「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (466) 「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件を理解する決定版論稿」 4/30/2015 

#検察なう (466) 「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件を理解する決定版論稿」 4/30/2015

私の一審・控訴審の主任弁護人小松正和弁護士の論稿が『租税訴訟 No.8』に掲載されました。

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ここをクリック→ 『租税訴訟 No.8 租税公正基準』

題して「クレディ・スイス証券元部長にかかる所得税法違反無罪事件~ほ脱の故意をめぐる公正基準」。以下は論稿のリンクです。

ここをクリック→ 「クレディ・スイス証券元部長にかかる所得税法違反無罪事件~ほ脱の故意をめぐる公正基準」

本来、事件の全容を理解するためには、検察の主張として一審論告及び控訴審控訴趣意書、弁護側主張として一審最終弁論及び控訴審控訴答弁書、そして裁判所の判断として一審判決文及び控訴審判決文を並べる必要があります。

この論稿は、それら三者の主張・判断を並列に記載しているため、事件の全容をハンディに理解することが可能です。プロ向けの資料ではありますが、興味のある方は是非ご一読下さい。

今読んでも、控訴審で検察が展開した「高額の所得を稼ぐ者の方が金に細かい場合があるという経験則がある」という主張(p.18)は、結構笑えます。

判決(角田正紀裁判長)では、「(高額の報酬を得ている者が)自己の収入支出の細かいところまで神経を行き届かせ、これを隅々まで把握することになるか、あるいは逆に鷹揚に構えるかは個人の性格の問題に帰着するように思われる。」「(検察の主張は)逆の経験もあって結局どちらともいえない。」と一蹴されました。判決理由の読み上げで、傍聴人の失笑を買ったお粗末な検察の主張でした。

しかし今思えば、そのように傍聴人の失笑を買うような鼻クソのような主張でも、採用する裁判官がいると検察が知っていることに我々は震撼すべきなのかもしれません。常識外れの検察主張を、常識外れの裁判官が追認して、冤罪は作られるのだと思います。

あまり事件のテクニカルな部分には興味のない方も、是非、補論の「弁護活動に当たっての工夫」をお読み下さい。無実であれば無罪となるというのは幻想に過ぎず、当事者の苦労と更に重要なのは支援者のサポートであることがお分かりになって頂けると思います。

また、末尾に書かれた「当職の現時点の私見であるが」で始まる「注9」は、この論稿の一番おいしい部分ですので、これも是非お見逃しなく。小松弁護士の意見が最も反映したものであり、法曹関係者への苦言及びエールとなっています。

P.S.
今週発売の週刊『SPA!』に私の記事が掲載されています。記事のタイトルは「大企業を辞めた人の明暗」。是非、お手に取って下さい。

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ここをクリック→ 週刊『SPA!』 5/5・12号

4/30/2015












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2015/04/30 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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「死刑制度について考える (11) ~ 死刑は身体刑の例外となりえるのか」 

「死刑制度について考える (11) ~ 死刑は身体刑の例外となりえるのか」

法学の世界では、基本的な刑罰観は応報刑論です。そこでは、刑罰は罪の報いであるという「応報」の考え方が基本になっています。犯した罪の報いとして害悪を与える、それが刑罰であるという考え方です。

その応報刑論は二つの系統に分かれます。一つはカントに代表される絶対的応報刑論で、もう一方はアリストテレスの「配分的正義」の考えから発した、フォイエルバッハが提唱した相対的応報刑論です。

絶対的応報刑論は、「目には目を歯には歯を」というハンムラビ法典におけるタリオ(同害報復)を高く評価するものです。そこでは、「刑罰は悪に対する悪反動であり、動と反動は均衡していなければならず、いわば刑罰によって犯罪を相殺しようとする考え方です。

これに対して相対的応報刑論とは、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方です。そこでは、罪の大きさと罰の重さは比例関係でとらえられます。絶対的な均衡は要求されず、罪の重さと刑の重さが正しい対応関係で表されればよいとされます。要するにそこで要求されるのは、「より重い罪にはより重い罰を」という定式のみです。

この二つの系統のうち、前者の絶対的応報刑は近現代の刑法ではもはや成り立ちません。同害報復の考え方は、「人に傷を負わせたものは自分もそうされなければならない」ですが、傷害の罪に対しても、すべて自由刑(自由を剥奪する懲役刑や禁固刑など)をもって罰とするのが現代国家のならいです。

人に傷を負わせることと自由を制限することとは異質ですが、傷害の罪のみならず、偽造、放火、レイプ、強盗、窃盗、横領、詐欺、恐喝、器物破損、強制わいせつ、賭博、公務執行妨害、住居侵入、業務上過失致死傷など、さまざまな罪が自由刑で処断されます。経済犯であっても、経済的に補填するだけではなく、懲役刑を科されるというのは典型的な異質性と言えます。

つまり、「人を殺した者は死ななければならない」として、殺人についてだけ罪と罰の同質性を確保しようとするのは一貫性がないと言えます。殺人が究極の犯罪であれば、その刑罰は自由刑の究極である、未来永劫自由を剥奪する終身刑が相対的応報論的にはより整合性が高いと考えられます。

また、近代化の流れの中で、応報刑論は相対的応報に収束しましたが、それは同時に身体刑の廃止の歴史でもあります。近代先進国においては(イスラム国家の一部を除き)、四肢の切断や入れ墨、あるいは鞭打ちなどは行われなくなっています。

日本においては、身体刑は残酷な刑罰として憲法で禁止されています。

「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」(憲法第36条)

身体刑が禁止されていることは、「残酷である」ということ以上に、私は社会的コストが大きいためであり、また刑罰が人間的尊厳を損なわせることは前近代的であるという考え方によるものだと考えます。

身体を傷つけることで、生産力のない社会的負担を増やすことよりは、自由を制限しつつ使役を科し、安い労働力として活用することの方が社会における制度としてはよほど効率的です。そして、刑罰以外で身体が毀損している方への差別の問題も非常に重要なポイントとなります。

私は、刑罰の教育刑的な側面を評価する立場ですが、それは犯罪者であろうとも、最低限の人間的尊厳が保たれて初めて実現するものだと思います。盗みを犯した罪で手首を切り落とされた人が更生するでしょうか?私は大きな疑問を感じます。

死刑は、体を傷つけることなく執行することは不可能であるため、間違いなく身体刑です。日本では絞首刑が死刑の方法として採用されていますが、死刑が残酷でないというのは詭弁以外の何物でもありません。

身体刑を憲法で禁止していながら、なぜ死刑が同じ憲法で適法とされているのか。死刑存置派は、その論理的な理由付けを考える必要がありそうです。

参考資料
森炎氏著『死刑肯定論』(ちくま新書)












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2015/04/27 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『ソロモンの偽証』 成島出監督 

フィルム・レビュー 『ソロモンの偽証』 成島出監督

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映画『ソロモンの偽証』、午前に前篇を観て、午後に後篇を一気観賞。

前評判は、前篇はかなりの出来だが後篇でがっかりというもの。観賞して、果たしてそうではあったが(後篇の中だるみ感は相当)、最後はまとめた感じ。

原作は未読だが、これはミステリーというには全く謎解きの要素がない。前篇の最初から結論的なものは見えていて、予告にある「衝撃の真相」なるキャッチコピーはミスリーディング。

それでも、観客には高校生くらいとみられる人も多かったが(ん?学校どうした?)、ジュブナイルと片付けるには惜しいくらい人間は描かれていた。つまり、この作品はドラマとして観るべきで、ミステリーを期待すると期待はずれになる可能性大。

学友の死に対しなんら真実を追求しようとしない警察や学校のやり方に業を煮やして、学生が学校内裁判をするというのがこの作品のキモだが、残念ながらそれが「なぜ子供裁判に大人が真面目につきあうのか」という疑念と共に中だるみの原因となっている。

そして、映画のプロットとして最大の欠陥は、最初に死ぬ柏木卓也の生き様や背景が描ききれてないこと。それが映画の説得力に欠ける大きな要因となっている。原作は文庫本6冊という大部だけに、端折らざるを得ないのだろうが、重要な部分を端折っているように感じた。

主演の藤野涼子役を演じる藤野涼子(役名と芸名は同じなんだな)の演技が評価されているようだが、自分にはあまり感心できなかった。堅過ぎる。演技で評価できるのは浅井松子家族役の三人(ドランクドラゴンの塚地ほか2人)。彼らの演技には、思わず涙する場面もあった。

ということで、長尺の作品でもあり、劇場で観るのはどうかという感じで、ひまな週末にビデオで一気に観るでいいのでは。それもあまり期待しないで。

ここをクリック→ 『ソロモンの偽証』予告編

(Facebook 4/23/2015より転載)













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category: フィルム・レビュー

2015/04/27 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (465) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (9) あとがきより」 4/23/2015 

#検察なう (465) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (9) あとがきより」 4/23/2015

森炎氏の著書『教養としての冤罪論』をこれまで読み解いてきましたが、その最終回として、あとがきより以下の文章を引用したいと思います。

「本書は、新時代(「裁判員時代」)の市民裁判論を論じたものである。市民はいかにして重大刑事事件の裁判をやり通せるか、それを示すのが目的である。

裁判が終わった後のこと、結果が出された後のことについて論及するものではない。自ずから結果の是正論は別論として残る。結果としての冤罪は絶対的不正義であり、それは、どれだけ労力がかかろうとも、またどれだけ時間がかかろうとも是正されなければならない。たとえ何十年かかろうとも、やらなければならないことである。

