「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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嘆願書 (24/146) 高島由利 

嘆願書 (24/146) 高島由利

犯罪の契機は、結局動機と人品に関わると思っています。その人品に関して、私の友人・知人に「あなたの知っている八田隆を文章にして下さい」と依頼しました。そして集まったのが146通の「嘆願書」です。検察特捜部に提出したものですが、本人の了承を得て実名公開します。

嘆願書24通目は私の高校後輩からのものです。

私にとって、高校卒業まで生まれ育った故郷金沢は、私のアイデンティティーです。

小学校の時、学校にいつも遅刻しそうになって走り抜けていた兼六園。中学になって、自転車通学が許される範囲外だったため学校まで自転車で行けず、いつも自転車を置かせてもらった金沢神社の木霊がいるような森。高校はバイク通学でしたが、冬にはいつも雪の中1時間近くかけて歩いた通学路の犀川べり。夏のテニスの大会のじりじりする日照りの兼六園コート。高校時代に背伸びしてボトルキープまでして飲み歩いた片町の夜。大学に入って車の免許を取ると、帰省の度に車で行った卯辰山からの夜景やなぎさドライブウェーの夕日。いつも私の心の中には金沢の風景があります。

私が持つ金沢のイメージは「水」です。

私が子供の頃に、百万石祭りの前夜祭の提灯行列で歌いながら歩いた金沢市民の歌は

「二つの流れ遠長く、霊沢澄んで湧くところ、甍の数の日に添いて、自ずからなる大都会」

これが一題目です(歌詞の一番目を「題目」というのは方言らしいですね。私は最近知りました)。この歌詞にもあるように、金沢には二つの川が流れています。犀川と浅野川。そして私が通っていた小・中学校は市のど真ん中の、今は金沢21世紀美術館が建てられた場所にあったのですが、学校の目の前には辰巳用水という名の用水路が流れていました。金沢は海沿いでもあり、水に囲まれたうるおいが豊かな都市です。

私が物心ついて東京に初めて出てきたのは、祖母に連れられ、日立と藤沢に住む叔母たちの家を訪れる途中に寄った、中学1年の春休みでした。夜行寝台列車から山手線に乗り継ぎ、降りた場所は東京駅八重洲口。東京は人が多いと思っていたのに、人っ子一人いないのに大変驚きました。それもそのはず、週末の早朝にそんなところに人がいるはずはないのですが、私も子供だったので、「なんじゃこりゃ」と吹きすさぶからっ風の中、荒涼とした光景に圧倒されていました。全く水がない、緑がない。と思ったものです。夜行列車の中で読んでいたのが、太宰の「人間失格」だったので、どよ~んとした陰鬱な雰囲気がマッチして、それが私の東京の第一印象でした。

高校卒業から東京に出てきましたが、以来住んでいた場所は、千歳船橋→代々木上原→二子玉川→上野毛→用賀→(白馬)→祐天寺→目黒→(バンクーバー)と引っ越しました。二子玉川は好きな街です。あの地下鉄から、がーっと外に出てきた時に多摩川の夕焼けが見えると、車内が「おーっ」というざわめく瞬間は最高です。水の近くというのは落ち着くんだと思います。

高島は高校の一年下のテニス部の後輩でした。私の同級生が下の学年にも声を掛けて嘆願書を頼んでくれたため、彼女と高校卒業以来久しぶりに会うことができて、昔話に花が咲きました。嘆願書の中の「自転車をこぐ」というのは、彼女の自転車を二人乗りしていてお巡りさんにつかまってしまうというオチがあるのですが、そうした反社会的行為は書いてはいけないと配慮してくれたんだと思います。かわいい後輩の一人でした(おっと、女性には過去形じゃいかんな)。

<嘆願書>

八田隆氏は、石川県金沢大学教育学部附属高等学校で私の先輩でした。同校は、1学年3クラスしかない小規模校であったため、学校行事や課外活動でも学年の枠を超えて一緒に活動する機会が多く、先輩後輩の結びつきが大変強い学校でもありました。

私は入学と同時に硬式テニス部に入部しましたが、文武両道の素晴らしい先輩方が揃っている事に驚きを覚えたものです。中でも、八田先輩は私に大きなインパクトを与えた方でした。たった1年しか年上ではないはずなのに、自分よりも数倍大人で、人生を何倍も経験しているような、高校生でありながらすでにしっかりと自己が確立しているという印象でした。八田先輩はいつも友人や後輩に取り囲まれている方でした。お話しの端々から熱心な読書家である事が伺えました。文学作品を通じて人間や世の中について実体験以上に多くの事を学んでいたせいもあり、年齢以上に大人びた印象を醸し出していたのかもしれません。常に、強い意志と信念を持っている方でした。テニスの指導時を含め、話し振りは、常に論理的で明確でしたが、時折発するお茶目な冗談や屈託のない笑顔は、相手への思いやりを忘れない優しい人柄を感じさせる一面でもありました。

社会人になってからは直接お会いする機会もめっきりなくなってしまいましたが、高校時代から常に注目される存在であったため、時々、同級生や共通の知り合いより、八田先輩は華やかで注目を浴びがちな外資系金融業界で活躍しているという事を伝え聞いておりました。しかしながら私の中での八田先輩は、30年前と変わらず遠くに医王山を望み金沢市内を流れる犀川の川原で自転車をこぐ、素朴で誠実な文学青年です。「三つ子の魂百まで」という諺があるように、学生時代にあんなに立派で周りから尊敬されていた八田先輩が、例え社会に出て人生の荒波に揉まれたからといって、人から後ろ指さされるような事を決してするとは思えません。私と疎遠になっていた期間も昔と変わらず、きっと、常に自分にも他人にも正直に真面目に生きてきたのだと確信しております。

今回の脱税容疑のニュースにつきましては、私にとっても青天の霹靂でした。八田先輩に大変お世話になり感謝している後輩の一人として、微力ながら少しでもお力になれないかと思い、このような嘆願書をお送りしている次第でございます。事実が明らかになり、容疑が一刻も早く晴れる事を心底願っております。何卒、公正な調査、判断と寛大なご処置をお願いいたしたく、心よりお願い申し上げます。

高島由利

<以上>


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category: 嘆願書

2012/02/02 Thu. 17:41 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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