「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (239) 「第十回公判最終陳述」 12/23/2012 

#検察なう (239) 「第十回公判最終陳述」 12/23/2012

(強制捜査から1468日)

結審の際に私が行った被告人最終陳述です。私の4年間の思いです。是非、ご一読下さい。

最終陳述

佐藤裁判長、渡辺裁判官、小泉裁判官、最終陳述の機会を与えて頂きありがとうございます。

クレディ・スイス証券職員、元職員を対象とした税務調査が開始して以来、既に4年を越える歳月が経過しています。

税務調査の知らせを受けた直後から、今日まで、私の主張は徹頭徹尾、終始一貫しています。

それは、「株式報酬も給与であると理解しており、当然、納税の義務があることは知っていたが、会社の給与天引きで納税していたと思っていた。源泉徴収票に記載されていない会社からの給与があるとは夢にも思わなかった。」というものです。

即ち、偽りその他不正行為により、所得税を免れたことは一切ありません。

私は、その同じ説明をこの4年間、何十回、何百回と繰り返してきました。

この事案の争点は、私の過少申告が過失であったのか、あるいはわざとやったのか、その一点だけです。

またほ脱対象とされる所得は会社の給与であり、それに関する書類は、会社に問い合わせればただちに入手可能なものです。

それほど単純な事案でありながら、なぜ税務調査開始から今日まで4年という歳月が費やされなければならないのでしょうか。

その理由は、国税局査察部統括官の言葉に端的に表れています。それは、故意を立証する「証拠が存在しない」からです。それでも故意を認定せざるをえないという結論ありきの捜査であることが、この4年という異常に長い時間が費やされているただ一つの理由です。

この機会を借りて、まず、これまでの公判で触れられなかった側面から、私の論証を加えたいと思います。

税務調査は、私が社会人人生の中で初めて株式を取得した2005年度から、クレディ・スイス証券退社の2007年度までが丁度その対象年度となりました。

税務調査がその3年分を対象としていながら、その最初の年である2005年度申告は告発対象から外されています。そして、私の所得税法違反嫌疑は、2006年度と2007年度のみを対象としています。

2006年度や2007年度と同様に税務調査対象年度であり、同様に株式報酬が過少申告となっているにも関わらず、なぜ最初の年の2005年度申告が告発対象から外されたのでしょうか。

捜査当局が仏心で大目に見てくれたと考える人は、よもやいないと思います。そこには何らかの理由があるはずです。

私の担当税理士もその点を不審に思い、国税局に確認しました。

査察部査察官の回答は「時効です」というものでした。

しかもそれは、電話口で即答したのではなく、一旦、電話を保留にして相当時間、検討する間をおいてからの回答でした。

それが虚偽の弁明であることは明らかです。

告発対象外となった2005年度は、過年度申告を2007年2月15日にしています。その時効完成は、過年度申告を起算日として5年、即ち今年2012年2月14日経過時となります。

私の担当税理士が国税局に問い合わせ、時効だとの回答を得た2009年5月17日の時点では、実際にはまだ時効完成まで3年近い時間を余していました。起訴をするには十分に時間があると判断されたはずですし、これだけ時間を費やしながらも、実際に起訴は昨年の12月になされていることから、やはり十分に間に合ったということになります。

なぜそうした虚偽の弁明までして、2005年度申告を告発対象から外した理由を明らかにしたくなかったのでしょうか。

それは2005年度申告の状況から、その年の申告に関しては到底故意が立証できないからという以外に理由は考えられません。捜査当局ですら、2005年度の過少申告は過失であると認めざるをえないということです。

もし税務調査対象年度の最初の年の過少申告を告発・起訴して、それが故意ではなく過失であると認定された場合、続く2年の過少申告も同様に過失であるとされかねないと判断したため、審理の対象から外してそこに注意が行かないようにしたものだと思われます。

