「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (114) 「可視化について」 3/22/2012 

#検察なう (114) 「可視化について」 3/22/2012

検察・警察取調べの可視化の議論をここしばらく耳にすることが多くなりました。依然、重要な問題であるという世の中の認識です。

「可視化とは何か」については添付の日弁連作成パンフレットをご参照下さい。

ここをクリック→可視化日弁連パンフレット

私は、これまで何度か言ってきましたように、被疑者本人の取調べの可視化は、勿論反対するというものではないものの、それほど積極的に支持してきませんでした。しかし最近、その意見を改めようと思っています。なぜ以前は積極的ではなく、最近になって変節したかは後ほど述べます。

この可視化の議論について、最近で一番重要なターニング・ポイントとなりえたのが丁度一年前の検察在り方検討会議の提言でした(注1)。

検察改革のために、一昨年11月から4ヶ月かけて議論されたその会議での一つの目玉が、可視化の即時施行だったと思います。改革推進派と現状維持派との意見がせめぎ合う中で、十分に議論を尽くせず、現状維持派が面目を保ったという印象がありましたが、改革推進派にとって不幸だったのは、東北大震災でそれまでの検察改革ムードが吹っ飛んだことです。

「国家の一大事に、こんな議論をしている場合じゃないだろ」というのは分かるのですが、それならそれで期限を延長するべきだったのでしょうが、結局は拙速ともいえる結論を急いだ形に、少なくとも私の目には映りました(注2)。

それではその検討会議の提言の可視化に関する部分を見てみます。

検察における取調べの可視化の基本的な考え方
「被疑者の取調べの録音・録画は、検察の運用及び法制度の整備を通じて、今後、より一層、その範囲を拡大するべきである。」

日本語というのは実にあいまいなものです。この「べきである」というのはするんですか、しないんですか、と問えば「しない」となるのでしょうか。いわゆる先送りという雰囲気が漂っていますが、これは世論が「けしからん!」と言えば、変わっていくと思います。逆に言わなければ変わらないということなのではないでしょうか。

そして特に特捜部の捜査において踏み込んで議論しています(特捜部取調べにおける可視化が一番ハードルが高いため、まずここを変えればほかも変わるという認識です)。
「特捜部における取調べの録音・録画の試行に当たっては、できる限り広範囲の録音・録画を行うよう努め、1年後を目途として検証を実施した上、その検証結果を公表すべきである。」

1年が経過しようとする今後、近いうちにこの検証結果が出てくることを期待しています。

先にもどって、私がなぜ積極的に可視化を支持していなかったかという点に関して述べますと、それは議論の焦点が私のものとは違っていたことによります。

例えば、村木氏の郵便不正事件の取調べにおいて、村木氏の取調べを全面可視化してあの事件は防げたでしょうか。そしてなぜあの事件で一審無罪となったかについては、村木氏本人が否認を貫いたことが決定的な理由ではないと思っています。

あの事件で一審無罪となったのは、検察の取り調べ段階で彼女に不利な証言をしていた参考人が、公判でその供述を覆したことが決定的理由だったと思います。そしてあの事件を可視化によって防ぐには、村木氏本人ではなく、参考人の取調べ可視化が有効だったと思います。

ところが、先の検討会議提言において、参考人取調べの可視化については、注記に留まり、その内容も「今後、更なる検討が行われることが望ましい」というものでした。

こっちを先にやらんといかんだろー、と私は思いました。被疑者本人は自分のことですから、何とか踏ん張れても、参考人はいとも簡単に取調べ官の誘導・誤導に屈すると思っていました。

ところが、その「被疑者本人は否認できるはずだ」との認識を覆すことになった契機は、先日、北稜クリニック筋弛緩剤点滴混入事件の犯人とされた守大助氏の手記「僕はやってない!」を読んだことによります。

この事件は、仙台のクリニックで容体の急変する患者が相次ぎ、看護士であった守氏が筋弛緩剤を点滴に投与して彼らの殺害を企てたとして、1件の殺人、4件の殺人未遂の計5件で逮捕・起訴された事件です。無期懲役が確定し、守氏は現在収監中ですが、この事件も冤罪である可能性があるそうです。

私には、色々な資料を見ても、はっきり言って、この事件が冤罪であるかどうかの判断は付きかねました。私には、それが医療過誤によるものか、筋弛緩剤投与による呼吸停止が原因によるものかを峻別する医学的知識が全くないからです。それを裁いた裁判官は随分と勉強したんだろうなと思いました。但し、冤罪かどうかは分かりませんが、検察は20人もの急変患者リストを作って取調べで自白を迫ったにも関わらず、その凶器であるところの点滴の試料を科学検査で全量消費し、再検査が不可能であるというのは、警察・検察の捜査に大きな不信感をもってしまいます。

そして「被疑者本人は否認できる」ということが必ずしも言えないと思ったのは、逮捕当初自白をする被疑者・被告の守氏がマインドコントロールされていたことが読めて取れたからです。

私の検察との取調べでは、相手がプロのトレーニングを受けた力石徹なら、こちらは野生の勘だけが武器という、気分は矢吹丈でした。階級差もあり(少年院時代はウェルター級とバンタム級で6階級差)、かなり苦戦したものの、終了のゴングが鳴った時には立っていることはできたと思っています。そして「推定無罪」の原則があれば、ダウンさえせず終了のゴングを迎えることができれば判定では勝ちのはずです。

ところが、守氏の場合、やはりボクシングの例を取れば、プロと子供くらいの差がある感じで、格闘ではなく、完全にリンチ状態でぼこぼこにされていました。
「お前はウソをついている!」「ふざけるなよ!けんか売ってんのか!」「間違いなく裁判で有罪!」「証拠は一杯ある!」「お前だ、お前だ、お前なんだ!」「お前が殺したんだよ。死刑なんだ、お前は!」「否認しても死刑だ!」「ここから出られると思ってるのか!」「反省しろ!クズ!」「やってるんだ、人殺し、死刑だ!」「人殺し!殺人者!」「お前なんか人間以下、死んでしまえ!」

