「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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外資系証券なるもの (13) 「80年代=米金融市場の変革期」 

外資系証券なるもの (13) 「80年代=米金融市場の変革期」

私が大学卒業後、最初の会社勤めとなるソロモン・ブラザーズ証券に入社したのは1987年でした。この時の時代背景を少し語ってみたいと思います。

金融に従事していない一般の方々は、証券会社というと「株屋さん」のイメージが強いと思います。1929年の大恐慌でも、株価が暴落して世の中がてんやわんやであったことを知識として知っているように、株が昔から証券会社の扱う商品であることはよく知られているところです。そして証券会社=株屋というのは、80年台以前では、あながち間違った認識ではなかったものです。

証券会社の扱うもう一つの主軸商品が債券です。アメリカにおいて債券市場が急拡大したことは、80年台の一つの重要な現象でした。その背景には金融自由化があります。

80年代初頭より、アメリカの金融市場では、金融自由化の動きがあり、いろいろな規制が撤廃・緩和されました。特に重要なものとしては、業際間規制の自由化(銀行と証券の垣根を設けていたグラス・スティーガル法の大幅緩和)のほかに、ここの議論で重要となる預金金利規制の自由化が挙げられます。

「金利」という言葉をお聞きになったことがあるかと思います。お金を借りた時、あるいは貸した時に払う、受け取る利率のことです。

そして金利の前に「規制金利」と「市場金利」という言葉が付くと、それぞれ特別な意味を持ちます。「規制金利」とは政府が決める金利のことです。中央銀行(日本では日銀)が決める金利を限定して「政策金利」ということもあります。それに対し、マーケットが自由競争で決める金利を「市場金利」(あるいは「自由金利」)といいます。

アメリカにおいては長らく、預金金利を上げて預金の取り込み競争が激化することを防ぐため、その上限が決められていました。預金金利は、個人・法人から預金を預かる金融機関にとっては、資金の調達コストを意味します。その調達コストの上限が決められているということは、市場金利が上方硬直性をもって上がらないことになります。

例えば、住宅ローン金利を考えてみます。住宅ローンは、それを貸し出す金融機関にとっては、大きな収益源です。アメリカにおいて、80年代以前は住宅ローン貸出の大部分は、今のように商業銀行ではなく、住宅ローン専門の貯蓄貸付機関(Saving & Loan)が担っていました。

彼らの経営は「3、6、3経営」と呼ばれていました。「3%の金利で借り入れをして(預金金利3%で預金を預かり)、6%の金利で住宅ローンを貸し出し、3時になるとゴルフに行く」というものです。金利が動かないという状況下では、金融機関の運営もそれだけ単純なものだったということです。

ところが、80年代初頭にインフレが急進行する中で、規制金利を大幅に上げることが起こります。ここでは小難しい経済理論は端折りますが、景気がよくなり過ぎると物の価値が上がる(相対的に貨幣価値が下がる)「インフレ―ション(インフレ)」という現象が起こり、景気が悪くなり過ぎると物の価値が下がって(相対的に貨幣価値が上がって)「デフレーション(デフレ)」という現象が起こると思って下さい。そして景気の調整を「金利」というブレーキで調整すると考えて下さい。

景気がよくなると物が売れ、みんながそれを欲しがれば物の価値が上昇します。そのままいくとコントロール不能になると判断した政府は、ブレーキを踏み込むわけですが、そのブレーキの役割が「金利」になります。もし企業の調達コストが高ければ、物を作りにくくなり、自然と景気に抑制の効果があると期待するものです。

人間というのは、常に進化を求める生き物ですので、その活力によって景気は普通の状況であれば、ゆるやかに上昇するものです。そしてその状況下では、軽くブレーキに足を乗せた状態である適当な水準の金利があるものです。

現在、日本で異常に金利が低いのは、景気が無茶苦茶悪くて、色々景気刺激のアクセルを踏む(公共投資等)と同時に、ブレーキを全く効かせていない状況に相当します。

80年代初頭のアメリカでは、長期間の好景気の代償としてインフレ率が高騰しましたが、規制金利をいくら上げても、預金金利の上限のおかげで、その効果が見られないということがあり、その金利を撤廃することになりました(預金金利の完全自由化は1983年)。

それは、市場参加者にとって突然に、金利とは動くものだという大きな転換をもたらします。債券とは、発行体の借金を「債券」と呼んで証券とみなしたものです。例えば、国債とは国が借金をしているわけですが、借金である以上は、支払い期限があり(=満期)、利息もあります(=金利)。

そして金利が上がると債券の価格は下がります。3%の金利のついた債券を持っている人は、もし金利が上がって5%で運用できる状況ではうれしくないですね。それが価格下落になります。逆に、3%の債券は、金利が1%の状況ではその価値が増すこととなり、価格も上昇します。

預金金利の上限撤廃により、金利が上昇するようになると、債券の価格は下がります。下がったものはいずれは上がります(金利が上昇しつづけることはないため)。ここに投資家は収益機会を見出すわけです。それまでつまらない投資対象商品だった債券が、俄然面白くなったのが80年代というわけです。

また80年代の金融市場の変革には、「間接金融から直接金融」及び「証券化市場の拡大」といった事象も挙げられます。

企業が資金を調達する際、銀行から借り入れることを間接金融、市場から(=投資家から)直接調達することを直接金融といいます。直接金融では、証券会社(企業の資金調達の橋渡し業務を投資銀行業務と呼び、アメリカでは証券の売買と投資銀行業務を収益の両輪とする金融機関を投資銀行 Investment Bank と呼んでいます)を仲介として、株や債券を発行し、それを投資家に買ってもらうことで資金を調達します。

株式は、経営権を株数で案分したものですから(ある株式会社の株式が100株あれば、その1株をもつことは経営権の1/100を持つことに等しい)、株式の新規発行による増資というのは、既存株主の利益を損なうことはお分かりになると思います(これを「希釈化」といいます)。

80年代に入って債券が売れるようになると、投資銀行の収益構造にも大きな変化をもたらしました。投資銀行部門で、大型社債の起債がその収益源となりました。勿論、それを売買する社債部の収益も貢献します。

先に、住宅ローンの話をしましたが、住宅ローンと言うのは長期の貸出です。それに対して、預金は短期の借入ですから、市場金利の上昇により、借り入れコストが上昇すると逆ザヤ現象が起こります(既に貸し出している住宅ローンの固定金利を変えることができないため)。この逆ザヤ現象を未然に防ぐ方法として、考案されたのが「証券化」です。

金利のリスクをなくすには、貸し出したローンを売却すればよいのですが、住宅ローンの転売というのは、なかなか難しい点があります。そこで、そのローンを束ねて、それに政府の保証をつけて証券として販売したことがこの証券化です(私の外資系証券での専門分野は、この住宅ローンの証券化でした。またこれに関しては、後にもう少し詳しく説明する機会があるかと思いますが、ここではこの程度にしておきます)。

新しい商品が生み出されれば、その売買がまた投資銀行の収益源となることはお分かりになって頂けると思います。

債券の売買を強みとするソロモン・ブラザーズ証券は、80年代に急拡大した債券市場の成長と共にその地位を確立し、80年代半ばには会長のジョン・グッドフレンドが「ウォール街の帝王(King of Wall Street)」と呼ばれるまでになります。

私がソロモン・ブラザーズ証券に入社した当時、会社はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。世界最強の投資銀行の一員として私の社会人の第一歩がありました。

(続く)




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category: 外資系証券なるもの

2012/07/08 Sun. 15:03 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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