検察の論告では、私がほ脱の意図を持っていたとしながら、株式報酬が源泉徴収されていないという、サラリーマンにとっては到底常識とはいえない特殊な税務に関する知識を、私が、いつ、どのようにして得たかの特定を避けています。それは、例えば殺人事件で、凶器の種類や入手経路を特定しないかの如く、彼らの論理を脆弱なものにしています。特定ができないのは、犯行に至るまでの前足となる証拠が全く認められないことが理由ですが、それはほ脱の事実がそもそもないためにほかなりません。

告発対象からはずされた2005年度申告の状況をおさらいします。

この年の申告は、以前に依頼していた税理士の過怠により、申告は期限内にはなされていませんでした。脱税をするのであれば、これ幸いとその無申告の状況を利用するものと思われます。

しかし私は、新たな税理士に依頼して、過年度申告をしています。その税理士に一言「株式報酬をもらっていませんか」と言われれば発覚するというリスクを取ってまでして、税理士に依頼して脱税をするというのもありえないものです。

この、強く納税意識を伺わせる過年度申告という事実が、捜査当局をして、2005年度過少申告についての故意の立証を諦めさせた最大の理由だと思われます。

そして税理士に過年度申告を依頼した時点では、ほ脱の故意が認められないという場合、そのタイミングは極めて重要です。2005年度過年度申告を税理士に依頼する以前の証拠は、故意の立証の証拠とはなり得ないからです。

そして、脱税をしようとしたという場合には、自動的に、株式報酬が源泉徴収されていないという知識を得たのは、過年度申告を税理士に依頼した時点以降でしかないということになりますが、その推論は、かなりの可能性を限定・排除します。

実際に、私が2005年度過年度申告を税理士に依頼したのは、2006年の夏から秋にかけてのことです(甲29号証)。

様々な会社関係資料の中で、取調べにおいて最も時間が割かれたのは2006年度株式報酬の受け渡し通知であるメモランダムと呼ばれる書面ですが、その交付は2006年6月下旬のことであり、2006年の夏から秋にかけてとされる2005年度過年度申告を税理士に依頼した以前のこととなります。(甲17号証)

また、公判での被告人質問でも度々取り上げられた、シンガポール・エグゼクティブ・コンペンセーション部職員からの「Tax Withholding Requirements (IMPORTANT)」と題するメールも、その配信は2006年3月15日であり、それもやはり、2005年度過年度申告を依頼する以前のこととなります。(甲55号証)

つまり、それらの書面に書かれた、会社の税務に関する免責の文言によって、株式報酬は源泉徴収されていないことを知ったという検察の主張は明らかに失当であると結論づけられます。

そもそも、2005年度の申告においてほ脱の意図なくして偶然にも過失で申告もれとなり、わずか半年後の2006年度申告までに何らかの契機によりその機会に気付いたとすること自体、実に不自然です。特段の事情がない限り、物事の状況には継続の原理があるものです。そして、もし特段の事情があるとすれば、その立証責任は検察にあり、検察の論告では全くそれに触れられていないことは先に述べた通りです。

サラリーマンの会社給与に対する所得税は給与天引きであるということが社会通念であり、それに例外事項があるという特殊な事情を私が知り得たという契機を全く立証することなく、外形的な事実のみで有罪に陥れようとする検察の起訴は、まさに推定有罪を主張するもので、刑事司法に対する冒涜とも言えるものです。

しかし、ここでは一旦その不自然なこと、即ち、2005年度申告での過少申告は過失、2006年度及び2007年度申告の過少申告は故意であったという仮定をしてみます。

その場合においては、税理士に依頼した2005年度申告の成功体験に基づいて、2006年度申告も同様に税理士に依頼する方が安全な脱税だと考え、同じ申告方法を取ることの方が合理的です。しかし実際には、2006年度申告は私自身が国税庁ホームページ上で行っています。

もし脱税をしようとするのであれば、申告方法を変えることは不合理であるということは、2007年度申告においても同様です。

もし2006年度申告時に、何らかの理由で、自分で申告する方が脱税の発覚するリスクは少ないと考えたのであれば、2007年度の申告においても、税理士に依頼することなく自分で申告するはずです。実際には、私は再び税理士に依頼していますが、それは、脱税をしようとしていたとすれば実に不合理な行動です。

