姿をスティーヴンの心象イメージとして映しているが、それは「神がいるのであれば、そうした奇跡も起こるだろう」という意味に私は取った。つまり宇宙の創造に神は必要がないという最近のホーキングのスタンスを表象していると思われるが、『ホーキング、宇宙を語る』の出版当時は、「創造主の神が宇宙に対する科学的な説明と両立できないわけではない」という不可知論的立場を取っていたはず。人間が知覚・認識できる事象には限界があり、それを越えるものを「神の領域」としていることに、論語の「敬してこれを遠ざく」と同じものをその著書に感じて感動した者としては見逃せない点だった。

とにかく、スティーヴン・ホーキングに興味がある人は勿論、そうでない人も間違いなく楽しめる作品だと思う。ブラボー!

ここをクリック→ 『博士と彼女のセオリー』予告編

(Facebook 12/10/2014より転載)
















好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/12/21 Sun. 04:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (438) 「美濃加茂市長事件アップデート~贈賄供述者の判決の重要性」 12/18/2014 

#検察なう (438) 「美濃加茂市長事件アップデート~贈賄供述者の判決の重要性」 12/18/2014

まず郷原信郎弁護士の最新ブログ「5700万円融資詐欺不起訴の陰に「贈賄供述者の企み」」をじっくりお読み頂ければと思います。

ここをクリック→ 『郷原信郎が斬る』 「5700万円融資詐欺不起訴の陰に「贈賄供述者の企み」」

ここでのポイントをかいつまんで説明します。

贈賄供述者の中林氏は、3億7850万円の融資詐欺を働いていましたが、当初検察に起訴されたのは2100万円のみ。贈賄の供述をすることで、融資詐欺の大部分を見逃してもらうという「裏司法取引」が強く疑われる事案です。

郷原氏を主任弁護人とする藤井弁護団は、4000万円の融資詐欺(詐欺罪及び有印公文書偽造・同行使)を告発。これにより検察は4000万円分に関して不起訴の判断を覆して追起訴。その後、藤井弁護団は更に5700万円の詐欺を追加告発したところが、この追起訴はされなかったというのがこれまでの経過です。

5700万円の告発も追起訴するということになると、融資詐欺の合計金額が1億を越えることとなり、かなりの期間の実刑が見込まれることとなります。

当初2100万円の起訴であれば、3年程度の求刑(注1)で執行猶予が付くと思われていたものが、追起訴の結果、検察の求刑が4年6ヶ月となり、一審有罪の場合の実刑判決はほぼ確実です。ただ一審有罪であっても、控訴して、その間に被害弁償を行えば、控訴審で執行猶予が付く可能性もあるというぎりぎりのラインでした。ところが5700万円の追起訴となると、その可能性も消えてしまうため、中林氏としては、「当初と話が違う」と贈賄の供述を覆すことも考えられ、検察が追加告発分に関してはなりふり構わず不起訴としたという経緯が、郷原氏の読みです。

贈収賄の金額はわずか30万円です。勿論、もしもその事実があれば、金額がいくらであれ犯罪は犯罪だと言えますが、数億の詐欺を不問にしてまで30万円の贈収賄を立件しようとする、検察の「バッジを挙げる」執念には、怖気(おぞけ)さえ覚えます。

そして、この数億の融資詐欺を不問にするということは、私が支援している佐藤真言氏、朝倉亨氏の、粉飾決算による詐欺を「フレームアップ」してまで立件したこと(注2)と照らし合わせても、甚だしく不公正だと思われます。

中林氏の贈賄、融資詐欺に対して、検察の論告求刑が行われ、その判決が来年1月16日に出されることが予定されています。

贈賄供述者の判決が、藤井氏の判決に与える影響はどのように考えるべきでしょうか。少し考えてみました。

収賄罪と贈賄罪は、収賄行為と贈賄行為の両方の行為が犯罪となることが必要である必要的共犯(「対抗犯」)とされます。贈収賄とは、あくまで賄賂を贈った人間がいて、それを受け取った人間がいるというペアになった犯罪です。

中林氏の贈賄に関しては、本人も認めており、贈賄罪が有罪となることでの(融資詐欺の大部分を見逃してもらうという)メリットを考えると、弁護人も敢えて無罪を主張することはないものです。こうなるとスポーツで言えば、負けることを狙った無気力試合のようなもので、それが相手チームも了承済みであれば、八百長試合です。しかしながら、審判としては、無気力試合をしようとしているチームを勝たせることは難しいと思われ、結果は有罪の可能性が高いと思われます(この点に関して、「誰しも自白が唯一の証拠である場合、自白によってのみ罪に問われることがない」という法律規定が意図するところの人権保障の範囲を、被告人本人ではなく、必要的共犯の藤井氏に援用した、先の郷原氏のブログでの論理は興味深いところです)。