だから、本書は、そのような意味の結果の是正論を軽視するものでは決してない。それどころか、本書の市民裁判論は、結果の是正論と対になるものである。両者が有効に機能しなければ、新しい司法は開けないだろう。

本書の中で、DNA鑑定や一般法医学鑑定、あるいはその他の科学的鑑定について、その高度の専門性のゆえに、裁判員はそれらを前提とせざるを得ないと述べた。が、これは専門的な科学的鑑定には誤りがないはずだとか、誤りがあってもやむを得ないなどということではない。現代社会が高度に専門化した分業化を受け入れざるを得ないとしても、誤りは当然是正されなければならない。しかし、それを市民裁判論の中でおこなおうとするのは無理である。それは結果の是正論としておこなうほかない。

言い換えれば、本書の市民裁判論は、結果の是正論を後ろに持つ。時系列において、その後には結果の是正論が控えていなければならない。それが、本書が描く、新しい司法の全体像である。」

「本書では、裁判の営為に対して、認識論を中心に、権力論、正義論を正しく配分することを試みた。権力論や正義論の固有の範囲が確定されないと、根本の認識論を妨げるおそれがあると考えたからである。

同じ裁判上の重要問題でも、死刑判断などは、認識論ではなく正義論の領域である。が、本書でテーマとした有罪・無罪の判断は、犯罪事実の有無の認識であり、本領は認識論である。だから、権力論や正義論は、それに必要な限度で、あるいは認識論の営為が限界に至ったところで、はじめて登場すべきものである。

以上の観点から、本書では、過剰な捜査批判などは無用であり、かえって有害でさえあるとした。

しかし、最後に、権力論として、どうしても強調せざるを得ないことがある。それは職業裁判官に対する権力批判である。」

「そもそも、冤罪で批判されるべきは職業裁判官である。冤罪を生み出した最終的な責任は、捜査機関ではなく職業裁判官にある。正しい認識論のためには、捜査批判は一定限度に制限されなければならないが、職業裁判官に対する権力批判は緩められてはならない。

捜査機関は、国家の治安確保上、犯罪捜査において真犯人を追いつめ、自白させる圧力を持たなければならないから、その権力性は無用の長物とは言えない。しかし、職業裁判官の権力性こそは無用の障害である。職業裁判官に対しては、無制限の徹底的な批判がおこなわれなければならない。そうすることで、裁判の認識論はそれだけ、本来あるべき認識に近づく。

だから、もし、そこが緩められるなら、今度は市民が冤罪を生み出した責任を「共犯者」として負わなければならないだろう。それが裁判制度であり、市民の司法参加の在り方なのである。」

「裁判員制度によって、これまでの刑事司法の終末が告げられ、新たな時代の裁判の幕が切って落とされたわけであるが、本書は、その来たるべき世界の眺望を一挙に見はるかし、市民に認識論的な啓示の到来をいざなう。言ってみれば、時代の波の高まる海鳴りと社会制度改革の遠雷が聞こえる中で、市民裁判の黙示録たることを期したものである。」

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ここをクリック→ #検察なう (404) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(1)」

ここをクリック→ #検察なう (421) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(2)~冤罪ライン① 「犯人と第一発見者はどうやって区別するか」」

ここをクリック→ #検察なう (430) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(3)~冤罪ライン② 「被害者家族が犯人とされる悲劇はなぜ起こる」」

ここをクリック→ #検察なう (434) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(4)~冤罪ライン③ 「毒殺のアポリア」」

ここをクリック→ #検察なう (435) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (5) ~冤罪ライン④ 「DNA鑑定は信頼できるか」」

ここをクリック→ #検察なう (446) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (6) ~冤罪ライン⑤ 「自白したから犯人と言えるか」」

ここをクリック→ #検察なう (449) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (7) ~冤罪ライン⑥ 「犯人の知人・友人が共犯者とされるとき」」

ここをクリック→ #検察なう (451) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (8) ~冤罪ライン⑦ 「第三者の証言の虚実をどう見抜くか」」

4/23/2015















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category: 刑事事件一般

2015/04/23 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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「死刑制度について考える(10)~死刑囚に反省を求めること」 

「死刑制度について考える(10)~死刑囚に反省を求めること」

犯罪者には自分の犯した罪の深さを思い知ってもらい、心からの真の反省を求めるのは普通の心持ちだと思います。犯罪者が人の心を取り戻すことは、犯罪者本人にとっては勿論よいことだと考えられ、社会に戻ってくる有期刑であれば、我々にとってもよいことだと言えます。

そう何気なく考えていた私は、先日読んだ青木理氏著の『絞首刑』の中に紹介された死刑囚の手紙を読んで、虚を衝かれたような気持ちになりました。

その死刑囚は、一人の男性を私怨により殺害、それを目撃した3人の女性を拉致して、一人を殺害、二人に重傷を負わせ、一審で死刑判決を受けました。一審公判で遺族に対し頭を下げたことを「死刑逃れのパフォーマンス」と検察官に非難されたことから、一切の反省を捨て、控訴も自ら取り下げ、死刑を確定させています。

一審で弁護人となった弁護士の言葉です。

「事件は凶悪そのものですが、それだけに初めて接見した時は、あまりに普通の青年なので本当に驚きました。反省していない、ということも決してありませんでしたね。彼は私に何度も『信じてもらえないかもしれないけれど、反省という言葉しかない』と繰り返し言っていましたから」

その死刑囚の手紙を一部抜粋します。

「俺の考えでは死刑執行しても遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。

俺個人の価値観からすれば死んだ方が楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。

死を覚悟している人からすれば死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、つらい生活から逃してくれるだけです。

だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。

死を受け入れる代わりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族のことを考えるのをやめました。

なんて奴だと思うでしょうが死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。

人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。」

青木氏は述べます。

「いかに納得し難くとも、いかに許し難くとも、その主張は死刑という究極の刑罰が孕む矛盾の一端を確実に抉っている。同時に、現在の刑事司法とそれを取り巻く社会やメディアへの本質的な疑義も突きつけている。

彼は当初、確かに贖罪と反省の芽を心の中に抱いていた。そんな彼が裁判を受ける中、事実をねじ曲げてでも「極刑ありき」に突き進むだけの刑事司法やメディア、社会への反発と憎悪をたぎらせ、ついには自ら控訴を取り下げて「反省などしない。遺族のことも考えない」と言い放つ心境に立ち至った。「どうせ殺されるのだから反省など意味がない」というのも、いわば剝き出しの“正論”である。この圧倒的な“正論”に、いったい誰が真正面から反駁を加えられるだろうか。」

罪を犯した者は自分の犯した罪の重さを思い知り、社会は深く反省し悔い改める者を赦すという方向性と、死刑制度とは真逆にあることだと理解させられます。もし反省をせず悔い改めることがないのであれば、そのまま監獄に閉じ込めておけばいいだけであるのに(終身刑や不定期刑(注))、なぜ死をもって反省の芽を摘み取る必要があるのか。

死刑制度を含めた刑罰の在り方を、いかに社会を構築していくかという観点から考える必要があるように考えます。

絞首刑

ここをクリック→ Amazon 青木理氏著『絞首刑』

(注)
不定期刑的な有期刑としてノルウェーの例
2011年7月22日に、ノルウェーの首都オスロ政府庁舎爆破事件とウスヤ島乱射事件が連続して発生した。政府庁舎爆破事件により8人、銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡しており、両事件で77人が死亡。両事件は極右思想を持つキリスト教原理主義者のアンネシュ・ブレイビク(当時32歳)が起こした連続テロであり、歴史上最大の短時間大量殺人とされる。ノルウェーでは死刑及び終身刑が廃止されているため、判決は禁固最低10年、最長21年が言い渡された。これはノルウェーでは最高刑である(「人道に対する罪」が適用されれば禁固30年。司法当局はブレイビク被告を人道に対する罪で起訴する方向であると報じられている)。そして被告に反社会的な要素があれば、刑の延長が認められる。ブレイビク被告の判決が下された後、Verdens Gang誌が実施したアンケートによると、ブレイビク被告は「一生自由の身とならないだろう」と確信しているノルウェー人が約62%もいたことがわかった。











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category: 死刑制度について考える

2015/04/20 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『JIMI:栄光への軌跡』 ジョン・リドリー監督 

フィルム・レビュー 『JIMI:栄光への軌跡』 ジョン・リドリー監督

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映画『JIMI: 栄光への軌跡』鑑賞。

期待が大きかっただけに残念な作品。

作品では、ジミ・ヘンドリックスがアメリカで見出されて渡英し、大成功を収めてアメリカに凱旋帰国して伝説のモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演する直前までの約2年間を描いている。

イギリスでの成功は、彼のコンサートには連日ビートルズやストーンズのメンバーが聴きに行ったし、モンタレー・ポップ・フェスティバルもポール・マッカートニーが、「ジミを出さないフェスティバルなどありえない」と熱心に推挙したほどだった。

ところが、映画ではその成功の演出が弱く、史上最高のギタリストとまで称えるところまで描き切っていない印象を受けた。その理由は、モンタレー・ポップ・フェスティバルでも演奏された『Foxy Lady』や『Purple Haze』といった曲が映画では登場しないからである(ハイライトは、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド』発売2日後にビートルズがコンサートに来ることを知っていてカバーした『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド』をコンサートで演奏するシーン)。

