「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (176) 「死刑再々考」 8/5/2012 

#検察なう (176) 「死刑再々考」 8/5/2012

引き続き死刑について考えてみたいと思います。

ここ数日死刑に関し、ツイッターやフェイスブックでご意見を頂いたり、議論をしたりしています。

難しい問題です。特に、死刑相当の重罪といえば複数人の殺人に限られるので、「人を殺した者を罰するためにどうすればいいか」というのは命の尊厳に関わり、感情もからんで一筋縄ではいきません。

ツイッターで、「制度としてある以上、死刑執行はするべきだ。法務大臣が死刑執行を命令しないのは職務怠慢である。死刑をしないのであれば法律を変えるべきだ」というご意見を頂きました。私の答えは以下の通りです。

制度は人が作る以上絶対ではなく、いつでも変更できるはずです。変更される前提があれば、現在有効な制度であっても、それを執行しないことはありえます。死刑に関して言えば、諸外国の中には、(例えば1998年以来執行がない韓国のように)廃止はしていないものの長期間執行がなく、事実上廃止状態の国もあります。ですから、「制度があるから」というのは死刑執行せねばならないという理由にはならないと思います。

法務大臣が死刑執行を命令しないことに関しては、私も死刑廃止の立場でありながら、個人の主義主張で法務大臣が命令を忌避するのは違うと思います。死刑廃止が国民のコンセンサスでない以上、法務大臣には公人としての責任があるからです。私が法務大臣に任命されたら(そんなことはありえないのですが)、その職責は受けられないと言うと思います。

小川前法相の更迭後のインタビューで、着任直後に法務官僚に言われたことが2つあると言っていました。それは死刑執行命令書に黙って署名するということと、指揮権発動は考えないということだったそうです。法務官僚にしてみれば、法相は自分たちの邪魔をしなければいいというくらいにしか思ってないのでしょう。結局彼はその両方とも守ったことになります(後者に関しては、「指揮権発動しようと考えた」と更迭後に発言したことは記憶に新しいところです)。彼は3人の死刑を執行しています。

法務大臣に任命されるような議員であれば、相当に発言力はあると思いますので、議員の立場で議員立法を働きかけて死刑廃止の主張をするべきです。

議員のような権限を持たない者が、法改正以外の方法で死刑執行の停止を訴えるのもありだと思います。先日のブログで紹介した日弁連の要請書のように、「一旦停止して議論を尽くそう」というものがそれです。

そして、死刑の存置・廃止を考える際に重要なことは、「あなたは死刑宣告ができますか」ということではないかと思っています。

日本では有権者である以上、裁判員となる権利(義務と考える向きが多いかと思いますが、私は権利と考えたいと思っています)があります。裁判員は有罪・無罪という事実認定に加え、量刑も決定します。裁判員裁判は重大事件に限定されているため、死刑相当の重罪を判ずる裁判員となる可能性もあります。

現行の裁判員制度は欠点も数多くあり、その一つが「裁判員が量刑決定に参加する」ということだと思います(アメリカの場合、陪審員は有罪・無罪の判断だけで、量刑は職業裁判官が決定)。しかし、裁判員制度の最大のメリットは、国民が当事者意識をもって司法を考えることができることだと思います。

私が死刑に反対する最大の理由は、自分で死刑宣告ができないからです。「あなたの引導は私が渡すから成仏してくれ」という責任を一生負うだけの覚悟も根性もないからです。そして自分でできないものを人に押し付けることがどうしてもできないため、死刑反対の立場を取るものです。理想に燃えて死刑に反対しているわけではなく、むしろ卑怯なのかもしれません。単なるヘタレです。

裁判員を選ぶ際、「不公平な判断をする恐れのある候補者を外す」ための質問例に「絶対に死刑を選択しないと決めていますか」という質問案を最高裁は地裁に示していますが、それが聞かれない事もあることが報じられています(10/19/2010 毎日新聞 「裁判員裁判: 東京・西新橋の2女性刺殺 選任の裁判員に死刑への考え質問なく」)。

極端な厳罰論者を排除しない以上、死刑廃止論者だけを排除するのは不公平だとも言えるので、死刑廃止論者を裁判員に選ぶことには問題はないはずですが、先の法務大臣の議論と同様、死刑廃止論者であっても、その主義主張に左右されずに、死刑相当の場合はその宣告をすべきだと思います。それも難しい選択ですが。

そして死刑の廃止が加害者擁護のためであるというのも私は違っていると思います。加害者はそれだけの罪を犯したのであれば、相応の罰を受けるべきです。極論すれば、加害者はどうでもいいのです。そして重要なことは、いかに社会のベネフィットとなるかという観点で刑罰を考えるべきだと思っています。つまり殺人を減らすにはどうすればいいかということです。その答えは死刑ではありません。死刑に殺人の抑止力がないことは明らかです。罰金を30万円にすればしなくなる飲酒運転とは犯罪の性格が全く異なるからです。殺人を犯す者が「死刑になるかもしれない」と躊躇するとは思えません。極端なケースでは、「死刑になりたいから」という殺人まで起こっているくらいです。

死刑廃止の法改正の際には、終身刑の設定を考えるべきだと思います。現在、最高刑の死刑の次に重い刑は無期懲役ですが、日本の場合仮釈放があるため、死ぬまで刑務所に禁固されることはなく、期限を取り合えず定めない不定期刑のようになっています。死刑との罰の軽重でギャップがあり過ぎるというのが問題です。

そして労働基準法関係なしの超低賃金(受刑者の作業報奨金は月平均4,700円)で働いてもらい、死ぬまで罪と向かい合ってもらう、そしてなぜそういう犯罪が行われたかのケーススタディとして社会に還元してもらえばいいと思います。刑務所は、作業収入年約47億円という、労働コストが安い故の優良企業です。

ここをクリック→ 法務省HP 刑務作業のあらまし

そして強調したいのは、冤罪の可能性はゼロではありえないことも死刑に反対する理由です。過去に4人の死刑囚が再審で無罪になり、名張毒ぶどう酒事件、袴田事件のような未解決の明らかな冤罪もあり、飯塚事件のように既に処刑されたケースもあります。そしてこれらが氷山の一角であることは間違いありません。

人間が間違いを起こさない事はありえないのに加え、捜査権力が恣意的に権力行使をしている実情から、冤罪のリスクは看過すべきではありません。無辜の人を死刑台に送るのは、最大の犯罪です。そのリスクを完全になくすのは死刑廃止しかないことは考慮するに値します。

最後に、死刑に関して考える人にお勧めの映画をご紹介します。鬼才ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」です。デンマークの監督ラース・フォン・トリアーは常に人間の心の奥底を切り取る映画を作り、観た後はどうしても気持ちがざらつくのですが、圧倒的な説得力があり、見逃せない監督の一人です。主演のビヨークの音楽も非常に高い水準の映画です。是非ご覧下さい。

ここをクリック→ 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」予告編

8/5/2012



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category: 刑事司法改革への道

2012/08/05 Sun. 12:17 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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