「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (124) 「『常識』に対する挑戦」 4/23/2012 

#検察なう (124) 「『常識』に対する挑戦」 4/23/2012

「常識」を辞書で検索してみると、「普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む」とあります。

そうすると私が挑戦しているものは、常識とは言えないものだと私は考えますので、敢えてカギ括弧つきで「常識」と呼ばせて頂きます。

司法の世界には、世の中では常識でありえない「常識」が少なからずあるようです。

例えば#検察なう (85)で書いた「人質司法」。自分が無実である場合、人は当然その無実を主張すると思いますが、日本の司法においては、その無実の主張(=否認)をすると自動的に逮捕され、保釈がなかなかされないという「常識」があります。

私は、「奇跡的に」逮捕されることはありませんでしたが、その「常識」によれば、昨年9月の検察取調べのから、まだ小菅の拘置所に勾留されているはずです。逮捕されていたら、と思うと怖ろしくなります。私と同じような状況で、逮捕されることを避けて、無実の罪を諦めて受け入れてきた人の数は相当なものだと思います。

ここをクリック→#検察なう (85) 「人質司法」

また一旦国税局に告発されれば、どうあがいても起訴、そして一旦起訴されれば、どうあがいてもほぼ有罪となるという「常識」もあります。

私は刑事告発の際に、全国(全世界)に実名報道されましたが、その報道記事を書いた全国紙の記者と会って話をした際に言われました。

「八田さん、あなたの主張はよく分かりました。でもそんなことは関係ないんです。真実がどうあれあなたは起訴されます。そして有罪になることは間違いありません。そうでなければ私たち記者は怖くて記事なんて書けないですから」

それが「常識」のようです。これら「常識」が冤罪を作っています。

以前、この「人質司法+有罪率99.9%」が冤罪を生んでいるという話を友人とした際、私が使ったアナロジーは「致死率99.9%の癌に不幸にしてかかった場合、ものすごく辛い抗癌剤の治療を受けない人もいる。死ですら受け入れるのだから、俺のような状況で逮捕を避けて諦める方が普通なんじゃないか」というものでした。しかし、友人は冤罪と死の病を比較するのは病人に対して失礼だと言って、「それは冤罪の辛さ、悔しさを知らないからだ」とする私と大ケンカになり、今もケンカ別れした状態です。

私に言わせれば、東北震災で津波を恨む人よりも福島原発事故を恨む人の方が多いのは、前者が天災であるのに対し、後者は人災だからです。病気は天災のようなものとして受け入れることはできても、冤罪は人災であり、それを納得して受け入れることはできない、とする私の主張も理解してもらえませんでした。

「どうせ死ぬわけじゃないんだし」という言葉に対して、「そうそう、元気元気」と言える気持ちのときもあれば、「ふざけんな!」と言いたくなる気持ちのときもあります。

また先日、別の友人からメールをもらいました。その友人は嘆願書も書いてくれて応援してくれていますが、友人の弁護士に私の話をしたそうです。そしてメールには以下のような会話が記されていました。

「先日、私の大学の友人の弁護士に、八田氏のブログを紹介しておきました。

彼女はこんなことを言っていました。


以下引用*********

国家にとっては、市民どおしが殺しあうよりも、(故意か過失かを問わず)税金を払わないということの方が、ある意味、許せない犯罪なので、検察もここは100%勝ちたいところでしょう(笑)。

日本では、納得いかなくても有罪を認めると判決が軽くなり、自分の無罪を主張すると重い判決がでる傾向になるので、ホリエモン(獄中の人になってしまいましたが)とか、佐藤優(執行猶予付きの有罪判決)とか、そういう人で無いと、無罪の主張はしないので、八田氏には、日本の検察の在り方を変えるためにも頑張ってほしいと思っています。

**********引用終わり。

彼女にじかに会って八田氏のことを話していたときは、『そりゃ絶対に有罪にされるね。もちろん執行猶予はつくけどさ』などと言っていました。

『日本の検察の在り方』は変えなきゃいけないと、彼女も思っているようです」
(メール以上)

これも「常識」のようです。

真実とは関係なく「起訴したいものを起訴をするのが検察の仕事」という起訴至上主義が検察の「常識」です。また起訴をして有罪を取らなければ「負け」と考えるのも彼らの「常識」です。公益の代表者どころか、彼らは自分の利益しか考えていないかのようです。

そしてその友人の弁護士の方もおっしゃっているように、日本の検察の在り方は変えなければならず、そのために私はこうした「常識」に挑戦しています。

目先の辛さだけを回避するために泣き寝入りをすることで、冤罪は累々と作られていきます。

それは、みかじめ料を収奪する暴力団には徹底してNOと言わなければ彼らの圧力を排除できないのと同じ論理です。検察と暴力団を同列に論じることに眉をひそめる方もいるかもしれません。しかし、冤罪の被害者にとっては、見かけからして悪い暴力団よりも、正義の味方のように大義を振りかざし、国家権力という強大な力をもって個人の人生を何のためらいもなく踏みにじる検察の方がよほど恐ろしいものです。

ただ忘れてはいけないのは、検察が正しくあることが国民の利益であるということです。彼らは非常に優秀であり、検事になると決めた当初は多分、弁護士や裁判官志望の者よりも強い正義感を持っていたはずです。その正義感がすり減らされて、組織の論理の中で、あってはならない「常識」が彼らに染みついたのだと想像します。

その「常識」が一般人の思慮分別とは乖離していることを、我々国民は訴え続けるしかないのだと思います。



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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2012/04/22 Sun. 16:51 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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