映画を観終わって調べてみると、彼のオリジナル曲はヘンドリックス遺産管理団体の意向によりこうした作品では使えないと知った。そうした大ヒット曲が全く登場せず、カバー曲ばかりが演奏されるのでは、やはり印象が弱くなっても仕方ない。

それでも彼の独特な演奏スタイルは映像からも伝わってくる。演じているのはアウトキャストのアンドレ・3000。この映画を撮るために、右利き用のギターを逆さまにして左利きで演奏するあのジミ・ヘンドリックスのスタイルを毎日8時間数ヵ月練習したとされる。その演奏シーンが印象として少ないのも、オリジナル曲を使えないためだと思われる。

彼と2人の女性(彼を見出したキース・リチャーズの恋人リンダ・キース、イギリスに渡った後恋人だったキャシー・エッチンガム)の関係も大きなテーマではあるが、ロック・スターと女性との関係が取り立てて深い共感を呼ぶものであるはずもなく、もっと抑えた演出の方がよかったのではないだろうか。

トリヴィア的事実のいくつかは「へええ」と興味深いものもあったが(例えば、リンダ・キースが最初にジミ・ヘンドリックスと会った時、彼は自分のギターを買うお金もなく、リンダがキース・リチャーズが使っていたストラトキャスターをプレゼントした、とか。これは有名な逸話らしいが、真偽のほどは不明)、やはり観客は「人間ジミ・ヘンドリックス」よりも「ミュージシャン・ジミ・ヘンドリックス」に興味があるのではないだろうか。

ということで、期待をして行くと空振りに終わるケースなので、ジミ・ヘンドリックス・ファンの方は是非期待せずに観ることをお勧めする。

ここをクリック→ 『JIMI:栄光への軌跡』予告編

(Facebook 4/16/2015より転載)














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category: フィルム・レビュー

2015/04/19 Sun. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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冤罪ファイル その13 「恵庭OL殺人事件」 

冤罪ファイル その13 「恵庭OL殺人事件」

この事件は、当時29歳の普通のOLが、三角関係を動機とした殺人犯とされ、彼女が相手女性にかけた無言電話をその殺意の証拠として懲役16年の刑を受け、2000年5月の逮捕以来現在も収監中のあまりに不運な冤罪事件です。

被告人自ら、いくつかの重要な事実を公判直前まで弁護人にも隠していたことが裁判官の心証を悪くし、杜撰な事実認定を招きます(そしてその杜撰さは常識外れです)。更に由々しいことは、警察の初動ミスと検察による悪質な証拠隠しが冤罪の重大な原因となっていることです。

警察の初動ミスは、被告人を決め打ちにして捜査対象を早くに絞り過ぎたため、真犯人を探す努力を当初から放棄したことです。有罪判決となった一審において検察によって隠蔽された証拠のいくつかは、その後控訴審あるいは再審請求審で開示されたものの時すでに遅く、控訴審でも有罪が覆ることなく、再審請求審も棄却されてしまいました。それら証拠は被告人のアリバイを証明するものであるため、一審段階で開示されていれば、無罪の可能性は非常に高かったと感じます。

判決における事実認定は、次の通りです。

「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪容れずに抱えて車両外に下ろし、きわめて短時間のうちに、そしてわずか10Lの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』より)

その事実認定を評して、元裁判官の法学者瀬木比呂志氏は以下のように述べています。
「再審請求棄却決定の後、報道をみると、種々不審な点があり、学者の同僚たちからも同様の意見を聴いたので、つてを頼って決定のコピーを至急取り寄せ、関連の書物や記事等についても読んでみた。その結果は、唖然とするようなものだった。

民事系の裁判官であった私の民事訴訟における感覚からしても、検察が証明責任を果たしているとは思えない。まして、これは、民事よりも証明度のハードルが高い刑事訴訟なのである。しかし、この事件に携わってきたすべての裁判官たちは、そのような不十分な立証によって有罪を認めてきたのだ。

「本当にこの証拠で有罪にしたのか?また、再審開始もできないというのか?刑事裁判というのは、一体どういうことになっているのだろうか?」

それが私の正直な感想であった。」
(瀬木比呂志『ニッポンの裁判』より)

この事件の一審からの主任弁護人である伊東秀子弁護士は、上告棄却により刑が確定後、6年を経て『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』を上梓しています。

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ここをクリック→ Amazon 『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』

<事件経緯>
2000年3月17日午前8時過ぎ、北海道恵庭市郊外の人気のない農道で、幼稚園の送迎バス運転手が、走行中に路肩に黒っぽいものがあるのを見つけた。運転手の女性は園児を出迎えた主婦に確認を依頼し、主婦が車で現場を見に行くと、それは人間の焼死体であることがわかった。

仰向けの遺体は、タオルのようなもので目隠しされており、右腕は「くの字」に曲げ背中の下にあった。全身の表面から内臓まで完全に炭化しており、特に頸部と陰部の炭化がひどかった。男女の区別も難しい無残な状態だったが、胸部周辺にブラジャーのワイヤーのような残焼物が確認され、女性だと推測された。股関節は左右に開脚した状態だった。死因は頸部圧迫による窒息死。絞殺後に焼かれたものと見られた。

まもなく遺体は、前夜に同僚と一緒に退社したまま行方がわからなくなっていた千歳市のキリンビール工場敷地内にある日本通運事業所に勤務するOL橋向香さん(当時24歳)とわかった。橋向さんは当時、自宅から勤務先まで約30分の道のりを車(三菱パジェロ・ジュニア)で通勤していたが、職場の同僚たちによると、行方が途絶えた16日は夜9時30分頃に残業を終え、事業所をあとにしていた。

一方、事業所から約20km離れた遺体発見現場周辺の捜査では、この日の夜11時過ぎに炎が上がっていたと複数の住民が証言。つまり被害者は夜9時30分頃に会社を出た後、2時間もしないうちに殺害され、死体に火を放たれていたのである。

死体の身元判明後、橋向さんの周辺への捜査が慌ただしく進められる中、ほどなく警察の疑いの目は一人の女性に集約される。それが、同じ事業所で橋向さんと一緒に働いていた先輩OLの大越美奈子さん(当時29歳)だった。彼女が浮上したのは、同僚の証言から、橋向さんと同じ会社に勤める男性との間の三角関係が明らかにされたからだった。

4月に入って、道警は大越さんを任意聴取。否認を続ける大越さんに対する警察での取調べは過酷を極め、大越さんは取調べ中に失神し、医師の診断で入院を余儀なくされるほどだった。1ヵ月の入院の退院翌日、大越さんは殺人と死体損壊、遺棄の容疑で逮捕された。

ここをクリック→ 犯行現場(「恵庭市北島39番地(先市道南8号路上)」逮捕状より)のGoogle Mapsストリートビュー

<裁判経緯>
2000年10月  逮捕から5カ月後、札幌地方裁判所にて初公判(佐藤学裁判長)
2001年2月   接見禁止が一部解除され、約9ヶ月ぶりに家族と面会が許される 
2002年4月   第35回公判 遠藤和正裁判長に代わり、更新手続きが行われた
2002年9月   約2年4ヵ月ぶりに接見禁止が解除される
2003年3月   第46回公判において有罪判決、遠藤裁判長は懲役16年を言い渡す
2004年5月   控訴審初公判(長島孝太郎裁判長) 
2005年9月   控訴審第13回公判において、長島裁判長は控訴棄却
2006年9月   最高裁(島田仁郎裁判長)は上告を棄却
2006年10月  弁護側異議申立が棄却され、一審判決の懲役16年が確定
2012年10月  再審請求    
2014年4月   札幌地裁(加藤学裁判長)は再審請求を棄却

一審、控訴審での公判には毎回多数の支援者が傍聴し、その模様をブログで克明に報告したことに検察は相当神経質になっていたようです。被告人となった大越さんを必死で支えようとする支援者の思いが痛烈に伝わってくる毎公判の傍聴記です。検察も、仕事とはいえ冤罪製造犯とされ複雑な思いだったことだと思います。

<争点>
この事件においては、要証事実を直接立証する証拠はありませんが、間接事実を証明する間接証拠(情況証拠)は多々あるとされます。逮捕後、マスコミのリーク報道が過熱する中で、道警本部の捜査課長は「証拠は山ほどある。どの証拠も彼女の方を向いている。すべての証拠は真っ黒けのけだ」と言ってのけました。

しかし、その「真っ黒けのけ」の間接証拠は、公判がすすむにつれ、「被告人が犯人でなくても合理的に説明できるものであり、それだけでは犯人の可能性があると言えるに留まる」ものであると明らかにされていきます。しかし、偏見を持った裁判官の心証を変えることはできず、推論に推論を重ねた上での有罪判決がなされ、それが上級審で覆ることはありませんでした。

冒頭に「被告人自ら、いくつかの重要な事実を公判直前まで弁護人にも隠していた」と述べましたが、多くの間接証拠の中でも、特に重要と思われるものが、被告人が隠していたとされる、被害者に無言電話をかけていた事実と事件前日に購入した10Lの灯油を巡る経緯です。

その前に、動機とされた大越さんと被害者橋向さんそして会社同僚の男性の「三角関係」を述べると、それは以下のようなものでした。

大越さんは会社同僚の男性と1998年の9月頃から交際を始め、週末は大体二人で過ごすほどの仲でした。ところが、交際を始めて一年余り経った1999年暮れ頃から二人の気持ちに微妙なズレが出始め、デートの度に大越さんの仕事の仕方に男性が文句を言うことが多くなりました。そして2000年2月27日、大越さんの言葉に激昂した男性が、口論の末に「あんたとは結婚する妥協点が見つからないんだよね」と別れ話めいた言葉を投げつけました。そのような状況の中、男性は3月4日に橋向さんと用事があって二人で会ったことをきっかけに好意を抱き、3月11日に橋向さんに交際を申し入れ、彼女からイエスの即答を得ています。事件はその5日後に起きました。

