「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その14 「被告人質問の心得」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その14 「被告人質問の心得」

刑事裁判の公判におけるクライマックスが被告人質問です。調書至上主義と批判されることの多い刑事裁判ですが、建前は「口頭主義」であり、裁判官はあなたの言葉を聞いてみたいと思っているはずです(そうした希望を持つことも心構えとして重要です)。

あまりテクニカルなことにこだわる必要はなく、そのためにプロフェッショナルのセコンドとして弁護人がいます。それでも知っておけば、弁護人の負担を軽くすることもあることかもしれません。基本的事項を挙げます。

あなたの発言のみが証拠となり、質問者の質問は証拠にはなりません。つまりあなたがクローズド・クエスチョン(「はい」「いいえ」で答える質問。例えば、「あなたは~と言いましたか」)で聞かれることはなく、必ずオープン・クエスチョン(例えば、「あなたは何と言いましたか」)で聞かれるはずです。「はい」「いいえ」で終わらないようにしましょう。

証言内容は速記官(注)が速記し訴訟記録となります。裁判官は後からその文章を読み返して判決を書くことになります。文章にした時に理解しづらい指示語や誤記のおそれのある単語は、極力避けたいものです。

そうしたテクニカルなことよりも重要なことを述べます。それは誰のための、何のための被告人質問かを常に意識することです。その答えは、「裁判官のための被告人質問であり、彼らに何が真実かを伝える努力をするための被告人質問」だということです。

伝えるべきは事実です。あなたの意見や評価ではありません。裁判官が真実に到達するための鍵となる事実を伝える努力をする場が被告人質問です。

被告人質問は質問する主体によって、主質問(弁護人がする質問)、反対質問(検察官がする質問)、補充質問(裁判官がする質問)に分かれます。その全てにおいて、先に述べたことが該当します。

例えば、検察官がする質問に答える場合でも、検察官に対して答えたり、彼らを納得させたりする必要はありません。起訴前の取調べでは、誠心誠意、彼らに真実を知ってもらう努力を惜しまず説得すべきです(注2)。しかし、一旦起訴された後においては、検察に遠慮する必要は全くありません。彼らは、無辜のあなたを無実の罪に陥れようとする邪悪な存在です。しかも、それを仕事としている哀しい人たちです。しかし、裁判官とは「お仲間」です。検察官とあなたのやり取りを裁判官はどのような感情で聞いているか、意識を裁判官に集中して考えれば、自ずとあなたの取るべき態度は決まると思われます。

主質問では、質問するのはあなたの最大の味方である弁護人です。主質問の内容を弁護人と十分にすり合わせる必要があると私は考えます(そう思わない弁護人もいるかもしれません。弁護人を選ぶのはあなたです。依頼した以上、弁護方針については、納得した上で人生の決戦に臨むべきです)。あなたの供述調書は、裁判における最有力の証拠でありながら、あなたに不利なことしか書かれていないと思った方がよいでしょう。優秀な捜査官は、有罪の証拠となる調書を作るよう訓練されています。被告人質問が、あなたにとって有利な主張をする最大のチャンスです。

被告人質問の主質問は、あなたの陳述で置き換えてもいいものですが、それを弁護人と問答形式で主張することの意味は、めりはりをつけることにあります。私の被告人質問では、主質問は4時間に及びましたが、もし私が4時間滔々と陳述をすれば、それを最後まで聞く辛抱強い人はいないでしょう。

一問一答の意義について、尋問についての古典である『事実審理』(岸森一/横川敏雄)(注3)の一節を引用します。

「ただ形式に問答を区切るだけのことを意味するのではない。発問の順序の工夫と合わせて、短い時間で、簡潔な、要点をついた答えを引き出し、一コマ一コマずつ事件の映像を裁判官の心のカメラにピタリとやきつかせることである。ピンボケや手ブレがあってはならない」

その共同作業を弁護人と共にするのが主質問です。何か事をするに当たって、ぶっつけ本番でやる方が良い結果が期待できるか、十分に戦略を立てて、緻密なアプローチをする方が良い結果が期待できるか、弁護人と相談すべきだと感じます。

