「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (159) 「疑わしきは被告の利益に」 6/27/2012 

#検察なう (159) 「疑わしきは被告の利益に」 6/27/2012

「疑わしきは被告の利益に」あるいは「疑わしきは罰せず」は刑事裁判の大原則としてよく知られています。「推定無罪」という言葉もほぼ同じ意味です(「推定無罪」の正確な意味は、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」というもので、若干広い意味をもっています)。

これを「少々怪しくても、被告におまけして無罪としよう」と解釈している人がいたとしたら、それは大間違いです。

まず検察と、対する被告+弁護人は全く対等ではありません。強制捜査権や逮捕権を有する検察は、有罪立証に圧倒的に有利な立場にあります。

これをサッカーの試合で言うならば、アウェイの試合どころか、「足にはおもりをつけられ、こちらは5人で相手は15人、相手のキーパーはなんと2人いる」ぐらいの差はあります。それくらいハンデ差のある試合で、チーム「ケンサツ」は1点取られたらそれで負けというくらいにしないと対等にはならないということです。

つまり、強大な権力をもって証拠を集めながらそれを全面開示せずに、有罪方向に有利な証拠しか開示しない、また、被告を逮捕して有効な対抗策を封じ込めた上で自白に追い込むという圧倒的に有利な捜査をしながら、それでも疑わしさが少しでも残れば、それで被告は無罪とすべきだというのが、「疑わしきは被告の利益に」の精神です。

法律上には明文の根拠規定はありませんが、憲法や刑事訴訟法から当然導かれるものと理解されています。

憲法第31条
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」

刑事訴訟法第336条
「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。」

もう少し細かく議論します。

「100人の罪人を逃すとも1人の無辜を罰してはいけない」とも言われる理由は以下のように説明されます。

人間が人間を裁く以上、必ずエラーが起こります。
そのエラーは、
①罪人を無罪と判断して逃すこと
②無辜の人間を罪人として処罰すること
のどちらかです。

その両方のエラーを排除するのは不可能です。そのため、エラーとして「どちらがマシか」を判断することとなります。

①の不利益は、被害者をはじめとする社会全体に、薄く広くもたらされます。しかし、②の不利益は、冤罪被害者に取り返しのつかない不利益、人権侵害をもたらします。

その結果、先進国の刑事裁判は①を甘受しても②を防ぐことを目的とするに至りました。

そうすると、犯罪者であっても無罪になる例が出ないとは限らなくなりますが、それでも「②よりはマシよね。それが法治国家よね」というのが本来の理念です。

つまり、「冤罪を防ぐ」という目的達成のためには、反射的に社会的損失をもたらしてしまうのを是認するというのが、刑事弁護制度の根源的な発想であり、憲法、刑事訴訟法はそれに則って起草されています。

ただ一つ付け加えますと、世間一般の人にとって、自分や家族が無実の罪で起訴されることが起こりうるとは実感できない一方、自分や家族が「被害者」の立場になりうることは、想像しやすいものです。

そのため、①の不利益を②より重く考え、「なんで犯罪者を罰しないんだ」という冤罪の可能性を看過した批判が起こりやすいものです。しかし、それは「疑わしきは被告の利益に」という原則に反していることになります。

次によくある誤解を解説します。

「直接証拠がない推認だけでは有罪にできない」

何となく正しいように聞こえますが、これは厳密には正しいものではありません。

例えば、殺人の場合の直接証拠とは何でしょう。それは自白と殺害の目撃がそれに当たります。しかも後者に関しては、「血みどろの被疑者が凶器をもって倒れた被害者のそばに立っていた」では単なる間接証拠であり、実際に刺す場面を目撃した場合が直接証拠となります。

そして刑事事件においては、直接証拠がないケースはままあります。そして、直接証拠がないと有罪にならないのでは、有罪の立証は非常に困難となり、有効な犯罪の摘発ができなくなってしまいます。有罪の立証は、間接証拠のみであっても、それらによって十分に有罪であることが証明できれば足りるとされます。