つまりこれらの、申告の方法を毎年変えるということは、ほ脱の意図がなく、その都度の自分の都合がその申告方法の選択の理由になっているからにほかならないものです。

公訴権濫用に関して一言付言します。

私にとって、検察による公訴権濫用の主張は非常に納得のいくものです。

私は真実を知っています。その真実に捜査権力が辿りつけない事には、二つの可能性があります。

一つは、彼らが悪意をもって、私が無実であることを知りながら、告発・起訴をしたというものであり、もう一つは、彼らが無能であり、彼らの捜査能力をもってしては、真実を見出せないというものです。

私は、日本の捜査権力はそれほど無能だとは思っていません。むしろ非常に優秀だとすら思っています。

さすれば導かれる結論は、必然と、彼らは、私が無実であることを知りながら、告発・起訴をしたということになるものです。

しかし、そう考える私ですら、捜査権力が冤罪を積極的に作ろうとしているとは思いません。それは結果的にそうなっているだけだと思います。

彼らは、真実を追求することをミッションとするのではなく、少なくとも査察官、検察官個人のレベルでは、とにかく告発をすること、起訴をすることが彼らの仕事であると信じ、それを事務的にこなしているのだと思います。

たとえ、彼らに告発される者、起訴される者が無実であったとしても、告発、起訴をすることが、彼ら自身の仕事であると思っている以上、彼らは、全くイノセントに与えられた仕事を忠実に処理しているという感覚なのだと思います。被疑者、被告人が無実であるかないかの判断は、彼ら現場の個人レベルの責任ではないということです。

問題は、無実であるかないかの結論の見極めが極めて早い段階でなされ、捜査に着手後は、その結論を見直すこともなければ、もしそれが誤りであったと知り得た場合でも、組織の行動として引き返すことが全くできないということにあります。

私の事案で言えば、過少申告は客観的事実としてあるので、私は、当初疑われることには全く抵抗はありませんでした。国税局査察部の強制捜査の際にも、これで真実が明らかにされるとむしろ安堵感すらありました。「彼らも何百人、何千人という脱税犯を見てきたのだから、私が嘘をついているかどうかはすぐ分る。また、説明するまでもなく、強制捜査で得た資料を精査すれば真実は自ずと明らかとなる。」と思ったものです。

しかし実際には、結論は強制捜査着手以前の内偵の段階で既についていて、強制捜査自体もその結論を裏付けるための証拠集めに過ぎないということだったのだと思います。まさに結論ありきの捜査ということです。

なぜ彼ら捜査権力は、自らの過ちを許容しないのでしょうか。

その背景としてあるのは、正しくなければならないという無謬性のプレッシャーだと思われます。間違いを犯さないということの過大な責任感と言ってもいいかもしれません。

国税局、検察が「我々は全く間違いを犯さない、犯してはいけない」と考えることが、彼らをして、自らの間違いを全く許容しないという精神風土になっているのだと思われます。そのことが、間違いを犯した場合の隠蔽体質につながっているものです。

また、組織の論理が、常に個人の判断に優先するという事情も、過ちを許容しない理由だと思われます。

特に特捜部の場合、その組織の論理には、常に世間の耳目を集める見栄えのいい事件を手掛けたいという功名心があります。

私の事案でも、国税局の覚えをよくしたいという政治的な思惑が、彼らの正しい判断を誤らせたものだと思います。

そうした政治的な思惑が行動原理に影響を与えることにより、組織の論理が個人の判断に優先することの弊害は、あたかも大きなタンカーが一旦方向を決めると、急な舵取りができないのと同様、ずるずると虚構に虚構を重ねても、当初の結論を自己実現しようとすることです。

人が、必ず正しくあるということは不可能です。しかし、正しくあろうと努力することはできます。それは自らの過ちを認め、その過ちを自ら正すべく努力することです。引き返す勇気こそが、今、捜査権力に求められている資質だと思います。

