「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (291) 「小川敏夫氏著『指揮権発動 検察の正義は失われた』及び、虚偽捜査報告書問題再考」 4/25/2013 

#検察なう (291) 「小川敏夫氏著『指揮権発動 検察の正義は失われた』及び、虚偽捜査報告書問題再考」 4/25/2013

(強制捜査から1591日、検察控訴から44日)

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前法務大臣小川敏夫氏による『指揮権発動 検察の正義は失われた』が上梓されました。彼が法務大臣の任にあった時に起こった、一連の小沢事件に関わる検察審査会での虚偽報告書問題において、彼が法務大臣の専権事項である指揮権を発動しようとした内幕を自ら記したものです。

虚偽報告書問題は、過去にこのブログでも取り上げてきましたが、簡単にまとめておきます。

小沢一郎氏をターゲットにした東京地検特捜部は、通常のやり方では彼を起訴できないこととなったため、彼らが考え出した方策は、検察審査会に彼を「起訴相当」とさせることでした(2回の起訴相当決議により強制起訴)。

検察審査会とは、検察が持っている公訴権の行使に民意を反映させるために設けられたもので、不当な不起訴を抑制するために、有権者の中から無作為で選ばれた者によって構成される機関です。裁判員裁判の裁判員が、国民による判事役であるのに対し、検察審査会では、国民が検事役をします(しかし、検察審査員選任のプロセス及び議事は非公開で、その存在・運営は全く不透明です)。

検察が小沢一郎氏を不起訴とした後、彼は市民団体によって検察審査会に審査申立されます。検察はそれを利用します。その審査には、全て検察が作成した証拠資料が用いられます。検察審査会に強制起訴につながる「起訴相当」の決議を出させるために、捏造した捜査報告書を作成、検察審査会に提出したというのが、虚偽報告書問題の本質です。

本来、検察の不当な決定を覆すための機関を、検察が利用するという、制度の存在意義を完全に骨抜きにして悪用した、検察の狡猾さがこれほどまでに表われた事件はないといえます。

この虚偽報告書問題が東京地検特捜部で起こる前に、大阪地検特捜部で郵便不正事件が起こったことはみなさんご承知かと思います。

検察組織は、その事件の幕引きを「とかげのしっぽ切り」として、担当検事及びその上司である大阪地検特捜部長及び副部長を逮捕・起訴。彼ら個人の事件として矮小化し、事件の解決を図りました。フロッピーディスクのデータ改竄それ自体は、事件の全容からすればむしろ些細な事象であり、無実の村木氏を有罪にして、さらにそれを突破口として、政治家を検挙する意図をもった事件の全容は、検察のトップレベルまで了承事項の組織犯罪といえるものであることからすると、あれほど話題とされた郵便不正事件ですら、報道による情報のほとんど全てが敢えてフォーカスをずらしたもののように見えます。

虚偽報告書問題では、さらに検察の組織犯罪の色は濃く、その全容が国民の知れるところとなれば、その甚大な影響は郵便不正事件の比ではないことから、検察組織は、虚偽の弁明に終始し、事件の解明をとにかく避けることにしたものです。

即ち、検察組織は、虚偽報告書の内容を検事個人の「記憶の混同」とし、事件そのものを否定しました。

こうした検察の有罪を作る違法行為は、闇から闇に葬られることが常ですが、この事件では、検事の取調べを受けた石川知裕議員がICレコーダーを持ち込んで「セルフ可視化」し、その反訳書が、ロシアのサーバーを介して、ネット上に流出したことで白日の下にさらされることとなりました。

当時、法務検察組織のトップであった法務大臣の小川敏夫氏が、自分の部下に相当する検察組織の捜査をしっかりせよとのことで、指揮権発動を考えたというのが、この本に書かれていることの背景です。