彼は、取調べ当初に自白調書を取られるのですが、その後弁護士との接見で、マインドコントロールを解かれます。そして弁護士の指示で、調書に全く署名せずに否認に転じます。一律、調書に署名しないことは得策ではないはずですが、マインドコントロールからぎりぎり抜けだすのが精一杯の守氏に取りうる唯一の策だったと想像します。

取調べというのは圧倒的に被疑者・被告にとって不利な条件の元でなされます。

私の取調べで言えば、検事の質問は私に不利だと思われることの真偽を問うてきてるわけです。つまりこちらは防戦一方。その状況から、取調べの調書に何とかこちらに有利な供述を盛り込もうととにかく知力・気力・体力を総動員して闘わなければなりません。「相手を怒らせる」「相手を調子に乗らせて深追いさせる」といった技巧を使って、何とか取調べのペースをこちらに少しでも有利な状況に持ってくるというのは、さすがに大変なことでした。

守氏の手記を読んで、「僕はやってない」「何で信じてくれないんだ」「死にたい」「もうイヤだ」では、検察の取調べは到底乗り切れないことが分かりました。

その状況を鑑みて、完全宗旨替えです。私は被疑者・被告本人の取調べも完全可視化すべきだと思います。ただ単に私に関して言えばそれが必要なかったというだけの話です。

検察は取調べ可視化に相当抵抗しているようですが、その理由として聞こえてくるのが、「録音・録画されると被疑者・被告が真実をしゃべらない」というものです。密室だからこそ真実は語られるという主張ですが、それであれば公開の場である裁判では、被告は真実を話せないことになります。これは司法を完全に馬鹿にした論理だと思います。

そもそも取調べとは取調官個人と被疑者・被告個人の関係ではありません。国家権力と個人の関係です。その圧倒的弱者の権利を擁護するために取調べの状況が録音・録画されないというのは全くナンセンスです。

そして可視化は当然として、取調べに必要とされているのは弁護士の同席だと私は思っています。

皆さんはアメリカ映画で、被疑者が逮捕される際に、警官が被疑者の権利を読みあげるシーンをご覧になったことがあると思います。あれは「ミランダ警告」(注3)と呼ばれるものです。

以下の4つのことが守られなければ、その供述は証拠として採用されないというものです。

1.  あなたには黙秘権がある。
2.  供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられる事がある。
3.  あなたは弁護士の立会いを求める権利がある。
4.  もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護士を付けてもらう権利がある。

相手は取調べのプロです。そのプロに取り調べられるアマチュアの権利を守るために、取調べにプロの同席を認めるというのは至極当然だと思います。

ここで、添付の日弁連作成パンフレットの10ページ目をご覧下さい。そこには世界諸国の状況が表になっています。それをご覧になって皆さんは驚かれることだと思います。日本がこれ程司法後進国だという認識はありましたでしょうか。

ちなみにドイツで可視化がされていないのは、ドイツにおいては日本のような検面調書至上主義ではなく、公判での証言が調書に優越するという制度だからだということを付言しておきます。

3/22/2012

(注1)
検察の在り方検討会議の議事録と提言は以下の法務省リンクをご参照下さい。
ここをクリック→法務省HP検察の在り方検討会議

(注2) 
検察の在り方検討会議は15回開かれ、最後の3/31の回はシャンシャンでしたが、第14回(3/28/2011)の議事録にある、提言案に対しての江川氏や郷原氏のコメントにその雰囲気が出ています。

千葉座長(元法務大臣)「(提言案について)私なりに精一杯まとめさせていただいてというつもりですので、御了解をいただければと思います。」
江川委員「これで決めるということですか。」

郷原委員「最高検の検証に対する評価は、むしろこの会議全体としては相当厳しい評価だったと思うのですが、改めて議事録を見直してみてもいいんですが。少なくとも、その模様をマスコミも聞いていて、厳しい批判が相次いだというふうにも書いているわけですし、その一般的な認識と、基本的に評価されたという認識はちょっと違うのではないかという気がします。ですから、もう少し、あの時の議論をそのまま忠実に反映したような表現にした方がいいのではないか。決して一方的に評価できるものではなくて、最高検の検証結果はまだまだ不十分であって客観性を欠いているという意見も強く出されたということをこの『はじめに』の中でも書いていただきたいと思います。
それから『おわりに』も含めての話なんですけれども、あたかも全体が非常にうまく意見が一致して、この在り方検討会議の成果が取りまとめられたような雰囲気で書かれているのですが、決してそうではなくて、まだ意見が対立している点も非常に多かったけれども、まあ最低限のところで、こういった成果をまとめたというのが実情だと思いますので、そういう実情を表現していただきたいと思います。決してここに書いていることだけで、ここで議論したことが言い尽くせるわけではないということを表現していただきたいと思います。」

検察在り方検討会議に関しては、郷原氏の以下のコメントもご参照下さい。
ここをクリック→郷原氏コメント

(注3)
1963年に起きた「ミランダ対アリゾナ州事件」の被告の名前をとって名付けられた。その事件は、メキシコ移民のアーネスト・ミランダが18歳の少女を強姦した容疑で逮捕され、弁護人を同席させる権利があることを知らされないまま強要された自白内容を根拠にアリゾナ州裁判所で有罪を言い渡されたもの。そののち上告審において訴訟手続に問題があったとして無罪判決。


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category: 刑事司法改革への道

2012/03/21 Wed. 16:08 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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