「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (238) 「第十回公判報告 最終弁論+被告人最終陳述」 12/22/2012 

#検察なう (238) 「第十回公判報告 最終弁論+被告人最終陳述」 12/22/2012

(強制捜査から1467日)

地球も滅亡することなく、私の第10回公判も無事終わりましたので、ここに報告させて頂きます。

予定通り午前10時半に開廷。さすがに公判も10回目となると、傍聴リピーターも慣れたもので、「10時半くらいに行けばいいんだろ」という感じで、開廷直後は少し空席もあった法廷も、次々埋まっていきました。

さすがクライマックスシリーズ最終戦とあって、最終的には東京地裁でも大きな法廷の傍聴席の大方が埋まる盛況でした。傍聴に来られた方には感謝を申し上げます。

今回の公判では、弁護人の最終弁論と私の最終陳述が行われました。

まず弁護人の最終弁論。

傍聴されている方でも立証構造が分かりにくかったかと思われますので、第四の弁護人の私から解説させて頂きます。

裁判の場には、裁判官、検察、弁護人+被告人という三者が参加しています。その三者の目標とすべきは「真実の追求」であり、その意味では三者の参加意義、目的は本来、一致しています。

しかし、この公判では、検察は公益の代表者でありながら、「真実の追求」という本来の責務を放棄して、「自分たちの利益」=「被告人を有罪とすること」を図っています。そもそも、なぜ被告人を有罪とすることが、彼らの利益なのかも理解不能ですが、「当事者主義」という訳の分からない論理で、公判を勝ち負けのゲームと考え、「有罪=勝ち、無罪=負け」としているのが検察の在り方です。

その姿勢に対する厳しい批判が、最終弁論の冒頭で述べられました。引用します。

「本件は、被告人のほ脱の故意の有無につき争いはあるものの、間接事実レベルでの事実関係そのものにはほとんど争いはない。

検察官の主張と弁護人の主張の相違は、多数の事実から、いかなる事実をほ脱の故意の有無の判断に必要な事実として抽出するか、抽出した事実についてほ脱の故意との関係でどのように評価するか、という点で意見を異にしているにすぎない。

事実を追求するために重要なことは、第一に、ほ脱の故意の有無の判断に必要な事実が「全て」抽出されること、第二に、それらの事実を適切に評価することである。

公益の代表者たる検察官においては、有罪方向の事実だけを抽出して無罪方向の事実を抽出しなかったり、抽出した事実の評価を恣意的に行ったりするようなことがあってはならない。」

この引用部分の最後の一文、「あってはならない」は痛烈な皮肉で、「てめえらそんなことしてんじゃん」というものです(育ちのよろしい私の弁護人はそのような言葉遣いは間違ってもしませんが)。

前回の第9回公判では、検察の論告が行われました。その前半部分で、「争うことのない事実関係」として32の事項が指摘されました。

それに対して、今回公判の前半部分、佐野弁護人が主張した「争うことのない事実関係」は100の事項に及びます。

どういうことかというと、有罪・無罪の判断材料となる事実関係の指摘において、検察は有罪方向に使えるような事項のみを挙げ、無罪方向と考えられる事項には言及すらしないのに対し、弁護団は全ての事実関係を網羅したというものです。

今回の事案で争点となるのは、過少申告が私の過失であったか、故意であったかという一点のみです。

証拠となる事実関係に関しては、「故意でなければ説明不可能」「故意とする方がより合理的」「過失とする方がより合理的」「過失でなければ説明不可能」という濃淡があります。

検察が挙げた32の事実関係には、「故意でなければ説明不可能」という、故意の決定的な証拠は一つもありません。そして「過失とする方がより合理的」「過失でなければ説明不可能」という証拠には全く言及していないということが、弁論の前半部分で指摘されているということです。

分かります?

公判後に、私の知り合いで傍聴してくれた方に「どうだった」と感想を聞くと、「うーん、弁論の前半って検察の論告とかぶってない?」と言われたのですが、似て非なる如く、実は弁護人の主張の方がはるかに高尚です。

多分、このレベルの理解は法曹関係者でないとぴんとはきていないとは思いますが。

弁論の後半部分は、故意がなかったことの積極的な立証及び検察の論告に対する論駁となります。

故意がなかったことの積極的な立証は、小松弁護人が「ここは非常に重要ですので、14の項目を挙げて説明させて頂きます。」と言って始めた部分です。

「過失とする方がより合理的」「過失でなければ説明不可能」の事実関係の指摘は、かなり傍聴人にもアピールしたようです。各論はまた機会を改めて述べたいと思います。

検察の論告では、これまでの公判で明らかとされた無罪方向の証拠の評価や弁護人の主張に対する論駁を全くせず、自分たちの意見の押し付けに終始するものでした。

検察の論告は、相手の主張にきちんと自分の論理で反駁しない、「お前はそっちで勝手に言ってろ、こっちはこっちの言い分があるんだ」という、実に次元の低い論告であったことは以前のブログで説明したところです。

弁論では、きっちり論告に対する反論をさせて頂いたものです。私は、この部分に弁護人の真骨頂を感じました。

それは、検察が、故意であることを裏付けると主張する事実関係に関して、「過失であるとしても合理的である」というニュートラルに押し戻す主張に留まらず、「むしろそれは過失であることを物語っている」と、相手の技を利用してこちらの技で返して一本を取る大技でした。

ここも各論は別の機会に述べたいと思います。

そして、最後は、じゃじゃーん。私の最終陳述でした。ようやく自分の主張の場が与えられた感じです。

最終陳述は通常、一言、二言というもののようですが、それでよく自分が裁かれるという状況に甘んじられるのか、私の感覚では理解しずらいものです。「裁判とはそういうもの」というのであれば、実に被告人に対して無慈悲な感じがします。

しかし、私は20分間たっぷり時間を頂き、さえぎられることなく(ちょっと初公判のトラウマ)主張させてもらいました。

終わって、何人もの方から「拍手したかったよ」と言われたのがうれしかったです(法廷では拍手は禁止)。

その全文をここに掲載します。是非お読みになって下さい。

ここはクリック→ 最終陳述

いやー、さすがに昨日は疲れました。

あとは「人事を尽くして天命を待つ」です。

判決は、来年3月1日午前11時です。

12/22/2012












ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

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category: 刑事裁判公判報告

2012/12/22 Sat. 09:18 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

拍手できないのが悔しかった。

2005年度の申告に関する申告漏れが、何故「時効」と言ってスルーされてしまったのか、傍聴していて分かりづらい部分はありました。
 資料も何もなく、ただ聴いているだけの一般ピープルの傍聴人にとって、法廷内の議論の行方を追うのは、ときどき難しくなりますね。

 けれども、それを除けば、八田氏の最後の陳述は、(絵を描きながら話半分に聴いていた私でさえも)二、三度「ぐっ」とくるほど、感動的なものでした。
 このブログに添付された「最終陳述」をあらためて読み下してみて、2005年度の申告に関する扱われ方の謎が解けました。それと同時に、傍聴していたときの感動がよみがえりました。

ほんとうに、法廷で拍手したかったです。――

高杉ナツメ #- | URL | 2012/12/23 Sun. 01:30 * edit *

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