主質問や反対質問で、裁判官を意識するというのは、例えばこのような例でイメージするといいかもしれません。

あなたはセミナーのプレゼンターです。あなたのプレゼンテーションが終わって、オーディエンスの一人から質問が出ました。あなたはどのような意識でその質問に答えるでしょうか。もしあなたが、その質問者と一対一で答えようとするなら、ほかのオーディエンスはすぐに興味を失って、その時間はほかのオーディエンスにとって無駄になってしまいます。もしあなたが、その質問者はほかのオーディエンスを代表して、みんなが聞きたいであろう質問をしてくれたという意識であれば、その質問を引き取って、みんなに対して説明しようとするでしょう。この「ほかのオーディエンス」が裁判官です。

あるいは、こういう例でもいいかもしれません。あなたは役者です。舞台の上で繰り広げられているのは、あなたを登場人物とするドラマですが、ほかの役者とのやり取りをしながらでも、必ずその意識は観客席にいる観客に向いているはずです。その「観客」が裁判官です。

被告人質問はあなたの人生の大舞台になることでしょう。それを乗り切るには、気合です。そしてその気合は必ず人の心を動かします。しかし、その瞬間にも、必ず第三者的に冷静に自分を見つめるクールな自分を忘れないようにしましょう。そうすれば裁判官のハートをつかむことができるはずです。希望を持って臨んで下さい。

(注1)
ここをクリック→ #検察なう (153) 「裁判所速記官」

(注2)
ここをクリック→ 無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その8 「検察を敵視すべきか~起訴の見極め」

(注3)
ここをクリック→ Amazon 『事実審理』岸森一/横川敏雄著(有斐閣、1983)
















ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』 カスタマーレビュー

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2016/02/29 Mon. 01:21 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『デッドプール』 『ブラックホーク・ダウン』 『イン・ユア・アイズ 近くて遠い恋人たち』 

フィルム・レビュー 『デッドプール』 『ブラックホーク・ダウン』 『イン・ユア・アイズ 近くて遠い恋人たち』

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2016/02/28 Sun. 07:47 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (533) 「美濃加茂市長事件控訴審で異例の展開 ~ 「証人テスト」とはどういったものか」 2/25/2016 

#検察なう (533) 「美濃加茂市長事件控訴審で異例の展開 ~ 「証人テスト」とはどういったものか」 2/25/2016

注目の美濃加茂市長事件控訴審が異例の展開となっています。昨年8月に行われた控訴審初公判で検察官請求の証人尋問が採用され、一回結審とはならなかったことは以前にブログで書いたところです。

ここをクリック→ #検察なう (493) 「美濃加茂市長事件控訴審で1回結審ならず」

そこで採用された検察官請求の証人とは、取調べを行った警察官と検察官でした。異例の展開とは、裁判官が「私たちも別の証人を呼びたいと思ってるんですがね」と言い出したことです。それは第一審で、検察側証人であった贈賄者です。

裁判官は憲法で以下に定められているように、彼らの「職権」を行使することができます。

「全て裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法第76条3項)

裁判官が証人尋問を主導したことがなぜ異例かということを理解するには、「当事者主義」を理解する必要があります。裁判においては、事案の解明や証拠の提出に関する主導権を当事者(即ち検察官や被告人・弁護人)に委ねる「当事者主義」が取られています。つまり、確かに裁判官の職権は憲法で認められているものの、実際上の運用では、彼らはあくまで局外のレフリーに徹して、自ら積極的に事案の解明や証拠の追求をするものではないということです(裁判官にそれらを認めるものを「当事者主義」に対して「職権主義」と呼びます)。

なぜこのような展開になり、それをどう解釈すべきかについては、ヤメ検の落合洋司弁護士とヤメ判の木谷明弁護士のコメントを引用しつつ、的確にまとめた江川紹子氏の次のブログをご参照下さい。