この「十分に」というハードルが「合理的な疑いが入らない程度」と言われるものです。

そしてその一線を境に、真っ白の「無罪」と真っ黒の「有罪」に分かれます。法律の世界ではグレーゾーンはありません。ぴしっと線を引いて、白黒2色の世界です。

例えば、先日判決が下った木嶋香苗被告の首都圏連続不審死事件では、直接証拠がなかったために長期の裁判員裁判となりましたが、その審理を問う正しい問い方は、「直接証拠がない推認だけで有罪にできるのか」ではなく、「合理的な疑いが入らない程度まで有罪が立証されたのか」となります。そして、それができた(=有罪の認定に合理的な疑いが入らない)と裁判員が判断したために有罪判決となったものです。

このハードルはどの程度のものでしょうか。人は間違える余地があります。神でない限り、絶対正しいということはありえません。それが死刑判決の場合、間違っている可能性が数%でも、冤罪で死刑となる当事者にとっては、たまったものではありません。

「あなたは何%の確率以下であれば命を賭けられますか」という問いを考えれば、死刑に関しては「合理的な疑いが入らない」ハードルは相当高くなるものです。

ちなみに、スカイダイビングでパラシュートが開かない確率はどの程度かご存知でしょうか。それは1/1000と言われています。さすがにそれでは一日3回飛べば1年以内に死んでしまうような感じがします(1000回飛んだ時の死亡率は100%ではなく、1回飛んだ時の生存率を1000乗して1から引いたものになりますから、実際には63%です)。それで2つパラシュートを背負えば、両方のパラシュートとも開かない確率は100万分の1となり、「ま、これなら命賭けてもいいかな」というものになります。

100万分の1程度のエラーしか認めないというのもなかなか大変です。死刑は極端ですので、例えばそれ以外の事例で、検察の立証すべき「合理的な疑いが入らない」程度とはどれくらいであるべきなのでしょうか。

例えば、有罪・無罪の分かれ道が「源泉徴収票を確認して、金額の齟齬に気付くか気付かないか」ということだとした場合、何%の確度で「全ての人は源泉徴収票をつぶさに確認して、金額の祖語に気付くものだ」と言うことができれば有罪の立証足るのでしょうか。逆に、100人のうち、何人が「いや、そうは必ずしも言えないだろう」とすれば、合理的な疑いが入り、有罪とは言えないということになるのでしょうか。

数値化することは非常に難しいところですが、色々聞いてみると「95%程度の確からしさ」というのが「合理的な疑いが入らない」感覚的な大体の水準のようです。

この5%という数値設定は非常に乱暴な議論で、どんな法律の本に書いてあるものでもありません。あくまで感覚的なもので、95%くらい確からしければGOということなんだなあ、という感じで思ってもらえば結構です。

実はこの数字は金融関係者にとっては納得のいく数字です(勿論、95%の確からしさで残りの5%冤罪が出ても仕方がないというのは当事者にしてみればたまったものではないのですが)。

株価や為替の水準の統計では、価格が移動平均から2標準偏差(2σ、2シグマ)以上離れると価格は適正値まで戻ろうとする、相場変動の「平均回帰性(ミーン・リバージョン)」という性質があるとされています。2標準偏差の外にある確率は4.5%です。つまりマーケットで買われ過ぎ、売られ過ぎの異常値は、4.5%の確率でしか出現しないということです。

検察は95%程度の確からしさで起訴を判断するかというと、実はそうではありません。彼らは「ほとんどのケースにおいて」このハードルを上げて、もっと厳格にこの基準を判断しています。それだけ聞くといいのですが、大問題は、検察がそのハードルを恣意的に上げたり下げたりしていることです。「起訴便宜主義」と言われるものですが、結局起訴は検察の胸先三寸。彼らがしたければ(たとえ確からしさが95%に到底届いていなくても)するし、彼らがしたくなければ(たとえ確からしさが95%をはるかに越えていても)しないということが問題です。

そしてそうした検察の恣意的なハードルの上げ下げがありながら、刑事裁判での有罪率は99.9%という異常に高いものです。

実は数でいうと、彼らがしなければいけない起訴をしない「起訴猶予」というケースが圧倒的に多く、確からしさが相当低いレベルであるにも関わらず起訴をするというのは、非常に政治的な判断がからんだ特殊なケースです。

私の事案がまさにそれに当たります。

そして私を含め弁護団の主張は、推定無罪を狙うものでないことは強調しておきます。「疑わしき」が微塵もない無実が、我々の主張です。

6/27/2012










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category: 刑事司法改革への道

2012/06/26 Tue. 19:45 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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