簡単にまとめると言いながら、長くなりました。すいません。ここから本の内容です。

彼は、その序章で、指揮権発動の際の心境を述べていますが、それはこの本を上梓した意義でもあります。

「検察が行った虚偽捜査報告書の作成は、検察の公正さ、捜査の適正さを根底から覆すもので、これを看過してはならない。この不正を見過ごせば、検察は同じ不正を繰り返し、罪もない国民に罪を被せる結果をもたらすことになるだろう。また、国民が検察に対する信頼を失えば、国民は、検察の捜査に協力しなくなる。

検察崩壊の危機である。

この危機を回避し、検察に対する国民の信頼を回復するためには、虚偽捜査報告書について、事実とその責任の所在を国民に明らかにしなければならない。それによって初めて検察の信頼回復を語ることができる。

私は、検察が引き起こした虚偽捜査報告書の問題が、「検察の暴走」という言葉にふさわしい深刻な事件であることを国民に明らかにして、国民の声で検察に反省を求めなければならないと考えた。」

この本には、虚偽の内容が記載されたとされる捜査報告書及び、録音反訳書の全文が掲載されています。それらを突き合わせると、捜査報告書が全くのでっち上げであり、「記憶の混同」と言えるものでないことは明らかです。その内容に関しても、小川氏は詳細に検証しています。

石川議員の取調べにおいては、調書が取られており、ここで問題とされている捜査報告書は、その調書とは別のものです。捜査報告書とは、調書を補足する、検察の内部資料です。内部の者だけが読むべき捜査報告書が、最初から検察審査会に提出されることを想定して作られていたとする小川氏の説明は、さすが元検事であるだけに、内部事情に通じた説得力がありました。

引用します。

「一般的に、取調べに関する捜査報告書は、被疑者が供述調書の作成に応じないで署名を拒否した場合や、供述調書にまとめるだけの供述がとれないため供述調書を作成しない場合に、取調べの状況や供述の内容などを記録し、上司らに報告するために作成される。(中略)供述調書が作成された場合には、供述の内容は供述調書の記載で明らかなので、特別に必要な事情がなければ、裁判の証拠にはならないような捜査報告書を作成することはない。

すなわち、供述調書をとっているにもかかわらず、さらに同じ内容が記された捜査報告書を作成することは不自然なのである。

法務検察当局の説明では、捜査報告書は、石川氏がそれまでの供述を維持する供述調書の作成に応じた経緯について、上司から指示された田代検事が報告用に作成した、としている。だが、当局の説明だけでは、供述調書に加えて捜査報告書を作成した必要性を説明しきれていない。なぜ捜査報告書が必要とされたか、疑問は増すばかりだ。

(中略)ほかに目的があると見て当然である。」

更に、捜査報告書の書き出しには、取調べの任意性を担保する質疑が記載されていますが、その記述がいかにも素人が読むことを意識していると指摘しています。

「供述人は、任意以下の通り供述した」とだけ記述すれば足りるところを、噛み砕いて「小中学生に説明するかのようなわかりやすい文章で記載されているのはなぜか。」

「それは、この報告書が、検察のプロが読むことを目的としているものではなく、(中略)刑事司法を知らない素人が読むことを想定しているからではないか。素人はどこにいるのか。選挙人名簿から抽選で選抜された、検察審査員である。」

実に明快な論理です。

取調べの反訳書を注意深く読むと、検察が起訴できなかった小沢氏を、検察審査会を使って起訴に持ち込もうとしている意図が見える部分があります。

石川議員「いやー、やっぱり検審で、1回起訴相当出てますから、相当やっぱり、次も、(起訴相当の決議がなされる)可能性は高いと思いますね。」

田代検事「ま、それで供述変ってないみたいだからね。(小沢)先生のね。」

石川議員「(強制起訴の)恐れはやっぱりありますよね。」

田代検事「だから、ほんとにこれー、ウルトラCだったんだけど、ま、僕は先生の調べやるわけじゃないからあれだけど、例えば、今までの供述で先生は完全に否定をしてたけども、検審はそれに信用性がないって言ってるんだよね。」