ここをクリック→ Yahoo!ニュース「高裁が職権で最重要証人を尋問へ~美濃加茂市長の事件で異例の展開」

ここでは、一般になじみが薄い「証人テスト」についてそれがどういったものであったかを私の経験を交えて説明させて頂きます。

刑事裁判公判が盛り上がる場面は何と言っても証人尋問であり、そのクライマックスが被告人質問です。

証人は検察側ないし弁護側のいずれかが証人請求し、その請求が裁判官に認められると公判で尋問が行われることになります。そして請求した側と認められた証人が事前に打ち合わせをすることを「証人テスト」と呼び、それは一般に認められています。つまり検察側請求の証人は、証人尋問において検察官が何を聞くか、逆に弁護側請求の証人は、証人尋問において弁護人が何を聞くかということは事前に分かっており、答えを用意しているということになります。

なぜそういったことが認められているかというと、刑事訴訟規則に次のように定められているからです。

「証人の尋問を請求した検察官又は弁護人は、証人その他の関係者に事実を確かめる等の方法によって、適切な尋問をすることができるように準備しなければならない」(刑事訴訟規則191条の3)

限られた時間内にスムーズに記憶を喚起させ、要点を押さえた回答をするには、それなりの準備が必要であることは言うまでのないことです。例えば、私の被告人質問は3回の公判に亘って、計10時間行われましたが、そのうち4時間は弁護人の質問で、弁護人との問答に関しては、あらかじめ原稿ができ上がっていました。

問題はその原稿をいかに作るかということです。例えば、私の場合、弁護人の質問をまず弁護団が作成し、それに対する答えは全て私が用意しました。打ち合わせの段階で、その答えを弁護団が手直ししたり、あるいは聞いて欲しい質問を私が追加したり、随分と擦り合わせを繰り返しましたが、結局、答えるのは自分であるため、被告人質問の答えは、私が自分の言葉で、自分の考えを書いたものを原稿として用意しました。私の被告人質問から3年半経過した今となっても、同じ趣旨の答えをすることに何の問題もありません。言い回しを考えることでもたつく場合もあるでしょうが、最終的には同じ回答はできるものです。つまり「限られた時間内にスムーズに答えるための準備をする」というのが証人テストの意義です。

裁判官もそうした証人テストが行われていることは、重々承知しているため、証人が用意できない反対尋問(検察側証人に対する弁護人及び弁護側証人に対する検察側の尋問)や、裁判官が自ら聞く補充尋問とに齟齬がないかを注目しているものです。

しかしその原稿が、答えも他人が100%用意した「台本」であったとしたらどうでしょうか。その場合、「台本」を頭に入れた直後であれば、問題なくその台本通りの受け答えができたとしても、その「台本」の読み合わせから時間が経過してしまえば、全く違う受け答えをする可能性が出てくることは明らかです。

今回、美濃加茂市長事件での証言で、一審の際に検察側証人であった贈賄側の証人が新たに尋問をされるという事態で、検察側証人であった者が証人になるのであれば、当然有利に考えるべき検察が、躍起になって記憶の「鍛え直し」にこだわっていることが何を意味するかは明らかだと思われます。

以前のブログで、証人テストの問題点とその対抗策を弁護人の立場で書いています。合わせてお読み頂ければ幸いです。

ここをクリック→ #検察なう (362) 「検察「証人テスト」の問題点と対抗策」 

また、こちらは前田恒彦氏の証人テストに関する記事です。

ここをクリック→ Yahoo!ニュース「美濃加茂市長無罪判決でも問題とされた 検察が刑事裁判で行っている「証人テスト」って、どんなもの?」

真実は必ず正しい者に味方することが期待されてしかるべきです。その期待を裁判所は往々にして裏切ってきましたが、この村山浩昭裁判長の訴訟指揮にはその期待を懸けてもいいと感じさせます。依然、注目の美濃加茂市長事件です。

2/25/2016











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2016/02/25 Thu. 07:46 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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フィルム・レビュー 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』 『レヴェナント:蘇えりし者』 『ブルックリン』 『さざなみ』 『雨に唄えば』 『少林寺三十六房』 

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2016/02/21 Sun. 12:36 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (532) 「大詰めを迎えた国賠審 Part2~控訴違法に関する国側の言い分を認めることは国民全体の不利益」 2/15/2016 

#検察なう (532) 「大詰めを迎えた国賠審 Part2~控訴違法に関する国側の言い分を認めることは国民全体の不利益」 2/15/2016

海外から中世並みと揶揄される日本の刑事司法には、問題が山積しています。その中で、私がもしフリーハンドで何か一つ改革できるとすれば、私が選ぶのは検察上訴権の廃止です。

