「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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外資系証券なるもの (5) 「就活 その4」 

外資系証券なるもの (5) 「就活 その4」

後日、電通の内定者を集めてオリエンテーションがありました。

当日、オリエンテーション会場の築地本社会議室に入ると、内定者同士お互いの状況を喜び合う気軽さからか、かなり騒がしく歓談していました。

その時、次のような会話が私の耳に入ってきました。

「あのさ、最終の役員面接の時にとんでもない奴がいてさ。内定したら会社に入るかって聞かれてんのに、手挙げない奴がいたんだよ」

「それってバカ正直を越えてバカだな」

私は反射的に答えていました。

「あー、それ、俺」

「えー!君、受かったんだ」

複雑な表情の内定者を見て、内心「なんだ、こんな奴らと同期ってわけね」と若干しらけた感情をもったように記憶しています。

私が就職活動をした大学4年当時は、就職協定というものがあり、建前としては企業の採用活動は解禁日以降とされていました。ところが実態は、その就職協定は全く守られておらず、解禁日以前に採用活動を行って内定を出す「青田刈り」といったことが当然のように行われていました。そして内定者は、解禁日には郊外の研修所等に泊まりがけで「拉致」され、ほかの企業訪問ができないようにされます。

電通に内定した私は、その解禁日には、電通の鎌倉研修所にほかの内定者と共に研修に参加することとなっていました。「これでいいのかな」という若干の不安を抱えながらもその研修に参加したのですから、その時点ではまだ電通に入るつもりでした。

研修といっても、他の会社訪問ができないように拘束するだけなので、特に何もするわけでもなく、夜は当然のように宴会です。どんちゃん騒ぎをする内定者の輪に溶け込めず、どんどん気分は沈殿していきました。私に声を掛ける者もなく、私はぼーっと彼らを眺めていました。

次の日は朝から絶好の海水浴日和。みんな「ひゃっほーっ!」と海岸に出かけていきます。

前の晩から悩んでいた私は、この朝には意を決したものです。

「申し訳ありませんが、御社には入らないことにしました」

そういう私に対し、世話役の社員は驚いたようでしたが、特に慰留をすることもなく、ほかの内定者を引率するために彼も海岸に向かったようでした。

私は日当たりのいい食堂で、一人ポツンとお茶を飲んでいました。

給仕のおばさんが、「どうしたの。みんなと一緒に海岸に行かないの」と声を掛けてくれました。

「いや、会社に入るのやめたんです」

「あら、そう。人生いろいろあるからね。頑張ってね」

私は、そのままバイクで帰ってきました。当時の愛車はヤマハの2スト・クウォーターの伝説的名車RZ250でした。

社会人になって2回の離職も次の会社を決めることなく辞めたのですが、この時も次の行き先を決めての行動ではありませんでした。そのような私を評して会社の後輩は、「八田さんって、木から木へ、次の枝をつかまえてから移る猿とは違って、モモンガみたいにパーっと飛び立ちますよね」と言ったものです。

モモンガ一号ここに見参!ブロロロロロロ―ッ!

(続く)


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category: 外資系証券なるもの

2012/04/06 Fri. 22:03 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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