「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

06« 2017 / 07 »08
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (226) 「検察論告の欠陥 Part3」 12/1/2012 

#検察なう (226) 「検察論告の欠陥 Part3」 12/1/2012

(強制捜査から1446日)

公判の場で検察論告を聞いていた時、検察論告に強い違和感を持った部分がありました。それは「供述の変遷」を主張した部分です。検察論告で、私の「供述の変遷」が不合理だと主張した部分は3回に及びます。

「供述の変遷」とは、分かり易く言えば、それまでの供述と違う供述をすることです。それそのものは特段、不利益になるものではありません。細かな記憶違い、言い間違いというのは当然ありうるので、それを言い直すこと自体、いけないとされるものではありません(だからこそ伝聞証拠が、相手の同意がないと証拠として提出できないという、裁判特有のルールがあるものです)。

但し、場合によっては、それをもって不利益とされることもあります。合理的でない主張の変更を繰り返せば、それによって「こいつは信用ならん」と判断されかねないということがあります。

供述の変遷が合理的か不合理かの線引きはかなり主観に基づくようです。一応、「新たな主張がより合理的か」「変遷の経緯は合理的か」という評価はされるようですが、真実がより不合理に見えることはままあり、記憶を呼び覚ます経緯も、なんのきっかけもなくということもあるでしょう。

私が考えるところでは、供述の変遷の評価は、その主張が主要事実に関わるものかどうかが重要であると思います。瑣末な枝葉の部分で主張が変わることと、根幹の部分主張が変わることを同等に評価することはできないはずです。

過少申告の理由に関し、私は、それこそ4年前の第一日目から、「払っていたと思っていました。会社が払っていたんじゃないんですか。だって給料天引きでしょ。源泉徴収票を出せばそれで給与関連の申告は終わり。そこに記載されていない給料が会社から出てるなんて思わないでしょ、普通。それがサラリーマンの常識ですよ。」という主張は全くブレていません。なぜならそれが真実だからです。

私が感じた違和感は、検察の「供述の変遷」に対する異様なこだわりようでした。

「変遷」というほどでもない主張の変更を殊更強調していました。しかも、検察は「変更前の被告人の主張は信用に足る」と言っていますが、その元々の主張がそれ程私にとって不利益とも思えないものです(通常、「供述の変遷」は自分にとって不利益な証言を都合よく変更するものです)。

その検察の「頑張り方」が私の違和感となったものです。

ここ数日その点を考えた結果、理解しました。こういうことです。

私の事案では、検察にとって証明すべき命題は「故意の存在」です。

そして私はその故意を否認していますので、「故意の存在」を立証するということは、私の主張が虚偽であることを意味します。

私の主張が「本当のことを言っているのかどうか分からない」というレベルでは、「推定無罪」の原則が働くため、有罪とはできないことはお分かりだと思います。つまり積極的に、「私が嘘をついている」ということが結論づけられなければならないということになります。

しかし、注意してほしいのは「私が嘘をついている」ということが、証明すべき本来の命題ではないことです。

「故意の存在」が証明されれば、自ずと「私が嘘をついている」ということが導かれるということが本来の立証の流れです。

ところが検察は、「故意の存在」の立証に関し、彼らの論証が到底、合理的な疑いを越えるだけの説得力はないものと理解し、「私が嘘をついている」ということに依拠しようとしているのだと思われます。

それが「供述の変遷」への異常なこだわりの理由です。

「こいつは嘘をつく奴なんだ」→「だから『脱税なんかしていない』という主張も嘘なんだ」という論理です。

私の供述全体の信用性を、一部の揚げ足取りで落とそうという戦略です。

被告人質問において「ホントですか~~?」を連発したのと、同じ印象点稼ぎです。

「ホントですか~~?」作戦論告バージョン=「『供述の変遷』が不合理であるという主張」と考えてもらって結構です。

しかも、ただ単にAという主張をBという主張に変えたというだけでは、インパクトに弱いと思ったのか、「主張Aは真実だ」ゆえに「それと異なる主張Bは嘘だ」だから「被告人は嘘をつく」と一歩踏み込んだ主張です。

実はその3か所の「供述の変遷」のうち、1か所においては主張Aの一部が客観的事実により誤りであることが容易に分かるにも関わらず(被告人主質問でもその旨説明したのになあ)、ご丁寧に「いや、主張Aは正しい」と言ってくれているのがなかなか笑わせます。自分に都合よく解釈しようとするがゆえに、正しい評価ができていないものです。

供述態度を必要以上に貶めようというのも、この「供述の変遷」が不合理であるということをもっともらしくする努力と言えます。

実にこすっからい戦略で、これが天下の検察特捜部の検察論告かと思うと、実にがっかりさせられます。特捜部の論告はもっと品位をもって作られるべきです。正々堂々と正面から証拠で勝負すべきでしょう。

横綱の相撲では立会いに注文をつけたり、ましてや猫だましのような奇襲は厳しく非難されます。特捜部も、公判において、結果が得られればいいということではなく、品位をもって横綱相撲をとるべきです。所詮、行司差し違いを期待しての起訴なのですから。

images1.jpg


これは、検察論告を実際に作成した公判部の責任というよりは、この程度の証拠収集能力しかなかった検察特捜部の責任です。根本的には、佐久間元特捜部長率いる功名心に駆られた当時の特捜部が、国税局に恩を売るため告発を受理したことがそもそもの過ちであり、また取調べに着手してから、無理筋であることが分かっていながら引き返せなかった特捜部の判断の誤りです(あるいは、梯子をはずされまいと国税局の必死の抵抗があったのかもしれません)。

いずれにせよ、事件の全体像からは薄汚い役所のメンツが透けて見えるものです。こんなことに億単位の血税が使われていることに国民は無関心であるべきではないと思います。

「潔さ」が日本人の美徳だと常々思っていたのですが、国税局査察部や検察特捜部といった捜査権力はその大和魂を失ったようです。残念なことです。

12/01/2012









ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会動画ダイジェスト版」


ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事


ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part2

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 3

ここをクリック→ 嘆願書まとめ

ここをクリック→ 上申書まとめ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします
↓ 

category: 訴訟記録等

2012/12/01 Sat. 08:36 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/454-6f83ef4f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top