「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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経過報告 (18) 「震災のどさくさに紛れようとする検察」 4/3/2011 

経過報告 (18) 「震災のどさくさに紛れようとする検察」 4/3/2011

震災に際し、みなさまのご家族はご無事でしたでしょうか。天災に際し、「日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き」でしかいられない自分がもどかしく思えました。

多くの犠牲者に日本のみならず世界が衷心から哀悼の意を表する中で、検察だけはこの震災は天の恵みと思ったことと思います。世間の目が逸れてる中で、拙速に事を運ぼうとしているようです。

まず震災直後の3月18日には郵便不正事件の実行犯前田元検事の公判が行われ、検察は2年以下の懲役を求刑しました。検察側の「検察への信頼を失墜させた今回の不祥事を重視し、量刑上で最も厳しい刑を求めるのが妥当と判断した」という論告はまさに国民を愚弄するものです。

前田元検事の問われている証拠隠滅罪は、本来犯人自身や犯人の味方をする立場の者が、犯人の罪を軽くするために犯す罪です(だからこそ、刑法では犯人自身や親族の刑は免除されています)。それは、本質的に彼の行った「人を傷つける行為」に対する罪ではありません。

彼が裁かれるのは最高刑が10年以下の特別公務員職権乱用罪であるべきで、検察は昨年末12月24日という年の瀬に前田元検事の特別公務員職権乱用罪の不起訴処分をしています。もし彼が、「何らかの理由で(実は有罪である)村木氏の罪を軽くするために証拠を改竄した」のであれば、証拠隠滅罪が適用されるべきですが、そうでないことは明らかです。前田元検事の元上司、大坪元特捜部長と佐賀元特捜副部長を「とかげのしっぽ切り」として売ったことの見返り求刑であることは想像に難くありません。やはり検察が検察を裁くことには限界があり、組織として責任を取るつもりはないということが窺い知れます。

また今週木曜日には、15回の検察の在り方検討会議会合を経て「検察の再生に向けて」という提言が公表されました。その内容は、まさに委員の一人である江川紹子が「茶番である」とツイッターで評したものです。

添付ファイルはその概要版です。

まずその冒頭にある「検察官は被疑者・被告人の権利保障と事案の真相解明に努めることにより、えん罪を防止し、真犯人の適切な処罰を実現するという検察の使命・役割を改めて自覚するべきである」という一文を読んで愕然としました。国家試験の難関中の難関である司法試験を突破してきた者たちに、このような基本的な精神を改めて言わないといけないという情けなさと憤りです。

私が小学校4年生の時に、初めて学校の委員会活動に参加することになり、私は安全委員になったことを覚えています。そこで話し合われたことは、「学校で凧揚げは禁止すべきだ。凧の糸が首に巻きついて危険だから」や「シャープペンシルを胸ポケットに差すことを禁止すべきだ。走って転んだら胸に刺さって危険だから」というものでした。さすがに下級生でしたから、何も意見することはありませんでしたが、あまりのレベルの低さに愕然としたことが強く記憶にあります。まさにその時と同じ感覚を思い出しました。

それでもこの検察の在り方検討会議の提言にそれなりの評価を与えることができるとすれば、「特捜部の独自捜査に対するチェック体制を確立することが極めて重要である」と指摘している点や、「検察内部に違法・不適正行為の監察を担当する部署を設置する必要がある」と指摘している点です。後者の内部監査がなかったこと自体、これが私企業であれば問題外の事象であり、公権力の傲慢さの標榜ですが、特に重要なのは前者の指摘だと思っています。そしてそれは特捜部の独自捜査だけに限定せず、全ての事案で彼らの起訴権を分離することで担保すべきだと思います。これに関しては笠間検事総長も検討を示唆しています。

特捜部が自分で調べ、自分で起訴するからこそ暴走するのであり、起訴する決定を他部署に任せるべきだあるということです。検察には公判部という裁判担当の検事がいます。郵便不正事件の公判で無罪となって仏頂面をメディアに晒した彼らがその公判部の人間で、特捜部の人間でありません。彼らは内心「あーあ、特捜部が無茶するから俺たちがこんなところで苦労しなきゃいけねえんだよ」と思っていたに違いありません。公判部が、特捜部の捜査を受けて、起訴・不起訴の判断をすれば冤罪の可能性は少なくとも今よりは減ることは間違いないと思います。