捜査当局が、事業所の同僚に犯人を絞り込んだ理由は、被害者の携帯電話が彼女の死後の時間においても数回発信され、それが事件翌日に会社の女子休憩室の被害者ロッカー内の上着の胸ポケットから発見されたことによります。そして、道警が電話会社の被害者の通話記録を捜査した結果、着信記録に大越さんからの携帯電話から多数回着信している事実が判明しました。

その回数は、12日21回、13日128回、14日54回、15日13回、16日4回の合計220回、そして16日の事件のあった時間以降は途絶えていました。検察の主張は、この無言電話こそが大越さんの殺意を立証する証拠だというものでした。

更に大越さんは、社宅を明け渡さなければならなかったため、荷物の片づけの際の暖房用に10Lポリタンク入り灯油を事件の前日に購入していました。しかし、事件後の3月末に職場のドライバーから「警察がお前の写真を持って灯油を買ったガソリンスタンドを探し歩いている。お前が犯人なのか?」と言われ、動転して、事件の前夜に購入し車のトランクに入れっぱなしにしていた10Lの灯油をとっさに捨てようと思い立ち、会社の帰り道道路脇の草むらにタンクごと捨てました。その後冷静になってから10Lの灯油があることは自分の無実を証明することに気づき、4月1日頃、別の店で10Lの灯油を買い直し、それを社宅に置いていました。

なぜ彼女はそもそも、灯油を使っていないことが無実の証拠であると最初から思わなかったのか。また買い換えるのではなく、なぜ捨てたそのポリタンクの灯油を探そうとしなかったのか。そうした疑問に合理的に答えられないのは、最初に買った10Lの灯油が遺体の焼却に用いられたからだ、というのが検察の主張でした。

このように積極証拠だけ見ると、確かに怪しいと思えるものです。しかし、これらの事実関係ですら無実の証拠であるとさえ言えると私は考えます。

まず無言電話に関して。無言電話の220回という回数は、実際には大越さんの発信の回数であり、回線がつながった、あるいはその後橋向さんが電話を取った回数はずっと少ないものでした。着信記録を精査すると220回のうち、コールされる前に切ったのが100回、コールされたけれども相手が受話器を取る前に切ったのが82回で、橋向さんが実際に取った回数は38回でした。もし無言電話が、検察の主張するように殺意につながったという嫌がらせ目的であるならば、相手が受話器を取らなければその目的は達成できないはずです。一見異常な回数とも思えた無言電話も、恋人を失うかもしれないという女性の不安がさせたものであり相手を傷つける意図はなかったと考えることができます(大越さん本人も一審の被告人質問で「自分でも説明しようがない不安定な精神状態だった」と説明しています)。そして更に重要なことは、これだけの無言電話を受信した携帯電話を犯行後に、わざわざ女子休憩室の橋向さんの上着ポケットに戻すということは、大越さんが犯人であれば不合理極まりないと言えます。

10Lの灯油に関しては更に明快です。検察の主張は、10Lの灯油をざばざばっとかけて火をつけ、直ちにその場を立ち去ったとなっています。私は、冬の間は灯油ストーブを使っており、その灯油ストーブのタンク容量が9Lであるため、10Lがどれくらいの量かのイメージははっきりあります。その程度の量の灯油をざばざばっとかけて(相当量がこぼれると思われます)火をつけたところで、内臓まで炭化するほど遺体が燃焼するというのはあまりにも常識外れだと言えます。

豚を人体に近い状態にして灯油で燃やした燃焼実験の報告書と鑑定意見書は、再審請求の際の弁護側「新証拠」の大きな目玉でした。実験を行ったのは、弘前大学大学院理工学研究科熱工学の伊藤昭彦教授でした。再審開始決定の出た東住吉放火殺人事件が本当は火災事故だったことを実験で裏付け、再審開始に寄与した鑑定人です。その鑑定結果は、「灯油で被害者の遺体のように内臓が炭化するまで燃焼させるのに必要な灯油の量は54Lであり、しかも、その量の灯油を何度も何度もひしゃくなどでかけながら2時間かけて燃やさないと不可能」というものでした。再審請求棄却は、この科学的事実を裁判所が無視したものです。

そのほかの証拠の中で、最も重要なものは大越さんのアリバイに関するものです。大越さんにはアリバイがありましたが、その証拠が最終的に揃ったのは再審請求審での開示によるものです。一審、控訴審においては、検察はそれら重要な証拠を隠蔽していました。

大越さんの事件当時のアリバイを検証します。

事件当日、退社時からの大越さんの行動は以下の通りです。

「午後9時30分過ぎに、橋向さんと連れだって退社し、駐車場の前で別れた。車で10分の大型書店で、本の立ち読みをしたり、文房具を見たりした後、何も買わずに店を出た。11時半頃、ガソリンスタンドに寄り1000円分給油して帰宅。冷蔵庫に刺身があったのでビールが飲みたくなり、自宅向かいのローソンへ買物に行った。2時から3時の間に就寝。」

大型書店では彼女は(不運にも)何も買い物をしなかったため、彼女が犯行時間にそこにいたことを立証することはできませんでした。弁護団は目撃者を捜しましたが、数ヶ月前のある特定の日のただの買い物客を知り合いでもない他人が覚えているわけもありません。

犯行当日、遺体を焼却する炎を近隣住人が目撃していました。それが午後11時「過ぎ」。ガソリンスタンドで大越さんが給油したのは11時「半頃」。この30分内外に移動できるかどうかが大越さんのアリバイにつながります。

まず、現場からガソリンスタンドまでの道のりをNavitimeで検索してみると、距離は13.8km、時間は25分となります。この時間は弁護団による走行テスト(23~25分)と一致するものです。Navitimeは法定速度を目安にしています。3月の北海道の街灯もない農道を、しかも事故や違反に注意して慎重に走行したことを考えれば、法定速度を大幅に上回る速度で走ることは現実的ではないと考えられます。つまり、犯行時間が11時であり、大越さんがガソリンスタンドで給油したのが11時30分であれば、アリバイは成立しないことになります。

ここをクリック→ Navitime 犯行現場~ ガソリンキング恵庭店(恵庭市住吉町2-15-15)

犯行時間及び大越さんがガソリンスタンドで給油した時間を精査します。

5月21日付の逮捕状には、犯人が死体に火を放った時間は「午後11時15分頃」と明記されていました。ところが、6月13日付の起訴状では、「午後11時頃」と突然15分早まっていました。この15分の変遷の結果、大越さんにはアリバイがないと判決では認定されました。捜査段階からの犯行時間の変遷経緯を見ていきます。

道警は事件の翌日の3月17日、事件の犯行時間を特定する炎を目撃したとする証言を近隣住人の少なくとも3人から得ていました。しかし、その中の一人の供述は、検察官ストーリーに合わない事実(後述)を含んでいたため闇に葬られました。逮捕状段階では二人の証言を基に犯行時間を「午後11時15分頃」としました。

その二人の調書で一審において当初開示されたのは、証人Aに関しては4月6日付の員面調書(警察官調書)と5月4日付の検面調書(検察官調書)、証人Bに関して起訴二日前の6月11日付の検面調書のみでした。必ずあるはずの彼ら両名の事件直後の員面調書、及び証人Bの4月6日ないし5月4日頃の検面調書は、検察の強硬な反対により開示されることはありませんでした。

この3通の調書の犯行時間に関する記述を抜き出すと、4月6日付証人A調書「午後11時00分頃から午後11時15分頃までの間」、5月4日付証人A調書「午後11時か少し過ぎた午後11時15分までの間」、6月11日付証人B調書「午後11時10分ないし15分頃」です。

開示された証人Aの調書における証言では、炎の目撃時間に15分の幅を持たせてありますが、この調書は警察のガソリンスタンド捜索(後述)の後に作られたものであるため、開示されていない3月17日頃の事件直後の員面調書では、証人Bと同じくもっと幅が狭く、しかも11時15分により近いという可能性は十分にあると疑われます。

逮捕状記載の「午後11時15分頃」という犯行時間はこの二人の証言の合致している時間帯を取ったものです。

その後の捜査で明らかになったのは、大越さんのガソリンスタンドでの給油時間でした。道警は大越さんの車両を差し押さえ、その車内から「ガソリンキング恵庭店」の「午後11時36分」と刻印された伝票を見つけ、ガソリンキング恵庭店を捜査しました。その際、大越さんの車が店内に入った時の映像がビデオにあることが判り、そのビデオにより大越さんが入店した正確な時刻は「午後11時30分43秒」であることが判明しました。

しかし、現場からガソリンキングまでは25分程度かかることから、11時15分頃火をはなったとしたら、大越さんのアリバイが成立してしまいます。そこで検察は「午後11時頃」と犯行時間を早めざるを得なくなったものです。

正確な時刻の記載されたビデオテープとその押収経過及び正確な時刻の割出しを記載した捜査報告書の存在は検察官により隠され、控訴審まで開示されることはありませんでした。検察官はこうした証拠隠しをする一方で、起訴状の犯行時間を「午後11時頃」に変更し、変更後の犯行時間を立証させるために証人Aを公判に証人として出頭させ、捜査段階の供述を変えさせました。

