「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

07« 2017 / 08 »09
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (277) 「検察控訴の背景を探る」 3/13/2013 

#検察なう (277) 「検察控訴の背景を探る」 3/13/2013

(強制捜査から1548日、検察控訴から1日)


東京地検は、昨日12日、無罪の地裁判決を不服として控訴しました。

これでまた検察改革が後退するかと思うと、非常に残念なことです。

私としては、判決前に述べたように、判決によって人生が左右されるとは思っていないので、それほど気落ちはありません(そもそも無罪でも諸手を挙げて喜んでいたわけでもないので)。苦難が大きければ、その結果得られるものも大きいのではないかと思います。「キャリーオーバー発生!」くらいな感じで構えています。

控訴の問題点は2点。

一点目は、判決文の完成を待たずして控訴していることです(刑事裁判においては、判決文は判決の後に作られます)。いかにも、無罪判決は何がなんでも控訴してやるという旧態然としたもので、「法と証拠に基づく捜査」からは程遠く、「結論ありき」であることが如実に表れた愚かしい行動だと思われます。裁判官の判決文すら一顧だにしないという姿勢は、司法制度に対する冒涜であり、裁判官(特に高裁裁判官)をなめきった所作です。

二点目は、タイミング的に確定申告の締め切り前のアナウンスメント効果を狙ったかのように国税局におもねる控訴だということが見え見えだということです。起訴の経緯自体、国税局の圧力であることが推測されますが、控訴も結局、「出来の悪い兄」の国税局に「傲慢な弟」の検察が従わざるをえなかったということだと思います。控訴断念は、検察にとっては「勇気ある撤退」とされても、それは国税局にとっては何のメリットもありません。特捜部の独自捜査縮小に伴う経済事案の重視において、国税局は検察にとって今まで以上に重要なパートナーとなっています。その国税局の圧力があったからこそ、破れかぶれの控訴を強行せざるをえなかったものと思われます。個人の人権など、役所のメンツの前では何の意味もないということなのでしょう。

さらに控訴の背景を探ってみたいと思います。

国税局査察部告発→東京地検特捜部起訴の所得税法違反事案で、過去に無罪の例がないため、過去のデータを検証してもあまり参考になりません。

そこで控訴を巡る、彼らの思考パターンと、利害等のダイナミズムを検討してみます。

まず非常に重要なポイントは、決定権を持つ者が、どれだけ世の中の趨勢を理解していたかという点です。

クイズ100人に聞きました。「夕方前にスーパーの買い物帰りの主婦100人に聞きました。検察とは何をするところですか。」

以前であれば、

「けんさつ?警察とどこが違うのかしら。なんとなく、悪い人をとっつかまえてこらしめるっていう感じだけど。」

であったものが、今や

「検察!やっだー!あれでしょ、何か無実の人でも悪くしちゃうって。村木さんかわいそうだったわねえ。冤罪っていうのかしら。結構多いみたいじゃない。東電OL殺人事件とか、あれ、何て言ったかしら、あ、そうそう、夕張毒メロン事件っていうの?映画になったやつ。怖いわよねー。」

です。

最近、検察の意向に沿わない判決が散見され始めたことから、全く自浄能力を示してこなかった検察内部にも、危機感を持つ検察官が出てきても不思議はありません。彼らは、私の判決の際の佐藤裁判長の説諭にあった「初心」に時間的に近い若手検事であることが多いでしょう。それに対し、「初心」から遠く、組織の論理が染みついた上層部はそうした危機感を持ち得なかったのだと思います。

それはあたかも、戦火の前線で、無線電話に向かって叫ぶ現場指揮官と、前線から遠くにいてリモートコントロールする幕僚のようなものです。

「戦局は圧倒的に不利です!我が兵も疲弊しています!ここは撤退して、態勢を立て直して反撃の機会を伺うべきです!」

「撤退!?ならん、ならん!絶対に前線死守だ。わが軍に『撤退』の二文字などない!」

危機感を持つ検察改革推進派が、控訴に慎重であったのに対し、全く旧態然としてKYな検察改革不要派が、控訴に積極的であったと思われます。

もう一つの重要なポイントは、組織防衛を真剣に考えているか、自分の利害を組織防衛に優先しているかという点です。

私の判決では、検察論告と弁護側弁論を冷静に分析すれば、無罪判決が当然の帰結であり、新規明白な証拠を検察が追加提出する可能性は皆無であることを考えると、控訴審で判決が覆ることを期待することは極めて無謀です。

控訴を強行した今、控訴審で無罪判決が維持されるということになれば、検察の受けるダメージは壊滅的となります。それ以前に、249通の陳情書にも、彼らに引く勇気を期待するメッセージが込められていました。その民意を全く無視して控訴した段階で、検察に対する逆風は今まで以上のものになることは、火を見るより明らかです。

つまり、組織防衛を考えるからこそ、「撤退」という決断があったものだと思われます。

ところが、検察内には、一審無罪確定によって、自分の評価が損なわれると考える者がいて、その者が「特捜事案で、無罪なんてのはあり得ない。これを控訴しないというのは検察全体の沽券に関わる。なんとしても控訴すべきだ。」と、自分の利害をあたかも組織防衛にすり替えた議論をした可能性もあると考えられます。

自分の責任の下では負け戦を確定せず、それをほかに押しつければ、あとはどうなっても自分の責任は逃れられるという、非常に狡猾な考えを持つ者がいたということです。

組織全体の尊厳を尊重する者の意見は、控訴に慎重であったと思われ、自分の利害を組織防衛に優先する者の意見は、控訴に積極的であったと思われます。

優秀な頭脳集団の検察といえども、腐敗した組織の論理がはびこった現在の体制では、全く不合理な決断がなされたことがこの控訴です。

既に証拠の評価では、過少申告が過失であったことは一審裁判体により認定済みです。検察控訴は、検察の主張を無批判に受け入れる裁判体に巡り合うことを期待するギャンブルで、上訴の精神を逸脱した行為です。それは三審制を悪用するもので、非常に遺憾なものです。

私は249通の陳情書は、全く無駄ではなかったと思っています。必ず真摯に受け止め、危機感をもって検察の明日を考える検事もいるはずです。私の判決の控訴阻止はなりませんでしたが、陳情書に込められた思いは、いずれ彼らの血となり肉となり、検察改革を進めてくれるものと信じています。

検察が正しくなければ、日本の刑事司法に正義はありません。希望を捨てないようにしましょう。

3/13/2013











ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 被告人最終陳述

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ





TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2013/03/13 Wed. 07:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/518-51796702
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top