自分たちが正しいと言い張っていれば信じてもらえるというほど国民は愚かではなくなっています。捜査権力は、我々国民の厳しい監視にさらされている緊張感を持って職責を果たして欲しいと思います。

この4年間で私が失ったものには、様々なものがあります。

時間そのものもそうですが、やはり仕事を失ったことは、仕事を生きがいとしていた私としては、苦痛に耐えないものがあります。

被告人質問で、裁判官から、将来の復職に言及された際には、この4年間持ちえなかった「希望」を見たような気がして、暖かい気持ちになりました。しかし、現実は厳しいものです。金融の最先端にいた者にとって、4年間のブランクは到底埋めようがないものです。

私にとって業界復帰の最後のチャンスは、刑事告発直前に米証券会社から得た香港支店勤務の内定でした。その意味で、刑事告発は、外資系証券マンとしての死刑宣告と言えるものです。

告発後も、半年ほど会社は待ってくれましたが、検察の取り調べは一向に始まらず、結局、内定は先方から取り消されることとなりました。その瞬間死刑が執行されたが如く、もう二度とその機会を取り戻すことはできません。

外資系証券の業務は、私にとっては天職だったと思っています。アメリカ人の上司や同僚を持ち、最新のマーケットの情報と商品知識を駆使して、中国、台湾、韓国、シンガポールを含むアジア全域の投資家を顧客とするビジネスで成功するためには、能力もさることながら、むしろそれ以上に適性が非常に重要となります。私の成功の理由は、私自身その適性に富んでいたことにほかなりません。

いまだに時折、仕事をしている夢を見ることがあります。そうした朝に起きた時の気分ほど悪いものはありません。自分の能力を最大限に発揮することができた、外資系証券業界での活躍の場を永久に奪われてしまったことは、言葉にできないくらい悔しいものです。国家権力という強大な影響力を執行する立場にある者として、人の人生を変えることに、捜査権力は無責任であってはならないと思います。

また、少なからずの友人が去って行ったことも耐え難い苦痛です。彼らにすれば、踏む必要のない踏み絵を踏まされたようなものです。関わり合いになりたくないと距離を置いた人間は、今後どのようなことがあっても戻って来ないと思っています。

冤罪を訴え、世に広く主張すれば、見知らぬ方からの非難・中傷も少なくありません。そうした非難・中傷も、私にすれば、全く受ける必要がなかったものです。

しかし、そうした試練も、刑事司法の転換期において、私に授けられた運命なのだとこの時点では達観しています。

自分が冤罪に巻き込まれるという状況になるまでは、刑事司法に関して知ることはありませんでした。しかし、こうした状況になり、一般市民感覚で物事を量ると、刑事司法の在り方には様々な矛盾を感じています。そうした矛盾を世に知らしめ、議論の契機を作ることが、私に与えられた使命だと思っています。

最後に、検察の方々に一言だけ申し上げたいことがあります。それは、あなた方の初心を忘れてほしくないということです。あなた方が、法曹界を目指したのは何のためだったのでしょうか。社会正義の実現のためにほかならなかったのではないでしょうか。厳しい司法試験合格の後、まさに秋霜烈日の気概を持って、検事の道を選んだのではなかったのでしょうか。世の中の誰に対してより、その頃の自分に胸が張れるような仕事をするよう心がけて下さい。

そうすれば、自分たちに有利な証拠だけを開示して不利な証拠を隠すであるとか、検面調書を密室で自分たちに都合よく作文するとか、ましてや無理に被疑者に自白をさせることや、無理に起訴をすることがあなた方の仕事ではないと容易に理解できるものだと思います。

今からでも遅くはありません。そうした組織の論理にまみれた自分への挑戦を今日から始めて下さい。是非とも、よろしくお願いします。

以上をもって、私の最終陳述とさせて頂きます。裁判官の方々にはこの機会を与えてくれたことを再度お礼申し上げます。

私は、偽りその他不正行為により、所得税を免れたことは一切ありません。

何卒、公正なご判断をお願いします。

12/23/2012






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category: 刑事裁判公判報告

2012/12/23 Sun. 07:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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