中林氏の贈賄罪の有罪は、ペアとなる藤井氏の収賄罪の有罪を意味するのでしょうか。そうはならないところが、刑事裁判の不思議なところでもあり、興味深いところでもあります。

それは、中林裁判体と藤井裁判体は裁判長が異なり、見ている証拠も全く別だからです。

刑事裁判とは、過去に起こった事件の真実の追求は(努力はするものの)そもそもが不可能であるという不可知論に立ち、(全ての証拠でなく)テーブルの上に置かれた証拠のみから、「有罪らしさ」「無罪らしさ」を裁判官が気の向くまま、心の向くまま判断する(これを「自由心証主義」といいます)というものです。

見ている証拠も違えば、判断する裁判体も異なるということになれば、結果が異なる可能性があるということは至極当然と言えます。

とは言うものの、本来は対抗犯の双方によって成立する贈収賄が片や有罪、片や無罪というのはいかにも不安定な気もします。その場合、無気力試合をするチームを勝たせて無罪にすることはなくても、判断を留保する可能性があると考えられます。それは、「弁論の併合」が行われた場合です。刑事訴訟法(注3)により、裁判所は二つの裁判を一緒にすることができます。そうすれば、両方の証拠を同じ裁判体が見て判断するということになります。

もし1月16日の判決で、中林氏の贈賄罪に関して、弁論の併合が行われるならば、その理由は明らかですから、藤井氏の無罪の可能性はぐっと高くなると私は見ています。

もし弁論の併合が行われず有罪判決となれば、あとは自由心証に基づいた藤井裁判体の判断になります(贈賄有罪の影響は未知数)。

但し、アグレッシブな郷原氏のことですから、1月16日よりも前に更に次の手を打ってくることも十分に考えられます。いずれにせよ、今後も注目していきたいと思っています。

藤井氏被告人質問の傍聴記はこちら。
ここをクリック→ #検察なう (428) 「美濃加茂市長事件藤井氏被告人質問傍聴記」

(注1)
執行猶予は3年以下の懲役に、裁判官の裁量で付すことができます。量刑相場は検察求刑の七掛けと言われていますから、検察の求刑が3年であれば、実際の求刑は確実に3年以下となり、3年以下の検察求刑は、検察から裁判官への「執行猶予付きを求める」メッセージだと言われています。検察の求刑が4年を越えれば、七掛けしても実際の求刑は3年を越えるため、それは逆に「実刑を求める」メッセージだと言われています。

(注2)
株式を上場していない中小企業において、粉飾決算そのものは犯罪の構成要件ではありません。しかし、粉飾決算で会社の経営状況を実態よりもよく見せることで銀行からの融資を引き出せば詐欺罪となります。それでも返済能力があれば粉飾決算は借りるための方便であり(赤字会社には銀行は融資しないため)、実際に返済がなされれば、違法性は低いと考えられます。

佐藤氏は銀行出身の経営コンサルタント、朝倉氏は中小企業社長でした。彼らは、悪質な類似事案(当初から計画倒産を目論んでいた)のとばっちりを受けて検挙され、返済の目途があったにも関わらず、資金繰りのタイミングを見計らってその前に朝倉氏が逮捕されることで会社は倒産、検察は銀行に被害届を出させて「事件を作った」というものです。そのため、佐藤氏と朝倉氏は実刑判決を受けました。

詳しくはこちら。
ここをクリック→ #検察なう (209) 「何が社会正義かを問う 『四〇〇万企業が哭いている 検察が会社を踏み潰した日』を読んで」

ここをクリック→ #検察なう (289) 「佐藤真言氏 『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』を読んで」

(注3)
刑事訴訟法第313条第1項
「裁判所は、適当と認めるときは、検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で、決定を以て、弁論を分離し若しくは併合し、又は終結した弁論を再開することができる。」

12/18/2014















好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 美濃加茂市長事件

2014/12/18 Thu. 01:28 [edit]   TB: 0 | CM: 1

go page top

#検察なう (437) 「福井女子中学生殺人事件 再審の扉が閉ざされる 「疑わしきは確定判決の利益に」」 12/15/2014 

#検察なう (437) 「福井女子中学生殺人事件 再審の扉が閉ざされる 「疑わしきは確定判決の利益に」」 12/15/2014

3年前に一旦再審開始が決定されたものの、検察の異議申し立てにより、昨年再審開始決定が取り消され(注)、弁護側は特別抗告していました。先週、最高裁判所第2小法廷(千葉勝美裁判長)は特別抗告を棄却、再審の扉は再び閉ざされてしまいました。

