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「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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上申書 (19/60) 和気香子  

上申書 (19/60) 和気香子

裁判所に提出する目的で、私の知人・友人に「あなたが裁判員になったとしたら」という観点で上申書を書いてもらうことを依頼しました。1ヶ月で60通の上申書が集まりました。ところが上申書の裁判所提出は検察の不同意で阻まれ、それはかないませんでした。彼らの正義を希求する声を無駄にしないために、本人の了承を得た上でブログでの実名公開に踏み切ります。

ここをクリック→ #検察なう (183) 「上申書に関して」

私のブログを読んでいらっしゃる方は、もう既に「推定無罪」に関しては充分にご理解頂いているかと思います。

ここをクリック→ #検察なう (159) 「疑わしきは被告の利益に」

そして有罪認定の際のハードルとなるのが、「合理的な疑い」というものです。有罪を認定するには、疑問の余地なく真っ黒である必要がある、というのが近代刑事訴訟法上の大前提です。

色の濃淡というのは、感覚的ですが、便利な概念です。真っ白と真っ黒の間にある状態をイメージしやすいからです。その色は「グレー」と呼ばれます。そして推定無罪原則を理解すれば、グレー=無罪であることには全く疑問の余地がないことはお分かり頂けるかと思います。

グレーというからには、怪しいと思うべき点があることを示しています。証拠の有罪方向での確からしさが、「合理的な疑い」を越えないために、真っ黒ではなく、グレーというものです。では、そのような証拠がいくつもあった場合はどうでしょうか。

例えば、上に添付した私のブログでは、(「非常に乱暴だが」という条件付きで)「合理的な疑い」を越える有罪の確からしさは、少なくとも95%は欲しいというようなことを書きました。しつこいようですが、これは何ら確立した法律論ではなく、私の私見です。

もしそれが法律家のイメージとしてあるとして、有罪の確からしさが80%の証拠では、有罪とするには足りないことが分かります。それでは、80%の有罪の確からしさのある証拠が二つあればどうでしょうか。逆に無罪の確からしさは20% x 20% = 4% となって、有罪の確からしさが95%を越えるのでしょうか。

結論から言うと、そうではありません。「グレーをいくら重ねてもグレー」、つまり「合理的な疑い」を越えない証拠をいくつ集めたところで、所詮、それらの証拠は有罪の認定には足りないということになります。それこそ、それらの証拠が10集まろうが、100集まろうが、所詮はグレー。即ち有罪とはなりません。

しかし、私はそこには例外もあると思っています。例えば、ある証拠が、ほかの証拠の足りない部分を補完する場合、つまりある証拠の80%の有罪らしさが、ほかの証拠の20%の無罪らしさを打ち消す場合に限っては、「合わせ技一本」ということが言えると思います。

その場合でも、まずその「合わせ技」の適用には慎重であることを前提として(推定無罪原則は、法治国家というためにはそれだけ大切なものです)、それぞれの証拠そのものがある程度の証明力を持っている必要があると思います。つまり、10%の有罪らしさの証拠のような、立証事実から遠い間接証拠を1000集めようが1万集めようが、それで有罪を立証しようとすることは、司法制度を愚弄する行為です。

勘のいい読者はお分かりかと思います。私の言わんとすることが。私の公判で、検察が行おうとしていることがまさにこの司法制度を愚弄する行為なのです。「薄~~~いグレー」をいくら重ねても、「あれ?グレーかな?白に見えるけど」という話です。これから行われる私の公判での、被告人質問における彼らの反対尋問や検察論告求刑での、彼らの論理に注目して下さい。

今回紹介する上申書では、更に斬新な色の議論です。「白はいくら割引いても白」というものです。

私は法律家ではありませんが、彼女の書いた判決文は、完璧のように読めます。法曹界の方、誰か突っ込んで頂けないでしょうか。

「上申書

私が大学4年、就職活動をしていた時に、ソロモン・ブラザーズ証券のリクルーターとして対応して下さったのが八田氏です。私は当該証券に就職することはなかったので、就職活動を終えてからはお会いすることもなく、その後音信不通でした。

約四半世紀を経て、2011年4月に再会した時にはじめて事件について聞きました。八田氏から話を聞いて、最初に頭に浮かんだのは「それって、システム的な問題じゃないの?」でした。それから、「あ、この人本当のことを言っている」と直感的に思いました。“直感”は、過去の経験が積み重なった経験値からくる瞬時の判断と私は考えており、非常に重視しているものです。その後、「やってないものをやったとは言えない」を貫く八田氏の姿勢に共感し、折に触れ、事件の応援をしてきました。

