「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

09« 2017 / 10 »11
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (297) 「『それでもボクはやってない』再々々…観賞」 5/20/2013 

#検察なう (297) 「映画『それでもボクはやってない』再々々…観賞」 5/20/2013

(強制捜査から1616日、検察控訴から69日)

先日のブログで木谷明元裁判官のロング・インタビューを紹介したため、もう一度DVDで、周防正行監督の『それでもボクはやってない』を観てみました。多分、5回目か6回目の観賞です。周防監督は、木谷明氏の著書『刑事裁判の心』をこの映画を作る際の参考にしていたものです。

映画の中に、司法修習生が大森裁判官に「無罪を言い渡した事件で、本当はやってるかもしれないって悩んだことはありますか」と問いかける1シーンがありますが、このシーンの基となった話を『刑事裁判の心』から拾ってみます。

ある若い判事補からのご質問を紹介したいと思います。この判事補の質問は、次のようなものでした。それは、「木谷さんが無罪を言い渡された事件で、本当は被告人がやっているかもしれないと思ったことはどれほどありますか。また、やっているかもしれないと思えた場合に、一人の人間としてどのように気持ちの整理をつけていったのですか」というものでした。
これはまことに素朴な疑問ですが、考えようによっては、実体的真実主義と適正手続の狭間で揺れ動く刑事裁判官の悩みを的確に指摘しているのではないかと思います。しかしながら、私は、このような問題について、それほど深く悩んだことがありません。私は、刑事裁判の事実認定は、あくまで、検察官が合理的な疑いを容れない程度の証拠を提出したかどうかを判定する作業だと割り切って考えていましたし、今でもそう考えています。ですから、私は、証拠は薄いが本当は被告人が真犯人ではないのかというような次元の問題で裁判官が悩む必要はないし、またそのようなことで裁判官が頭を悩ましてはいけないのだと割り切っております。そういう問題について裁判官が余り頭を使い過ぎますと、証拠の不足を推測や想像で補って有罪の認定をしたくなると思います。そして、そのような作業からは、ときに無辜を処罰する結果が生ずることになるのではないでしょうか。私は、この判事補に対しては、おおよそ以上のような返事をして質問に対する回答といたしました。
(木谷明『刑事裁判の心』第一章 事実認定の適正化)

映画でも同様に答えさせた後、大森裁判官に次のように語らせています。
「(刑事裁判の)最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということです」

この「十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜を罰することなかれ」という推定無罪原則がこの映画のテーマです。

映画の主人公は、痴漢冤罪の被害者徹平(加瀬亮)、そしてそれを弁護するのは元裁判官の弁護士荒川(役所広司)です。この荒川のセリフには、周防監督の刑事司法に関するメッセージの多くが込められています。

「痴漢冤罪事件には、日本の刑事裁判の問題点がはっきりと表れてるんだ」

「否認してるといつまでも勾留して自白を迫る。こういうのを人質司法っていうんです。そんな卑劣なやり方に屈したらダメだ」

「僕たちが相手にしているのは、国家権力なんですよ。そんなんでいちいち落ち込んでたら、刑事弁護なんてできやしない。裁判官が無罪に臆病なのは、今に始まったことじゃないんだ」

「裁判官はね、常時二百件以上の事件を受け持ってる。そのほとんどが罪を認めている事件で、明らかな有罪ばかりだ。それを考えれば、確かに悪い奴を裁く場所かもしれない。ただ、その中で被告人の声を真摯に聞くことは容易じゃない。加えて、短期間に多くの事件を裁かないと勤務評定にかかわる。まあ、忙しすぎるんだな。裁判官の能力は処理件数で計られるから、早く終わらせることばかり考える」

「理屈の上では、検察側立証の弱点を指摘するだけでいいんだけど、現実の裁判はそう甘くない。こちらから積極的に無罪を立証できないと負ける」

「裁判官はね、被告人にだけは騙されまいと思ってる。恥だからね。頭の良さに自信のある人間ほど、目の前にいる人の言葉が、万が一嘘だったらどうしよう、それに乗せられたら恥だ、という心理が働くもんなんだ」

「裁判官に悪意があるとは思わない。毎日毎日嘘つきに会い、人の物を盗んではいけません、人を傷つけてはいけません、時には人気歌手の歌を引用して説教もする。その繰り返しだ。怖いのは、99.9パーセントの有罪率が、裁判の結果ではなく、前提になってしまうことなんです」

また、傍聴マニアの一人は、実は過去に冤罪の被害にあったという設定ですが、彼にも意味深いセリフを言わせています。

「無罪を出すというのは警察と検察を否定することです。つまり、国家にたてつくことですよ。そしたら出世はできません。所詮、裁判所も官僚組織ですから。組織の中で評価されたいというのが人情でしょ。被告人を喜ばしたって、何の得にもなりゃしない。有罪ばかり書いてりゃ出世するってわけでもないらしいけど、とにかく、無罪判決を書くには、大変な勇気と能力がいるんです」

この映画で、特筆すべきは俳優加瀬亮の演技です。特に、彼の最終陳述のシーンで、思わずこみ上げるのは演出ではなく、感情のおもむくままの涙の演技だったと言われています(加瀬亮は、台本通りの泣かない演技の撮り直しを頼んだが、周防監督はそのまま映画に使った)。

有罪判決を受けての徹平のセリフは、周防監督オリジナルのアイデアのようです。実に鋭い視点のこの言葉に、彼のセンスが表れています。

「僕は、心のどこかで、裁判官なら分かってくれると信じていた。どれだけ裁判が厳しいものだと言い聞かせても、本当にやってないのだから、有罪になるはずがない。そう思っていた。真実は神のみぞ知る、と言った裁判官がいるそうだが、それは違う。少なくとも僕は、自分が犯人ではないという真実を知っている。ならば、この裁判で、本当に裁くことができる人間は僕しかいない。少なくとも僕は、裁判官を裁くことができる。あなたは間違いを犯した。僕は絶対に無実なのだから」

そして映画は、徹平の次の言葉で締めくくられます。

「僕は初めて理解した。裁判は真実を明らかにする場所ではない。裁判は、被告人が有罪であるか、無罪であるかを集められた証拠で、取り敢えず判断する場所にすぎないのだ。そしてボクは取り敢えず有罪になった。それが裁判所の判断だ。それでも....ボクはやってない」

もしまだご覧になっていない方には、是非お勧めしたいと思います。刑事司法の現実を垣間見ることができると思います。

ここをクリック→ 映画『それでもボクはやってない』予告編
















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会ダイジェスト版」(動画)


ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 5

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 4

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part 3

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事 Part2

ここをクリック→ 過去のお勧めブログ記事


ここをクリック→ 嘆願書まとめ

ここをクリック→ 上申書まとめ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事事件一般

2013/05/20 Mon. 06:44 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/546-2840543a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top