「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

07« 2017 / 08 »09
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

経過報告 (14) 「強制捜査から2年が経過」 12/16/2010 

経過報告 (14) 「強制捜査から2年が経過」 12/16/2010

12月16日です。2年前の今日、国税局査察部の強制捜査が入りました。既に2年が経過しましたが、進捗状況ははかばかしくありません。この2年間、文字通り1日たりとも国税局の暴挙を忘れることはありませんし、忘れようと努めることもありませんでした。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、私にとっては「人事を尽くさずして天命を待つことなかれ」であり、何事でも全てをやり尽くしたということはなかなか言えないものです。告発後、弁護士チームを雇いましたが、私自身が第3の弁護人として機能すべく、法律の文献や判例に当たりました。また検察や裁判の仕組みも研究し、メンタルトレーニングとして過去の冤罪や拘置所の分析もしました。普通の生活を送っていれば知らない事だらけでしたが、驚くべきことは冤罪というのは何ら特異なことではなく、むしろ日本の捜査権力によって連綿と犯されてきた犯罪行為ともいえるものだったことです。村木氏の郵便不正事件が報道された際も、私が驚いたのは検察による捏造の事実があったことではなく、それが明るみに出たことです。日本のこれまでの長い歴史の暗部に光が当てられたという印象です。これまでどれだけの人々が冤罪に苦しみ、中にはそれによって命を落とした人もいたかと思うと本当に辛くなります。

そうした事実を知る前の1年前のこの日はもう少し穏やかな気持ちだったと記憶しています。それは「証拠がないから大丈夫だろう」という消極的な理由ではなく、国税局が正常な状況判断をすれば絶対に告発されることはないという自信があったからです。それまでの1年間、私を陥れようとする立場に立って、自分なりにいろいろ検証した結果の結論でした。しかし告発によって、自分がゲームのルールを知らなかったことを思い知らされることになりました。結局、証拠など必要なく、なければ作ればいいだけだということを理解したからです。現時点でも、国税局が何をもって私に脱税の犯意があったと主張しているかは明らかにされていません。ただ告発の事実があるだけです。

あなたが捜査官であったとして、強制捜査を行って、私が故意でやったかどうかを判断するのは実に簡単です。メールをチェックすればいいだけです。家宅捜査に先だって、クレディスイスの社員に一斉に税務調査が入りました。それから家宅捜査が突然行われるまでの1ヶ月間の税理士や近い友人、会社の後輩とのメールのやり取りを見れば、「当初から3億円以上の脱税を故意にやっていた」か「最初は自分は関係ないと思っていたが、事態が明らかになるにつれ追徴課税の金額に驚愕していた」かの差は明らかです。家宅捜査で一番先に捜査官が行ったことは、「パソコンをお持ちですね。目の前で立ち上げて、メールボックスを見せて下さい」でした。メールは全てダウンロードされ押収されています。

告発以降、嘆願書を依頼するために旧知の友人・知人に連絡を取った際、「ニュース見たよ。犯罪者になったんだってな」とか「あれ、いつ牢屋から出てきたの」とか「ちゃんと働いて罰金返せよ」と言われることもありました。しかし報道だけの情報だけであればそれも仕方ないことだとあきらめるしかありません。まだ直接話せるのはましな方で、メールや電話に応答がないことも少なくありませんでした。嘆願書を頼む程ではない知り合いがどのように思っているかと考えるだけでもいやになります。それこそ脱税をしていた方があきらめがつくと思ったものです。

村木氏の言葉の端々にはメディア批判のニュアンスがありますが、(単なる海外送金をわざわざ「脱税容疑の構図」とタイトルをつけて図式化し、シンガポールの記名式の口座をクレディスイスからの連想で「スイスの無記名口座」と報じた見識の低い朝日新聞を除けば)私には仕方ないとしか思えません。それは世の中には公開処刑を望む人もいるだろうと理解するからです。公権力は、往々にして正義をかざして個人を社会的に抹殺することで自分の正当性を印象付けようとし、その道具としてメディアを利用しようとするものです。メディアに公権力の判断が正しいかどうかを批判する能力を求めるのは酷だと言えます。私自身は、犯罪の報道が多い社会ほど自己実現的に犯罪率が上がるという認識をもっているので、公開処刑が抑止力になるという思想には全く与するものではありませんが。