報道はこちら。
ここをクリック→ NHKニュース「福井女子中学生殺害 再審認めず」

冤罪被害者の前川彰司氏、そのご家族、そして支援してきた方々は、この理不尽な判断に、さぞかし悲憤慷慨していることと思います。特に、いつも支援の前面に立たれていた父親の悲しみ、悔しさは計り知れず(母親は失意のうちに他界なさっています)、私も人の子、人の親として心情察するに余りあります。

具体的な事件の詳細を知らずとも、「決定された再審開始が取り消される」ことの重大さを、まずご理解頂ければと思います。

日本の刑事司法においては、有罪率は99.9%を越え、無罪を得ることは非常に困難です。そして三審制を経て確定した判決を覆す可能性のある再審を開始させることは、更に困難です。なぜなら、運用上再審が行われれば、ほぼ無罪となることが決まっているとされているからです。ただでさえ得ることが困難な無罪判決を、三審制を経て有罪が確定した後に得ることになる再審開始は「針の穴にラクダを通す」ほど大変だと言われます。

再審が困難である最大の理由は、再審請求の際に提出される証拠に「新規明白性」を求めるからだと思われます。確定判決に至るまでに、証拠のほとんど全てが検討されつくされていると思われます。それにも関わらず、全く新たな、しかも確定判決を覆すに明白な証拠がなければ、再審は行われないというハードルは非常に高いものです。

福井女子中学生殺人事件においては、再審請求に際して、裁判所からの勧告で検察による新たな証拠開示がなされ、その新証拠を元に再審開始が決定されました。福井女子中学生殺人事件は一審無罪で、控訴審で有罪に覆されましたが、それら証拠があれば一審の無罪はもっと堅固であり、控訴審で覆ることはなかったかもしれません。検察による悪質な証拠隠しは、この事件に限った事ではありません。

しかしながら、再審開始決定を取り消した昨年の名古屋高裁の判断、そして今回の最高裁の判断は、共に、「提出された証拠に新規明白性は認められず、再審開始事由に当たらない」というテクニカルなもので、実質審理がなされたものではありません。

このことは、我々にとってどのような意味をもつのでしょうか、少し考えてみたいと思います。私は、これは前川氏個人の問題ではなく、我々国民全体への脅威だと考えています。

一審無罪、そして再審開始決定という二度の無罪判決(相当)という判断がなされたことは、事件の有罪立証に合理的な疑いがあることは明らかだと言えます。それにも関わらず、無罪になっていないということは、日本において推定無罪原則が機能していない証左です。今回の一連の再審開始決定の取り消しの判断は、日本の裁判所(しかも最高裁判所を含む)が、刑事司法の大原則を蹂躙したという極めて由々しいものだと考えられます。また、その経緯を考えると、検察の証拠隠しという犯罪行為を裁判所が不問にしたということでもあります。これが、我々国民全体に対する脅威でなくして何でしょうか。

そこに見えるのは、「疑わしきは確定判決の利益に」という論理であり、人権よりもシステムの安定や権威の保身を重要視しているものです。

再審開始決定自体まれなので、再審開始決定が取り消されたケースは、極めてレアではありますが、初めてのことではありません。名張毒ぶどう酒事件、大崎事件という超ド級冤罪でも起こったことです。そろそろ我々国民も刑事司法リテラシーを高め、このような国家権力による人権侵害を監視、抑制するだけのパワーを持たなければならないと考えます。

まずは、再審開始決定に対する検察の異議申立は認めない立法化が必要です。その延長線上には、私が刑事司法改革に一番効果的だと考える検察上訴権の廃止があります。

是非とも事件のことを知り、今回のことが持つ意味を考えてほしいと思います。

ここをクリック→ 冤罪ファイル 「福井女子中学生殺人事件」

(注)
昨年、再審開始決定を名古屋高裁が取り消した際の報道。
ここをクリック→ 福井新聞「再審取り消しに「長すぎる冬」前川さん父、女子中学生殺人事件」

12/15/2014













好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 冤罪事件に関して

2014/12/15 Mon. 06:07 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『ゴーン・ガール』 デヴィッド・フィンチャー監督 

フィルム・レビュー 『ゴーン・ガール』 デヴィッド・フィンチャー監督

gone girl

映画『ゴーン・ガール』観賞。

面白いと思う映画の監督でも2パターンがある。監督の名前を冠して映画の広告が打たれ、好きな監督だから観てやはり面白かったというパターンと、監督を意識しないで観て、後でチェックしたらいつも面白い映画を撮っていると思っていた監督だったというパターン。

この映画の監督デヴィッド・フィンチャーは自分にとっては後者。それは多分、映画のカテゴリーが多彩な芸達者だからだろうと思う。これまで観た彼の作品は、『エイリアン3』『セブン』『ゲーム』『ファイト・クラブ』『パニック・ルーム」『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』『ソーシャル・ネットワーク』『ドラゴン・タトゥーの女』。スウェーデンのオリジナル版リメイクの『ドラゴン・タトゥーの女』を除けば全て水準以上の作品であり、『セブン』と『ファイト・クラブ』はDVDを購入したほどのお気に入り作品である。

