「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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嘆願書 (33/146) 米村望 

嘆願書 (33/146) 米村望

犯罪の契機は、結局動機と人品に関わると思っています。その人品に関して、私の友人・知人に「あなたの知っている八田隆を文章にして下さい」と依頼しました。そして集まったのが146通の「嘆願書」です。検察特捜部に提出したものですが、本人の了承を得て実名公開します。

33通目の嘆願書は、私のワインつながりの友人、米ちゃんからのものです。

説明よりまず彼のスパイスの効いた嘆願書をお読み下さい。

<嘆願書>

私は、資産運用というものをまったくしない人間であることもあって、八田隆さんが従事していた職業に関しては、ネガティヴに捉えておりますし、また私と同じ年齢である八田さんが得てきた報酬が、私個人とは比べようもないくらい巨額であることには、正直申し上げて、妬みや僻みを感じてしまいます。

しかし、今回の「脱税」というものの経緯を、八田さんから教えてもらった情報に則して、また八田さんという人間を知る友人としての観点から申し上げると、そこに「故意」や「悪徳」が介在するとは、考えにくいと思っております(もちろん今後新たに、「自白」以外の「物的証拠」や「状況証拠」が出現しない、という前提ではありますが・・・)。

われわれ一般人も「地検特捜部の国策捜査」というものの一端を知ることになった現在、もしこの裁判が、「外資金融業界で大儲けした金持ち」を、「有罪という結論を導くためのストーリー」に沿って行われるとしたら、「特捜部」「国策捜査」というものに対する疑念はいよいよ増し、「日本の正義というものは、恣意的なものだ」という認識が、広がっていくような気がします。

八田隆さんは、いい加減なところも多々ある人物ですが、不正なことを意図的にするには、モラルが邪魔をしてしまう性格であると、私は思っております。

検察におかれましては、八田さんのことばに、真摯に耳を傾けていただきますよう、お願い申し上げます。

米村望

<以上>

この米ちゃんの嘆願書が弁護士の元に届けられたのが、2010年の3月。村木氏が郵便不正事件で無罪判決を受ける6カ月前のことです。

勿論、彼の普段からの政治的関心や知識というものが人より長けていたということもあるのでしょうが、あの時点でこのように物事を俯瞰的に見ることができたというのは大したもんだな、と思います。

実は、私は「国策捜査」という言葉を知りませんでした。ある機会に別の者(彼はベアー・スターンズの同僚だったのですが)と話をしている際にも、「えー、八田さん、それって国策捜査じゃないですか」と言われても、それが何か聞き返すのが恥ずかしかったので、知ったかぶりをして「そうなんだよ。よく分かってんじゃん」と答えたものです。

国策捜査という言葉は、先日日経ビジネス掲載の記事のタイトル「クレディ・スイス『国策捜査』の真実」にも使われています。

ここをクリック→ 日経ビジネス「クレディ・スイス『国策捜査』の真実」

Wikipediaで「国策捜査」を検索してみました。

ここをクリック→ Wikipedia 「国策捜査」

「国策捜査(こくさくそうさ)とは、捜査方針をきめる際に、政治的意図や世論の動向にそって検察(おもに特捜検察)が(適切な根拠を欠いたまま)『まず訴追ありき』という方針で捜査を進めることをいう。」

「政治的意図」に「役所のメンツを保つため」とか「国税局に押し切られたため」といったものを含ませるならば、私が巻き込まれたクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件における捜査も、文字通りの国策捜査です。本事案は笠間検事総長も了承の(彼が起訴を後押ししたということではありません。彼のこれまでの言動を見る限り、彼は、検察庁の中で孤軍奮闘改革を進めようとしている人物だと私は思っています)、高度に政治的判断を巻き込んだものであると思っています。

国策捜査における権力の行使者を検察と限定した用語に「検察ファッショ」という言葉もあります。同じ意味です。

検察には、効果的に捜査を行い、正義を遂行してもらうために強大な権力が与えられています。同時に、彼らを監視する組織・機関はありません。彼らを律するものは彼らが身につけるバッジ「秋霜烈日」が表象する、自らに厳しくあれという精神だけです。そして国民の誰もが(多分、裁判官も含め)、彼らの無謬性を信じて疑わないというのが、これまでの状況でした。

ところが国策捜査という言葉があること自体、一部の人間はその無謬性に疑いを持っているということを表しています。そして私も、実体験を通して、検察が公権力を濫用して、真実を捻じ曲げるということを知ったものです。

これをお読みの方の中で、「彼らが、無実の者を罪に陥れるなんて、そんな悪いことをするのだろうか」と思われた方がいらっしゃったとしたら、まだ認識は不十分だと思って下さい。私は、彼らはそれが悪いことだとは思っていないと思います。だからこそできることです。彼らも人間ですから、(性善説信奉派の私は強く信じていますが)、それが悪いことだと思ったら、彼らもそんなことはできないはずです。国家権力の権益と個人の人権の間でのプライオリティーの問題です。彼らが信ずる正義と一般的に信じられている正義との定義の違いと言ってもいいかもしれません(田原総一朗氏はそのように説明しています)。

ちょっと概念的過ぎるかもしれませんね。それではこういう説明はどうでしょうか。彼らの仕事だと彼らが思い込んでいるものが「法と証拠に基づいて起訴できるものは起訴する」ことだということはご理解頂けるでしょうか。

私は、検察の取調べで、検事に何度も何度も「検察は真実の追求をすべきだ。起訴をするということがあなたたちの仕事ではない」と訴えてきました。そして彼らに私の訴えが届くことはありませんでした。

確実に言えることは、検察官としての任務遂行の上には、「人間としての良心は必要ない」ということです。むしろそれを殺してこそ恣意的でない捜査が行えるとすら彼らは思い込んでいると思います。

検察が、私たちの知っている「正義」を遂行しないということは、国民全体の脅威だと思います。そのためにも「冤罪はこうして作られる」という現場中継的情報発信をこれからも継続していこうと思っています。

引き続きご支援の程、よろしくお願いします。


ここをクリック→ 米村望嘆願書


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category: 嘆願書

2012/02/11 Sat. 15:52 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

公調検事の答弁書

昨日夕刻に神田で元大阪高検検事の三井環氏らと歓談した
初対面の三井氏だが、共有するム所体験からか愉しく呑んだ
しかし私の事件を全く知らず検察官犯罪書証を郵送する約束をしたが
この答弁書を見たらさぞかし驚かれることだろう。


検察官犯罪は個人責任でないから税金で払って貰え
高橋真検事の答弁書 認否はしない
http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/120401.jpg.html

遂犯無罪 #1S0t/Q7o | URL | 2012/04/02 Mon. 20:17 * edit *

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