ここをクリック→ #検察なう (267) 「刑事司法改革のためにすべきこと」

先進諸外国では、「二重の危険」を招くとして認められていない検察官控訴(一審無罪判決に対する控訴)がなぜか日本では認められています。

私の刑事裁判でも、一審無罪判決(3/1/2013)に対して検察は破廉恥にも控訴しています。それにより翌年の無罪確定(2/14/2014)まで、更に精神的苦痛が延長したことは言うまでもありません。その検察官控訴のあり方に関して、私は自分の国賠審を通して、検察の指定代理人である東京法務局訴訟部の主張を注視してきました。

それは、あまりにもとんでもないものであり、彼らの主張が通るようであれば、私個人の問題ではなく、日本国民全体の不利益になるとすら感じる不合理さです。

説明させて頂きます。

本来、刑事裁判においては一審中心主義が取られています。刑事裁判の控訴審が事後審であることから、直接主義・口頭主義を一審において徹底させるために第一審の審理にエネルギーを割くべきだという考え方です。

事後審においては、審理の対象は事件の事実認定ではなく、あくまで下級審の判決そのものであり、審理をイチから「やり直し」をするものではありません。そして原判決が誤りであるという控訴理由は厳しく限定されています。その控訴理由の一つが「事実認定の誤り」ですが、その場合の取り決めが、刑事訴訟法第382条(注1)にあります。

素人的には当初、イチから審理し直して事実認定をし、原判決と違う結論を導き出すことと、原判決の事実認定が誤りであると指摘することには大差がないように感じたものですが、それは大違いなんだよ、と最高裁が判じたのが「チョコレート缶事件」(注2)と呼ばれる事件の判決でした。この最高裁第一小法廷平成24年2月13日判決の意義は、刑訴法第382条の事実誤認の定義を明らかにしたものです。

その判決にはこうあります。
「控訴審が第一審判決に事実誤認があるというためには、第一審判決の事実誤認が論理則、経験則に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである」

つまり、「原判決が間違っている!」と言うからには、その判決のどの部分が不合理であるかを具体的に示す必要があり、その不合理というハードルが「論理則・経験則違背」という非常に高いハードルだということです。

ぶっちゃけて言えば、一審の判決を読んで一般常識からして誰が考えても「そりゃおかしいだろう」というものだけが事実認定に誤りがあるとしたのがその最高裁判決です。

野球で言えば、打たれたピッチャーにもう一度チャンスをやるからには、ストライクゾーンを狭くするよと言っているようなものです。審判はその狭いストライクゾーンじゃないとストライクを取らないと宣言したのが、チョコレート缶事件での最高裁判決でした。

そこでは、反対仮説を完全消去できているかを検討し論証せよ、ということでもあると考えます。判決は、シロないしクロをサポートする両方の証拠を基に判断されている以上、その一方の証拠だけを持ち出したのみで、反対仮説を完全消去する論証ができていない場合、原判決が間違っているという主張は誤りです。

しかも、その判決はこうも言っています。
「第一審判決に事実誤認があるとした原判断には刑訴法第382条の解釈適用を誤った違法がある」

つまり、不合理であることを具体的に示せという要請は、単なる事実上の要請に止まるものではなく、法的要請なのであり、この要請に応じないことが法令違反、刑訴法第382条違反となることをはっきり述べています。それに従わないことは法に触れるとまで強く言っています。

私の国賠審において控訴違法は争点の一つですが、それに関する彼らの主張は、
「平成24年最高裁判決は刑事事件における控訴審の審査の在り方を示したものであり、検察官による控訴申立ての判断基準を示したものでもなければ、検察官による控訴申立ての国賠法上の違法性判断基準を示したものでもない」
「検察官による控訴申立てが国賠法上違法と評価されるか否かの判断基準についても、公訴提起におけると同様、検察官において、控訴申立て時における各種証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる」
というものです。

先の最高裁判決にもかかわらず、法の番人である検察が、「最高裁が何と言おうと、俺たちは俺たちのルール=起訴と同じスタンダードで控訴するし、それが法令違反だとは考えてない」というのが、私の国賠審での国側の主張です。

