「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (164) 「映画『死刑弁護人』を観て感じること」 7/15/2012 

#検察なう (164) 「映画『死刑弁護人』を観て感じること」 7/15/2012

先頃、映画「死刑弁護人」観賞。これは、多分日本で最も毀誉褒貶の落差の大きい弁護士安田好弘氏を主人公としたドキュメンタリー映画です。

ここをクリック→ 「死刑弁護人」予告編

彼の徹底した依頼人の利益を優先した弁護の姿勢に、強烈なプロフェッショナリズムを感じると共に、私が法曹関係者でないからこそであろう感じる疑問もありました。

私は、司法の場は真実の追求を一義として、有罪・無罪が勝ち負けのゲームであるべきではないと思っています。それは例えば弁護人の立場からすれば、「依頼人の利益」と「真実の追求」のどちらを優先すべきかという問いにも、自ずと私なりの答えを導き出すものです。

弁護士法第一条には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあり、依頼人の基本的人権でさえ社会正義に優先するものではなく、あくまで並列であるように読めます。

また弁護士職務基本規定第一章第五条には「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」とあり、真実追究の理念が必要とされているように読めます。

これらは私の考えるところと矛盾はありません。

映画の1シーン、名古屋女子大生誘拐殺人事件についての述懐で、恩赦を請求するものの死刑に処された依頼人について、安田氏は次のように語ります。

「はっきり言って、僕のミスでしたからね、執行されたのも。執行を止めようと思ったら止めれたんですよ。例えば再審でもね、事実をでっち上げてやり続ければ、今でも、彼生きていると思いますよ」

この徹底した弁護人の利益優先の精神が安田氏の真骨頂だと理解します。そして、それがやはり弁護人としてのプロフェッショナリズムなのだろうとも思います。

これは、真実の追求を二の次として、被告人を罪に問うことがプライオリティーの検察と対峙するためには、その対極である「真実の追求を二の次として、被告人を守る」という姿勢が必要なのだろうとも考えられます。

しかし、それは反則プレイに反則プレイで対抗するようなものだと感じます。私は、検察特捜部の取調べでも、繰り返し何度も「検察の仕事は起訴をすることではない。検察は真実を追求すべきだ」と訴えてきました。そして、それが裏切られる結果となっても、私はその姿勢を捨てることはできません。ましてや、相手の反則プレイに対して、反則プレイで対抗しようなどとは思わないものです。

それは私が弁護士ではないからこうした青臭い精神論的な議論ができるのであって、弁護士としてはもっと実利的なプロフェッショナリズムが必要だということなのかもしれません。

映画で扱われた事件の一つ一つを見ても、複雑な思いです。

和歌山毒カレー事件の林真須美死刑囚の弁護は、安田氏自身、冤罪だと信じているので、その弁護には何ら違和感はありません。

しかし、全ての被疑者・被告人が有効・効果的な弁護を受ける権利があることは憲法で守られているとは理解しても、私がもし弁護士だとして、私が麻原彰晃死刑囚の効果的な弁護をできるとは思えません。私は、最近、坂本弁護士一家に関する本を読んだばかりです。

ここをクリック→ ブック・レビュー 「全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件 」 

以前の私のブログで、「虚偽の無罪の弁護」に関して書いたところ、非常に大きな反響を頂きました。

ここをクリック→ #検察なう (158) 「無罪の弁護をされる弁護士、将来の弁護士の方々へ」

それを書かせた私の気持ちを思うに「心が動かされた」「涙が止まらなかった」という大きな賛同の声もありましたが、複数の法曹・法学関係者の方から、よりテクニカルな側面にフォーカスして「分かっちゃいない」「余計な御世話だ」「冤罪被害者のエゴだ」とのご批判も頂きました。

もし依頼人から、「先生、実は私は罪を犯してるんですが、証拠も少ないですし、無罪という主張で弁護して下さい」と言われた場合、「依頼人の利益最優先」で、虚偽の無罪の弁護をするべきだ、という意見には依然首肯できないものがあります。それほど明らかでない場合でも、もしつじつまが合わない供述から、無罪の主張にほころびが見えた場合には、まず弁護人がそれを解明すべきだと思います。

私は、罪を犯した者は相応の罰を受けることでその罪をあがなうことができると思っていますし、そうすべきだと思っています。そして、日本人の多くは自分の罪を潔く認める一種の美意識を持っていると信じています。

だからこそ私は、名張事件の冤罪被害者奥西勝氏が死刑廃絶の署名運動に異を唱えたということに心を動かされるのです。

この映画の中で取り扱われた事件の一つでも、6人が死亡、14人が全身やけどなどの重軽傷を負った新宿西口バス放火事件で、犯人が心神喪失状態であると弁護することで、検察の死刑求刑に対し、無期懲役を勝ち取りますが、その受刑囚は刑務所内で首を吊って自殺します。その真意は計り知れないものの、自殺の原因に良心の呵責があったことは想像に難くありません。

まず嘘はばれるということを説明し、虚偽の主張が明らかになった時のダメージを理解してもらうことが結局は依頼人の利益につながると思います。また「嘘をついてまで保身を図ることが依頼人の人生にとって有益かどうか」という問題提起をして、依頼人により深く考えてもらうことも必要なのではないかと思います。

所詮は「冤罪被害者のエゴ」ではあるんですが。

また、私は、刑罰の教育刑的な側面を重んじるため、その教育対象を抹消する死刑には反対の立場です(そのほかの理由には、死刑には殺人の抑止力は小さいということと、死刑という極刑の公判にはコストがかかりすぎる、ということがあります。勿論、冤罪の可能性がゼロでないということもあります。日本の現行制度にはない、絶対的無期刑の終身刑を創設すべきだと思っています)。

安田氏も死刑反対論者で、犯罪者の更生を信じています。映画の中で、「どんな人でも更生できるか?」と問われ、こう答えています。

「更生しないということが、想像できないですね。それはあの.....ヒットラーもそうだろうと思うんですよ。どんな独裁者でもそうだろうと思うんです。しかし僕らみたいな市民、庶民はもっともっと単純。簡単に右から左へ、塀の外から中へ、中から外へと変わりうる」

安田氏が受けている実際の弁護活動を死刑反対運動に利用しているという批判が妥当だとは思いませんが、やはり死刑存置論者が死刑に反する弁護をするよりも理解は得難いのだろうと思います。なかなか難しいものです。

司法の在り方を考えるためのfood for thoughtとして秀逸の作品だと思います。地域限定単館ロードショーの作品ですが、機会がありましたら是非ご覧になって下さい。

ここをクリック→ 映画「死刑弁護人」公式HP

7/15/2012


ここをクリック→「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会動画ダイジェスト版」

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category: 刑事事件一般

2012/07/14 Sat. 14:38 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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