事件直後の記憶がより鮮明な時期の「11時を少し過ぎていたが11時15分頃までの時間」という証言が、公判では「取調べ段階では流動的な幅があった方が間違いないだろうと考えて幅を持たせて供述した」という言葉に変わり、結局、「11時から11時05分まで」に変わったものです。

一審で認定された犯行時間は、この証人Aの公判での証言に基づき「午後11時頃」とされました。大越さん及び弁護団にとって不幸であったのは、ガソリンスタンド入店時間の「午後11時30分43秒」という証拠が隠蔽されたため、その15分の変遷が一審段階ではアリバイの成立に決定的だと知り得なかったことです(入店が午後11時36分であれば、午後11時15分からでも間に合う可能性はあると考えられる)。伊東秀子主任弁護人の著書においても、「今となっては証人Aに対する反対尋問でつっ込みが足りなかったことが悔やまれる」と書かれています。

そして再審請求審で開示された証拠により、犯行時間はやはり11時15分頃であったことが裏付けられました。その開示された証拠とは証人Bの事件直後(3月17日付)の調書でした。一審の段階で開示されていた調書(6月11日付)では、炎を見た時間を「午後11時10分ないし15分頃」としながらも、「時計が若干進んでいたので、定かではありません」という信用性を削ぐ言葉が挿入されていました。

3月17日付証人B調書より
「3月16日午後11時15分頃、焼死体が発見された付近で炎が上がっているのを見たわけです。この時間をなぜ覚えているかというと、私は午後11時から犬の散歩を行うのを日課としており、昨夜も午後11時頃の天気予報のテレビを見て、雪の状態を確認し、さらに、家から出る時、家の壁時計により時間を確認しているためです。」

検察の証拠隠しはこれに留まりません。近隣住人の3人目の証言があることが分かったのは、一審公判も20回を越えた頃でした。伊東弁護士の事務所に一本の電話が入りました。電話の内容は、事件現場近隣に住む女性が事件の夜、現場近くに停車していた2台の車を見ており、そのことを警察にも話して調書も取ったのに、裁判で若い女性一人が犯人にされているのはおかしいというものでした。

この証拠価値としては最大級の事実を公判で証言してもらうよう、弁護団はその3人目の証人を説得します。彼女は真犯人の報復を怖れるあまり、証言を相当の間拒んでいました(即ちこの証人は、ほかに真犯人がいることを確信していたことを意味します)。またこの証人が事件直後に供述した員面調書の開示に検察は猛烈に反対しましたが、裁判官の決定により証拠採用されることとなりました。

3月17日付証人C調書より
「私の娘が札幌市内の新札幌にある会社に勤務している関係で、毎日の朝夕、私は毎日北広島駅まで車で送り迎えをしています。昨日も娘が仕事を終えてから「午後11時04分の電車に乗るから」と午後10時45分頃電話が入ったのでした。新札幌駅から北広島駅までは約8分かかり、私の自宅から北広島駅までは車で10分弱で行けるので、午後11時04分頃の時計の時刻を確認し、戸締りをして、私は家から車を運転して北広島駅に向かいました。いつも、自宅を出て南八号線を直進して最初の交差点を右折して西八線通りを走るのですが、交差点を右折する時南八号線通り上に2台の車が停車していたのが目に入ったのです。こんな時間に車が停まっている場所でないので私は交通事故か何かかなと思いました。」

駅に行く時点で2台の車を目撃していますが、その時間は午後11時5分頃であり、この時点では炎は見ていません。この女性が炎を見るのは帰りの道すがらでした。

証人Cの公判供述より
「娘の乗った汽車は午後11時13分にJR北広島駅に到着したため、私は娘を車に乗せて北広島駅から自宅に向かったが、自宅の直ぐ近くの交差点を左折するため右方を確認した時、2台の車は以前の場所より200m位前に進んだ位置にまだ止まっており、普通車の方(注:証人Cが見た2台は「1台が乗用車、もう1台がワゴン車」と供述していた)の屋根越しにパトカーのような「赤い光」が見えた。時間は午後11時20分過ぎと思う。」

この「赤い光」とは炎以外の何ものでもなく、そして火が放たれた時間は11時05分頃ではなく11時15分以降でなければならないことになります。大越さんにはやはりアリバイが成立することになり、更に複数の犯人像が浮かび上がります。

もし証人Cの存在を弁護団が知らないままであったなら、事件当夜2台の車が現場近くに停車していた事実は闇に葬られたままとなり、検察官の証拠隠しは完遂したと思われます。ガソリンキングのビデオテープと同じように「2台の車を見た」という証言は、大越さんによる単独犯行説に立つ検察にとって最も邪魔な証拠でした。

検察はこの証言の信用性を否定しましたが、一審裁判体はさすがに「2台の車を見た」という証言の信用性自体を否定しなかったものの、奇妙奇天烈な理由を述べて有罪判決を下しました。それは証人Cが炎を見たのは、往路と復路を混同しており、「2台の車」に関しては「犯人が着火後、その場に留まることは不自然で、犯人は速やかに逃亡したが、その後第三者がゴミ焼き等による炎上として単に傍観していたものと推認できる」としました。どこの酔狂が3月の北海道の寒空で、ゴミが焼かれているのを20分も見ているというのでしょうか。しかも、その見物人は死体が焼かれていることを気付かずにいたというのです。そしてもし傍観者であったのなら、大々的に事件が報道される中で通報してもよさそうなものです。「どうしてここまで無理を重ねて有罪判決を下す必要があったのか、全く不可解である」と伊東弁護士は著書で書いていますが、全くその通りだと思います。

また大越さん以外の人物が真犯人であると私が考える証拠は、ほかにも存在しています。それは大越さんの任意同行の4月14日の翌日、大越さんの自宅から3.6km離れた地点で、被害者の遺品(車のキー、眼鏡ケース、財布等)の残焼物が見つかったことです。

検察の主張は、これも大越さんの証拠隠滅工作だというものでした。検察は公判で警察官4人を証人申請し、彼らに「一晩中駐車場付近に車を停車させて一時間毎に大越の車を見に行っただけで、他の出入り口を見てはいないから、住宅の出入り口は3ヶ所あって一時間毎の見張りの合間に大越が警察官のいない別の出入り口から出て遺品を焼きに行くことは可能であった」と証言させています。

事件後から昼夜を問わず警察官による尾行、張込みやマスメディアの取材陣もいる衆人環視の中で、もし彼女が真犯人だとすれば見つかれば犯人であることがばれるというリスクを冒して、どうすれば遺品を焼きに行けるというのでしょうか。3.6kmの距離を、灯油を運んでの往復を取調べで疲れ切った大越さんが夜中に成し得たとは到底思えないものです。

<論評>
伊東秀子弁護士著『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』に収録された白取祐司北海道大学教授の「いびつな証拠構造」と題する寄稿から引用します。

(以下引用)
恵庭事件判決もそうだが、情況証拠のみによる事実認定の危険性については、これまでもしばしば指摘されてきた。1973年12月13日の最高裁判決は、情況証拠による事実認定をする際の注意則として、もっぱら情況証拠による間接事実から推論して事実認定を行う場合、「反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの『犯罪の証明は十分』であるという革新的な判断に基づくものでなければならない」と判示していた。下級審判例でも、本来多面性をもつ情況証拠を、「有罪認定に都合の良い可能性を持つ一例でも、本来多面性を持つ一面を選り出して、これらを重層的に重ね合わせ、その上で、これだけ多くの事実がすべて集まるのは偶然ではない」との主張には説得力がない、なぜなら、「有罪認定をするには都合の悪い、いわば消極的可能性を持つ他の一面や、有罪認定とは矛盾する可能性が高い情況証拠をも正当に評価する視点」が十分ではないからである、とされてきた。

恵庭事件の二審有罪判決が最高裁によって棄却され確定したのは、2006年9月のことだが、その後現在までの間に、情況証拠による事実認定に関して、2007年と2010年に二つの最高裁判例がだされている。2007年の最高裁決定は、「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である。そして、このことは、直接証拠によって事実認定をすべき場合と、情況証拠によって事実認定をすべき場合とで、何ら異なるところはないというべきである。」と判示するにいたり、情況証拠による事実認定だからといって証明の程度に差異はないことを明らかにした。さらに、2010年最高裁判例は、2007年決定を引用しつつ、「情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」との注目すべき判示をした。最高裁も、証拠価値の乏しい情況証拠を束ねて安易に有罪を導くことに警鐘を鳴らしているのである。
(引用以上)

つまり、「情況証拠からすれば、被告人が犯人であることは合理的である」だけでは立証たりえず、「情況証拠からすれば、被告人が犯人でなければ不合理である」ことが言えないといけないということです。被告人以外の犯行(あるいは、このケースではありませんが、事件そのものが事故であり犯人はいない)という可能性があれば、合理的な疑いを入れる余地があり、無罪を言い渡さなければならないと最高裁は判じています。

この事件で弁護側の取った訴訟戦略は、アナザ―ストーリーの提示でした。「犯行時間の犯行現場における2台の車の目撃証言」「開脚した状態で陰部の焼失が激しい遺体の状況」などの情況証拠から、犯人は複数の男性による性犯罪だと公判で主張しました。

検察の主張する大越さん単独犯説と弁護側の主張する男性複数犯説は二者択一的関係にはなく、後者が否定されたからといって前者が認定されることにはなりません。弁護側の主張の目的は、ほかの可能性もありうるというグレーの領域に持ち込むことであり、それは有効だと言えます。