この映画は、まず脚本がいい(脚本は原作を書いたアメリカの推理小説作家ギリアン・フリン)。予告を観てどんな展開になるであろうかと予想して行くと必ず裏切られる。

主役であるベン・アフレックは勿論ビッグ・ネームなのだが、ヒロイン役のロザムンド・パイルにはぶっ飛んだ。最近ではトム・クルーズ主演の『アウトロー』でもヒロイン役を演じたが、顔は見知っていてもどちらかというと地味な感じだった。この映画は、彼女の彼女による彼女のための映画と言ってもよい。

とにかく、サスペンス好き、あるいは『セブン』や『ファイト・クラブ』を観て面白いと思った人には是非観てほしい。二転三転のストーリーが命であり(そのためネタばれに注意してます)、しかも荒唐無稽ともいえるストーリーがじっくり考えても破綻していないところが高く評価できる。

そして、やはりデヴィッド・フィンチャーは芸達者だと納得した次第。

ここをクリック→ 『ゴーン・ガール』予告編

(Facebook 12/13/2014より転載)














好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/12/14 Sun. 03:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その12 「早稲田大学大学院法務研究科授業より 『有能な弁護士に依頼する』」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その12 「早稲田大学大学院法務研究科授業より 『有能な弁護士に依頼する』」

早稲田大学大学院法務研究科授業シリーズ最終回です。前3回の内容はこちらで。

ここをクリック→ 『調書を問答形式で逐語的に作成させる』

ここをクリック→ 『調書の署名を拒否する』

ここをクリック→ 『嘆願書を集める』

拙著『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』には、一審・控訴審での主任弁護人小松正和弁護士との出会いを書きました。それを読んでも、早稲田大学大学院法務研究科講師の児島先生には、なぜ私が小松弁護士に依頼したかはミステリーだったようです。

児島先生 「八田さんは、紹介された小松先生に断りの電話を入れたところが、その電話の会話から依頼することを決心したということでしたよね。その電話の会話が具体的にどんなものであったか、記憶しているところでいいんで、何かありますか」

小松弁護士は私の会社の元同僚の紹介でしたが、彼の弁護士事務所のホームページで略歴をチェックしたところ、刑事弁護の経験が浅そうだったので、私は最初断ろうと思いました。紹介された以上、断るにしても電話の一本を入れるのは礼儀だろうと、電話をしたことが彼との出会いのきっかけでした。その電話でしばらく事件にからんで雑談をするうちに、「この先生にお願いしよう」とひらめいたことが依頼につながりました。

私は、児島先生からそのように聞かれた時は、電話の会話の具体的な内容はすっかり忘れていました。記憶していた印象は、本で書いたように、お互い補完関係でいいチームができる雰囲気を感じたというものです。

その後、しばらく話が進む中で、小松弁護士が会話の内容を思い出しました。

「あ、そうそう、その電話で八田さんには、検察が不起訴にできるよう、彼らが対内的にメンツを立てられるように言い訳を考えてあげなければっていうことを話したんですよ」

国税局査察部に刑事告発された時、彼らは私の無実を知りながら告発したことを私は確信していましたが、「仕事だから仕方ないんだろうなあ」と一面冷めた感覚を持っていました。小松弁護士と最初の電話での会話で、その「仕事だから仕方ない」という諦めを打破する案を一緒に考えてくれるような印象を持ったことを、彼の言葉を聞いて思い出しました。

世の中には本音と建前があることは常識ですが、非常に合理的な世界で仕事をしていた私と国家権力は対極的な位置にあると感じます。彼らの論理には建前の部分が非常に大きいと考えています。彼らも本音では、無実だと分かっている人間を罪に陥れることはよくないと思いながらも、建前がその判断を歪めてしまうのが、彼らの価値観だと理解しています。

法律論や事実認定といった正面突破の議論では通用しないことを感じながら、全くどうすればいいのか暗中模索の真っ暗闇に、ぽっと遠くに明かりが見えたような感覚をその電話の会話で感じたものです。

その後、小松弁護士が言ったことです。
「電話をもらった時はてっきり依頼の電話かと思ったのですが、断るということだったので、会ったこともないのにわざわざ断りの電話を入れてくるのは律義だなあ、と感じたのを覚えています」

偶然の出会いというのはこういうものかもしれません。

刑事裁判の有罪率は99.9%を越えます。つまり病気で言えば、治癒率0.1%以下の難病です。その難病治療の依頼は、町医者レベルでは心もとないと言うべきでしょう。弁護士業も職人芸ですから、やはり匠の技を持った弁護士に依頼したいものです。

