「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (293) 「ジャパンタイムズ ゴビンダさんインタビュー翻訳」 5/2/2013 

#検察なう (293) 「ジャパンタイムズ ゴビンダさんインタビュー翻訳」 5/2/2013

(強制捜査から1598日、検察控訴から51日)

ジャパンタイムズの4月30日付記事に、昨年11月にネパールに帰国した東電OL殺人事件の冤罪被害者ゴビンダ・マイナリさんのインタビューが掲載されていました。

英文の記事だったので、紹介するために日本語訳を探したのですが、見当たらなかったので勝手に翻訳してみました。

取調べ官の暴言は同じ日本国民として恥ずべきものです。ゴビンダさんの手記も出版予定です。

末尾にオリジナルの記事のURLを添付してあります。

ジャパンタイムス記事翻訳
「Mainali eyes wrongful imprisonment suit against Japan」 4/30/2013

カトマンズ発
犯してもいない罪によって15年もの間日本で投獄されていたネパール人が、昨日の月曜日、日本国政府に対し、誤った投獄と不当な扱いの賠償を求める訴えを考えていると語った。

ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏(46歳)は、日本人女性を殺害したとして誤って有罪とされたが、その嫌疑が晴れたのは長年経過した後であった。

カトマンズにある3階建の彼の家での共同通信記者の独占インタビューに答えて、その決断をするためには、同様に冤罪に問われた桜井昌司氏の国家賠償請求の結果を待つと語った。

1967年の強盗殺人の容疑で40年間塀の中に閉ざされていた後、2011年に無罪宣告を受けた2人のうちの1人である桜井氏は、昨年、日本政府と茨城県に対し、賠償請求の訴えを起こした。

「私は、負けることが分かっている告訴はしたくないのです。十分に成功するチャンスがあると楽観的でいたいのです。」マイナリ氏は言った。

帰国後10キロ減量したマイナリ氏は、日本国政府が、彼の受けた精神的苦痛に対して正式に謝罪することを願っているとも語った。

昨年11月の無罪判決後、法務大臣による言葉少ない謝罪では不十分であると彼は言った。

「私は、日本国政府の役人がカトマンズに来て、記者会見を行って謝罪するまでは納得しません。」と、マイナリ氏は言う。

誤った投獄の補償を求める、二人の娘の父親は、1997年の逮捕以降の尋問や投獄されている間の肉体的虐待を生々しく語った。

「逮捕された後、渋谷警察署の警官が、尋問中ブーツを履いた足で私を蹴り上げたり、つま先を踏みつけたりしたのです。彼らは『お前は、文化の劣った国から来たんだ。そういうお前の国から日本に来る奴は、強姦や強盗、殺人しかしないんだ』と言いました。」怒りと共にマイナリ氏は説明する。

「私は着ていたものをひきちぎられたり、頭を壁に打ち付けられたり、私の足が腫れるまで非常に高い椅子に長時間座らされることを強要されました。」

マイナリ氏によれば、彼は朝の9時から夜の9時まで取調べられた上、カメラで監視された部屋に入れられたと言う。

「私は、誰かが私を監視していると感じて、夜に眠ることができませんでした。」と語る。

こうした不当な扱いは、彼が刑務所に送られてからも続くことになる。

「看守は私を言葉で虐待し続けました。卑劣な言葉の限りを尽くして私を苦しめました。」

ほかの受刑者ですら彼には辛く当ったという。

「刑務所で、私はほかの7人と数ヶ月間同房だったことがあります。一度ならず、私の頭から醤油をかけ、そして私の割り当ての食事をさせてくれなかったのです。私は、彼らにとっては「日本人女性をレイプした殺人犯の外人」でした。ですから、彼らにはそれが正当な行為だったということです。」彼はそう言った。

マイナリ氏は、刑務所での最悪の日々は、最高裁が彼の無期懲役を認めた2003年だったと言う。

「最初は狂ったように泣いたものです。」彼は言う。「しかし、気を取り直して、自分が犯していない罪で残りの人生を塀の中で過ごさなければいけないと信じることを拒絶しました。楽観視することで私は自殺しなくてもすみました。」

マイナリ氏は、長い監獄生活の中でほとんど運動ができない状況であったにもかかわらず、さほど健康上の問題はないが、監獄にいる時から睡眠障害には悩まされ、睡眠導入剤を常用していたという。

「ネパールに帰国してから薬を飲むことをやめていますが、例えば、昨晩も私は3時間寝付けませんでした。」

マイナリ氏は、一人になるのが怖いとも言った。

「一人でいることができないのです。誰か家族が近くにいてほしいのです。」と彼は言う。「できることなら、家族の誰かが私の掌を優しくなでていてほしいのです。そうすれば私は監獄の中のことを忘れることができます。」

マイナリ氏は、誘拐されることを恐れるあまり、一人で外に出ることはないとも付け加えた。

「最近はネパールも物騒になりました。昨年帰国した際、カトマンズ空港職員に最初に聞かれたことは、私がいくらの賠償金を所持しているかということでした。」と彼は言った。「昔からの知り合いですら、私の受けた苦悩について聞く前に、同じ質問をしました。人々は、私が大金を持っていると誤解しているのです。」

マイナリ氏の最大の悔みは、父親が、彼が自由になるのを生きて見ることができなかったことと、二人の娘を自分の手で育てることができなかったことだ。

「もう彼女たちは大きくなりました。彼女たちを子供のようにハグすることはできません。膝の上にのせてあやすこともできません。」と言った。

インタビューの間、マイナリ氏は日本の司法制度や警察当局を厳しく非難し、「冷酷で非情だ」とも罵倒した。

しかし、彼は、日本人が非常に働き者であることに尊敬の念を持っている。

「ネパールに帰って気付いたことは、この国の人々はあまりに宗教に囚われ、近代化に遅れを取っているということでした。」彼は言った。「日本では、人々は行動を起こして勤勉に働くことの成果を信じています。それゆえあのような国を作ることができたのです。」
刑務所での日記を元にした手記が、編集の遅れはあったが、今月ネパールで出版されることになっている。

マイナリ氏は、彼の刑務所でのできごとを記録に残すため、日本語での著作も手掛けていることを付け加えた。

海外からの出稼ぎ人であったマイナリ氏は、1994年日本に向けて旅立った。

彼は1997年に、知り合いであった東電の女性社員を殺害したとされ逮捕された。

2000年に東京地裁は、決定的な証拠に欠けるとして無罪判決を言い渡したが、東京高裁は彼に無期懲役を言い渡した。

数多くの新しいDNA鑑定による証拠が再審開始につながり、マイナリ氏は昨年6月釈放され、その後11月に無罪判決が確定した。

現在、マイナリ氏は、彼の妻、二人の娘、それから母親と一緒にカトマンズに暮らしている。

ここをクリック→ Japan Times "Mainali eyes wrongful imprisonment suit against Japan"

5/2/2013














ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会ダイジェスト版」(動画)


ここをクリック→ 被告人最終陳述

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category: 東電OL殺人事件

2013/05/02 Thu. 04:33 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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