「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (100) 「人生の試練」 2/5/2012 

#検察なう (100) 「人生の試練」 2/5/2012

「#検察なう」も100回を数えました。当初は嘆願書を書いて頂いた方々への近況報告ということで書き始めたものですが、捜査権力に正義はあるとの期待が裏切られることになると認識した時点から、「#検察なう」としてブログをツイッター、フェイスブックにて公開しだしたことは既にご案内かと思います。公開の趣旨は、「こうして冤罪は作られる」という実況中継を当事者の立場から情報発信することが、日本が真の法治国家となるためには必要であると思ったものです。

初公判まであと17日。弁護士によれば、否認事件の平均公判回数は10回程度、公判の間隔が4-5週間とのことなので、判決まで1年はたっぷりかかりそうです。また、検察というところは、旗色が悪くなると悪あがきをするそうで、そうした不当な引き延ばしで、更に時間がかかる場合もあります。通常、強制捜査から告発まで2-3ヶ月、また告発から起訴からも同じく3ヶ月程度という経験則に比較して、私の場合はそれぞれ14ヶ月、22ヶ月と異常に時間がかかっていますので、これからも検察は国家の威信をかけて、個人の人権を踏みにじりにくるものと思われます。私を含めた5人の弁護団は知力、気力、体力とも充実して、この戦いを乗り越える所存ですので、引き続き応援の程お願いします。

「願わくは、我に艱難辛苦を与えたまえ」とは講談で有名な戦国の武将、山中鹿之助の言葉ですが、なるほどよく言ったものだと思います。この三年間の辛苦は私にとって最大級のものではありますが、最大ではないため、乗り切ることに不安はありません。

まず今回の冤罪に巻き込まれたことにどう感じているかを述べてみようと思います。

昨年末、私が西武池袋線痴漢冤罪事件の市民集会に参加した際の、布川事件の被害者桜井昌司さんの言葉をご紹介したことを覚えていますでしょうか。彼は、小林さんが収監される際に面会に行かれたそうですが、その時の気持ちを「私が代わってあげたかった」と言いました。彼らしい半ば冗談交じりの口調でしたが、私はその意味するところがよく分かりました。

例えば同じ一年間監獄に入る場合でも、言われなき罪で入る場合と、自分が犯した罪を償うために入る場合と、正義という大義のために身代わりになって入る場合では、全く受け止め方が違います。桜井さんは無実の罪で29年間監獄に入っていました。彼はもう二度とその場所には戻りたくないと思うはずです。その彼をして「私が代わってあげたかった」と言わしめるのは、それほど冤罪で罰を受けるのは辛いということと、それに比べれば、自分が正義を遂行するための肉体的苦痛は問題にならない程軽いということです。

私の場合においても、私の自己防衛本能が、自分の気持ちをそのように持って行っているのだと思います。それは、私がこのような冤罪と戦うチャンスを与えられたからには、私でなければできないことをしなければいけないと思うことで、無意識のうちに苦悩を軽減しているのではないかということです。

そして、この三年間で一番辛い時はもう過ぎ去りました。一番辛かったのは強制捜査から告発されるまで、国税局の取調べを受けている14ヶ月でした。誰に相談することもなく、一人で、なんとか国税局に理解してもらおうと苦しんでいました。まさか日本の捜査権力が冤罪を作るということを信じることができなかったということもあります。

刑事告発によって、私の覚悟はできたものです。覚悟した人間というのは強いものです。また告発の記事が全国(全世界)報道されたことにより、自分から事件を話すことができるようになったことも大きいと思います。

嘆願書を頼む過程は必死でした。無視され続けると、なぜ自分から傷口を開くようなことをしなければならないのだろうと、気持ちが萎えることも一度や二度ではありませんでした。
「嘆願書なんて書いたところで何にもならない。意味がない」
「八田さんがやったかやってないかどうかは分からないから書けない」
「自分が八田さんの立場だったら、そうした人に迷惑をかけるようなことはしないから、私は書かない」
「嘆願書を書くほど八田さんのことは知らない」
そう言ってくれるのはまだましな方です。一番辛かったのは無視されることでした。嘆願書の依頼をするなり、全くメールの返信もなく、電話をかけても取ってくれずという状況は、「やはり信じてもらえないのだろうか」と思い辛かったものです。

多分この先、この事件を振り返って、一番うれしかったことは146人の方が嘆願書を書いてくれ、またそのほか多くの方が応援してくれたことであり、一番悲しかったのはこの事件で少なからずの友人を失ったことではないかと思います。