この度、上申書を書くにあたり、私が裁判官だったらどう判断するのかという視点で考えてみることにしました。上述の通り、私は八田氏の応援をしているので、明らかに八田氏にとって有利な裁判官です。そして、その点は割り引いて下さって構わないと思っております。

まず、私が裁判官として依って立つところは、「疑わしきは被告人の利益に」、つまり、推定無罪の原則です。何よりも優先させる判断基準とします。

そして、脱税とは、“意図的な所得隠しにより納税を免れる行為”であると理解しております。従って、八田氏の事件は、「2007年、2008年に国外口座に振り込まれた株式及びストックオプション報酬が源泉徴収されないことを知りながら、故意に申告しなかったかどうか」が唯一の争点だと考えます。

【判決】

1. 今回の事件に関し、重要な証拠として挙げられているものは、株式やストックオプション付与の際にクレディ・スイス証券(以下、会社)から配布されたメモランダムを始めとする教示的文言を含んだ会社配布書類であると聞いております。中でも、そのメモランダムに記載された“Please note that whilst there are no employer individual tax reporting or withholding requirements on the delivery of these shares.”という注意書きが、会社が従業員に対し、株式報酬は個々人が源泉徴収する義務があると指導をした証拠であるとのことです。一方、八田氏は、その文章には気づかなかった、と主張しています。

アメリカに留学経験のある私が普通に読むと、「この株式付与について、会社が税務申告や源泉徴収をする義務はない」と解釈し、「個々人が申告すべきである」とは解釈できません。但し、読めば、という注釈つきです。会社勤めをしている時には、業務上多くの日本語・英語の文書を読んでおり、業務に関係ない書類を読むことに時間を割きたくはありませんでしたし、しかも注意書き程度であれば、無視していたことと思います。誰かから「必ず読むように」と直接念を押されない限り、注意書きは読まなかったでしょう。

私個人のことは仮定の話ですが、八田氏と同様に当該メモランダムを受け取った他の従業員(元従業員含む)は、読んだのでしょうか? そして、会社が源泉徴収をしていると思い込んでいる人が、「会社に源泉徴収の義務がない」という暗示的な文言だけで、ただちに会社が源泉徴収をしておらず、自分で申告しなくてはいけないという理解に結び付いたでしょうか?

(1) 調査対象となった300人中約100人が申告漏れをしていた点

(2) 法令遵守を司るコンプライアンス部の部長が気づかなかった点

(3) 同部長の確定申告を行っていた税理士の妻が気づかなかった点

(4) 法務・コンプライアンス本部長による、「自分は、メモランダムで気づいたのではなく、社内の詳しい者から直接聞いたことによって知った」との証言を考慮すると、メモランダムで「個々人が申告するべきである」と伝わっていたかどうかは疑問が残ります。

また、上記本部長による、「インサイダー取引については強制参加の説明会を実施し、英語・日本語のマニュアルを配布して会社が指導したのに対し、税務申告に関しては、任意参加のマスター・シェア・プランについての概要説明会を行ったのみで、会社としては指導していない」との証言により、メモランダム以外にも、会社として株式及びストックオプション報酬に関する税務指導は十分でなかったことが窺われます。

2. では、会社からの指導は不十分であり、それによっては株式及びストックオプションの申告義務があると気づかなかった場合に、それ以外の契機により八田氏が気づいた可能性はあるでしょうか? 源泉徴収票と月々の給与明細の合計額を比較し、その齟齬に気づけば、会社は源泉徴収をしておらず、自分で申告しなければならないということを理解した可能性があります。

その点に関して、私自身の例も含め、周りの人3人に尋ねた例を挙げます。私は給与所得者としては、確定申告をしておりませんでした。そして、給与明細は保管してあるものの、源泉徴収票と比較することはありませんでした。同じく給与所得者として確定申告をしない人の例として「給与明細は最近まですぐ捨てていました」というものがありました。

給与所得者として確定申告をする人の例では、「源泉徴収票と給与明細をチェックするわけない。するとしたら偏執狂的な細かい人である。自分は相当細かいけれど、やらなかった」、「給与明細自体見ない。年一回ボーナス時だけ確認する」という2つの例がありました。

サンプルは少ないのですが、尋ねた人全員から「比較して確認することはない」という答えが返ってきました。従って、給与明細と源泉徴収票を比較する人は少ない、と考えられ、比較しない人の中に八田氏が含まれることは不自然ではないと考えます。

3. しかし、八田氏の場合には大きな額なので、報酬として得た時点に見た金額を覚えているはずであろう、そして、その金額を覚えていれば、源泉徴収票に書かれている数字がおかしいと気づいたはずである、という観点からはどうでしょうか?