野球の例で言えば、アンパイアがストライクゾーンを狭くするよと言っているにもかかわらず、「そんなことは知ったこっちゃない。俺は俺のストライクゾーンがあるから、それに従って投げるまでだっつーの。それのどこが悪いんじゃ!」と開き直っているということです。

控訴違法に関する私の代理人チームの主張が、原告第10準備書面として提出されました。
ここをクリック→ 原告第10準備書面

先日2月8日の第9回口頭弁論で、この準備書面に対する被告の主張は「反論の必要なし」というものでした。「それって「反論できない」だろ」と出廷していた私は、代理人チームの先生方と思わず顔を見合わせて苦笑してしまいました。

検察が有罪になる可能性のない控訴をしてもいいというのは、どうみても国家権力による個人の人権の蹂躙です。これが違法ではないとは、一体全体どうしたらそういう主張ができるのでしょうか。またそうした控訴を許すことは、税金を湯水のように使っている検察による税金の無駄遣いを看過すること以外の何物でもありません。

誰しもが刑事被告人になる可能性がある社会で、検察のこのような控訴の判断を許すことは、国民全体の不利益です。もし「自分だけは刑事被告人になることはない」と思われても(それは、自分の経験から大きな間違いだと思いますが)、税金の無駄遣いがこのようになされているということはご理解頂ければと思います。

今後の刑事司法改革の前進を阻む大きな禍根を残さないよう、私の代理人チームは使命感を持って臨んでいます。是非とも変わらぬご支援をお願いします。

(注1)
刑事訴訟法第382条
「事実の誤認があってその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであることを理由として控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現れている事実であって明らかに判決に影響を及ぼすべき誤認があることを信ずるに足りるものを援用しなければならない。」

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (318) 「「チョコレート缶事件」と論理則・経験則違背」

2/15/2016










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category: 国家賠償請求訴訟

2016/02/15 Mon. 02:05 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『サウルの息子』 『バクマン。』 『イップ・マン 序章』 『イップ・マン 葉問』 

フィルム・レビュー 『サウルの息子』 『バクマン。』 『イップ・マン 序章』 『イップ・マン 葉問』

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ここをクリック→ フィルム・レビュー 『サウルの息子』 (2015) ネメシュ・ラースロー監督

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ここをクリック→ フィルム・レビュー 『バクマン。』 (2015) 大根仁監督

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ここをクリック→ フィルム・レビュー 『イップ・マン 序章』 (2008) ウィルソン・イップ監督

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ここをクリック→ フィルム・レビュー 『イップ・マン 葉問』 (2010) ウィルソン・イップ監督





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2016/02/14 Sun. 05:39 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (531) 「大詰めを迎えた国賠審 Part1 ~これまでの流れ」 2/13/2016 

#検察なう (531) 「大詰めを迎えた国賠審 Part1 ~これまでの流れ」 2/13/2016

先日2月8日、私の国賠審の第9回口頭弁論が行われました。2014年7月に始まった私の国賠審も1年半を経て、大詰めを迎えています。

まず、これまでの流れをおさらいします。

国賠審のハードルが相当高いことはこれまでも述べてきたことです。2008年12月の強制捜査から2014年2月の無罪確定まで、5年以上の長きに亘って、精神的苦痛にさらされ、その後も再就職の道を絶たれて多大な経済的損失をこうむっても、「無罪になったからいいじゃないか」というのが国のスタンスです。

個人間では無過失補償が認められても、国が相手となると、「国が違法なことをした場合のみ」補償が認められるという非常に厳しい条件が加えられます。私に対する捜査、告発、起訴、控訴が「違法であった」ということを裁判所に認めてもらおうというのが、私の国賠審です。

査察部、特捜部でそれぞれ100時間を越える取調べを経て、証拠がないことを分かっていながら「マルサが告発して、特捜が起訴をすれば有罪率100%」という奢りから行われた告発、起訴、控訴が公訴権濫用であり、人権を著しく侵害する違法行為であることは、火を見るより明らかなのですが、その「国の役人の違法行為」を同じ国の役人である裁判官が認定するかどうかということがキモになっています。