この検察の手法を「ウルトラC」と自画自賛するところに、真実の追求ではなく、有罪に持ち込むには何でもするという彼らの奢りが透けて見えるものです。

そして、捜査報告書は、個人の「記憶の混同」ではなく、複数の手を経て作成され、少なくとも直属上司の了承事項であったと小川氏は指摘しています。

その点に関し、私が特に関心を惹かれた記述がありました。小川氏は、この本を上梓する前に、石川氏に会い、反訳書の掲載許可の了承を得たそうです。

「そのとき、私は、彼から注目すべき話を聞いた。

108行に及ぶ捏造のやり取りの中で、田代検事が話した象徴的な言葉とされている「貴方は11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしょ」という言葉は、田代検事ではなく特捜部副部長の吉田正喜検事から言われた言葉だというのだ。

田代検事が使っていない言葉が、田代検事が使った言葉として捜査報告書の中に存在するということは何を意味するのか。使っていない言葉であれば記憶もないわけで、記憶にない言葉を思い出すすべなどない。

そうすると「記憶の混同」という言い訳は成り立たない。検察側の弁明はこの点からも排斥されるのである。(中略)

私は、田代検事以外の他の検事の取り調べの経過も総合して事情を把握している人物、すなわち田代検事の上司がこの虚偽捜査報告書の作成に関与し、そのため田代検事が知らない他の検事の言葉が田代検事の言葉として盛り込まれてしまったのだと考えている。」


検察による最初の嘘が、虚偽報告書そのものであり、そしてそれを隠蔽するために、組織として「記憶の混同」という検事の言い訳を容認したことが、次なる嘘です。

また、嘘の連鎖はとどまるところを知らないようです。

八木啓代氏を代表とする「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」は、虚偽報告書問題に関し検察による内部調査で刑事処分された者がいなかったことを受け、東京地検特捜部の担当検事である田代検事や、佐久間達哉元特捜部長ら上司を検察審査会に審査申立しました。

先日、その決議がなされ、田代元検事は「不起訴不当」、佐久間元特捜部長ほか上司は「不起訴相当」と発表されました。不起訴相当は勿論のこと、不起訴不当も、強制起訴の可能性がある起訴相当よりは相当甘い決議です。なぜそのような甘い決議が下されたかに関しては、それを問題視し、その理由を探った江川紹子氏のブログを是非ご参照下さい。

ここをクリック→ 「検察審査会議決の不透明・補助弁護士はワケあり元検察幹部」

終章から小川氏の言葉を引用します。

「検事魂という言葉がある。検事は不正を暴き正すために、相手がどんなに強大な存在であっても怯むことなく戦い抜くという信念と根性を指す。私もかつて検事をしていたことがある。検事魂が私の心の隅に宿っているのだろうか。正義のために徹底的に戦う覚悟である。ただ、戦う相手は、その検察である。」

「この問題に蓋をしたまま放置して、国民からの信頼を取り戻そうとしないならば、国民は常に検察を不信の目で見続けることになろう。いまの国民が入れ替わるまで50年間は、検察は信頼を回復できないのではないか。」

小川氏も批判のための批判をしているのではないことは明らかです。検察が正しくあることが国民全体の利益だからです。是非、検察官にはこうした声を真摯に聞いてほしいと共に、我々国民は事の重大さを理解すべきだと思います。

P.S.
ここでは敢えて指揮権発動の歴史的意義には触れませんでしたが、それに関しては私の過去のブログをご参照下さい。

ここをクリック→ #検察なう (145) 「小川前法相の指揮権発動検討は歴史的大ニュース」

4/25/2013















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会ダイジェスト版」(動画)


ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 5

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 4

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 3

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part2

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事


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category: 刑事司法改革への道

2013/04/25 Thu. 07:00 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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