「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (178) 「木谷明氏 『強すぎる検察(検察官司法)と裁判員制度』 (上)」 8/10/2012 

#検察なう (178) 「木谷明氏 『強すぎる検察(検察官司法)と裁判員制度』」 8/10/2012

季刊「刑事弁護」No.71の木谷明氏の記事「強すぎる検察(検察官司法)と裁判員制度(上)」を興味深く読みました。

木谷氏は元東京高等裁判所判事で、この3月まで法政大学法科大学院で教授を務めていました。その法科大学院での最終講義の原稿を掲載したものが、季刊「刑事弁護」の最新号と次号です。

興味のある方には是非手に取って頂きたいのですが、ここではそのダイジェストを紹介させて頂きます。

記事の冒頭で、木谷氏は、「検察官司法(=検察官が強大な力をもって実質的に司法を司っている状況)」を言い当てる2つのエピソードを紹介しています。

木谷氏が司法修習生の頃、実務指導の地裁裁判長に「木谷君、君は刑事(裁判官)をやるなんてもったいないよ。刑事なんか馬鹿でもできるんだ」と言われたそうです。「馬鹿でもできる」とその裁判官が言ったのは、刑事裁判では、事実認定は検察の言うがまま、量刑さえ判断していればいいということらしいのです。これが現場の現実的な感覚だとすれば非常に恐ろしいものです。

また、裁判官となって十数年経過した後、木谷氏は友人の検事からアドバイスされたそうです。そのアドバイスとは「裁判官は検事の主張とあまり違った判断をしない方がいい。検察は庁全体で相談してやっているのに対し、裁判官はたった1人かせいぜい3人じゃないか。そんな体制で検事に勝てるはずがない。仮に第一審で無罪にしても、検事が控訴すれば大抵破棄される」というものでした。これも検事の本音として、恐るべき事実です。

彼は、このエピソードが物語る日本の司法の状況をこう説明します。「刑事裁判は、検察官が事実上取り仕切っているので、形式的には裁判官が裁判しているように見えても、実質的には検察官が裁判している」というもので、これが「検察官司法」たるゆえんです。

これは極論のように聞こえますが、日本の刑事司法の状況を端的に表したものであるとも言えます。

そして木谷氏は「強すぎる検察」の実態として、以下のような刑事裁判の特徴を挙げます。

1) 有罪率が異常に高い(有罪率99.9%、無罪は1000件に1件の割合)
2) 勾留請求が滅多に却下されない(被疑者の勾留には裁判所の許可が必要だが、検察の請求を裁判所が却下するのは1~3%)
3) 保釈がなかなか認められない(逮捕された被告人の勾留を解く保釈が認められるのは10数%どまり)
4) 検察控訴の破棄率が被告人控訴の場合と比べて極めて高い(一審無罪で検察が控訴すると7割近く高裁で有罪となるのに対し、一審有罪で被告人が控訴しても1割前後しか高裁で無罪にならない)

この記事では、具体的なデータを掲載していますが、私は、3) に関係して、平均勾留日数がどれだけであるかを知りたいと思いました。

1)はまさに検察官司法の実証とも言える現実です。否認事件に限っても、その無罪率はせいぜい2-3%ですが、これは例えばアメリカのように職業裁判官ではなく、陪審員が事実認定をすれば、20-30%と一桁オーダーが違ってくるものです。

2)、3) とそれに加えて長期に亘る勾留が「人質司法」と言われるものです。人質司法に関しては以前ブログにも書いています。

ここをクリック→ #検察なう (85) 「人質司法」

4) の検察上訴はそもそも憲法違反ではないかと思っています。これに関しても「二重の危険」として以前ブログに書いています。

ここをクリック→ #検察なう (87) 「司法改革 (2) 『二重の危険』」

木谷氏は、「検察官を圧倒的優位にしている制度・慣行」として次の8つを挙げます。

1) 起訴独占主義・起訴便宜主義
2) 密室取調べと人質司法
3) 当事者主義と証拠開示制度
4) 自白の任意性・信用性の審査方法と判断基準
5) 刑訴法321条1項2号後段の特信性判断基準
6) 「捜査の違法」への切り込み不足
7) 裁判官の意識
8) 「疑わしいときは被告人の利益に」の不徹底

少なからずの考察が、彼が判事であった時の反省に基づいているものと思われます。裁判官の「有罪ボケ」に関して、次のように述べています。

「裁判官も、日常的に争いのない事件を扱っているため、いわゆる有罪ボケを生じかねません。たまに被告人が必死に事実を否認した場合でも、ときに、その主張を真剣に受け止められない裁判官が生じてしまうという現実があったのです。」

6) の「『捜査の違法』への切り込み不足」について彼の記述を引用します。やはりこれも判事の立場で考えたものです。

「村木事件では、検察官が証拠物に手を加えたということが明るみに出て、多くの人がショックを受けました。多くの人の受け取り方は、『検察官ともあろう者がそんなことまでするのか。まさか......』という驚きでした。

しかし、これまで、検察官が被告人に有利な証拠を隠匿して有罪判決を得てきた実例はいくつもあります。古くは、松川事件の諏訪メモはその一例ですし、布川事件や最近報道されている東電OL事件などでも、被告人に有利な証拠が隠されていることが明らかになりました。

被告人に有利な証拠を隠すことと被告人に不利な証拠を捏造することの差は、紙一重です。『被告人に有利な証拠を隠してでも有罪判決を得る』ということが当然のこととされている世界では、検察官が『不利な証拠に手を加えてでも有罪判決を得たい』という誘惑に駆られるのは自然の勢いでしょう。捜査官はそういう誘惑が常にあるのだということを裁判官はよく理解して、証拠物の偽造・捏造を含む捜査の違法問題に切り込むべきなのですが、どうも最高裁を含む我が国の裁判所にはそういう姿勢が足りないように思います。」

そしてこの「検察官司法」の到達点として、次のような状況を述べています。それは日本の司法の現状を示しているとも言えます。

1) 供述調書への過度の依存
2) 自白の偏重
3) 客観証拠の軽視
4) 科学的証拠の軽信
5) 警察官・検察官による証拠の改ざん

ここでも5) の「警察官・検察官による証拠の改ざん」に関して彼の記述を引用します。

「供述調書に虚偽供述を盛り込むことは、昔から堂々と行われてきました。(中略)虚偽の自白調書が作成された事案を、私自身も経験しています。こういう不当な取調べは、取調べの可視化がされていない現状では、いくらでもありうると考えるべきです。

供述を捏造するのと、証拠物を改ざん・捏造するのとの差は紙一重です。虚偽の供述調書を作成した捜査官は、それが裁判所に簡単に信じてもらえることを知ると、そういう調書を作ることに抵抗感がなくなり、次には証拠物の改ざんに手を染めることになるでしょう。

村木事件でのFD改ざんは、このような成功体験の積み重ねの結果によると考えるべきです。私は、あの事件の背後には、以上に述べたように、虚偽の供述調書を作成した事案が無数にあったものと考えています。」

季刊「刑事弁護」はかなりマニアックな雑誌で、法曹関係者以外の一般人は余り目にすることはないのかもしれません。私がこの記事に触れて思うことは、一般人の感覚からすると驚愕とも言えるこうした実情が、法曹関係者には半ば常識と受け止められているのではないかということです。こうした異常な状況に慣れてしまったことで、司法全体が硬直化しているのではないかと危惧します。

こうした実情は是正すべきことは言うまでもありません。より多くの一般的な感覚をもった一般人が実情を知り、批判し続けることを期待します。

8/10/2012




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category: 刑事司法改革への道

2012/08/10 Fri. 07:25 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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