日本の刑事裁判の有罪率は99.9%を越えていますが、この数字が異常とまでは言えない理由に、起訴便宜主義が挙げられます(勿論、検察は彼らが優秀であることを最大の理由にしたいところでしょうが)。犯罪の嫌疑があっても、検察が訴追を必要としないと判断する場合には、公訴を提起しなくてもよいとするのが「起訴便宜主義」です。それに対し、検察官に裁量を認めず、嫌疑があれば全て公訴提起をさせることは「起訴法定主義」と呼ばれます。

日本においては、諸外国に比して、起訴便宜主義が徹底され、かなりの事案を「嫌疑はあっても、起訴・処罰の必要なし」とする起訴猶予として処分しています。

平成27年度の犯罪白書によれば、平成26年における検察庁新規受理人数123.8万人のうち、起訴猶予は70.1万人と57%もの対象者を嫌疑はあっても、起訴しないとしています(注)。

刑事裁判の有罪率の高さの理由は、このように検察が事件を厳選して起訴しているためと一般に説明されます。

私の国賠審での、告発違法、起訴違法、控訴違法の主張に対し、被告である国は、「有罪とするに足る証拠があろうがなかろうが、自分たちが怪しいと思ったから告発した。怪しいと思ったから起訴した。一審無罪でも、依然怪しいと思ったから控訴した。それは適法だ」と主張しています。

起訴違法に関する国の主張は、起訴法定主義のシステムであればある程度納得もいくものですが、散々、起訴便宜主義の下で、厳選したものを起訴しているのだから、起訴した以上は必ず有罪にすべしという暗黙のプレッシャーを裁判所に与えておきながら、この期に及んで「怪しいと思ったから起訴して何が悪いんだ」というのは、完全にダブル・スタンダードです。全国の裁判官の方々は、是非、この国の主張を肝に銘じて、起訴された被告人を有罪推定することは慎んでほしいと思います。

更に由々しいと思われるのが、控訴違法に対する国の主張です。次回ブログでは、それにフォーカスしてみたいと思います。

(注)
ここをクリック→ 法務省HP 「平成27年版犯罪白書のあらまし」

ここをクリック→ p.8 「犯罪者の処遇」

2/13/2016









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2016/02/13 Sat. 02:54 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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フィルム・レビュー 『ブラック・スキャンダル』 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』 『フルートベール駅で』 

フィルム・レビュー 『ブラック・スキャンダル』 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』 『フルートベール駅で』

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ここをクリック→ 『ブラック・スキャンダル』 (2015) スコット・クーパー監督

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ここをクリック→ 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』 (2013) ジョン・マルーフ監督

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ここをクリック→ 『フルートベール駅で』 (2013) ライアン・クーグラー監督




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2016/02/07 Sun. 23:36 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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#検察なう (530) 「映画『ふたりの死刑囚』と『袴田巌 夢の間の世の中』」 2/6/2016 

#検察なう (530) 「映画『ふたりの死刑囚』と『袴田巌 夢の間の世の中』」 2/6/2016

最近、冤罪がらみの映画を二本続けて観る機会がありました。一本は袴田巌氏と奥西勝氏を描いた『ふたりの死刑囚』、もう一本は袴田巌氏の最近の状況を映し出した『袴田巌 夢の間の世の中』です。

ふたりの死刑囚

『ふたりの死刑囚』は、直球、しかも剛速球のストレートでした。袴田事件の冤罪被害者袴田巌氏と、名張毒ぶどう酒事件の冤罪被害者奥西勝氏を扱ったドキュメンタリー映画です。

二人とも依然再審叶わず死刑囚という身分で一人は生きながら釈放され、一人は獄死しています。二人の死刑囚を対比してより浮き彫りにされるのは、奥西勝氏の獄死だと感じました。名張毒ぶどう酒事件を追い続けている東海テレビ制作であればこそ、そうした意図もあったと思われます。

奥西氏には一旦、再審開始が決定されながらも、検察の異議申立を受け入れ、裁判所が開始決定を取り消す(名古屋高裁)という不正義が行われました。袴田氏の再審開始決定(静岡地裁)には、その反省もあったのではと、深読みします。それに対して、袴田氏の再審開始決定に、真実の追求を捨てて、有罪にすることが自分たちの仕事と言わんばかりの検察の姿勢には、全く反省、進歩がないと感じます。