以前のブログにも、よい弁護士を選ぶ一助となるであろう私の考えを書きましたが(注)、実は弁護士のよしあしを見分けるのはそれほど難しいことではないようにも感じます。勿論、全ての仕事に言えることですが、実際やらせてみないと実力は測れないということはあるものの、弁護士業は、人(=裁判官)にアピールしてナンボです。依頼人のあなたの心をつかめない弁護士が、裁判官の心をつかめるとは到底思えません。勿論、独創的な発想+論理的な思考とプレゼンテーション能力は別だと考えることもできますが、それぞれが十分条件ではないものの、必要条件だと思います。

是非、弁護士を選ぶ際には、じっくり話をしてみて、納得のいく弁護士に依頼することがあなたのためになると私は信じています。

(注) 
ここをクリック→ 無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その6 「被告人ができること 各論 (2) 優秀な弁護人を選ぶこと」













好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 無罪を勝ち得るために

2014/12/11 Thu. 06:55 [edit]   TB: 0 | CM: 3

go page top

外資系証券なるもの (18) 「モーゲージ証券のカスタマー・トレーディング」 

外資系証券なるもの (18) 「モーゲージ証券のカスタマー・トレーディング」

私が外資系証券で稼働していた21年間のほとんどの期間は、モーゲージ証券と呼ばれる米国債券のカスタマー・トレーダーでした。

債券とは、つまるところ債券を発行した者による借金です。例えば日本国債といえば、日本が、その債券の投資家に借金をしている証書です。借金であるからには、返済期限としての償還日があり、ただで借りているわけにもいかないので、貸してくれた人に払う利息として債券の利子があるというわけです。

債券と普通の借金・ローンとの大きな違いは、前者は有価証券の一種で売買が容易にできるのに対し、後者は転売が容易ではないという点です。普通の借金・ローンを転売できるように有価証券に作り替えることを「証券化」といいます。

証券化は、1970年台にアメリカで考案された金融イノベーションであり、代表的な商品として住宅ローン、商業用不動産ローン、クレジット・カード・ローン、自動車ローンなどを証券化したものがあります。そして、それらをまとめて「資産担保証券」と言います。

住宅を抵当として借り入れる住宅ローンは、アメリカでは「モーゲージ」と呼ばれます。私が外資系証券に勤務して扱っていた商品のモーゲージ証券は、住宅ローンを証券化した資産担保証券の一種です。

私は、そのモーゲージ証券のカスタマー・トレーダーをしていました。トレーダーの仕事は、売買の際に値段を決める役割ですが、敢えて「カスタマー」とつけるのは、カスタマー・トレーダーでないトレーダーも投資銀行(注1)にはいるからです。

投資銀行において、証券の売買をするトレーディング部門は、大きく分けて対顧客に対して取引を執行する部門と、顧客とは全く関係なく自己資本を投資して取引を執行する部門があります。前者をカスタマー・トレーディングといい、後者をプロプラエタリ―(自己勘定)・トレーディングと呼びます。

人員の数から言えば、圧倒的に前者が多く、後者は少人数です。ところが収益的には、後者が高収益を上げ、会社の収益を押し上げることも少なくありません。

私が新卒として入社したソロモン・ブラザーズ証券は、1980年代当時、自己資本を投入して投資をするプロプラエタリ―・トレーディングでも一躍名を馳せていました。そのグループを仕切っていたのが、『ライアーズ・ポーカー』(注2)にも登場したジョン・メリウェザーでした。彼は、後にスピン・オフしてLTCM(Long Term Capital Management)という、ノーベル賞数学者らクウォンツを擁した伝説のヘッジ・ファンドを作り上げたことでも超有名な人物です。

対するカスタマー・トレーディングは、あくまで顧客がいて、彼らに対してマーケット・メーク(値付けして売買)するビジネスです。顧客が売りたいと言えば、買値を提示し、顧客が買いたいと言えば、売値を提示するのがカスタマー・トレーダーの仕事です。株式が取引所で取引され、どの業者に発注しても執行される値段が同じであるのに対し、債券の取引は、業者と相対で取引されるのが特徴です(これを「店頭取引」といいます)。

国債のように単純な証券であれば、トレーダーの仕事というのは売買の値付けと在庫管理だけが全てですが、私が扱っていたモーゲージ証券は、商品性の複雑さから、まず商品の説明をセールスや直接顧客に対してする必要がありました。いわゆるプロダクト・スペシャリストとしての仕事です。そうしたマーケティングもしながら、実際の取引となると値段を決めるというのが私の仕事でした。

