「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (254) 「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件と国策捜査」 1/28/2013 

#検察なう (254) 「クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件と国策捜査」 1/28/2013

(強制捜査から1504日、判決まであと32日)

日本の刑事裁判における有罪率は、世界の歴史でも類を見ない程高く、それは99.9%に達します(注)。

一般市民の感覚からすると、異常としか思えないこうした状態は、どうして起こり得るのでしょうか。その大きな一因には、次のことが挙げられます。

検察による起訴権の恣意的な行使は、実のところ、無実の者を有罪にするだけではありません。むしろケースとしては、有罪の可能性が相当高いとしながら、起訴しないことの方が圧倒的に多いものです。これは「起訴便宜主義」と言われるものですが、検察官が必要としないと判断する場合には、有罪相当であっても起訴しない(これを「起訴猶予」と言います)ことが認められています(刑事訴訟法第248条)。

「我々は有罪確実なものだけを起訴している。だから、起訴したからには必ず有罪にすべし」というプレッシャーを裁判官に与え、裁判官も(人それぞれでしょうが、結局)その意に沿うことが多いと想像されます。刑事裁判の有罪率99.9%ということの背景の一つには、そうした役人間の「阿吽の呼吸」があると思われます。

その「検察が厳選する起訴」の中に、無実であっても彼らが有罪にしたいものを紛らせた場合、その多くが冤罪となることは説明を要しないと思います。

この起訴猶予というのりしろを理解する人の感覚からすると、なぜ検察が、明らかに無理筋のクレディ・スイス証券申告漏れ事件にここまでこだわっているのか、奇怪に感じると思われます。

その謎をひも解いてみたいと思います。

皆さんは「国策捜査」という言葉をご存知でしょうか。

Wikipediaにはこのように記載されています。

「国策捜査とは、捜査方針をきめる際に、政治的意図や世論の動向にそって検察(おもに特捜検察)が(適切な根拠を欠いたまま)「まず訴追ありき」という方針で捜査を進めることをいう」

この国策捜査という言葉は、一連の鈴木宗男事件で、鈴木宗男氏立件の端緒とすべく逮捕・起訴された元外交官佐藤優氏によるベストセラー『国家の罠』で使われたことで広く知られるようになります。

捜査が「まず追訴ありき」という場合、それは冤罪の温床となるものですが、佐藤優氏は、『国家の罠』の中で、国策捜査と一般の冤罪事件とを以下のように分けています。

「国策捜査について考察を進めるうちに、私は「国策捜査」が「冤罪事件」とは決定的に異なる構造をもつことに気付いた。

冤罪事件とは、捜査当局が犯罪を摘発する過程で無理や過ちが生じ、無実の人を犯人としてしまったにもかかわらず、捜査当局の面子や組織防衛のために自らの誤りを認めずに犯罪として処理をする。従って、犯人とされる人は偶然、そのような状況に陥れられてしまうのである。

これに対し、国策捜査とは、国家がいわば「自己保存の本能」に基づいて、検察を道具にして政治事件を作り出していくことだ。冤罪事件と違って、初めから特定の人物を断罪することを想定した上で捜査が始まるのである。

そして検察はターゲットとした人物に何としても犯罪を見つけだそうとする。ここで犯罪を見つけだすことができるとすれば、それが微罪であるとしても、検察は犯罪を摘発したわけだから、検察が犯罪をデッチあげたわけではない。国民は拍手喝采する。他方、どうしてもターゲットに犯罪が見つからない場合はどうするのか。理論的には検察は事件化を諦める。しかし、世の中は理論通りに進まない。そのときは検察は事件を作るのである。この場合も国民は拍手喝采して検察の「快挙」を讃える。」

つまり、イノセントに着手した事件の被疑者が無実であっても、引き返すことができずにそのまま起訴・有罪というのが「冤罪事件」であるのに対し、国策捜査は、検察が事件を「仕掛ける」という大きな特徴があるとするものです。

その意味では、私が巻き込まれたクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件は、強制捜査時点では冤罪事件と言えるものです(強制捜査以前の段階では、国税局も私が過失で申告漏れとは思っていなかったと考えられます)。

しかし、その後の展開は、やはり国策捜査の要素が色濃くあるものです。それゆえ、明らかな無理筋の事件に莫大な税金を費やして、検察は横車を押そうとしているものです。

そして告発時点では、通常の国策捜査と似通った性格をもっていたクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件ですが、起訴の段階では、検察が意気揚々と事件化したものでは到底なく、嫌々強いられた結果のものです。

説明します。

検察組織は、全国にある検察庁からなります。最高検察庁1庁、高等検察庁8庁、地方検察庁50庁(支部203庁)、区検察庁438庁。この全国の検察庁に、合計約2,700人の検事(最高検・高検・地検)、副検事(区検)が配属されています。