ここにきて若干風向きが変わってきたと感じられる方もおられるでしょう。そこで時々聞かれるのが「これで真犯人も罰せられなくなるのはいかがなものか」という議論です。そういった考えを少しでも持たれた方が周りにいらっしゃったら「なぜ推定無罪の原則が法治国家では重要とされるか」ということを考えてほしいとお伝え下さい。「疑わしきは被告人の利益に」という推定無罪の原則は、100人の真犯人を逃したとしても、1人の無辜の犠牲者を出してはならないという理念です。「それは社会効率を考えると致し方ない部分もあるのではないか」と言う方には、「その一人があなた自身や、家族や愛する人だったらどうしますか」と問うて下さい。効率論が全く意味をなさないことは明らかです。

また、裁判という場では検察と弁護側が二項対立であり、中立の裁判官がその双方の主張を聞いて判断するのだから、国税局や検察が「告発・起訴するのが仕事だ」というのも許される部分もあるのではないかという意見には強く反対の意を唱えたいと思います。刑事裁判で有罪率が99.99%という、裁判所が検察側に親和的である(証拠の収集能力に検察と弁護側に格段の差があるという事情もありますが)日本においては、検察こそが司法です。その検察を頂点とする捜査権力に秋霜烈日の意識順守を期待し、チェックアンドバランスの安全弁を設けていないことが最大の問題点です。

先日、以前勤めていた会社の後輩の会社退社の送別会があり、そこに顔を出した際、当時仕事を近くでしていた後輩に「嘆願書頼めないか」と聞いたところ、「書けないですよ。八田さんが自ら招いたことですから」と言われたので「どういうことだ」と尋ねたところ、「だって八田さん、どうせ国税局に謝ってないでしょ」と言われました。「おい、ちょっと待てよ。難癖付けられてる被害者はこっちだぜ。自分にやましいことがなければ毅然としてることのどこがいけないんだ」と言ったところ「やっぱりね。役人なんて人を謝らせて溜飲を下げてるような人種ですよ。『許して下さい、許して下さい』と謝り倒してそれでようやくどうにかなるかもっていうのに、『自分は悪くない』と言っちゃったら、絶対彼らは許してくれないですよ。本当に可哀想だとは思いますし、自分は八田さんのことをよく知ってますからそんなことをする人じゃないということも分かってるつもりです。でもそんな基本的なことも分からない人の面倒を見るつもりはないですよ」と言われました。お互い酒がはいってたこともあり、口論に近い会話を2時間は続けていたと思います。親や子供にあり得ない程の心配をかけていることを考えると、自分を殺すことも必要だとは理解はできますが、その後もどれだけ考え直しても、やはり取調べで彼らにおもねることはできなかったと後悔はしていません。ただ国税局の人間を人として信頼し過ぎたことの後悔はあります。

前回の経過報告で、重加算税を課してきた目黒税務署に不服申立をしていることをお伝えしました。その不服申立から半年近く経過しているのにも関わらず、全く決定がなされていない状況下で、先日カナダから経緯説明の文書(みなさまに一番最初の経過報告に添付して送付させて頂いた文書です)と嘆願書の一部を目黒税務署長宛てに送付しました。嘆願書を書いてくれなかった方の理由として「そんなことをしても効果がない」と言われることもありましたが、私はそうは思っておりません。嘆願書は私にとって立派に戦う武器になっております。改めて嘆願書ありがとうございました。一週間前にカナダから目黒税務署に発送した文書は丁度本日到着したところです。彼らが勇気をもって正義を遂行することを期待したいと思っています。

年の瀬で、みなさまさぞかしお忙しいことと思います。私はバンクーバーで元気にしております。みなさまにとって2011年がよりよい年になりますようお祈りしております。

12/16/2010


ぽちぽちっと、クリックお願いします






category: 支援者の方へ、支援者の方から

2011/09/24 Sat. 18:14 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/23-00fd84d4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top