(注1)
ここをクリック→ 外資系証券なるもの (7) 「Investment Bank 投資銀行とは」

(注2)
ここをクリック→ 外資系証券なるもの (14) 「ライアーズ・ポーカー」













好評発売中!
ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 外資系証券なるもの

2014/12/08 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

フィルム・レビュー 『インターステラー』 クリストファー・ノーラン監督 

フィルム・レビュー 『インターステラー』 クリストファー・ノーラン監督

intersteller.jpg

クリストファー・ノーラン監督最新作『インターステラー』鑑賞。

『メメント』(2000年)以降、『バットマンビギンズ』『プレステージ』『ダークナイト』『インセプション』『ダークナイト・ライジング』と新作の度に追っかけてきた監督だが、その評価の高さの割に、今一つ物足りないものを感じていた。それが何かがこの映画で分かった。

今まで彼自身脚本を手掛ける映画のストーリーは、着想のよさと展開の妙でそれなりであったが、欠けていたのは「人間味」。この映画には、今まで彼が描けていなかったヒューマンタッチがあった。ぶっ飛びの面白さと言ってよい。

宇宙物理学や量子力学に精通していなくても、この映画の設定にはつっこみどころ満載。観てても「ええ!?そんなんありえんだろー」なのだが、それを凌駕するスケール感があった。

『ゼロ・グラビティ』にはある程度のリアリティがあったが、あの映画は単に映像が面白いエンターテイメント作品で、薄っぺらさを感じた。それと比較して、この映画は同じ宇宙モノでも『ゼロ・グラビティ』の100倍面白い。

地球上の植物が死滅することで、食糧や酸素がなくなるため、人類は地球を見捨てて、新たに生活できる他の惑星を探しに出る。その前半は、かなりかったるかった。エイリアンが出てくるわけでもなく、パニックに襲われるわけでもない。しかし、後半以降、マシュー・マコノヒー演じる主人公が、先遣隊の科学者(マット・デイモン)と人類移住に可能性のある惑星で合流してから、一気に話は加速する。

169分という長尺だが、終わってみれば全く長く感じられない。宇宙の映像は美しく、音響効果も迫力があった。宇宙船内や宇宙服の考証が割と古臭く『2001年宇宙の旅』を意識したであろうところも興味深かった。

SF物にアレルギーがなければ、お勧めの一本。

ここをクリック→ 『インターステラー』予告編

(Facebook 12/2/2014より転載)










ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: フィルム・レビュー

2014/12/07 Sun. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (436) 「四方山話 ヤフオク!(ヤフーオークション)での出来事」 12/3/2014 

#検察なう (436) 「四方山話 ヤフオク!(ヤフーオークション)での出来事」 12/3/2014

yahoo auction

冤罪 = 「無実の罪。ぬれぎぬ。(広辞苑)」

冤罪は、身に覚えもなくても突然災厄のように降りかかってきます。それは既に体験済みの私ですが、数日前にもこのようなことがありました。

私はヤフオクのヘビー・ユーザーです。身の回りの不要品を売ったり、少しでも安く買おうと、よくヤフオクを使っています。最近では、趣味としているゴルフ・クラブや用品をヤフオクで売り買いしています。

もう10年以上ヤフオクを利用して、「良い(出品者・落札者です)」という評価が丁度400件になりました。個人間の取引ですから、相手が信用に足るかの情報として、取引をしたお互いが相手を評価することが、ヤフオクでは行われています。400件の「良い」という評価に対して、「悪い」という評価は1件もありませんでした。

先週、やはりヤフオクでゴルフ・クラブを売りました。その後、メールで評価の報告が届きました。それは「悪い」という評価でした。

メッセージは、
「商品届きましたがシャフトが差し戻し、しかもさかさまに差してありました、値段が安い品物でしたがちゃんと説明してから出品して下さい。がっかりです。」

私は驚きました。そのような事実はなかったからです。私は返答しました。
「それはないと思います。Victoriaの碑文谷店で新品を購入し、シャフトを差し替えたことはありません。何かの勘違いではないでしょうか。再度、ご確認お願いします。リシャフト品の場合は、その旨お伝えするつもりです。」

ゴルフをしない人のために少し解説すると、ゴルフ・クラブはヘッド、シャフト、グリップという3つのパーツから組み立てられます。クラブ・メーカー・オリジナルのクラブを購入した後に、自分の好みのシャフトと交換することを「リシャフト」と言います。そしてリシャフトしたクラブのシャフトを外して、もう一度、元のメーカー・オリジナルのシャフトに組み替えることを「差し戻し」と言います。

シャフトを外す際には、熱処理をするので、カーボンシャフトの場合、品質が劣化するとされています。ヘッドとシャフトの組み合わせは同じでも、メーカー・オリジナルのものと比較して、差し戻し品はいわゆる「傷物扱い」で安く取引されます。

