「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (86) 「司法改革 (1)」1/14/2012 

#検察なう (86) 「司法改革 (1)」1/14/2012

システムというのは常に時代に合わせて変化していくべきものですが、競争原理の働く資本主義経済とは異なり、役所の立て付け、運用といったものはどうしても時代に取り残されてしまいます。社会の変革のスピードが加速度的に増す現代では、そうした変化のスピードが遅い世界は、取り残されガラパゴス化していくのは必至です。

我々弁護団(含む私)は、私の事案を試金石として、何とかそのガラパゴス化した司法制度に気付いて欲しいと奮闘しています。検察は、結局自ら変革の機会を見送りました。そんな彼らは置いておきましょう。次は裁判所に期待です。

日本の刑事裁判の一審有罪率が99.9%というのはよく知られた事実です。知らなかった?そうなんです。起訴されれば有罪という既定路線がそこにあるように思えるほどのデータです。

そして私の事案でも明らかになったように、検察は無実であろうがなかろうが、彼らが起訴したいものは起訴するということが分かりました。

また数々の冤罪の記録を見ると、冤罪被害者が本当に失望するのは裁判所だと言っています。「検察が被疑者をクロにしたいということは百歩譲ってあったとしても、裁判所には公正な判断を期待した。そしてそれが裏切られた」というものです。

映画「それでもボクはやってない」でも、無罪を出す裁判官が結局左遷されるという挿話があります。

私は司法関係者でもなければ、裁判の経験もないので、自らの経験で物を語ることはできません。しかし、以上に述べたことは多分に被害者感情により、事実を曲解してるのではないかと思っています。一審有罪率99.9%というのは、裁判官が検察に親和的であるがゆえでもなく(判検交流は全く別の次元の話ですが)、また無罪を連発すると出世に響くという理由に依るものでもないと思っています。

まず、皆さんは一年に新しく受理される裁判の件数が何件かご存知でしょうか。多分、皆さんの想像は桁数が違っていると思います。

裁判所は統計を公開しています。

ここをクリック→裁判所統計

驚くなかれ、年間450万件もの訴訟が起こされています。

かたや裁判官の数は、wikipediaによると最高裁裁判官15人を筆頭に合計3566人(平成21年4月現在)。年間営業日数を250日とすると、単純平均で、毎日、一人5件の結審をしていかないと未決の訴訟がどんどんたまっていくことになります。実態は単純平均とは異なるとしても、相当な負荷であることは間違いないでしょう。

私が想像する、「裁判所の事情」というのは以下の通りだと思います。全くの私見ですが、概ね当たらずとも遠からずなのではないでしょうか。

1) 無罪判決を書くのは、有罪判決を書くより相当骨が折れる
2) 裁判官の人事考査は、無罪を書こうが有罪を書こうが全く関係なく、処理件数が物を言う
3) 日本の評価システムにありがちだが、裁判官も「いかに素晴らしい判決を書くか」という加点主義ではなく、「いかに誤審を防ぐか」という減点主義の評価システムに基づく

順に説明します。

1) 本来、推定無罪の大原則があるため、無罪判決の方が有罪の判決よりも圧倒的に簡単に出せるはずです。無罪を出す理由も、単に「『合理的な疑いが入る』ピリオド」で、Not Guiltyと言えばいいだけです。ところが実際には、検察の主張を押し返すのは相当に労力がいるようです。裁判所は検察からは完全に独立していますが、検察に「黙れ」という程優位にあるわけではないと思います。検察はコスト度外視で人的資源を投下して捜査をし、彼らにとって完璧な資料を揃えてきます。彼らにいちゃもんをつけさせないためにも、本来必要とされない「無罪の立証責任」が無罪を言い渡す裁判官に事実上掛かってきます。かたや、有罪の判決は、検察の論告求刑をコピペすれば足ります。

2) 先程述べたように、裁判の受理件数が膨大な反面、裁判所の人的資源は限られています。迅速に処理をすることで上の覚えが高くなることは容易に想像できます。彼らに問われているのは事務処理能力の高さであり、それを測るのが(有罪、無罪に関わらず)処理件数だと思います。

3) そして一番重要なのが、誤審を怖れるという行動原理です。この点に関しては、次回の経過報告で詳しく述べようと思いますが、一審の裁判官とすれば、彼らの判決が高裁でひっくり返るというのは致命的なダメージです。そして有罪が無罪になる確率と、無罪が有罪になる確率とでは、残念ながら後者の方が高いと思われます。

以上、極論しましたが、これらの要素を勘案すると、どうしても有罪を書くバイアスが強くなるように思えます。そして無罪を出せる裁判官には、水準以上の能力と努力が求められると想像します。いかに優秀な集団でも、個人レベルでの資質の違いは出てきます。「無罪を書ける」ハードルが彼らの中でどの水準になるのか全く想像はつきませんが、少なくとも全員の裁判官が「無罪が書ける能力がある」あるいは「無罪を書こうとする労を惜しまない」ものではないと思います。

それ以外の問題点としては、若干社会的なバランス感覚が欠けている裁判官もいるのではないかと想像します。

裁判官は、ほとんどの方が職業上の自発的制約から運転免許を持っていないようですが、そうでなければ時速10Kmで走行するアンチロックブレーキ付きの車両がいかに急ブレーキを掛けたからといって1m以上のスリップ痕がつくとは思わないはずです(高知白バイ事件)。

痴漢行為を働く裁判官は勿論いないのでしょうが、その行為自体リアルに想像もできないのでしょう。そうでなければ、痴漢犯が後ろ手で痴漢行為を行ったり、被害者が膣内に指を入れさせるまで容認していたとは思わないはずです(西武池袋線痴漢冤罪小林事件)。

証拠を隠すためにコンドームの外袋を持ち去る用意周到な犯人が、自分の精液が入ったままのコンドームを便器に放置していくという想像が働くのも不思議なものです(東電OL事件)。

勿論、そうではなく、社会的バランス感覚にも富み、有能、やる気一杯の裁判官も少なからずいるはずです。そして残念ながら、そうした裁判官に当たらないことには、検察の牽強付会の論理ですら論破できないというのが実情ではないかと想像します。

皆さんは、「冤罪はこうして作られる」実況中継の特等席にいます。今後も是非ご注目ください。

1/14/2012

category: 刑事司法改革への道

2012/01/16 Mon. 00:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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