この事件を俯瞰して、一番ひっかかるのは「なぜ死体を焼かなければならなかったか」ということです。しかも、人気のない広大な農地の真っただ中とはいえ、民家から数百メートルの場所で実際に(少なくとも)3人の目撃者がいたような場所です。

当然、一番高い可能性は「証拠の隠滅」ですが、顔の損傷は比較的ひどくなかったことから、いわゆる被害者の身元を隠すわけでもなく、犯罪そのものを隠蔽するならもっと人が踏み込まない場所に遺棄する方がはるかに簡単です。それは何か特定の事柄を隠蔽しようとしたと考えられ、やはり弁護側の主張する性犯罪という説はかなり説得力がある主張と私は感じました。精液及び酸性フォスファターゼが検出されなかったことをもって、科捜研は姦淫の形跡はなかったと結論づけていますが、なぜコンドームの使用の可能性を排除しているのか、非常に恣意的な鑑定だと感じます。

この事件においては、あるべき証拠が全く存在していません。それらは、犯行現場における大越さんの足跡、大越さんの車のタイヤ痕、殺害が行われたとされた大越さんの車の中から橋向さんの指紋、血痕、尿、毛髪といった残留物、橋向さんの携帯電話に残された大越さんの指紋といったものです。まさに証拠は「ないない尽くし」と言えます。

そしてそうした物証が著しく乏しい事件において、警察の後日の家宅捜査で重要と思われる物証が突如見つかることはこれまでも繰り返されてきました。袴田事件のズボンの端切れしかり、狭山事件の鴨居の万年筆しかり。

この事件においても、4月14日の大越さんの任意同行時に彼女の車(日産マーチ)が押収されていますが、そのグローブボックスの中から、橋向さんの会社ロッカーキーが見つかっています。検察の主張は、大越さんが橋向さんを殺害前ないし殺害後にグローブボックスの中に橋向さんのバッグをグローブボックスに入れ、その中からなぜかロッカーキーだけが落ちた(残りの物は自宅近くで焼いた)というものです。

弁護団はこれを警察の捏造であると主張しました。捜査当局の捏造を立証するのはハードルが高いので、敢えてここではそれを評価しませんが、このロッカーキーもむしろ大越さんが犯人でない証拠と考えられると思っています。

まず検察の主張は、橋向さんのバッグが大越さんの車のグローブボックスに入りきるサイズではなかったという時点で既に破綻しています。そして会社の女子職員は(また一部の男性職員も)、みんな誰もロッカーに鍵をかけないことを知っていました。橋向さんのロッカーキーは、彼女のロッカーの中の扉の受け皿に置かれていたことも証言されています。

三角関係にあったとされる会社同僚男性の控訴審公判における証言です。
弁護人 「橋向さんのロッカーには鍵がかかっていましたか」
男性  「いや、掛っていません」
検察官 「異議。これは正式な異議です。要はロッカーの関係のことを正に弁護人はお尋ねしようとしているわけでしょう、質問は」
裁判長 「もうロッカーの点はやめてください。いずれにしてもロッカーはやめてください。どうぞ」
弁護人 「残業時間をカレンダーに書いて貼ってあると、それをあなたは残業手当を付けるのに参考までに見に行ったとういことですか」
男性  「はい、そうです。係長から依頼されて見に行って、開けてということですね」
弁護人 「他人のロッカーをそういうふうに開けられたということですね」
男性  「私は開けました」
弁護人 「そのときに、何か見ましたか、ほかに」
男性  「開けて鏡の下にカレンダーがついていたんですね。その鏡の受け皿のところにロッカーの鍵とかがありましたけど」
弁護人 「ロッカーの鍵があったんですか」
男性  「はい」
検察官 「異議。もう明らかに、あまりにもひどいですよ」
裁判長 「最後のロッカーの鍵の点は削除します」

そのロッカーキーには、前任者のお守りの鈴がついていました。私も実家に帰って家の車を運転するのですが、その鍵に鈴がついていて、いつも持ち歩く時に鬱陶しいなと思っているので、女性が他人のつけたお守りの鈴をそのままつけたまま持ち歩くというのは、私には到底考えられません。つまりこのロッカーキーは、女子職員がロッカーに鍵をかけないことを知らない外部の人間が大越さんに罪を着せようと、ロッカーの中から取り出して、大越さんの車のグローブボックスに入れたと考えた方がより合理的に思えます(それを難なくできるのが警察であるというのが弁護側の主張です)。

さらにアナザ―ストーリーを補強する事実を提示します。そして、それは警察の捜査の杜撰さを表すものです。

警察は、被害者の携帯電話が会社のロッカーから発見されたことから、会社内部の犯行だと見込みました。その端緒は無理のないものですが、更に無言電話の事実から大越さんに犯人を絞り込むという事件二日後に組み立てたストーリーに固執したところが大きなミスだったと言えます。

会社内部の人間で大越さん以外に犯人の可能性がないかというアリバイ調査を実施したのは、事件から80日以上経過した、大越さんが起訴される直前の6月9日のことでした。

警察が捜査対象にした従業員は51人。検察官はこの取ってつけたようなアリバイ捜査の結果、「51人全員にアリバイがあった」と証明されたと主張しますが、4人は本人の証言だけでアリバイを認めており、刑事訴訟法上アリバイが成立するとは見なされない家族の証言だけの者が24人もいました。事業所の所長に至っては当時重病により入院中の妻が「夫は事件当日、自宅にいた」と証言していました。検察はそれを「単純ミス」だと弁明しますが、その弁明のために公判に呼んだs所長本人は、アリバイ捜査が捏造であるとするに等しい証言をしました。

「私は事件の日、午後7時半頃に退社し、家に帰って11時頃に就寝しました。妻は入院中で家にいませんでしたが、警察の事情聴取では、事件の夜のことは聞かれませんでした」

このようにして「犯人」は作られたというのがこの事件の全容です。無実の罪を着せられ、現在も監獄に閉じ込められた大越さんや彼女のご家族の方は勿論、真犯人が捕まらずに野放しにされていることで、被害者の橋向さんやそのご家族の方も冤罪の被害者です。

橋向香さんのご冥福をお祈りします。

参考文献
『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』 伊東秀子

『ニッポンの裁判』 瀬木比呂志

雑誌『冤罪File』No.20 「恵庭OL殺人事件 隠された「アリバイ」と「真犯人」が明るみに!」 片岡健

ここをクリック→ 『ビジネス・ジャーナル』「恵庭OL殺人事件に冤罪疑惑 有罪ありきのずさんな捜査と裁判に、元裁判官も唖然」 瀬木比呂志












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2015/04/16 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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「死刑制度について考える(9)~日本における死刑の最新状況」 

「死刑制度について考える(9)~日本における死刑の最新状況」

このシリーズの前回ブログでは、世界における死刑の最新状況をご報告しました。

ここをクリック→ 「死刑制度について考える (8) ~ 世界における死刑の最新状況」

今回は、我が国の死刑の最新状況に関してです。資料は、救援連絡センター発行『救援』第550号(2015年2月10日発行)を参考にしました。

昨年2014年、死刑判決は、地裁で2人(全て控訴)、高裁で8人(全て上告)、そして最高裁で6人(確定)に言い渡されました。新たに確定した6人を加え、昨年末時点で、死刑囚の数は128人となりました。

一方、死刑執行は、谷垣法相(当時)の命令で、6月に1人、8月に2人、計3人に執行されました。それまでの10年の平均5.5人/年に比較すると死刑執行がやや減少したのは、3月27日に元死刑囚袴田巌氏の再審開始決定があった影響が考えられます。

また昨年、病死した死刑確定者が5人もいたことは注目すべきです。1991年~2000年の10年で病死者は合計1人、2001年~2010年では合計12人、2011年以降の4年間で既に病死者が合計11人出ていることから、死刑囚が高齢化している状況が伺えます。袴田氏の拘禁反応を見ても、獄死は精神的にも非常に過酷なゆるやかな死刑執行と言えるものです。

そして更に私が重要視するのは、128人の死刑囚のうち、94人が再審請求中であることです。慣例として、再審請求中の死刑囚に死刑が執行されることはありません。この94人の中には、真実、無実であり正義を求めている者がいることは確かです。そして実質的に延命のためだけの再審制度の利用に関しては、評価は慎重であるべきだと考えています。ここではその実態だけを指摘しておきます。

しかし、一つだけ確かなのは、死刑制度の維持のためのコストが再審によって厖大なものになっていることです。そもそも無期懲役刑を選択するより、死刑を選択する方が司法コストはかかります(注)。人の命に関わることなので、コストを強調することは適切であるとは思いませんが、全ては我々の税金で賄われている以上、実態を理解し、考えを巡らせる必要はあるように思います。

最後に、1992年以降の統計を添付します。

ここをクリック→ 「最近の死刑判決と執行数」(救援連絡センター発行『救援』第550号より)

(注)
ここをクリック→ 「死刑制度について考える(5)~死刑制度維持にかかるコスト」











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2015/04/13 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『ボーイクワイア(原題)』 フランソワ・ジラール監督 

フィルム・レビュー 『ボーイクワイア(原題)』 フランソワ・ジラール監督

boychoir.jpg

映画『Boychoir』観賞。日本ではまだ公開未定。邦題は『ボーイクワイア』?『少年合唱団』だとパッとしないしなあ。

ニュージャージー州プリンストンに実在のアメリカ少年合唱団を舞台にしたドラマ。私生児として生まれた少年は、グレていたが彼には奇跡のヴォイスともいえる天賦の才があった。彼の母親が死んだ時、経済的に恵まれていた実父は、彼を引き取る代わりに合唱団のあるボーディングスクールに入れる。そこでの彼の音楽を通し、自分と向き合って成長をするお話。

