「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (138) 「ダブリングとサイキック・ナミング」 5/22/2012 

#検察なう (138) 「ダブリングとサイキック・ナミング」 5/22/2012

友人と事件のことを話していると、よく聞かれるのが「なぜ、国税局や検察はそんなひどいことができるんだろうね」ということです。

私は「人間がみんな良心に従って行動できたのなら、アウシュビッツはないだろ」と答えます。

しかしそう答えながらも、実は、なぜそうしたことができるのかの納得のいく説明はできませんでした。

人の人生を左右する大きな責任をもった仕事と言えば、医者があります。彼らは時に人の生死にかかわる重大な責任をもっています。そして結果によっては患者の死に向き合わなければなりません。その重圧たるや大変なものだと思います。しかし最悪の結果になったとしても、それを乗り越えなければ、仕事にならないことも理解でき、自分の感情をコントロールする訓練が経験とともに積まれていくのだと思います。

確かなのは、患者が「死んでもいいや」と思っている医者はいるはずがなく、彼らは最大限の努力をして、結果が伴わなくてもそれは人事を尽くした結果だと諦めがつくものだと想像します。

同じく人の人生を大きく左右する捜査権力に、それだけの覚悟があるのでしょうか。当事者の立場からするとそのような覚悟は全く感じられません。

捜査権力は個人で責任を取ることはなく、常に組織の陰に隠れています。そして「告発するのが仕事」「起訴をするのが仕事」というのは、冤罪被害者にとっては、医者が「殺すのが仕事」と言っているかのように聞こえます。

私は生来、性善説の持ち主なので、なぜそういうことができるのか、非常に理解に苦しむところでした。第二次世界大戦中、ナチスドイツでホロコーストがなぜ起こったのか理解できないということと同じです。

そして、私が、出会ったのはアメリカの歴史心理学者ロバート・ジェイ・リフトンによるナチスの医師の研究でした。

ロバート・ジェイ・リフトンは、個人の心理と歴史的変化の関係、歴史的極限状況における人間心理などについて実践的研究を重ね、きわめて強い平和主義的立場から歴史心理学という新分野の確立に貢献した学者です。彼の研究には、日本関連のものもあり、広島原爆の被爆者やオウム真理教信者がたどってきた心理的なプロセスとその歴史的背景を研究したことで知られています。

彼のナチスの医師の研究では、「ダブリング(二重化)」と「サイキック・ナム(精神機能の麻痺)」ということが論じられています。

まずダブリング(二重化)に関しての、彼の言葉を引用させてもらいます。

「私はナチスの医師の研究から多くのことを学びました。彼らも最初は他の人々となんら変わらない人たちだったのですが、思想の力によっていくつかの段階を越えていくにつれ、邪悪なものに変わっていったのです。大量虐殺にかかわる人々は、自分自身のなかに機能的にもう一つの自己を形づくるプロセスを経験します。

私はこれをダブリングと呼んでいます。アウシュビッツの虐殺に参加していた医師たちは、週に六日は殺しを監督し、週末はドイツの家族のもとに帰り、ごく普通の父親や夫として過ごしていました。まるで二つの異なった人格を持っていたかのようです。こうしたプロセスを経て、少なくとも最初は崇高と信じていた思想によって大量の虐殺行為に巻き込まれていくのです。

そして皮肉なことですが、大勢の人を殺すことは崇高な思想をつうじてしかできないのです。立派な名目をあたえなければ大量殺戮は不可能なのです。」

(辺見庸氏とのインタビュー「不安の世紀」より)

捜査権力にとっては、「彼らの定義に基づく『正義』」がここでいう「崇高な思想」に相当します。

インタビュアーである辺見庸氏は、オウム真理教信者を例にとり、これが組織全体の総意となる場合に、「集団的無意識」と呼び、以下のように述べます。

「このような集団的無意識はひとりオウムの組織内だけではなくて、日本の社会、企業、あるいは教育の現場でも大いにありうることではないかというふうに私は考えているのですね。」

その指摘は的確です。

またサイキック・ナミング(精神機能の麻痺)に関しては以下のように定義づけられます。

「『サイキック・ナミング』も主にリフトンによって用いられた概念である。これは、極度に恐ろしい状況下に置かれたり、あるいは恐ろしいことをなす場合に、自我を守るために無感覚、思考不能にさせる精神のメカニズムである。リフトンは日本の原爆被爆者の心理を分析した本の中で、キーワードとしてこの語を用いた他、ナチスの医師の虐殺行為を心理学的に説明する時にも、この語を用いている。」

精神的な自己防御反応として、ダブリングやサイキック・ナミングといった何らかのバリヤーを張ることで、良心が浸食されないようにするということが無意識のうちに行われるようです。

勿論、全ての者が恐怖や良心の呵責にアジャストできるわけではなく、市川寛氏のように「検事失格」に書かれたような、良心を捨て切れず、心が悲鳴を上げる場合も少なからずあるのだとは思います。そしてうまくアジャストできる者だけが優秀な国税局員、検事として生き延びていくのだろうと想像します。

しかし、本来、良心が現実の捜査で障害となる組織の論理は間違っているはずです。検事は、法曹の道に就いた時には、弁護士や判事よりも正義を求める気持ちが強かったはずです。それが、「割れ」「立てろ」の起訴至上主義にまみれるうちに、初心を見失ったのだろうと思います。検察の在り方を是正するためには、根本的なインセンティブ付けから、捜査権力の行動原理を考え直す必要がありそうです。

参考文献として、ナチスの医師の研究文書を添付します。

ここをクリック→ナチT4作戦における看護師

5/22/2012



ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」 改訂版

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category: 刑事司法改革への道

2012/05/22 Tue. 05:19 [edit]   TB: 1 | CM: 0

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