特捜部は、東京・大阪・名古屋地検に設置された部署で、大規模事件など、集中的に捜査を行う必要がある案件に取り組む機関として存在しています。

彼らの手がける事件には大きく分けて二つあります。一つが独自捜査、もう一つが警察・国税局・証券取引等監視委員会から送致された事案を捜査するものです。家電や自動車の製造で例えるなら、部品から自社一貫生産が前者であり、OEM供給を受けて製造するのが後者と言えます。

特捜部の看板商品は、言うまでもなく、独自捜査です(特捜部以外での地方検察庁が独自捜査をすることもないわけではありませんが、それは例外中の例外です)。特捜部は、この独自捜査に威信を賭けてきました。「巨悪を眠らせない」ことを標榜して、検察が正義の味方であることを世にアピールしてきました。

元々は、GHQが日本占領の際に、日本軍の秘匿物資の横流しを取り締まるために検察内部に作った組織である特捜部が、「検察といえば特捜部」というイメージを持たれるまでになったのは、やはりロッキード事件の華々しい成功体験があったからです。以降、彼らはこの成功体験の幻影を求めて、「バッジ(政治家)を挙げる」ことを至上命題とするようになります。

検察組織の中のエリートと目される特捜部で、さらに特捜部長ともなれば、自分の任期中に、有名な事件を手がけたいという功名心が生まれるのは、ある意味仕方のないことなのかもしれません。そして、その誤ったエリート意識、功名心が今日の検察の暴走の原動力と言ってもいいものです。

ところが、彼らに都合よく政治家が悪事を働いてくれて、尻尾を出すものではありません。そのため自ら事件を仕掛けることが国策捜査の背景です。

その行き着いた先が、大阪特捜部の郵便不正事件であり、東京特捜部の陸山会事件の虚偽捜査報告書問題です。

これら不祥事により、特捜部の存在意義が問われる中で、検察は大きな進路修正をします。それが、先に述べた独自捜査の縮小です。

自社一貫生産の製造工程に決定的な欠陥が指摘されたメーカーが、今後はOEM供給を受けた製造ラインにより重きを置くとしたのが、東西特捜部の不祥事の後、特捜部生き残りの方策であったものです。

こうなると、今までは下請け工場くらいにしか思っていなかった警察や国税局や証券取引等監視委員会との関係が、俄然重要になってきます。

こうした時代の変化の真っ只中で起こったのがクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件です。

検察が国税局の告発を受理した時点では、郵便不正事件は起こっておらず、当時の佐久間達哉検察特捜部長は国税局に恩を売る絶好のチャンスだと思ったのだと思います。

ここをクリック→ 佐久間「新」特捜部長会見 「いい事件やりたい」

ところが、郵便不正事件が起こり、状況は大きく変化します。勢い検察に対する世間の風当たりは強くなり、検察の中でも慎重論が生まれたことは想像に難くありません。

私の起訴をめぐっては、相当に検察と国税局の間でのつばぜり合いがあったものだと思われます。それが、告発後であったにも関わらず、特捜部が全ての捜査をやり直すかのような取調べを行い、取調べが長期化したことの原因です。

起訴をして無罪ともなれば相当のダメージを受けると考えた検察は、最後の最後まで不起訴の可能性を模索したものと思います。それゆえ、私は「奇跡的に」逮捕されることはありませんでした(人質司法を最大限利用する彼らが、人権を考慮してなどという理由で逮捕しなかった可能性はありません)。

しかし、これまで「告発=100%起訴」を誇示してきた国税局の「はしごをはずされちゃかなわん」という面子が結局は勝ったというのが、私の起訴という結果になったものです。

特捜部生き残りのためのOEM供給ラインの保全ということが、彼らをして嫌々ながら事件を仕掛けざるを得なかった背景です。そして、それがクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件が国策捜査であると言えるゆえんです。

2008年12月に強制捜査を受け、おととし12月に起訴されるまでは、個人の人権を全くないがしろにした役所の論理で全ての状況が進んでいます。その役所の論理に、1年に亘る公判を経て、裁判官が与するのかという点が、3月1日判決のハイライトです。

検察論告は、推定有罪の主張以外の何物でもありません。これを裁判官が「阿吽の呼吸」で有罪とするのかどうか。

先日もあるジャーナリストの方が、「これで有罪なら、日本の刑事司法は真っ暗闇です」とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。

あるいは歴史が変わるのか。注目に値する判決です。

(注) 平成23年の裁判確定人員は43万2,050人。うち無罪確定者は77人。有罪率は99.98%。(平成24年版犯罪白書より p.13)

ここをクリック→ 平成24年版犯罪白書

1/28/2013















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 嘆願書まとめ

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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2013/01/28 Mon. 07:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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