「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (117) 「へ理屈には理屈で対抗」 3/31/2012 

#検察なう (117) 「へ理屈には理屈で対抗」 3/31/2012

検察の主張は、初公判の彼らの冒頭陳述で述べられています。

初公判の報道を見てみましょう。

ここをクリック→初公判の報道

この報道にもあるように、検察の主張は煎じつめると、「会社の指導は個人の別途申告・納税義務を知らしめるに十分であった」というものです。

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件では、約300人の税務調査対象者のほとんどが修正申告となり、そのうち約100人は私と同じく無申告です。その状況を「会社の指導は十分だった」というのは、検察のへ理屈以外の何物でもないのですが、検察はそのへ理屈を裏付けようと、会社の書類をひっくり返して、重箱の隅をつつくように、税務に関する記述を集めて証拠請求しています。

私は、「仕事が忙しく、そのような英文の書類を隅々まで読んでいなかったし、その必要すら感じなかった」と主張しています。それだけ聞くと、「読んだだろ」「読んでない」という水掛け論のように聞こえるかもしれません。

水掛け論であれば、「推定無罪の原則」がある限り、有罪に問えるはずはありませんが、それでは話が面白くないので、もう少しつぶさに検証してみます。

検察の主張はへ理屈にしか過ぎませんが、そのへ理屈に理屈で対抗してみました。

会社の文書にある、株式報酬の税務に関する文章を参照してみましょう。
“Please note that whilst there are no employer individual tax reporting or withholding requirements on the delivery of these shares.”

この英文を和訳せよという英文和訳の問題に、「あなたは個人の責任で確定申告し、納税しなければいけない」と解答して、正解とされるのでしょうか。
「会社には税務申請及び源泉徴収の義務はない」というのが本来の訳です。

これは
“It does not have to be that the weather will be fine tomorrow.”(明日が晴れるとは限らない)の訳を
「明日は傘を持って外出しなさい」とするようなものです。

検察の理解は彼らにとって都合のいい「超訳」です。

「源泉徴収の義務はない」は、「会社は源泉徴収をしていない」とも「あなたが自ら申告・納税しなくてはならない」ともイコールではないということです。

国税局の取調べでは先の文章を「読んだ」「読まない」という不毛なやり取りを、複数回に分けてたっぷり数時間費やしています。さすがに検察では、私の主張に変遷はないだろうと思ったのか、そうした問いつめはありませんでしたが、国税局でも検察でも、「読んでないとご主張なさるのは分かりました。それでは仮定で結構ですから(あるいは、『今読んだとして』という表現も使っていました)、どういう意味になるのですか」と聞かれています。そして、「その文章を理解したとしても、会社が源泉徴収したと思いましたか」と聞かれました。

読んでいないことが事実である以上、仮定の話をしても仕方ないだろうと思いつつ、先のように「会社には税務申請及び源泉徴収の義務はない」と訳し、「私は、会社が源泉徴収をして、源泉徴収票に会社の給与が全て記載されていると思い込んでいたので、この程度の文章ではその思い込みを覆すまでには至らなかったと思います」と答えています。

その際には、その理由も問われず、私も敢えて説明しませんでしたが、その理由は簡単です。それは英語で書かれているからです。

日本の税務に関する重要な注意喚起が、まさか英文で書かれているなどとは思いもしなかったということです。

そして、会社の文書全てを調べても、日本語で「株式報酬による海外給与に対する所得税は、会社が源泉徴収するものではなく、社員各個人に申告義務及び納税義務がある」と書かれているものは一つもありません。

もう一度、最初から、以上のことを振り返って下さい。

検察の主張は「会社の指導は十分であった」というものです。そしてその「指導」とは、先の英文の文章です。

もしこれらの英文が、個人の申告義務・納税義務を知らせるための「指導」であるならば、なぜ明示的に「社員各個人に申告義務及び納税義務がある」と書かないのでしょうか。

勘のいい方はもうお気付きだと思います。

これらの文章は「指導」ではないからです。これらは単なるディスクレーマーです。

ディスクレーマーをインターネットで検索してみて下さい。私が見つけたYahoo知恵袋にはこうありました。

「ディスクレーマーとはいったいなんのことですか?」

「丁度今日の仕事で出てきた。
誤解をしないための注意書きとか、言い訳みたいな物。
堅苦しく言うと免責事項。
取り説の下の方に小さな文字書いてあるヤツかな。」

この解答にはベストアンサーの花マルがついていました。

つまり、これらの文章は、社員が税務でトラブルとなっても会社は責任を負わないと言ってるにすぎないもので、社員に税務「指導」しようというものとは根本的に異なっているということです。

金融関係の方や投資をやられている方は、金商法(金融商品取引法)の施行により、それまでとはリスク開示義務に大きな変更があったことをご存知だと思います。金融投資商品販売において、その投資家のリスク許容度以上にリスクが高いと思われる商品を販売する際には、「取り説の下の方に小さな文字書いてあるヤツ」では説明したことにならないというものです。

リスクの説明は、ディスクレーマーでは不十分だということです。

税務指導は、金融投資商品の販売とは異なりますが、もしそれが本当に「指導する」という目的を伴なうものであるならば、ディスクレーマーでは不十分だというのは同じ精神です。

話を少し変えましょう。

私の過少申告を脱税と認定するには、私の故意が要件です。「わざとやったものではない」という過失であれば、検察が起訴した犯罪の要件を満たしていません。

私は、これまで「故意があったかどうか本当のところは分からない」であるとか、「知らなかったではすまないだろう」と言われることがありました。

検察関係者ですら、そのように言っています(「検察なう」の記事3ページ目参照)。
ここをクリック→産経ニュース・疑惑の濁流「検察なう」

私を擁護するには、実はそれだけで十分なのです。これらは私を非難するものではなく、むしろ私の無罪を言い表したものです。「本当のところは分からない」であれば、推定無罪により私の有罪は問えません。また「知らなかったではすまない」というのは、あくまで過失であり、その償いは本来納める税金のほかに過少申告加算税や延滞税を数千万円追徴されたことであがなっています。

今回の事件は、検察が「推定有罪」を主張する捜査権力であり、冤罪を作ろうが、彼らの論理の前では人権は問題にならないということを証明しています。そしてその「推定有罪」を裁判所が認定するか、ということが最大の焦点です。

皆さんは、「こうして冤罪は作られる」というショーの特等席にいます。是非ご注目下さい。

3/31/2012


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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2012/03/30 Fri. 16:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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