3000円という値段でしたが、落札者はその値段は「訳アリ品」の値段で、その訳を説明しなかったのは出品者として問題ありと、「悪い」という評価を私に下したものです。

私はクラブメーカーに問い合わせ、落札者の誤解の理由をすぐに理解しました。シャフトとグリップには、メーカーのロゴが表示されています。シャフトのロゴは(邪魔にならないよう)見えないように裏側に、グリップのロゴは(どの向きで握っているか)見えるように表側に装着するのが通常の差し方です。ところが、私が出品していたクラブのロゴは、シャフトもグリップも裏側で差すのがメーカーの標準でした。

落札者の方は、グリップが裏差しであることを見て(シャフトも裏差しであるにも関わらず)、「これは逆さまに装着されている。一旦外して組み直したに違いない。リシャフトの差し戻し品だ」と判断したものです。

ヤフオクの評価は、一旦つけると、その後の修正・削除は、評価した本人も、ヤフーもできないルールになっています。つまり、この落札者の誤解であることが分かっても、私の「悪い」という評価は未来永劫記録に残ってしまいます。

私はせっかく買ってくれた落札者の誤解を解くべく返答しました。
「メーカーに確認したところ、Vシリーズは、シャフト・グリップ共にロゴ裏差しが標準とのことでした。私は、新品購入時に特に指定していないので、メーカー標準仕様です。逆さまということは、シャフトもグリップもロゴが表差しということでしょうか。」

3日待っても私を「悪い」と評価した落札者からは、何の返答も謝罪もありませんでした。

残念に思った私はメッセージを送りました。
「「悪い」という評価を付ける前に、相手方に連絡をして事の真偽や対応(返品の可否等)を確認し、それでもなお対応に不満の場合に「悪い」という評価をするのが、オークションのマナーだと思います。今回のように一方的に不当な評価をされても修正・削除できないというヤフオクのシステムには個人的に疑問を感じ、報復評価もナンセンスなので、敢えて評価は控えさせて頂きます。」

ヤフオクでは、「悪い」という評価をされて感情的になり、報復として相手方を「悪い」と評価し返して掲示板上でなじり合うケースも度々目にします。

何年もかけて築き上げた信用に、理由なく汚点を付けられたことは残念ですが、刑事被告人を経験した私には、その相似性をむしろ滑稽に感じられました。もし刑事被告人の経験がなければ、もっと悔しがったり、憤慨したかもしれません。

しかも、自分の非を認めず、一言の謝罪もないところは、検察・国税局と全く同じです。

そして、この落札者の方は、評価をした時は完全に誤解しており、悪意はなかったと思います。一方国税局や検察は、私の無実を知りながら、告発・起訴したと私は確信しており、彼らの方が数段悪党です。

ヤフオクのマナー違反は見逃すことができても、国家権力の横暴は見逃すことはできません。刑事裁判よりも更にハードルの高い国賠審を私が戦うことを決めたことには、同じような犠牲者を出さないための願いがあります。

是非とも、私の国賠審にご注目して頂き、引き続きご支援の程をお願いします。

12/3/2014









ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事事件一般

2014/12/04 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

#検察なう (435) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(5) ~冤罪ライン④ 「DNA鑑定は信頼できるか」」 12/1/2014  

#検察なう (435) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(5) ~冤罪ライン④ 「DNA鑑定は信頼できるか」」 12/1/2014

DNA(型)鑑定は、科学捜査の手法として今日では一般的になっています。犯罪の立証には、「誰が、いつ、どこで、誰に対して、どのような行為をしたのか」ということを証拠で裏付ける必要がありますが、DNA鑑定により、「誰が」「どこで」という「現場存在証明」が可能となります。また採取された体組織の状態から、ある程度「いつ」ということの絞り込みも可能です。

このDNA鑑定はアメリカにおいては、非営利活動機関「イノセンス・プロジェクト」(注1)によって活用され、数多くの冤罪証明に役立っています。

しかし、我が国においてDNA鑑定が「無罪立証」のためにアメリカほどダイナミックに活用されてはいないようです。それは捜査機関と弁護側の圧倒的な経済格差、証拠収集力の差によるものと思われます。

森氏は「DNA鑑定の高度専門性」と題して、DNA鑑定が「有罪立証」に用いられる危険性の一端を示しています。

(以下、抜粋引用)
「現在は、DNA鑑定はかつてのような間違いはないと言われている。しかし、実際に鑑定に当たるごく一握りの専門家以外にそれを確かめ得る者はいない。「専門家鑑定の批判的検討」の必要性が言われることがあるが、DNA鑑定ほど、その言葉がむなしく響く場面はない。

現実には、われわれは、細胞核DNAの「二重らせん構造」を追体験することもできなければ、塩基対を分離するための電気泳動法を追試することもできない。最終的には、電気泳動法による塩基配列の繰り返し回数はコンピューターで読み取られているが、そのコンピューター・プログラムを検証することもできない。ここでは、専門家システムによる高度の社会的分業を認めるしかない。現実的には、そうするほかない。

