「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

05« 2017 / 06 »07
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.

#検察なう (172) 「機能する刑事司法 - 死刑について考える」 7/30/2012 

#検察なう (172) 「機能する刑事司法 - 死刑について考える」 7/30/2012

雑誌「世界」(岩波書店)8月号の記事「厳罰は有効な刑罰なのか」を興味深く読みました。

これは今年6月に開催された「刑事司法を持続可能にするのは何か?」にパネリストとして出席するため来日したノルウェー元法務大臣クヌート・ストールベルゲ氏と、映画監督森達也氏とのインタビューを収録したものです。

話題として取り上げられているのは、昨年7月にノルウェーで起こった連続テロ事件。これはノルウェーの首都オスロ政府庁舎爆破事件と、その二時間後に起きたウトヤ島銃乱射事件で、合計77人が死亡しています。両事件はアンネシュ・ブレイビクの単独犯とされ、第二次世界大戦以降史上最大の短時間大量殺人事件でした。

この事件当夜に、記者会見を行ったノルウェー首相は「これほどの暴力であるからこそ、より人道的で民主主義的な回答を示さねばならない」と語りました。また事件翌日も、ウトヤ島にいながら殺戮を免れた十代少女の言葉「一人の男がこれほどまでの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」を紹介しながら、「相手をもっと思いやることが暴力に対する答えだということを示さなければなりません」とスピーチしました。

同じような事件が起こった場合に、我が国の首長が、犯人を「思いやるべきだ」という発言をするということは想像すらできないだけに、この彼我の差はなぜあるのであろうかという疑問を強く感じました。

さらに驚きなのは、遺族の反応です。ノルウェーには死刑がありません。最高刑は21年の禁固刑です。これだけの残虐な行為の後だけに、一部のメディアや市民からは刑事司法政策が寛容すぎると批判が上がったことは想像に難くありません。しかし、犠牲者の遺族はみな、そうした動きや声に対して、はっきりと「ノ―」を表明したそうです。彼らの反応は「ノルウェーが歩んできた道を変えてはならない。熾烈な体験を『愛と知恵』によって克服しなければならない」というものでした。

事件の三日後には、バラの花を掲げたオスロ人口の一割に当たる八万人の一般市民がオスロ中心部の通りに集まりました。これは犯人への怒りや報復の表明ではなく、犠牲になった人への哀悼であり、遺族の思いも含めて「愛」の表現だったものです。

結局のところ、死刑を復活させるという選択肢は、その後も俎上にすら載りませんでした。

死刑存置支持率が85%を越え、さらに最近厳罰化傾向に傾斜しつつある日本は先進国の中でも非常に特異な状況です。

先進国の中で例外的に死刑を存置しているのは日本とアメリカだけですが、アメリカは州によって対応が違い、特にここ数年は立て続けにいくつもの州が死刑廃止を宣言して、現在では十七州が死刑を廃止しています。世界における死刑大国は中国ですが、やはりここ数年は急激に執行数が減少しており、イスラム国家も国際世論に歩調を合わせています。極論すれば、世界で日本だけが、死刑を求める民意を増大させていることになります。

「人を殺してはいけないと諫めるために人を殺す」ことはナンセンスだと思う私は、明らかに日本では少数派でしょうが、死刑制度に関しては十分に理解されておらず、議論も深まっていないように感じます。

これは事件が起きる度にその経過を扇情的に伝え、加害者の残虐性や被害者遺族の悲しみを強調するメディアの報道の仕方に問題があるように思えます。その一方で、毎年のように殺人事件数が減少していることは伝えない。結果、治安が悪化しているかのように思って死刑は必要だとする意識が形成されているのではないでしょうか。

死刑に殺人の抑止効果がないことは、先日の大阪での「死刑になりたい」という理由で起きた通り魔殺人を見ても明らか。それでは死刑の意義とは何でしょうか。

それは刑罰の本来の意味を問い直すことが必要です。

私は刑罰に、(応報刑ではなく)教育刑としての意義をより大きく見出すがゆえに、「教育の対象である者を抹消する死刑は刑罰の存在意義と矛盾している」と感じます。

「人を殺すような者を社会に還元するべく教育するのは意味がない」と思われる方も少なからずいると思われます。ただ、その方々にも、その因子を社会から取り除いても、死刑相当の犯罪がなくならなければ意味がないのは理解頂けると思います。犯罪の発生原因とその抑制は、それ程単純なものではありません。

そこでのキーワードは、「機能する刑事司法」です。

死刑相当の極悪犯罪を更に減少させるために、被害者遺族の救済、加害者の更生や出所後の補助等、やるべきこと、考えることは沢山あります。

国際的な権威を集めながら全く報道されなかったシンポジウムだったようですが、そこで元米国連大使ビル・リチャードソン氏はこのように発言しました。「このままでは日本は最後の死刑存置国になりますよ」。

2007年5月国連拷問禁止委員会は、日本に対し死刑執行停止を求める勧告を行っています。国際センスの乏しいのが日本人の常ですが、やはり世界と伍するには、国際世論も考慮しなければと思います。

こうした重要なことを考えることも国民一人一人の責任だと思います。

ここをクリック→ #検察なう (164) 「映画『死刑弁護人』を観て感じること」

ここをクリック→ ブック・レビュー 「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 」

7/30/2012



ここをクリック→「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会動画ダイジェスト版」

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」 改訂版

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事


ここをクリック→ 嘆願書まとめ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします
↓ 

category: 刑事司法改革への道

2012/07/30 Mon. 10:03 [edit]   TB: 0 | CM: 1

go page top

この記事に対するコメント

島秋人という歌人

「死刑は廃止するべきか存続させるべきか」という問題を目にするたびに、私は、島秋人という歌人のことを思い出します。

島秋人――

Wikipedia にも載っていますが、昭和9年に北朝鮮で生まれ、少年時代から非行を繰り返し、強盗殺人の罪で死刑判決を受け、33歳で死刑執行により世を去ったということです。
 ただ、この人は獄中で、中学時代の担任教師から短歌というものの存在を教えられ、それから歌詠みになりました。雑誌などに短歌を投稿して窪田空穂に認められ、最後は歌集『遺愛集』を遺しています。

 この『遺愛集』を読むまでは、私も「刑罰としての死刑は必要だ」と、普通に信じていましたが、まったく考えが変わりました。
 今では私は「死ななければ治らない極悪人」というのは、ほんらい存在しないものだと思っています。

 いっぽう「こんなに悪いことを平気でするくらいの奴なら死んで償うのが当然」という考えもあるかと思います。けれども、犯罪を犯した人一人が死んだところで、その犯罪者によって殺された人たちは、どのみち帰ってはきません。

 刑務所という場所には、「罪を償う」という機能もありますが、「受刑者を更生させる」という機能もあるはずです。

 どんな凶悪犯罪を犯した人であれ、その犯罪者を、どう頑張っても更生させられないというのは、社会の機能が一部麻痺しているんだと――情けを持った人間が足らないというか、社会の仕組みがおかしいというか、とにかく、どこかが怠慢なのだと思います。

 島秋人という人は、短歌に出会うという些細なことをきっかけに人生が変わりました。
 この歌人が、入獄してから刑死するまでの短い期間に、短歌を作り始めて、人としてどれほどの進歩を遂げたかを思い起こすにつけ、「人は死ななくても生まれ変わることができる」、だから「死刑は廃止すべきだ」との考えを新たにする次第です。

高杉ナツメ #- | URL | 2012/07/30 Mon. 12:26 * edit *

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/352-508a0816
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top