検察の在り方検討会議での目玉とされた取調べの可視化に関しては、私は個人的には擁護する立場ではないため特に興味はありません。自白調書の重要性を偏重するあまり、過酷な取り調べで被疑者が犯してもいない罪を認めてしまうということがイメージとしてあり、可視化の重要性が問われることがありますが、私はそれ自体はあまり重要ではないと思っています。

私は、生爪をはがされようが、ギザギザの石の上に座らされ石板を足の上に置かれても、自分がやってないことはやってないと言えると思っています。郵便不正事件で、村木氏が無罪になったのは(勿論、それもありますが)彼女が否認を貫いたからではありません。関係者の参考人証言が公判で覆されたからです。つまり可視化で重要なのは、被疑者本人ではなく「どうせ自分のことではないから」とつい心が弱くなってしまう参考人が誘導されていないかという方が圧倒的に重要です。

先の「検察の再生に向けて」提言書の中で、参考人の可視化に関しては「これまで十分な議論・検討が行われてきたとは言い難く、被疑者の取調べに関する録音・録画の実施・施行状況を踏まえつつ、更なる検討が行われることが望ましい」と述べられたに過ぎません。

もし私の取調べが(まだ検察の取り調べは始まっていないので、国税局の取り調べに関してですが)可視化されていたなら、取調官の「上司が『お前は(八田に)騙されてるのだ』と納得してくれないのです」や、統括官の「証拠はありません。ただ私たちの仕事はあなたを告発することです」といった本音の発言はなかったであろうとも思います。

震災に際し、私は生まれて初めて義捐金を出させて頂きました。何を寝ぼけたことを言ってるんだ、当たり前だろうという方もいらっしゃるかも知れません。

なぜかこれまでの人生で、義捐金に関しては妙な逡巡がありました。過去に唯一どうしようかと思った、スマトラ沖地震の津波で親を失ったストリート・チルドレンが、臓器売買や売春のために人身売買ブローカーに拾われている事実を知った時でも、考えた挙句何か偽善めいたものを感じて結局二の足を踏んだという実に無様で情けない過去があります。

その義捐金を、今回何の疑問もなく出すことができたのは、皆さんのおかげだと思っています。本当に下らないと言われるかもしれませんが、その一線を越える勇気をくれたものが皆さんの嘆願書を書いてくれたという行為です。やはり人を助けるというのは(少なくとも私にとっては)心の痛みを知らないとできない行為なのかもしれません。

更に、Facebookをご覧の方はご存知かと思いますが、私は調子に乗って石川遼ばりに、昨夏始めたゴルフで「今年1バーディー1万円献金」宣言をしています。遼ちゃんの年間350バーディーとは言いませんが、20バーディーを目標にそれを越えようと思っています。

震災に被災していない自分は、本来であればふと現実に戻った時に「ああ、よかった。俺は生きてた」と被災地の人たちには悪いなあと思いながら、自分の幸福感を享受していたであろうと思います。しかし、私にとっての現実は検察の取調べを待ち、冤罪の崖っぷちに立たされたまま既に刑事告発から1年と2カ月が経過しています。辛い状況ではありますが、助けられて人は生きているということを実感して頑張っています。

今回、本当に「悪意」というのは存在するのだなと感じました。今まで人から陥れられたり、傷つけられるということを本当の意味で経験してこなかったということだと思います。そのことを家族・親戚や友人に感謝したいと思っています。そして、個人の人権を平気に踏みにじる国家権力とは、最後まで戦おうと思っています。

春の訪れが東北の被災地の方々の心の雪融けともなりますよう祈っています。引き続きご支援をお願いします。


4/3/2011


ここをクリック→検察の在り方検討会議「検察の再生に向けて」



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category: 支援者の方へ、支援者の方から

2011/09/24 Sat. 18:32 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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