しかし、他方では、裁判史を見ればわかるように、われわれは、DNA鑑定を絶対視することなどできない。裁く者は、鑑定が間違っているリスク(抽象的可能性)を常に念頭に置きながら、それでも鑑定を前提にせざるを得ないのである。結局、証拠としてのDNA鑑定には、そのような宿命的アンビバレンツがある。」

ここで「裁判史を見れば」という例として、超ド級冤罪で有名な足利事件と、隠れた超ド級冤罪の飯塚事件(注2)を森氏は挙げています。

そして、この指摘はDNA鑑定だけではなく、全ての科学捜査に当てはまることです。その例として著名事件で思い出されるのは和歌山毒物カレー事件です。林眞須美死刑囚の有罪立証の決定的証拠とされたのは、自宅から押収されたヒ素とカレーに混入されたヒ素が同一のものであったという科学鑑定でしたが、今日ではそれが否定されています(注3)。

また森氏は「DNA証拠限界」と題し、DNA鑑定は「閉鎖空間性や接触制限性が、その効力の前提となる」と論じます。被害者が不特定多数の人間と身体的接触を有し、現場が閉鎖空間ではなく、半開放空間である場合にはDNA鑑定が本来の効果を発揮しえない例として東電OL殺害事件を例に挙げています。

一審無罪判決を覆した控訴審での有罪の証拠とされたものの一つに、殺害現場に残されたコンドーム内に残留していた精液のDNA型が冤罪被害者のゴビンダ氏のものと一致したということがあります。これはDNA鑑定が「現場存在証明」として「誰が」「どこに」という有力な証拠となり得ながら、「いつ」という時間の絞りこみには不完全であることを示しています。

森氏は東電OL殺害事件の冤罪証明に、当時の鑑定技術では困難であった微量の体液のDNA鑑定が功を奏したと述べていますが、それは東電OL殺害事件の冤罪の原因を見誤ったものです。事件当時から、捜査当局はゴビンダ氏が犯人ではないと分かった上で、悪質な証拠隠しを行っていました。冤罪が晴れる契機となったのは「(血液型鑑定の)証拠の開示」です。ゴビンダ氏以外の犯人の存在を証明したとされるDNA鑑定はあくまでダメ押しであり、証拠隠しを隠蔽する捜査当局のメディア操作を森氏は(意図的でないのであれば)見落としています(注4)。

この章の最後では、森氏は「飛翔する市民裁判」と題し、科学捜査に対する市民による評価が、職業裁判官の常識を覆すこともあり得ることを論じています。先のDNA証拠限界により、「疑わしきは罰せず」と無罪判定となった例として、鹿児島高齢者夫婦強盗殺人事件(2009年)を挙げています。

この事件では、裁判員裁判として初の死刑求刑事件の無罪判決が出されました。その無罪判決の報道を私も驚きを持って接したことを覚えています。

この事件は高齢者夫婦が自宅で顔面をスコップで多数回(合計100回以上)殴りつけられて殺されていた事件で、犯人として起訴されたのは当時70歳の男性でした。

起訴された男性は被害者と面識がなく、一貫して犯行を否認していましたが、有罪立証の証拠とされたのは、侵入口と見られた網戸から体組織片が検出され、DNA鑑定の結果、被告人のDNA型と一致したことです。また、物色された部屋の整理ダンスの引き出しなど数か所から、被告人の指紋も検出されました。

しかし、裁判員裁判の結論は無罪。それは二重犯罪の可能性を認めたからです。殺害行為の様態から怨恨を思わせ、70歳の被告人では体力的にも無理があって、犯人像が合っていないとしました。また、殺害に用いられたスコップからは被告人の指紋や体組織片は発見されなかったことから、殺人に関する限り、被告人の関与は証明されていないと判じられました。

結局、被告人は、現に殺人が行われたのと近接した時間帯に現場に侵入し、物色行為もしていましたが、それとは異なる時刻において、別人によって殺人が行われた可能性があるということです。

森氏は述べます。
「この裁判員裁判の判断は、これまでの職業裁判官制度では、考えられない判決内容と言えるだろう。鹿児島の裁判員裁判は、まさに、これまでの治安維持の重しを突き破り、市民の新しい考え方を示したものと言える。」

元判事の森氏が、市民感覚=「疑わしきは罰せず」による無罪と、治安維持的考慮を対比していることは非常に重要な点だと私は読み解きました。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (146) 「イノセンス・プロジェクト」

(注2)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その3 「飯塚事件」

(注3)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その10 「和歌山毒物カレー事件」

(注4)
ここをクリック→ #検察なう (294) 「犯人血液型当てクイズ」

教養としての冤罪論

12/1/2014











ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー


表紙1




ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 冤罪事件に関して

2014/12/01 Mon. 00:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top