八田氏が非常に忘れっぽいことについてのエピソードを記します。

今から1か月半程前に、あるメディア(以下、X)に、八田氏の事件に関する資料を添付したメールを送りました。Xで取り上げて記事にしてほしかったからです。Xに資料を送付する件については、八田氏と相談して決めたことでした。メールの文面も八田氏にチェックしてもらってから送付しました。

その1週間後頃の会話です。

私:「Xに送ったメールについてなんですが」

八田氏:「Xって何だっけ?」

私:「え? 事件に関するメールを送ったではないですか?」

八田氏:「全然覚えてないな」

私:「信じられません。他のことなら兎も角、八田さんにとって、一番重要で関心の高いことに関係したことでしょう?」

八田氏:「半年前に1億円もらっても忘れちゃう位だから」

そして、この上申書を書くにあたり、つい最近あった会話です。

私:「上申書には八田さんが忘れっぽい性格であるエピソードとして、Xへのメールの件を書きますから」

八田氏:「Xってなんだっけ?」

私:「それは、ウケを狙って言っているのですか? 狐につままれたような気分です」

八田氏:「俺、何かやり忘れていたことあった?」

私:「送ったという事実を記憶することです」

事件の支援について、人から何かをしてもらったことすら忘れてしまうのです。「そういう性格だから」と諦めをもって開き直っている雰囲気は甘えや依頼心が感じられ、良識ある大人として社会人として如何なものかとは思います。そして、逆にこのエピソードから、現時点では彼にとって非常に重要である本事案に関するわずか1ヶ月半足らずの前の事柄ですら忘れてしまうという状況を考えると、報酬がいくら重要だったとしても、税務年度でその金額を集計して考えるといった細かな作業をしていなかったことが、全く不思議はないということに気づきます。

では、八田氏にとって経済的価値が、最重要事項で、お金に関することは絶対に忘れない性格かどうか、という観点から考えてみます。卑近な例を挙げると、私がお金を立て替えてもらったことがあります。返そうとすると、立て替えた事実も忘れていて、「いいよ、いいよ」と受け取ってくれませんでした。だから、特にお金に対して貪欲である、何よりも重視しているとは考えづらいと言えます。また、私は彼ほど高給取りであったわけではないので、想像でしかありませんが、経済的報酬よりももっと大事なものを働くインセンティブとしていたからこそ、外資系証券という浮沈の激しい世界で、長く成功を収めることができたのではないかと思います。また、もし仮に経済的価値を重視していたとしても、給与を上げるために努力するはずで、その給与をリスクにさらすのは合理的ではないと感じます。

仕事では成果を上げていたようなので、全てにおいて忘れっぽいかと言えば、恐らくそうではなく、現在進行形の懸案事項以外は忘れてしまうのではないかと想像しています。

つまり、目の前を通り過ぎ去ってしまい、懸案でもないことに関しては、人並み外れて忘れっぽい性格である、と言えると思います。

以上、

1. 会社として株式及びストックオプション報酬に関する税務指導は十分でなかった可能性が高い

2. 給与明細と源泉徴収票を比較して確認していない可能性は十分にある

3. 人並み外れて忘れっぽい性格である

点を考慮すると、八田氏が、意図的な所得隠しにより納税を免れたと断定するには合理的な疑いが残り、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に基づき、無罪と判断します。

裁判官として判断するには関係のないことですが、敢えて記します。八田氏は、国税の告発を受けて否認をすると100%起訴され、100%有罪であり、場合によっては実刑判決もあり得ることを知りながら3年以上も否認し続けています。そして、これからも先は長いです。働き盛りの数年間を賭けて彼が戦っているのは、「嘘をついて自分を誤魔化してまで楽な人生を歩みたくはない」との良心に従わずにはいられないからだと思います。そこに真実があるような気がします。

冒頭に、私が八田氏を支援する立場であることから割り引いてもらっても構わないと書きました。それは、白を幾ら割り引いても白にしかならない、というのも理由の一つです。

和気 香子」

ここをクリック→ 和気香子上申書











ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―





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category: 上申書

2012/09/19 Wed. 06:05 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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