「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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ブック・レビュー 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川 惠子著 

ブック・レビュー 『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』 堀川 惠子著

裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

死刑囚から彼を取り調べた検事に届いた一通の感謝の手紙。彼はなぜ自分を死刑に追い込んだ検事に感謝の意を表したのか。そこから事実を追い求めることが始まる。

事実は小説より奇なりということはあるが、この本に書かれた一人の死刑囚の人生を垣間見ると、「なぜ彼が殺人に至ったのか」という基本的な疑問から立ち止まってしまう。

そして彼を取り巻く人々との関連の中で描かれる人間模様が実に興味深い。

まず、最初に登場する検事の死刑に関する言葉。彼は本来、積極的な死刑存置論者である。

「死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。それなら単なる謝罪を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」

その彼が唯一手掛けた死刑事件がここで描かれている死刑囚の事件であった。事件は昭和41年の強盗殺人。一人の主婦を殺した当時22歳の青年が犯人であった。

昭和58年のいわゆる「永山基準」の前であり、当時は死刑確定事件の約半数が被害者は一人だった。また当時22歳以下で死刑に問われるケースも20%と少なくはなかった。そしてここで描かれている死刑囚の青年には前科がない。つまり今の基準で言えば、死刑となるべきではないケースでこの青年は死刑に処せられている。

人の命を奪うことはいつの時代でも、地球上のどこにおいても「罪」であるはずだが、それを合法的に国に許す基準が、時代によって変化するというのは死刑の存在意義を考えさせるものである。

検事に続いて、話の中心をなすのが、一審死刑判決の後の控訴審で弁護を担当した弁護士。

この青年は控訴趣意書を提出しているが、弁護士はその趣意書に驚かされることとなる。

「今の私は控訴している自分が恥ずかしく後悔しています。本当に被害者に済まないことをした、被害者の家族の皆さんに申し訳ないと思ったら控訴を取り下げてもらって此のまま服役するのが本当と思って取り下げの手続きをしようと思いました。そして自分の考えを私のお袋宛に手紙に差し出しました。『母さん、僕のことはあきらめてくれ』とそんな内容の手紙でした。すると私が控訴しないと母は生きていないと言われ、私が一度に目が覚めたようで控訴を取下げる気力と言うものを失しなってしまい今日に至っているのです。

お願いがあるのですが聞いて下さい。私はもう裁判なんか開かなくても充分納得しています。ですが母に望みと言うのではなく徐々に私をあきらめさせるようにしてもらえないでしょうか。裁判を形だけでいいのです。開いてみて最後まで行けばお袋もあきらめられると思うのです。私の母には何の罪もないのです。虫のいいことをと御叱りを受けるかもしれませんが最後のお願いを聞いてもらえませんでしょうか」

そして懸命の弁護活動の中で、弁護士が提出した上告趣意書はこのようなものであった。

「被告人の情緒感情すなわち情性に大きな変化が起こつた、自己を見つめた反省が本物になりつつある、人間として成長しかけておる、この姿に弁護人は喜びを感ずる。ここで死を与えることではなく生を与へ、被告人をして、一個の人間として更生の途を歩ませるのが、国家刑事政策の取るべきところではないだらうかと思う」

そして、最初は自暴自棄であった青年も徐々に生に対する執着、生きる希望を持ち始めるのだが、結果は死刑確定。そして確定死刑囚としての残りわずかな人生を過ごすことになる。

彼が処刑の直前に弁護士に送った手紙。

「先生、ぼくはこういった最後の手紙は一切書かない積りでいたのですが、
世話になった方々へ何だかんだと30通ばかり
一睡もせず書かせて頂いたのですが
母への手紙だけは涙無く書くことができませんでした。
涙が出て、出て、止まらないのです。
こうやって“母”と言う字を書いただけで、涙が出て来るのです。
そんな訳で最後のご挨拶も満足に出来ませんが、ご勘弁の程を。
それにペン持つ指が疲れました。
先程、一番電車も通りました。そして今、一番鶏も鳴きました。
それでは先生お元気で」

一人の青年の人生を辿り、ひとつの家族や周りの人々の姿が浮かぶ。死刑囚となった者の家族や周りの人々の生き様には、やはり運命に翻弄される人生の厳しさを感じる。

著者は末尾でこう書き加えている。

「罪を犯すような事態に、自分だけは陥らないと考える人は多いかもしれません。しかし、人生の明暗を分けるその境界線は非常に脆いものです。私たちはいつ被害者になるか分からないし、それと同じようにいつ加害者になるかもしれません。被害者や加害者の家族にもなりえます。たとえ人の命を奪わないまでも、相手の心に生涯消えない傷を負わせることもあるでしょうし、たとえ自ら手を下さなくても、傍観や無知を通して加害の側に立っていることも少なくありません。

死刑という問題に向き合うとき、いったいどれほどの人間が、同じ人間に対してその命を奪う宣告をすることが出来るほどに正しく、間違いなく生きているのかと思うことがあります。そして、その執行の現場に立ち会う人間の苦しみも想像を超えるものがあります。

もし裁判が単なる制裁の場ではなく、不幸にも生み出された犠牲の上により良き社会を生み出していくための険しい道を目指すのであるならば、過ちを犯した人間を裁く法廷は、一方的に敗者を裁く場であってはならないと感じています」

この本を読んで死刑について考える機会をもつことは、積極派、消極派を問わず必要であろう。先進国の中では、圧倒的に少数派の死刑存置国であり、なおかつその支持が85%とも言われる状況であるからこそ、より建設的、健全な議論のために、こうした作品を通して考えることが求められる。

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category: ブック・レビュー

2012/07/20 Fri. 08:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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