正直、少年合唱団にあまり理解がなかったので期待していなかったが、これがかなりシンプルに感動できた作品だった。日本ではあまり遭遇しないが、カナダでは映画の上映中に結構観客が反応する。この映画でも、映画を観ている観客が拍手をするシーンが何度もあった。

奇跡のヴォイスといっても、合唱団の成員みんなが同じようにきれいな声をしてるので、最初は「ふーん」という感じだったが、ヘンデルの「メサイヤ」にソロパートを作り、その中の「ハイD」を出せるかというのは、素人にも分かりやすい設定だと感じた。

ボーイソプラノが、声変わりをするまでの数年の限られた「天からの贈り物」ということはこの映画を観るまで理解していなかった。

主人公には新人のギャレット・ウェアリング、そのほかの出演者にはダスティン・ホフマンやキャシー・ベイツといったビッグネームがいるが、TVドラマ『グリー』でアーティ・エイブラムス役のケヴィン・マクヘイル(彼にとっては『Glee 3D』に続き映画出演2作目)が重要な役を演じている。

音楽映画で言えば、最近観た『セッション』が強烈だっただけに、それに比べればという感もあるが、これはこれで結構ジーンとくる映画。アクションやスリラー物のように刺激がなければという人以外にはお勧めできると思う。

ここをクリック→ 『ボーイクワイア(原題)』予告編

(Facebook 4/8/2015より転載)








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2015/04/12 Sun. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (464) 「国税不服審判所裁決によりクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件税務手続き終了~国税局は重加算税賦課理由の説明を最後までできず」 4/9/2015 

#検察なう (464) 「国税不服審判所裁決によりクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件税務手続き終了~国税局は重加算税賦課理由の説明を最後までできず」 4/9/2015

先週、国税不服審判所より裁決書が届きました。元々、重加算税を不服としての審判請求でしたが、国税局は何ら釈明なく重加算税を過少申告加算税及び無申告加算税に変更したため、審判請求の主な目的は、「なぜそもそも重加算税を賦課したのか」の理由説明を求めるものでした。

裁決書の結論は、

「重加算税の賦課決定処分のうち、過少申告加算税・無申告加算税相当額を超える部分の取消しを求める審査請求を却下し、その他の部分の取消しを求める審査請求を棄却する」

つまり「過少申告加算税・無申告加算税は適法であり、それを越える税金は取り消されているので請求人(=私)に請求の利益はない」という、予想通りのものでした。そもそも過少申告加算税・無申告加算税は、私としては主たる争点ではなかったので(注1)、重加算税が取消された時点で、この結論は読めていたと言えます。

しかし、問題の「なぜそもそも重加算税を賦課したのか」に関して、国税局による返答はなく、その返答がないことに関しても、裁決書において審判所は何も意見を述べていないことは非常に残念なことでした。

これまで何度も主張してきたことですが、納税が国民の重要な義務である以上、その義務を課す側には重大な説明責任が生じることは論を待たないと思います。もし徴税が、近代化以前の国家が説明責任を果たすことなく年貢を取り立てたようになされたならば、それは明らかな財産権の侵害であり、憲法(第29条第1項)に違反するものです。

重加算税を払えと一方的に言ってきた国税局に対し、
「えっ?なぜですか?私は払う必要はないと思いますが、なぜ払わなければならないのですか?」
と重加算税を払った上で、その理由説明を求めてきました。2010年4月に重加算税を納付して以降、結局ここまでその説明責任が果たされることはありませんでした。

国税局が行ったことは、昨年6月に釈明なく重加算税を取消し、過少申告加算税・無申告加算税に変更決定しただけでした。(注2)

なぜここまで私が理由説明にこだわるかと言えば、それは同じ国税局が私を刑事告発しているからです。「重加算税の賦課理由を説明せよ」というのは「刑事告発の理由を説明せよ」と全く等価です。重加算税の要件は「仮装・隠蔽を伴った故意の所得隠し」がその要件です。脱税の刑事告発はその中でも更に悪質なものを対象とします。つまり、刑事告発をするからには、相当明白な故意の所得隠しを認定する理由、証拠があるはずであり、あるべきです。国税局が重加算税の賦課理由を説明できないことは、彼らが刑事告発の理由を説明できないということを如実に物語っています。

テクニカルには次の税務手続きの段階として、この裁決を不服として訴訟することも可能ですが、それはあまり意味がないと考えます。クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件における税務手続きはこれで完了し、今後は、本丸の国賠審に全力を傾注するつもりです。

重加算税の賦課理由を説明できなかった国税局が、国賠審で、いかに刑事告発の理由を説明するのか、今後も是非ご注目頂ければと思います。

(注1)
重加算税が過少申告加算税・無申告加算税に決定変更された時点で、もし過少申告加算税・無申告加算税を全く争わないのであれば、請求の利益が喪失するという考え方もありましたが、過少申告加算税・無申告加算税に関しては、会社の源泉徴収義務があった(株式報酬の実質的負担は日本法人であったため)との主張で不服審判請求を継続しました。

この点には関しては、私の刑事裁判においても、私の「会社が源泉徴収をしていた」という思い込みが荒唐無稽なものではなく、法的に道理にかなっているという観点で弁護側主張に盛り込まれました。そして一審、控訴審の判決においては、その判断は慎重に避けられたものです。

ここをクリック→ #検察なう (321) 「そもそも会社に源泉徴収義務はなかったのか」

不服審判所の裁決でも、過少申告加算税・無申告加算税に関する不服審判請求棄却に関し、会社に源泉徴収義務はなかったという判断を回避して、「納税者は、源泉徴収がされたか否かにかかわらず、確定申告をしなければならない」という理由で棄却したことはこの点に関心がある方には興味深い裁決だったと言えます。

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

4/9/2015












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2015/04/09 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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「死刑制度について考える (8) ~ 世界における死刑の最新状況」 

「死刑制度について考える (8) ~ 世界における死刑の最新状況」

アムネスティ・インターナショナルは、4月1日に死刑をめぐる世界の動きをまとめた報告書「2014年の死刑判決と死刑執行」を発表しました。この報告書は、死刑廃止国数の推移を含む最新の統計を網羅しています。

死刑制度は、刑罰という人間にとって普遍的制度の一部ではありますが、死生観という文化に深く根差した要素も色濃く持っています。ゆえに、世界のトレンドに盲目的に追随することも、「世界は世界、日本は日本」と無視することのいずれも間違っていると思います。いずれにせよ知識は力ですから、知っておくに如くはなしです。

ここをクリック→ アムネスティ・インターナショナル「死刑廃止 - 最新の死刑統計(2014)」

新たな動きとして注目すべきは、テロの恐怖や内政不安定が国際的に増加し、安全保障上の対 策として死刑の利用が増えたことです。

例えばパキスタンでは、 ペシャワール学校襲撃事件を契機に、過去6年間停止していた死刑執行を再開しました。 2014年における死刑執行国数は22カ国で、前年と同数でしたが、世界で死刑判決を受けた人は少なくとも2466人と言われており、前年に比べて28%増加しています。

また、未成年者、精神障害・ 知的障害者に対する死刑の適用もありました。

未成年 ― イランで少なくとも14人が18歳未満の時に犯したと思われる犯罪により処刑。エジプト、イラン、スリランカで未成年に対し死刑判決

精神障害・知的障害 ― インドネシア、マレーシア、パキスタン、トリニダード・ドバゴ、アメリカで精神障害者・知的障害者に死刑判決(注1)

死刑執行数上位国の5カ国は中国(数千件)、イラン(289件以上)、サウジアラビア(90件以上)、イラク(61件以上)、アメリカ(35件)です。中国では突出して死刑執行数が多く、その件数は国家機密とされています。またこの中には北朝鮮が入っていませんが、北朝鮮でも少なくとも50件の死刑が執行されたと考えられています。

map1.png

G8の中では日本とアメリカのみが死刑執行国です。アメリカでは、35人の執行がありましたが、これは、2013年に比べ4人減少しています。18州が死刑を廃止しており、存置している32州のうち7州では少なくともこの10年間死刑は執行されておらず、オレゴン州知事、ワシントン州知事は公式に死刑の執行を停止しました。 また死刑囚7人の無実が判明し釈放されました。これでアメリカで無罪となった死刑囚の数は、1973年以降150人に上ります。(注2)

一方で、アムネスティの統計によると、世界全体の7割を占める140カ国が法律上または事実上死刑廃止国となっています(対する死刑存置国は58カ国)。

(注1)
リンクに添付された「2014年の死刑判決と死刑執行」報告書には、日本で2014年に精神障害・知的障害に死刑判決が下されたとしていますが、私が調べたところ、2014年に死刑判決が下された16人にそうした事情は見受けられませんでした。アムネスティが指摘しているのは、2010年に死刑判決が確定した藤崎宗司死刑囚のことではないかと思われます。

日本において精神障害・知的障害に対する死刑執行、死刑判決に対して、昨年、毎日新聞の記者が書いた以下の記事を誤認したのではないかと思われます。

ここをクリック→ 「記者の目:責任能力乏しい知的障害者」 2014年8月20日毎日新聞朝刊より

(注2)
一昨日の報道で、アメリカで死刑判決に再審無罪が下され、今年2人目(1973年以降152人目)という報道がされたばかりです。

ここをクリック→ 「米アラバマ州で死刑判決受けた男性が無罪に、30年ぶりに釈放」

4/6/2014














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2015/04/06 Mon. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『シンデレラ』 ケネス・ブラナー監督 