先程、この事件が私にとって最大の試練ではないと言いました。私の人生においてはもっと辛いことがそれまでにあったものです。

何と言っても一番厳しい状況だったのは、新卒でソロモン・ブラザーズに入社し、最初の配属先がニューヨークのトレーディング・デスクであったあの一年でした。そして、ベア―・スターンズに入社してから会社が吸収合併されるまでの半年もそれに次ぐ程辛かったものです。

私はこれらの経験があるため、今の状況を乗り切れているのだと思います。

ソロモン・ブラザーズでは、毎年、全世界の新入社員をニューヨーク本社に集めて研修を行います。東京のトレイニーは7月から11月の4ヶ月の研修が終わると、東京オフィスに戻って配属が決まりますが、その雇用は確保されています。状況が違うのはアメリカのトレイニーで、研修期間中、彼らは配属先を確保すべくデスクに自分を売り込みに行きます。「うかうかしてるとダラスの株のセールスに回されるぞ」(ダラスが辺境とみなされ、「ボンド(債券)・ハウス」と異名を取るソロモン・ブラザーズでは株よりも債券を志望する人が多かったことによります)というジョークがアメリカ人のトレイニーの間で言われていました。それでも普通の状況であればなんらかの仕事にありつけるはずなのですが、私たちの研修中に起こったのがブラック・マンデーでした。結局、アメリカ人のトレイニーは半分近くが職を得ることなく会社を去ることになりました。

私は、11月の研修終了後に、東京オフィスの意向で、ニューヨークのモーゲージ(住宅ローン担保債券)・トレーディング・デスクに配属となったのですが、モーゲージ・トレーディング・デスクはアメリカ人のトレイニーの間でも、トレジャリー(米国債)・トレーディング・デスクと並んで花形の人気デスクでした。トレジャリー・トレーディング・デスクを指向する人間は優等生タイプ、モーゲージ・トレーディング・デスクを指向する人間は(商品が複雑であったため)とにかく頭の良さには自信があるというタイプという違いがありました。

そしてこの年、モーゲージ・トレーディング・デスクに配属となった新人は私ともう一人のアメリカ人の二人のみ。「なんで英語もできない奴が」という他のトレイニーからのブーイングは半端なかったものです。それもそのはず、その当時、東京オフィスでは全くその商品が売れていなかったため、「なぜ東京にモーゲージのスペシャリストを置かなければならないんだ」という反発がデスクからも相当ありました。

そういう環境でスタートした私のオン・ザ・ジョブ・トレーニングも精神的に相当過酷なものでした。

全ての取引を電話で行うため、英語のブラッシュ・アップは必須でした。私は日本の英語教育しか受けていなかったため、英語がまともに話せる状況じゃなかったからです。

配属初日にボスに挨拶に行った時、ボスは「この2分間の自己紹介で、私はお前の英語が2ヶ所理解できなかった。それじゃ全く使い物にならん。会社に来なくていいから英語を勉強しろ」と言われました。悔しかったもののどうしようもなく、私はコロンビア大学に英語の勉強に行くことになりました。しかし、私にも意地があります。ビジネスを習得するためにニューヨークにいるのに、英語を勉強するとは何たる無駄と思い、朝早く会社に行き、そのままスーツで学校に行き、学校からまた会社に戻るという生活を3ヶ月続けました。その3ヶ月は会社に来なくてもいいと言われていたわけですから、私の席はありません。休暇の人のデスクを借りたり、折り畳み椅子を使って、なんとかデスクに溶け込もうと苦労していました。それでも最初は完全に無視されていました。

3ヶ月が終わって、ようやく自分のデスクがもらえたものの、誰も何も教えてくれるでもなく、私の葛藤は続きます。とにかく仕事の手伝いをしようと電話を取るのですが、これが半端なく大変。トレードの時は一刻一秒を争って、各支店の営業がニューヨークのトレーディング・デスクに電話してきます。債券の種類を特定するのは8桁の番号なのですが、数字を一気に言われて聞きとれないと電話口で怒鳴られます。また人の名前を聞きとるのも大変です。シニアの営業だと、「何で声で分からないんだ」と名前を言うのを拒む者もいる始末です。

今ほどウォール街はお上品ではない時代でしたから、人種差別ありの罵詈雑言を浴びせられることもしばしば。階下のシニアの営業の電話を取って、つなげようとしたのですが、トレーダーが手一杯で放置していたところ、その営業が上がってきて、「俺の電話を取った黄色いサルがここにいるだろう!」と怒鳴りこんでくるということもありました。

毎日が戦争でしたが、私の存在感は全くなく、あれほど不安で心細かった経験は後にも先にもなかったものです。私の外資証券での20年のキャリアの成功はあの一年の貯金で食っていたというくらい鍛えられたと思います。

