「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (110) 「証拠開示」 3/6/2012 

#検察なう (110) 「証拠開示」 3/6/2012

「検察の手中にある捜査の成果は、有罪を確保するための検察の財産ではなく、正義がなされることを確保するために用いられる公共の財産(the property of the public)である」

これは1991年カナダの最高裁での判決文です。

実に正しいことを言っていると思いますが、この一般人の感覚で普通のことが、我が国日本では行われていません。

皆さん、「冤罪File」という雑誌をご存知でしょうか。

ここをクリック→雑誌「冤罪File」

冤罪ネタだけで定期刊行される雑誌ができるというのも「日本は冤罪の宝庫なんかい」と驚いてしまいます。

最新号の中の「福井女子中学生殺人事件」の再審開始決定の記事に、証拠開示について書かれていたので、少し長くなりますが引用します。

「福井女子中学生殺人事件の再審請求での闘いを一言で言えば、『証拠開示』との闘いだったと言える。

04年に弁護団は再審請求の申し立てをしたが、その後、3、4年は、ほとんど進展がなかった。検察が弁護団の開示請求に対して何も答えようとせず、膠着状態が続いていた。

ところが、08年に裁判官が替わり、検察に対して証拠開示を促す『勧告』を出すに至って、いっきに審理が動き出したのだ。この異例の『勧告』には布川事件の再審請求審の流れが大きく寄与しているもの、と筆者は考えている。

その3年前の05年に、水戸地裁土浦支部が布川事件の再審開始決定を出した。検察が隠していた100件を越える証拠が開示され、それが再審開始への大きな力となったのだ。もし、隠されていた証拠が最初の裁判で法廷に出ていたら、判決は違っていただろう。『検察は無罪の証拠を隠し続けている』それを目に見える形で示した布川事件は、多くの裁判官に強いインパクトを与えたはずだ。

冤罪の背景にはいつも検察の証拠隠しがある。しかし、もっと大きな問題は裁判官の『検察妄信』である。100件を越える布川事件の証拠開示はその『検察妄信』にひびを入れたのではないか、それが福井事件の再審請求審の『勧告』に続いている、と見ることができる。

『証拠開示』と『DNA鑑定』が冤罪と闘う弁護団の2つのエンジンになっている。後ろを見れば、足利事件がDNA鑑定、布川事件が証拠開示、前を見れば、この福井事件が証拠開示、そして東電OL殺人事件、袴田事件がDNA鑑定と続いている。

DNA鑑定は、有無を言わせぬ形で『無実』の発見につながるが、すべての事件に対して有効だというわけではない。その点で、証拠開示は、地味だが冤罪を暴く原点である。」

この記事にあるように、日本においては検察が証拠開示を行わず、被告に有利な証拠を隠匿することで冤罪が生まれています。

私の事件でも、初公判において、検察は証拠調請求を行いましたが、それは彼らの手持ちの証拠全てを裁判所に提出しようというものではありません。

例えば、クレディ・スイスの社員の相当数に検察は取調べを行っていますが、私の知らない社員にも広範囲に取調べを行っていると思われる状況から、彼らが隠している調書は相当数あると思われます。私と同じく株式報酬を得ていたという状況から、彼らの供述調書は非常に重要な情報だと思います。それを証拠として提出しないというのは、その供述調書には私に不利な情報がなかったという理由以外考えられません。

現在、弁護士はこの調書を含め、検察が持っているであろうかなりの量の証拠開示を求めています。しかし、彼らがどういう証拠を持っているか分からない中での手探りの証拠開示請求です。検察は証拠一覧といったものを公開しないからです。

先日の初公判後の記者会見でも、私はこの点について強く主張させてもらいました。

ここをクリック→江川さんツイッター

郵便不正事件を受けて、検察改革を標榜する検察理念にはこうあります。

「あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない。我々が目指すのは、事案の真相に見合った、国民の良識にかなう、相応の処分、相応の科刑の実現である」

彼らが圧倒的な権力をもって収集した証拠のうち、自分たちに都合のよい、被告に不利な証拠のみを裁判に提出するという行動と、彼らの謳う検察理念が相反することは明らかなのではないでしょうか。

結局、検察理念はお題目なのでしょうか。検察は犯罪製造マシーンなのでしょうか。それを今後も問うていきたいと思っています。検察の無謬性が単なる神話に過ぎないということはもう事実なのではないでしょうか。

3/6/2012

P.S.
前回の経過報告で公開した、「検察なう」トゥゲッターのビューア―の数が、日本時間3/6 午後1時半時点で3300人を越えました。依然拡散中です。
ここをクリック→「検察なう」トゥゲッター

「初公判」トゥゲッターのビューア―も1200人を越えています。
ここをクリック→「初公判」トゥゲッター

category: 刑事司法改革への道

2012/03/05 Mon. 20:49 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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