映画を観て感じたことは、二人の死刑囚には未だ再審がなされていないという事態は、過去の過ちを反省しないという捜査権力、司法当局の姿勢を表しています。それは単に過去のことだけではなく、その姿勢が今も冤罪を生み続けているということです。

また映画を観て、再審請求は親族しかできないということを初めて知りました。帝銀事件が紹介され、平沢貞通死刑囚の獄死以降も再審請求を続けるため、彼の生前、支援者の方が養子縁組をしました。名張毒ぶどう酒事件弁護団も長期戦の構えで、若手弁護士を育成していることも映画で描かれていましたが、奥西氏の死後に再審請求を引き継いだ彼の妹の岡美代子氏も高齢ゆえ、再審請求の「後継者問題」は由々しいとも感じました。

映画の中で、市川寛氏が「良証拠主義」に解説を加えていました。

「有利な証拠と不利な証拠、すべてを見ているのは検察。自分たちは有罪だと信じて起訴するわけだから、裁判所にも有罪と信じてもらうのが検察の務めであるというポリシーがある。裁判所が判断に迷うような余計なものは出さない」

この言葉に、検察がなぜ被告人に有利な証拠を隠すのかの本質を見たような気がしました。

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『二人の死刑囚』を剛速球とすれば、『袴田巌 夢の間の世の中』はチェンジアップです。

この映画には、映画ファンとして正直期待していませんでした。金聖雄監督は、以前にも、冤罪関連の映画として狭山事件を扱った『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』がありますが、それがあまり映画として面白くなかったからです。

彼の作品は、実在の人物の普通の生活を切り取るドキュメンタリーですが、石川一雄氏夫妻の日常が、あまりに日常であり、時々裁判所の前で抗議活動をする「非日常」を挿入しても、そこから彼が経験した冤罪という過酷な状況がそれほどにじみ出ているとは感じられなかったからです。

ところが『袴田巌 夢の間の世の中』は、自分の予想を大きく裏切る味わい深い作品でした。

映画製作サイドのうまさがランクアップしたこともあると思われますが(特に、袴田氏の獄中からの手紙の引用の仕方や音楽の使い方など)、何よりもキャラ立ちした袴田巌氏と姉の秀子氏の存在は大きいと言えます。特に、主役の巌氏を完全に食った感のある秀子氏の存在感が、この映画を映画として面白くしていると感じました。

映画は説明的ではなく、袴田巌氏の奇妙な言動にも解説を加えず淡々と描く作風です。部屋の中をぐるぐる歩く姿は、拘禁反応による障害だとは分かっても、例えば彼が時折見せる「ピース、オッケー、ピース」のハンドサインは宇宙との交信をしているであるとか、うちわを常に手放さないのは拘禁反応の障害の影響であるとか、ジャンケンでもパーしか出せないとか、そうした説明は一切ありません。

彼の奇妙な言動が観客席の笑いを誘うシーンも多々ありましたが、私は正直笑うことはできませんでした。それが苛酷な仕打ちの結果だからです。それを思い知ったのは、映画の中に登場した桜井昌司氏の言葉でした。彼は29年間の投獄生活の一部を、袴田巌氏と同じ東京拘置所で過ごしていますが、死刑執行が朝に告げられることから、その時間が過ぎるまで東拘全体が水を打ったように静かになるそうです。そうした毎日を死刑囚として送ってきた袴田巌氏のストレスがまざまざと心に迫る一瞬でした。

それに対し、超然とした秀子氏の言動には思わず笑わされることも度々ありました。離婚後、独り身で月一度の弟への面会を遠方から欠かさず、彼の無実を信じて支える秀子氏のタフさとそのポジティブさには、頭が下がる思いです。

事件を知らない人の入門としては、事件の説明がほとんどないため、物足りない部分はあるかもしれませんが、ある程度のバックグラウンドの知識があれば、映画として楽しめる良質の作品だと感じました。

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2/6/2016








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category: 袴田事件

2016/02/06 Sat. 09:28 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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