ベア―・スターンズの半年間も辛かったものです。今度は先のソロモン・ブラザーズの状況とは対照的に鳴り物入りでベア―・スターンズに入ったものですが、自分の状況は、あのマイケル・ジョーダンが野球のプレイヤーに転向したのみならず、野球の監督になったようなものだと思っていました。ベア―・スターンズの役職は東京オフィスの共同債券営業部長。東京のビジネスは大部分が円のビジネスです。外国債券では「神」の私も、円の世界では全くの門外漢。クレディ・スイスを辞めた時点で、既にベア―・スターンズとは話を始めていましたが(クレディ・スイスを解雇された表面上の理由は「他社と雇用の交渉をしたから」というものでした)、その後ベア―・スターンズからは一旦断られています。それは私に円のビジネスのエキスパティーズ(専門知識)がなかったからです。その話が復活したのは、円にエキスパティーズのある、もう一人の共同部長とペアを組むことで行こうとなったからです。

彼は私と好対照で石橋を叩いて渡り、全てにそつがなく、とにかく優秀な奴でしたので、本当に助けられました。彼も嘆願書を書いてくれ、戦友からのエールが本当にうれしかったものです。

この半年間が辛かったのは、仕事が純粋なマネージメントとなり、自分でやる仕事の責任感とは違ってとてつもなく大きく、またニューヨークからのプレッシャーも大きかったことが一番ですが、人事の問題も負担となりました。

ベア―・スターンズは、アメリカ本国ではゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリル・リンチ、リーマン・ブラザースに次ぐ5番目に大きな独立系証券会社でした。ところが東京でのプレゼンスは今イチ。そのテコ入れとして、私ともう一人で営業のヘッドの刷新が行われたものです。

入社して驚いたのは、営業の質の高さでした。とにかく何もない環境で生き延びて来た彼らだったので、ビジネスの勘所は、東京の投資家から認知度の高い看板のある会社でやってる人間とは一味も二味も違うというのが印象でした。ところが、彼らのチームワークの無さというのはひどいものでした。東京の投資家と大きなビジネスを展開する上では、会社のブランド・イメージを上げることは必須です。そのためには個々の能力もさることながら、組織力で営業をしないと駄目だというのが私のポリシーでした。

そこで親交を深めようと私が自らの歓迎会として企画したのが仮装パーティー。これが彼らの一部に大顰蹙を買ってしまうこととなったものです。私は、「仮装しない権利」をオプションとして売ることで、仮装したくない人はカンパすべしとしたのですが、仮装もしたくない、カンパもしたくないと声高に反抗する者が一部にいました。新しいマネージメントへの明らかな抵抗というわけです。ちなみに私はシルバーのかつらにセーラー服で全て私のポケットマネーで私の歓迎会を行いました。

ニューヨークのマネージメントは東京の営業の首のすげ替えを計っていました。それに異議を唱えたのが、私たち新しい営業部長の二人でした。そして、一番ニューヨークのマネージメントが首を切りたがった人間をかばった私が逆にその者からパワハラで訴えられる事態となりました。新体制のマネージメントへの反抗ですが、直接の理由は先の「仮装の強要」でした。そして、会社の方はそのパワハラの訴えをもって、「上司への不服従」として、その者に退職勧告をするという緊張感満点の状況でした。

人事面では一触即発の爆弾を抱えながら、ベア―・スターンズは中国の大手証券と合弁会社設立の合意に達し、東京オフィスもその証券会社との合弁会社に転換する中で、人員増強で人を増やし、顧客にも新体制を強力にアピールする毎日でした。間違いなく私の20年の外資証券のキャリアで一番忙しい半年でした。朝から晩まで仕事、仕事、仕事と突っ走っていました。

ベア―・スターンズがJPモルガンに吸収合併されることを発表する直前、私はロンドンに出張に行っていましたが、その間に確定申告の期限を迎えています。プライベートに全く時間を割けない中、確定申告は税理士にお願いしていたのですが、よく彼に依頼をする余裕があったものだと思います。私も茂木健一郎のように、「忙しいから」と確定申告を全くしなければ、国税局・検察のいうところの「殊更に過少申告する」ということもなかったのに、と全く皮肉なものだと思います。

このソロモン・ブラザーズでのニューヨークのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)とベア―・スターンズでの半年があったからこそ、今のこの試練もなんのそのという気分でいられるのだと思っています。

大きな問題に直面した場合には、それに背を向けて逃げようとした瞬間、後ろから襲いかかってくるものです。とにかく前向きにぶつかってなんとか突破しようとする姿勢が必要だと思っています。それ以外のことはできない性分でもあるので。

すいません、長くなりました。引き続きご支援のほどお願いします。そして再び、ここまでの応援ありがとうございました。

2/5/2012

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2012/02/05 Sun. 02:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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