フィルム・レビュー 『シンデレラ』 ケネス・ブラナー監督

cinderella.jpg

映画『シンデレラ』観賞。

特にオリジナル・ストーリーに思い入れがあるわけではなかったが、実写化されたこの作品がそこそこの好評価を得ていたので観てみた。

これが悪くない。どころかとてもよかった。

ストーリーは全くの直球。クラシックを映画化する場合、新奇さを求めてひねることが多いが(例えば、憎まれ役の魔女が実は心優しいといった設定だったり)、この作品はみんなが知ってるシンデレラ・ストーリー。

観終わった後、なぜこの映画がよかったかを考えてみた。そこには実は著球だと思ったストーリーにやはりモダナイズされた要素があることに気付いた。

オリジナルでは、シンデレラは絶世の美女で、それを継母や義姉が妬んでいじめるというストーリーだったはず。そして舞踏会でプリンスが彼女を一目見てその美貌に心を奪われたというストーリーだったはず。

この現代版では、まずプリンスとシンデレラは舞踏会の前に会っている。そしてプリンスが一目ぼれをするのだが、それはシンデレラの美しさだけではなく、それよりもむしろ人間としての慈しみ深さ・強さ・正しさという部分。

そして継母が嫉妬するのも、シンデレラの無垢さ、善良さという設定。

更に、シンデレラもただ心優しいというだけではなく、虐待する継母に対して、"You have not been my mother, and will never be!"とリジェクトする意志の強さ、そして自分の道は自分で切り開くという意志の強さや勇気を持ったキャラクターとなっている。

このようにシンデレラのキャラ設定が絶妙である上に、演ずるリリー・ジェームズの演技の説得力がこの映画をジュブナイル作品に留めていないと感じた。

加えて特筆すべきは衣装の意匠(ダジャレ?)の新しさ。舞踏会のプリンスとシンデレラの衣装は男である私ですらも「ス・テ・キ♡」と思ったし、登場人物の衣装のカラフルな色使いが非常にモダンだと感じた。そして、登場するシーン全てで異なるドレスをまとった継母役のケイト・ブランシェットの衣装(及び帽子)は素晴らしいの一言。さすがアカデミー衣装デザイン賞を3度受賞したサンディ・パウエルの作品であり、彼女の真価が発揮された衣装デザインだったと思う。

セックス、バイオレンス皆無のディズニー映画で、マッチョな男向きではないが、クラシックを題材にした大人も楽しめる良質の映画。シンデレラを一度でも夢見た女性は観て損はないと思います。でも魔法が解けてもなぜガラスの靴は残るんだろう?

ここをクリック→ 『シンデレラ』予告編

(Facebook 3/31/2015より転載)









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2015/04/05 Sun. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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#検察なう (463) 「当ブログ「蟷螂の斧となろうとも」の訪問者数が20万人を突破しました!(下)」 4/2/2015 

#検察なう (463) 「当ブログ「蟷螂の斧となろうとも」の訪問者数が20万人を突破しました!(下)」 4/2/2015

当ブログの訪問者数が20万人を突破した節目に、これまでの人気記事を紹介させて頂きます。第6位から第10位まで。

第1位から第5位までは前回ブログをご参照下さい。

ここをクリック→ #検察なう (462) 「当ブログ「蟷螂の斧となろうとも」の訪問者数が20万人を突破しました!(上)」

<第6位>
ここをクリック→ #検察なう (428) 「美濃加茂市長事件藤井氏被告人質問傍聴記」

ランキングの中では一番新しい記事が美濃加茂市長事件に関するもので、この事件への関心の高さが伺えます。藤井氏及び弁護団は見事に一審無罪を得ました。しかし、これほど検察批判が高まりながらも「またか。反省なきところに更生なしとはよく言ったものだな」と検察改革がなされていないことを如実に示す検察官控訴により第2ラウンドに突入です。藤井氏及び弁護団には、完膚なきまで検察を叩きのめす完全勝利を目指してほしいと思います。それが彼らのためでもあると思います。

合わせてこちらも。
ここをクリック→ #検察なう (456) 「美濃加茂市長事件藤井氏無罪判決公判傍聴記」

ここをクリック→ #検察なう (459) 「検察に引き返す勇気はないのか~検察、美濃加茂市長事件で藤井市長無罪判決を控訴」

<第7位>
ここをクリック→ #検察なう (145) 「小川前法相の指揮権発動は歴史的大ニュース」

法務大臣には、法務・検察官僚のコントロールしやすい無能な人が選ばれることが多いようです。近年の法務大臣の中で、その例外が法曹三者を歴任した小川敏夫氏です。

法務大臣は、就任直後に法務官僚からレクチャーを受けますが、その際2点厳守を求められます。それは「死刑執行の決定には署名すること」と「指揮権発動は考えないこと」です。

指揮権発動は、司法への政治介入(検察権も行政権の一部ですが刑事司法手続きの一環を担うという意味で「準司法権」的性格を有します)という誤った歴史的認識でタブー視されています。法務・検察官僚に餌付けされたメディアも、指揮権発動といえば「けしからん」という論調です(もしかしたら本当に歴史を理解していないのかもしれませんが)。

小川氏が解任後、陸山会事件に係る虚偽報告書問題の捜査を検察に徹底させるために、指揮権発動を野田首相に打診していたことを明らかにしました。彼の更迭はその直後のことでした。法務大臣が指揮権を発動しようとしたというのは歴史的大ニュースですが、当然マスメディアからは黙殺された事件です。

<第8位>
ここをクリック→ #検察なう (269) 「第十一回公判報告~無罪判決」

私は毎回の公判の模様をブログで報告していました。第11回目の報告はうれしいお知らせでした。査察部告発、特捜部起訴の事案で歴史上初めての無罪判決を得て、私と弁護団が歴史を変えた瞬間でした。

ただあまりにも時間がかかり過ぎ、それまでの苦難はなんだったんだろうという思いと、それより強かったのが「山ほど冤罪被害者がいて、しかももっと悲惨なケースもあるのに俺だけ無罪でいいのだろうか」というサバイバーズ・ギルトを感じ、無罪判決直後は正直複雑な気持ちでした。今になって思えば、もう少し喜んでおけばよかったなとちょっと損をした気分です。

<第9位>
ここをクリック→ #検察なう (277) 「検察控訴の背景を探る」

一審無罪の喜びも束の間、検察から延長戦の果し状を突きつけられました。しかし、げっそりしたのは1日だけで、一晩寝れば俄然「ファイト一発!」の気分でした。更に一段ギアが上がった感じでした。その検察控訴翌日のブログです。

<第10位>
ここをクリック→ #検察なう (349) 「控訴審初公判法廷画 by 高杉ナツメ」

私の公判では、傍聴人に「#検察なう」のハッシュタグをつけてツイートしてもらい、それをまとめたトゥギャッターと、私の高校友人のマンガ家による法廷マンガが恒例でした。

初公判後、ツイッターのフォロワーの方から、「法廷画で公判の雰囲気を紹介するのはどうでしょうか」というアイデアを頂き、プロの法廷画家を当たったのですが、やはり法廷画というと堅い感じで、あまりピンときませんでした。それで思いついたのがマンガ家の友人に、「公判の様子をマンガにするのはどう?」ということでした。

彼女には第二回公判以降、皆勤で公判の様子をマンガにしてもらいました。傍聴席の最前列に陣取り、法廷の人間をじろじろ見ながら、しゃっしゃっしゃっとスケッチをしているのが私の公判のいつもの光景で、正面に相対する裁判官もかなりやりにくかったのではと思います。

ブログの右欄に彼女の作品を全てリンクにして貼っていますので、是非ご覧下さい。

冊子化もされています。ご希望の方は「#検察なう フェイスブック・コミュニティ」のメッセージでご連絡下さい。正(第2回~第7回公判)400円、続(第8回~第11回公判)500円です(送料80円)。代金は無償でマンガを描いてくれたマンガ家にカンパされます。

#検察なう

以下、第11位から第20位の順位のみ発表します。合わせてお読み下さい。まだまだ刑事司法の矛盾との戦いは続きます。冤罪を少しでも減らすため、是非ともご支援のほどよろしくお願いします。

第11位
ここをクリック→ #検察なう (233) 「国民審査『X10(バッテン)プロジェクト』の意義」

第12位
ここをクリック→ #検察なう (372) 「無罪確定なう!」

第13位
ここをクリック→ #検察なう (115) 「氷山の一角」 

第14位
ここをクリック→ #検察なう (289) 「佐藤真言氏著『粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白』を読んで」

第15位
ここをクリック→ #検察なう (293) 「ジャパンタイムズ ゴビンダさんインタビュー翻訳」

第16位
ここをクリック→ #検察なう (279) 「時代が判決を導き、判決が実務を変える」

第17位
ここをクリック→ #検察なう (241) 「BBC放映『日本における強要される自白』」

第18位
ここをクリック→ #検察なう (393) 「国家賠償訴訟に関して(2)~代理人ドリーム・チーム結成!」

第19位
ここをクリック→ #検察なう (367) 「控訴審判決を前に」

第20位
ここをクリック→ #検察なう (401) 「更なる完全勝利、国税局も白旗」

4/2/2015










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category: 刑事事件一般

2015/04/02 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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