「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

05« 2017 / 06 »07
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.

#検察なう (269) 「第十一回公判報告 ~ 無罪判決」 3/2/2013 

#検察なう (269) 「第十一回公判報告 ~ 無罪判決」 3/2/2013

(強制捜査から1537日、無罪判決から1日)

近頃、巷に流行るもの。佐藤裁判長説諭とiPad「びろ~ん」。

iPad アプリ


まずはこれまで支援して下さった方々へ感謝の意を表します。特に、嘆願書・上申書を書いて下さった方々、ツイートを毎回のようにリツイートして拡散して下さった方々、フェイスブックの支援する会に参加された方々の勇気・冤罪を許すまじという気概には非常に大きな力を得たものです。ありがとうございました。

とにかくフェイスブック、ツイッター、携帯メール、パソコンメールのメッセージを一通り拝見させて頂くだけでも一苦労するほど反響の大きさに感動しております(個別の返事が到底追いつかず、申し訳ありません)。

ただ確定前でもあり(2週間の猶予をもって検察は控訴の判断)、0.1%の可能性が20%になったというところでしょうか。それでも200倍ですから、大したもんです。

昨日来の報道に関し、付け加えます。

まず「なぜ無実の者がこれほど苦労しなければならないのか」というコメントに関して。

なんか、これだけだと「苦労したんだよ、バーロー!」のように聞こえてしまわないかと感じますが、真意は、無実の者が無罪を得るために負わされている立証責任が大きすぎるという率直な感想です。

これほどシンプルな事案で、これほど馬鹿げた無理筋の事案でも、こんなに苦労して、数々の幸運や支持者の方々の多大な支援がなければ無罪が得られない刑事司法ってどうよ?ってことです。

冤罪が自分の身に降りかかって、初めて分かったことの一つが、「有罪方向のバイアスがかかった捜査権力が、これだけ力を持ってる日本では、目に見えた冤罪なんて氷山の一角じゃん。」ということでした。

それが無罪判決を聞いた時に、過去・現在の冤罪被害者に思いをはせて手放しでは喜べなかったものです。

もう一つ、「国税局・検察は過ちを認めるべきだ」とのコメントに関して。

私は、彼らに謝ってほしいなどとはこれっぽっちも思っていません。

当日のエピソードを一つ。

私が昨日東京地裁に入り、一階から第718号法廷のある七階に上るエレベーターで一緒になったのが、強制捜査から最後の国税局査察部取調べまで行った査察官でした。

3年半前、取調べが長期化する中で(実際には、それからもっと時間がかかるのですが)、「なぜこれほどまでに時間がかかっているのですか」と問い詰めたところ、「上司が納得してくれないのです」と答えた例の査察官です。

私が先に気付いて「XXさん、ご無沙汰してます。」と声を掛けたところ、彼は側にいた同僚の手前もあったのか、実に気まずそうに挨拶を返してくれましたが、こちらとしては「気に掛けてくれてたんだな。」との思いでした。

判決も、彼が上司に説得して受け入れられなかった内容に沿うものであり、彼としては「やっぱり、言った通りじゃん。」ということなのだと思います。もし彼が組織の論理に折れることなく正義を全うしていたならば、この3年半の私と国家の労力は大幅に削減できたものです。

組織の論理を正すのか、構成員個人個人の意識を高めるのか、どちらが刑事司法改革により有効なのか答えを持ち合わせていませんが、正しくあるためには必ず起こる過ちを自ら正す努力を怠ってほしくないと思うものです。

佐藤裁判長の説諭については、「傍聴された方々、本当に素晴らしい歴史的瞬間に立ち会うことができましたね。」というのが私の思うところです。

まずそれに関してのプロの見解。いつも応援して下さっている江川紹子氏のブログです。

ここをクリック→ 江川紹子氏ブログ「初心を忘れず、初心に返ろう~この無罪判決が意味するもの」

そして、こっちはとーしろーの見解。私の高校友人で、法廷画を書いてくれている漫画家のフェイスブック・コメントです。

「八田君の判決の前日、幾つかの法廷を傍聴しました。その結果として思ったのですが、法廷という場所は、当たり前のことを、当たり前に主張するために、多大なエネルギーを必要とするようです。

佐藤弘規裁判長のように、市民感情としては「当たり前」に感じられることを言った場合、どうしてそれがことさら感動的に感じられるのでしょうか。

それは、むしろ日本の法廷に(というと大げさでしょうかね)血の通った感情というか「人間味」というものが足りないせいなのではないでしょうか。

佐藤裁判長のような裁判官が沢山いて欲しいと思います。

そして、裁判所に行ったなら、佐藤裁判長のような裁判官が、いつでもどこでも普通に見かけられるような、日本の司法であって欲しいと思います。」

同じくこの説諭を知った友人何人もから「感動した!」「日本の司法を見直した」とのコメントが相次いでいます。

「いつか佐藤弘規という名前を、最高裁判所裁判官の国民審査で見かけたら、投票用紙に「ありがとう」と書こう。」とのコメントも。

全く空疎な論拠で起訴を押し切ろうとした検察は、裁判官の「阿吽の呼吸」を期待したものだと思いますが、そんなものはないんだという裁判官の強いメッセージを今後どう受け止めるのか。注目です。

添付ファイルは、昨日、弁護団が検察に提出した上申書です。

ここをクリック→ 上申書(3/1/2013付)

重ねて、これまでのご支援ありがとうございました。冤罪との戦いは、もしこの局地戦が終わっても、決して終結するものではありません。是非、ご理解頂ければと思います。

3/2/2013












ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ





TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事裁判公判報告

2013/03/02 Sat. 10:55 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/508-cdae8856
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top