「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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外資系証券なるもの (2) 「就活 その1」 

外資系証券なるもの (2) 「就活 その1」

私が就職活動をした大学4年の1986年とはどういう時代だったでしょうか。

就活に関しては、まだ就職協定があり、男女雇用均等法の施行元年、そして1990年の総量規制でバブルがはじける前のラストスパートという時期で、完全に売り手市場でした。

現在は廃止されている就職協定により、学生の就活は、夏の「解禁日」までに採用の内定を取るというものでした。就活の開始は、4年の4月頃というのが当時の常識です。

私が通っていた東大法学部では、「民間落ち」という言葉があり、民間企業に行く者は就活ヒエラルキーでも下位に位置します。

上位に位置するのは、まず官庁。その中でも外務省、大蔵省(現財務省)がワン・ツーです。そして、それに通産省(現経済産業省)、自治省(現総務省)が続きます。

学友との会話です。彼は自治省を狙っていたのですが、
「何で自治省に入りたいの」
「だって、キャリア組ってさ、出世が早いんだよ。30歳代でどっかの警察署長になれるんだぜ」
(げーっ、お前みたいな偉くなりたいだけの奴ばっかりが役人になったら、日本は終わるわ)と思ったものです。

とにかく東大は保守一辺倒で、リベラルな思想なぞ青臭いと言わんばかりです。

権力志向が全く欠如している私は、公務員になろうという気は更々ありませんでした。また、日本をよくしようという、権力志向とは真逆の高邁な思想も当時持ち合わせていませんでした(今はバリバリありますんで、そこんとこよろしく)。

そしてそれら上級国家公務員と同じ、あるいは上と見られたのが司法試験組です。現在は法科大学院なるものができて、新司法試験となってから随分様変わりしたようですが、当時の司法試験の合格者率は2%台、間違って3%台というもの。相当狭き門でした。

私も、大学合格直後は「弁護士ってかっこいいよね」と思ったのですが、大学に通いながら司法試験のために予備校に通ったり、司法試験サークルに入って勉強する学友を見て「無理っ!」と即決しました。

そして就活ヒエラルキーの最上位に位置するのは、大学に残って法律学の研究をする、できれば教授の娘をゲットして、その学派を世襲する、というものでした。

私は、早々とそれらの可能性を全てオミットしていましたので、当然、他大学の学生と共に、就職戦線に参戦です。

当時はインターネットはなく、情報の収集は、主に口コミ。学生間でネットワークを作って(といっても仲良くなるだけなんですけど)、「どこどこの会社が願書をいついつ配布するってよ」というような、今の時代からすると、実に原始的な方法をベースに就職活動を行っていました。携帯電話もありませんでしたから、とにかく会って話をするのが確実な情報伝達方法だった時代です。

環境が売り手市場ということもあり、東大の民間企業就職組も至ってのんびりしたもので、「ゴールデンウィーク明けくらいから始めればいいよね」というのがコンセンサスだったと思います。

東大法学部の学生の間の人気企業というのは、やはりガテン系よりはスマートなところが多かったものです。イメージなんですけどね。社会人になれば多かれ少なかれ、体力勝負の面はあるのですが、学生には分からないものです。具体的な会社名で言えば、日本興業銀行、日本生命、東京海上あたり、ちょっと気の利いた奴で、商事・物産といったところでしょうか。

私の志望はと言えば、電通一本でした。学生時代から下請けのプロダクションのバイトをして、こちらは朝早くから揃いのジャンパーで仕事をしているのに、昼近くになって颯爽とスーツで現れる代理店の営業マンに憧れたという、超ミーハーな志望動機でした。「電通の第9営業局に入ってSP(企業のセールスプロモーション)をやる!」というのが私の計画でした。

計画と言ったのは、私のマインドセットが、「入りたい」ではなく、「入るもの」と思っていたからです。

これは私の本来の性格なのですが、あまり「こうしたい」とか「こうなりたい」という、普通は「夢」と呼ばれる気持ちは持ち合わせていません。それより、「こうする」「こうなる」と自己規定してかかることが多いと思います。そして結果がついてくればよし、結果が伴わなければその時点で再考するというものです。

ですから、あまり非現実的な「夢」を持つことはありませんし、事前のフィージビリティー・スタディ(実現可能性の検証)は無意識のうちに、相当練り込んでると思います。当然、意思決定に至るまでの研究・検討に余念はありません。大胆かつ慎重に、がモットーです。

つまり、就活に関して言えば、当時は「電通に入るもの」と思っていました。

マスコミの募集は比較的早いのですが、大御所電通は満を持したかのように始まります。例えば、先ほどの「ゴールデンウィーク明けでいいよね」と言ってると、始めた頃には「およよ、テレビはみんな終わってんじゃん」という状況だったものです。

今でも募集願書ってのはあるんでしょうか。多分、インターネットなんでしょうね。私の時代は願書配布の日時に、築地の本社まで取りに行きました。願書をもらう順番待ちの学生の大行列です。電通の内定者数は100人程度ですが、応募は何万人という状況でした。

「うへーっ、なんじゃこりゃ。結構、大変そうじゃん」

そうして私の就活戦線の幕は切って落とされました。

(続く)


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category: 外資系証券なるもの

2012/03/23 Fri. 15:30 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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